2026年4月8日、11日。
2026年4月、世界が例の戦争に振り回されて、未だに混沌としてる時、日本は、九州で全く異なる戦闘機たちが町を賑わしていた。
一つは、長い間、海底に沈んでいたという戦闘機《紫電改》である。
時は、だいぶさかのぼって1945年。
鹿児島県は(現)霧島市福山町から颯爽と飛び立った《紫電改》。
操縦するのは海軍の若きエースパイロット、林義重大尉である。
2026年4月8日、11日。
2026年4月、世界が例の戦争に振り回されて、未だに混沌としてる時、日本は、九州で全く異なる戦闘機たちが町を賑わしていた。
一つは、長い間、海底に沈んでいたという戦闘機《紫電改》である。
時は、だいぶさかのぼって1945年。
鹿児島県は(現)霧島市福山町から颯爽と飛び立った《紫電改》。
操縦するのは海軍の若きエースパイロット、林義重大尉である。
2026年3月15日。
たまたま、偶然見つけたこの告知。
コレは絶対見に行かないとダメっしょ!(ミーハーの血が騒ぐ)
(こんなマニアックな情報、誰も興味がないだろうし、わざわざ見に行く人も少ないだろうなぁ〜 … )と思っていたのだが、そんな考えは甘かった。
朝、着いてみればこんな風に長蛇の列である。
なんとか乗船すると、皆がスマホ片手に撮影会。(かくいう私も)
乗船できても甲板上だけだったが、とにかく私には別の目的があったのだ。(ただボンヤリ見にいったわけではない)
この『いかづち』の《武装》を見たかったのである。
ここにいくつか見つけたモノを紹介しておこうと思う。
1∶オート・メラーラ62口径76mm砲(コンパクト・タイプ)
護衛艦の《顔》というべき、中央前部にド~ンと鎮座していて、子供が珍しげに触っているのが、この艦の主力兵器《オート・メラーラ62口径76mm砲》である。
イタリアは《オート・メラーラ社》が開発したらしく、そのまま、その名前が付けられているそうだ。
この丸みを帯びたデザインは《コンパクト砲(またはコンパット砲)》として分類されているらしい。
同じように《コンパクト砲》を備えた護衛艦《さみだれ》の射撃画像を見つけたので、ここに貼り付けておく。発射されれば《いかづち》もこんな感じなんだろうか。
2∶高性能20mm機関砲
ココだ!
これも《いかづち》の主要武器である。
「毎分約4500発、一秒間に約75発、発射される」と説明書には書いてある。
しかも補足として「一発、約一万円」と。
単純に計算しても4500発、連射されれば 4500万円だぁ〜!!(ゲゲッ〜!我々の血税が簡単に吹き飛ぶ〜!!😱)
恐ろしい武器である(笑)。
3∶HOSー302 3連装短魚雷発射管(水上発射管)
《魚雷》には水中発射管と水上発射管の二種類があるそうなのだ。(よく映画なんかで目にするのは潜水艦魚雷、《水中発射管》の方ね)
この魚雷も、一発のお値段は高いんでしょうねぇ〜 ……(機関砲一発のお値段を知ると、もう威力よりも金額ばかりが気になってしまう。貧乏人の悲しい性(さが)よ(笑))
後、《艦対艦誘導弾(ミサイル)》や他の武器もあるらしいのだが、甲板上のみと短い見学時間じゃ探せなかった。(素人ゆえスミマセン)
まぁ、滅多に出来ないような貴重な体験でしたけどね。
ここで話は変わるが、最近のニュースで、「日本が世界初で《レールガン》の開発に成功した!」と一部マスコミを賑わしていた。
《レールガン》とは何なのか?
弾薬も火薬も要らない、電気エネルギーだけの夢の必殺兵器、いわゆる《電磁砲》なのだ。
この《電磁砲》、凄まじき威力で、アメリカではいくら開発して実験してみても、発射した瞬間、一発で砲身が粉々になるほどだったとか。(それに耐えられるような強度のある金属がどうしても開発できなかったのだ)
それぐらい威力のある《レールガン》。
そんなアメリカが諦めた《レールガン》を、日本はコツコツ開発すると、あっさり成功させてしまったそうな。(特殊な金属合金やら、膨大な電気エネルギーを蓄電できるようなバッテリーやら …… やっぱ日本の技術力は凄いわ)
2025年、試験艦《あすか》では洋上射撃試験を強化し、実用化へ向けているのだという。
動く《ガンダム》にしろ、《レールガン》にしろ、アニメの世界を地で行くような日本。
いつか《レールガン》を搭載した護衛艦を我々は目にするかもしれない。
おしまい。
《↑凄まじき威力のレールガン》
☆その1《自販機》
何とはなしに立ち寄ったコンビニの駐車場にドカン!と設置されていた自販機。
(いったいなんの自販機だろう …… )と、近づいてよ〜く見てみると ……
全て《ゴカイ》が入っている自販機だった!
《ゴカイ》とは釣りなどに使われる餌(えさ)、《 ミミズ 》である。
(でも、コレってウニョウニョ生きている、あの《ミミズ》なんだよなぁ~ … )
こんなの初めて見たし、自販機大国・日本もここまできたのか、と感心するやら呆れるやら。
それだけ、この辺りでは需要があるって事なのか?(まぁ、すぐ近くに海があることはあるが)
☆その2《クルマ》
この車、そこまで親しくはないけど知人である《Dさん》(仮名)が乗っている軽自動車のフロント写真である。
ちょっと小肥りでのんびり屋のDさんは、まだ30歳半ばくらい。
でも、ちと、のんびりを通り越して《 阿呆 》じゃーないだろうか。
よ〜く見てほしい。
この写真を撮ったのが令和7年の7月。
フロントに貼り付けてあるシールは令和7年の1月。
とっくに半年前に《車検》が切れているのだ!!
こんなのを今の今まで気づかずに乗り回していたなんて。(本当に阿呆じゃ!)
車検切れの車を普通に乗り回していて公道を走れば、逮捕、数十万円の罰金、そうして、即、免許停止!❌
車検が切れた車は、レッカー車で運んでもらって車検を受けるか、仮ナンバーを取得して、即座に車検を受けなければならない。(私でもこのくらいの常識はある)
コレを発見した私は、これまた知人であるSさんに「本人に伝えるように」とお願いした。(Dさんとは、そこまで親しくもないし、逆恨みも怖いので)
その後、ど〜なったかは知らない。(まぁ役目は果たしたって事で)
世の中、色々な人がいるもんだ。
私より上には上がいるって事で。(いや、この場合は下か(笑))
お粗末さま。
「年頃になっても、あんまり浮ついたり、チャラチャラした恰好をすんなよ!」by 高倉健。
当時13歳でデビューしたばかりの薬師丸ひろ子が主演の高倉健が言われた言葉である。
この言葉は、少女だった薬師丸ひろ子の心の奥底にグサリと刺さり、かなり印象に残っていたようだ。(と、本人が語ってる)
高倉健といえば、《超》がつくほどのクソ真面目な性格で有名である。
映画でも撮影は基本、一発の1テイクだけ。(他の共演者たちはNGでも出せば冷や汗ものだったろう)
休憩時間でも座ることなく、ずっと立っていたりする。(大御所がこれなら、若手の俳優たちはかなり気を使っただろうな)
「自分、不器用ですから … 」と自嘲気味に語る高倉健。
かといって、人に対する気遣いは半端なくて、広い芸能界でも高倉健の悪口を言う人を今まで見たこともなかった。
…… でも、(こんな人の懐に入って仲良くなるなんてのは、かなり難儀だろうなぁ~)なんて、私なんか思ってしまう。
そんな敷居の高そうなハードルでも軽々超えてしまうのが薬師丸ひろ子なのだ。
それに、この言葉、一見ドきつそうな言い回しにも思えるが、明らかに高倉健にとって薬師丸ひろ子が特別な存在だったのが分かる言葉である。
見方を変えれば、身内か、まるで実の娘の行く末を心配しているようにも聴こえてくるのだ。
こういう気難しい人でも、氷解させて虜にさせてしまうのが、不思議な薬師丸ひろ子の魅力なのかもね。(まれにこういう人もいるよなぁ〜)
映画『野性の証明』では擬似親子を演じている二人。(薬師丸ひろ子が殺されてしまうので、映画の方は、なんとも後味の悪いような出来だけど … )
主題歌には町田義人さんの歌う『戦士の休息』が使われている。(これがけっこうな名曲!)
やがて2014年に高倉健が亡くなると、2016年に薬師丸ひろ子は『cinema songs』なるカバー・アルバムを発表した。
その中の一つに、あの名曲『戦士の休息』が収められている。
そうして、2018年のコンサートからは、曲目の中に毎年、この『戦士の休息』が組み込まれるようになった。
フル・オーケストラのアレンジにのせた薬師丸ひろ子の歌声は、オリジナルを上回るような出来で、初めて観た人などは、その表現力に圧巻させられると思う。
荘厳な雰囲気を漂わせていて、観客たちを異質な別世界へと誘(いざな)ってくれる。
前述に書いたことを踏まえて、改めて聴くと、まるで、敬愛する高倉健への《鎮魂歌(レクイエム)》のようにも聴こえてくるのだ。
久しぶりに歌を聴いて感動してしまった!
これこそが《本物の歌手》の歌である。
余計なお世話かもしれないが、ここに記しておく。(オススメ)
たぶん、私のヘンテコなブログを読んでいる方は、とっくに気づいてると思うが、私、最近のテレビや映画をほとんど観なくなってしまった。
LGBTQやコンプライアンスなどへの配慮で、表現の自由は制限されて、がんじがらめ。
要するに、つまらなくなったのだ。
だが、そんな私でも最近のニュースは、時折、耳に入ってくる。
『セクシー田中さん事件』。
『セクシー田中さん』という漫画がドラマ化されたのだが、原作者がその出来に全く納得せず、ドラマの最終2話を自らのりだし、脚本を手掛けるという緊急事態となった。
だが、仕上がった放送を観ては、さらに絶望して【命を絶つ】という、2024年最初を賑わす事件である。
この漫画は連載中だったらしい。(完結してない漫画をドラマ化するのも、どうなんだろう?)
私自体、漫画やドラマを実際に観ていないので、なんとも言えないが、ドラマを手掛けた女流脚本家は相当ネットで叩かれていた。
でも、こんなのは今に始まった話ではない。
漫画家や小説家の作品が、テレビでアニメ化や実写化されたり、映画化されたりする度に、オリジナルとの差異に苦しんだり、どう折り合いをつけていくのかは、昔からあった事である。
大昔、まだテレビや漫画が無かった時代に、最初に出来た序列は【映画>小説】であった。
横溝正史の金田一耕助なんてのは、映画化すればパリッとしたスーツ姿に無断改変されて、何本も映画が作られていく始末。(原作のような袴姿の石坂浩二が出てくるのは、ずっと後である)
推理よりも、変装したり銃をぶっ放したり、何でもアリである。(今じゃ考えられない話だが)
松本清張の小説だって同じようなもの。
主要人物を男から女に変えられたり、登場人物を削られたり足されたりしてる。
映画になれば、そこは無法地帯。もう、やりたい放題なのだ。
公然とこう言っていた輩もいたくらいである。
「退屈な小説を映画にしてやるんだから、《有り難く思え!》」と。(←どんだけ上から目線なんだか)
改変するにしても、原作者に、ちゃんと了承してもらいに出向いていくなんてのは、稀中(まれちゅう)の稀。
長い間、《映画》=《王様》の時代が続いてゆく。
その後、《テレビ》が入ってきても、《漫画》という媒体が入ってきても、《映画》の絶対的地位は揺るがず。
いつの間にか、昭和の終わり頃には、【映画>テレビ>漫画>小説】という、暗黙の序列が完成してしまうのである。(やっぱり《小説》が、ここでも四番手だ)
と、ここで、前回書いてみた泡坂妻夫先生の『乱れからくり』を例にしてみる。
この『乱れからくり』は、ドラマ版(1982年)より先がけて、1979年に映画化されている。
上の写真を見ても分かるように、主演は松田優作。
この映画化が、前回べた褒めしてたドラマ版の真逆をいくような仕上がり具合。
ハッキリ言えば、最悪の原作無視映画 に、なっているのだ。
ドラマ版であった《隕石落下シーン》は映画ではカット。(依頼人 『馬割朋浩』の死は凡庸な《交通事故死》に変えられている)
【ねじ屋敷】の《巨大迷路》もカット。(どうも予算の都合らしいが)
それらは、まだ良いにしても《交通事故死》した『朋浩』(沖雅也)が後半、再び突然出てくる展開にはビックリ業天する。(こんなのは原作にもない。死んだのは《影武者》だったとかに改変されているのだ)
オマケに、原作が推理小説にもかかわらず、この映画は決してやってはいけないような、何よりのタブーを犯している。
《真犯人》を別人に変えられているのだ!
これには開いた口が塞がらない。
生前、松田優作も「あの映画は思い出したくもない …… 」とか、言ってとかどうとか。
でも近年、小説を知らない人たちや松田優作フアンには、「そこそこ楽しめました」の評価。(人の受け止め方は、本当に十人十色だ)
観るかどうかは人それぞれにお任せしときます。
こんな変な慣習は、当然アニメ界にも存在していて、かの宮崎駿なんかは、まるで当たり前のように振る舞っている。
セカンド・シーズン『ルパン三世』の最終2話分『死の翼アルバトロス』、『さらば愛しのルパン』、劇場版『ルパン三世 カリオストロの城』を、自分好みにキャラクター・デザイン、脚本、演出まで、全て変えてしまい、原作から遠く離れてしまったルパンを堂々完成させてしまったのは有名な話。
今でこそ、これらの評価は高いが『カリオストロの城』なんかが劇場公開された当時は、悪評の嵐でございました。
「こんなのは本当のルパンじゃない!」と。(まぁ、分かるよ。漫画のルパンを読んでる人には真逆に映っただろうよ)
お陰で、映画は 大赤字 を叩きだしてしまい、宮崎駿は当分の間、業界からも干されてしまう。
この評価がガラリと変わったのは、何度かのテレビ放映や、ジブリを立ち上げてからの後の発展があったからこそ。(こんなに評価が180℃変わるなんて …… 世の中分からないねぇ~)
それでも、その後も宮崎駿の暴走は止まらず。
ある日、少女漫画『耳をすませば』を読んでいた宮崎駿は、(いい年したオッサンが少女漫画?)「結末が間違っている!!」と勝手に大激怒する。
キャラクターの趣味を《絵画》から《バイオリン》に変えて、ストーリーも結末も変えた、勝手な『耳をすませば』の映画にしてしまう。(原作者の柊あおいが、ジブリ作品のフアンだったので大事には至らなかったが …… どう見てもこれは暴挙だろう)
これらの例を見ても、分かるように「《映像》こそ一番のエンタメで、何をしても許されるのだ!」と思っている輩は、けっこう多いのである。
これは日本だけに限った事じゃなく、海外でも同じようなものだ。
あのアガサ・クリスティーなんか、生前幾多の映画が作られても、ポワロやミス・マープルものに及第点を与えなかった。(生前最後に観た、あの『オリエント急行殺人事件』のアルバート・フィニーのポワロにさえだ)
そうして、こういう小説と映画の溝をパロディーとして描いたテレビドラマも存在するくらいである。
それが、あの有名な海外ドラマ『ジェシカおばさんの事件簿』だ。(原題:Murder,She Wrote)
ある日、ジェシカの小説が映画化される事になった。
だが、撮影現場に行くと、原作には無いような墓場のセットが作られていて、今からここで主演の若い男女が真っ裸で《SEXする》というのだ!(ゲゲッ)
「私、こんなポルノまがいの小説なんて書いてない!こんな映画化なんて断固止めさせなきゃ!」
だが、プロデューサーの見せた契約書には、ジェシカの合意のサインが。
「あたし、なんてモノにサインしちゃったのかしら」と、ジェシカは慌てふためく。
でも、そのうち、本物の殺人が起きてしまい、無事(?)ジェシカの小説は撮影中止となるのである。
このドラマを観た時、私、膝をたたいた。
これを書いた脚本家、こういう業界の裏事情を、ちゃんと理解しているわ!
でも、こんなのが誇張でもなく、今まで現実として行われてきたのは、紛れもない事実なのだ。
だが、近年、この暗黙の序列も変わりつつある。
それが《インターネット》の普及によって。
最初に書いたように、『セクシー田中さん』の脚本家みたいに、原作者の意に沿わないような改変でもするものならネット上で総叩きになる。(この脚本家は名前を変えてでも復活するかしら?まぁ、無理だろうな~)
今や、この序列は《インターネット》を全監視役にして、【インターネット>(映画>テレビ>漫画>小説)】と、こんな具合になっているだろうか。
でも …… これも良し悪しの気が。
なんだか、誰も彼もがビクビク怖れて、何もかもが《小粒》というか《安全牌》にばかり走っているような気がしてきたのだ。
《小説》は、不景気や物価高、若者のゲーム依存諸々で、全く読まれなくなり売れなくもなってしまった。
あれだけあった本屋さんも簡単に潰れていく時代である。(政府は分かっているのかねぇ~、本屋が潰れるような国は、それだけ民度が低い国になっていくということを)
小説を読む者がいなくなれば新進の小説家など育つはずもない。(ベストセラーって言葉も聞かれなくなった)
《漫画》は、一本当たれば、それを出版社が延々と続けさせる。(100巻を超える漫画も今じゃザラ。誰が全巻揃えるのか(笑))
《テレビアニメ》は、昔のリメイクものばかり。
《テレビドラマ》は、漫画のドラマ化ばかり。(オリジナルの脚本なんてのは、滅多に書かせてもらえません)
そうして《映画》は、《テレビ》の映画化か、続編につぐ続編ばかりである …… (あぁ、書き出しながらイヤになってくる)
最近のモノにアンテナこそ張ってはいても、あまり観なくなってきたのは当然のような気がする。(同じような人は大勢いるはず)
結局、行き着くところは、今の政治が悪いからって事なのか?(反旗の声は高まってきてますが)
そんな中で少しだけ見えてきた一筋の光。(地方選挙で自民党惨敗中)
それまで私は一人、負のループから抜け出して、タイムマシンで時をさかのぼってみます。
80年代、70年代、60年代と …… なんなら100年前までと。
だいぶ映画やテレビについて厳しく書いたが、それでも砂山のような中からも、まだまだ私が見つけていないような砂金(良品)が見つかるかもしれないので。
おしまい。
つい先日、鹿児島県指宿市山川町にあるという、九州本土では最南端の場所《龍宮神社》に行ってきました。
《龍宮》…… そう、あの有名なおとぎ話、浦島太郎と乙姫様が、初めての出会ったことを記念して、建てられたという神社。
そういう意味も含めて、ここは、【縁結び】の神様などを唱えているのだ。
それにしても、この神社は綺麗✨だし、まだ新しすぎる。
それもそのはず、昭和の頃には石の祠(ほこら)だけだったものを、平成24年に建立し直したばかりなのである。(なにしろ最南端の場所ゆえ、毎年台風をもろに受けてはボロボロ。無惨な状態だったらしい)
そうして、この神社の真向かいの岬には、こんな灯台がある。
灯台の手前には、こんなハート型♥️のアーチまで。(《縁結び》の意味もあるんだろうが …… もはや、やり過ぎ感も)
こんな漫画付きの相関図まであったりなんかして(笑)。
この相関図も、一応は古来の《記紀(きき)(日本書紀や古事記など)》によって書かれたものだけど、本当なのか嘘なのか …… これ自体、あまりにも現実離れした話が多くて、信憑性なんてのは、かなり薄い気がする。
一般的に知られている浦島太郎の物語は完全なるフィクションだ。(明治時代に書かれた寓話である)
この相関図を見ても分かるように、《記紀》では、浦島太郎の名は山幸彦(やまさちひこ)。(またの名を『彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)』や『火遠理命(ひでりのみこと)』、他にもいくつか呼び名があったりして、目茶苦茶こんがらがるし、舌噛みそう😵💫)
オマケに海幸彦(うみさちひこ)(火照命)なんて長男がいて、山幸彦自体は三男坊である。(なぜか?《浦島太郎》の物語では《太郎》?三男坊だったら《三郎》だろうに)
この二人は名前のとおり、海幸彦は海の漁🎣が得意で、山幸彦は山での狩猟🏹が得意な兄弟である。(次男についての記述は見当たらない。何が得意だったんだろうか?)
ある日、山幸彦が「たまには、お互いの猟具を交換しようぜ!」と兄の海幸彦に提案した。
最初から気の進まない海幸彦だったが、山幸彦の、こらえ性のない性格を充分知っているし、争う気もなく渋々、了承する。(三男坊ってこんなもんよ(笑))
だが、不慣れな猟具では、やっぱり二人ともダメダメで、山幸彦にいたっては海幸彦の大切な釣り針を失くしてしまう。
「すまん!アニキ!代わりの釣り針を千本やるから、これで許してくれ!」
「山幸彦よ、あの針は私にとって大事な針。それにとって代われるモノはないのだ」
さすがに(どないしよう …… )と、海辺でうなだれている山幸彦。
そこへ偶然、塩推神(しおつちのかみ)(潮流の神様)が通りかかって事情を話すと、
「『綿津見神の宮(わたつみの かみのみや)』に行ってみれば?」とナイスなアドバイスをしてくれた。(いわゆる龍宮城のことである)
さっそく山幸彦が小舟に乗って海へ進んでいくと、小舟はいつしか異世界のような奇妙な場所へ …… (ここからお話は、SFやらオカルトなどが盛り沢山である)
そこは天国のような場所で、迎えてくれたのは海神様や、美しい豊玉姫様(乙姫様)。
海神様には大層気に入られて大歓迎をうける山幸彦。
海神様の娘・豊玉姫(乙姫様)なんて、山幸彦に一目惚れしてしまい、もうメロメロ状態である♥。
山幸彦は、やっぱり、今で言うところのイケメンさんなのだ。
美しい豊玉姫に言い寄らて、海神様にも「是非、娘と結婚してくれ!」と言われた山幸彦はニヤケ顔で超嬉しそう。
(まぁ、悪い気はしないなぁ~)と、思いながらも、『綿津見神の宮』(龍宮城)でズルズルと暮らすことになったのである。(最初、ここに来た目的も、今じゃ、すっかり忘れたようである(笑))
……… そうして月日は流れて、3年が経った頃
「そろそろ地上に帰らなくちゃなぁ~」と突然、山幸彦は言い出した。(なんと!地上では、とっくに300年が経過しているのだ。時間の進み方も異様に違い過ぎる)
もはや、山幸彦と別れるなんて無理な豊玉姫は泣いてすがる。
だって豊玉姫のお腹には、山幸彦の子供が、既に出来ちゃっているんですもん。(オイオイ)
それでも帰る気持ちの変わらない山幸彦に、海神様は《海幸彦の釣り針》を探しだしてくれて、釣り針には《兄の海幸彦が精神を病む》ような魔法をかけてくれた。(?)
オマケにこんな手土産までも持たせてしまう。
「これは【鹽盈の珠(しおみちのたま)】と【鹽乾の珠(しおひのたま)】じゃ。これで憎き(?)海幸彦が攻めてきたら、【鹽盈の珠】(水を満ちさせる)で 溺れさせて🌊、許しを請うてきたら、【鹽乾の珠】(水を日照らせる)を使って☀️助けてやるのだ!」(???)
この3年もの間に、兄の海幸彦の悪口を海神様に散々吹き込んでいたのだろうか …… 海神様の中では、海幸彦なんてのは、可愛い娘婿(むすめむこ)を苦しめるだけの存在。
まるで 極悪人扱い なのである。(なんてイヤ〜な性格の山幸彦!!悪いのはむしろお前だろうに💢)
こうして地上へ帰ってきた山幸彦は、ドラゴンボールのような不思議玉を使って、兄の海幸彦を屈服させた。(兄も地上では300年も経ってるのに、よ〜生きてたよ。やっぱり神様だから?)
イケメンでも、心はずる賢い悪魔。😈
根っから根性が腐っている山幸彦。
そんな中で豊玉姫のお産の日は、刻一刻と近づいてゆく ……
《②へ続く》