2019年8月30日金曜日

映画 「お熱いのがお好き」

1959年 アメリカ。





その昔、『禁酒法』なんて法律があったのをご存じだろうか?



1920~1933年の13年間、アメリカじゃ、この法律が、普通にまかり通っていた。


日本でも徳川綱吉の時代に、『生類憐れみの令』なんてのがあって、「お犬様~
」などと言って奉っていた事もある。


今じゃ、考えられないくらい馬鹿馬鹿しい法律だが、どの国でも、そんな変な法律に支配される時代が、必ずある。

これは、そんな『禁酒法』の時代のお話………。





アメリカはシカゴの酒場で、バンドマンとして演奏をしている『ジョー』(トニー・カーティス)と『ジュリー』(ジャック・レモン)。



客は酒を楽しみながら、しばし心地よい音楽に耳を傾けている。


そんな時、

「警察の手入れだぁー!!」

誰かの声が聞こえて、店はいきなりパニック。



客たちも、あちらこちらに走り出し逃げ出した!


そんな客たちを取り締まろうと、警察の笛が鳴り響く。

「俺たちも早く逃げなきゃ!」

ジョーとジュリーは、サックスとバスを楽器ケースに収めると、一目散に逃げ出した。



そして、何とか逃げおおせたものの、真冬のシカゴの路上で、凍てつく寒さにガタガタ震える二人。

「どうするんだ?ギャラをもらい損ねたんだぞ!」ジュリーが叫ぶ。

「分かってる、何とかするさ」

二人がルームシェアで借りているアパートは、家賃を滞納し続けて、今にも追い出されそうだ。


何とかせねば!


ジョーは女友達の口利きで遠方の仕事を見つけ出した。


だが、遠方ゆえ車がいる。

「よし!車を取りに行こう!」

預けている駐車場に行くジョーとジュリー。



すると、人相の悪い団体があっちからも、こっちからもやってきた。


咄嗟に車の陰に隠れて様子をうかがっていると、鳴り響くマシンガンの銃声。


ダダダダダダーーーーーーッ!!


ジョーとジュリーの目の前で、ギャング同士の抗争が始まったのだ。



血だらけで倒れていくギャングたちに、車の陰で見ていた二人は、サーッと青ざめる。


「そこにいるのは誰だ?!」


気づかれた!

車の陰から走り去る二人に、マシンガンの轟音が追いかけてくる。(ヒィーッ!!何でこうなるの)




そして、


「ハァ、ハァ……」息も荒い二人は今度も何とか逃げおおせた。(考えてみれば運がいい二人)


だが、顔を見られた以上、もう、このシカゴにはいられない。


どうする?どないしよう?


職安で募集しているのは『女たちだけのバンドメンバー』だけ。


「よし!決めた!『女』になるんだ!」ジョーが言う。

「あぁ、そうか『女』になるのか……………エエーッ!!」ジュリーが目をむいて叫んだ。





そうして女装した二人。


ジョーが『ジョセフィン』、ジュリーが『ダフニ』と名前まで変えて、お互いを名乗り合う。


女たちだけのバンドは、フロリダで演奏するため駅で待ち合わせだ。


「おい、ガニマタになって歩いてるぞ!」

ジョセフィン(ジョー)が、『ダフニ』(ジュリー)に言うのだが、自分も、えっちら、こっちら慣れないハイヒールで、何とか歩いてる。


「こんなのを履いて、女って奴は、よく平気な顔して歩けるもんだ」

ダフニが、重たいバス・ケースや荷物を抱えながら歩くのだが、ブツクサ文句が止まらない。


そんな二人の前に、駅の構内を優雅に、闊歩していく女性がいた。

お尻をフリフリしながら、前を進んでいく女性………同じバンド仲間で、ウクレレ奏者の『シュガー』(マリリン・モンロー)。



シュガーが列車に乗り込むと、ジョーもジュリーも、女装の苦痛など忘れたかのように見とれて、


「こりゃ、たまらん!」

とばかりに、急いで後を追いかけるのだった。





これも名匠ビリー・ワイルダーの傑作コメディーである。(ビリー・ワイルダーの作品を紹介するたびに、傑作、傑作と言っているのだがしょうがない。本当に傑作なんだから)




そして、マリリン・モンローにとっても、これが代表作だろう。




冒頭に書いたように、モンロー独特のお尻をふりながらの、歩き方も完成されている。



なんでもこの歩き方をするために、ハイヒールのヒールを片方だけ短くしたのだとか………。

ゆえに段違いのヒールの高さが、微妙にお尻を上下にクネクネさせているのだ。



元々の髪の色を金髪に変えたりもして(地毛はブラウン)、自分を全くの別人へと変貌させる。

大スターの仲間入りになるのもホトホト大変である。



それゆえ、虚像と現実の狭間で、本人は後年、苦しむ事になっていくのだが………。




マリリン・モンロー自体に、自分は特別な思い入れはないが、それでも、この映画のマリリンは可愛い。


例の有名な歌、『I  WANNA  BE  LOVED BY  YOU』もこの映画で披露している。(プ・プ・ピ・ドゥ)


まさに絶頂期のマリリン・モンローを観るなら、この映画はオススメである。





そして、マリリンよりも気に入っているのが、トニー・カーティスジャック・レモンのドタバタ演技。


イケメンで立派な体格のトニー・カーティスが女装をすれば………首も太いので、ゴリゴリの厳つい『オカマ』さんにしか見えないのだ。


ジャック・レモンの女装は、その姿を見るだけで笑ってしまう。



まるでコント。

しゃくれた顎で、ニンマリした口のジャック・レモンに、赤いルージュをひけば、まるでドリフのコントなのである。




最初は女装を嫌がっていたダフネ(ジャック・レモン)だが、段々馴染んでくると、

「キャッ!キャッ!あ~楽しいわね!」

なんて、仕草も口調もそれらしくなってくるのだから。




それを心配するジョセフィン(トニー・カーティス)が、

「大丈夫か?ジュリー?お前は『男』なんだぞ!」と目を覚まさせる。

(あ~そうだった!俺は『男』だ!こんちくしょう、こんな生活がいつまで続くんだー!)




でも、また、しばらくすると、

「アハ!アハ!楽しいわね、シュガー!」

、なんて元に戻ってるのだから、超オカシイ(笑)。





芸達者の二人に、全盛期のマリリン・モンロー。

ビリー・ワイルダーの作品では、個人的に、これが一番好きかもしれない。


笑えること、超請け合う。

星☆☆☆☆☆。



2019年8月20日火曜日

映画 「毒薬と老嬢」

1944年 アメリカ。






演劇評論家であり、独身主義の『モーティマー・ブルースター』(ケーリー・グラント)は、神父の娘『エレーン』(プリシラ・レイン)を連れて、区役所に婚姻届を出すため、列に並んでいた。(しっかりサングラスで変装して)



そこへ、「何か良いゴシップネタはないか……」と記者たちが張り込んでいる。



やっぱダメだ!



モーティマーはエレーンを引っ張って電話ボックスに隠れた。


「君とは結婚できない!」


「………そう」エレーンの潤んだ瞳。


「僕は、今まで結婚を馬鹿にして、『結婚は欺瞞』なんて本も書いてきたんだ!」


「………そう」エレーンの潤んだ瞳。




あぁ、何て顔をするんだ、エレーン……。


もう、辛抱たまらん!


モーティマーは、エレーンを抱き寄せると、思いっきり熱烈なキスをした。(欲望が主義に勝った瞬間)


モーティマーはエレーンの魅力に、到底抗えない。とうとう結婚を決意した。




ー  その頃 ー


ブルックリンでは、モーティマーの年老いた叔母姉妹が、隣に住むエレーンの父親の、『ハーパー神父』をもてなしていた。


巡回中の警官たちにも、ニッコリ!


笑顔でもてなす『マーサ』と『エディ』の叔母姉妹。

その人柄の良さで、この界隈では、二人の姉妹の評判は上場であった。



「突撃ぃー!」

バタバタと階段を駆けあがる甥の『テディ』。



中年のテディは自分を『ルーズベルト大統領』だと思い込む精神薄弱。


夜中にラッパを吹いたり、奇行を繰り返していたが、姉妹の評判がそれを上回るほどだったので、警察も町の人々も寛大に見てくれていた。




叔母姉妹には、3人の甥がいた。



ひとりは、この変わり者のテディ。


そして、冒頭で結婚を決意したモーティマー・ブルースター。


モーティマーの、不肖の兄ジョナサンは、もっか行方不明。




こんな複雑な事情を抱えた家系だったが、モーティマーはそれなりに満足していた。




そして、

(叔母たちにエレーンとの結婚を知らせよう。きっと喜んでくれる!そして新婚旅行に出発だ!)


ブルックリンに帰ってきた二人は、後で合流する約束をして、エレーンはハーパー神父の家に。

モーティマーは、叔母姉妹の家へと別れた。




扉を開けると、叔母姉妹が嬉しそうにモーティマーを出迎えた。


「結婚するよ、エレーンと!」


「まぁ、モーティマー!おめでとう!」

マーサとエディは喜んで、モーティマーに抱きついた。




「早速、お祝いの支度をしなくちゃね!」甲斐甲斐しく姉妹たちは動きだした。

喜んでくれる叔母たちにモーティマーもひと安心。



窓際の箱に腰かけると、???何やら違和感が。


…………そぅ~と、モーティマーが箱を開くと、そこにあったのは…………。


モーティマーの目がパチクリ!


「し、し、《死体》じゃないかぁー!!、誰なんだぁー!?これは!!」



パニック状態で騒ぎ立てるモーティマーに、叔母たちはニコヤカに話しだす。


「まぁ、何を騒いでるの?これはホスキンズさんよ」


「な、何でそのホスキンズとやらが死んでいるんだ~!!」


「きまってるじゃない、毒入りのワインを飲んだからよ」叔母たちは平然としている。




孤独な老人たちに、安らかな死を……。


毒入りのワインを与えて殺す事を、まるで善行のように、ニコヤカに嬉しそうに話す叔母たち。



しかも地下室には、他にも11人の死体があり、狂ったテディが穴を掘って、丁寧に埋葬しているという。



モーティマーの思考回路は、ぶっとんだ。


(こ、この家は、皆、異常だ!異常な家系だったのだ!!)


結婚の夢は、ガラガラと音をたてて崩れ去った。



それでも、気をとりなおして、

(とにかく何とかしなければ……)

と考え出すモーティマー。


モーティマーの、悪夢のような現実との闘いが始まったのだった………。






『ペティコート作戦』を観て、急に、ケーリー・グラントの傑作『毒薬と老嬢』を思い出して観たくなってしまった。


観たのは20年ぶりくらいだろうか。


監督は、『或る夜の出来事』のフランク・キャプラである。



死体を見つけた『モーティマー』(ケーリー・グラント)が、ノホ~ホ~ンとしている叔母たちや狂人のテディ、それに数年ぶりに帰ってきた兄やら、他の登場人物たちを相手にしながらも、孤軍奮闘するブラック・コメディー。



まるで、即興の舞台を観ているような気になってくる。(まぁ、もともと原作が舞台の戯曲ってのもあるが)




それにしても、やっぱ上手いわ、ケーリーグラント。


動きや所作が面白いというか……、目をキョロキョロさせたり、ビックリした表情も。



この人は、同じ時代の俳優たち………クラーク・ゲーブルやゲーリー・クーパー、グレゴリー・ペックたちとは、やはり別格。



本当は、ずば抜けて演技力が高いのだ。(もっと生きているうちに評価してほしかったと思ってしまう)



『毒薬と老嬢』は、あらためて、それを再確認させてくれたのでした。



今、観るとフランク・キャプラの演出に、少しばかりの古さを感じるかな。(ちょっとバタバタしすぎ)


ケーリー・グラントの演技力に、星は☆☆☆としておきます。



それにしても、こんな家族がいるところに嫁ぐエレーンはどんなものなんだろう。

自分が親なら絶対に反対するだろうな~(笑)。

2019年8月18日日曜日

映画 「ペティコート作戦」

1959年 アメリカ。







第二次世界対戦の真っ只中、1941年。


潜水艦《シー・タイガー号》は、まだ1度も参戦したこともないのに、いきなりフィリピン沖の港に停泊中、敵の日本軍の戦闘機の奇襲攻撃をうけてしまう。


その結果、『シー・タイガー号』は、あちこち、やられまくってズタボロ。


煙まみれ、穴まみれの《シー・タイガー号》の有り様を見て、艦長の『シャーマン』(ケーリー・グラント)は、頭を抱える。



でも、すぐに立ち直るシャーマン。(だって楽天家のケーリー・グラントですもん(笑))


「必ず修理しますから、お願いします。2週間の猶予をください」と上官に懇願するシャーマン。


「よし、分かった」

上官もシャーマンの熱意に返事だけはしてくれた。



だが、軍から支援物資は、申請書をいくら出しても却下されたりして、なかなか届かない。



そんな時、ひとりの男が《シー・タイガー号》に移動してきた。



潜水艦軍務には、まるで場違いな身なりで現れた『ホールデン大尉』。(トニー・カーティス



「君、海軍や空軍の経験は?」


「ありません!軍では企画係でパレードやパーティーの準備をしてました!」


パレードやパーティーって……



やれやれ、何でこんな男を上は寄越すんだ……

シャーマン艦長の心の嘆きが聞こえたのか、ホールデンが、いきなり言い出した。


「でも、自分なら、この潜水艦に必要な物資を、直ぐに調達してみせます!」


はぁ?


何を言い出すと思ったら……まぁ、いいだろう。


「よし!君を物資調達係に任命する!」


「はい!ありがとうございます!」




だが、ホールデンの物資調達は、まるで合法的なものじゃなかった。


シャーマンの部下をひきいて、軍の本部に、夜半忍びこんで、勝手に持ってくる。




そう、《泥棒》と一緒。



ワイヤーから、銅線から、配管から、はたまたトイレット・ペーパーまで。潜水艦に必要なもの全てを、だまって盗んでくる。


果ては、本部の上官室の壁までをくり貫いてまで……。



呆れるシャーマンだったが、何とか、かんとか潜水艦が動くところまで修理はできた。


「よし!出航だ!」シャーマンの呼びかけに、エンジンルームでは、スイッチを入れたが、ブスッ!ブスッ!の音と共にエンスト気味。



そこへ、


「待ってください!」

とホールデンが、今度は、変な格好の男たちを伴って連れてきた。


「この島の祈祷師たちです。これでこの潜水艦に憑いている悪霊を祓ってもらいます」


ば、バカバカしい!……


シャーマン艦長の思いなどよそに、勝手に祈祷師たちは、《シータイガー号》を槍でつつきながら、「……ナンタラ、カンタラ……」と呪文を唱え始めた。



(こんなので潜水艦が動くなら、誰も苦労しないさ……)


「艦長!エンジンがかかりました!」


な、何ぃ~?!(笑)



かくして、潜水艦《シー・タイガー号》は、まだ完全とはいえずとも、何とか港をはなれ、出航したのであった……。






この時期、絶好調のケーリー・グラント主演の潜水艦コメディー。


名前こそ、知っていたこの映画を初めて観た。
チョー面白かった。



『お熱いのがお好き』のトニー・カーティスもチョーおかしくて笑わせてくれる。


トニー・カーティスにとって、ケーリー・グラントは、伝説であり憧れの人。

オファーがあった時、「ぜひ、ぜひ、出演させてほしい!」だったとか……。




このトニー・カーティス演じるホールデンが、物資だけでなく、色々なものを調達してくる。




しまいには、男だらけの潜水艦に、女たちの集団を連れてくるのだ。




「彼女たち、島に置き去りにされたんです、どうかお願いします。艦長!」


「う、うむ……」『シャーマン』(ケーリー・グラント)も仕方なく乗船許可をだす。



でも、狭い潜水艦の中はたちまちパニック。

機管室で、洗濯物を干す女たちやら、勝手にあちこちほっつき歩く女たち。



そして、そんな女性たちに、たちまち色気づいた男どもは、介抱してほしいと、次々仮病をつかって医務室へ。


「俺、具合がわるくなった」

「俺も!」

「俺も!」


「いいかげんにしろよ、お前ら!!」シャーマンの血圧は上がりっぱなし。




そんなドタバタの時、事件はおきた。


「艦長、見てください!あの島に敵の戦闘機の姿が!」


「何だって?」さっそく潜望鏡でのぞくシャーマン。


そこへ、ミス・クランドルが近づいてきて、

「艦長、お薬持ってきましたわ」なんて呑気に言うもんだから、気が立っているシャーマンも、

「あっちへ行ってろ!」と容赦ない。



怒鳴り声に驚いたミス・クランドルは、後ろのレバーを、うっかり引いてしまう。



………それは、なんと!魚雷発射のレバー!!(ゲゲッ( ゚ロ゚)!!)


魚雷は水中を猛スピードで進んで、島のトラックに命中、そして大爆発した!!




敵は気づいて、直ちに潜水艦に向けて砲撃してくる。


逃げろや、逃げろー!(ハァ~コイツら何やっとんねん(笑))





はてさて、今度は別の島で、物資調達をするホールデン。


通りがかった農家で、豚を勝手に盗んだホールデン。(みんなのご馳走になると思って)


潜水艦に無事帰りついたホールデンだったが、島の農家は、車のタイヤ後を、ずっと追ってきて、軍の者も連れて乗り込んできた。


「ここに、私の豚がいるはずなんだ!」農家が現地の言葉でわめき散らす。


知らぬ顔を決め込むホールデンだったが、シャーマンがトイレのドアを開けると、豚が「ブー!ブー!」と挨拶する。



………そっとドアを閉めるシャーマン。



そして、

「あ~、豚はここにはいないが、代わりのものを差し上げよう。どんどん持っていってくれ!」

と、ホールデンの部屋の、隠し持ってるゴルフバックやら、テニスラケット、洋服、靴、香水やら、純金やらをホイホイ、農家に渡す。(豚の体重は90㎏あって、その分だけ)



農家は大喜び。

「あぁ、それは………えぇ?それも?………あぁ、それもですか?……」(トホホ顔のホールデン(トニー・カーティス))


「何か文句があるかね?」ジロリと睨むシャーマンだったが、楽しそうである。



農家は喜んで帰って行ったとさ、チャンチャン!(笑)。




終始こんな感じでトントン話が進んでいく『ペティコート作戦』である。


もう、オカシイったらありゃしない。

これ、大傑作じゃないですか!



この後も、戦争映画なのに、クスクス笑いが絶えない。(「戦争映画なのに、こんなに不謹慎に笑っていいのだろうか?」と逆に後ろめたくなってしまった)




それにしても、何て贅沢なコメディーを撮ったのだろう。



冒頭の《シー・タイガー》が、本物の戦闘機に攻撃されて爆発するところとか、

本当に魚雷が発射されるところとか、どれだけ巨額な制作費がかかっているのか。



それに、この潜水艦《シー・タイガー号》にしても、莫大な費用を考えるとそら恐ろしくなってくる。(CGなどない時代ですぞ)



そして、これをコメディーでやるのだから……もう信じられない。



これは文句なしに、

星☆☆☆☆☆。


※こりゃ、日本、戦争に負けるわ。

笑いのセンスといい、当時のアメリカの凄さや格の違いを見せつけられた映画である。

2019年8月16日金曜日

ドラマ 「赤い衝撃」

1976~1977年。






♪あなたがいる、私がいる、答えは《愛》だけ〜


♪愛は人と人を結ぶ《鍵》





その昔、昔……知ってる人は知っている『赤いシリーズ』。


 『赤い迷路』、『赤い疑惑』、『赤い運命』ときて、自分が一番好きだったのが、この『赤い衝撃』。

もちろん主演は山口百恵、そして三浦友和。(百恵ちゃんは可愛かったし、友和も格好良かった。)




大山豪助(中条静夫)は、一代で大山産業を築いた、成り上がりの豪傑。

そのやり口は、決してクリーンではなく、思いっきりダーティー。



違法な事なんてのは当たり前、そんなの関係ない!

部下の北川(長門裕之)を、平気で殴り付け、矢野(谷隼人)なんて男からは逆恨みされている。(まぁ、皆さん人相が悪い事よ(笑))




そんな豪助にも、家に帰れば、一応、家族がいる。



長男の豊(中島久之)は、豪助とは正反対の性格で、人柄もよく人格者であり外科医。


長女の政子(原知佐子)は、結婚に失敗して出戻り。(このネチネチした性格じゃ離婚されても無理はないだろう。)


そして、後妻の鈴代(草笛光子)は、長男と長女に気をつかいながら、豪助を支えている。(「どうもすみません、政子さん、豊さん」といつも腰の低い義母。)



そんな鈴代の連れ子が、一人娘の『友子』(山口百恵)なのだ。




友子は、高校でも有力視されている短距離走のスプリンター。

勝手気ままの豪助だったが、この連れ子の友子だけは、目に入れても痛くないほど、猛烈に溺愛していた。



ウサギ! 今度の試合は必ず優勝するんだろうな!」(友子の事を『ウサギ』と呼ぶ豪助。何で?(笑))


「もちろんよ、お父さん期待してて」
とニッコリ笑う友子(百恵ちゃん)




そんな会話を聞いている長女・政子は、当然、面白くない。


「フン、何よ。友子、いい気になるんじゃないわよ!、ちょっと鈴代さん、喉が渇いたからお茶でも入れてちょうだい!」

と義母の鈴代を女中扱い。



鈴代は鈴代で、

「すみません、政子さん。」

と言いながらバタバタ走っていく。




「姉さん、お母さんを女中みたいに扱ってあんまりじゃないか!」

と長男、豊は、あくまでも鈴代と友子の味方である。




そんな豊をあざ笑うように、性根が腐った政子は、

「何よ、豊!、偉そうにして!分かってるのよ!あんた、友子が好きなんでしょ?だから、この人たちの味方なんてするんでしょう?あんたの魂胆なんて分かってるんだからね!」


あけ透けに、人の気持ちなど考えずに、いつも言いたい放題なのである。(出戻りのくせにね)




そんな政子に、輪をかけて、これまた豪助も言いたい放題。


「いい加減にしろ!政子! 出戻りのくせに! そんな性格だから相手に嫌われて離婚されるんだ!お前も女なんだからお茶くらい自分で入れろ!」



なんて、視聴者が思っている事を代弁するように、そして政子の傷口をえぐるような事を平気で言うのである。(この娘にして、この父親あり(笑))






こんな成金で豪邸、人間関係がメチャクチャな『大山家』とは、対称的なのが、三浦友和のいる質素堅実な『新田家』。




狭い団地の住宅。


父親の新田勇作(田村高廣)と母親、文子(南田洋子)。

そのひとり息子、『秀夫』(三浦友和)の3人暮らし。



ただ、この勇作も秀夫も、親子そろって刑事なのだ。


「じゃ、行ってくる」


勇作と秀夫が警察に出掛けて行くのを、見送る良妻、文子。

もっか二人の親子刑事は、大山豪助がこれまで行ってきた不正を暴く為に、内偵を進めていた。


「絶対に証拠をつかんで逮捕してやる!」


勇作の逮捕に対する執念は、刑事の範疇を越えるほどだ。

と、いうのも妻、文子は、その昔、大山豪助に強姦されてしまい、その結果、産まれた子供が、秀夫だったからだ。


そんな事を知らない秀夫だったが、刑事としての父親を尊敬し、勇作と一緒に《大山豪助の逮捕》に執念を燃やす。




こんな、因縁ともいうべき家に、それぞれ産まれた『友子』と『秀夫』。

そんな二人を、運命のイタズラは出会わせてしまう。




緑深い、並木道を練習の為に、何度も駆け抜けて行く少女、友子。


それを、通りかかって、たまたま見ていた秀夫。


こんな風に、二人は突然出会ったのであった………







この『赤い衝撃』を観ていた時が、自分が8歳の時。


ここまで書きながらも、よくも、まぁ、鮮明に覚えている事に自分でも驚いてしまう。


録画もない時代……それほどブラウン官から流れてくる映像の一瞬一瞬は、貴重だったのだ。




そして、このドラマも全29話。(1年間のドラマやそれ以上の長さのドラマも、ざらにあったし、この長さでも当時は短いくらいだった)




これを当時、トップアイドルだった山口百恵が主演する。



歌番組は生放送ばかり。

それを掛け持ちしながら、雑誌、ラジオ、コンサート………そして、深夜にまで及ぶハード撮影となる、この『赤い衝撃』に挑む。(昔の芸能界、働かせ過ぎだ)




グッタリして車の中で、撮影の合間に、しばしの仮眠をとる百恵ちゃん。


そんな、あどけない少女の寝顔を見ながら、友和は「可哀想に……」と思わずにはいられなかった。



やがて同情は、度々、共演を繰り返すうちに愛情へと変わっていく……。




こんな現実とフィクションの境もないようなドラマを観せられた日には、そりゃ視聴者も、俄然、二人の恋を応援してしまいますわ (笑) 。




この『赤い衝撃』、百恵&友和コンビのドラマとしては、個人的にナンバーワンである。



傲慢な中条静夫も、イジワルな原知佐子も最高でございました。(なぜか?この二人が出てくるだけで、妙な笑いがこみ上げてくる)




それに中条静夫さんの、この赤いフンドシ姿

コレこそが、私にとっては、トラウマものの《赤い衝撃》なのでございました (笑) 。



星☆☆☆☆。


2019年8月13日火曜日

映画 「キッスは殺しのサイン」

1966年 イギリス。








ブロンドの長い髪の美女エックマン(エルケ・ソマー)。


ブラウンのショート・カットにふんわりパーマをあてている、こちらも、またまた美女のペネロピ(シルヴァ・コシナ)。



見事なプロポーションをもつ二人には、敵なし。


そう………、

『ふたりはプリキュア』、じゃなかった(笑)、『ふたりは女スパイ』なのであ~る。



スパイのためなら、どんな殺しも、ためらいなく、しちゃいます。(オイオイ)



遥か上空を飛ぶ飛行機では、スチュワーデスに変装して、敵に接近するエックマン。


敵の男に見つからずに、スカートをめくると、太股には(なぜか?)葉巻が挟んである。


それに火をつけて、

「お客さま、葉巻をどうぞ」と渡す。(機内は禁煙じゃないのが、やりたい放題の60年代って感じ)


それをくわえた男。

くわえたと同時に、葉巻の中からは、いきなり弾丸が発射された。


それは、首の後ろまで貫通していて、もちろん絶命。(なんちゅう殺し方よ)



エックマンは、そばの無線でパイロットに連絡すると、

「あ~社長が低空飛行にするよう命令しています」

なんて言いながら、パラシュートを、さっさと装着。




時限爆弾の時計を設置すると、扉を開き上空に飛び出した。

飛行機はエックマンの真上で、「ドッカーン!」の爆音と共に大爆発。



パラシュートを開いて降下してくるエックマンの真下は、荒れ狂う大海原。


そこへ相棒のペネロピが、モーターボートで颯爽と登場。



エックマンを乗せると、二人はにこやかに笑い、水しぶきをあげながら、モーターボートは去って行くでありました。




で、ここで変な歌が流れる………




♪とても美しいウソを彼女はささやくぅ~

♪決して信用するなぁ~

♪彼女の目をのぞきこんでもぉ~

♪そこに愛は全くないぃぃ~

♪油断するな、男たち用心するんだぁ~

♪女という生き物は男より危険だからぁ~



(なんじゃ、この歌は。女性不信になりそうである(笑))




こんな二人が、ほとんどビキニ姿で肢体をさらしながら、暗殺のやりたい放題、八面六臂(はちめんろっぴ)の大活躍。


姉御肌で行動派のエックマンと、男好きで盗癖のあるペネロピ。



どっちがタイプかといえば、わたくし断然ペネロピであります。


ペネロピ役のシルヴァ・コシナに、

「ズキューン!」

見事にハートを撃ち抜かれました。




監督は、ラルフ・トーマスって人で、調べてみると、60年代に、こんなスパイ映画をせっせと撮っていた方のようだ。(こんな監督の存在も初めて知りました)


なかでも、この同じ監督で、シルヴァ・コシナの映画 『地獄のガイドブック』ってのが面白そう。(そう、これもスパイ映画である)



シルヴァ・コシナ……この女優を覚えておこう。


いつか必ず、また別の映画で再会する日まで。(もちろん金髪のエルケ・ソマーも)



結局、どっちも好きになっちゃったのであ~る(笑)


星☆☆☆。

※でも、この映画、エルケ・ソマーとシルヴァ・コシナは悪役なんだよなぁ~。(主役の男があんまり好きじゃない)



二人を主役にした方が断然、この映画はヒットしたはずなのに。


つくづく残念である。

2019年8月12日月曜日

映画 「アラベスク」

1966年 アメリカ。






オックスフォード大学の言語学教授ラギーフは、歯の治療に来ていた。

ライトが照らされて、口を、あんぐり開ける教授。


そこへ、歯科医の迫りくる回転ドリル。

「ウィィィーン」のドリルの回転と共に、治療室では、教授の絶叫が響き渡った。



ラギーフ教授は殺されたのだった。





そして、場所は変わって、オックスフォード大学のキャンパス内を、軽快な足取りでランニングしている『デヴィド・ポロック教授』(グレゴリー・ペック)。

その後ろからは、ポロックを尾行するように、静かに、息をひそめるように車が近づいていた。



そして、車から手が伸びると、ポロックは掴まれて引きずり込まれた。


「な、何なんだ?君たちは?!、いきなりこんな事をして、どういうつもりなんだ?」


「失礼をお許し下さい、ポロック教授。私には誰にも知られたくない理由があるのです。私の立場上、こうするよりなかったのです。」

ひげ面で白いターバンの男は、中東某国の首相でイェナと名乗った。


そんな大物が、一介の教授に何の用?



「ポロック教授、実はお願いがあるのです。あなたは今から、ある男に古代象形文字の解読を依頼されるでしょう。その依頼を是非とも受けて、私に逐一報告してほしいのです。」


イェナ首相の話は、突拍子もなくチンプン、カンプンで、ポロックは混乱した。

「『男』とは、いったい誰なんです?そして、何故この私なのですか?」




その男とは、大富豪『ベシュラービ』。

石油で儲けた成金だが、他にも、とかく黒い噂があり、その持ちかけられる象形文字の解読にも、何か政治的な裏があるらしいのだ。




でも、凡人には、それらの解読はムリ。


そこで白羽の矢が立つと思われているのが、大学で言語学を専門としている教授、ポロックなのである。



「前任者のラギーフは、不審な死に方をしました。ベシュラービが依頼するとすれば、次は必ずあなたのはずです。」

イェナ首相は、念を押して懸命にお願いすると、ポロックを降ろして、車は行ってしまった。




取り残されたポロックは、まるでキツネに摘ままれたような顔。

(今のは本当の話だろうか………まるでスパイ映画のようじゃないか)





次の日、ランニングをしているポロックは、またもや車に引きずり込まれた。


でも、今度はイェナ首相ではない。



今度の相手は、

「初めまして、ポロック教授。私はベシュラービ。君には私の為に働いてもらいたのだがね」


(昨日聞かされていた『ベシュラービ』!! ゲゲッ!本当に依頼してきた!!)




黒いサングラスをしたベシュラービは、見るからに怪しい様子。

高圧的な物言いは、まるで断られる事などは一切ない、と言いたげだ。




半端、強引にポロックは、ベシュラービの大邸宅に連れて来られた。



邸宅には、ベシュラービの屈強な部下たちもいたが、それとは不釣り合いな美人の『ヤスミン』(ソフィア・ローレン)の姿が……。



その美しさに、ポロックは、しばし心を奪われてボーッ、となっていると、ベシュラービは非情に、

「さあ、教授。仕事にかかってもらおうか!」

と言い放った。





個室を与えられて、渡された象形文字に目をとおすポロック。


(何だか、アラビア文字のようにも見えるのだが、……何なんだ!?この文字は!!)


言語学教授としての情熱に火がついたポロックは、いつしか時間も忘れて、熱心に、それに格闘しはじめた。





どれくらい、時間が過ぎたのだろう………

やがて、ノックの音と共に、ドア下の隙間から手紙が差し出された。


手紙には、

「逃げてちょうだい、ポロック教授。もしも、あなたが、それを解読したら、あなたはベシュラービに殺されてしまいます。」と書かれていた。

この手紙は、さっきの女、ヤスミンなのか?




暗号文をキャンディの包み紙にくるんで、ポケットにしのばせると、ポロックは部屋を出た。




目指すは、ヤスミンの部屋である。



こっそり侵入したポロックの耳に聞こえるのは、どこかで流れる水の音。



ヤスミンはシャワー室で入浴中だった。

「さっきの手紙は君なのか?」シャワー・カーテン越しにポロックが問いかけると、中のヤスミンは驚いた様子だった。


「なぜ、まだ、ここにいるのよ?早く逃げてちょうだい!」

そこへドアをノックする音がして、ベシュラービの声が聞こえた。

慌ててヤスミンは、シャワー室の中にポロックを引き入れてカーテンをする。



(もう……お願いだから、向こうをむいててよ……)


ヤスミンの無言の命令に、大人しく背を向けるポロック。



ベシュラービがカーテン越しに話すのを、なんとか、やり過ごして出ていくと、二人は、ホッ!と一息ついたようだった。



着替えたヤスミンとポロックは、邸宅を、そっと忍び足で脱出した………。




だが、それは、すぐにベシュラービに感づかれてしまう。



「すぐに二人を追え!必ず捕まえて来い!!」

ベシュラービの怒号に部下が走り出した。




邸宅を出ると、街は夜の様相。

はてさて、二人の運命は………。







『おしゃれスパイ危機連発』、『シャレード』を書いたときに、この映画『アラベスク』を、ふと思い出した。(そういえば、あった!あった!こんな映画が)




これも、ジャンルとしては、60年代のロマンチック・スパイ・コメディ。


なのだが、この映画………いまだにBlu-rayにもDVDにも、なっていないのである。(こんなのが、DVDに以降してから、まだまだ本当に多い。もう平成も終わって令和ですぞ!、なんとかしてくれたまえ、メーカー様!)


遠い昔、もう30年くらい昔、VHSを観た記憶しかない。


錆びた記憶を、フル回転して甦らせて、書いた出だしはどうだっただろうか?(もしかしたら、微妙に違うかもしれないが、多分、大体あっていると思うのだが………)




映画は、『シャレード』と同じ監督スタンリー・ドーネン


この『アラベスク』は、『シャレード』と対というか、双子のような関係の作品だと思ってくれればいい。


音楽も同じ、ヘンリー・マンシーニ作曲なので、『シャレード』と同じテンポで、サクサクと話は進んでいくし。




そして、主演は、ソフィア・ローレングレゴリー・ペック




ソフィア・ローレンは、オードリーよりも、肉感的で健康的だ。




ただ、ソフィア・ローレンの身に付けているファッションがねぇ~…………。



当時、この映画を観たときも思ったものだが、

「あんまり似合ってないなぁ~、オードリーよりも、ちょっとダサいなぁ~」って感じがしてた。



あんまりにもケバすぎて、このソフィア・ローレンのファッションは、あんまり好きじゃない。


一方で、ソフィア・ローレンの小悪魔的な演技は良い分、つくづく残念な部分である。





そんな、ソフィアに振り回される相手役にグレゴリー・ペック(本当にアメリカの善人代表みたいな人)。


『シャレード』に続いて、この役も、まずは、ケーリー・グラントにオファーがあったが、その前にアッサリ引退してしまった。


そして、ケーリー・グラントが断った役は、大体が、昔から、このグレゴリー・ペックに流れていくのである。(本人も、生前インタビューに答えて、笑いながらも気にしている様子だった)



ただ、残念だが、グレゴリー・ペックには、ケーリー・グラントほどのユーモアが欠けてるんだけどね。(なんせ根が真面目ですもん)





ロマンチック・コメディとしては、『シャレード』に一歩劣るものの、何となく気になり、忘れた頃にもう1度観て、『シャレード』の姉妹編として比べてみたくなる。



これは、これで不思議な魅力の映画かも。


星☆☆☆であ~る。

(※Blu-rayかDVD、いい加減出してくれないかなぁ~)



2019年8月11日日曜日

映画 「シャレード」

1963年 アメリカ。







「わたし離婚するわ!」


スイスの観光地に、友人『シルヴィー』と、その息子『ジャン・ルイ』と共に、バカンス旅行に来ていた『レジーナ』(オードリー・ヘプバーン)は、こう、高らかに宣言した。


シルヴィーのやれやれ顔などには、目もくれずにレジーナは続けて言う。


「彼には何か秘密があるのよ …… こんな生活は堪えられないわ …… 」


そんな決心をしていたレジーナに、気軽にナンパしてくる男がひとり。


「あ~どこかで会った?」

『ピーター・ジョシュア』(いつだって軽~いケーリー・グラント)である。


「私、夫がいるの。でも、すぐ別れるつもりだけどね」(断りながらも、なんだか気をもたせるセリフである(笑))




この二人、よっぽどフィーリングがあったのか …… お互いに、パリに帰ったら連絡する約束までアッサリしてしまう。





そうして、離婚に向けていざ行かん!



パリに帰ってきたレジーナが自宅のドアを開くと ……



何も無かった。



家具も、シャンデリアも、クローゼットの中の洋服も何もかも無い。

代わりに待ち構えていたのは、パリ警視庁の『グランピエール警部』である。



夫の『チャールズ』が、何者かの手によって殺害されていたのだ。(離婚しようと思っていたのに。拍子抜け)



「奥さん、旦那さんは家財道具の一切を競売に賭けて25万ドルの現金を得ました。でも遺体からも所持品からも、それらしきものは何も出てこないんですよ。」

チャールズの所持品を、机に上にズラズラ〜と並べるグランピエール警部。




小さなバックには、手帳、櫛、歯みがき粉、万年筆、レジーナ宛の未投函の手紙などなど……本当に25万ドルには程遠い。


続けて、グランピエールは、チャールズのそれぞれ名前の違うパスポートを、次々と見せはじめた。




全部で4つ、偽名のパスポート。

もう、明らかに怪しそうな死んだ旦那の正体。



「なにか心当たりはありませんか?」

何も知らないレジーナは、大きな目を、ただパチクリさせるだけなのである。




夕刻………警察から解放されて、再び、あのガラ~ンとした邸宅に帰ってきたレジーナ。


暗闇の中から、またもや男の人影が。



「ニュースを聞いて、慌てて駆けつけたんだ」


その声はスイスで会った、あのピーターじゃないか?


伊達男ピーターは、「力になるよ」というと、優しくレジーナの肩を抱いてきた。



そうして二人は、暗い邸宅を後にしたのだった。





だが、次の日から未亡人となったレジーナの前に、見知らない男たちが近づいてくる。


メガネをかけた小男の『ギデオン』(ネッド・グラス)。


狼のように非情そうな『テックス』(ジェームズ・コバーン)。




鉤爪の義手をした、ブスッとむくれた顔のスコビー(ジョージ・ケネディ)。


「あんたの旦那は最低な野郎だ!許せねぇーー!!」


いずれもが、夫チャールズの昔の知り合いらしいのだが、どうも恨んでいる様子である。(でも、んな事、いちいち、あたしに言われてもねぇ~)




訳の分からないレジーナに、最後に近づいてきたのは、アメリカ大使館にいる『バーソロミュー』(ウォルター・マッソー)だった。



バーソロミューの説明によると、死んだチャールズと先の恨んでいる3人は、戦争中、ドイツからの金塊輸送の際、それをネコババして隠したらしいのだ。



それを、こっそり抜けがけして、一人で持ち逃げしたのが、旦那のチャールズだった。



(あ~、それであんなに恨んでいるのねぇ~納得!)


「奥さん、何としてもその無くなった『25万ドル』を探してください!それは政府のお金なんです!」


バーソロミューの懇願に、

「無理です、無理!絶対に無理!」と最初は断るレジーナだが、

「女性だって、優秀なスパイになれますよ」とおだてられると、またもや簡単に陥落。



(何だか悪い気はしないわねぇ~)なんて思いながら、またもや、いつもの軽い調子良さが出てくる。



そして、

「やってみますわ!」

レジーナは、アッサリ返事してしまう。


(今日から、私は政府の為に働く『女スパイ』よ …… )


ドキドキ、ワクワク。


こうして、レジーナの素人スパイ活動が始まったのである。




60年代になると、様々なスパイ映画が作られはじめた。



いずれもが、007のヒットに便乗した亜流の映画であったが、この『シャレード』は、大ヒットした。




大きな瞳とスラリとした手足。

少女漫画から抜け出してきたような姿のオードリー。


50年代は、その姿で、恋愛映画の主演をしてきたオードリーも、60年代がせまってくると、別の活路を見いださなくてはならなくなってくる。



そして、見つけたのがミュージカルとサスペンスの分野。


ミュージカルでは、『パリの恋人』、『パリで一緒に』、『マイフェア・レディー』。


サスペンスでは、『おしゃれ泥棒』、『シャレード』、『暗くなるまで待って』。




それらは、いずれも有名だが、オードリーが興業的にも一番成功したのは、実は、この『シャレード』なのである。





ここで、はっきり言い切ってしまおう。




オードリー・へプバーンの演技は、あんまり上手くはない(笑)。




生前、淀川長治先生は、オードリーの事をケチョンケチョンにけなしていたくらいである。

(まぁ、そこまで言わなくてもいいのでは …… )と、逆にフォローしたくなるけど。



「この映画のヒットの要因は何だろう?」と考えた時、ヤッパリ、真っ先に浮かんでくるのが、相手役のケーリー・グラントの《演技の上手さ》だ。



さりげなく、でも飄々としていて、要所要所でキチンと笑わせてくれる。



ケーリー・グラントがクソ真面目な顔をしたり、おかしな事をする度に笑い転げるオードリー。



映画の中で、オードリーが笑っているのは、ほとんど《素》の笑顔なのだ。



そんなオードリーの演技を上手に引き出しているケーリー・グラントこそは、やっぱり名優中の名優なのである。(アカデミー賞を生前、授与しとけばよかったのに)



そんな場面を、名匠スタンリー・ドーネン監督が、手堅く映像におさめている。



ヘンリー・マンシーニの音楽も、さまざまなバージョンで効果をあげる。


全てが、うまいぐあいに重なりあって、この映画はヒットにつながっている。




だからこそ、つくづくオードリー・へプバーンって女優は、運に恵まれていたんだなぁ~と思わずにはいられない。


運も才能の内とは、まさに、この人を指す言葉じゃないだろうか。



これも繰り返し、たま〜に観たくなる映画。(《消えた25万ドル》のありかを知った後でも、充分に面白いよ)


星☆☆☆☆。

それにしても、オードリーもケーリー・グラントも、芝居を越えて本当に楽しそうだ。


映画 「おしゃれスパイ危機連発」

1967年 アメリカ。





たまたま、リチャード・ハリスで、なんの気なしに検索していると、この映画にぶちあたった。


『おしゃれスパイ危機連発』?

知らない。こんな映画があったんだ。



でも、なんだか、オードリー・へプバーンの『おしゃれ泥棒』と『007 危機一髪(ロシアより愛をこめて)』を掛け合わせたような安直なタイトル(笑)。



えっ?あのドリス・デイが主演?


ドリス・デイといえば、ヒッチコックの『知りすぎていた男』。

そこで歌われた『ケ・セラ・セラ』が有名だが、この時が1956年。




それから10年以上たったドリス・デイねぇ~(何かイヤな予感がしたのだが……)


観てみる。


ガビーン!(ヤッパリ)



プラチナ・ブロンドのオカッパ鬘をかぶって、顔中に厚化粧をして、つけまつげ。


60年代のサイケ・ファッションに身を包んだドリス・デイ(当時45歳)のお姿。



化粧会社を行き来する企業スパイ役。

精一杯、無理をしても、その姿は、ただ派手好きで、不気味なメイクをした『オバサン』でした(笑)。



そんなドリス・デイを至るところで、「お嬢さん」と呼ぶ出演者たち。(地獄)



どこが「お嬢さん」???

(この出演者たちの気の使いよう……大変だったんだろうなぁ~)




これを若い女優(当時なら『ジーン・セバーグ』あたり)が演じていたなら、本当に『おしゃれ』ってタイトルも頷けるのだが……まぁ、あきらかに人選ミス。



逆にリチャード・ハリスが、わ、若い!


この時、まだ、30代じゃないのかな?



若いリチャード・ハリスの恋のお相手が、この『ドリス・デイ』だったのは、拷問。


観ていて、ずっと気の毒でございました。




この『ドリス・デイ』も体をはって、年甲斐もなく崖の上に登ってみたり、水をかぶってみたり、スキーをしたり、とんでもないことを一生懸命やってるのだけど………観ていて、始終ヒヤヒヤさせられる。

(オイオイ、こんな年配の方に無茶をさせて………怪我するぞー!、死ぬぞー!)、なんて心配ばかり。(笑)。




全く、どこが《おしゃれ》なのやら……やってる事は、どこかの汚れ芸人の罰ゲームみたい。



この映画は、当時、ヒットしたのかねぇ~(まぁ、多分ヒットしてないと思うのだけど……)



でも、怖いもの見たさで1度観てみるのもいいかも。


とにかく、《おしゃれ》を名乗るなら、最低でも、ちゃんとしたスタイリストやメイク・アップ・アーティストを揃えようね。


星☆☆。

2019年8月7日水曜日

映画 「ダーティ・グランパ」

2016年 アメリカ。







もはや、ふざけた映画といえば、ザック・エフロン


ザック・エフロンといえば、ふざけた映画というように、代名詞になりつつある昨今。(良い意味で(笑))



あの昔の、『ハイスクール・ミュージカル』の王子様然とした姿は何処へ。


今じゃ、「みんな、俺の筋肉美を見てくれぇ~!」と、どの映画でも脱ぎまくりのド変態ぶり。



『ネイバーズ』では、タ●キ●までブラブラさせて、

『ベイ・ウォッチ』では、筋肉美は、もちろんだが、ゲロをはきながらスイミング。

この筋肉モリモリの体で、アンバランスな女装姿。


ドウェイン・ジョンソンとの海中での、グロいキス(もとい、人工呼吸)なんて、事までしている。


もはや、失うものなどないのか?ザック・エフロンよ……。



その姿は、往年の、どこでも脱ぎたがるケヴィン・ベーコンや井手らっきょを彷彿させて、凌駕している。



で、この『ダーティ・グランパ』であるが、これもきっと、まともな映画であるはずもない(笑)。



観た。

そして、やはり………と思ったのだが、ザック・エフロンじゃなく、別の方でおったまげた。


なんじゃ、この映画はーーーー!





父親と同じように企業弁護士になったジェイソン・ケリー(ザック・エフロン……悪いけど全然弁護士に見えない(笑))の前途は揚々。


来週には、同じ事務所のユダヤ女性メレディスとの結婚が控えている。


そんな折、闘病中の祖母が亡くなった。



意気消沈している祖父ディック(ロバート・デ・ニーロ)を慰めるジェイソン。



ディックはジェイソンに、あるお願いをする。

「フロリダへ連れていってくれ。妻との思い出の土地なんだ。」と。



白内障で車の免許を返納したディックの懇願に、人の良いジェイソンは断れるはずもなく、
「分かったよ、じいちゃん」とふたつ返事した。


そして、次の日。

ディックの家を訪問したジェイソン。

そこで見たものは…………。





リビングで素っ裸で、●●●映画を観ながら、●●●●をしているディック(ロバート・デ・ニーロ、72歳)の姿だった!!



「な、な、な、何やってるの?!じいちゃん!!」(この衝撃シーン!)



「待っててくれ、もう少しでイ●そうなんだぁーーー!!」(ヒィーッ!デニーロの今まで築き上げてきた俳優人生が……ガラガラと崩れ去っていく……)



慌ててドアを閉めるジェイソン。



ドアの奥ではジジイの絶叫「イクーーー!」が響き渡った。(なんやねん、これ(笑))



事が済んで、スッキリした、このジジイ、もといディックは、昨日のしおれた姿とは、うって変わって元気モリモリ。


自宅の鉄棒でエッチラ、コッチラ懸垂まで始めやがった。


呆れ返るジェイソンだが、気をとりなおしてディックを車にのせると、フロリダに向けて車をスタートさせた。


車中でも、ディックは酒をがぶ飲み、やりたい放題。


「婆さんが言ったんだ。『私が死んだら、あなたのやりたい事をやって生きていってくれ』と。俺はやるぞー!若い女とヤリまくってやるんだぁーーー!」


ディックの勢いは加速していく。


(やれやれ、この旅はいったいどうなるんだ………)

そして、ジェイソンの嫌な予感は、この後、恐ろしい形で適中するのだった………。






じいさんと孫のハートウォーミング・コメディー ………とは、とても言えないこの映画。



この冒頭からも分かるように、次から次に、繰り出す下ネタの連続にクラクラ。


フロリダに行く前に立ち寄った店で、ディックとジェイソンは、ジェイソンの高校生の時の同級生シャディアと再会する。


シャディアは、ゲイの黒人ブランドレーと女友達レノーアと3人で、デイトナ・ビーチに行く途中。


そのレノーア、年寄りや大学教授などの肩書きが大好き。

「わしは大学教授なんだ」



ディックのついた嘘に、

「あら~ん、じゃ、私を追いかけて来て、デイトナ・ビーチに行きましょうよぉ~」と、モーションたっぷり。



3人が先に車で出発してしまうと、

「わしは、あの女と一発するぞー!」と雄叫びをあげる。


「なぁ、ジェイソン、わしの願いを聞いてくれ!」、わしの●●●を、あの女の●●●に突っ込みたいんじゃー!」(なんて生々しいお願い。活字としても書くのをためらってしまう)



ジェイソンは、こんなエロジジイ、ディックの願いを断らず、デイトナ・ビーチへと向かうのである。




それにしても、こんな役を、あのロバート・デ・ニーロが引き受けるとは………。



もはや、アカデミー賞も取り、これから先の人生、何でもありのデ・ニーロなのか。


それともザック・エフロン菌に感染してしまい、ストッパーが外れてしまったのか(笑)。




もちろん、ザック・エフロンの変態ぶりも健在。


デイトナ・ビーチの夜、乱ちき騒ぎで、酔って、ハイになったジェイソンは、全裸にミツバチのチンコ・ケースだけの姿で、バイクにまたがり、夜の町中に消えていく。(ザック・エフロンの真骨頂よ)


朝、目覚めれば、砂浜にミツバチのチンコ・ケースだけの恥ずかしい格好。



それを見つけた子供が、「あー、ミツバチだ!それちょうだい!ちょうだい!」と剥ぎ取ってしまう。


「あっち行け!このクソガキ!」と、もはや完全に全裸状態のジェイソン。


それを見つけた子供の親が、

「うちの子供に何してやがる!このド変態野郎!」とジェイソンに一発お見舞い!


全裸の恥ずかしい姿のまま、砂浜を転げ回るジェイソンなのだった。(何て姿なのだ……トホホ(笑))




こんな整った顔で、やっている事は、もはや、日本のバラエティー番組のヨゴレ芸人以上のザック・エフロン



そして、隙あれば、「浣腸ー!浣腸ー!」とザック・エフロンにイタズラするロバート・デ・ニーロは、まるで、バラエティー番組のビートたけしのよう。


この二人のヨゴレっぷりに、ただ、ただ感心してしまった。


ここまで、演じられる俳優を観れば、こりゃ、アメリカ映画の夜明けは近いかもしれない、と思う今日この頃なのである(笑)。


星☆☆☆

お粗末。

※こんなに●だらけで分かるかな~、分かる人には分かるってことで (笑)

2019年8月6日火曜日

映画 「夢だと云って」

1998年 フランス。








フランスの片田舎で農場を営む両親、頑固なおばあちゃん、歳の近い弟ヤニックと妹マリオンに囲まれて、ごくごく普通の生活をおくる『ジュリアン』は、19歳。



ただ …… 少し …… 発達障害がある。



そんなジュリアンを寛大に見守りながらも一家は、なんとか暮らしてきたが、ここ最近、ジュリアンの様子がどうもおかしい。


牧場で飼っている牛のジュリエンヌに、ジュリアンが話しかける。


「なぁ、俺もキスしたい。ジュリエンヌ、お前もキスしたいか?」

頭の中は子供でも、体は成人と変わらないのだ …… どんどんと性欲的なモノは増してくる。



そのアンバランスさで、ジュリアンの奇行は、日増しに酷くなってきていた。



果ては、弟ヤニックの彼女を追いかけ回して、

「キスさせろ!キスさせろ!」と言う始末。(相当アブナイ)


近所や警察からも苦情が殺到している。




やがて、弟の彼女を強姦魔のように押し倒して、無理矢理キスしてしまったジュリアン。(これは、もう犯罪でしょ)



弟ヤニックはカンカンに怒りながら、「お前なんか死んじまえぇ~!」と飛びかかってきた。(当たり前だ)





それを両親が引き離すと、ジュリアンは泣きながら自暴自棄になって、自分の腹を自分で切りつけたのだった。(ヒェー!)


さいわい、傷は浅くたいした事はなかったが、もう、こんなジュリアンをここに置いておくことはできない。



警察の説得に父親も、これ以上は無理だと判断したのか、とうとう「施設へ入れよう」と言い出した。


「イヤ……イヤよ」母親はオロオロしながら、挙動不審。



そんな母親を侮蔑するように見つめるヤニック。


妹マリオンは黙っている。(もう、しょうがないと半端諦めているのか …… )




そこへ、一家の大黒柱、おばあちゃんがきりだした。


「施設へ入れるのは反対だよ!」


そして、「 ……… もう、すでに一人入っているし」。


「えっ?!」


ジュリアンもヤニックもマリオンも唖然。


父親は目を伏せ、母親は目線が定まらない挙動不審が激しくなる。


「嘘よ、何の事を言ってるの、おばあちゃん ……… 私の子供たちは、皆、全員ここにいるわよ …… 」

母親の笑顔はひきつりぎみだ。



「もう、真実を言うべきだよ!」

そう言うと、おばあちゃんは語りだした。



ジュリアンより、ひとつ上の兄がいるのだが、その子は産まれた時から【重度の障害児】で、医者も「この子はきっと育たない。施設にいれた方がいい」と匙を投げるくらいだったのだ。



だが、その子は行き長らえた。



重度の障害なれど医学の進歩か、はたまた奇跡か。

20歳になった今も、生きて施設で暮らしているという。


「俺に兄貴がいるの?」ジュリアンや弟、妹たちの興奮をよそに、いよいよ母親は錯乱しはじめた。


「何を言ってるの?おばあちゃん ……… 私の子供たちは皆ここにいるわよ。」

「やめて、やめてちょうだい!お願い!私から子供を取り上げないでぇー!」

そう絶叫すると母親は暴れだした。(どうも、障害者が産まれるのは、この母親の血統のような気がしてならない)


医者が来て、母親には鎮静剤をあたえられた。



それから、しばらくして、ジュリアンはバイクの後ろに荷台を結びつけると、そこにおばあちゃんを乗せて、いざ出発した。


まだ、見ぬ兄のいる施設へ向けて ………






この映画を観たのも、もう20年近く前か……。


まったく無名の監督、俳優(ほとんどが素人)の、この映画を何の知識なしで、偶然のように観たのだが、これも印象に残っている。



当時、これを観た時も思ったのだが、ほんと、


「何てフランスって寛大な国なのだ!」

っていうのが正直な感想。




こんなジュリアンを、「ちょっと変わっているだけ」と受けとめて普通の生活をさせているのが、まず信じられない。



ジュリアンの所業は、もはや犯罪レベルだし、即、逮捕か、強制連行されてもおかしくない。

それなのに、警察も家族の判断に任せて、おとなしく待っていてくれる。


そして、ジュリアンを結局、施設へも入れなくて、まるでお咎め無しなのだ。(日本では考えられない)



被害者は被害届すら出さないのだろうか?

片田舎のフランスでは、こんな出来事も、どうやら大騒ぎしないらしい。




そして、この家族、こんなジュリアンにバイクまで買い与えている。


バイクに乗って自由に公道を乗り回すジュリアン。(そもそも、こんなジュリアンに免許をとれるのだろうか?無免許?それも、もはや犯罪レベルだが)




ここまで読んでみてもお分かりのように、

「この映画、何だかオカシイ」と思う人が絶対にいるはずだ。




この映画を、当時「ヒューマンドラマ」だの、「監督がドキュメント風に撮りたくて素人を採用した」のと言う人たちもいたが、とんでもない話である。




これは一種の《おとぎ話》なのだ。



障害者だってキスしたいし、恋愛したい。

バイクにだって乗りたい。



そんな夢を具現化したファンタジーなのだ。


だからこそ、画面からは現実離れしたような空気が、フワフワと漂っている。




後半、自分よりも、不具な兄がいた事を知って、

「自分は兄よりもマシで、こんな事も、あんな事もできる」と、急に自信を取り戻すジュリアン。



たまたま知り合った女性とキスまで、こぎつけてしまう。(ん〜あり得ない)




これは、やっぱり現実味のない《夢物語》なのかも。(そもそも映画のタイトルが『夢だと云って』と言ってるし)



でも、この映画が、少しでもそんな人々の支えになるなら、こんな映画も、やっぱり有りなのかなぁ~。


星☆☆☆。