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2020年7月10日金曜日

映画 「バニー・レークは行方不明」

1965年 イギリス。







「あの~、『《初めての部屋》に行け!』って言われたんですけど………でも、先生方がどなたもいらっしゃらなくて…………」



未婚のシングル・マザー『アン・レーク』(キャロル・リンレイ)は、イギリスに引っ越してきて、4歳の娘『バニー・レーク』を預けるために、初めての保育園にやってきたのだ。


勝手が分からなくて右往左往しているアンは、保育園の階上にある《初めての部屋》なる場所に、一旦バニーを置いてくると、急いで階段を降りてきて、(誰かいないか……)探し回っていたのだ。


階下の台所で、やっと見つけた不機嫌な中年女の料理人に、今、こうして話かけているのである。



(あ~、もう時間がないわ!急いでアパートに戻らなきゃ!!運送屋からの引っ越しの荷物が、もう届くはず………)


焦るアンに、料理女は、面倒くさそうに、

「あ~、見といてやるし、後で先生に言っとくよ」と、アンの顔を見もせず、生返事する。



「お願いします!」


それでも助かった!急いでアパートに戻らなきゃ!!




家に戻ると、もう運送屋が来ていて、引っ越し荷物を降ろしはじめていた。



「あ~、これはこっちに、それはそこに運んでちょうだい!」


バタバタしているアンの元に、小型犬を抱いた男がノソ~と、断りもなく、勝手に入ってきた。


「どなたですか?今、忙しいんですけど」

「部屋は気に入りましたかね?私は大家のウィルソン」



あ~大家さん、それにしても何だか気持ちの悪い中年男……犬なんて抱いていて……。


「壁に掛けられている仮面は気に入りました?」そう言うと『ウィルソン』(ノエル・カワード)は、アンとの距離をつめよりながら近づいてきた。


その近づき方に、またもや(ゾゾッ!)と嫌悪するアンは、無視を決め込んで、さっさと片付けに専念する事にした。



それでも、ベラベラと独り言のように話すウィルソン。


「もう、行かないと!娘を保育園に迎えに行くんです!!」

大家のウィルソンを家から追い出し、ドアに鍵をかけると、アンは表に走り去っていった。





迎えに行った保育園には、既に若いママたちが大勢で、我が子が降りてくるのを階下で待っている。


「さぁ、帰りましょ」次々帰っていくママ軍団たち。


でも、うちの子はどこかしら?


「バニー!バニー!」探しても、どこにも見当たらない。




先生たちを捕まえて聞いても、「知りませんわ」だし、


オマケに、なんと!あの料理人女は、勝手に辞めてしまっていた。



誰も彼もが無責任に「知らない!知らない!」を連呼するばかり。(酷い保育園)




「うちの娘、《バニー》は、いったいどこなのぉぉーーー!?」


とうとう半狂乱になって叫ぶアン。




アンが助けを求めて電話すると、兄『スティーヴン』(キア・デュリア)も保育園に駆け付けてきた。


「バニーが行方不明だって?!大丈夫か?アン」


兄の姿を見て泣き崩れるアン、それを支えるスティーヴン。





やがて、警察がやって来て、バニーの大捜索が始まった。


「確かに娘さんをここに預けたんですね……」

事件を担当する『ニューハウス警視』(ローレンス・オリヴィエ)がアンに質問する。



「ええ、でも誰も見ていないだなんて……」




バニー・レークは行方不明……。

いったい、どこへ消え去ってしまったのだろうか……





ずいぶん前に観た『バニー・レークは行方不明』を今回、このblogに書く為に、もう1度見直してみた。


最初、この映画を観た時、この話の設定ばかりじゃなく、画面から伝わるような異様なほどの、ピリピリした緊張感に圧倒された思い出がある。



後々、調べてみると原因は、どうも…監督のオットー・プレミンジャーのせいらしいが………。


《オットー・プレミンジャー監督》




次々に、ハリウッドのタブーに挑み続けたプレミンジャーの功績は称えられていても、一方では、そのワンマン監督ぶりは、今でも伝説的である。


怒声、罵声は当たり前。


自分が納得する演技の為なら、いくらでも俳優たちへは、連続のダメ出し。


男でも、女でも、ベテラン俳優に対しても、一切手抜かりなし。


主演キャロル・リンレイなんて、現場では、常にクソミソに言われ続けていたらしい。(可哀想に)



他のいずれの俳優たちも同様で、あの名優ローレンス・オリヴィエさえも、相当へき易していたらしい。(『嵐が丘』の監督で、これまた完璧主義のウイリアム・ワイラーに、すでに鍛えられていたオリヴィエさえも、後年言っているのだから、相当酷かったと想像される)



ボロカス言われ続けた俳優に同情して、みかねたジョン・ヒューストン監督が、

「もう、よさないか、オットー ……」なんて助言したりもしている。



でも、まるで聞く耳なんて持つものですか、プレミンジャー。(その俳優はすっかり消沈して、引退してしまったらしいが)




こんな裏話を知ると、画面から漏れてくるような、この独特な緊張感も、何だか妙に納得してしまった。




この映画はというと、誰もが、問題の《 バニー・レーク 》の姿を、一切見せない演出を取り上げて、「他の消失モノとは、どこか違うぞ」と褒めちぎる。




本当に《 バニー・レーク 》は存在するのか?


もしかして、アンが造り出した幻想じゃないのか?



こんなあやふやな、どうにでもとれるような微妙なバランスで、妙に不安感をあおっている。



まぁ、それでも主人公キャロル・リンレイの健気さや可憐さにほだされて、「頑張れー!」って気持ちで応援してしまうけどね。(美人は得なのだ)




その演出方法や仕掛けも、それはそれで素晴らしいんだけど、私は俳優たちの演技に絶賛をおくりたい。



最後まで途切れる事なかった、このピリピリした緊張感の芝居に。




ラスト、真犯人●●との、夜半の鬼ごっこ、かくれんぼ、ブランコ遊び……



娘の命を守る為に、恐怖を隠して、つくり笑顔で、気の狂った犯人の遊びに、精一杯興じるアン。



まぁ、恐ろしい、恐ろしい。


そして、なんて長~い時間の恐怖なんだろう……。(本当に恐いです)




こんなに寒気を感じる映画はないし、これを一番に評価したいと思う。


プレミンジャーの怒声や罵声も、俳優たちへの緊張感を持続させるモノならば、これはこれで成功してるのかもしれない。

星☆☆☆☆。



でも、俳優たちには一生忘れられない、地獄の撮影現場だったでしょうけどね(笑)

2019年4月22日月曜日

映画 「レベッカ」

1940年 アメリカ。






ヒッチコックがイギリスから渡米後、初めてアメリカで撮った映画。


原作は、ダフニ・デュ・モーリエ。


イギリス時代にデュ・モーリエの作品、埋もれた青春(映画名では『巌窟の野獣』)を撮っていたが、失敗している。



ハリウッドの名プロデューサー、セルズニックは既に、前年に大作『風と共に去りぬ』で大成功をおさめていた。


そのセルズニックに呼ばれ、あれこれ口出しされながら、耐え忍び、相当なプレッシャーを与えられていたはず。


「絶対に成功させて、いつか必ず、誰にも口出しされずに、自由に映画を撮ってやるんだ!」

そんなヒッチコックの意気込みが感じられる映画であります。






主人公【わたし】はモンテカルロに来ていた。(※主人公に名前はない。原作者は映画化に向けて『ダフネ』とつけたかったらしいが、セルズニックが却下した。演じるのはジョーン・フォンティン


両親は既に亡くなり、身寄りのない【わたし】は、生計をたてるために、裕福なイーデス・ホッパー夫人の話し相手&身の回りの世話係として雇われていた。


このモンテカルロの旅行も、もちろん、ホッパー夫人の付き添いである。




そして、つかの間の休み時間…ホッパー夫人が昼寝の間、【わたし】は、泊まっているホテルのそばを散歩しに出かけたのだった。

ホテルは海のそばにあり、近くで波の音も聞こえてくる。



しばらく歩くと、崖の上に立っている男の姿が目に入ってきた。

男は真下の海をずっと見つめている。



そして、吸い込まれるように1歩を踏み出した。

「だめよ!」

【わたし】はいつの間にか叫んでいた。



その声に男もハッ!として我に返ったようだった。

「何をしてるんだ?、」男が逆に【わたし】に問いかけてきた。

「あの、散歩を……」

「じゃ、その散歩とやらを続けたまえ!」



【わたし】は一目散にホテルへ向けて駆け出した。後ろに男の視線を感じながら…。


(何だったんだろう…あの思い詰めた表情は…)その出会いは、なぜか【わたし】に印象づけたのだった。



ホテルに帰りつくと、ホッパー夫人が、既に昼寝から起きていて、ホテルのロビーにいた。



そして、しばらくするとさっきの男がロビーに現れた。

「まぁ、あれはマキシム・ド・ウインターじゃないの?」ホッパー夫人が男を見て叫んだ。



『マキシム・ド・ウインター』 (ローレンス・オリヴィエ)……イギリスで一番の大富豪。広大な屋敷『マンダレイ』に住んでいる。1年前に妻のレベッカを亡くしたばかりで、ただいま独身である。



ホッパー夫人は、ハンサムなマキシムの登場に浮き足立つと、自ら声をかけて、自分たちのテーブルに座らせた。



そして、立て板に水のごとくホッパー夫人のお喋りは続いた。


だが、マキシムは、そんな話に興味がないのか……目の前の【わたし】をじっと見ている。



ホッパー夫人の横で【わたし】は、只、おどおどしているばかりだった。



しばらくして、マキシムが席を立ち行ってしまうと、意気揚々としたホッパー夫人が言い出した。


「彼を誰かが慰めてあげなければね。そうだわ! 私が手紙を書いて、フロント係に届けさせましょう! きっと私なら支えになれるはずよ!」

ホッパー夫人は自信満々だ。



だが、マキシムが興味をもったのは【わたし】だった。





次の日テニスに誘われた。そして次の日も、次の日も……。


ホッパー夫人に隠れて逢瀬を、繰り返しながらも【わたし】の心は弾んでいた。



ホッパー夫人には、「またテニス?ウインブルドンにでも出るつもりなの?」と、散々嫌味を言われながらも、【わたし】は、いつしかマキシムを慕いはじめていたのだ。



(ずっとこんな日が続けばいいのに……)




だが、別れは突然やって来た。

いきなりホッパー夫人が、「ニューヨークに行くわよ!」と言い出したのだ。


カジノにも飽きて、マキシムからも音沙汰なし。この地に、とうとう見切りをつけたのだ。


「さあ、早く支度しなさい!」

【わたし】は動揺した。たぶんここを去れば2度とマキシムとも会えなくなってしまう。ならば別れの挨拶だけでもしたい。



【わたし】はホッパー夫人の隙をみて、マキシムの部屋を訪ねた。


オロオロしている【わたし】は事情をなんとか説明すると、マキシムは落ちついて切り出した。


「結婚しよう」と。

【わたし】は突然の提案にビックリした。マキシムはボーイに言い付けて、ホッパー夫人を自分の部屋に呼び寄せた。



浮かれて入ってきたホッパー夫人に、マキシムが説明すると、ホッパー夫人の顔つきが、みるみると変わりはじめ、醜悪なものになっていった。



マキシムが着替えのためにいなくなると、【わたし】とホッパー夫人が取り残された。

そして、嫌味が炸裂する。


「よくも裏切ってくれたわね! 泥棒猫のようにコソコソと。『ド・ウインター夫人』ですって?!あなたが?! マンダレイのような広い大邸宅を、貴女のような育ちの人間が仕切っていけるのかしらね」


なんと言われようと言いわけはできない。黙っている【わたし】に、ホッパー夫人は、

「まぁ、せいぜい頑張って頂戴ね、『ド・ウインターの奥様』!」と言いながら立ち去っていった。




マキシムと【わたし】は、そのままモンテカルロで挙式をあげた。




そして、イギリスに帰りつくとマンダレイへと向かって車を走らせた。



走る車の中で、マンダレイが近づくにつれて、【わたし】に緊張感が迫ってくる。


(ホッパー夫人の言った通りだ……わたしにマンダレイの女主人がつとまるだろうか……)



二人が乗る車を、近づけないように雨は、どしゃ降りの様相へと変わっていった。

ずぶ濡れになりながら、それでも到着した『マンダレイ』



玄関を抜けると何百人もの使用人たちが、出迎えてくれた。

「これは一体どういう事なんだ?こんな大袈裟な…」


マキシムが執事に尋ねると、

「全てはダンヴァースの指示でございます」と答えが返ってきた。




使用人の中から、一人の女性が、前に1歩進み出た。



ダンヴァース……前妻のレベッカと一緒にやって来た使用人。レベッカが亡くなった後も、このマンダレイに残り続け、全てを取り仕切っている。

背筋はピン!と伸びきり、キチンとした身なり。一点の曇りもない佇まい。

顔は氷のように冷たい表情をしている。



「あの、何も分からない事ばかりで迷惑をかけるでしょうが…よろしくお願いします」



【わたし】がオドオドして挨拶すると、ダンヴァースは値踏みでもするように、ジロリと見回し、「よろしく」とだけ答えたのだった……。





この後は、ご想像のようにダンヴァースが、オドオドした【わたし】(ジョーン・フォンティン)をネチネチとイビリながら、前妻のレベッカの死の謎が解き明かされていくのだが………。



それにしても、ここまで書きながら思ったのだが、外国のゴシックロマンって、どう見ても、日本の嫁姑ドラマに似ている。


気の弱い主人公の女性を、中年女性たちが、ネチネチといびる様は、橋田壽賀子ドラマにソックリだ。


外国でも、こんな映画が、受けるのであれば、案外『渡る世間は鬼ばかり』も、女性たちに受け入れられるかもしれない。





またもや、妙な脱線をしたが、この『レベッカ』は成功した。


アカデミー作品賞まで受賞した。



ヒッチコック作品では唯一の受賞だが、「あれはセルズニックに与えられた賞だから」と後年、ヒッチコックは歯牙にもかけなかった。



それでもこの成功が、後に次々と発表される傑作たちの足掛かりになったのだ、と思えば感慨深い。


ジョーン・フォンティンも、それまで姉のオリヴィア・デ・ハヴィランドの影に隠れていたが、これで一挙にスターダムの階段をかけ上がる。



それにしても、このフォンティンのオドオドした演技は、ほとんど素に近い。


何しろヒッチコックの指示で、スタッフ全員に「冷たくしろ!」とのお達しがあったのだから。

それゆえ、ジョーン・フォンティンにとっては、映画も現実もつまはじきにされ、地獄だったと思えるのである。

星☆☆☆☆

2018年10月27日土曜日

映画 「嵐が丘」

1939年 アメリカ。






原作は、1847年に発表されたエミリー・ブロンテ唯一の小説である。(先日紹介した『ジェーン・エア』のシャーロット・ブロンテの妹さん)


と、いうのも翌年に彼女、結核を患い亡くなってしまったからなのだ。



発表当時、姉シャーロットの『ジェーン・エア』は大絶賛されて迎えられたが、妹エミリーの『嵐が丘』には最低の評価。(世間からは大ブーイングの嵐)



だが、20世紀になってから、手のひらを返したように、急に絶賛されはじめていく。



すると、こぞって舞台化や、映画化もされたりして、知名度も人気もドンドン上昇していき……



しまいには、『ジェーン・エア』の6度映画化を越えて、『嵐が丘』は、7度も映画化されてしまったのである。(それもアメリカだけじゃなく、イギリス、フランス、メキシコと、果ては日本まで)



日本では、時代背景を、鎌倉・室町時代に変えて、田中裕子と松田優作で映画化なんてのもされてるらしい。




そんな『嵐が丘』の何に、20世紀の人々は、突然惹き付けられたのだろうか?………………






『嵐が丘』の主人に連れられてきた浮浪児『ヒースクリフ』。


そこで出会った、娘『キャシー』。



キャシーの美しさや奔放さに、ヒースクリフは、たちまちズキューン!ひと目惚れ。


激しく慕い続ける一生の恋の始まりだった。




そんなヒースクリフの出現に、キャシーも、なんだか楽しそう。(だって近くには同じ歳の子もいないんですもの)




兄の『ヒンドリー』は、ブスッとした顔。


(何で俺様が、こいつと仲良くしないといけないんだ?、それにキャシーに馴れ馴れしくしやがって……)

軽蔑と嫉妬心で歪んだ性格になっていく。



やがて屋敷の主人が亡くなると、ヒンドリーが、嵐が丘の主人になり、我が物顔で振るまいだした。


「今日から俺が主人だ!、俺の命令は絶対なんだ!ハハハ!」(こんな小者が、へたに権力を持つと、おかしな事になってくる)


途端に『ヒースクリフ』(ローレンス・オリヴィエ)は馬番に格下げ。



それでも、キャシーとヒースクリフは愛を育んでいくのだが、なぜか、最近物足りない様子の『キャシー』(マール・オベロン)。



ヒースクリフは相変わらずだが、キャシーの気持ちは変わっていった。



そして、成人して大人になっていくと、


「あ~、華やかな生活がした~い!」


と思うようになってきたのだ。




近所のリントン家では、毎日がパーティー三昧。(あ~羨ましい~)



そんな時、大金持ちのリントン家の息子エドガーが、キャシーに求婚してきた。


キャシーにしてみれば夢見心地。(やったー!超ラッキー!)




そんな気持ちが分からないヒースクリフはキャシーに詰め寄って問いただす。


「何故なんだ?! 急にどうしたんだ!!キャシー!俺のキャシー!!」


素敵なエドガーと汚ない身なりのヒースクリフを天秤にかけて、キャシーはあっさり《毒》を吐いた。


「だってあなたは、所詮《馬番》でしょう? 無理なものは無理なのよ!」(全く女って奴は……)



これを言われたヒースクリフは大ショック(ガーン!( ̄▽ ̄;))。


「あんまりだ……キャシー………」


ワナワナ震えながら、こんな捨てセリフの後、嵐の夜、屋敷から飛び出していくのだった。


(畜生!今にみてろよ!……)




ヒースクリフが去ると、迷いなく、さっさとエドガーと結婚したキャシー。



エドガーは優しいし金持ちだし、言うことなし。


平穏で幸せな歳月が流れた。




だが、ある日、あのヒースクリフが、ひょっこりと戻ってきた。



アメリカで成功して紳士然とした姿で現れたのだ。(どんなダーティーなやり方でのしあがったのか?)



そんなヒースクリフの登場に、途端にオロオロと狼狽するキャシー。(多少は気がとがめる?)



もちろん、ヒースクリフの目的は、自分をないがしろにしたキャシーやヒンドリーたちへの復讐なのだ。



手始めに、さっそく《嵐が丘》を買い取るヒースクリフ。(馬鹿なヒンドリーに屋敷の主人なんてのが務まるわけがなく、内情は借金だらけ。買い取りも簡単でした。)


「私が、今日から《嵐が丘》の主人だ。そしてお前はお情けで置いてやる!感謝しろ!!」


「な………何だと………」(ヒンドリーの声も弱々しい)




兄のヒンドリーを下僕にしたヒースクリフ。


「ほら、お前の好きな酒だ、もっと飲め!そら飲め!」


アルコールをたらふく与えて、アル中にしてしまうヒースクリフ。(えげつない)



そして、エドガーの妹『イザベラ』に近づいては、言葉たくみに騙して垂らし込んで愛のない結婚までしてしまう。(そんな高度なスケコマシのテクニックを、この短期間で、どこで身につけたんだろう?ヒースクリフって男は……(笑))



それも、これも、すべては身近なキャシーに苦しみを与えるためなのである。(真綿で首を絞めるように………本当にえげつない復讐である)



だが、そんな風にキャシーを苦しめながらも、一方では、歪んだ愛情で今でも熱烈に愛しているヒースクリフ。



ぬじれた愛情は、やがて悲劇へと進んでいくのであった……。





監督は、ウイリアム・ワイラー。(ローマの休日、ベンハーなどなど…)



ワイラーは、完璧主義で有名な方である。



自分が気にいる演技ができるまで、とにかく役者たちには、何度でも演技を強いるのである。




主演の二人、マール・オベロン(キャシー)とローレンス・オリヴィエ(ヒースクリフ)の二人も、さぞや、ワイラーに鍛え上げられたはずだ。



その甲斐あってか、マール・オベロンの演技は、見事なこと。


ともすれば、イヤ~な女になるキャシーをギリギリ上手に演じている。



ローレンス・オリヴィエも、純朴な青年だったヒースクリフから、復讐に燃えるヒースクリフへの変化を立派に演じている。




でも小説が刊行された当時、この『嵐が丘』が、一般の人々が受け入れられなかったのも妙に納得してしまった。




ご覧のように、登場人物たちが、全く《善い感じの性格じゃない》のだ。




貞淑な女性が一般的だった時代に、こんな奔放で言いたい放題のキャシーの性格は、まず同性には嫌われるはずだし、

復讐鬼に変貌するヒースクリフは本当にイヤ〜な野郎にしか見えなかったはずである。





それでも長い時が過ぎると、人の見方も変わってくる。




キャシーのふしだらさに、女性の本音を見いだして、


ヒースクリフには、男の諦めの悪い粘着質を……


横暴なヒンドリーには、裏に隠された心の弱さを見つけてしまうのだ。




人は綺麗事ばかりじゃない。



人の2面性や、むき出しの本音を語った『嵐が丘』が、やっと20世紀になって理解されるようになってきたのである。



世間は、この原作をこぞって求めはじめる。



こんな『嵐が丘』が、スンナリ受け入れられるようになったのも、人の理解力の向上や、それなりの進歩なのかな?(笑)




とにかく、これからも映画やドラマに形を変えて、我々の目の前に、ひょっこり登場するんであろう『嵐が丘』。



そのくらいインパクトのある登場人物たちは、いつまでも色褪せない魅力を放っているのである。


星☆☆☆☆☆。

2018年10月14日日曜日

映画 「探偵〈スルース〉」

1972年 アメリカ、イギリス合作。







監督はジョセフ・L・マンキーウィッツ

間違っても、スルース《探偵》2007年(酷いリメイク)ではないのであしからず。







世界的に有名な探偵小説家『アンドリュー・ワイク』(ローレンス・オリヴィエ)は壮大なカントリーハウスに住んでいる。



そんな場所へ、颯爽とスポーツカーでやって来たのは、美容師で、自他共にジゴロを気取っている若い『マイロ・ティンドル』(マイケル・ケイン)だった。



裏庭は、複雑な迷路に刈り込んだ庭園で、そこを抜けると、やっと屋敷がみえてくる。



マイロは手紙でワイクに呼び出されたのだ。



屋敷に入るとワイクは、マイロに、

「妻と浮気している事を知っているぞ」と、いきなり切り出した。



そして、「妻と別れてもよい」とアッサリ言い放つ。


てっきり修羅場を想像していたマイロは、こんなワイクの言葉に、ただ、ドギマギするばかり。


「だが、妻は浪費家だ。美容師の君に、あの妻を養っていく事はできまい!」


(まぁ、確かに………)


「そこで、だ……」

「この屋敷の金庫から宝石を盗んでほしいのだ! そして、その宝石には多額な保険がかけてある」


こんな、とんでもない提案にマイロもビックリ、目をパチクリさせた。


「君には宝石が手に入り、私には多額の保険金が入ってくる。私も君も得になる! どうかね?」




《 偽装盗難 》……


マイロは、一瞬躊躇したが、だが、それもほんの一瞬だった。



元々、ジゴロで遊び人のマイロ。


(今までだって危険な橋を渡ってきたんだ……こんな得になる話はないじゃないか……彼女と宝石が手に入るなら……)


この奇妙な申し出を受けるのだった。





かくして、この壮大な屋敷の中で、偽装盗難の準備がはじまる。



だが、本当に、こんなワイクの言葉を額面どおりに信じてよいものなのか。


騙し、騙されて……だがマイロも、また、ワイクの上をいくような悪知恵を披露して……



やがて、それは二人の生死をかけた心理ゲームになっていく…………



『イヴの総て』や『三人の妻への手紙』など傑作を次々ものにしてきた、ジョセフ・L・マンキーウィッツの最期の作品。



ローレンス・オリヴィエもマイケル・ケインもアカデミー賞にノミネートまでされた作品。



この映画を観たのも、そうとう昔………まだVHSの時代だ。


久しぶりに観てみたい気もするが、観れない。




なぜならblu‐rayにもdvdにもなってないからだー!(声を大にして言いたい!!)




TSUTAYAの発掘良品アンケートでもかならず、名前があがるのに。

2007年のリメイクがあるから、別にいいじゃないか、と思う方々もいるだろうが、とんでもない!!



リメイクは、80~90分たらずだが、この本編は128分もあるのだ。



それに閑散としたワイクの住まい(2007年)に比べて、1972年版のワイクの屋敷の豪華な事。


屋敷にも探偵小説家らしく、色々仕掛けがほどこされていて、それがいちいち凝っていているのだ。(美術スタッフもこれらを用意するのに相当苦労しただろうと思うのだ)


こんなワイクの屋敷の中をのぞくだけでもワクワクさせてくれる。

もう、見事としか言えない!!




それに、さすがローレンス・オリヴィエの演技。

若いマイケル・ケインの演技を上手くひきだして、牽引していると思うのだ。




最初に観た時、衝撃的だった。


128分間、登場人物が最後まで、たった二人だけ。


こんな映画があったのか、と。




たった二人だけの映画………騙し騙されて、知恵をふりしぼっての、お互いの意地とプライドをかけた演技合戦。




だから、リメイクにも充分期待していた。




期待していて、とてもガックリさせられた。

まるで足元にも及ばない。




ジュード・ロウとマイケル・ケインは素晴らしいのに、監督が、あの『ケネス・プラナー』。




ケネス・プラナーの監督した映画を、これまで、全く面白いと思った事がない自分。

もし、違う監督だったなら………少しはマシなリメイクになったのでは?




それにしても、いいかげん、Blu-rayでもDVDでもいいから発売してほしいですよ。


VHSから、dvdやblu-rayに移行するとき、こんな見捨てられた作品が、まだまだ沢山ある。



メーカーさんには、是非、是非、頑張ってほしいと願う、私のとっておきの一編なのである。


星☆☆☆☆☆。