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2025年8月1日金曜日

映画 「潮騒(山口百恵版)」

 1975年  日本。




『宮田初江』(山口百恵)は、こう見えてもお嬢様。(一見、田舎娘にしか見えないが)


伊勢湾に浮かぶ《歌島》(現在の神島)の有力者・『宮田照吉』(中村竹弥(たけや))の娘なのだ。


宮田家には跡取り息子がいたのだが、とうに亡くなってしまい、何人かいた姉たちも結婚して嫁いでしまっていた。


使用人たちはいても、たった一人きりになってしまった宮田照吉。


昔、養女に出されていた初江は、照吉の世話の為、最近になって島に呼び戻されたのである。(島の若い衆たちも、アイドル百恵に色めき立つ)



『久保新治』(三浦友和)は、若い漁師。

貧しいボロ家に住んでいて、働き者の母親『とみ』(初井言榮)と小学生の弟『広』との3人暮らしである。


若いのに真面目で一生懸命働く『新治』は、親方『大山』(花沢徳衛)たちの信頼も厚い。



こんな新治と初江は、最初からお互いに運命的なものを感じていた。


初江が重い水桶をひっくり返してしまった時には、そこを偶然、新治が通りかかる。(親切な新治はそれを手助けする)


新治が給料袋を無くした際には、わざわざ初江が見つけて自宅まで届けに行ったりもする。




そうして、ある嵐の日、島の《監的哨跡(かんてきしょうあと)》(旧陸軍が大砲の試射弾の観測をした施設跡地)で新治が雨宿りをしながらウトウト寝ていると、そこへ後からずぶ濡れになった初江もやって来た。

そうして ……


《↑現在も残る監的哨跡》


あの有名なシーン


「目ぇ、開けたらいかん!目ぇ、開けたらいかん!」



自分が全裸で雨に濡れた洋服を乾かしているので、新治にも全裸になる事を強要する初江。(最後の一枚、《ふんどし》さえも初江は絶対に許さない。「まだ、残っておる!」と厳しい目つきの百恵ちゃん)


そんなのを気にせず『新治』(三浦友和)がホイホイ脱いでいき、全裸になると、またもや無茶ぶりする初江。


「その火を飛び越えてこい!」



そんなのも軽くクリアした新治は、真っ裸の姿で、初江に一目散に迫ってくる。(目の前に真っ裸の百恵ちゃん、もう堪らん!ってなものだ)



「いかん!うち、あんたの嫁さんになると決めたんや。嫁入り前の娘がこんな事、したらいかん!」


すんでのところで、とんだお預けを食らう『新治』(友和)。

わけのわからない事を散々させておいて、ギリギリ操(みさお)を守った『初江』(百恵ちゃん)。


『新治』(友和)は、渋々、我慢してこらえた。(今観ると蛇の生殺しシーンだな、コレ(笑))


だが、狭い島の中、二人の噂は一気に広がっていき ………




映画『潮騒』というと、この際どいシーンばかりがクローズ・アップされていて、ほとんど記憶になかったのだが、大人になって観ると、その印象もガラリと変わってしまう。


百恵・友和以外の出演者たち(《歌島》に住む者たち)が皆、性根の優しい人ばかりでカラッとした気性として描いているのだ。




特に『新治』(三浦友和)の漁船仲間、『大山』(花沢徳衛)と『竜次』(川口厚)は名コンビ。

あらぬ噂を立てられカンカンに激怒した『宮田照吉』(中村竹弥)は、娘・初江に「当分、家から出るな!」なんて外出禁止令を出すものだから、相思相愛の二人は会えずじまい。


そんな二人の橋渡し役を引き受けてくれるのが、このコンビなのだ。(もっぱら若い竜次が目印の壺の下に手紙を隠しておく係ね)



そんな折、新治に長い航海で大型漁船・《日の出丸》に乗り込む話が入ってくる。



母親の『とみ』(初井言榮)は息子の身を案じて大反対!


「新治、騙されちゃいかんぞ!《日の出丸》は宮田の照爺のとこの船じゃ。お前と初江の仲を引き裂くために、あの照爺が、わざと企んだことなんじゃ。絶対騙されちゃーいかんぞ!!」





こんな母親『とみ』の涙の懇願にも動じず、新治は《日の出丸》に乗り込む事を決めた!


そうして、同じ《日の出丸》に乗る事になったのが、村のボンクラ息子で、同じように初江の事を狙っている『安夫』(中島久之)である。


《↑なぜか長い航海に出るというのに場違いなスーツ姿の『安夫』(中島久之)。ダメだ、こいつ(笑)『新治』のライバルにもならんわ》



それをじっと見送る『初江』(百恵ちゃん)。




(新治さん …… あなたが無事に帰ってこれるように …… 私、祈ってます …… )←『安夫』(中島久之)の事は最初から、まるで眼中にない『初江』(百恵ちゃん)(笑)。









厳しい嵐を無事乗り切って帰ってきた『新治』(三浦友和)を島の長・宮田照吉もようやく認めてくれた。

「男は気力が一番なんじゃ!」

 

百恵、友和の映画にしては、珍しくのハッピー・エンド。


私、このコンビでは、この映画が一番好きかもしれない。

オススメしとく。


それにしても、神島、八代神社、監的哨跡など絵になるような名所がいっぱいだ 。(いつか行ってみたいなぁ〜)






2025年6月12日木曜日

映画 「伊豆の踊子(山口百恵版)」

 1974年  日本。





山口百恵主演映画第一作目。


可哀想に、今じゃ考えられないが百恵ちゃんのデビュー曲『としごろ』は、さっぱり売れなかった。(37位が最高位でした。)

2曲目の『青い果実』で大きく挽回したものの(最高9位)、3曲目、4曲目はトップテン外。


当時のホリプロ社長・堀威夫(ほり たけお)氏は、「ならば百恵は《役者》で売り出そう!」と決心し、昔ながらの知り合いである西河克己監督に相談する。

こうして川端康成の名作『伊豆の踊子』が撮られる事になるのだが …… 問題は《相手役》!


大々的に新聞広告まで出して、相手役オーディションを行い、現役東大生の素人が決まるのだが、監督の西河克己が、ど〜にも気に入らない。


《↑西河克己監督》


西河克己監督は、たまたま探し出してきた新人・三浦友和をひと目で気に入り、面接をして、周囲の猛反対をねじ伏せると、強引にキャスティングしてしまったのである。



でも、こうして並んでみても、やっぱりお似合いの二人。


三浦友和が眩しいくらいの超イケメンで、演じている百恵ちゃんのドキドキ感♥️が観ているこちら側にも伝わってくるくらい。



そもそも映画のクレジットでは百恵が主役でも、この『伊豆の踊子』という原作自体が、川端康成が若い時に体験した数日間の旅日記みたいな小説。


映画のナレーションを名優・宇野重吉さんがつとめ、若い頃の川端康成の《回想》という形でドラマは始まってゆく。(原作では《私》という記載しかなく名無しだったが、映画では三浦友和の役には《川島》という名前が与えられている)


つまり、本当の影の主役は『川島』(三浦友和)なのである。


全て、川島の目線で《旅芸人たちの差別》や《若い踊子・『かおる』(山口百恵)の可愛らしさ》を観客たちは体感する事になるのだ。







男は三浦友和になった気持ちで、百恵ちゃんを《愛おしく》思い、

女は百恵ちゃんになった気持ちで、三浦友和を《白馬の王子様》のように思う。(なんせ70年代は少女漫画の全盛期ですもんね)




だからこそ、相手役選びには慎重だったのだろう。


見た目も良くて演技もできる三浦友和。(まぁ、一般公募とはいえ素人には難しい役だろうな)


三浦友和を選んだ西河監督は、まさに彗眼だったのだ。




こんな『川島』(三浦友和)は、旅芸人一座と同行しながらも、踊子『かおる』(山口百恵)にドンドン惹かれていく。

そうして、『かおる』も ……



書生・『川島』と『かおる』が《活動写真(映画)》を観に行く約束をするも、旅芸人の長(おさ)『のぶ』(一の宮あつ子)は、大反対!


「旅芸人の娘と書生では《身分》が違いすぎる!傷つくのは『かおる』なんだよ!」


川島の気性を気に入っている『かおる』の兄『栄吉』(中山仁)が援護するも言い合いになっている。


それをたまたま運悪く聴いてしまった『かおる』。



「すみません …… 《活動写真》行けなくなりました …… 」

「…… 僕の方もあなたに言いたいことがある …… そろそろ学校に戻らなければならなくなったんだ …… 」

ショックでその場にしゃがみこみ、泣き崩れる『かおる』(百恵ちゃん)。(😭ああ〜、可哀想な百恵ちゃん)


川島の方も身を切られるような気持ちなのだ。



翌日、港に見送りに来ていた『かおる』に

「 … ずっと言おうと思っていたんですが … その簪(かんざし)、僕にくれませんか?」とねだる川島。


そうして、だまってソレを差し出す『かおる』。






「さよ〜なら〜!さよ〜なら〜!」




遠ざかっていく船に、いつまでも、いつまでも手を振り続けている踊子。


可哀想な二人の姿にしんみりする。



(こんな薄幸な踊子『かおる』(山口百恵)に安息な日々はやってくるのだろうか …… )と気をもんでいると、映画は、さらに冷や水をかけられるようなラスト。


いつものようにお座敷に出て踊る『かおる』に、なんと!酔っ払いの入れ墨をいれた中年男が絡んできて抱きついてくるのだ。




キィーーッ!💢と腹が煮えたぐる思いと、「百恵ちゃん、さっさと逃げてぇー!」と思いが交差して、映画は幕となるのである。



子供の頃にこれを観た日には、なんとも後味の悪い思いがして、(百恵ちゃんと友和が何とか幸せになれればいいのになぁ〜 …… )と願ったものだ。


そう思ったのは自分だけでなく、日本全国の人たちが、こんな虚構の世界を飛び越えて、二人の行く末を見守っていたのだった。(二人が結婚したから良かったものの、これが互いに別の相手と結婚していたら、どうなっていたのだろう?)

日本全国、大発狂していたに違いない。



まんまと日本人全員が、西河監督の演出マジックに、してやられた感じだ。


そうして、この映画は試写でも評判が良く、正月映画に持ち越される。

幾多の洋画を抑えて、その年の《3位》に食い込むくらいに大健闘したのだった。



驚いたのは東宝やホリプロだけじゃない。


他の芸能プロも躍起になりだした。

「我々も《百恵・友和コンビ》に続け!」とばかりに、自社のアイドルたちを使って映画に売り込むも …… そうそう上手くいくはずがない。皆がコケた(笑)。


ここから、映画でもドラマでも、この《百恵・友和コンビ》が怒涛の伝説を創り上げてゆくのである。《おしまい》





※《追記》

尚、映画の舞台となった静岡県にある《湯ヶ野温泉 福田家》は、令和7年の今も健在である。


《伊豆の踊子》に感銘をうけた方は訪ねてみるのも、また良いかもしれない。

《↑湯ヶ野温泉 福田家》

2023年12月9日土曜日

映画 「ファミリー・プロット」

 1976年  アメリカ。





ある夜、霊媒師・『ブランチ』(バーバラ・ハリス)は、恋人でタクシー運転手・『ジョージ』(ブルース・ダーン)の情報を元に、孤独で金持ちなレインバート婦人相手にインチキな霊媒していた。


完全にブランチを信用した老婦人は、水を得た魚のように、今の悩みを打ち明けはじめる。


「実は《甥っ子》を探してほしいのよ! 死んだ妹が昔、私生児として産んだ子よ。」


大昔、名家レインバート家では私生児など《一族の恥》。

子供は早々に養子にだされ、生きていれば、もう中年男の姿なのだという。


老い先短い自分に残された身内といえば、考えても、もう、あの《甥っ子》しかいない。

その甥を見つけて自分の財産を相続してもらいたい!というのが、目下、婦人の願いなのだ。


「それに見つけてくれたら、お礼として報奨金 一万ドル を払うわ!」の話が飛び出すと、たちまちブランチの瞳が輝いた✨。



この話を家に持ち帰ると、恋人のジョージもウハウハ♥。

タクシーの仕事そっちのけで、【素人探偵ヨロシク!】、《甥っ子探し》に乗り出してゆく ……



でも、良い《甥っ子》なら、いいけど、世の中そんなに上手くいくのかな~?



コイツが二人が探すことになった肝心の《甥っ子》、エドワード・シューブリッジ=またの名を『アーサー・アダムソン』(ウイリアム・ディヴェイン)である。(思いっきり歯をむき出しにして、まぁ〜、ひと目見ても悪そうな顔)


自身が17歳の時に養父母は、とっくに火事🔥で亡くなっていた。(コイツが殺したんじゃないのか?)


そうして、しばらくすると、エドワードは『アーサー・アダムソン』を名乗りはじめ、宝石商を営みはじめる。(ご丁寧に養父母の墓の隣に、自分の嘘の墓まで建てる念の入れよう)


だが、元々が悪党のエドワードに真っ当な暮らしは無理!


情婦の『フラン』(カレン・ブラック)と組んで司祭を誘拐。

身代金代わりに高価な宝石を要求するという、トンデモない《裏稼業》を生業(なりわい)にしていたのだった。




そうとは知らないブランチとジョージは、

「《甥っ子》を見つけ出せば本人も得するし、自分たちだって報奨金の一万ドルが手に入る!」と、完全に一挙両得、親切家気取りの気持ちである。


そうして、とうとうジョージは『エドワード・シューブリッジ』の名前と墓地を探し出した。



(亡くなっていたのか …… これで一万ドルも水の泡。パァーか …… )と落胆しかけたジョージだが、ある異変に気付く。


(いや!待てよ!この墓はシューブリッジ夫妻の墓に比べて …… )


同じ1950年に建てられたにしては、エドワードの方の墓は、やけに 新しい のだ!


疑念を抱いたジョージは、エドワードの死亡保証人が、雑貨屋を営んでいる『マロニー』(エド・ローター)という男になっていることを突き止めると、即座に訪ねていくのだが ………





アルフレッド・ヒッチコック監督、最後の映画。(後、1980年没になる)

そうしてヒッチコック映画には珍しく美男美女は全く登場しない!(特にカレン・ブラックの起用には「???」)



だが、この映画の構成は中々良い。


2組のカップルの思惑や行動を交互に描きながらも、それが交差する時、どんな反応を引き起こすのか?


一種の《科学的反応》な面白さがあるのだ。



その間にはさまれて、『マロニー』(エド・ローター)の姿がチラホラ。

右往左往している。(私がこれまで取り上げてきた映画に、(なぜか?)不定期に登場する、謎の【禿げたオッサン】(笑))


「アイツらをぶっ殺してやる!」


いちいちアダムソンの前で、ナイフを取り出しては凄んでみせるマロニー。

実は、このマロニーもアダムソンと一緒に、養父母を火事🔥に見せかけて殺した共犯者なのでした。(やっぱり!保険金目当てか?)


叩けば、いくらでも埃が出てくる悪党たちには、もはや、人の善意なんてのは全て真逆の悪意に見えてしまうのだ。

突然現れた、ジョージとブランチに、危機感さえ覚える悪党たち。


「エドワードの情報を教えてやる!」

わざわざ山奥の喫茶店にブランチとジョージを誘い出したマロニー。


二人が喫茶店で待ってる間に、チョイチョイと車に小細工する。(全く、あの飛び出しナイフは何だったのか?妙に小者感丸出しのマロニーさん)


そうして、待てど暮らせどやって来ないマロニーにシビレをきらせて、二人が車に乗り込むと ……


ゲゲッ!この車、ブレーキが効かないぞ!(お決まりといえば、お決まりの展開が待っていたのだった)




ここで、ヒッチ先生のいつもの悪い癖が出て ……


このシーンは《大失敗》する。


全くハラハラしないのだ。


なぜなら、このジョージが運転するシーンが素人から見ても、ヘタクソな合成ってのが、丸わかり過ぎるから!】 なのである。


ヒッチコック映画は、今まで、いつもスタジオ内に豪華なセットを組んで撮影してきた。

ヒッチコックが《アウトドア嫌い》の《インドア派》なのは有名な話である。


そんな《インドア派》のヒッチコックが撮る《車で走っているシーン》は、昔ながらの古いやり方である。


スタジオ内、停めた車に男女を乗せて、撮影カメラは常に男女の様子が分かるよう、真正面に固定。

車の後部座席に映り込む背景には、大きなスクリーンに別撮りしていた景色を映写してみせる。


これならスタジオ内でも車を走らせてるようなシーンが撮影できるし、これはサイレント時代から続いている古い手法の一つなのである。



モノクロ映画やテクニカラーの時代は、その手法でも良かったかもしれない。(他の監督たちだって、皆んなこぞってやっていたし)


だが、70年代にもなれば、撮影方法も変わり、初めからカラー・フィルムで撮影出来るようになってくる。


迫力あるカー・チェイスなんてのは、1968年に公開されたスティーブ・マックイーンの『ブリット』を観客たちは、既に観てしまっているのだ。


『007シリーズ』でも、ショーン・コネリー時代は、その手法を取り入れていても、ロジャー・ムーア時代には、たとえ《合成》でも走らせる車のアングルを変えてみたり、色合いや照明で、なるべく違和感がないような工夫がほどこされている。


だが、この【フィルム撮影】では、もうダメなのだ。


完全に(あら)》が見えすぎてしまっている。(車の中で必死に運転する『ジョージ』(ブルース・ダーン)のネクタイを引っ張りながら、叫んだり暴れたりする『ブランチ』(バーバラ・ハリス)が、まるっきりの馬鹿女に見えた)


だって観客には1976年時点でも、「コレ合成でしょ!」ってなのが、バレバレなんですもん。


(↑これはさすがに野外撮影である)



この後、なんとか無事に脱出したジョージとブランチを、今度は轢き殺そうとやってくるマロニーの車は、自損事故で谷底へ真っ逆さま。


大炎上してアホな最期をとげる。(やっぱり死んでしまうエド・ローター(笑))



それにしても、何でこんなシーンを、わざわざ取り入れたのだろう、ヒッチコックは?!


「俺は昔からこんなシーンが得意なんだぞ!」と思ってたのなら、もはや勘違い。

時代の流れに取り残されてしまっている。


70年代は、《生のアクション》こそ、重宝された時代だったのだ。(コンピューターやCGなんてのは、これより、まだまだ、ずっと先の話である)


このシーンが映し出された時、(まだ、こんな古いやり方をやってるのか …… ヒッチコックも …… )と、ガッカリした思い出がある。


ヒッチコックも柄じゃないカー・アクションなんてのに、この時、手を出すべきじゃなかったのだ。


つくづく残念なシーンである。



……… と、ここまで思うのも、この映画『ファミリー・プロット』はクライマックスに向けて、ここから俄然良くなっていくからなのだ。


ジョージの留守中、ブランチは、あの悪党アダムソンとフランの家に、単身乗り込んでいく!


ハラハラ、ドキドキの対決。

そうしてギリギリのところでの勝利。


最後には今までの伏線がキチンと回収されてゆく。


《なぜ?ブランチが霊媒師だったのか?》《盗んだ宝石をどこに隠しているのか?》が長々とした説明ではなく、ちゃんと絵面だけで納得させてくれるのだから、この点は流石の一言である。


(あのカーチェイスでの馬鹿女っぷりは何だったの?)と思うくらい、ブランチの株は、ここで一気に上昇して終わるのだ。


当時の批評家たちも自分と同じ考えだったと思う。


一口に《駄作》とも切り捨てられないし《傑作》とも言えない。

皆が平均点を与えている。


私の評価も星☆☆☆。

オバチャン顔のバーバラ・ハリスのウインク😉に根負けして、70点くらいで終わりにしたいと思う。


※それにしても、この映画で初めて知ったエド・ローターを、その後、何度も他の映画で見かけることになろうとは ……


この【禿げたオッサン】には、何やら因縁めいたものを感じる今日この頃なのである(笑)。


2023年5月7日日曜日

映画 「モンキー・フィスト 猿拳」

 1979年  香港。




最初に書いておく。

この映画は とっても面白いし、大傑作だ!


初主演のユン・ピョウが素晴らしいのはもちろんだし、他の出演者たちも皆、大好きになった。


何でこの映画を今の今まで観てこなかったんだろうー。バカ!バカ!私は大馬鹿ヤローだぁー!(まぁ、前の『燃えよデブゴン5』なんて糞タイトルじゃ、はなから観る気もないけどさ(笑))



『レイ』(ユン・ピョウ(左))と『マー』(レオン・カーヤン(右))は詐欺師コンビ。



運動神経が良くて、ちょいと悪知恵が働くのがレイ。

そんなレイをサポートするのが、少々ドジな相棒・マーである。


二人は間抜けな質屋の親子を騙くらかして、まんまと大金をせしめるのだが、分け前の事で内輪揉めしているうちに、そのお金を無くしてしまう。


「なぁーに、また別のカモを探せばいいさ」

前向きなレイの提案で、今度は食堂にいた白髪の中年男をターゲットにするも、あっさり返り討ち。



ご覧のように、二人はコテンパンにやっつけられた。


でも、ここでもメゲないのが前向きなレイとマーのコンビ。

「是非、俺たちを弟子にしてください!」と自ら弟子入り志願。


凄腕の拳法遣い『モードゥ』(ラウ・カーウィン)は、そんな二人の弟子入りを許して、手慰み程度に拳法を教えてやるのだが ……



でも、この師匠・モードゥには、何やらドス黒い《秘密》がありそうだぞ。


モードゥを狙って、妙な殺し屋二人組がやって来るし。

ハゲアタマに黒板消しでも乗せたような髪形の男と、化粧したオカマの二人組。(コイツら、簡単に負けるだろうなぁ~ …… )と思ったら案の定、ボコボコにされてた(笑)》



レイとマーは、師匠・モードゥを手助けして何とか殺し屋たちを倒したものの、またもや別の男が師匠・モードゥの人相書を持って二人の前に現れる。


このモードゥの正体、やっぱり《古ダヌキ》の異名を持つ大悪党だったのだ!


強盗犯の大ボスで、先程の二人組は、以前の強盗仲間。


モードゥの裏切りでムショ送りになっていたものの、ようやくシャバに出てきて、モードゥに復讐する為にやって来たのだ。(でも、あっさり瞬殺されたけど)


この人相書を持っていたのはお役人。


そんな事にも気づいていない単細胞なレイとマーはモードゥの居場所をペラペラと喋ってしまう。

鈴木亮平似のお役人?(笑)》


だが、このお役人も強すぎるモードゥには、まるで歯が立たず。

これまた、あっさりと殺されてしまう。


運の悪い『レイ』(ユン・ピョウ)は、偶然、事の成り行きを全て聞いてしまった。


「オマエ、私の正体を知ってしまったのか …… 」


躊躇もなく、非情なモードゥはレイを殺そうと襲いかかってくる。



たとえ、弟子にしたとしても自分の保身のためなら、情けなど一切無用。

心底冷酷になれる男、それがモードゥの正体だったのである。


今やレイの命は風前の灯火。そこへ ……


「やめてくれぇーーー!」

遅れて駆けつけたのは、相棒のマーだった!


訳の分からないマーだったが、殺されかけてるレイを救い出し、代わりに殴られ蹴られ続けてる。

それでも必死になってレイを庇おうとする健気な『マー』(レオン・カーヤン)。


「逃げろ!逃げるんだー!オマエだけでも生き延びてくれぇーー!!」



モードゥの脚にしがみついて、叫び続けるマー。

次の瞬間、首をねじられてマーは、レイの目の前で絶命した。😭



レイはやみくもに町中を走り続けた。

何とかモードゥから逃げおおせたレイ。



でも、走りながらも、今まで親友・マーと過ごしてきた思い出が浮かんできては、泡のように消えてゆく。



二人はいつも一緒だったのだ。


バカやって、アホやって、それでも文句も言わず、ずっと付き合ってくれたマー。


そんなマーは、もういない ……


もう、レイは半泣き状態。


でも …… 徐々にレイの顔つきが変わってくる。


おのれ〜、見ておれモードゥ!、オマエより強くなって、絶対にマーのかたきをとってやるぅ~!


それは復讐を決意した、精悍な男の《顔》なのであった ……



ここまでが、この映画の中盤過ぎ。


ここからが、猿をつれた浮浪者風の男(サモ・ハン・キンポー)の指南をうけて、レイの凄まじい修行場面になっていくのだが(その正体は隠密役人) ……


とにかく、ユン・ピョウや他の俳優たちも素晴らしいんだけど、私としては レオン・カーヤンの印象がとてつもなく強く残る


ハッキリ言って、レオン・カーヤンの功夫(クンフー)は、他の人たちに比べて段違いに ヘタクソだ。


特典映像で、本人も自らコメントしているが、元々、何の基礎すらも無いような状態で、功夫映画界に駆け込みで飛び込んでいったそうな。


そんなズブの素人に、手取り足取り、イチから教えていったのはサモ・ハン・キンポー


自分の映画の端役で使いながら、功夫の基礎を学ばせる。


そうして、とうとう、こんな重要な役(ユン・ピョウの親友役)まで与える事になったのである。(だからこそ、サモ・ハン・キンポーは偉大なのだ。分かってもらえるかな、皆さま?)


レオン・カーヤンも、そんなサモ・ハンの期待に応えようと下手なりにも必死だ。


その《必死さ》が観ているコチラ側にも伝わり、胸をうつ。


時折、この人の愛嬌の良さが見え隠れしてるが、多分、地の性格がとても良いのだろう。


今では、立派に実力をつけて武術指導者にまでなったレオン・カーヤンは、いつまでもサモ・ハンへの恩義や感謝を忘れない。

レオン・カーヤンの近影》




そうして、だいぶ脱線したが、レイの修行場面。




縄跳びしながらの連続バック転、腕立て、宙返り …… もう、ユン・ピョウのとてつもない身体能力を、我々は目にする事になる。


コレを観たら、あの「『プロジェクトA』や『ヤング・マスター 師弟出馬』のユン・ピョウは何だったの?」と思ってしまう。(兄貴分のジャッキー・チェンに遠慮して、だいぶチカラを抑えていたのかしら?)



クライマックスは宿敵・『モードゥ』(ラウ・カーウィン)との怒涛の闘い。






『レイ』(ユン・ピョウ)が、連続ウルトラCやら、華麗な足技を繰り広げながらも、中々、簡単には倒れてはくれない『モードゥ』(ラウ・カーウィン)。


この闘いはいつまで続くのだろうか …… (何十分も闘い続けている)


時間が過ぎれば過ぎるほど、モードゥのスピードと強さは、どんどん凄みを増してくるばかりだ。(本当に憎たらしいほど、強すぎるオッサンだ(笑))


見かねたサモ・ハンがユン・ピョウに加勢するも、二人がかりでもモードゥには中々敵わない様子。😱


ラウ・カーウィンの強さに、本気で立ち向かっていくのは、まるで血反吐を吐くようなものなのだ。(まだ、こんな強敵になる人材がいたとは!恐るべし、当時の香港映画界の層の厚さよ)



この映画は米サイトが選んだ「死ぬまでに観るべきクンフー映画」として認定されている。


私の評価も、もちろん星☆☆☆☆☆。(久しぶりにこんな面白い映画を観たわい)


ラストまで瞬きすら与えてくれない男たちの真剣勝負!

どうぞ、ご堪能あれ。