2019年10月12日土曜日

映画 「ロング・グッドバイ」

1973年 アメリカ。





正直、レイモンド・チャンドラーという人は苦手だ。



だから、以前このblogで紹介したヒッチコックの『見知らぬ乗客』やビリー・ワイルダーの『深夜の告白』でも、あまり良い風には書いてないと思う。


いずれも、それらは脚本家としてチャンドラーが関わった映画なのだが、監督やその原作者たち相手に罵詈雑言。


ところ構わず癇癪をおこすほどだったらしい。



では、そんなチャンドラーが小説家として、生涯に書きのこした小説たちは、どうかというと、今でも熱狂的なフアンに支えられて、本人の人柄とは関係なく、金字塔のように存在している。



1939年に『大いなる眠り』で長編デビユー。

その後、1959年に『プレイバック』を書くと亡くなった。


その20年間に書いた長編小説は、わずか7冊。(未完の小説も入れると8冊)
チラホラ短編・中編集もあるが、ほんの数冊である。



こんなチャンドラーの書いた小説の何が魅力的なのだろう?(ハードボイルド小説が、全く理解できない自分なので)


やっぱり、創造した私立探偵『フィリップ・マーロウ』の人気なのだろうか(それしか推測できませんが)




そんなフィリップ・マーロウを、映画でも大勢の俳優たちが、こぞって演じております。


●ハンフリー・ボガード『三つ数えろ』(小説名『大いなる眠り』)


●ロバート・ミッチャム『さらば愛しき女よ』、『大いなる眠り』


●ロバート・モンゴメリー『湖中の女』


●ジェームズ・ガーナー『かわいい女』


●ジェームズ・カーン『マーロウ最後の依頼』(未完の『プードル・スプリングス物語』)などなど………。



本当にみんながフィリップ・マーロウをやりたいんだなぁ~(最近では日本でも浅野忠信がマーロウをやってるし)






この『ロング・グッドバイ』の原作『長いお別れ』が、なぜか?日本では昔から異様な人気。

毎回ミステリー小説のアンケートをとれば、一位、二位の上位にくるくらい。


村上春樹なんて、自ら翻訳をやり直したくらい熱狂的に、この小説を愛している。





こんな人気の小説を、当時、ロバート・アルトマンが監督して作った『ロング・グッドバイ』。


興行的には失敗したものの、後年、一部のフアンからは大歓迎されて、カルト的な人気に支えられて、今では見直されていて評価も高い。


アルトマン監督は、色々と大胆に、原作を脚色、アレンジしているが、原作フアンからは、「それが逆に素晴らしい」と大絶賛されているそうな。



小説が発表されたのが1953年。

でも、それを70年代に設定して、エリオット・グールドにマーロウを演じさせている。






夜中に腹を空かせた飼い猫に、「ニャ~ニャ~」と、無理矢理起こらされるマーロウ。


あいにく猫のお気に入りの缶詰がなくて、夜中のドラッグストアまで車を走らせて、眠い目をこすりながら、買い出しに走るマーロウ。


「カレー味のキャットフードの缶詰がほしいんだが?」

店員にたずねるも、「品切れです」の言葉。
しゃ~ない。



帰ってきて、猫に隠れて、変わりの缶詰にカレー粉を混ぜて出すマーロウ。(猫だし、多少の違いは分からんだろうさ)


「ほら、食え!お前の大好物だぞ!」

だが、猫は、そんなまがい物には目もくれず、「フン!」とばかりに横を向くと、スタスタと出ていった。


「こんにゃろ!勝手にしやがれ!」と叫ぶマーロウなのだった。






こんな感じで始まる『ロング・グッドバイ』の冒頭だが、もちろん原作にはこんなシーンもなければ、描写も存在しない。

この後も犬に吠えたてられるマーロウなど、全てがアルトマンの脚色である。





でも、原作フアンからは大絶賛されている。
なぜか?



それは『友情に厚いマーロウ』という、原作の柱というか、この小説の核というものだけは、まったく変えていないから。




この小説の根本といえるのが、マーロウとテリー・レノックスの友情。

それゆえに、親友の無実の為に、マーロウが奔走する原動力でもある大事な部分。


それを柱においているからこそ、アルトマンが70年代風に自由にアレンジや脚色しても、原作フアンには納得の改変なのである。



黒いヨレヨレのスーツに身を包んで、暇さえあれば、1日中煙草をスパスパ吸っているエリオット・グールドのマーロウ。


飄々としていても「やるときゃ、やる!」の信念をもつマーロウ。



この雰囲気、自分も嫌いじゃないし、むしろ好感をもって最後まで楽しんだ映画なのでした。




バックに流れる音楽も、なかなか良い。


気だるい感じや、マーロウの孤高の具合に上手くマッチしているように思える。




これはこれで、なかなか素晴らしい映画に仕上がっているんじゃないかな?

星☆☆☆である。



※ただし、原作者のレイモンド・チャンドラーが生きていて、この映画を観たなら文句タラタラだったかもしれない。


「こんなのはマーロウじゃない!」と、またもやキレていたかもしれない。


なんせ、チャンドラーのイメージするフィリップ・マーロウは、あの『ケイリー・グラント』なのだから。



自分からすれば、

「え~?!ケイリー・グラントがマーロウ役?全然イメージと違う!」と思うのだが……。



友情に厚いマーロウ役ねぇ~。



ケイリー・グラントなら、そんなのほっといて、ジョークをとばしながら美女とたわむれていそうだが。(笑)

この、チャンドラーと我々一般庶民の感覚の差が、案外、チャンドラーが映画脚本家として成功しなかった原因のように思えてならない。


お粗末様。