2020年3月28日土曜日

映画 「ブレイク・アウト」

1975年 アメリカ。






たった今、チャールズ・ブロンソンの『ブレイク・アウト』を観終わったとこ。



懐かしい~。



これも、大昔、日曜洋画劇場で放送していたっけ。



この『ブレイク・アウト』のDVD、嬉しい事に、日本語吹き替えの追加収録までしていて、《 ブロンソン 》=《 大塚周夫(おおつかちかお)さん 》を、心ゆくまで完全に堪能できるのだ。



やはり、ブロンソンと言えば、《 大塚周夫(おおつかちかお)さん 》。

《大塚周夫さん》



この声に、慣れ親しんだ世代には、誠に嬉しい限りの、お宝のようなDVDなのである。




この大塚周夫さん、リチャード・ウィドマークの吹き替えも専門でやってらしたので、今思うと、ブロンソンもウィドマークも、大塚さんの声で好きになったんじゃないかと思えるほどである。



「この俳優には、この吹き替えの声じゃなきゃダメ!」なんてものが、我々、世代には絶対にあるのだ。






さて、この映画、『ブレイク・アウト』だが、お話自体は、なんてことは、ない話。



無実の罪でメキシコの刑務所に収監された『ジェイ』(ロバート・デュバル)を妻の『アン』(ジル・アイアランド)が救おうとして、金のためなら何でも請け負う『ニック』(ブロンソン)に脱獄を依頼するお話。



この映画を、ブロンソンの声と字幕スーパーでも観てみたのだが、何なんでしょう………やはり物足りなかった。




観るべき、見せ場、見せ場は、確かにあるのたが、今の時代の目で観ると、やはり展開が、いささかノンビリし過ぎていて、古くさいように感じてしまった。(決してつまらなくはないのですよ)




だが、吹き替えの大塚さんの声で観ると、それに何かが加算されたように、イキイキとしてくるのだ。



ここでの『ニック』(チャールズ・ブロンソン)の吹き替えは、大塚さんにしては、珍しくべらんめぇ調の声でニックの声をあてている。



金のために、脱獄を成功させるために、あちこちで、口八丁のブロンソンなんてのも、また珍しいものだ。



ブロンソンの芝居に、大塚さんの声が乗っかると、平坦な映画でも、まるで別の命が吹き込まれたようになってしまう。



これが、声優としての力なら、まさにプロ中のプロの仕事である。




残念ながら、2015年にお亡くなりなってしまったが、大塚周夫さんの声は、今でも、この世には残っている。




生きている我々は、この声を楽しみながら、これからもブロンソンを楽しみたいと思う。



名吹き替えがプラスされて、

星☆☆☆☆であ~る。

2020年3月26日木曜日

映画 「自殺への契約書」

1959年 フランス。






『マランバール』(ポール・フランクール)は、車を走らせながら、夜の町を急いでいた。



(すっかり遅れてしまった……)


目指すピカール邸に、やっと到着すると、集まった10人は既に会食を終えていた。




マランバールを入れて、15年ぶりに集まった11人の仲間たちだった。


そんな男たちばかりの集まりに、紅一点、クールな顔立ちの女性が、一人いる。



『マリー・オクトーブル』(ダニエル・ダリュー)………。


15年ぶりに見た彼女だったが、やはり凛とした佇まいと、美貌は変わらずに健在。


今は、この邸の主人『ピカール』の出資で洋裁店を経営しているという。




戦争中、彼らはフランスの抵抗運動の為に、共に闘った同士だった。


だが、目的を果たす、解放の数日前、リーダーの『カステーユ』が、会合をしている時、いきなり、ドイツ兵の襲撃にあい、射殺されたのだ。



今日は、そのカステーユの命日。



リーダーの命を弔い、集まった仲間たちなのである。



皆が集まった事を確認すると、ホールにいるそれぞれの顔を見渡し、マリーが話し出した。


「みんなに集まってもらったのは、他に別の理由があるのよ。実はカステーユの死の真相について、最近、分かった事があるの。」


マリーの突然の話に、途端に、ざわつき始める男たち。


そんなマリーのそばには、加勢をするように、すぐそばで、出資者ピカールが立っている。




マリーの話によると、洋裁店にドイツ貿易商が現れて、話してくれたと言う。


「あのカステーユの襲撃には《 密告者 》がいた!」のだと。


貿易商は、その密告者の名前は忘れていたが、それがここにいる《 仲間のうちの誰か 》なのだというのだ。


「それが本当なら、そいつは許せない!」

「誰だ?!いったい!?」口々に叫ぶ者やら、押し黙っている者もいる。




それをピカールは制すと、

「そいつを見つけ出す為に、こうして集まってもらったんだ」と言い放った。




そうして、テーブルに紙とペンを置く。


「密告者には、自分の罪を自白して書いてもらう。そして、このピストルで自ら自殺してもらうつもりだ!」


テーブルに、再び、置かれるピストルが異様なにぶい光を放っている。



《 密告者 》をあぶり出す為、それぞれの長い夜が始まろうとしていた………。



名匠ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の1本である。




このblogで、以前取り上げた『わが青春のマリアンヌ』や『殺意の瞬間』のデュヴィヴィエなのだが、私が最初にデュヴィヴィエにふれた映画は、実は、この『自殺への契約書』が、はじめだった。



やはり、変わった邦題に惹かれて。



『自殺への契約書』って何じゃろ?



誰だって、ひとめで疑問に思ったり、関心をもつようなタイトルである。(デュヴィヴィエ作品には、こんな素晴らしい邦題がついているので、ことさら注目してしまうのだが)




この映画を観たのは20歳くらい。



それも遥か、遠い昔の記憶なので、ここに書いた筋書きと多少は違うかもしれないが、大体は合っていると思うのでご勘弁を。


と、いうのも、この『自殺への契約書』も、またもや、Blu-rayにもDVDにもなっていない為である。



そう、VHS時代に観た記憶だけで、ツラツラ書いてるのだ。




でも、デュヴィヴィエといえば、なぜか、この映画が印象的。



この後には、邸の中で繰り広げられる『犯人』をあぶり出すためのディスカッションが、「あ~でもない」、「こ~でもない」と繰り広げられるのだ。



まるで舞台を観ているような感覚になるのは、ほぼ屋敷から出ない為。



11人の言葉の羅列だけで魅せるのは、法廷劇『12人の怒れる男』にも似ているかもしれない。





その中の登場人物たちも、当時としては、中々、豪華な面々が集められている。




『悪魔のような女』で高圧的な夫ミシェル役だった『ポール・ムーリス』もいれば、

『死刑台のエレベーター』や『現金に手を出すな』など、ギャング映画で名をはせた『リノ・ヴァンチェラ』もいる。(鼻が特徴的)


『レ・ミゼラブル』でジャン・バルジャンを追い詰める嫌な警部役をした、『ベルナール・ブリエ』なんて姿も。





あの顔も、どの顔も、「アララ、この人、どこかの映画で、お見かけしたような人たちだわ……」なんて思うくらいだ。(まぁ、単に自分がオッサン俳優に精通してるって事もあるだろうけど(笑))





そして、この映画には、冷酷な結末が待っている。



「決して、『犯人』は見逃せない!」と、いう冷酷で無情な裁きが………。





紅一点のダニエル・ダリューが、また良い顔をしている。


弓なりの眉に、固く結んだ小さな口は、1度決めたらやり抜こうとする、意志の強さを感じさせる。(「裏切り者は絶対に許さんぜよ!」なのだ)



これも早く、DVDでもBlu-rayでもしておくれ~!!


傑作なんだからさ。

星☆☆☆☆☆。

2020年3月22日日曜日

映画「ベン・ハー」

1959年 アメリカ。





ベツレヘムの星が輝く時、あの、歴史に名を残す偉大な救世主が誕生した。


『イエス・キリスト』だ。




それから、26年経ったユダヤ人が住む辺境のイスラエル。

大勢のローマ兵たちが軍を率いてやってきた。


その中に今や軍司令官となった『メッサラ』(スティーヴン・ボイド)の姿も。



「メッサラ、わが友よ……」

子供の時から仲の良かった『ジュダ・ベン・ハー』(チャールトン・ヘストン)は、友の帰還を喜び、すぐさま駆けつけた。


だが、………




すっかり変わってしまったメッサラ。



冷酷で非情で、目的を果たす為には手段を選ばない男に。



ローマ軍に従わないイスラエルの民は、税金も納めない者がいるばかりか、ローマの総督を崇めようともしない。

救世主の存在を信じて祈るばかりの日々だ。



「ジュダ、ローマ軍に味方しないか?」

ユダヤの貴族で昔ながらの友、『ジュダ』を仲間に引き入れられればイスラエルの民を味方にできるかもしれない……メッサラは、そう考えたのだ。




だが、ベン・ハーは、その申し出を断った。



(この野郎~………)可愛さ余って憎さ百倍。


自分の意に従わないベン・ハーに腹をたてたメッサラは、卑怯な罠を仕掛けて、総督暗殺の罪をベン・ハーに押し付けた。



「何かの間違いだ!俺は何もしちゃいない!!」



ベン・ハーの必死の訴えもむなしく、母と妹も同罪として、どこかへと連れていかれた。



そして、ベン・ハー自身は、鎖に繋がれて奴隷。

戦闘用のガレー船へ、船こぎとして引っ張られていく。





灼熱の砂漠を、何人もの奴隷たちが、ローマ軍に引っ張られて進み続ける。


「さっさと、歩け!」

容赦なく振り回されるムチ。



痛みに耐えながら、ベン・ハーの目は復讐に煮えたぎっている。


(畜生………メッサラ!………)

喉の乾きに、フラフラになりながらも、(決して、ここで倒れてなるものか!)の意地だけでつき進む。



しばらく歩き続けると、町が見えて、ひとまずは休憩。(ローマ軍も喉がカラカラなんよ)



「水を飲むのは俺たちからだ!その次は馬!お前たち奴隷は、その後だ!」

町民たちが汲んでくる水を、ガブガブ、おいしそうに飲むローマ兵と馬たち。



やっと俺たちの番と思いきや、

「お前は水を飲まなくてもいい」と、ベン・ハーの目の前で、水を取り上げるローマ兵。(超イケず~)



そんな事をされて、さすがのベン・ハーの気力も、そこで尽きてしまった。


その場で、バタン!と倒れこむベン・ハー。


(あぁ~、もうダメかも………しれない……)



そんな朦朧(もうろう)としているベン・ハーの頭上に、射す一人の影。


その人物は、親切にベン・ハーを抱き起こすと、水を飲ませてくれた。



それを目ざとく見つけたローマ兵。

「お前、余計な事をするんじゃない!」と、ムチを振り上げて近づいてきたが、その人物を見た途端、顔色が変わり、その手が一瞬で止まってしまった。



全身から発する、気高いオーラに気圧されて、モノも言えなくなってしまったのだ。


ベン・ハーを介抱した人物、その人こそ、あの『イエス・キリスト』だったのである…………。




名作、『ベン・ハー』を久しぶりに観賞しました。



『ベン・ハー』自体、何度も映画化されていて、この1959年版は3度目の映画化なのだが、もはや『ベン・ハー』といえば、これが決定版とされている。



そのくらい記録ずくめで、アカデミー賞では、史上最多の11部門を受賞。


現在、2020年でも、この記録はやぶられておらず、まさに怪物的な、とんでもない映画である。




『ベン・ハー』というと、有名な戦車の対決シーンばかりが、槍玉にあげられるが、そんなものは、212分の中のほんの一部。



この映画の主題が、主人公『ベン・ハー』の数奇な運命と、イエス・キリストとの関わりだというのは、観れば明らかだ。


世界中に、どれだけのキリスト信者がいるか知らないが、そんな人々にとっては、この『ベン・ハー』で描いているキリスト像は、まさに理想のキリスト像であり、崇めたくなるのも納得なのである。



無神論者の自分には、理解しがたいが、キリストを『神』の再来だと信じる人々には、この映画はまるで聖典扱い。


今でも《 魂の救済 》のような位置付けなのだから、ヘタな事でも言おうものなら、世界中から袋叩きになりそうで、ちょっと恐い。(ここで取り上げるのも少しビクビクしてる)




主演のチャールトン・ヘストンは、もちろん、この作品でアカデミー主演男優賞を受賞している。



映画の最後、キリストのおこした奇跡で母と妹の命を救われた『ベン・ハー』。

「神に感謝します!」と、母と妹を、涙で抱き寄せるベン・ハーで、映画は幕になる。




昔から思っているが、このチャールトン・ヘストンって俳優は特異な俳優だ。


この人を見ると、なぜか?「ドM?」と思ってしまう。



苛められたり虐げられたりする役になると、何だか、妙に、変な本領を発揮するのである。



191㎝もある立派な体格をしているのに、なぜか?ドS心を揺さぶるような芝居をするのだ。



裸で、腰布1枚で、鎖に繋がれて、ムチ打たれるのが、さまになる俳優なんて、ほんと、ヘストンだけじゃないだろうか。



その、泣き顔や情けない顔は、「もっと打ってちょうだい!」とお願いしているように見えてしまう。(変態か!(笑))





映画『猿の惑星』でも、『十戒』でも、同じように鎖に繋がれて、素っ裸で腰布1枚で奴隷扱いされているヘストンを見ると、

「やっぱり、サマになってるなぁ~、適役だなぁ~」と、ほとほと感心してしまう。




こんなチャールトン・ヘストン自身は、自分の隠れた資質を知っていたのかな?



そんなドM演技の開眼で、アカデミー賞受賞も納得。

充分値するのであ~る。


星☆☆☆☆☆。

(我ながら、なんて感想なんじゃ~(笑))

2020年3月20日金曜日

映画 「うるさい女たち」

1987年 アメリカ。






明日のスターを夢見る『ローレン・エームス』(シェリー・ロング)は、何事にも全力投球。


フェンシングでも、バレエでも、ありとあらゆるレッスンは、自ら進んで受けまくり。


夢は大舞台でシェークスピアの『ハムレット』を演じる事だ。





そんな時、有名な舞台演出家『コゼノフスキー』が主催する演劇塾のニュースを耳にする。


(これはチャンス!どうしても、この塾に入らなくては!)


「パパ、ママ、お願いよ~!」

渋る両親を説得して、やっと授業料を工面したローレンは、オーディション会場に急いで駆けつけた。




そこで出会った、まるで場違いな女。




「ここコゼノフスキーのオーディション会場?」



見るからに下品そうな『サンディー』(ベット・ミドラー)の登場に眉をつりあげるローレン。


「あなたもオーディション受けるの?私もよ。私の夢はシェークスピアの『ハムレット』に出演することなのよ」


得意気に言うローレンに、サンディーはポカ~ン。

「何それ?シェークスピアって?」って答え。


(この女、シェークスピアも知らないで、ここに来るなんて……アホなの?お門違いもいいところだわ)


そんなローレンの心の声が聞こえたのか、サンディーもカチン!


「何さ、お高くとまっちゃって!」ってツッケンドンに言い返してきた。


(感じ悪い~……)

(お互い様………)

最初から第一印象なんて最悪の二人。




しかも、演劇の知識もないのに調子の良さだけで、コゼノフスキーに気に入られてしまったサンディーは、塾に合格してしまった。


(何で?あの女が?)


それからは、毎度のようにレッスン場で顔を付き合わせるローレン。


イライラ……ムシャクシャ………キィーッ!





でも、こんなイライラした気持ちも《あの人》に会いに行けば、すぐにおさまる。




愛しい、愛しい、マイケル………。


「あなたみたいな素敵な人が……今まで、どこに隠れていたの?あ~ん、マイケルゥ~」

ローレンは、偶然知り合った『マイケル』(ピーター・コヨーテ)に身も心もメロメロだった。




(恋だって演劇だって、必ず上手くいかせてみせるんだから………)




そして、今日もマイケルと待ち合わせの場所に、いそいそと向かったローレンだったが………なんと!


目の前で、店が突然、大爆発した!💥



「キャアアー!マイケルゥ~!」



ガス爆発で、店どころか、周辺は粉々で跡形もない有り様。






それから、しばらくして、呆然自失のローレンは、遺体安置所にいた。

目の前には、布がかけられて、ベッドに寝かされたマイケルの無惨な遺体。


「残念ですが、顔は判別できないほどでして………」

検死官の言葉に、ローレンは、「Oh!、マイケルゥ~!」と泣き叫ぶばかり。😭





そこへ、いきなりズカズカと、ドアを開けてやってきた、《 あの人物 》。


よもや、あの『サンディー』が現れたのだ!


そうして、サンディーは遺体に近寄ると、「あ~あたしの愛しいマイケルがぁ~!」と叫びだしたのだ。


「何を言ってるの?マイケルは私の彼氏よ!!」

「私が彼女よ!!」

なんと、マイケルは、ローレンとサンディーの二股をかけて付き合っていたのだ。



「嘘よ!!」、「何よ!この女!」


はなから嫌っていた二人は、マイケルへの愛しさも重なって、猛烈な取っ組みあいの大喧嘩を始めた。


掴み合い、殴りあい………やがて、ベッドに横たわるマイケルにかけられたシーツが、床にスルリと落ちる。


すると、マイケルの裸にされた下腹部があらわになった。





しばし、喧嘩を中断して、マイケルのイチモツに、ジーッ、と目がとまる二人。



「何これ?こんなのマイケルじゃないわ!」

「マイケルのは、もっと立派よ!こんな粗チ●じゃないわよ!」(コイツら、本当言いたい放題だな(笑))



と、いうことは別人!


「マイケルは生きてるわ~!」

先程の喧嘩なんて忘れて、キャッ、キャッ、と喜びあう二人。😄



でも、それも束の間、「ハッ!」として離れると、ローレンが言い出した。


「こうなったらマイケルを見つけ出して、どちらが彼女にふさわしいか、決めてもらいましょう!」

「いいわよ!のぞむところよ。そのかわりズルはなしよ!」





変なところで意気投合した二人は、早速マイケルの手がかりを探して動き出す。


だが、そんな二人の後をつけ狙う怪しい人影が…………。






シェリー・ロングベット・ミドラーのハチャメチャ珍道中コメディー。



これ、いまだ、DVDになってないのだ。

VHSの時代に観た記憶だけ。



遠い記憶をフル回転しながら書いていると、やはり長~くなってしまう。(それにしても、良く覚えているなぁ~、と我ながら感心してしまうのだが)



これも最近、よくblogであげている男女の三角関係のお話なのだが、全然シリアスなんてもんじゃないし、逆に笑いどころだらけ。




愛しのマイケル探してどこまでも……。



マイケルが飛行機に乗って、行ってしまった。



すぐに後を追わなければ……でも、

「あいにく、次の便は満席でございます」と受付のオバサンからは、けんもほろろ。



そこで二人は変装して、得意の演技力を発揮する。


「アノ、ワタシ、ドウシテモ飛行機にノリタイよ。コレ、姉さん。英語話せない………飛行機に乗ってパパに、アイタイよ!パパ~!」


片言の英語で、異国人に成りきり、同情をひくために、チラチラ受付を見ながら、泣き落としにかかる。



それにウンザリした受付のオバサンも、

「こんな猿芝居、久しぶりに見たわ。もういいわよ。とっとと乗りなさいよ」と、呆れた風で、とうとう根負け。(よ~やるよ)



ヘタクソな演技でも、


「とにかくやってみれば、どうにかなるさ!」


のクソ度胸だけで、シェリー・ロングベット・ミドラーが、次々と、ヘンテコな演技をしていくのが、超オカシイのだ。




こんな痴情のもつれの珍道中は、やがて、《スパイ合戦?》へと変わっていく。





たま~に、この映画も思い出して、「あ~、もう1度観てみたいなぁ~」と思うのだが………



やっぱりDVDやBlu-rayになってない。



何で?



こんな風に、ずっと置き去りにしている作品も、そろそろ、どうにかしてほしいものなのですがね。



以前、ここで取り上げた『探偵スルース』にしても、『コピー・キャット』にしても、何で?いまだにDVDやBlu-rayにならないのか?(権利がそんなに難しいのか?)


出せば、必ず需要があるはずですよ。(自分だったら買いますね)



「うるさい!」となんと言われようと、これからも、このblogでは、そんな作品を取り上げてみては、ここで訴えていこうと思うのである。


是非、賛同を!

星☆☆☆☆。

2020年3月17日火曜日

映画 「ナイル殺人事件」

1978年 イギリス。







「リネット、私、結婚したい人がいるのよ!」



旧知の親友『ジャクリーン』(ミア・ファロー)は、訪ねてくると藪から棒に切り出した。



(可哀想なジャクリーン……実家は破産して落ちぶれてしまって………)


いまや、アメリカ一の大富豪で、巨額の遺産相続人となった『リネット』(ロイス・チャイルズ)は、憐れみの表情で、「まぁ、おめでとう」と言うのが精一杯だった。




「でも彼も私も文無しなの。そこで彼を雇ってくれないかしら?お願いよ!」


(ジャクリーンの彼氏を雇う?………まぁ、それくらいは慈悲の心で手助けしてやってもいいかもね)





ジャクリーンは嬉々として、彼氏の『サイモン・ドイル』(サイモン・マッコーキンデール)を連れてきた。




スラリとした、それでいて逞しい体。

顔は二枚目の超ハンサム。



「これなら安心して任せられそうね」

リネットは、そう言いながらも心では、もう決断していた。



(ジャクリーン、この人は貴女には勿体ないわ。私が頂くわよ)と………。




美人で若くて大富豪のリネットに不可能はないのだ。

欲しいモノなら何だって手に入るんだから。



そうして、サイモンを略奪して数ヶ月後には、とうとう結婚までこぎつけたリネット。



「新婚旅行はどこがいい?」

いまや、リネットに骨抜きにされたサイモンが聞くと、リネットは答えた。



「もちろん、『エジプト』よ!」と。




ご存知、アガサ・クリスティーの名作の映画化である。



クリスティーの小説を、若い時に熱心に読んでいた自分には、今、この歳になってみて、やっと分かった事がある。


クリスティーが、いつまでも『愛される理由(わけ)』が………。



誰にだって、自然のように発している言葉や行動の裏には、ひた隠しに隠したい《理由》や《本音》があるのだ。



それは誰にも知られたくないデリケートな部分。



でも、人間ゆえ、何気に発した言葉や行動の端々に、それを垣間見せるようなモノが、時として、「ヒョイ!」と顔を出してしまう瞬間がある。



それは、まさにスリリング。


大抵の人は、それにも気づかずにやり過ごすだけなのだが、《 ある誰か 》にとっては、それは、時として、とんでもない化学反応を、起こす事もあるのだ。


そんなものを、クリスティーは上手くすくいあげて、小説にしてしまうのである。



だから、クリスティーの小説は繰り返し読んでも面白いし、いつまでも色褪せないのだ。





冒頭に書いた、リネット、ジャクリーン、サイモンも、それは、しかりで、複雑な《本音》や、その《理由》を抱えていて、まんま単純な人間たちじゃない。



そして、それは他の登場人物たちにしても。



エジプト旅行でやってきたリネットとサイモンが出会う人々も、また、それぞれが複雑な《本音》を隠している。



リネットの付き添いメイド、『ルイーズ』(ジェーン・バーキン)は、彼氏と結婚するのに高額な持参金目当で、高圧的なリネットに我慢する日々。

でも、心の中では「畜生!あの女~!」なのだ。(分かるよ、その気持ち)





弁護士でリネットの財産管理人の『ペニントン』(ジョージ・ケネディ)は、裏で勝手に、リネットの財産を私物化した事がバレやしないかとヒヤヒヤ。






富豪のワガママな老婦人『ヴァン・スカイラー』(ベティ・デイヴィス)は、自身の盗癖に悩まされているが、リネットが首にかけている真珠のネックレスを目の当たりにすると、ヨダレを垂らしそうなくらいだ。






そんなヴァン・スカイラー婦人に仕えている付き添いの『ヴァワーズ』(マギー・スミス)は、今の現状にイライラ。


「リネット………あの女の父親がうちを破産させたもんだから、私があんなクソババァ(ヴァン・スカイラー婦人)に顎でこき使われる日々なのよ。こんな惨めな暮らしも全部アイツらのせいなのよ!」



リネットを見つめる目は、憎悪にみち溢れている。






『ミセス・オッタボーン婦人』(アンジェラ・ランズベリー)は恋愛小説家だが、リネットに「低俗なエロ小説!」とけなされて、ヤケクソになり、毎日が酒浸り。


そんな母親が心配な娘『ロザリー』(オリビア・ハッセー)は、終始目が離せなくて、精神的に、もうクタクタだ。





「どれも、これも全てリネットのせい………」



誰もかれもが、様々な《理由》で、リネットを恨む《本音》を隠しているのだ。




そして、恋人サイモンを奪われたジャクリーンも ……… 。




クリスティーの小説には、無駄な脇役たちなんて一人も存在しない。




こんな気持ちを隠しながら演じられる楽しさは、たとえ脇役でも役者冥利に尽きるのだ。

だからこそ、有名俳優たちは、こぞって出演をO.K!するのである。




そんな一癖も二癖もあるような人物たちの《本音》を暴いてゆくのが名探偵『ポアロ』(ピーター・ユスチノフ)。



当時、ピーター・ユスチノフが大好きな淀川長治先生の身贔屓(みびいき)で、なぜか?ユスチノフのポアロ・シリーズは、繰り返し定期的に日曜洋画劇場で放送されていたものである。(淀川先生は太った男の人が好み)



たまにテレビをつけると、「ありゃ、また、やってるわ」ってな感じで観ていた記憶。

まぁ、あればあるで、のめり込んで観てしまうんだけどね。




壮大な景色が大パノラマで広がるエジプトのロケーション。

ピラミッド、スフィンクス、ナイル川 ………



映画を観るだけでも、その土地に行っているような観光気分も味わえるし。

特に、今のコロナ騒ぎで、どこにも行けない現状に辟易している人には、まさにうってつけ。



一時でも、人間ドラマと観光気分の両方を、満足させてくれるなら、これこそ、この機会に是非にと、オススメしたい1本なのであ~る。


星☆☆☆☆。

2020年3月16日月曜日

映画 「水の中のナイフ」

1962年 ポーランド。






綺麗な邦題に惹かれて。

後、あのロマン・ポランスキー監督のデビュー作という事もあって観たんだけど………



ん~ …………この映画が大好きな人には申し訳ないけど、あんまり自分の好みじゃなかったかも。




60年代で、綺麗な陰影のモノクロ映画。

構図やカメラ・ワークも、なかなか凝っていて良い感じなんだけども、なんせ、肝心のストーリーが…………



自分のように、映画にドラマ性を求める人間には、これは、ただ苦痛でした。





始終イライラしている夫と、それに無関心な妻。

二人は定例のヨットでクルージングに行こうと車を走らせているんだけど、一人のヒッチハイクをしている青年を乗せる。


ヨットに乗って、いざ出発という時、何を思ったのか?夫が、「お前もヨットに乗れ!」と青年を誘い、3人は海原へ。



ヨットでは食事をしたり、ゲームをしたり、退屈な会話が流れて、青年は手持ち無沙汰で、大切にしているナイフを取り出しては、ひとり遊びを始める。(指を広げて、指の間をナイフで突く遊び)



それを見ている夫は、やめときゃいいのに、変なイタズラ心で青年のナイフを海へドボン!


「俺の大事なナイフ!」

青年と夫は喧嘩をしはじめ、夫は青年を海に突き落とした。


「ハハッ、ざまぁみろ!」

しかし、しばらくしても上がってくる気配さえない。



夫は、だんだん冷や汗。


(俺が殺してしまったのか………)


「人殺し!野蛮人!」そんな夫に向けて、妻は罵りまくり。


「黙れ!アバズレ!」

妻をヨットに残すと、夫はどこかへ泳いで行ってしまった。



しばらくすると青年がヨットにあがってきた。(海に浮かぶブイにつかまって隠れていたみたい)



上がってきた青年と妻は、夫がいない事を、これ幸いにと情事にいそしむ。(アララ)



やがてヨットが岸に向かう途中で青年は無事降りて、桟橋に来ると夫が海パン一丁で待っていた。


「警察を呼びに行こうも車のキーもないし、この格好じゃ……」


そんな夫に妻は「青年は生きていてヨットで浮気したわ」と言う。


夫は「嘘だ」と信じない。




で、映画は終わるのだ(チャンチャン!)。






こうして文章におこしてみても、さっぱり、この話の要点が掴めないのだ。



ヨットを操る時だけは気が合うのに、それ以外は、ギスギスしている夫婦。


そんな変な夫婦に、ヒッチハイクの青年が巻き込まれただけの、たわいのない話である。





これ、一応、ミステリーのジャンルになってるわけなんだけど、どうなんだろう……これがミステリー?




本当にこの話から何を感じとればいいのか………

最後まで「それがいったいどうしたの?」ってな感じで、ポカ〜ン!なのである。



でも、他の人の評価を見れば、この映画を褒め称えているものがほとんど。



「傑作!」、「最高!」etc…………などなど。


ロマン・ポランスキーが弱冠29歳の若さで撮った映画だから好評価なんだろうか?




分からん。

どうも、この手の映画を楽しむような素養が、元々、自分には欠如しているらしいのだ。




だから、今回、評価はご勘弁を。



これを好きで楽しめる人には、それで良いと思う。




たまに、こんな感想のモノにもぶち当たるが、それも良しとするか。


とにかく見続けて、探していれば、「これは!!」と思うモノにも、きっと出会うはず。


それを期待して、私は映画を見続けるのであ~る。

2020年3月11日水曜日

映画 「プラダを着た悪魔」

2006年 アメリカ。






ニューヨークに、そびえ立つ超高層ビルの最上階。

そこに、女性たちが憧れるファッション雑誌《 ランウェイ 》のオフィスがある。



田舎から出てきた『アンドレア・サックス』(アン・ハサウェイ)は、まるで、おのぼりさんのようにワクワクしながら、1階のホールから、エレベーターに乗り込んで最上階のボタンを押した。



そして、………


「あの~今日、面接予定のアンドレア・サックスですが………」


受付にいる第1アシスタントの『エミリー・チャールトン』(エミリー・ブラント)は、アンドレアの姿を頭から爪先まで、ジロジロ見ると、

「あなたが?いったい何の冗談かしら?」と無遠慮に言い放った。



そんな時、1本の電話が鳴り響き、エミリーの顔色が変わった。


「大変よ!今すぐ準備して!彼女が来るぅー!!」

エミリーの声にスタッフや周り中が、バタバタ大騒ぎ。


(いったい何が始まったの?………)アンドレアは、まるで分からずにポカ~ン顔。




そんな時に目の前のエレベーターが開き、一人の女性が降り立った。

その場の空気が一瞬で変わる。


まるで人を寄せ付けないようなオーラを纏(まと)った女性、『ミランダ・プリーストリー』(メリル・ストリープ)の登場に。




ミランダはツカツカと進み、オフィスの椅子に腰掛けた。

すると、アシスタントのエミリーは、直ぐ様とんで行き、次々と繰り出す的確なミランダの指示を、「ハイ!ハイ!」と固唾をのんで聞いている。




その光景をぼんやりと見ているアンドレアにミランダも、ようやっと気づいたようだ。


「誰よ?あの娘?」


「第2アシスタントとして、人事部が面接で寄越したんです。でも、あんな娘を連れてくるなんて………何を考えてるのやら。」


「いいわ、私が面接する」ミランダは、そう言うとエミリーを下がらせた。



アンドレアを一目見ると、「ファッションセンスもゼロ。《ランウェイ》も読んだことない。私を知ってる?知らない? それで、何でうちにきたの?」


「あの………ジャーナリスト志望だったんですけど、おたくの人事部に電話したら面接を進められて………でも採用されれば、きっとお役にたてます、私なら!」



「あっそ!じゃ、もういいわ。帰って。」

ミランダは、もう興味なしとばかりに、(あっちへ行け!)と、手で払いのける仕草。


(私、もしかして落ちたの?………)



ガッカリしてエレベーターを降りたアンドレアだったが、先程のエミリーが呼び止める声。



ゲゲッ!!まさかの『採用』!


「ヤッター!!」


喜んだアンドレアだったが、それもつかの間。

明日から始まる地獄の日々を、まだアンドレアは知らない………。






アン・ハサウェイ観たさに選んだ1本である。(すっかりフアンになっちゃいましたので。)


前回、顔がどうとか、こうとか書いていたのに、フアンになると、途端に、それも味のあるような、逆に大好きな顔に思えてくるのだから、自分でも訳がわからない。


どこまで調子の良い男なんでろうと思ってしまう。(エイ!この!自分の馬鹿野郎!!こんなところで許してくださいませ)




前回の『マイ・インターン』とは違い、アン・ハサウェイは、ここでは雇われる立場。


上司には、あのメリル・ストリープである。

似たような設定でも、配役が変われば雰囲気も、何もかもが全く違ってしまう。




前回の『マイ・インターン』のように「あ~、こんな会社で働きたいなぁ~」なんてものは、微塵もない。



ここで、求められるのは、仕事に対する《厳しさ》と《プロフェッショナルさ》だけだ。





雑誌の為に、モデルに着せる洋服選びの為に、ミランダがスタイリスト達を怒鳴っていると、アンドレアが思わず、「クスッ」と笑ってしまう。


すると、即座に反応したミランダが、血相を変える。

「何がおかしいの?」

「だって、そのベルトなんて、どれもこれも同じに見えるんですもの」(アチャー、余計な事を)



「あなたが着ているブルーのセーター、それはセルリアンよ!同じブルーでも違いはあるのよ。そんなセルリアンでも、私達がブームを築きあげて市場に流れ、長い年月をかけて、廃れていき、安っぽいカジュアル服として、一般のあなたたちが今、着ている。」


プロヘッショナルとして生きてきた、ミランダの言葉は重い。


「ファッションとは関係ないと思って着ている、あなたの服も、今、こうして選んでいる山の中から、私たちが選んだものなのよ!」



そんなミランダの言葉の重みなんて、分からないアンドレアは、家に帰れば、

「キーッ!何よ!あの女!ムカつくー!!」

会社の愚痴を恋人に叫ばずにはいられない。





でも本音は……(ミランダの言ってる事を少しでも理解したい!ミランダに寄り添い、追い付きたい!この世界で成功したい!)なのだ。



同僚の『ナイジェル』(スタンリー・トウッチ)にも叱咤されて、アンドレアは、やっと「自分を変えねば!」と、動きはじめる。



面白かった。



面白かったけど、この『ミランダ』と『アンドレア』の関係、あのドラマを、やっぱり思い出してしまった。





『ダメージ』の『パティ・ヒューズ』(グレン・クローズ)と『エレン・パーソンズ』(ローズ・バーン)に、すっごく似ている。




ミランダもパティも、仕事に厳しく、プライベートで離婚しようが、どうしようが、とにかく仕事第一主義。



仕事で成功する事が、人生の全てなのだ。



この広大なアメリカで成功するためには、女性は皆、ミランダか、パティ・ヒューズのようにならなければ生き残れないのだろうか。



だとすれば、女性がトップで居続ける為の闘いとは、何と殺伐としていて、非情なんだろう。




根が甘ちゃんの自分なんて、身の毛がよだって震え上がってしまう。





そして、グレン・クローズとメリル・ストリープは大の仲良し。

女優としての意識の高さも同じで、乗り越える事も困難なくらいな、刑務所の高い塀くらいなものだろうか。


このアン・ハサウェイは、その塀を乗り越える為に、今、やっとへばりついている感じかな?





でも、こんな風には、あまりなってほしくないなぁ~。



アン・ハサウェイには、いつまでも優雅でエレガントで、そしてにこやかに。

どこまでも、甘ちゃんの自分はそう願わずにはいられないのであ~る。

星☆☆☆☆。

2020年3月7日土曜日

映画 「マイ・インターン」

2015年 アメリカ。
 




70歳を過ぎて、妻を亡くしてからも、それなりに友人知人たちと人生を謳歌していた『ベン・ウィテカー』(ロバート・デ・ニーロ)。



それでも何だか、いまひとつ物足りない日々……。



そんな時、スーパーの帰り道、シニア・インターンの募集を見つける。


「これだ!」


インターネットの会社ゆえ、面接の代わりに、自分で動画を撮影して応募するという。(難しそうだが、9歳の孫に教わればいいさ)


歳をとっても「何事もチャレンジ!!」精神のベンは、見事採用された。




そうして晴れて初出勤日。


ベンを入れたシニア以外にも、オタクで気の良さそうな若者『デイビス』なんてのもいる。

「ヨロシク!」

「こちらこそ」

私服でくだけた格好の連中が多い中で、ひとり背広にネクタイをピシッと決めているベンは、ある意味異質。逆に目立ってみえた。


広いワン・フロアーには、大勢の人々が、パソコンを目の前にして、忙しそうに仕事をしている。



ここは、インターネットで洋服を売るという、ファッション通販サイトの会社だ。



そして、その中心では、周り中にテキパキと指示を出している、ひとりの女性の姿。


若い女社長『ジュールズ・オースティン』(アン・ハサウェイ)がいる。


ジュールズは、「シニアのインターンなんて………」と、はなから馬鹿にして雇うのを反対していたのだが、部下の『キャメロン』に無理矢理、説得されたのだ。


そして、

「ジュールズ、君の下に直属として、誰かシニアの一人を置きたいのだが………」


「嘘でしょ?」(この忙しいのに勘弁してよ……)



そんな渋るジュールズを、これまた説き伏せると、かわりに転属されてきたのが、あのベンだった。


「ヨロシクね、ベン!」なんて言いながら、つくり笑顔で応えるジュールズだが、心の中では、(こんな、お年寄りが……ここで何の役にたつの?)ってのが、ありあり。




でも、ジュールズの当ては、完全に外れる。

ベンはオフィス内で、次々と頭角を表していくのだった……。



ロバート・デ・ニーロとアン・ハサウェイのハート・ウォーミング・コメディー。



70歳を越えた『ベン』(ロバート・デ・ニーロ)が、同じ職場で働く若者たちに、謙虚に接しながらも、同僚たちには恋愛指南をしたり、仕事の進め方をアドバイスしたりして大活躍。


そんなベンは職場でも、次第に「頼りになる人」になっていくのが痛快である。



もちろん、女社長『ジュールズ』(アン・ハサウェイ)にとっても……。




それにしてもロバート・デ・ニーロは良い感じになってきたなぁ~。



実は白状すると、ロバート・デ・ニーロは、自分にとって苦手な俳優だった。

若い時のデ・ニーロは、そのお顔にしても、あんまり好きになれなかった。(昔ながらのフアンには失礼なんだけど)



だから、若い時分のデ・ニーロの映画をほぼ観ていない自分。



そんなデ・ニーロを克服したのは、ここ最近のこと。

そのくらい歳をとってからのデ・ニーロは、カッコイイと思えるようになってきたのだ。



白髪になり、角がとれて、柔和な顔をするようになり、時にはお茶目な部分なんてのを垣間見せたりもする。



このblogで、以前取り上げた『キラー・エリート』、『ダーティー・グランパ』、『フローレス』などを観ていても、まるで肩の力が抜けたように、ここ最近のデ・ニーロは、映画に出る事が本当に楽しそうなのだ。


アン・ハサウェイも、この映画では感心してしまった。



この人のお顔も、あんまり私の好みではなかったのだけど。(小さな顔一杯に、デカイ目や大きな口が、ようやく収まっているというのか……スミマセン(笑))


でも、この人が弱気をみせたり、泣き顔になると、途端にそれまでの印象が180度変わってしまった。


「か、可愛い~!………♥」


アン・ハサウェイ、いっぺんでフアンになってしまいました。(上げたり下げたり、自分でも何て単純な男なんだろう(笑))



それにしても、この映画を観ながら、ずっと思っていたのは、二人が働く会社が「何て素晴らしい会社なんだろう!」って事。



変な陰口もなければ、陰険な奴もいないし、オフィスは広々として綺麗だし、まるで天国みたいな会社である。



おまけに、疲れを癒す為のマッサージ師なんてのも置いている。(ひさしぶりに見たレネ・ルッソだぁ~!)



日本政府が『働き方改革』なんてのを推奨しているが、この映画を観ると、これに追い付くまでには、何年かかるのかねぇ~。

決して、他の国と比べたくはないのだが……。



特に自分がいる会社と比べると、まるで《 天国 》と《 地獄 》、《 極楽スパ 》と《 ナチの強制収容所 》くらいの違いである。(ここは声を大にして言いきってしまおう!(笑))




辛い日々、涙をのんで働く人には、この映画はまるで、ひとときのオアシス。




疲れた心を、しばし骨休めさせてくれて、明日もまた、働こうという気持ちにさせてくれる。


そんな気力を与えてくれる、稀な映画なのである。(雇用する立場の方々は、是非、是非!参考にしてほしい)

星☆☆☆☆。

2020年3月4日水曜日

ドラマ 「はね駒」②

《①の続き》







樹木希林』という女優を、幼い頃からブラウン官を通じて観てきた自分は、それに対して、特になんとも思う事もなく………。



出ていれば、それだけで妙なおかしみを発揮していて、『寺内貫太郎一家』や『ムー』などは、面白、可笑しく素直に楽しんでいた。




出ていれば、「面白い人だなぁ~」くらいの感想。



後年、その当たり前だった事が、実は『どえらい人』だったと知る事になるのだが……。





もちろん、この『はね駒』でも、そのコメディエンヌぶりは健在で、斉藤由貴との母娘の掛け合いは超面白く、観る者を惹き付けた。



「母ちゃん~!」

「何だい?母ちゃん、母ちゃんって、いつまでも『やや子』(赤ん坊)のように言ってきて!」

なんていう、日常の何でもないやり取りでも、斉藤由貴と樹木希林が演じると、何だか、ホンワカ、ほのぼのとしていて、それでいて妙なおかしみがあった。




でも、この『はね駒』に限っては、それだけでないのが樹木希林の凄いところ。





やがて、東京で材木問屋を営む『小野寺源三』(渡辺謙)と結婚した『りん』は、祖父母、弘次郎、八重と暮らし始めるのだが(妻の家族全員を引き取る源三も寛大というか、太っ腹)、それだけでは、あきたらず、女性として初めての新聞記者となる。


子供が生まれてからも、家事と仕事を両立しながら、やっていく『りん』。(でも、それも難しく、結局は母親の八重に頼りっぱなしになってしまうのだが)



とうとう、3人目の子供が産まれるという時、『りん』も『源三』も考え出す。


「どうしようか?」

「どうしましょう?」

いつまでも子供の世話を母親の八重に頼むのも心苦しくなってきた『源三』と『りん』。



だが、根っから楽天家の『りん』は、

「大丈夫よ!」と、どこから来るのか、あくまでも楽観的な発言。


(仕事と家事、何とかなるわよ!)って感じなのだ。




翌日、朝の食事の支度をしながら、母娘は、何気に話し出した。


「どうするんだい?おりん、3人目が産まれるっていうのに……」

釜戸に火をくべながら、八重が聞くと、

「大丈夫よ!何でもかんでも母ちゃんに頼ろうとはしないわ! そうだ!!女中を雇いましょうよ!」


「女中?」

『りん』の突然の提案に火をくべながら、八重の目が、パッと開く。


「そうよ、女中ひとりを雇うくらい何でもないわ。一人でダメなら二人でもいいのよ。母ちゃん、私も女中くらい雇えるぐらいの給金をちゃんと貰っているのよ!そのくらい新聞社でも認められているんだから!安心して。」


『りん』は、そう言うと笑顔で、(この問題は、これで解決)とばかりに、キビキビと支度をはじめた。





だが………



「何、語ってるんだ?!オメェは!!」


振り向き様、顔色を変えた八重の怒声が台所中に響き渡る。



これまで見た事もないような母親、八重の顔に、ビックリして飛び上がらんばかりに驚く『りん』。



「誰が、今、金の話なんかした?アァ~?!」



『りん』を台所の板間に正座させると、般若のように恐ろしい顔の八重が真正面に鎮座する。


「何でもかんでも金で解決すればいいなんて、いつからオメェは、そだな薄汚ねぇオナゴになっちまったんだ!おりん!!」


八重の、あまりの迫力に微動だにできない『りん』。


「いいかい?女中ってのはあくまでも、おっ母さんの手助けをするもんなんだよ。それ分かって言ってるのか?!オメェは!!」


八重の言葉は、淀みなく続く。


「女中に母親の代わりは出来ねぇ。子供ひとりを育てはぐねたら、それは一生後悔しても取り返しのつかない事なんだぞ!それくらい子供を育てるって事は、大事な大切な仕事なんだ!それ分かってるのか?オメェは!!」


もう、『りん』は、さっきの笑顔はどこへやら、顔面蒼白になっている。


「母ちゃんも、お前が立派な仕事をしている事は知っている。でも母親としてしなければならない事、そしてお金では決して買えないものもある事。これだけは分かってくだっしょ(くれ)、『おりん』……… 」


八重が頭を下げると、『りん』は茫然自失としながらも、更に深々と頭を下げるのだった………







このシーン、ビデオテープをなくした今でも、ほとんどを覚えている。



この緊張感、この樹木希林の台詞の説得力。


朝のドラマを観ながら、この樹木希林の台詞が流れてきた時、当時、どれだけの人たちが頭(こうべ)を垂れただろうか。


このシーンの斉藤由貴なんて、まるで演技を通り越して、本当の母親に雷を落とされたように、見るも無惨な様子だ。



演技と現実の境界線が無くなる………、斉藤由貴にとっては、こんな事は初めての体験だったろうと思う。

ブラウン官で観ている自分にも、それは充分伝わってきた。




もちろん、芝居ゆえ、ちゃんとセリフがあり話の展開も分かっているはずなのだが、いざ撮影になった時の樹木希林の演技の振り幅や言葉の説得力が、その想像をはるかに上回り圧倒しているのだ。




後年、斉藤由貴自身も語ってるのを見た事がある。


「希林さんと演っていると、どんどん気持ちが役に入っていって、現実と芝居の境がなくなっていく………それが、ある意味、恐ろしくもある」と。



それくらい相手役を、ぐいぐい芝居の世界に引き込んでいく事ができるという特殊な仕事。


「それが女優という仕事なら、私もそんな女優になりたい!」

この『はね駒』の出会いは、斉藤由貴にこんな風に思わせたんじゃないか?と勝手に想像してしまう。




ドラマの後半、八重の言葉が身に染みた『りん』は、子育ての為に新聞社を退職する。


それに安堵した両親と祖父は故郷に帰る決意をし、ついに別れの日。


「台所はおなごの城だ!誰にも明け渡しちゃなんねぇぞ!分かったか?」と言う八重に、

「はい!」と直立不動の『りん』。



「ハイ、ハイ!って本当に分かってるのか?こら!」と言いながら、しゃもじで『りん』のお尻をペチン!


「痛ったぁ~い!何するのよ?、母ちゃん!」


笑顔の八重が、「しっかりやって、おくんなましね、小野寺の奥様!」なんて言葉をかけると、『りん』の顔が、途端に涙でグシャグシャ。


「母ちゃぁ~ん!!」


泣きながら抱きつく『りん』を笑顔で抱きしめる八重に、


(女優として教える事は、しっかり教えた。頑張るんだよ)とも言っているようにも見えた。


そして、それを斉藤由貴も感じたようにも見えた。




それから数10年が経った今…………斉藤由貴が女優として、いまだに必要とされているのも、この『はね駒』での樹木希林との出会いがあったからかもしれない。



星☆☆☆☆☆。

偉大な女優、樹木希林に合掌。