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2020年9月13日日曜日

映画 「パニック・イン・スタジアム」

1976年 アメリカ。






広大なスタジアムに次々集まってくる大勢の人々。


アメリカン・フットボールの試合があるのだ。


だが、スコアボードの上からは、ライフルを持った狙撃手の姿が!


何とか観客たちの身の安全を守ろうと警察とSWATたちは、謎の狙撃手を捕まえようとするのだが………。





簡単に説明すると、こんなお話なのだが……まぁ、観るのがツライ映画でございました。



とにかく話が遅々として進まない。



映画の半分くらいまで、ど~でもいいような、その他の観客たちがスタジアムに集結するまでを描くので、途中で何度も寝てしまった(笑)。



その中には、ボー・ブリッジスやジーナ・ローランズ(グロリア)、デヴィッド・ジャンセン(逃亡者)などの姿もあるのに。




でも、こんな有名人たちが揃っているのに、特に活躍もしないで、アメフトの試合を観戦しては、ただベラベラ喋っているだけなのだ。(そりゃ寝てしまうわ)



主演のチャールトン・ヘストンは警察部長?


狙撃者を確保しようとSWATのチーム・リーダー、ジョン・カサベテスと連携をとりながら指示を出す。




この映画は、失敗だったかも………と諦めかけた頃、最後の30分くらいになって、よ~やっと話が動き出す。



狙撃手がスタジアムの観客めがけて、銃を乱射しはじめたのだ。(哀れデヴィッド・ジャンセン撃たれる)


銃が乱射されても、しばらくはアメフトの試合に熱狂して気づかない観客たち。(コイツら)



やっと異変に気づくと、皆が出口を探して大混乱。


「キャァァー!助けて!」(やっとかよ)


観客たちがスタジアムから出ようと大騒ぎしているとき、やっと、一応主役の威厳を見せつけて、チャールトン・ヘストンの銃が、狙撃者を仕留める。



捕まえた狙撃者に、

「おい!誰に頼まれてこんな事をしたんだ!?」と質問するも、狙撃者は何も答えず、ガクリと首をうなだれて死んでしまう。


結局、誰かに雇われてこんな騒ぎをおこしたかったのか、本人の意志だったのか理由は分からずしまい。


映画は、夕暮れにさしかかったスタジアムを撮しながら終わるのである。





…………………そりゃ、ねーべ!


今まで我慢して観てきたのに(途中で寝てるけど)、何なんじゃ、この映画は?!



監督は『ある戦慄』のラリー・ピアースで、おもいっきり期待していたのに、この出来栄えには、少々ガックリ。(この映画を褒めいている人もいるけど、どこが良いのか教えてほしい)



どうも、この監督さんは『ある戦慄』だけの一発屋だったのかな?(まぁ、1作だけでも傑作があるだけ良しとするか)




脚本も悪ければ編集も悪い。(こんな映画なら、まだ短くしていいかも)



アメフトに興味ない私は、大勢のアメリカ人がこれほど熱狂する様を、ただ傍観(途中でウトウト)するだけなのでした。(結局、寝てばっかりかよ(笑))



ただ ……… 

この映画で 洋服を着ているチャールトン・ヘストンは希少かも。(なんせ『十戒』、『ベン・ハー』、『猿の惑星』と《裸に腰布一枚俳優》)


ちゃんとした恰好のヘストンさんを観たい人には(オススメ?)一応しておきますかね。

2020年5月1日金曜日

映画 「十戒」

1956年 アメリカ。






遥か昔、太古のエジプト。



占い師が、突如、「今度、産まれてくるヘブライ人の中に救世主がいる!」と大予言した。




この時代のヘブライ人といえば、自由なんかまるでなく、奴隷として、エジプト人に尽くすのが当たり前。



そんなヘブライ人の救世主など、断固として許せるわけがない。



ファラオ王(ラメス一世)は、「今度、産まれてくるヘブライ人の長子を一人残らず、全て殺してしまえ!!」と無理難題な命令を下す。(残酷~)




そして、産まれた赤子のヘブライ人。


「どうか、この子をお救いください」

産まれた我が子を泣く泣く、籠に入れてナイル川に流した母親。



籠はドンブラコ、ドンブラコと流れていき…………偶然、一人の女性に拾われた。



拾ったのは、なんと!エジプトの王女ベシア。


「この子は神さまからの授かり物だわ!私の息子として育てましょう!」


子供は『モーセ』と名付けられた。




ヘブライ人なのに、何の因果か?エジプトの王子として、立派な青年として育てられた『モーセ』(チャールトン・ヘストン)。



武運に長けるモーセは、ベシアの夫で、先代のラメス一世の息子でもある、『セティ一世』も大のお気に入り。(何と、この時代、セティ一世とベシアは兄妹なのに結婚して、子供をもうけているのだ。近親相姦も当たり前。)




セティ一世とベシアには、実子として、『ラメス二世』(ユル・ブリンナー)と『ネフレテリ』(アン・バクスター)がいたのだが、妹ネフレテリも、モーセにメロメロの様子だ。



「私の心は生涯あなたのモノです……」

こんなモーセの甘い囁きは、ネフレテリを夢中にさせている。


だが、この状況に、ひとりだけ面白くない人物がいる。




お察しのとおり、『ラメス二世』(ユル・ブリンナー)である。



「父も母も、そして妹までも…………皆がモーセ!モーセ!モーセ!アイツさえいなければ、俺がネフレテリと結婚して王になれるのに…………」(だから、それ、近親相姦ですって!)




ラメス二世の憎悪は静かにくすぶっている。




それでも恋も皆の信望もあるモーセは、絶好調。



だが、そんな『モーセ』の運命は、ある日を境にガラリと変わってしまう…………。



この映画、長い間、「十戒」を「じゅっかい」だと思って読んでいたら、とんだ勘違い。



最近になって「じっかい」だったんと知った始末である。(今更ど~でもいい事なんだけど)



ここでいう『ヘブライ人』というのも、今回調べてみると、『ユダヤ人』ないし『イスラエル人』の事らしい。



もちろん、この『十戒』の方が、年代的に先なのだが、同じようにユダヤ人迫害のテーマを扱っている『ベン・ハー』とも似ていて、この両作品は異母兄弟のように思っている。(監督は違えど、主演は同じチャールトン・ヘストンですもんね)





で、ここから先の展開なんだけど、勘のいい人なら、薄々感ずいていると思うが…………『モーセ』(チャールトン・ヘストン)の素性がバレてしまう。




「お前は、本当はヘブライ人じゃないのか?!」



ラメス二世にバレて、真っ逆さまに(落ちて、デザイアー♪じゃない!(笑))、奴隷として鎖につながれてしまうモーセ。



やっぱり、チャールトン・ヘストンは、こうなってしまう運命なのか……。(トホホ)



もう、この絵面だけを見れば、『十戒』なのか、『ベン・ハー』なのか『猿の惑星』なのか区別がつかないくらいである。



毎回、裸に腰布1枚で鎖に繋がれるチャールトン・ヘストン。もう、この時から様になってます。




我が子同然に、可愛がって育てたセティ一世は、ものすごく落胆していて刑罰さえも決められない。



「こいつを放り出せ!!」


わずかな食料と水の施しを与えられて、モーセは炎天下の砂漠へと放り出された。




でも、やはり主人公!



こんなところで、くたばるはずもありません。


捨てる神あれば拾う神あり。



羊飼いの女性たちに助けられて、その内のひとりと結婚。





その後は、シナイの山で、不思議な神の声を聴くモーセ。



「お前の使命は、エジプトにいるヘブライ人たちを助けだすことだぁぁーー!」(幻聴?ノイローゼ?(笑))


その声と一緒に、不思議な力を授けられたモーセは、もう、まるで万能な『魔法使い』。




『魔法使いモーセ』の誕生である。




この後は、皆がご存じな、有名なシーン……………あの海が真っ二つに割れて、その間を進んで歩くヘブライたちを救うモーセと、なっていくのです。(何でもアリやんけ)



このシーンのド迫力。




CGなどなかった時代に、当時の人たちは、ぶったまげた事でしょうよ。



昔、天童よしみの『珍島物語』がヒットした頃、この曲が流れると、なぜか?この映画『十戒』を思いだしていた。



海が割れるのよぉ~♪


道ができるのよぉ~♪



まさに『十戒』の事を歌った曲じゃないかな?




決して中森明菜の『十戒 1984』ではございませんのであしからず。(笑)


こんな『十戒』、けっこう見ごたえありですぞ。

星☆☆☆☆。


2020年4月21日火曜日

映画 「猿の惑星」

1968年 アメリカ。







表向きはSF映画の金字塔。でも、中身は ……





宇宙空間を漂う、四人の乗組員を乗せた宇宙船。


1972年に出発した宇宙船は、約6ヶ月の宇宙の旅を終えて、無事、地球への帰還を目指していた。


船長『テイラー』(チャールトン・ヘストン)だけが起きていて、宇宙船から見える光の粒子の先を見つめている。



他の3人は、コールド・スリープのカプセルで、スヤスヤ冬眠中。



自分たちにとっては、たった半年の旅だったが、地球上では既に、とてつもない、長い年月が経っていた。


「もう、2673年か………」

もはや、自分たちを送り出してくれた人々も、とっくに亡くなっている。



地球は相変わらず戦争を繰り返しているのか………それとも………。



未来の地球に想像をめぐらせながら、テイラーも睡眠の為に注射すると、カプセルの中に潜り込んだ。


(次に目覚める時は地球………)




だが、宇宙船は何かの計器トラブルをおこし、見知らぬ惑星の湖上へ墜落。



唯一の女性隊員は、カプセルの中でミイラ化していた。



「みんな、脱出するんだ!!」


水に浸かった宇宙船の中で、パニックになりながらも、残りの二人の隊員たちと共に、テイラーは脱出した。



未開の惑星の大地に降り立った3人。


「何とか空気はあるが………ここはいったいどこなんだ?!………」


テイラーたちの冒険がはじまる ………



こんな感じで、至極、真面目な様子ではじまる『猿の惑星』なのだが………真面目なのは、ここまで。



ここから先はトンでもない展開の連続である。






島に着いた3人は水場を見つけると大ハシャギ。



着ている宇宙服を脱ぎ捨てて、恥ずかしさも忘れて、素っ裸になると、「キャッ!キャッ!」と大騒ぎ。(いきなりヌーディストクラブ状態)



で、戻ってみると、誰かの手によって衣服は盗まれてる。(素っ裸でど~すんの?この先)



「急いで探すんだ!」『テイラー』(チャールトン・ヘストン)も焦る焦る。(もう、隠す布切れすらないと人間は、こんなにも無力な生き物)



そのうち、3人は猿の騎兵隊たちに捕らえられて檻の中。


ここは高度な知能が発達した猿たちが支配する『猿の惑星』だったのだった………。



もう、こっからは、猿が、素っ裸のチャールトン・ヘストンをいたぶる場面の連続である。




首輪をつけられて、猿ぐつわをかませて、檻に閉じ込めたり、引っ張り回したり、猿たちが集まる中で、またまた全裸にひんむかれたり……




チャールトン・ヘストンも、真っ赤になってます。(これ、もう演技じゃないでしょ?恥ずかしさで、堪えられないような顔でございます)



人間としての尊厳は痛めつけられて、羞恥心までも傷つけられて……



まだ、女優とのラブシーンを演じたりしてる方が、はるかにマシに思えてくる。




でも、こんな映画をよくやったよ、ヘストンも。



ラストのどんでん返しに救われて、この『猿の惑星』は、何とか面目躍如で、SFの傑作という看板になっているが………中身は、チャールトン・ヘストンをいたぶるだけ、いたぶるようなお話である。




俳優の仕事も大変だ。


なみの神経じゃ演れるはずもない。



恥も何もかなぐり捨てて、何にでも成りきらなきゃならないのだから。



そう考えると、ヘストン様の残した偉業(?)は、とても大きいかも。


星☆☆☆☆であ~る。



※あまりの大ヒットに、この後、延々シリーズ化して続いていく『猿の惑星』。(やめときゃいいのに)


続編は、この1作目の名残惜しさというか、ただ余韻にひたるようなモノでした。


私は2作目でガッカリして、見切りをつけました。(それ以降の続編は観ておりません)

興味がある方は観るといいです。




それにしても、ロディ・マクドウォールは、ちと可哀想。

せっかくの出演でも、ずっと《お猿》のメーキャップじゃねぇ〜(この人が、ある意味、一番の被害者なのかもね ( 笑 ) )


2020年3月22日日曜日

映画「ベン・ハー」

1959年 アメリカ。







ベツレヘムの星が輝く時、あの、歴史に名を残す偉大な救世主が誕生した。


『イエス・キリスト』だ。




それから、26年経ったユダヤ人が住む辺境のイスラエル。

大勢のローマ兵たちが軍を率いてやってきた。


その中に今や軍司令官となった『メッサラ』(スティーヴン・ボイド)の姿も。



「メッサラ、わが友よ……」

子供の時から仲の良かった『ジュダ・ベン・ハー』(チャールトン・ヘストン)は、友の帰還を喜び、すぐさま駆けつけた。


だが、………




すっかり変わってしまったメッサラ。



冷酷で非情で、目的を果たす為には手段を選ばない男に。



ローマ軍に従わないイスラエルの民は、税金も納めない者がいるばかりか、ローマの総督を崇めようともしない。

救世主の存在を信じて祈るばかりの日々だ。



「ジュダ、ローマ軍に味方しないか?」

ユダヤの貴族で昔ながらの友、『ジュダ』を仲間に引き入れられればイスラエルの民を味方にできるかもしれない……メッサラは、そう考えたのだ。




だが、ベン・ハーは、その申し出を断った。



(この野郎~………)可愛さ余って憎さ百倍。


自分の意に従わないベン・ハーに腹をたてたメッサラは、卑怯な罠を仕掛けて、総督暗殺の罪をベン・ハーに押し付けた。



「何かの間違いだ!俺は何もしちゃいない!!」



ベン・ハーの必死の訴えもむなしく、母と妹も同罪として、どこかへと連れていかれた。



そして、ベン・ハー自身は、鎖に繋がれて奴隷。

戦闘用のガレー船へ、船こぎとして引っ張られていく。





灼熱の砂漠を、何人もの奴隷たちが、ローマ軍に引っ張られて進み続ける。


「さっさと、歩け!」

容赦なく振り回されるムチ。



痛みに耐えながら、ベン・ハーの目は復讐に煮えたぎっている。


(畜生………メッサラ!………)

喉の乾きに、フラフラになりながらも、(決して、ここで倒れてなるものか!)の意地だけでつき進む。



しばらく歩き続けると、町が見えて、ひとまずは休憩。(ローマ軍も喉がカラカラなんよ)



「水を飲むのは俺たちからだ!その次は馬!お前たち奴隷は、その後だ!」

町民たちが汲んでくる水を、ガブガブ、おいしそうに飲むローマ兵と馬たち。



やっと俺たちの番と思いきや、

「お前は水を飲まなくてもいい」と、ベン・ハーの目の前で、水を取り上げるローマ兵。(超イケず~)



そんな事をされて、さすがのベン・ハーの気力も、そこで尽きてしまった。


その場で、バタン!と倒れこむベン・ハー。


(あぁ~、もうダメかも………しれない……)



そんな朦朧(もうろう)としているベン・ハーの頭上に、射す一人の影。


その人物は、親切にベン・ハーを抱き起こすと、水を飲ませてくれた。



それを目ざとく見つけたローマ兵。

「お前、余計な事をするんじゃない!」と、ムチを振り上げて近づいてきたが、その人物を見た途端、顔色が変わり、その手が一瞬で止まってしまった。



全身から発する、気高いオーラに気圧されて、モノも言えなくなってしまったのだ。


ベン・ハーを介抱した人物、その人こそ、あの『イエス・キリスト』だったのである …………







名作、『ベン・ハー』を久しぶりに観賞しました。



『ベン・ハー』自体、何度も映画化されていて、この1959年版は3度目の映画化なのだが、もはや『ベン・ハー』といえば、これが決定版とされている。



そのくらい記録ずくめで、アカデミー賞では、史上最多の11部門を受賞。


現在、2020年でも、この記録はやぶられておらず、まさに怪物的な、とんでもない映画である。




『ベン・ハー』というと、有名な戦車の対決シーンばかりが、槍玉にあげられるが、そんなものは、212分の中のほんの一部。



この映画の主題が、主人公『ベン・ハー』の数奇な運命と、イエス・キリストとの関わりだというのは、観れば明らかだ。


世界中に、どれだけのキリスト信者がいるか知らないが、そんな人々にとっては、この『ベン・ハー』で描いているキリスト像は、まさに理想のキリスト像であり、崇めたくなるのも納得なのである。



無神論者の自分には、理解しがたいが、キリストを『神』の再来だと信じる人々には、この映画はまるで聖典扱い。


今でも《 魂の救済 》のような位置付けなのだから、ヘタな事でも言おうものなら、世界中から袋叩きになりそうで、ちょっと恐い。(ここで取り上げるのも少しビクビクしてる)




主演のチャールトン・ヘストンは、もちろん、この作品でアカデミー主演男優賞を受賞している。



映画の最後、キリストのおこした奇跡で母と妹の命を救われた『ベン・ハー』。

「神に感謝します!」と、母と妹を、涙で抱き寄せるベン・ハーで、映画は幕になる。




昔から思っているが、このチャールトン・ヘストンって俳優は特異な俳優だ。


この人を見ると、なぜか?「ドM?」と思ってしまう。



苛められたり虐げられたりする役になると、何だか、妙に、変な本領を発揮するのである。



191㎝もある立派な体格をしているのに、なぜか?ドS心を揺さぶるような芝居をするのだ。



裸で、腰布1枚で、鎖に繋がれて、ムチ打たれるのが、さまになる俳優なんて、ほんと、ヘストンだけじゃないだろうか。




その、泣き顔や情けない顔は、「もっと打ってちょうだい!」とお願いしているように見えてしまう。(変態か!(笑))





映画『猿の惑星』でも、『十戒』でも、同じように鎖に繋がれて、素っ裸で腰布1枚で奴隷扱いされているヘストンを見ると、

「やっぱり、サマになってるなぁ~、適役だなぁ~」と、ほとほと感心してしまう。




こんなチャールトン・ヘストン自身は、自分の隠れた資質を知っていたのかな?



そんなドM演技の開眼で、アカデミー賞受賞も納得。

充分値するのであ~る。


星☆☆☆☆☆。

(我ながら、なんて感想なんじゃ~(笑))