2020年3月22日日曜日

映画「ベン・ハー」

1959年 アメリカ。






ベツレヘムの星が輝く時、あの、歴史に名を残す偉大な救世主が誕生した。


『イエス・キリスト』だ。




それから、26年経ったユダヤ人が住む辺境のイスラエル。

大勢のローマ兵たちが軍を率いてやってきた。


その中に今や軍司令官となった『メッサラ』(スティーヴン・ボイド)の姿も。



「メッサラ、わが友よ……」

子供の時から仲の良かった『ジュダ・ベン・ハー』(チャールトン・ヘストン)は、友の帰還を喜び、すぐさま駆けつけた。


だが、………




すっかり変わってしまったメッサラ。



冷酷で非情で、目的を果たす為には手段を選ばない男に。



ローマ軍に従わないイスラエルの民は、税金も納めない者がいるばかりか、ローマの総督を崇めようともしない。

救世主の存在を信じて祈るばかりの日々だ。



「ジュダ、ローマ軍に味方しないか?」

ユダヤの貴族で昔ながらの友、『ジュダ』を仲間に引き入れられればイスラエルの民を味方にできるかもしれない……メッサラは、そう考えたのだ。




だが、ベン・ハーは、その申し出を断った。



(この野郎~………)可愛さ余って憎さ百倍。


自分の意に従わないベン・ハーに腹をたてたメッサラは、卑怯な罠を仕掛けて、総督暗殺の罪をベン・ハーに押し付けた。



「何かの間違いだ!俺は何もしちゃいない!!」



ベン・ハーの必死の訴えもむなしく、母と妹も同罪として、どこかへと連れていかれた。



そして、ベン・ハー自身は、鎖に繋がれて奴隷。

戦闘用のガレー船へ、船こぎとして引っ張られていく。





灼熱の砂漠を、何人もの奴隷たちが、ローマ軍に引っ張られて進み続ける。


「さっさと、歩け!」

容赦なく振り回されるムチ。



痛みに耐えながら、ベン・ハーの目は復讐に煮えたぎっている。


(畜生………メッサラ!………)

喉の乾きに、フラフラになりながらも、(決して、ここで倒れてなるものか!)の意地だけでつき進む。



しばらく歩き続けると、町が見えて、ひとまずは休憩。(ローマ軍も喉がカラカラなんよ)



「水を飲むのは俺たちからだ!その次は馬!お前たち奴隷は、その後だ!」

町民たちが汲んでくる水を、ガブガブ、おいしそうに飲むローマ兵と馬たち。



やっと俺たちの番と思いきや、

「お前は水を飲まなくてもいい」と、ベン・ハーの目の前で、水を取り上げるローマ兵。(超イケず~)



そんな事をされて、さすがのベン・ハーの気力も、そこで尽きてしまった。


その場で、バタン!と倒れこむベン・ハー。


(あぁ~、もうダメかも………しれない……)



そんな朦朧(もうろう)としているベン・ハーの頭上に、射す一人の影。


その人物は、親切にベン・ハーを抱き起こすと、水を飲ませてくれた。



それを目ざとく見つけたローマ兵。

「お前、余計な事をするんじゃない!」と、ムチを振り上げて近づいてきたが、その人物を見た途端、顔色が変わり、その手が一瞬で止まってしまった。



全身から発する、気高いオーラに気圧されて、モノも言えなくなってしまったのだ。


ベン・ハーを介抱した人物、その人こそ、あの『イエス・キリスト』だったのである…………。




名作、『ベン・ハー』を久しぶりに観賞しました。



『ベン・ハー』自体、何度も映画化されていて、この1959年版は3度目の映画化なのだが、もはや『ベン・ハー』といえば、これが決定版とされている。



そのくらい記録ずくめで、アカデミー賞では、史上最多の11部門を受賞。


現在、2020年でも、この記録はやぶられておらず、まさに怪物的な、とんでもない映画である。




『ベン・ハー』というと、有名な戦車の対決シーンばかりが、槍玉にあげられるが、そんなものは、212分の中のほんの一部。



この映画の主題が、主人公『ベン・ハー』の数奇な運命と、イエス・キリストとの関わりだというのは、観れば明らかだ。


世界中に、どれだけのキリスト信者がいるか知らないが、そんな人々にとっては、この『ベン・ハー』で描いているキリスト像は、まさに理想のキリスト像であり、崇めたくなるのも納得なのである。



無神論者の自分には、理解しがたいが、キリストを『神』の再来だと信じる人々には、この映画はまるで聖典扱い。


今でも《 魂の救済 》のような位置付けなのだから、ヘタな事でも言おうものなら、世界中から袋叩きになりそうで、ちょっと恐い。(ここで取り上げるのも少しビクビクしてる)




主演のチャールトン・ヘストンは、もちろん、この作品でアカデミー主演男優賞を受賞している。



映画の最後、キリストのおこした奇跡で母と妹の命を救われた『ベン・ハー』。

「神に感謝します!」と、母と妹を、涙で抱き寄せるベン・ハーで、映画は幕になる。




昔から思っているが、このチャールトン・ヘストンって俳優は特異な俳優だ。


この人を見ると、なぜか?「ドM?」と思ってしまう。



苛められたり虐げられたりする役になると、何だか、妙に、変な本領を発揮するのである。



191㎝もある立派な体格をしているのに、なぜか?ドS心を揺さぶるような芝居をするのだ。



裸で、腰布1枚で、鎖に繋がれて、ムチ打たれるのが、さまになる俳優なんて、ほんと、ヘストンだけじゃないだろうか。



その、泣き顔や情けない顔は、「もっと打ってちょうだい!」とお願いしているように見えてしまう。(変態か!(笑))





映画『猿の惑星』でも、『十戒』でも、同じように鎖に繋がれて、素っ裸で腰布1枚で奴隷扱いされているヘストンを見ると、

「やっぱり、サマになってるなぁ~、適役だなぁ~」と、ほとほと感心してしまう。




こんなチャールトン・ヘストン自身は、自分の隠れた資質を知っていたのかな?



そんなドM演技の開眼で、アカデミー賞受賞も納得。

充分値するのであ~る。


星☆☆☆☆☆。

(我ながら、なんて感想なんじゃ~(笑))