2019年3月28日木曜日

映画 「美しき冒険旅行」

1971年 イギリス。






一言でいうと、とっても変テコな映画。




父親と14歳の娘、それに6歳の弟の3人がオーストラリアの砂漠に旅行に来るんだけど ……



突然、父親がおかしくなって幼い息子にピストルを向けて、発砲する!


「お父さんが狂った!!」

姉は弟を引っ張って砂漠の中を逃げまどう。




親父はピストルを撃ちまくり、「ハハハッ!出てこい!!」と叫びながら、ガソリンをかぶって焼身自殺🔥。(ハァ?意味が分からない。本当に狂ってる?)


炎上する車の煙を遠くから見ている姉と弟。



「ねぇ、パパのところに戻らないの?」

訳がわからない弟はグズる。(観ているこっちも訳がわからないよ)


「とにかく逃げるのよ!」という少女。




次の日も、次の日も二人は砂漠を歩き続けて、もうクタクタ。

食糧はつき、喉はカラカラ。


それに追い打ちをかけるように、太陽はギラギラ🏜️と二人を照りつける。

汗すらも、もう出てこない。






そのうち弟も歩けなくなり、少女がおんぶして進んでいるが、その足どりも、だんだんと重くなってきている。



(神様…助けて………)

薄く目を開いても、ユラユラ揺れる陽炎の地平線が見えるだけだ。



いや!、まて!、その先に動くものが見える!



そして、それはどんどん、こちらに近づいてくる。

それは『人間』だ!

長い棒を持った黒い肌の少年だ。



腰布だけをまとい、棒を突いて獲物の動物を追いかけている。


そして、それを見事に仕留めると、向こうも、こちらに気がついたようだ。


少女のそばまで来ると、少年が原住民の言葉で話しかけてきた。

もちろん少女に少年の言葉は分からないが、少年の言葉はこうだった。



『ウォーク アバウトの途中だ!、どうしたんだい?』と。


言葉が理解できなくても、姉と弟は、少年の優しさを肌で感じた。

少年は二人に水を飲ませたり、狩りをして、食糧を与えてくれた。


原住民の少年がどこへ行くのか分からない…二人はついていくしかないのだ。



3人はオーストラリアの平原を旅していく ……




なんとも不思議な映画である。

説明なんて、全くありゃしない。




冒頭、何で父親が狂って弟にピストルを向けて殺そうとしたのか、そして自分も自殺したのか。



そもそも、この旅行は何の為にやってきたのか、まるで説明がない。


「理由は勝手に想像してください」って事なんだろうか?




この映画の原題が『WALK ABOUT』。


『ウォーク・アバウト』とは、オーストラリアの原住民の古くからある習わし。


男は16歳になれば、部族を、いったん離れて自立し、一人で生活しなければならない。

いわゆる成人するための通過儀式のようなものである。




それに、たまたま遭遇した姉弟。




そして、そして、原住民の知恵を侮るなかれ。

ピョンピョン跳び跳ねるカンガルーを、一発で仕留め、丸焼きにするなんざ、そんじょそこらの芸当ではできませんよ。(カンガルーの肉なんて、どんな味がするんだろう。 固そうに思えるが)



そして原住民の少年は、旅していくうちに、イギリス少女に恋してしまった。(16歳と14歳、人種や言葉は違えど、やはり男と女だものね)



やがて、3人は廃家を見つけて、そこに住み着いた。

少女と弟は家を守り、原住民の少年は狩りに行く。


しばらくはそんな暮らしの生活。




「でも、もう我慢できない!」

原住民の少年は、この「恋する気持ち♥️を、少女に伝えたい!」と思ってしまった。



少年は体中に白い複雑な模様を描き、廃家にも入らず、一晩中、外で踊り続ける。



これは原住民の求婚の踊りなのだが、それを知らない少女には、悲しいかな、ただ恐ろしいだけなのだ。←(まぁ、この化粧ですもん。本当に不気味)


それでも少年は、

(この俺の気持ちを分かってくれ!気持ちを受けとめてくれ!)とばかりに、益々、踊りに熱が入っていく。



少年の踊りが激しくなればなるほど、少女は恐ろしいものでも見るように、硬くドアを閉じて出てこなくなった。



言葉と人種の壁は、やはり取り払われなかったのだ。


次の朝、少女が外に出てみると、少年は近くの木に首をひっかけて、《首吊り自殺》をしていた。(ゲゲッ!)


振られたと思って絶望したのである。(男って奴は、なんて純なのだ。このシーンを観ると、そう思わずにはいられない。可哀想な少年の最初で最後の初恋だったのだ。)



この後、ようやっと民家までたどり着いた少女と弟は、無事にイギリスに帰ることができた。




そうして数年後、少女は大人になり、結婚し、普通の主婦になっている。

夫の帰宅を待ちながら料理をしていると、ふと、昔のあの旅行を思い出している。


あの原住民の少年との不思議な出会いを ………







監督のニコラス・ローグの映画を初めて観たのだが、観終わってからも、しばらくは ボワワァ~ン と夢の中にいるような気分。




残酷な場面もあるのに、「何なんでしょ?」 この妙な後味の残る感覚は。


こうやって文章におこしても、上手く説明しにくい感じである。




こんなのも、カルト映画っていうのかな?



まぁ、とにかく観終わった後も、ズルズルと、強い印象が残るような、一風変わった映画なのは確かである。



ニコラス・ローグの映画で有名なのは、ミステリー映画、『赤い影』なのだが、こちらも風変わりな噂が。
(主演ドナルド・サザーランド。本国イギリスではベスト100の中で1位をとるくらい、この映画はイギリス人に好かれているらしい)




後、蛇足だが、この原住民の少年を演じた独特なお顔のデヴィッド・ガルピリル

数年後、ある有名な映画で、再びおめにかかれることになる。


そう、それこそ、オーストラリア映画として大ヒットした『クロコダイル・ダンディー』なのである。


星☆☆☆。



2019年3月24日日曜日

映画 「サスペリア (1977)」

1977年 イタリア。






初見である。

もちろん昔から内容も知っていたし、評判も聞いていた。



これ以降のダリオ・アルジェントの変化も知っていたし、間違いなくこの『サスペリア』がターニング・ポイントになったのだと思う。



だが、近年リメイクもあり、それならば(1度観てもいいか)ぐらいの気持ちにもなってきたのである。



そうして観たのだけど………




ん〜 ……… あまり大騒ぎするほどじゃないような。(ゴメンナサイ)



前作の『サスペリア2(紅い深淵)』が面白過ぎて、あれがピークだったんじゃなかろうか。(前作なのに 《2》とは、ややこしい。全ては映画配給会社の下手な邦題のせい)





ドイツのバレエ学校に転入してきた主人公『スージー・バニヨン』(ジェシカ・ハーパー)の周りでおこる陰惨な事件は、全て学校を根城にしている《魔女》の仕業でした。

チャン、チャン!



簡単に要約すれば、これで終わる話なのだ。




それに《魔女》が、なぜに?自分の学校の女生徒たちを次から次に殺してしまうのか …… (この部分が特に理解不能だ)



生徒が次々と死んだり、行方不明になれば、当然父兄たちが大騒ぎするはずだし、マスコミも黙っちゃいないはず。


警察だって駆けつけてくるだろうに。(普通なら学校は閉鎖でしょうよ)



こんな疑問で悶々としている時に、映画で流れるゴブリンの音楽は、まぁ、うるさい事よ。


怖い効果を得るどころか興ざめしてしまう。




赤や青のド派手な色彩演出も、なんだかねぇ〜。(コレがイタリアン・ホラーの持ち味なんだろうけど)




それまでのアルジェント映画のドギツイ場面だけを並べたてたような映画。



まだ、恋人たちの変なイチャイチャするシーンや、くだらないアホなシーンがあった方がよっぽどいい。




前作の映画で知り合い、公私共にパートナーとなったダリア・ニコロディの助言により、魔女を題材にして、この映画を完成させたらしいが、ホラーのジャンルは、この人にそもそも合っているのかな?





真面目に演出すればするほど、溢れ漏れてくるおかしさ。


それがアルジェント映画の持ち味だと思うのに。(怖さは一切期待してない)





と、グチグチ言うのはここまで。



この映画でも、多少良かったところを、ここからは書いておきたいと思う。





良かったのは、それぞれの出演者たち。



●スージー・バニヨン(ジェシカ・ハーパー)…華奢な体つきがバレリーナにピッタリ。


ほんとうに踊れるのなら、一応バレエの発表会なんてシーンもあってもよかったかも。

それまでのアルジェントのヒロインに比べて、いかにも少女で可愛かった。




●ブランク夫人(ジョーン・ベネット)… 副校長。




校長(魔女)がいない学校をこの人が仕切るのだから、事実上、この学校の絶対的権力者。


堂々とした威厳のある恰幅のいいオバサンである。


若い時のベネットは格別綺麗で、代表作『飾り窓の女』は、1度観てみたい作品だ。


ただ、最後、何かもう少しアクションがあれば、とホトホト残念。




●ミス・タナー(アリダ・ヴァリ)… バレエ学校の教師で、ブランク夫人の右腕的存在。



この映画では、この人が一番よかったかもしれない。


高圧的で威張っていて、本当に嫌な役がピッタリなのだ。(変な褒め方だが実際そうなのだ)





バレエのレッスン中のスージーに副校長のブランク夫人が近づいてくる。


「スージー、さっき部屋が空いたので学校の寮に移りなさい」


それまで、女性徒のオルガと別のアパートでシェアをしていたスージーは、ブランク夫人の言葉に逆らう。


「それは規則ですか!」


「一応、寮生の登録をしているので。でも、あなたの好きにしていいのよ」と、理解のある風を装おうブランク夫人。




その後に、恐ろしい顔の『ミス・タナー』(アリダ・ヴァリ)がツカツカやって来るのだが、

「人一倍意志が強いのね、1度決めた事は決して変えようとしない。立派ですよ」とチクリと嫌味を言うのを忘れない。


そして、またツカツカと去っていく。




その後に始まったバレエのレッスン。


「なんだかおかしいわ……」スージーに突然異変がおこる。


躍りながら、フラフラとめまいが。(こりゃ、何か一服盛られたか?)


ホールに倒れこんで、スージーは 鼻血ブー!




そして、さっきブランク夫人が言っていた空き部屋へとっとと担ぎ込まれてしまう。



「さぁ、これを全部飲んで!!」

スージーを押さえつけて、デカイ花瓶一杯の水を、グイグイ強引に飲ませるミス・タナー。(なんて無茶な介抱なんだ!)



むせこむスージーには一切お構い無し。(さっきのスージーの生意気な態度に対するお返しとばかりに見える)


「さぁ、飲んで!鼻血で失った血を早く補給しないとね。そうですよね?先生?!」(どんなヤブ医者の処方だ。かえって具合が悪くなるようにも見えるが)



ヤブ医者も「そのとおりです」なんてアホな返事。




と、まぁ、万事こんな具合のミス・タナーなのである。





このミス・タナーを見て、映画『レベッカ』のダンヴァース夫人を思い出してしまった。



ブランク夫人を尊敬していて、それに逆らう者には、徹底して高圧的でイビリまくるとこなんざ、ダンヴァース夫人にソックリ。




思えば以前、『第三の男』でアリダ・ヴァリの事をケチョン、ケチョンに書いたものだった。


二人の男たちが、このアリダ・ヴァリを好きで、葛藤や苦悩をするのに、何故か、違和感を感じずにはいられなかったのだ。





アリダ・ヴァリの顔は骨格がしっかりしていて、ホームベース型で、むしろ男顔なのだ。



そして意志が強そうな、一見恐ろしい顔をしている。

二人の男がとりあうような美人にはとても見えない。




でも、この『サスペリア』では逆にそれがハマリ役となり、生き生きしているのである。



後年になって、やっとアリダ・ヴァリも自分の資質に合う役に出会えたと思うのだ。




だからこそ、この『サスペリア』の出来には少々ガッカリしたのかも。



ドギつさよりは、心理的な駆け引きや、謎となる《魔女》の正体、真の目的などに重点をおかれていたなら、良質なゴシック・ホラーになっていただろうに。



私の評価は星☆☆☆。


アリダ・ヴァリの頑張り+主人公スージーの可愛らしさ+そしてオマケ点である。

2019年3月23日土曜日

映画 「バンク・ジョブ」

2008年 イギリス。





1971年 『テリー』(ジェイソン・ステイサム)は、妻と子供に恵まれ、中古車販売をしていた。


そこへ現れた、見るからに人相の悪いゴロツキの二人組。

鉄パイプを取り出すと、テリーが販売している車のフロントガラスを叩き割りだした。



「いきなり来て何をしやがるんだ?!」

「うるせー!さっさと借りた金を返せ!」と言っては、ゴロツキ供は、次々と、中古車のガラスを割っていく。


テリーは経営不振の為に、悪徳業者から多額の借金をしていたのだ。




ゴロツキ共は散々暴れて去っていった。

メチャクチャにされた車の残骸を見ながら溜め息がでるテリー。(あ~あ)




そこへ1台の車がまた、やってきた。

「テリー、お困りのようね。いい話があるんだけど今夜会わない?」

それは昔馴染みの『マルティーヌ』だった。




そして、その夜、マルティーヌがいるクラブにやって来たテリー。

テリーが向かいの席に座ると、マルティーヌは、いきなり、とんでもない提案をしてきた。


「テリー、銀行を襲わない?」と。





ここで、少し時をさかのぼる。

アメリカのマルコムXを尊敬する自称『マイケルX』という黒人がいる。



公民権活動家を名乗っているが、中身は、好き放題にふるまっているテロリストだ。

今日も、白人のブラウン氏の事務所にやってくると、首輪をつけて、引きずりまわすという暴挙にでて暴れ放題。


でも、マイケルXは決して有罪にならない。(なんで?)


実はマイケルは王室のスキャンダル写真を隠し持ち、政府を脅迫して、様々な罪を逃れていたのだ。


政府も、やりたい放題のマイケルに手をだせない。

でも、このままじゃ奴の思う壺だ、何とかせねば。



とうとう政府はMI5の『ティム』に依頼する。



マイケルが、スキャンダル写真を隠していると思われるベイカーストリートの《ロイズ銀行》。


「いいか?ティム、なんとしても銀行から写真を取り戻さなければならないのだ。」

政府高官が言うと、何か考えがあるのか、ティムは、「ええ、お任せを」と、あっさりと頷くのだった。





それから、しばらくして、モロッコからの旅行で空港に着いたマルティーヌ。


ゲートを出ようとすると、

「スミマセンがこちらへ来てください」

と警備に呼び止められた。


「何なの?」

怪訝な顔のマルティーヌは、強引に引っ張られて行き、入念なボディーチェックや荷物検査をうける。


「ありました!」

と、ひとりの警備がマルティーヌの荷物から、ヘロインを見つけた。


「そんな……知らないわ」動揺するマルティーヌ。



マルティーヌは、知り合いのティムに、すぐさま助けの電話をかけた。

「ティム、助けてよ!」マルティーヌが電話口で叫ぶと、電話の向こう側で、ティムは、ある提案してきた。


「マルティーヌ、君を救うには、ある仕事をして我々のために働いてもらうよ。その仕事とは……」





「テリー、狙うのはロイズ銀行よ」


マルティーヌが、テリーに持ちかけたのは、自分を無罪放免にする為に、テリーに銀行強盗をさせることだった。(嫌な仕事を、上から順番に押し付けあって、最後にたどり着いたのがテリーだったわけだ)



「テリー、あなたは、大きな仕事ができる人なのよ。銀行には大金がある。大勝負してみない?」(よく言うよ)


自分の目的を言わず、悪女マルティーヌはテリーを説得し続ける。


銀行は警報装置の交換の為に、1週間は警備が手薄になる。

その間に、隣の建物を借りて、地下から銀行までのトンネルを掘る計画なのだ。



「とても一人じゃ無理だ、仲間を最低5人は集めないと…」

テリーも具体的な計画に真剣に考え始めた。


それに………

(妻と娘の為にも、この借金地獄から抜け出せるなら…)

そう思うテリーは決心した。






そして、ここに、もう一人の怪しい男がいる。


ポルノクラブを経営しているオーナー、『 ロウ・ヴォーゲル』(デヴィッド・スーシェ)だ。


政府の高官たち相手に、隠れ家の売春宿で、毎日荒稼ぎだ。


「もっと強く縛ってくれ!」

お偉いさんが裸で、SMの女王様に鞭打たれる姿を、マジックミラーで写真におさめさせる。
(こういうお堅い仕事の連中に変態が多いのは、昔からだが……)



変態写真、裏帳簿、全てはロイズ銀行の金庫へ。


もちろん、友人マイケルXへの助言を、したのも、この男ヴォーゲルだった。


「ロイズ銀行なら安全だ!」


ヴォーゲルは安心していたし、それを聞いているマイケルXも、安心しきっていた。



様々な人々の思惑が集約していく『ロイズ銀行』。

はて、さて、誰が最後に笑うのだろうか……。



いつもの画面一杯大暴れする、ジェイソン・ステイサムを期待しないでください。


拳銃の撃ち合いも、そんなにないし、多少は殴りあいもあるが、ジェイソン・ステイサムの映画にしては、かなりおとなしい。



それまでのステイサム映画の中では、この映画は、特殊な位置付けだと考えてる。



でも、でも、面白かったー!!



最初観たとき、まるで、ルパン三世のような話だと思った。



銀行襲撃のために地下トンネルを掘るサスペンスも見物だが、それより、なにより、『マルティーヌ』!


マルティーヌ役のサフロン・バロウズの小悪魔的な魅力は、まるで峰不二子。


美人でテリーを手玉にとり、仕事をやらせるとこなんざ、不二子その者じゃないか!




他の集められるメンバーも良かったが、とにかく女優サフロン・バロウズが輝く映画なのである。(ステイサムの映画で女性が、こんなに印象的なのも珍しいくらいだ)




そして、そして、悪漢のヴォーゲル役のデヴィド・スーシェ(ポワロ役の彼がこんな役で…最初、まったく気づかなかった)


私利私欲のためなら、どんな悪事もやる悪党。


やはり名優らしく、小憎らしいヴォーゲルが非常に上手かった!




そして、これらの俳優たちとも、上手く調和していて演技しているステイサムも、大変珍しかった。



そんなにステイサムばかりが、でしゃばりすぎず、全体のバランスがとてもいいのだ。

アメリカ映画じゃなくて、イギリス映画だから?(失礼(笑))



サターン賞にもノミネートまで、されちゃってる。



今のところ、ステイサムの一番の傑作といえる作品じゃないだろうか、と思っているのです。


それにしても、映画の終盤。



ステイサムがスーシェの襟首を掴んで、腹に一発!

道路に倒して、何度も蹴りあげるシーン。


(ステイサムよ~、歳なスーシェ相手にそこまでしなくても……どうか、少し手加減してやってよ!)と、庇いたくなってしまった。(笑)


星☆☆☆☆☆。



2019年3月18日月曜日

ドラマ 「チャーリーズ・エンジェル」

1976~1981年 。






やっぱ、『チャーリーズ・エンジェル』といえば、このテレビシリーズが本家本元だろう。




大富豪で謎の人物チャーリーにスカウトされた元婦人警官たち。


顔も見たことのないチャーリーの探偵事務所で、正義の為に、それぞれの特技やお色気をつかって八面六臂の大活躍をする。




何人かエンジェルたちを紹介したいので、どうぞおつきあいくださいませ〜。





サブリナ・ダンカンケイト・ジャクソン)… 肩までの長さの黒髪の女性。



いつもハイネックを着ている露出の少ないエンジェル。(本人が嫌がっていたらしいが)



ゆえに男性人気はいまひとつだったが、同性の女性視聴者には好かれていたらしい。


エンジェルの中では頭脳派で、作戦や計画をたてるのもこの人。


目の見えない父親がいるし、チャーリーとも知り合いらしい。


吹き替えでは、「~だわ」とか女言葉も少なかった。「~なんだ!」という断定的な言い方が特徴的で、よく覚えている。


あと、よく車の運転をして追跡したり、敵から逃げたりしていたなぁ~という記憶もある。

第1~3シーズンまで登板した。






ケリー・ギャレットジャクリーン・スミス)… ブラウンのふんわり長い髪と、整ったお顔が美人の部類にはいる。



サブリナよりお堅くなく、スタイルのよいビキニ姿をみせてくれる。




ジャクリーン・スミスがエンジェルに選ばれるには、最後まで難航したらしい。



モデルあがりの大根女優呼ばわりする輩もいて、(ヒドイ)本人も最初は辛い思いをしたらしいが。


だが、選ばれたジャクリーンは、露出を嫌がることもなく、様々なアクションにも進んで挑戦していった。


彼女だけが、第5シーズンまで続くハードなエンジェルを全話出演したことを思うと、そうとうメンタルは強い方だろう。




ケリーのエピソードで印象にのこっているのは、恋人役のトム・セレック(売れる前)との別れ。

エンジェルの仕事と恋の間で揺れ動き、結局泣き泣き別れるのだが … 。




思えばケリーのエピソードは悲惨なものが多い。



拳銃でアタマを撃たれたり(よく助かったものだ)、催眠術をかけられて危うく暴走車で死にそうになったり。

孤児院で育ったという境遇だけでも可哀想なのに、次から次へと災難が降りかかる。



最終回なんて、ケリーが生死をさまよい、他のエンジェルたちが見守る中で、これまでのエピソードを振り返るストーリー。


そして、やっと最後の最後に医者の側に隠れたチャーリーと対面するのだ。(DVDはシーズン3までしか発売していない、何故に4、5が出ないのだー!)



もちろんケリーは生還し、ハッピーエンドなるのだけど。





ジル・マンローファラ・フォーセット)……
 当時はファラ・フォーセット・メジャーズと名乗ってました。(俳優のリー・メジャーズと結婚していた為。後に離婚)



もう、この当時のファラ・フォーセットの人気ぶりは凄かった。



チャーリーズ・エンジェルが大人気番組になったのも、ファラの存在あってこそだった。



それくらい何もかもが衝撃的だったのだ。



まず、ファラといえば、あの、独特の髪型。


トップからたくさんのレイヤーがはいっていて、長い髪は、ふんわり広がり、いつも風を受けているよう。サーファーカットとか、ライオンヘアーなんて言われていたっけ。

これをマネする女性も、当時多かった。


そして、ニコッと笑うと歯が綺麗にみえるのも特徴的だった。



そして、なにより、なにより、衝撃的だったのが

『ノーブラ』!!!



ブラジャーを、まったくしないのだ!

ブラジャーをしないで、Tシャツとか、白いブラウスとかを着ればどうなるか…………




『チクビ』の形が、もう、くっきり丸見えなのである!!(ヤッター!!)



だが、本人、それを全然、気にすることも恥ずかしがることもなく平然としてる。



番組のプロデューサーは毎回ハラハラ。


「今日は番組中、7回も『チクビ』が立っていたぞー!!」なんていうのもしばしば。(なんちゅー表現じゃ (笑) )



だが、《チクビ効果》か、はたまたファラの髪型か、全てが負に向かわずに、人気はウナギ登り。


水着姿のポスターなんて全世界で1200万枚バカ売れしたのだった。



あと、ファラの凄いところは、髪型や《チクビ》だけではない。(やけにチクビにこだわっているなぁ)


運動神経抜群なのだ。


番組中でも、エンジェルたちが潜入捜査の為に、変装したり、様々な職業のプロになるのだが、どれも軽々こなしているようにも見えた。


水泳のインストラクターや、テニス、ローラースケートなどなど……、身体を使うスポーツのどれにも長けている。



特に印象に残っているのが、ジル(ファラ)がスケートボードに乗りながら、犯人の追跡する車から逃げる回。


自由自在に操りながら、右に左に華麗なスケボーさばき。

犯人に追われながらもジルのスケボーはスイスイ進んでいく。


道路に出れば、そばを通りかかったトラックの荷台に捕まりながら、スケボーを乗りまわすジル。(時速何キロでてるのか、危ねぇ~)


その後方を犯人の車が追う。


ジルの乗るスケボーは、トラックから離れると、広い公園にやってきた。


追いつく車を、すんでのところで、スケボーを上手く横に切る。



そして、くるんと、芝の上を1回転。



犯人の車は、正面の障害物をよけきれず、そのままぶつかり、ズドン!

犯人は捕まり、事件は見事一件落着するのだ。




CGも何もない時代に、ひとりの女優が、これだけの事を見せてくれる。

今、観ても、スゴイ事じゃなかろうか!



現代の、立ちんぼで棒読みの台詞しか言えない女優は、逆立ちしてもファラに敵うまい。




そして、瞬く間に、本国アメリカじゃオバケ番組になってしまった。(視聴率が60%まで跳ねあがったとか)


アメリカじゃ、出るわ出るわ!の「チャーリーズ・エンジェル」関連の商品。

3人のポスターから、関連本、3人の人形まで発売されてとぶように売れた。






そんなブームの時に、1シーズンでファラが、突然、降板してしまう。(夫のリー・メジャーズが奔放なエンジェル役に怒ったとか、本人が映画界に進出したかったとか……)



焦ったのは番組側だ。



この人気のファラを手放してなるものか、と大激怒。(そりゃ、金が金を呼ぶんだものね)

ファラの降板は、泥沼裁判まで持ち越されることになった。



そして、勝訴したのは、番組側。

結局、ファラは、8エピソードに出演することで裁判は和解したのだった。(ゲスト出演としてシーズン3、4に出てます)






そして、シーズン2よりレギュラーになるのが、



クリス・マンローシェリル・ラッド)… ジルの妹という設定だ。ジルが探偵事務所を辞めてレーサーに転向したので、それならばと連れてこられた妹なのだ。



当然、ジルの妹なので、サブリナやケリーとは、最初から顔なじみ。


だが、演じるシェリル・ラッドのプレッシャーは大変だったろうと思うのだ。


突然現れた彼女には、「なんだ?あの女は?」とか、「なんでファラの代わりがあの女なんだ?、ファラを出せ!!」とか番組側に非難や投書があったと推測される。



それくらいファラ・フォーセットの人気が爆発すぎた。

そして、何をしてもファラと比べられて見られたと思う。


シェリル・ラッドは、小さな時からスターを夢見て、ダンスを習い、母親の応援で、見事エンジェル役のオーディションに合格した。


163cmの欧米人としては、小柄な体格は、サブリナやケリーと並ぶと、ほんとに二人の妹にも見えてくる。



金髪の長い髪にオデコをみせるようにピンでとめている。

なんだか子リスみたいな笑顔をみせる女優さんだと思った。



多分に性格も素直なんだろう。



そんなブーイングに卑屈にもならずに、笑い演じる彼女もいつしか、エンジェルの仲間に溶け込んでいく。



固定フアンもついただろう。



だからこそ、最終のシーズン5までシェリルもジャクリーン・スミスと一緒に続投していったのだ。



かくいう自分もファラ・フォーセットは好きだったが、健気なシェリル・ラッドも好きになった。(世の男が守ってあげたいと思わせるものを、彼女からは感じさせた)






その後のエンジェルたちは、残念ながらあまり印象にない。



シーズン4だけのティファニー・ウェルズ(シェリー・ハック)… 霊感のつよいエンジェル?ピンとこなかった。

シーズン5だけのジュリー・ロジャース(タニヤ・ロバーツ)… セクシーだけ。ほとんど印象にない。




時代が80年代に近づくにつれて、エンジェルの勢いも衰退していった気がする。

それでも映画化やリブートが続くのは、この本家の輝きがあればこそ。


エンジェルよ永遠なれ。


星☆☆☆☆をつけたくなる気持ちご理解を。




あー!ボスレーの事、書くの忘れてた。

名優デヴィッド・ドイル様のコメディ演技、充分、笑わせてもらいました(笑)

2019年3月17日日曜日

映画 「歓びの毒牙」

1969年 イタリア、西ドイツ合作。






アメリカ人作家『サム・ダルマス』(トニー・ムサンテ)は、親友のカルロを頼り、イタリアに来て2年。


作家としてのスランプを乗り越えて、鳥類学の本も出版され、その評判も上々で浮かれていた。(とてもそんな小難しい本を書くような作家さんに見えないのだが…)



私生活も美人モデルの『ジュリア』(スージー・ケンドール)と付き合っているし、まさに絶好調。(鳥類学の作家とモデル?どこで知り合ったのだろうか?)


もうすぐジュリアを連れて、NYに帰国する予定である。



最近、この街では、若い女性ばかりが襲われる『通り魔殺人』が横行しているが、サムにはどこ吹く風。


本の小切手を無事受け取ると、カルロと別れて、スキップでもするように自宅に向けて歩きだした。



日が沈み、街は暗くなり始めている。




自宅へ向かう通りを歩くサムの目に、反対道路に、暗闇の中で、煌々と明るい、広い全面ガラス張りの画廊が映った。


道路に面したガラスは2重になっていて、玄関と、玄関ホールに、それぞれ自動ドアが設置されている。


その奥は、白い大理石の大ホールになっていて、幾つかのオブジェも飾られている。


ホールの横には2階に上がる階段がある。


それは道路にいるサムからも、ハッキリ見えていた。




その2階に、黒ずくめのコートを着た人物と女が揉み合いになっているのが見えている。


(何をしているんだろう…?)


サムが通りを渡って画廊に近付くと、コートの人物は階段をかけ下りて、1階の階段横の非常口から逃げるように出ていった。



その後、2階から女が腹をおさえながら、階段をゆっくりフラフラと下りてくる。



サムは、おもわず、自動ドアを抜けて画廊に入っていった。

が、次のドアを抜ける瞬間、自動ロックがかかり、完全に玄関の小ホールに閉じ込められてしまった。


女は腹を刺されたのか、おさえている腹からは血が滲みだしている。



「助け…て…」



ガラス張りの玄関ホールに閉じ込められたサムにも、その声は聞こえるようだった。


だが、施錠されて、ホールにも入れないし、外の通りに出ることもできない。


(どうすりゃいいんだ…)


その時、道路を歩く通行人の姿が、あった。



必死のジェスチャーでサムが呼び止めると、通行人の男も近づいてきた。


「警察を呼んでくれ!」

外の男にも、サムの必死の様子や倒れている女の姿が見えたのか、男は慌てて警察を呼びに一目散に走っていった。


(後は待つだけか……)

サムはガラス張りの閉じ込められたホールにしゃがみこんだ。




しばらくして警察がやってきて現場は騒然としている。

サムもやっと解放された。



「モニカ!モニカ、大丈夫か!?」

夫のラニエリが、血だらけで担架に載せられている女の側に駆け寄る。


女は救急車で運ばれたが、なんとか命はとりとめたようだ。



「全部話してくれ」警部の『モロシーニ』が目撃者のサムに質問する。


「何か…変だった…でもそれが何か思い出せない…」



次の日からサムの目撃証言の事情聴取が行われる。NY行きは事件解決まで取り止めだ。


否応なしにサムも事件に巻き込まれていくのだが……。





ダリオ・アルジェント初監督作品。


いろいろなアルジェント作品を観た後に、この最初の第1作目を観ると驚く。



破綻も少なく(多少は変なところもあるが)、まだまだ、まともな犯人探しミステリーなのだ。



モロシーニ警部や警察の捜査もスゴクまともだ。(当たり前の事なのだが、これ以降、どんどん変になっていくアルジェント映画では珍しい)



サムが、犯人が出ていったドアを迂闊に触ろうとすれば、「指紋があるかもしれない!」とモロシーニが厳しく制止する。


犯人とおぼしき人物を何人か並べては、サムに目撃者として面通しさせたりもする。



オカマの女装した男が並べば、モロシーニ警部が「下がれ!」と、いの一番に、はねのけるのだが。(「もお~失礼しちゃうわね」プンプンしながら出ていくオカマちゃんには笑える)



ちゃんと科捜研なんてモノまであるのには、ビックリしてしまう。(この時代にですよ)


「犯人が落としていった手袋からは、夫人の血痕の他に葉巻の灰が付着していました。調べたところ、バハマ産の高級葉巻です。、後、手袋の中からイギリス産のカシミヤの繊維も出ました」


当時としては、ちゃんとした捜査のやり方に「へぇ~」なんて言いながら、素直に感心してしまった。



もちろん、サムと恋人のジュリアのベッドシーンもある。(アルジェント作品にはお色気シーンはお約束)



だが、それよりも、主人公サムが鳥類学の本を書いているという設定が事件を紐解く鍵として、ちゃんと活かされている事に驚いてしまう。



多少の遊びもあり、ハラハラ、ドキドキもあり………これは、二時間サスペンスドラマのお手本みたいじゃないだろうか。



アルジェント作品とは思えないくらい、ホントに、まともな映画。(変な褒め方だ)



こんなに、まともなアルジェント映画なんて……。



これが後に、恐怖を超えた爆笑映画作りに変遷していくとは、この時は誰も予想していないはずだ。(決して馬鹿にしてませんよ!アルジェント大好きなんですから(笑))



初々しいデビュー作、星☆☆☆☆でございます。



2019年3月16日土曜日

映画 「幻の女」

1944年 アメリカ。







やっと、やっと、《幻の女》に会えた。



『らせん階段』のロバート・シオドマクが監督して、もうひとつの傑作といわれている映画。




原作は、ウイリアム・アイリッシュ。(本名:コーネル・ウールリッチ)


太平洋戦争の後、「Phantom Lady」の評判を聞き付けた江戸川乱歩が原書を探しまわって、夢中になったほどの小説。


「新しい探偵小説、直ぐに日本でも訳すべし!」


乱歩が太鼓判を押して、1950年に黒沼健により翻訳された『幻の女』。



その後、稲葉明雄により改訳された冒頭の出だしは、これまた有名なフレーズではじまる。



「夜は若く、彼も若かった。が、夜の空気は甘いのに、彼の気分は苦かった………」



この叙情的な文体は、日本人の心をとらえて、熱狂的に賛美されたのだった。




そして、ミステリーのベストテンをすれば、何十年たった今でも、必ず上位にランクインする『幻の女』。




かくいう自分も若い時に、このアイリッシュ(ウールリッチ)の作品を何冊も夢中になって読んだ記憶がある。



『幻の女』、『暗闇へのワルツ』、『黒衣の花嫁』、『黒い天使』、『暁の死線』、『死刑執行人のセレナーデ』などなど………。(とにかく本のタイトルの付け方が抜群にセンスがいい。タイトルだけでも手にとりたいと思わせるのだ)



どれも楽しく読んだ記憶があるが、今、現在、この歳になって読むには、この甘い雰囲気は、ちと気恥ずかしく思うかな。(やはり、アイリッシュ(ウールリッチ)の小説は、感受性豊かな若い時に読むべき小説なのだ)




そして、これらの小説は様々な映像作家や監督たちにも愛されている。



映像化もあらゆる国でされているのだ。




有名なのは、

アルフレッド・ヒッチコックの『裏窓

フランソワ・トリュフォーの『暗くなるまでこの恋を(暗闇へのワルツ)』、『黒衣の花嫁

ポワゾン(暗くなるまでこの恋をのリメイク)』




日本でも映像化は多い。



『幻の女』なんて何度も二時間ドラマになっているし、

山口百恵の引退ドラマ『赤い死線』は、『暁の死線』が原作である。





そして、かの『らせん階段』のロバート・シオドマクもアイリッシュの映画を撮っているという。



ぜひ観てみたい!



陰影のハッキリした美しいフィルムノワールの映像を撮るシオドマクなら、さぞや名作に仕上がっているだろうと期待しないわけにはいかない。


そして、やっとこさ、念願叶って観れたのだ。




面白かった!


面白かったけど、アイリッシュの甘い文体とは違い、やはりシオドマクの独特の映像に仕上がっている。


小説を読んでいるので、粗筋は覚えていたのだが、シオドマクは中盤で犯人を早々に明かしている。(真犯人を知りたくない方は、小説からどうぞ)






夕刻、妻と喧嘩したばかりの男『スコット』(アラン・カーティス)は、不機嫌そうな様子で、ぶらりとbarにやってきた。


寂しそうにしている奇妙な帽子をかぶった女と隣り合わせに座るスコット。


妻と行くはずだった劇場のチケットは、胸元のポケットにあり、このまま、おじゃんにするには勿体ない。



おもいきって帽子の女を誘うとスコットは、タクシーを拾い、一緒に劇場見物をした。


そして、後腐れなく別れた二人。


奇妙な帽子だけの印象で顔さえも思い出せない………そんな女だった。





深夜、家に帰るスコット。

灯りをつけると、幾人もの刑事たちが待ち構えていた。



「何だ?、君たちは?人の部屋に勝手に入ってきて!!」

怒りのスコットにニヤニヤ顔の刑事たちは、事情を説明した。




妻がスコットのネクタイで《絞め殺されていた》のだ。



「事件があった時、どこにいた?」パージェス警部がアリバイを聞いてくる。

「もちろん、《帽子の女》といたさ」とスコット。




だが、刑事たちが調べても、バーテンダーやタクシーの運転手、劇場関係者たちも口をそろえて、「そんな女は知らない」という。



確かに一緒にいたんだ!帽子の女は存在するんだ!幻なんかじゃない!!




スコットの懸命の訴えも届かず……やがて裁判の日。



アリバイが証明できないスコットは、陪審員たちにも信用ゼロ。

あっけなく、裁判では《死刑》の判決を受けてしまうのだった。




そんなスコットを心配して、留置所を訪ねてきたのは、スコットが経営する土木会社の秘書である『キャロル』(エラ・レインズ)。


「この人は人殺しなんてできる人じゃない!きっと《帽子の女》はいるはず!! 私が必ず救ってみせるわ!」


かねてから陰でスコットを慕っていたキャロルは無罪を証明するために、単身、《帽子の女》=《幻の女》探しの為に、無謀な行動を開始するのだが…………









エラ・レインズ(キャロル)……


キャサリン・ヘプバーンとローレン・バコールを足して2で割ったような顔の理知的な女優さんである。

シオドマク映画では、けっこうな常連さんで、これ以外にも出演しているとか。(『ハリー叔父さんの悪夢』、『容疑者』)



切れ長の目は、意志の強さを感じさせてくれるクール・ビューティー。

でもスコットへの情愛に溢れている魅力的なキャロルを演じている。






アラン・カーティス(スコット)……


ビックリした!

現代のルーク・エヴァンスに生き写しじゃないか?43歳で早く亡くなった彼は、転生してルークに生まれ変わったのだろうか。



奥さんがいながら、幻の女と一夜のデートをしても、こんだけ『キャロル』(エラ・レインズ)に慕われる役得の『スコット』なんだけど、このアラン・カーティスのハンサム具合いなら皆、納得してしまうかもね。






フランチョット・トーン(ジャック)……


 痩せこけて長い顔してる。


おまけに、顔の半分が変な風に動かせるので、(演技?特技?)病的な不気味さが充分伝わってくる。


逮捕されたスコットの知人で、無罪を勝ち取ろうと一生懸命なキャロルにも、一見協力的なのだけど……(勘の良い人なら、これだけ書けば、誰が真犯人か分かりますよね?)





このメインとなる3人の俳優たちを、全く知らなかったので、あまり先入観もなくサクサク観れました。





犯人の殺害シーンを直接見せないのは、監督ロバート・シオドマクらしさの演出。


ここでは、この演出が、かえって効果をあげていて下品にならず、原作の持つ品の良さを残していると思う。



小説とは違い、改変されている部分もあるが、この映画『幻の女』も、なかなかの良作に仕上がっている。


それに、上映時間が87分。(90分ないのだからスゴイ!)



これもシオドマクの傑作として自分は大好きである。


星☆☆☆☆です。


2019年3月15日金曜日

ドラマ 「刑事コロンボ」

1968年~2003年。





1968年といえば自分が生まれた年で、それが、つい数年前制作されていた事を考えると驚異的である。




「刑事コロンボ」のレギュラーは、主役のピーター・フォークしかいない。

脇のサブ・キャラクターもまったくでない。


よくコロンボの口癖で「うちのカミさんが~」なんてセリフがあるが、長いシリーズで、Mrs.コロンボが出演した事もない。




ゆえに、全てはピーター・フォークが出演するか、しないかだけの問題で、それをクリアすれば、何も問題なく撮影が開始できるわけなのだ。


長期シリーズも納得である。




それにしても、ピーター・フォークもよく、この「コロンボ」だけではなく、様々な映画にも出演しながら、俳優業を全うしたものだ。




ピーター・フォークの右目は義眼である。


3歳の時、腫瘍ができ、摘出手術をしている。


子供のときからとはいえ、片目で台本を読み、覚え、演じる事の困難さや、大変さを思うと尊敬してしまう。






またまた脱線したが、話を「コロンボ」に戻そう。


「コロンボ」は倒叙ミステリーである。



「倒叙(とうじょ)ミステリー」とは、真犯人が最初から分かっていて、完全犯罪を目論み、それを警察や探偵が、アリバイ崩しや、決め手になる証拠で、追いつめていく手法である。



最後に、あっと驚く真犯人が明かされるクリスティーの小説とは、真逆の手法をとっているミステリーなのだ。


でも、「最初から犯人が分かっていているミステリーが面白いのか?」って思う人もいるに違いないが、

それが、ツボにハマればけっこう「面白い」んです。


視聴者に、冒頭、頭の良い犯人の殺人をじっくり見せてからの、細心のアリバイ計画。

(よし!これで完璧だ!完全犯罪だ!)

愚鈍な警察さえも騙せると、胸をはって「いつものように普通の生活をおくっています!」の演技をする犯人。



そこへ「コロンボ」!



ヨレヨレのコートに身を包み、モジャモジャアタマをかきながら、冴えない風貌の「コロンボ」が現れる。


この身なりに犯人は、一旦は堅いガードを解くのだが、「コロンボ」の中身は、食らい付いたら、決して離れない刑事魂の塊のような人物なのだ。


あちこち歩き回り、質問し、些細な事に疑問をもち、また質問を繰り返す。



質問が終わり、コロンボが帰ろうとして、ホッと胸を撫で下ろす犯人。(やっと、このしつこい男からを解放された)


その時、コロンボがドアの前で、Uターンして、振り向き様に、


「あの~もうひとつだけお訊きしてよろしいでしょうか?」

と言って戻ってくる。


もう、この時の、犯人のイライラした様子。


(またかよ?いい加減しつこい!さっさと帰れよ!)という、犯人の内なる声が、観ているこちら側にも聞こえてきそうで笑ってしまうのだ。


そして結果は、コロンボの粘り強い作戦勝ち。


馬脚を現した犯人の完全犯罪は、脆くも崩れ去るのである。



このパターンをおさえながらシリーズは続いていく。




シリーズは2003年まで69本あり、NHKが以前アンケートをとったが結果はごらんのとおり。


1位、「別れのワイン」

2位、「二枚のドガの絵」

3位、「忘れられたスター」

4位、「溶ける糸」

5位、「パイルD-3の壁」

6位、「祝砲の挽歌」

7位、「ロンドンの傘」

8位、「構想の死角」

9位、「歌声の消えた海」

10位、「逆転の構図」……と続く。



個人的にはジャネット・リーの「忘れられたスター」が入った事やレナード・ニモイ「溶ける糸」は嬉しかった。



ヴェラ・マイルズの「毒のある花」やアン・バクスターの「偶像のレクイエム」やマーティン・ランドーの「二つの顔」も捨てがたい。



有名俳優、女優たちが「こんな役で?!」も、このシリーズの楽しみでもある。


それに、どこから観ても楽しめる。こんなシリーズも珍しいだろう。


もちろん星☆☆☆☆☆をつけさせて頂きます。



2019年3月11日月曜日

映画 「わたしは目撃者」

1971年 イタリア、フランス合作。






元新聞記者で、現在は盲目の老人『アルノ』(カール・マルデン)は、孫娘の幼い『ローリー』と二人暮らしだ。


まだ、7、8歳くらいだろうか……それでもローリーは、目の見えないアルノを介助して、あれこれと気づかいのできる優しい女の子である。


アルノも、盲目とはいえ他の感覚は研ぎ澄まされていて、大抵の事は自分でもできるし。




そんな二人はある夜、散歩に出かけた。(子供を夜に連れ出してはいけません (笑) )



二人がしばらく歩くと、アルノは近くの車の中で、誰かが言い争う声を耳にする。


ローリーに「ちょっと見てきなさい」というアルノ老人。(危ないんじゃねぇ?)



ローリーは、車のそばを通ると、即座に戻ってきた。


「一人は男の人だったけど、もう一人は分からなかったわ」


(なんて事はない、ただの痴話喧嘩かもしれないな……)


アルノの好奇心が一旦おさまると、二人はその場所を立ち去っていった。




その後、その側の研究所には、強盗が入り込んで、警備員を襲うという、ちょっとした事件が起こった。


《人の染色体を研究している》という特殊な、この施設では、責任者の『テルジ博士』が警察の職務質問をうけていた。


「特に取られたものはないようだが……」


他の研究員たちも、やっぱり同じ返事。(この辺り、誰が誰だか区別しにくい)



だが、その中で、研究員の一人『カラブレジ博士』だけが、なにやら様子がおかしいそうだ。




次の日、そのカラブレジは、恋人に会った後、他の誰かと待ち合わせなのか、駅のホームへとやってきた。



お目当ての人物がいないのか……ホームの人混みをキョロキョロと見渡している。



そんなホームへ、列車が入ってきた。


その時、誰かの手が、カラブレジを線路へ突き飛ばした。


そこへ偶然居合わせた新聞社のカメラマン。(ホント、偶然すぎやしないか?)



カラブレジが線路に落ちて、列車に轢かれる、まさに!決定的な瞬間を、カメラは連続でシャッターにおさめたのだった。(なんて悪趣味な)



あわれ、カラブレジは無惨な姿で轢死体なのだが、カメラマンは《特ダネ》をおさえて、嬉々としている。





翌朝には、その事件の記事が、大きな見出しで、写真と供に、ドドーン!と新聞に掲載されていたのだった。



その新聞を、あの幼い女の子『ローリー』が盲人の『アルノ』に読み聴かせている。



すると、ローリーが突然、叫んだのだ。


「あの男の人だわ!」

「昨日、車の中で言い争っていた人よ!」


「えっ?」


(偶然だろうか?昨日の男が無惨な死をとげたのは……)


元新聞記者だったアルノの好奇心が、ムクムクとアタマをもちあげはじめたのだった。





早速、アルノは幼いローリーを伴って、記事が書かれたという新聞社へとやってきた。


人の良さそうな担当者『ジョルダーニ』(ジェームズ・フランシスカス)は、アルノの話を聞くと、がぜん興味をもったようである。


「もしかすると…」

ジョルダーニは、新聞に掲載するときに、写真をサイズカットする事に気づいて、「ネガの中に《何か》が写りこんでいるかもしれない!」と言い出したのだ。



早速、カメラマンに電話してネガを確認してもらうと、


「写ってるぞ、確かに誰かの手がハッキリと!犯人が突き落としたんだ!」の好返事。


してやったり!



「今から、そこへ取りにいくから待っててくれ!」



だが、その時、自宅の現像室でカメラマンが、ネガを写真にやいているのを、不気味な目が、淡々と覗いていた。


そして、背後から近づくと、いきなり首を絞めあげて、鋭利なモノで切りつけてきたのだった。



そうして去っていく犯人。(まったく、どうやって犯人はカメラマンの住所まで調べあげたのかね……謎である)



ジョルダーニがやってくると、案の定、カメラマンは殺されていて、肝心のネガは奪われていた。


「やられたー!」

だが、もはや諦めきれないジョルダーニは、アルノ&ローリーと供に、真犯人を探そうとして行動はじめる。


(殺されたのは研究員の博士だ……あの研究所には何かあるのかも………)


どんどん事件の深みへとはまっていくのだが……






ダリオ・アルジェントの監督作品2作目である。



『サスペリアPART2』でも書いたが、皆様、お願いだからハードルを下げて、温かい目で観てやってほしい。(「何でやねん!」とツッコミをいれながら、観るのがアルジェント映画なのだから)



例によって突っ込みどころ満載の犯人の行動や殺し方に、怖さなんて微塵も感じないし、笑いさえ浮かんでくるのは不謹慎だろうか?(笑)



1作目の『歓びの毒牙』が上手くいって、「よし!2作目も!」と勢いこんで取り組んだアルジェント。


本格ミステリー映画を、本人は撮りたかったはずなのだ。



でも、どうしてこうなってしまうのか。



出だしは快調でも、この映画はドンドンおかしな方向へと流れてしまうのである。



本筋をそれて、どうでもいいようなシーンに時間をさいてしまうアルジェントの悪いクセが、モロに出てしまっているのだ。




その結果、真犯人が最後に現れても、


「誰だっけ?この人?!」になってしまったのである。(ありゃりゃ~、最悪)



(しまった!色々入れすぎて、犯人の描写を描くのを、すっかり忘れてしまっていた!)


完成した試写を観て、本人も即座に思ったのじゃないのかな?



ジョルダーニ役のジェームズ・フランシスカスが、研究施設のテルジ博士の養女『アンナ』(カトリーヌ・スパーク)と恋仲になったり、ベッドシーンがあったり。(これはこれで必要かも。カトリーヌの●●●●が拝めますし)


そんなシーンの連続で、映画は凸凹道を進んでしまって、肝心かなめの犯人描写を忘れてしまっていたアルジェントさん。(この映画、ちゃんと脚本はあったのだろうか? 何だか撮りながら、その場その場のノリで撮影したようにも思えてしまうのだけど)




ジェームズ・フランシスカス(新・猿の惑星)、

カール・マルデン(欲望という名の電車、助演男優賞受賞)、

カトリーヌ・スパーク(狂ったバカンス)


せっかく名優たちを集めたのに、ちと残念な仕上がりかもしれない。





だが、これがアルジェントでもあるしなぁ~。


やはり、自分は、こんな映画でも見捨てられないのだ。(分かってくだされ)


極甘の評価で、星☆☆。


けなす人が大多数だろうと思われる、この映画も《アルジェント・フアン》には、たまらなく愛しく思えるのだから、本当に稀な監督さんである。(かくいうワタクシも、その一人なのだ)


《謎解き》や《意外な犯人》なんていうミステリー映画の定石は、お願いだから期待しないでね。