2022年7月13日水曜日

人物 「ヨハネス・ケプラー」

 (1571〜1630年  ドイツ)





大昔の人なんで、もちろん写真など存在するはずもなく ……

こんな肖像画だけで「たぶん、似ているんだろう」と現代の我々は納得するしかない。



ヨハネス・ケプラーは、中世に存在した天文学者だ。


現代においても、望遠鏡なんかにケプラーの名前が使われているので、さぞや有名な人なのだろう。


実をいうと、天文学なんて分野、チンプンカンプンなのだが、ごく最近《ケプラー》の名前を、あちこちで目にして、少〜しだけ興味を持ったのだ。



そのきっかけが、《ケプラー1649c》という太陽系外惑星の事だった。



2020年に宇宙望遠鏡《ケプラー》によって発見されたばかりの、この未知の惑星にも、やっぱり当然のごとく《ケプラー》の名前がつけられている。(NASAって本当にケプラー好きだ(笑))



この《ケプラー1649c》と名付けられた惑星は、天文学に疎いような素人の自分でも分かるくらい、世紀の大発見なのだ。



なぜなら、ほぼ、地球に『そっくり』だからなのである!



こうして並べて比べてみても、ほぼ大きさは地球と一緒。(ケプラーの方が、1・06倍大きいが、あんまり変わらない)


表面温度が マイナス39℃ で、やや寒いが、人が決して住めないような環境じゃない。(北極、南極じゃマイナス40℃を上回るしね)


表面が岩石に覆われていて、もしかして《水》も存在するかもしれぬ。(まだ分かんないけど)



これまで地球型の惑星を色々探してきて、この《ケプラー1649c》が、一番地球の環境に近いと思われているのだ。(本当に、これから詳しく調べてみないと分かんないけど、科学者たちは、期待を持たせるような事を、あちこちで言っている)



素人考えなら、いずれは「人類が《移住》できるかもしれない!」なんて、安易なSF映画のような希望を持ってしまうところなのだが ……… 

現実は超厳しい〜。



なにしろ、地球からケプラーまでの距離ときたら、恐ろしいくらいの遠さ。



距離にすると、ざっと 300光年 離れているだ!(ゲゲッ)



この「光年」ってのがクセモノで、「年」なんていうと時間を想像してしまうが、「光年」は、立派な《距離の単位》なのである。


光が進む速さが毎秒約30万km。

地球の一周が約4万kmなので、光は1秒間に地球を7周半する。


1光年」とは、光が1年間に進む距離の事なので、kmに換算して計算すると、「1光年」とは、「約9兆5000億km」になるのだ。(「9兆 …… 」って、この時点で、もう想像が追いつかないです)



「1光年」でも、人類にはトンデモなく果てしない距離 ………



その証拠に1977年に飛び立った無人宇宙探査機ボイジャーは、45年(2022年まで)かかって、やっと233億kmまで進んだとこ。


《パラボラアンテナのようなボイジャー機》


とても、とても1光年には届かない有り様だ。



それが《300光年》なら、たどり着ける距離じゃない事は、素人の自分でも分かり過ぎるくらい分かる。(あ〜ぁ、ガックリ)



これがアニメや映画の世界なら、高速ワープを繰り返して、銀河の果てまで簡単にひとっ飛び!なんてことが可能なんだけどね ……(そんなのが、今の科学力で作られる日がやって来るのかねぇ~)



仮に、仮に、(絶対不可能だと思うけど)作られたとしても、やっぱりNASAは、そんな宇宙船にも《ケプラー》って名付けるのかしらん?(なんだか付けそうな雰囲気だ(笑))


亡くなってから400年近く、ヨハネス・ケプラーさんも、よもや、ここまで自分の名前が使われるとは思わなかったに違いない。


この肖像画も、ジッと見ていると、心なしか唇の両端が上がっていて、喜んでいるようにも見えて ……(ゾゾッ!)




生きてりゃ、自分の名前の使用料として、天文学的なお値段を請求してくるのかしらん?(天文学者ゆえに(笑))


いかん、またもやアホの戯れ言(ざれごと)が。


これにて、失礼しとく。(そそくさ …… )

2022年7月11日月曜日

よもやま話 「《女優》と《薔薇》」

 



艶やかに咲き乱れる美しい《薔薇》たち✨。


加藤登紀子の歌に

百万本のバラの花を、あなたに、あなたに、あなたにあげるぅ〜」なんてのがあるが、薔薇のお値段って今、一本どれくらいするのかしらん?(それが百万本なら「どんだけ〜!」ってくらい、目の玉が飛び出るくらい高そう〜(ꏿ﹏ꏿ;))


昔から、この《薔薇》には、多くの著名人たちの名前がつけられてきた。


一応、ヨハネ・パウロ二世や俳優のヘンリー・フォンダって名前の薔薇もあるにはあるが …… (ん〜、薔薇の名前にヤロー(男)の名前ってのは、どうもねぇ〜 ………(笑))


ここは、やっぱり、「スクリーンを彩った美しい女優たちの名前の薔薇でしょ!」

って事で、ココにいくつか紹介したいと思う。




《”オードリー・ヘプバーン”》


中心に向かって巻かれていく薄ピンクの花びら。

日本の桜のような色合いでいて上品かつ、気品たっぷり。


オードリーのイメージにピッタリの薔薇である。(本人もバックの花々にも負けない美しさよ)







《”エリザベス・テイラー”》



ショッキング・ピンクで、エリザベス・テイラーのド派手なイメージにピッタリの薔薇。


生涯の華やかな恋愛遍歴(8度の結婚、離婚)、クレオパトラ役などを想像させたりして、妙に《自信満々》って感じにも思えたりする。(命名した人も、やっぱり同じ気持ちなのかなぁ~(笑))








《”イングリッド・バーグマン”》



朱色に赤々と咲き誇るのは《イングリッド・バーグマン》の名のつく薔薇。


墓碑銘には「死ぬまで演技を続けた」と書かれているように、演技に対して人一倍の情熱を傾けていたバーグマンらしい、情熱的な深紅の色である。





他にも、”ソフィア・ローレン”やら”マリリン・モンロー”の名前の薔薇なんかも沢山あったりするが、私が個人的に気に入っているのが、やっぱりコレ。(一番押し)






《”ジーン・ティアニー”》



黄色い薔薇が一番好きってのもあるけど、この薔薇に《ジーン・ティアニー》って名付けた人は、中々のセンスだと思う。


黄色い薔薇の花言葉はネガティブなモノ(薄れゆく愛、嫉妬)などもあるのだが、そんなの気にしない。

《友情》や《美》、《献身》いう、良い意味合いのモノもちゃんとあるのだから。




1940年代に活躍した女優ジーン・ティアニーは、その美しい見た目とは逆に、生涯苦労人だった。(障害児の出産やら家族間の揉め事)


演技にかける情熱は人一倍あるのに、次第にそんなゴタゴタで神経をすり減らし、思うように演技出来なくなっていく。


40代前半には、消えゆくように引退してしまうジーン・ティアニー。


だが、残してくれた映画『ローラ殺人事件』や『幽霊と未亡人』などで、ひたむきに演技に挑むジーン・ティアニーの美しい姿は残されている。



この黄色い薔薇は、その見た目だけで、人の気持ちを和やかにさせてくれる。


《献身》の花言葉は、すなわち《広い包容力》にも思えたりして、私は黄色い薔薇《ジーン・ティアニー》が一番好きかも。




いかがだったかな?



もしかしたら、自分の好きな女優さんの名前の薔薇なんてのも調べてみれば、案外見つかるかもしれませんよ。


珍しく目先を変えて、綺麗にまとめてみた《女優》と《薔薇》のお話でございました。(ど~ぞ、癒やされてくださいまし〜)



2022年7月8日金曜日

映画 「ハリケーン」

 1937年  アメリカ。





南太平洋諸島にポツンと浮かぶ小さな島《マヌクラ島》 …… 

そこで結婚式を挙げたばかりの男女がいる。



男の方は、船乗りをしている精悍な青年『テランギ』(ジョン・ホール)。

女の方は、島の酋長の娘で、気立てがよい美女『マラマ』(ドロシー・ラムーア)だ。


「お願い!今度の船には乗らないで!!不吉な夢をみたのよ」


結婚式の翌朝、懸命な頼みをするマラマ。

それを「何を馬鹿な事を!」と、鼻で笑っているテランギ。



それでも心配なマラマは、ズタ袋に潜り込んで密航しようとするも、運悪く船長に見つかってしまう。


「今すぐ島へ戻るんだ!君が戻らなければテランギを船乗りから降格させるぞ!」


こんな言葉に渋々従い、大海原にダイブしていくマラマ。(Oh!)


島へと泳いで戻っていくマラマは、愛するテランギを泣く泣く見送ったのだった。



だが、そんなマラマの予感は、やはり的中してしまう。


寄港したタヒチの酒場で差別的な白人に絡まれてしまったテランギは、その白人をおもわず ぶん殴ってしまったのだ



こんな喧嘩でも、決して両成敗とはならないのが、この時代である。

この頃、南太平洋の島々は欧州列強国の植民地として支配下に置かれていたのだ。


もちろん《白人様々》の、不平等な法律が平気でまかり通ってしまう時代でもある。


「テランギには 6か月の懲役刑 を!」

フランスから派遣されてやって来た総督である『デ・ラージュ』(レイモンド・マッセイ)からは厳しすぎる判決がくだった。


この島の風土や人々を愛する『ケルサン医師』(トーマス・ミッチェル)やデ・ラージュの妻で心優しい『ジャーメイン』(メアリー・アスター)までもが情状酌量を求めてるも、意固地なデ・ラージュは、まるでそれに耳を貸そうともしない。





「彼らのような未開人には、ちゃんとしたルールを学ばせる必要があるんだ!」

変に偏った信念を持つデ・ラージュは、それを無理矢理にでも押し通してしまう。


こうして、テランギは、こんな大したことのない罪だけで投獄することになってしまうのだった。(んな、アホな!)



だが、監獄でテランギを待ち構えていたのは、サディスティックで鬼のような看守たち。


まさに毎日が生き地獄の日々なのである。




耐え兼ねたテランギは何度も脱走を試みるのだが、すんでのところで捕らえられては、さらなる拷問が繰り返されてしまう。


そうこうしている間に、たった6か月だった懲役は、ドンドン加算されて、なんと!16年の刑期 にまで延びてしまうのだった。(ゲゲッ!冗談じゃない!)


(こんな所にいつまでもいられるものか!あ〜、愛しいマラマに今すぐ会いたい!!…… )


ようやく、決死の覚悟で8年後に脱獄に成功したテランギ。


だが、脱獄の際、看守をあやまって殴り殺してしまったテランギは、今度は 殺人犯 として追われる始末。(こうやって書きながらも、とことんツイてない男だ)


なんとか故郷に戻れたテランギは、愛するマラマと不在中に産まれていた一人娘に、やっと再会する。


だが、それを知った、あのデ・ラージュ総督が追手を差し向けて迫ってきた。


「アイツを逃がすんじゃない!捕まえるんだーー!!」


島の住民たちの助けを借りて逃げようとするテランギ一家。

そして、それを追いかける役人たち。


そんな時、マナクラ島には今まで見たこともないような、前代未聞の巨大な ハリケーン が襲いかかってくるのだった ………



前半、南の島でテランギとマラマがラブラブ♥な様子は『青い珊瑚礁』を思い出させる。


そうして、テランギが投獄される理由なんかは、あの名作『レ・ミゼラブル』と妙に重なってしまう。


何度も何度も脱獄を試みて失敗する場面なんかは、マックイーンの『パピヨン』にも見えてくるし、後半のハリケーンの猛威などは、あらゆるパニック映画を想起させてしまう。


もう、どんだけの材料を詰め込む限り、詰め込んでいるのか ……(コレのどれか1つだけでも、充分に映画として成り立つのに)


こんな贅沢な映画を、とっくの大昔にジョン・フォード監督は撮りあげていたのだから、やはり巨匠の看板は伊達じゃないのだ!



それにしても、この荒れ狂うハリケーンの場面は、やっぱり圧巻の一言で、コレを、この1930年代にどうやって撮ったのかしらん?(この迫力!モノクロとはいえ、今の時代に観てもド肝を抜かれてしまう)



ヒッチコックが外ロケを嫌がり、スタジオ撮影を好んでいたのに対して、ジョン・フォード監督は、完全に真逆のアウトドア派だ。


ドンドン外に飛び出していっては、高さ(船の上の高いマストの、さらに上空からの撮影)や奥行き(遠ざかっていく海原や島の人々)を自由自在に撮りあげて、我々に観せてくれる。

それらは今の時代では簡単に出来ても(ドローン撮影で)、そんなモノが無かった時代には、かなり珍しい絵面として、ひと目で観客たちを沸かし、魅了したはずである。



そんな撮影に、これまたスクリーンに映えるような美男美女のカップルが登場。




このテランギ役のジョン・ホールにしろ、マラマ役のドロシー・ラムーアにしろ、見た目の良さは元より、かなりの身体能力を持つ二人でございます。(荒海を泳いだり、高い所からダイビングをしてみたり、もう凄いのなんの!)




こんな二人ですもん。

無事にハリケーンを乗り切って、生き残ってほしいなぁ~、と思っていたら ……





オーーー!ちゃんと生き延びておりました。(娘ちゃんも)




双眼鏡で一家を発見したデ・ラージュだったが、ハリケーンではぐれていた愛する妻ジャーメインとの再会や、その妻に諭(さと)されてやっと改心したのだろうか ……

「ただの流木だった …… 」とつぶやき、最後には一家を見逃す決心をする。




テランギ一家に幸あれ!

次に一家がたどり着く場所が《楽園》であることを祈って。


こんな想いをのこして、映画は、やっとエンド・マークとなる ………(ホッ)





30年ぶりに観た映画『ハリケーン』も、やっぱり面白かった。



星は ……… もう、野暮な事は書くまい。


ジョン・フォードの映画にハズレなんてのはないのだから。



最近のハリウッド映画が忘れてしまったモノが、フォード映画にはビッシリと凝縮されて詰まっている。



(ジョン・フォードの映画を少しずつ追いかけてみようかなぁ~ ……… )


そんな気持ちにもさせてくれた、至極の一本でございました。