2021年8月26日木曜日

映画 「ナイアガラ」

1953年 アメリカ。




『ポリー・カトラー』(ジーン・ピーターズ)は、夫の『レイ』と一緒に新婚旅行で《ナイアガラ》にやって来た。



「思う存分、このナイアガラ・ツアーを楽しまなくちゃ!!」


浮き浮き気分で、俄然、張りきるカトラー夫婦。



地上からエレベーターを下に降りていき、暗いトンネルを抜けていくと、そこはナイアガラの滝の、ちょうど真裏に出てくる。


そして、目の前に広がるのは、絶景スポットの展望台。(1950年代にこんな場所が完成されている事に、今更ながらに驚く)


そんなナイアガラを背景に、夫のレイは妻のポリーを写真におさめたいのだ。


「もっと後ろに下がって!」


夫の掛け声に笑いながら後ずさりするポリー。



すると、真横の岩陰で熱烈なキスをしている男女の姿が、突然ポリーの目にとびこんできた。



(あれは隣のロッジにいるルーミス夫人だわ!……相手の若い男は………どう見てもご主人じゃなさそうね……)



バツの悪い場面を偶然見てしまったポリー。



美人で派手な『ローズ』(マリリン・モンロー)は、地味で根暗な男『ジョージ・ルーミス』(ジョセフ・コットン)と結婚していた。


この夫婦もポリーたちと同じように、ナイアガラの側のロッジに宿泊していたのだが……さわやかなカトラー夫婦とは、まるで真逆で、常に淀んだ空気が流れている。



夫のジョージが、あまりにも嫉妬深すぎるのだ。



熱烈に愛しすぎるがゆえに、

「ローズが外に出れば他の男に奪われてしまう!」

こんな疑念でイッパイになり、結婚してからというもの、片時も心休まる暇がないときている。(ある意味、ジョージの疑念は当たっているんだけど)


こんなジョージの嫉妬は、とうとう仕事にまで影響して、事業は失敗続き。

オマケに、お国の為に朝鮮戦争に行くと、ズタボロの精神状態で、ジョージは帰国してきたのだった。


ますます、陰気臭くなったジョージの性格。



こんな男と暮らしていて、毎日が楽しいはずがない。



妻のローズは、こっそり若い男を手玉にとってメロメロにしてしまうと、ある企みを、今まさに、実行しようとしていたのだった。


「夫を殺してちょうだい……」


こんな痴情のもつれで、お互いに殺伐としだしたルーミス夫妻。


偶然、三角関係を見てしまったポリーは、そんないざこざの渦に巻き込まれて………





急に、この映画『ナイアガラ』を思い出して、40数年ぶりに観てみた。


コロナ蔓延の中、家の中にこもりっきりで、鬱々とした気持ちで限界にキテる人も多いはず。


そんな時に、多少、観光気分を味わえるのなら、こんな映画もいいかもしれないと思ったのだ。



この《ナイアガラの滝》は、数十年経った今、観ても、中々のド迫力で見応え充分である。




物語の内容はというと…スッカリ忘れていた。


この映画『ナイアガラ』について書かれている幾多の記述なんかを読むと、


「マリリン・モンローの初めてのカラー映画」だとか、


「マリリンが魅せる華麗なモンロー・ウォーク」なんてモノばかり。



たまにジョセフ・コットン演じる根暗なダメ夫について書いているのを見つけても、ほぼ、内容にふれたのを見かけた事がない。



何でだろう?と不思議に思い、今回新たに観直してみると、その疑問も分かった気がする。



この映画のクレジットには、一番最初の画面に3人の名前が一気に並ぶ。


画面左上にマリリン・モンロー、その右横にジョセフ・コットン

そして、二人の下、中央にはジーン・ピーターズの名前。



もう、お分かりだろう?


冒頭に書いてみた、多少のあらすじを読んでみても分かるだろうが、この映画の実質上の主役はジーン・ピーターズ演じる『ポリー』なのだ。



主役はマリリン・モンローでも、ジョセフ・コットンでもない。



観客が感情移入して、ハラハラ、ドキドキすべき人物は、若妻『ポリー』(ジーン・ピーターズ)なのである。




古い映画だから、思いきって書いてしまうが、


『ローズ』(マリリン・モンロー)と愛人の若い男が計画した《夫ジョージ殺し》は失敗に終わる。


ナイアガラの滝で突き落として殺す計画だったのだが、逆に『ジョージ』(ジョセフ・コットン)に殺されたのは若い愛人の方だったのだ。



オマケに、ジョージは、《ローズが愛人と共謀して、自分を殺そうとした》事に気づいてしまうのだ。



可愛さあまって憎さ百倍……


ローズを憎むジョージは、とうとう追いつめて、ローズの首を絞めて殺してしまう。



そう、映画の半分を過ぎたあたりで、『ローズ』(マリリン・モンロー)は、殺されてしまうのだ!



断言する!


こんな役で、主役であるはずがない!



こうして、殺人犯として逃亡を続けるジョージ……


そして、それを知ってしまったポリーは、事件に巻き込まれながらも、壮大なナイアガラで、ジョージと最後の対決をするのである。(もちろん、主役ゆえ、ラストはヘリコプターで救助されるポリー)



こんな話が、映画『ナイアガラ』の本当の姿なのだ。



それなのに、どういうわけか、この映画は、数十年経った今でも、マリリン・モンローが主役の映画として、ずっと勘違いされ続けている。


映画の宣伝も、評論も、なんならDVDなどのパッケージなんかを見ても、マリリン・モンローを押し出して、「ババァーーン!」と見出しにしたものばかりが目立つ。


これでは観てない人には、「マリリン・モンローが主役の映画なんだろう!」と思われるのも当たり前なのである。



どうしてこんな風になってしまったのか?


それはマリリン・モンローが、この映画で演じた『ローズ』という役柄のインパクトが非常に大きいのだ、と推測する。



自分が目立つように、セクシーで派手なショッキング・ピンクのドレスに身を包んでいるローズ。(周りから一人だけ浮いてる格好に、今、観ればドン引きして、笑ってしまう (笑) )


恋愛に奔放でいて、旦那がいても関係なし。


気軽に男と浮き名を流す、ふしだらな女ローズ。


そうして、最後は自業自得で殺されてしまうローズ……



マリリン・モンローの実生活と重ねて、人々は、この『ローズ』のキャラクターを見てしまったのだ。



実際のマリリン・モンローも結婚離婚を繰り返し、共演者とも浮き名を流す恋愛体質。


オマケに36歳の若さで亡くなった謎の死。(事実は自殺だったらしいが)


でも、この『ローズ』の役柄が影響しているのか、今でも《他殺説》の憶測や噂を信じる者は後を絶たない。



マリリン・モンロー》=《ローズ》のイメージは、マリリンの死によって、決定的に刻印のごとく印象つけられてしまったのである。



なるほどねぇ~……


でも、その勘違いや虚飾も、そろそろ幕を下ろしてもいいんじゃないの?(もう70年も経つし)



映画を観れば分かるはずだが、ジーン・ピーターズは、理知的で美しく、確かな演技力をみせてくれる女優さんである。(私は彼女の方が好き)


着ているファッションも、ケバいマリリン・モンローとは比較にならないくらいセンスが良い。(クール・ビューティーを存分に引き立てている)





ナイアガラの濁流の中、流されまいと岩場に必死につかまる彼女。


上空を飛ぶヘリコプターからロープで降ろされた椅子を、たぐり寄せて、必死で掴まる彼女。



ジーン・ピーターズは体を張った体当たりの演技を見せて、映画のラストを飾っている。(ボンド・ガールも真っ青)


この映画を久しぶりに観て、ナイアガラの見事さを堪能した私は、マリリンにかぶされた虚飾の王冠をおろして、ジーン・ピーターズの頭に、その王冠をかぶしてあげたくなってしまった。


どうだろうか?

星☆☆☆☆。


2021年8月18日水曜日

人物 「アンリ・ルソー」

(1844~1910年 フランス)





近年、ヘタクソな絵を、誰が名付けたのか、

《ヘタウマ》なんて言葉で表現するのが大流行している。



日本でも俳優の田辺誠一が、バラエティー番組の中でチラッと描いてみた、トンでもなくヘタクソな絵に皆が笑い転げた。


「こんな絵、見たことない!」


「どうすれば、こんなとてつもなく下手くそな絵を描けるのか!」


出演者、みんなが馬鹿にして、笑い転げて………


でも…時間が経つと、妙に脳裏にこびりついてしまって、忘れようったって忘れられなくなってくる。


そんな中毒性のある、ヘタクソな絵には、しまいには《味》や《愛敬》さえも感じてしまうのだ。



もはや、そのキャラクターが一人歩きして、大人気になった田辺誠一の絵。


本人も「人生、何が幸いするのか…」驚いているだろう。(奥さんの大塚寧々もビックリ)



こんな、誰も描けない、独特な感性の絵につけられた名称を、現代では《ヘタウマ》なんて呼び方で表しているんだから、まぁ良い時代になったものである。



だが、大昔には無かった、この《ヘタウマ》の言葉。



普通の画家たちが描く絵と、違ったモノを描いたりすれば、それは安易に《ヘタクソ》呼ばわりされていた時代もあったのだ。


それらの絵が理解されるのも、人生も終盤を過ぎてか、もしくは、当の本人が亡くなってからだったりしたものである。


そんな風に再評価された画家たちは、大勢いる。(だから、「絵描きは儲からない」と、昔は当たり前のように言われていたのだ)



そんな画家たちの中に『アンリ・ルソー』もいる。



ルソーは、元々本業の画家さんではない。


本業は、ちゃんと別にあって、フランス税関の職員をしていたそうだ。(まぁ、お堅そうな仕事)


でも、休みになれば趣味として、自分の好きな絵を描く事に没頭する。(絵だけじゃ食っていけない時代だしね。)


そんなルソーが、やっと描きあげた絵を見て、皆がクスクス笑ったり、「なんだ、コリャ?!」と平気で馬鹿にしたりした。


茶化されたりするのが関の山だったルソーの絵。


それでも、当時のフランスの人たちの気持ちで見ると、これも「しゃ~ないか」とも思ったりする。



ルソーの絵は《平面的》なのだ。

あまり奥行きを感じさせないのである。


それと、絵の人物が、ほぼ真正面を向いている構図ばかり。


オマケに、その人物の描き方も独特で、モデルとなる当人に似せようとする気がないのか……どこかシュールな味わいがして、漫画チックな表現なのである。


オマケに、オマケに、やっぱりどこかなのだ。


このさに、妙な笑いが込み上げてくるのも分かるような気がする。




《 赤ん坊のお祝い(1908)》

この絵なんか、丸々した赤ん坊が正面向いて仁王立ち。妙なオッサンの操り人形を持っている。(このオッサン人形がお祝いのプレゼントなの? (笑) )




《 人形を持つ子供(1908)》

これもパッツン、パッツン!丸々した女の子が変なオッサン人形を抱いている絵。

全然嬉しそうじゃない女の子(だろうな (笑) それにしても凄い体格をした女の子)





《 フットボールをする人々(1908)》


これなんか、もう違和感だらけ。

なぜか?双子のようにそっくりなオッサン2組がフットボールしている絵。


それにフットボールというよりは、まるで阿波おどりでも踊っているようである。

オマケに着ているのが縞模様の水着みたいなの。

オッサンの一人は腹パンチ👊までしてるという (笑)。



こんなヘンテコリンな絵に「ホホォ~」なんて感心するわけがないし、笑いが込み上げてくるのも当たり前なのだ。



それでも、私はルソーの絵が大好き。



ルソーには、もう1つモチーフになるモノがあって、それが緑の木々に囲まれた《密林地帯》や《ジャングル》である。


このルソーの描く《緑》の色使いは、特に至高の出来なのだ。


色鮮やかで、それに奥深い、様々な色の木々の《緑》………そんな色を作り出せる画家をルソー以外に、私は知らない。


笑える人物画は仮の姿で、これらを見ると、一目で、「こやつ只者ではない!」と思ってしまうのである。




《 蛇使いの女(1907)》


ルソーの代表作である。人物が暗くて遠目では分かりにくいが、蛇を肩にかけている女が、笛を吹きながら、こちらをじっと見据えている。

周りの草木は、どれもこれも吸い込まれるような深い緑で、細部にわたるまで丁寧に描かれている。


いつまでも見ていられるし、印象深い一作である。




こんなヘンテコな絵や、立派な絵を描きわけるルソーの実生活はというと、あんまり順風満帆なものではなかったらしい。


最初の妻には早々に先立たれ、子供も7人いたが5人は早死にしている。


ルソーが55歳の時に2度目の結婚したが、4年後に、これまた妻には先立たれてしまう。(つくづく家庭に縁がないのか)


そんはルソーも64歳くらいの時に、やっと作品が評価されだしたりしたのだが、手形詐欺事件の疑いをかけられてしまう。(一応、執行猶予はついたらしいが)


その後、足のケガを放置していたら壊疽(えそ)して、あっさり亡くなってしまった。(66歳没)



最後まで可哀想な、踏んだり蹴ったりの人生を送ったルソー。


もしも生まれた時代が違えば、きっと絵も絶賛されていて、それなりに人生を謳歌できたのに……と思わずにいられない。



こんなルソーの絵を、最近では《ヘタウマの元祖》と呼んでいるらしい。



ゲゲッ!なんかヤダなぁ~



ちゃんと絵の技術があって描く《おかしみ》と、下手くそでも《愛敬》のある絵を同列にするなんて。



死んでからも、尚、《ヘタウマ》なんて冠ではルソーが、あまりにも可哀想過ぎる。



なんせ、今の《ヘタウマ》の代表がコレですもん。


長々、お粗末でございました。


2021年8月15日日曜日

創作 「映画 ランボー(1982)」のその後を勝手に想像しちゃおう!


※これから書く話は、あくまでもアホの想像。勝手なたわ言だとして、ご覧くださいませ。




『ジョン・ランボー』(シルベスター・スタローン)が『トラウトマン大佐』(リチャード・クレンナ)の説得に応じて、やっと逮捕されていった夜。


ランボーによって破壊された街のあちこちでは、何台ものパトカーや消防車の消火活動がひっきりなし。


それも、やっと鎮火して、徐々に街も静寂さを取り戻したかに見えたのだが ……



次の朝、街の大勢の人々が警察署の前を取り囲んでいた。


集まった人々の顔は、まるで悪鬼の如く怒りの顔。


そうして、警察署に向けて、怒号の声が鳴り響いていた。


「ティーズル保安官はどこだー?!ティーズルを出しやがれー!」


ランボーに破壊されたガソリン・スタンドの店主や雑貨屋なども大騒ぎしている。


もはや、皆が事情を知っているのだ。


ベトナム帰還兵で危ない男ランボーに、勝手な難癖をつけて、騒動を広げた元凶がティーズル保安官であることに。


《腐敗した警察署の実態》なるモノをマスコミは嗅ぎ付けて、大々的に報道したのだ。


ランボーによってメチャクチャになっている警察署には、さらに何かが、ドンドンぶつけられて、町中の人々が暴徒化しはじめていた。



このニュースは、即座にティーズルや他の警察官たちが入院している病院にまで届いた。


ベットの上でグルグル包帯を巻かれて身動きすら出来ない『ティーズル保安官』は、苦虫をつぶした顔。


「あの野郎のせいで …… 」と、反省どころか、まだ懲りない様子。


そんなティーズルの病室に窓ガラスを割って、何かが外から放り込まれた。


火炎瓶!

たちまち、ベットのシーツに燃え広がる炎。


「た、助けてくれー!」


身動き出来ないティーズルは、なんとか保護されたが、この事態を警察上層部も重く受け取ったようである。



後日、やっと車椅子に座れるようになったティーズルは、上層部に呼ばれた。


「君らを狙って脅迫電話が鳴りやまない事態だ。一般市民だけでなく、ランボーと同じようなベトナム帰還兵たちの恨みまでもかってしまったようだな、ティーズル!」


その場でガックリうなだれるティーズル。


ティーズルは警察を解雇された。

ティーズルの命令でランボーに留置所で暴力を働いた警察官たちも皆、同罪である。


ただ、一人をのぞいては ……


「入りたまえ、ミッチ!」

まだ、痛々しくびっこをひいてるが、それは、あの若い赤毛の警察官『ミッチ』の姿だった。


「君は最後までティーズルの山狩りに反対したそうだな?」


「はい、仲間たちがランボーに行った行為は余りにも酷すぎて ……」


「フム ……」警察長官は感心している。


「どうだね?ミッチ、もう1度、新天地でやり直してみないか? 証人保護プログラムの力を借りて、名前も過去も変えるんだ!」


「な、名前を変えるんですか?」


「そうだ!、そうして新天地《マイアミ》で頑張ってみないかね?」


警察長官は、今度マイアミにできるという《CSI(科学捜査班)》を薦めてくれた。


(科学の力で犯人を立証する……こんな暴力的で非道なやり方じゃなくて ……)


ミッチの目がキラリと光った。


「やります!やらせて下さい!!」


こうして、ミッチは名前を《ホレ●ショ・ケ●ン》に変えて、マイアミへと飛び立っていった。(同じ警察官である兄と一緒に)


新しい新天地マイアミでは、どんな物語が始まるのか …… それは、まだ誰も知らない。


《END》


※勝手なアホ話である。

どうぞ、寛大な気持ちで許してくださいませ~ (笑)


2021年8月10日火曜日

漫才 「NON STYLE ノン・スタイル」




自分世代の有名な漫才師といえば、やっぱり、横山やすし西川きよしの二人だろうか。


『花王名人劇場』なんかに、この二人が出演していると、スピーディーな丁々発止の掛け合いに、目が点になって、ブラウン官から流れてくる二人の漫才に聞き惚れたものだった。



とにかく先が全く読めない。


台本があるのか、ないのか。

それともずっとアドリブで通しているのか……


早口でお互いにまくし立てながらも、喋り続ける話は、どこに流れて、どこへ上手く着地するのか。


笑いながらも、そんなハラハラドキドキ感もあるような超一流の漫才だったのである。



その後、いろんな漫才コンビが次から次に出てきたが、この『やすきよ』の漫才レベルを知ってる自分には、どれもこれも、あまりパッとしないように思えた。



相方がいても、一人だけで喋って、ボケもツッコミも一人で完結するようなスタイルの漫才師なんてのも数多くいた。(誰とは言わない)


でも、これ、「コンビ漫才じゃなくて、《一人漫談》じゃないの?」って思いながら、冷淡に観ていたけど。



ダラダラ、ゆっくり喋る漫才なんてのもあるが、こんなのを観ているとイライラする。


笑うよりも、「もっと早く喋れよ!💢」と、逆にこっちがツッコミたくなってしまうくらいだ。



シチュエーションのあるコントなら、それも良いと思うのだが、喋りだけで表現する漫才には、やっぱり、それなりの《スピード感》が必要なのだ。



けっこう、お笑いに関しては、シビアーな感性を持つ自分。



そんな自分が、近年、この人たちの漫才だけは「面白い!」と思えるようなコンビがいる。



それが、


《NON STYLE ノン・スタイル》


石田明井上裕介の二人なのだ。



痩せてほっそりしていて、常に全身白い衣装に身を包んでいる石田はボケ担当。


ズングリして、がきデカのような顔なのに(失礼!)、そんな容姿でも、ナルシストを地でいくような井上は、一応ツッコミ担当である。


こんな井上の容姿をいじりながら、石田のボケは、どんどん過剰に炸裂していく。


いつしかボケの石田が、ツッコミにも見えてしまう。


そのくらい、「これでもか!これでもか!」と連続でかぶしていく井上いじり。(ツッコミの井上も、いつしかボケにも見えてしまうという不思議)



面白いじゃございませんか!



お互いのキャラクターを引き立てて、ボケになったり、ツッコミになったり自由自在で。


オマケに二人の漫才は超スピーディー。(そう、これですよ!これ!このスピード感を求めていたのですよ)


しかも石田の重ねボケも、井上のツッコミも、どんどん終盤になるにつれて、加速していく。



今さっき、『エンタの神様』の二人の漫才を観て、「やっぱ上手いわ、この二人!」と感心したところ。


テレビを観ながら、皆が、腹を抱えて大笑いしているだろう。


やすきよの系譜は残っていて、この二人に、ちゃんと受け継がれているように思ってしまった。



これぞ、喋りのプロ!

まだまだ、漫才の未来も明るい気がする。



鬱々したコロナの時代に、少しだけ心が軽くなった夜でございました。


長々、お粗末さま!



2021年8月8日日曜日

映画 「ハートブレイク・リッジ 勝利の戦場」

1986年 アメリカ。




時代が70年代から~80年代に移り変わった頃、俳優たちにも微妙な世代交代の波が押し寄せてくる。


70年代に、あれだけ活躍していた俳優たちの人気に、徐々に陰りが見えはじめてきたのだ。


チャールズ・ブロンソンは、あまりにも奥さまのジル・アイアランドとの共演作を連発し過ぎて、すっかり観客たちに飽きられてくる。


セクシー・アクション俳優の看板スターだったバート・レイノルズも衰退していく。(私、この人の魅力が今でも分からん)


リー・マーヴィンも若い頃からの不摂生(飲酒)で、元々老けていた風貌は、さらに衰えて、わずか63歳で他界する。(1987年没)


こんな感じで、70年代組の俳優たちは横へ、横へと追いやられていく。



代わりに出てきたのが、皆もご存知のスターたち。


シルベスター・スタローンアーノルド・シュワルツェネッガーの二大巨頭が突出し、後を追うようにブルース・ウィリスたちなどの新進アクション俳優たちが続々と現れだしたのだ。



まさに、時代は新世代にバトンタッチして、変わりはじめていく……もう、時計の針は巻き戻せない。


こんな中で、あのクリント・イーストウッドも、どんどん焦りを感じはじめてくる。



70年代、あれほど猛威をふるって、イケイケだったイーストウッド映画にも、少しずつ陰りが見えはじめてきたのだ。


『ダーティハリー』シリーズは、続ければ続けるほど、どんどん興行収入がガタ落ちしてくる。


起死回生ではじめた『ダーティ・ファイター』も、2作目では1作目を下回る収益。


『ファイヤー・フォックス』、『ブロンコ・ビリー』、『センチメンタル・アドベンチャー』などなども、そこそこの収益を挙げても、中々、大ヒットにはならず、あまりパッとしない。


ならば!と原点回帰で作った西部劇『ペイルライダー』も、そこそこの小ヒット。



焦りはじめるイーストウッド……



刑事モノも西部劇もダメなら、どうすりゃいい?何を撮ればいいんだー?!


自分みたいなオッサンは、もはや過去の遺物なのかー!


なんだい!なんだい!今の若い奴らときたら、チャラチャラ、ナヨナヨしやがって!!


あんな若いだけの奴らに、まだまだ、この俺が負けてたまるかー!



………なんて思ったか、どうかは知らないが、この映画『ハートブレイク・リッジ 勝利の戦場』は、そんな当時のイーストウッドの本音が、ズバリぶつけられているようなキャラクターであり、ストーリーなのである。



根っからの戦争馬鹿『トム・ハイウェイ軍曹』(クリント・イーストウッド)は、時代が移り変わっても、昔の戦地の興奮が忘れられずに、「是非、最前線への移動を!」なんて希望するような変わり者。


こんなハイウェイ軍曹に、やっと移動命令が下る。


「やったー!やっと戦地へ行けるぞー!」


喜んだのも束の間、ハイウェイの仕事は、彼の古巣である、第二海兵師団第二偵察大隊・第二偵察小隊(ノースカロライナ州キャンプ・レジューン)へ戻って、若い兵士たちの指導にあたるモノだった。


(なんだ、戦地に行くんじゃなくて、若い奴らの子守りかよ……まぁ、いいさ。俺が立派な兵士に育ててやる!!)

だが、いざ現場に行ってみると、想像を越えるようなダラけきった奴らの吹き溜まり。


ロックン・ロール、男のくせにチャラチャラしたピアス、ビリヤード………


そんな若い兵士たちは、ハイウェイ軍曹を見ても、物怖じせずもせずに、こんな風に吐き捨てるように言う。


「何だよ、オッサン?お呼びじゃねぇんだよ、とっとと出ていきな!」


ハイウェイは、イライラして、ムカムカして、ドッカーン!とうとう爆発した!!


「お前ら、表に出て整列だ!!」


歯向かってくる若い兵士たちを簡単に力でねじ伏せてしまうハイウェイ。


若い兵士たちも、「ゲゲッ!マジかよ! こんなオッサンに、こんな力が?!」と思って、ビックリ仰天。


鬼軍曹ハイウェイは、本領を発揮して、ダラけきった兵士たちを一人前にするよう特訓を開始するのだった……



こんなのが『ハートブレイク・リッジ…』のあらすじなのだが………



この映画は大当たりした。


なんと製作費の10倍以上の興行収益をあげたのだ!



何がそんなにウケたのか?


それは、イーストウッドと同じように歳を重ねてきた同世代の男たちが、こぞって支持したのだ。


日々の日常、若者たちに抱いている不満を代わりに代弁してくれて、一人でも、負けじと気概を吐くイーストウッドにシンパシーを感じたのだ。


「古いモノには古いモノの良さがある。たとえ古くても、その精神(スピリット)には、敬意をはらい、見習わなければならないのだ!」


こんな主題を、真っ向から打ち出してくるんですもん。(そりゃ、オッサンたちは大歓喜して熱狂するはずだわ)



これ以降、イーストウッドの映画の方向性も、完全に決まっていく。


客層のターゲットを大人の男性たちに絞りこみ、決して若者たちには媚びない映画作り……



アカデミー賞を獲った『許されざる者』も、その後の作品も、全てが、


「歳をとっても、まだまだやれる!年寄りの意地と誇りを見せつけてやる!」


裏テーマとして、こんな主題を掲げているモノばかりである。




なんにせよ、この『ハートブレイク・リッジ…』があったからこそ、イーストウッドだけが80年代を生き残り、90年代へと進めたような気がする。


まさに、イーストウッドにとって、この映画は大事であり、ターニング・ポイント的なモノになったんじゃないかな?


今、現在、オッサンになった自分なんか、特に、このハイウェイ軍曹の気持ちになって、肩入れして観てしまうのである。

星☆☆☆☆。


2021年8月3日火曜日

映画 「フォーリング・ダウン」

1993年 アメリカ。




なんだか、ここ最近、数十年ぶりに観た『危険な情事』から始まって、『氷の微笑』、『ダイヤルM』、『ディスクロージャー』と、ドンドンとマイケル・ダグラス熱が高まっている自分。(こんなのは自分だけだろうが)


「こうなったら、とことん、マイケルにどっぷりハマろうじゃないかー! エイエイ、オー!!」


と思って今回は、キレまくりのマイケル・ダグラスが楽しめる『フォーリング・ダウン』である。


でも、この映画、主役はマイケル・ダグラスだけじゃなくて、ロバート・デュヴァルとのW主演。



ある日、1か月前に会社を解雇になっていた『ウイリアム゛Dフェンス゛フォスター』(マイケル・ダグラス)が、真夏の熱さから、とうとう自制心がぶっ飛んでプッツンする!(今の真夏の時期、気持ちは、なんとなく分かる気がする)


渋滞の中、車を乗り捨てて、別れた妻子のいる家を目指して、ひたすら歩き出すフォスター。



もう、一方は、今日で警察を退職しようとしている『ブレンダガスト巡査長』(ロバート・デュヴァル)。


神経症でヒステリックな妻についてやる為に、早めの退職を決めたのだ。


そんなブレンダガストの気持ちも知らないで、ひっきりなしにかかってくる妻からの電話。


「いつ帰ってくるの? まだ帰らないの?!⚡」(あ~あ、うるさいババアだ)



こんな性格も境遇も違う、フォスターとブレンダガストの二人……


フォスターが行く先々で事件をおこすのだが、元々有能なブレンダガストは、今日で退職というのに、

「これは同一人物の犯行だ!」と俄然、興味を持って自ら捜査に首を突っ込んでいく。(同僚の女性刑事サンドラも協力して)


その間も「まだ帰って来ないのー?! キィーッ!!⚡」

っていう、ヒステリー妻からは、矢の催促の電話が鳴りっぱなしだが。(本当にウザいババアだ)


こんな二人が、徐々に距離をつめていき、最後の対決になっていく………




こんなのが『フォーリング・ダウン』の簡単な筋書きなのだが、公開当時は《キレまくりのマイケル・ダグラス》だけにスポットが当てられて、『フォスター』(マイケル)が、メチャクチャやらかす度に、「ヒェーッ!」とか「ゲゲッ!」とか騒いでいただけだった。



でも、こうして数十年ぶりに観てみると、何だか、昔とは、だいぶ違う印象である。



この映画の舞台は、ほぼ《サンタモニカ》で撮影されている。


サンタモニカといえば、桜田淳子の《サンタモニカの風》。


♪来て、来て、来て、来て、サンタモニカ~♪(知ってるかな~?)


サンタモニカといえば、世界でも観光都市として有名な場所なのだ。



それが、なんという事でしょう!(突然、『ビフォーアフター』の加藤みどり風)



『フォスター』(マイケル)が、コーラを買いに雑貨屋に入れば、水増し料金を上乗せしようとしてバットを振り回す韓国人がいる。(逆にフォスターにバットを奪われて店は粉々に破壊されるが)



今度は、フォスターが野っ原で休憩してればチンピラどもが、ナイフをちらつかせて「金を出せ!」。(バットでボコボコにされて、逆にナイフを奪われてしまうチンピラ)


またまた、今度は、そのチンピラたちが、仲間を集めてボストンバッグ一杯に機関銃やら兵器をつめこんで、さっきの仕返しに車でかけつけて、フォスターめがけて機関銃を乱射する。(馬鹿なチンピラの弾は一発も当たらず、車は衝突事故。その隙にフォスターはボストン・バッグ一杯の武器をゲット!)



ほんと何なんでしょうか、これ?


フォスターも大概、酷いんだけど、いちいち突っ掛かってくる連中はもっと酷い。


この町には、全くのクズみたいな連中しか住んでいないんでしょうか?( 笑 )



この後も、バーガー屋は、写真とはまるで違うような潰れたバーガーを出したり、

靴屋は警察無線を傍受しながら、ゲイのカップルにわめき散らして、裏では大量の兵器をコレクションしている。



変な人間しか住んでいない町……それが《サンタモニカ》。


一歩、歩けば変な人間にぶち当たる危険な町……それが《サンタモニカ》。



これ、当時、観光都市《サンタモニカ》のイメージ・ダウンにならなかったのかしらん?



こんな町で警察だけは、まともな人間が揃っていると思いきや、『ブレンダガスト』(ロバート・デュヴァル)と女性刑事サンドラ以外は、まるでアホな能無しの刑事ばかりときている。



ダメだ!この町は!


こんな町に住むものじゃないし、観光なんてもっての他である ( 笑 ) 。



この映画が公開された当時、実際に住んでいた方々からは、何の苦情もなかったのだろうか?


「こんな映画じゃ、あんまりだ!」とか、「これじゃ、サンタモニカのイメージ・ダウンだ!」とか。



それとも「映画はフィクションなのだから…」と、常に冷静にド~ンと構えて寛大だったのかしらん?



なんにせよ、映画のクライマックス、海の上にある長い桟橋の先、この円形の店は有名になったろう。

『フォスター』が妻と子供を人質にとりながら、『ブレンダガスト』が単独で立ち向かう最後の対決の場所……


「ギャー!あの有名なマイケル・ダグラスが、うちの店で撮影してくれたー! ラッキー!」ってのが、当時の人々の本音だったのだろうか。



だとしたら、やっぱり映画スターって凄い!

その人気だけで、映画に対する不満や陰口すらも封じ込めてしまえるなんて只者じゃないわ。



「これが、映画スターってものさ……フフッ」


撮影しながら、町の人々にサインをねだられるマイケル。

そんなマイケルの余裕ぶっこいた表情が目に浮かんでくるようである。


星☆☆☆☆。(マイケルよ、君こそスターだ!)


2021年8月1日日曜日

映画 「上海特急」

1932年 アメリカ。




内戦が続く混乱の時代……


中国は北京から~上海までの長い距離を走る《上海特急》が今、出発しようとしている。



そんな《上海特急》の一等車両には、それぞれの事情を抱えた乗客たちが乗り込んできた。


上海で下宿屋を営んでいる年老いた『ハガティ夫人』は、一緒に連れて来た愛犬がバレやしないかとヒヤヒヤしている。(結局バレて愛犬は貨物車に連れていかれるが…)



杖をついているドイツ人『エリック・バウム』は、座席にいても、とにかくイライラしていて落ち着かない様子だ。

他の者が客車の窓を開けようものなら、「風を入れて、私を殺す気か?!」と大騒ぎする。



「この列車は、多分予定通りには上海に着かないね。なぁ、賭けるか?」なんて言う、なんでも賭け事にしてしまう呑気なオッサンは『サム・ソールト』。



フランス語しか話せない『レナール少佐』は周りの言葉が分からないので、ただ戸惑うばかり。(歳をとって除隊したのに、見栄で軍服を着てる)



白人と中国人の混血である『ヘンリー・チャン』氏は、その見た目から、一見何を考えているのか分からない。



イギリス軍の軍医であり、外科手術の名医でもある『ハーヴェイ』(クライヴ・ブルック)は、中々の色男。

目的は、上海で依頼されている政府高官の脳外科手術を行う為である。



そんな列車に、いかにも目立つ、二人の女性客の姿もある。

中国人の高級娼婦『フイ・フェイ』、もう一人は、《上海リリー》と渾名されている美女である。



「あんな女たちがいるなんて、なんて客車だ!」

お堅い牧師の『カーマイケル』は、二人を見ながら侮蔑の言葉をはく。



特に《上海リリー》(マレーネ・デートリッヒ)は、その美貌で男たちを手玉にしてきた悪名高き女性なのだ。


だが、そのリリーを見て、ハーヴェイ医師の顔色が一瞬で変わった。


「マデリン……マデリンだ」

5年前、付き合っていた愛しいマデリンだったのだ。



二人は愛し合う仲だったが、ほんの行き違いから別れてしまい、それ以来音信不通。

ハーヴェイは仕事に打ち込んで、マデリンを忘れよう、忘れようと努力してきたのだ。


そのマデリンが《上海リリー》として、今、目の前にいる。


「お久し振りね、先生…」

落ちついた表情で、煙草の煙りを燻(くゆ)らせながら、マデリンの瞳がハーヴェイを見つめる。


もはや、過ぎ去った日々……だが、目ざといマデリンは、ハーヴェイの時計に気がついた。


「私がプレゼントした時計……まだ持っていてくれたのね」


そう、私は、まだマデリンの顔写真が入った、この時計を捨てられないでいる。


マデリンの自信たっぷりの顔に、ハーヴェイは少しイラついて、怒った表情になった。


《上海特急》の列車は、そんな様々な人々を乗せて、ゆっくり、ゆっくりと、長く続いて行く線路を走り出す……



映画でも、《列車もの》って呼ばれるジャンルが、大、大、大好きである。


古くは、ヒッチコックの『バルカン超特急』から、クリスティーの『オリエント急行殺人事件』、最近blogでも書いた『カサンドラ・クロス』などなど……


《列車》の旅は、それだけで自分をワクワクさせてくれて、妙に物語の世界に引き込んでしまう。


この、大昔の『上海特急』は、主演がマレーネ・デートリッヒだし、《列車もの》だし、やっぱり1度は観たかった映画だ。



………で、観たのだけど、やっぱり少々古すぎたかな?



映画は80分足らずの長さなのだが、どうにも少し間延びしすぎているように感じてしまった。(しゃ~ないか、1932年だし)



この後、列車は止まり、一人の男が逮捕されて連れていかれる。


どうも反政府の者らしいのだが。(「なぁ、俺の言ったとおり列車が遅れただろう?」なんて言う、賭け事好きのオッサンは少々ウザい)



それから、しばらくすると、またまた列車はストップさせられて、列車の周りを妙な団体が取り囲む。


「一等車にいる者たちは、全員表に出ろ!!」


みんなブツブツ言いながら、駅のそばの建物の前まで連れて来られると、一人一人が順番に呼ばれて中へ通された。



そこには、仲間に囲まれて中央に鎮座している、あの白人と中国人の混血である『チャン氏』がいたのだ。


『チャン』の正体は、なんと!反政府軍のリーダー、大ボスだったのである。


「先程、中国政府に連行されていった男は、我々の大事な同志だ。是非、返してもらわなければならない。その為、この一等車の乗客の中に、人質交換に値する者がいるかどうか、一人ずつ尋問する!」


もう、大変な事になったぞ!



下宿屋を営んでいるハガティ夫人はヒステリー気味。


ドイツの商人バウムは、裏で阿片の密輸をしている事をチャンに見破られると、焼きゴテをされてしまう。

「ギャアアァーーーッ!」(なんて残酷な)



こんなチャンが、結局、人質交換に選んだのは、ハーヴェイ医師だった。(軍の外科医なら、政府も要求をのむはずと踏んだのだ)


「あぁ~、どうすればいいの……」


《上海リリー(マデリン)》は、もう取り澄ました表情なんてできやしない。


ハーヴェイを今でも愛しているのだ!それも熱烈に。


「神様、どうかハーヴェイの命をお助けください……」と、震えながら手を合わすマデリン。


その様子を牧師のカーマイケルは、偶然見てしまう。


(わしが間違っていたかもしれん……彼女は彼をとことん愛しているのだ……)



やがて男が無事に開放されるのだが、卑怯者のチャンは、ハーヴェイを開放する気はサラサラなかったらしい。


「奴の目玉を、この焼きゴテで潰してから返してやる!」なんて言ってのける。


もう、黙ってられないマデリンは、チャンのところへ乗り込んでいって、自ら直談判。


「私があなたのモノになるから、彼を開放して!!お願いだから!!」


マデリンの懸命の叫びに、(美人の《上海リリー》が俺のモノになるなら…ウシシ……)と好色そうな笑みをたたえて、やっとハーヴェイは無事に開放された。


だが、事情を知らないハーヴェイの気持ちは……


(あんな男に寝返るなんて……なんて女なんだ!)

マデリンに失望し、軽蔑までしてしまう始末。



やれやれ、どこまでいってもスレ違いの二人……果たして二人の運命は………



こんな感じが、《上海特急》のあらすじである。


もちろん、この後、マデリンは無事に救いだされて、二人の誤解も溶けて、ハッピーエンドになるんだけどね。(あっ、言っちゃった! まぁ、いいか………古い映画だし。この後は、中国人娼婦『フイ・フェイ』と、『カーマイケル牧師』が活躍するとだけ言っておく)



それにしても、『モロッコ(1930)』、『上海特急(1932)』と観てきて思ったことだが、この両方を監督したジョセフ・フォン・スタンバーグ、「だいぶマレーネ・デートリッヒに助けられているなぁ~」ってのが率直な感想である。


二人はゴールデン・コンビと呼ばれていたらしい。


他にも『嘆きの天使』、『間諜X27』なんて映画もコンビで撮っている。


だが、とうとうスタンバーグの奧さまの嫉妬(キィーッ!)で、このコンビが離別してしまうと、たちまちスタンバーグの映画は精彩を欠いて、まっ逆さまに転落していったそうな。



………でも、分かるような気がする。


綺麗な絵面は撮れても、初めに書いたように、あまりテンポがよろしくないので。(現代の我々から見れば、展開が余りにもノンビリに見える)


この人の映画自体、どれもこれも、だいぶマレーネ・デートリッヒの演技や個性に寄り掛かかりすぎてるような気がするのだ。(そこへいくと、同じような30年代の映画でも、ヒッチコックの映画は、今観てもテンポが良くて飽きさせないのだから凄い!)



それでも、マレーネ・デートリッヒの《クールさ》から一転、《激しい情愛》は見応えあり。


この映画も、そんな振り幅の広い演技力に支えられている。


それに個性的な出演者たちをプラスして、ギリギリ星☆☆☆☆。


この映画から、そろそろ1世紀近く。

映画の作り手も、観る側も少しは進歩してるのかな?


※それにしても、ハガティ夫人以外は、皆、ちと煙草の吸いすぎじゃないか? 


列車の煙といい、煙草の煙といい、実に煙い映画である。( 笑 )