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2021年12月14日火曜日

映画 「暗い鏡」

 1946年  アメリカ。




「今朝、掃除に行ったら先生が床に倒れていたの」


高名な医師ベラルタは、背中を短剣で刺されて、自宅の部屋で絶命していたのだ。


清掃員やアパートの住人たち、秘書の証言では、どうも《コリンズ》という若い女性が怪しそうである。


捜査にあたった『スティーヴンソン警部』(トーマス・ミッチェル)は、早速、その問題の女性『テリー・コリンズ』(オリヴィア・デ・ハヴィランド)が働いている医療ビルの売店へと向かいながらも、


(この事件は簡単だ。犯人はきっと彼女のはず。これで事件は万事解決だ!)と、一人ほくそ笑む。


だが、そう上手くいくのかな?



ベラルタ医師が殺された頃、テリーには現場から7キロも離れた場所での完全なアリバイがあったのだ。


(どうなってるんだ?!目撃者の証言も全て彼女に一致するのに……)


ベラルタの事件を警部から聞くと、失神して倒れる彼女。


それを見て、その場にいた人たちがテリーの介抱の為に次々と駆けつけてくる。(なんせ医療ビルだし医者もいる。それに彼女は美人なのだ。)


(ヤレヤレ……どうも演技くさいが。ここはひとまず出直すか……)


警官にテリー・コリンズのアパートを見張らせておいて、その夜、スティーヴンソン警部は再度訪問してみると……



ゲゲッ!


同じ顔の女が二人?!


そう、テリーには一卵性双生児の『ルース』(オリヴィア・デ・ハヴィランド二役)がいて、二人は一緒に暮らしながらも、チョイチョイ入れ代わって、誰にも気づかれないように職場でも働いていたのだ!


「どっちがベラルタを殺したんだ?!」


「さぁ、どちらかしらね」ひとりが警部を、鼻で笑いながら微笑む。


「と、とにかく、どっちかが犯人なんだ!二人とも逮捕する!



だが、逮捕してみて、目撃者に面通しをしてもまるで判別出来ない様子。


「無理です!コレじゃ、どちらがどちらだか分かりません!」

折角しょっ引いてきてもお手上げ状態。


「警部、これでは裁判にすらかけられない。二人を開放するしかないのだ」


「そんな?!どちらか一方が、絶対に犯人のはずなんだ!」


苦渋の決断で、警察はテリーとルースの姉妹を、あっさり釈放するのだった。


だが、どうしても諦めきれないスティーヴンソン警部。


警部は、テリーが働いていた医療ビルで心理療法を営む若い医者『スコット・エリオット博士』(リュー・エアーズ)に助けを求めた。



「頼む!あんたなら二人を見分けられるかもしれない。どちらが犯人なのか突き止めてくれ!」


気が進まないスコットなのだが、警部の熱心さに、とうとう折れて、様々な心理テストを試みてみようと約束する。


そうして、しばらくすると、姉妹の性格も徐々に区別がつくようになってきた。


ハキハキ物事を言う《テリー》に、少し気弱な《ルース》。



だが、どちらかが残酷な殺人犯であり、《真犯人》なのだ!




やっと念願の『暗い鏡』を観れました。

この日をどれだけ待ったことか………


監督は、私が目下、ご贔屓にしているロバート・シオドマクなので、これも傑作だろうと思っていたら、案の定、傑作でございました。(『らせん階段』、『幻の女』、『真紅の盗賊』もご覧あれ。どれもこれも見応えあり)



《テリー》が犯人なのか?、《ルース》が犯人なのか?……この映画は、この一点だけに絞り込んだ本格ミステリーになっている。(なのでネタバレは控えておきます。これから観る人の為にもね)



それにしても、………


どう撮影してるんだろ?コレ?!



1946年ゆえ、まだそんなに合成技術も発達していないはずなのに、まるで違和感がない!


もちろん、実際のオリヴィア・デ・ハヴィランドは双子じゃないのはご承知。(妹で同じような女優さんのジョーン・フォンティンはいるけど)



冒頭に貼り付けてある画像なんて、皆さんどう思います?


オリヴィアをオリヴィアが抱いてる絵面なんて、ハッキリ言って「もう、訳が分かんない!」の一言です。(似た人がいた?まさかね~)


コレが撮影なら、当時としてはトンデモない高度な技術である。(さすがロバート・シオドマク監督!恐るべしである)



そして、シオドマク監督も凄いが、その撮影方法に合わせて演技しているオリヴィア・デ・ハヴィランドも、これまた凄い!



姿は同じでも、その中身は全く違うテリーとルースを完璧に演じ分けている。


それを観ている人に違和感なく見せてるのだから、本当に大した女優さんである。



 


話は変わるが、つい最近(2020年7月)、オリヴィア・デ・ハヴィランドが亡くなった。


104歳の大往生だった。(スゲ~!)


このニュースは世界各地に飛び交い、日本でも、その訃報を伝えたのだが……私は少々気になったこともあった。


どのニュースでも、

「『風と共に去りぬ』のメラニー役で有名なオリヴィア・デ・ハヴィランドさんがお亡くなりになりました……」

こんな具合なのである。



もちろん、『風と共に去りぬ』は有名だけど、『メラニー』は主役じゃない。


死んでも尚、貞淑な妻、心優しいメラニー役ばかりをクローズアップされてるのを、本人が知れば、あの世で(プンプン!)憤慨してそうな気がしてくる。


妹のジョーン・フォンティンに、先にアカデミー賞をとられて、嫉妬の炎をメラメラと燃やしながらも、生涯「女優としてやりがいの役を!」と、求め続けたオリヴィア。


そんな、本来は勝ち気でいて、負けん気の強いオリヴィアは、実際はメラニーとは真逆の性格だったと思うのだ。


「私にはアカデミー賞を受賞した『女相続人』や『遥かなる我が子』だってある!『蛇の穴』だって有名だ!私の他の作品を観なさいよ!」


こんな声があの世から聴こえてきそうである。(ゴメンなさい!私観てませんでした!これから、ゆっくり追いかけますので (-_-;) ハイ!)



『暗い鏡』は、そんなオリヴィアが残した、演技派としての良質な一本。


診察する若いスコット医師をはさんで、仲の良かった姉妹にも、微妙な恋愛感情や亀裂がうまれてくる様子は、中々の迫力で見応えあり!


オススメしとく。

星☆☆☆☆。



※《追記》映画のオリヴィアを観ながら気づいたこともあった。


このオリヴィアの髪形、なにかを連想しません?


トップをリーゼントのようにボリュームをもたせて、両サイドはクルンとはね上げて巻いたような髪。



あの、漫画の《サザエさん》にそっくりなのだ!(笑)



漫画のサザエさんの連載が始まったのが昭和21年(1946年)。

この映画だって1946年だ。


案外、作者の長谷川町子は、こんな当時のオリヴィアたちがやっていた髪形に影響を受けてたのかもしれない。


でも、これが当時としては最先端のオシャレな髪形だったのかねぇ~?


いや、いや!

やっぱりヘンテコリンな髪形である (笑) 

2018年12月16日日曜日

映画 「不意打ち」

1964年 アメリカ。






ロサンゼルスは暑い夏の週末、住宅街の前を何台もの車が通りすぎてゆく。



『コーネリア・ヒルヤード夫人』(オリヴィア・デ・ハヴィランド)の豪邸もそこに面して建っていた。


2階建ての豪邸には、いくつもの豪華な調度品が並び、飾られている。

金や銀の食器類をみれば、生活も豊かなのだろう。(株で儲かっているらしい)



そこに30歳になろうとする息子、『マルコム』との二人暮らし。

そんな息子を、ヒルヤード夫人は溺愛していた。



数ヵ月前に腰を痛めて、2階に上がる階段のそばには、特別製の鳥籠のような、格子の柵がついたエレべーターを利用しなければならなかったが……。



マルコムは、ベット脇の机で何やら手紙を書いている。


そこには、

「ぼくは、自殺します」


の文面が、チラホラ見え隠れしていた。



自分を溺愛し過ぎる母親の愛情に耐えかねての、遺書なのである。(何も自殺しなくてもいいのに)




そんな息子の気持ちにも気づかないヒルヤード夫人は、今日出発する息子の外出を、ただの呑気な旅行だと思っていた。


玄関までくると、にこやかな笑顔で送り出したのだった………。




そうして家に戻ったヒルヤード夫人。

あの鳥籠のエレべーターに乗り込み、2階に上がる為にスイッチを押す。



上昇していくエレベーターは、電気系統の故障で、突然、ストップしてしまった。


1階と2階の間の高さで止まったエレべーターの中で、しばし呆然とする夫人。


「そうだ!非常ベルを鳴らそう」

エレべーターに備え付けられたベルを何度も押す夫人。


家の外ではベルが、けたたましい音を鳴らしているが、誰も気に止める者すらいない。


公道を何台もの車が、走り抜けるだけだ。



そして、やっと叫びだした夫人。



「助けてー!誰か助けてー!」



大広間には、夫人の声だけが無情に響く。



鳥籠のエレべーターは3メートル以上の高さで止まったままだ。



「暑い……」真夏の午後の暑さが、エレべーターに閉じ込められた夫人を容赦なくいたぶる。


エアコンも止まってしまったのだ。(地獄だ)



「お願い……誰でもいいから…助けて…」



そこへ、アル中の浮浪者『ジョージ』が、ブラリとやってきた。


「お願い、助けて!」夫人の必死の呼びかけにもジョージは、無視して、邸内を物色しはじめる。

そして、太った厚化粧の娼婦、『セード』を、伴い連れてくると、二人は、豪華な衣装や調度品を盗もうと、屋敷中を、あら捜しをはじめた。


夫人の叫びなど聞こえず、夢中になって物色する二人。



そこへ、さらに街のチンピラたち3人が乗り込んできた。(どんだけ治安の悪い場所なんだろう)


ゴロツキで暴君の『ランドール』(ジェームズ・カーン)、ランドールの子分『エシー』、ランドールの女『イレイン』(薬物中毒なのか?)だ。


ランドールは、アル中のジョージと娼婦のセードを、あっという間に殴りつけ痛めつける。


屋敷には、二人の叫び声が響きわたった。


ヒルヤード夫人は、宙に浮いたエレべーターの中で、恐怖しながら、鳴り響く破壊や暴力の声を聞くだけなのだった………







なんて壮絶な映画なのだ。




1964年の、この半世紀以上前の映画を、自分は全く知らなかった。


『裸のジャングル』もしかり、町山智浩氏の『トラウマ映画館』で紹介されていて、いつか観てみたいと思い、やっと観ることが叶ったのだが………。



観た感想は、まさに「壮絶」の一言に尽きる!と思う。


誰も、主人公のヒルヤード夫人にさえも、救いがない。(なんとか自力で命は助かるが、息子の自殺は止められなかった)


それまで、オリヴィア・デ・ハヴィランドといえば、『風と共に去りぬ』などの貞淑なメラニーなどのイメージだったのだが、映画会社ワーナーとの契約を裁判に持ち込むほどに、彼女は、ありきたりのお嬢様役に飽き飽きしていた。


やりがいのある役、ただ情熱をこめられる役、「演技がやりたい」と願う時期だった。



この映画、『不意打ち』のコーネリア・ヒルヤード夫人の役は、最初にジョーン・クロフォードにオファーされた。


ベティ・ディヴィスとの共演、姉妹の愛憎劇、1962年の『何がジェーンに起こったのか?』が評判を呼び、アカデミー賞にノミネートされるほどで、クロフォードにも注目が集まり、その流れでこの『不意打ち』にオファーが、あったのだ。


だが、クロフォードは同じような役には食指が動かずオファーを蹴ってしまう。



そこへ、オリヴィア・デ・ハヴィランドが

「待ってました!」と名乗りをあげたのだ。



彼女は魂をこめられる役を探していたのである。




実際、この映画を観ても、オリヴィアの情熱はハンパない。


すでに、アカデミー賞を2つもとっている大女優がそこまでやるのか?!なのだ。


髪を振り乱し、暑さに耐え、叫び、ジェームズ・カーンにひきずりまわされる。


高さのあるエレべーターからの脱出、床を這いつくばりながらも、なりふり構わずに、助けを求める様子は、まさに鬼気迫る演技だ。




だが、このオリヴィアの熱演をしてもこの映画は、当時、不評をかい失敗した。



監督のウォルター・グローマンは干され、映画は酷評されて封印される。



早すぎたのだ!



1960年代、ヒッチコックの『サイコ』が大ヒットし、それを追うように次々と、残酷なサスペンス映画が作られるが、ことごとく失敗している。



観客は《恐怖》は求めても、まだまだ、倫理や美徳を重んじる時代。

どぎつい殺人シーンなどには、目を背ける時代だったのだ。



ヒッチコックは、そこを理解していて、『サイコ』でも直接的な殺害シーンを見せていない。

多数のカット割りや盛り上げる音楽だけで、観客には、想像させている。




『不意打ち』は、それをそのまま、観客に見せているのだ。



アル中のジョージに、頭からスッポリ、袋を被せて殴り倒すシーン、

ゴロツキ3人組が、風呂場でエシーの頭を浴槽に押さえつけて、それをイレインやランドールが、からかうシーン、

窮鼠猫を噛むごとく、ランドールの目を突き刺すヒルヤード夫人、


最後に、ランドールが車に頭を轢かれるシーンなどなど、モノクロ映画とはいえ、どれを観ても、ショッキングである。



これを、1960年代の、当時の観客たちが、到底受け入れられなかったのは無理もない話なのだ。



同じように、『赤い靴』、『黒水仙』の有名な監督、マイケル・パウエルも、1960年に『血を吸うカメラ』なんていうドギツイ映画を撮り、酷評されて、それ以降、まったく映画を撮れなくなってしまっている。



これらの映画が、封印されて、再評価されるには、何十年もの時間が必要であり、待たなければならなかったのだ。




そして、近年、やっと我々の目にお目見えできた。


嬉しいことだし、まだまだ、こんな風に埋もれている作品が、数多くあると思うと、早く陽の目をみてほしいと思うものである。




あと、蛇足ではあるが、これがジェームズ・カーンのデビュー作なのだ。



若い!

若いし、暴漢を演じていてもチョー、ハンサムである。



西部劇の主役や、ヒッチコックのサスペンス映画の主役などに選ばれていれば、さぞや人気者になっただろうに……。


だが、彼が、世間的に名前を売るにも、まだまだ、時間がかかるのである。(1972年の『ゴッド・ファーザー』まで)



またまた、脱線しましたが、映画は星☆☆☆☆です。

それにしても、エレベーターが突然ストップすると本当に怖いねぇ~。(自身の体験あり)

2018年11月11日日曜日

映画 「風と共に去りぬ」

1939年 アメリカ。






この映画が有名でいて、傑作なのは全世界でご承知なのだが、つらつらと自分なりに書いてみたいので、少々お付きあい下さいませ。




1860年代、奴隷制度がのこるアメリカ南部。



タラの農園主で、広大な土地をもつ父や母と二人の妹たち、黒人の召し使いマミーや何人かの使用人たちに囲まれて、『スカーレット・オハラ』(ヴィヴィアン・リー)は何不自由ない生活をしていた。



姉妹の中でも、たぐいまれな美貌を備えていることを、本人も充分に自覚していたので、周りの男たちなどは、簡単にメロメロにできたいた。



『男なんて、ちょっとツンとしたり、甘えたり、微笑んだりすれば簡単よ』(この性格なら、現代なら銀座のホステス、ナンバーワンになれただろうに…)



だが、そんな男たちに愛嬌を振りまきながらも、ウィルクス家の美青年『アシュレー』(レスリー・ハワード)だけは別格だった。





アシュレーが、いとこの『メラニー』(オリヴィア・デ・ハヴィランド)と結婚するとの噂を聞いても、


『何かの間違いよ、アシュレーが愛してるのは私だけなのよ!』(スゲー自信!)



舞踏会が開かれて、出かけていくと、たちまち男たちにチヤホヤされご満悦のスカーレット。




アシュレーに清楚なメラニーを紹介されても、自信は揺らぐことはない。




『あんな退屈なメラニーなんかより私を愛してるのよ、アシュレーは!』


アシュレーが一人きりになる機会をみつけて、モーレツに迫るスカーレット!





が、アシュレーにハッキリと拒絶されてしまった。


『なぜ?なぜなのよ!?』


激しく怒り狂うスカーレットは、アシュレーが退散すると、近くの花瓶を投げつけた!(ガシャーン!)




すると、割れた花瓶がある、ソファーの影から男がスックと立ち上がった。



それの一部始終をみていたのが『レッド・バトラー』(クラーク・ゲーブル)だったのだ。


からかうバトラーに頭から湯気がでるスカーレット。




頭に来て、部屋を出ていくと、女たちはスカーレットの悪口を言い合っていた。


『誰にでも色目を使って』

『最低よ、あの女!』(同性にはケチョンケチョンに嫌われる)




そんななかでメラニーだけがスカーレットを庇いだてするのだった。



まさに、スカーレット最悪の日。



(もう、こうなりゃヤケクソ……)と、近くにいたメラニーの兄と強引に結婚の約束をしてしまったスカーレット。


だが、そんな時、時代は南北戦争の開戦を告げるのであった…………。






この原作が書かれたのが1936年。



発表された当時は、スカーレット・オハラのキャラクターが強烈だったが、現代ではそう珍しくもなくなってきた。




大概、事件や犯罪に巻き込まれるのは、この手のタイプの女性じゃなかろうか。



思い込みが強くて、「自分は間違っていない!」と言い張る自我の強さ。


何もかも衝動的で、自分の欲望の為なら他の人の気持ちなど一切考えないで突き進む。




反対にメラニーのような女性は、とんと見かけなくなった。

慎み深くて、思いやりがあり、愛情溢れる女性(絶滅とは言いたくない。まだまだ、こんな女性もたくさんいるんでしょうけど … )



男なら、必ずメラニーを選ぶはずだ。


スカーレットとの未来には安息など無いことを分かっているから。



でも、もし《スカーレットのようなタイプの女》と結婚したら、どうなるのか?



スカーレットそのものであるヴィヴィアン・リーは、俳優のローレンス・オリヴィエと結婚した。


お互いに一目惚れだったのだろうか……



だが、ローレンス・オリヴィエにとって、この結婚は、まさに地獄の始まりだったのである。





突然、オリヴィエを怒鳴りつけたと思ったら、次の瞬間には、スイッチが切れたようにキレまくる。(ヤバイ)



まさに、映画を地でいくような精神のアップダウンの激しさ。



オリヴィエは、舞台に、映画に出ながらも心休まる日はなくなったのだった。



リーは精神を病んでいたのだ。(双極性障害)



公衆の面前では全裸になる事もあったという。(もう、ちょっとどころじゃないヤバさだ)




仕事から疲れて帰ってくると、家の中はメチャクチャ。


家の外にも、毎日リーの怒号や叫び声が聞こえていたというのである。(ここまでいくと即、入院レベルだろうに)




それでも二人の結婚は20年間も続いたのだった。(オリヴィエも大変だったろうに……本当にご苦労様である)



それから1967年、自宅の寝室の床に倒れて、リーは死んでいるのを発見されたそうな。




こうやって書くと、なんとも悲惨な結末に胸が痛くなるが……映画ではドラマチックな気性は見栄えはしても、現実の生活では「お願いだから勘弁して!」って感じである。




そして、他の出演者たちはというと………



レッド・バトラー役のクラーク・ゲーブルは、1960年にマリリンモンロー最後の主演『荒馬と女』の撮影を最後に亡くなった。



アシュレー役のレスリー・ハワードは1943年、飛行機に乗っている時、ドイツの空軍に攻撃されて死亡。(だいぶ若い)




みんな、みんな、風と共に去ってしまった………………

いや、待てよ!


現代でも生きている人がいた!!



メラニー役のオリヴィア・デ・ハヴィランド、2018年11月も健在、御年102歳(ヒェー)である。



彼女の長寿を祝い、結びにしたいと思う。




映画は不動の面白さで、これから先も延々伝えられるだろうの名作ゆえ、もちろん星☆☆☆☆☆である。



※《後記》この文の後、しばらくしてオリヴィア・デ・ハヴィランドも、とうとう2020年にお亡くなりになってしました。

享年104歳。(それでも、「ヒーッ!凄い!」)



これぞ、まさに大往生である。



これにて、完全に、皆が、『風と共に去っていった』のでした。