2019年9月29日日曜日

映画 「殺しの分け前 / ポイント・ブランク」

1967年 アメリカ。






「ウォーカー助けてくれ、俺には金がいるんだ!」



何十年ぶりに再会した、戦友でもあり親友の『マル・リース』(ジョン・ヴァーノン)。


マルの切実な頼みに、『ウォーカー』(リー・マーヴィン)は、密売金の強奪計画をたてた。


そして、見事に成功。



だが、………… 廃墟のビルで、強奪した金を数えながらマルは浮かない顔。



「足りないの?」マルのそばでは、ウォーカーの美人妻『リン』(シャロン・アッカー)が心配そうに見ている。


ウォーカーの妻なのに、裏ではマルと、ちゃっかりデキちゃったりしてるリン。(不倫リン)



そうして、卑怯者マルは強奪した金を独り占めしようと決心。



そして、立ち上がるとウォーカーに向けて何発か発泡した。


「キャアァーッ!」


叫ぶリンを引っ張って金を奪うと、ウォーカーを置き去りにして、マルは、とっとと夜の闇に消えていった。(金も女もとられて最悪)


哀れウォーカー。

だが、奇跡的に弾は急所を外れていて、ウォーカーは命をとりとめた。




しかし、あの有名な孤島に浮かぶ『アルカトラズ刑務所』に収監されてしまう。


脱出不可能と言われる『アルカトラズ刑務所』だが、ウォーカーはあっさりと柵を乗り越えて、水温10度の海を泳ぎきり、脱獄に成功した。(ある意味、クリント・イーストウッドより凄いんじゃないのか?)




この恨みはらさでおくものかぁ~!(オオッ!怖っ)




妻を寝とられて、強奪した金も奪われて。

当然ちゃ、当然のこと。ウォーカーの復讐が始まる!






原作は、リチャード・スターク(ドナルド・E・ウェストレイク)が書いた『悪党パーカー / 人狩り』。



そう、これは近年、ジェイソン・ステイサムが演じた『PARKER / パーカー』と同じ、パーカー・シリーズなのである。(主人公の名前が『ウォーカー』に変わっているのは、主演のリー・マーヴィンがシリーズ物はやりたくないと言ったからだとか)





そして、これは映画化された記念すべき第1号。



悪党なのに騙されやすいのは、ジェイソン・ステイサム版と似ているが、とにかく、このリー・マーヴィン版は…………




ほとんど喋らない(笑)。




ほとんど喋らないのに、元妻リンの住所を簡単に突き止めたりする。


「許してね、ウォーカー……」

魔が差したリンは、とっくにマルに捨てられて、今はアパートに独り暮らしだった。(月に1度、マルから生活費が送られてくる)



その夜、リンは毒を煽って服毒自殺した。(不倫の代償は高くついたね)





そして、次の朝、配達人がマルから送られてくる生活費を持ってやって来る。



「おい!奴はどこにいる!」(アッ!ウォーカーが喋った!)


配達人の若い男を締め上げると、マルの居場所は知らないが、ジョン・ステッグマンなる中古車販売の男の事を白状した。



(ステッグマン? マルの仲間なのか………?!)




「やぁ、どんなお車をお探しですか?」

中古車店に行くと、調子のいいステッグマンなる男が近づいてきた。



「この車を試乗させてくれ」

運転席に乗るウォーカー、そして助手席にステッグマンが乗ってきた。


シートベルトをきちんと閉めるウォーカーに、「なかなか用心深いんですね」と声をかけるステッグマン。(60年代だもん。シートベルトなんて付いていても誰もしません)


ウォーカーはエンジンをかけると、いきなり猛スピードをだして、メチャクチャな運転を始めた。



車をbackで壁に激突させたり、前進でまたもや壁に激突させる。それを何度も何度も繰り返す。(もう、車はボッコボコだ)



「ヒェーーーーッ!助けてくれぇ~!」

ステッグマンは、フロントガラスに頭を何度もぶつけて血だらけだ。



「マルはどこにいる?!」(アッ!また喋った)


ステッグマンは居所は知らないが、リンの妹であるクリスが知っていると白状した。



「姉妹で、奴の女になってやがるんだぜ」なんて血だらけで言ってのけた。





今度は、クラブ経営をしているクリスを探すウォーカー。


宿敵マルへ辿り着くまでの道のりは、まだまだ遠い………。






すっかり、リー・マーヴィンイズムに感化された自分。


この映画にもリンの妹役クリス役で、アンジー・ディキンソンが出演している。



リー・マーヴィンとは、昔ながらの名コンビだったのですね。(ヤッパリ『デス・ハント』より14年も前だと、アンジー・ディキンソンも若くて綺麗)



それにしても、リー・マーヴィンは1967年でも、『デス・ハント』の1981年でも、ほとんど変わらない姿。



昔から銀髪で老けているせいもあるのだろうが、彼だけ時が止まっているかのようだ。





なんか不思議な感じである。



周りの人々は、いかにも60年代の空気を醸し出しながら演技しているのに、リー・マーヴィンだけが、60年代も、70年代も、そして80年代も、ほぼ姿が変わらなんてね。




監督のジョン・ブアマンも、もちろんリー・マーヴィンの大フアンで、『リー・マーヴィンの息子たち』なる秘密結社のメンバー。




男が惚れる男、それがリー・マーヴィンなのである。



映画は、60年代らしく、凝ったフラッシュバックの回想シーンを何度も挟んでいたりして、今観ると、ちょっとゴチャゴチャしてるかな。



もうちょっと、ストレートに話の展開を持っていければ傑作になり得たろうに、ちと残念な仕上がり。



それでも、ギリギリおまけして星☆☆☆。(リー・マーヴィンにつくづく甘すぎる自分である)

2019年9月28日土曜日

映画 「デス・ハント」

1981年 アメリカ。







1931年頃、冬のカナダ、ロッキーの山麓で闘犬で盛り上がっている人々。




犬は血だらけで噛みつきあっていて、白い犬の方は瀕死の状態だ。

その犬の飼い主『ヘイゼル』(エド・ローター)は、それでも止めず、

「やれ!やれ!」と逆に煽り立てている。



そこへ轌(そり)に乗って、颯爽と現れた『アルバート・ジョンソン』(チャールズ・ブロンソン)なる男。




「その犬を逃がしてやれ」

そう言うと、飼い主ヘイゼルを、簡単に背負い投げして、首をねじり押さえつけた。



「とんでもない!あの犬には元手がかかってるんだ!」

押さえ込まれながらも、威勢だけはいいヘイゼル。


そんなヘイゼルの側に、ジョンソンは100ドル札を投げた。


「200だ!」

足元を見て強欲なヘイゼルは、値を釣り上げると、またもやジョンソンは100ドル札をヒラヒラ投げた。


そして、傷ついた犬を轌に乗せるジョンソン。




「おい!犬が欲しければ1000ドルよこしな!」

強欲なヘイゼルは、まだ叫んでいるが、今度はジョンソンも完全無視。(当たり前だ)


さっさと轌(そり)で行ってしまった。




「畜生〜!あの野郎!」

金を貰ったのに強欲で、芯から根性の腐ったヘイゼルは、まだブツクサ言っている。(まぁ、クズを演じさせたら天下一品のエド・ローター)



我慢がならず、町の騎馬警察隊長の元へと向かった。

途中、赤いピカピカの騎馬兵隊の制服に身を包んだ若い男に出会うヘイゼル。


「ミレン隊長はどこかね?」

ヘイゼルは、その男の身なりをジロジロ見て、(イケすかねぇ野郎だ)と思ったが、「付いてきな!」と道案内をかってでた。



警察隊長『エドガー・ミレン』(リー・マーヴィン)は、警察署には居ずに、ヘイゼルは男を酒場へ連れていった。



ちょうど一杯やっている最中のエドガー。



赤い制服の男は、ここに着任してきたばかりの新人のアルピンという巡査だった。


(この、呑んだくれが新しい上司?……)

エドガーの様子に驚きもしたが、とりあえず敬礼して自己紹介をしたアルピン。




でも、その横でヘイゼルが、

「おい!犬を盗まれたんだ!なんとかしてくれよ!」

と、キャンキャン吼えている。



でも違法な闘犬をやっていて、死にかけている犬を救い出された事など、エドガーはとっくにお見通し。

相手にするわけがない。



「俺が祈っている間に、とっとと消えな」

と捨て台詞を吐いて背中をむけるのだった。(格好いい!リー・マーヴィンである)




(畜生……畜生!畜生!畜生〜!)

苦虫を潰した顔のヘイゼルは、頭の中で『畜生』を連呼した。(本当にクズな演技がお上手)



その頃、薬を買って犬を手当てしている心優しいジョンソン。


「ここまで生きられたんだ、きっと治るからな」


人里離れた小さな小屋で、孤独なひとり暮らしのジョンソン。

そんなジョンソンの手厚い看病に犬も応えた。





次の日、犬は立ち上がり、餌を食べるまでに回復した。




でも、そんなジョンソンの小屋の周りに不審な人影。



あのクズのヘイゼルが、クズ仲間たちを集めて復讐しようと迫ってきたのだった ………






面白かった!


チャールズ・ブロンソンの映画を急に観たくなって探したのだが、あの『北国の帝王』のリー・マーヴィンとの共演。



渋い!渋すぎる男たちに、男ながら惚れ惚れする。




やさぐれて老いた警察隊長『エドガー』(リー・マーヴィン)なんて、一言、一言の台詞が痺れるくらい格好いい。



新人で頭の固いアルピン巡査は、「闘犬は違法だし取り締まるべきです」なんて必死に訴える。


でも、エドガーは

「坊や、忘れちまいな。人と人が殺し合うよりよっぽどいいさ」

なんて返答する。(か、格好いい~!)




こんな、老いても渋くて格好いいエドガーを町の女がほおっておく分けがない。

美人の未亡人『ヴァネッサ』(アンジー・ディキンソン)なんて旦那が死んだばかりなのに、エドガーの魅力に、もうイチコロ。



新年のダンスを踊った後は、二人すぐさまベットへと ……(あらあら)





そこへ不粋な、あのヘイゼル(エド・ローター)がやって来て(本当に不粋)、


「仲間のトムをあいつ(ジョンソン)に殺された!!」

と、ヒステリックに叫びわめきたてる。(自分達が襲撃しようとして逆に返り討ちになったくせに)



ベットの上で、ヴァネッサを抱いているエドガー。

オロオロしたり、慌てたりなんて決してしない。



悠然と構えながら、一言。


「俺が調査する!」だけである。


しだいに、ヘイゼルの方が、目の前の光景を目にして恥ずかしくなり、いたたまれず飛び出していく。




漢の男は、どんな時も慌てず騒がず。(たとえ、あの最中を見られてもである(笑))




リー・マーヴィンがかなり役得だなぁ~。




まぁ、チャールズ・ブロンソンの渋さも光っているのだが。


それにエド・ローターのクズっぷりがピカイチで最高!(クズ野郎を演じさせれば天下一品)


星☆☆☆☆である。


《追記》そうそう、『リー・マーヴィンの息子たち』っていう冗談めいた秘密結社があるらしい。

なんでも会員条件は、「リー・マーヴィンに似ている事」ですって。(とにかく牛顔って事なのか?)



普段はどんな広報活動している結社なんだろ …… 興味津々である。(笑)

2019年9月26日木曜日

映画 「ターミネーター 2」

1991年 アメリカ。






『ターミネーター』の襲来から、10年が経ったロサンゼルスの街。(1994年くらいの設定らしい)


またまた、夜の路地裏に稲光がすると、『ターミネーター T-800』(アーノルド・シュワルツェネッガー)が全裸姿で現れた。(まだまだ剛健な筋肉は健在である)


全裸のターミネーターは、夜の街をペタペタと素足で歩きながら、早速、お約束の洋服探し。

(本当に何でいつも全裸なんだろう)



夜のバーに入っていくと、オッサン連中のバイカーたちがたむろしていた。

「何だ、あいつ?」

「マジかよ、変態かよ」

全裸のターミネーターに、笑い声やニヤニヤ顔のバイカーたち。


女のウェイトレスは、ターミネーターの下半身の立派なイチモツに目線を落とし、

「あら、ヤダ」と嬉しそうだ。(機械のターミネーターに、生殖機能もないのに、立派なおチ●チンなんて必要なのかねぇ~(笑))



「その服をよこせ!」

ターミネーターは自分の体型にあった人物を見つけると、ひと暴れして、バイカーの黒いレザージャケットやパンツ、ブーツなどを奪い取った。




そして、サングラスをすると、外に停めてあったバイクにまたがって夜の街に消えていったのだった。






それから間をおいて、また別の場所で稲光が。


今度現れたのは、別のターミネーター、『T- 1000型』(ロバート・パトリック)。



やっぱり全裸である。(笑)


細マッチョな体型は、(こいつ、本当に強いのか?)と疑いたくなるが、偶然居合わせた、巡回中のパトカーの警察官をアッサリ殺して、これまた制服を奪った。(液体金属のターミネーターが、全裸でも洋服を奪う必要あるのか?)


そして、パトカーに乗り込むと、こちらも夜の街に消えていった。





今回の二人のターミネーターの目的は、『ジョン・コナー』。



『サラ・コナー』(リンダ・ハミルトン)と『カイル・リース』(マイケル・ビーン)が、たった1度のSEXで結ばれて、産まれた一人息子である。


『T-800』は、プログラムを変えられて、今回はジョン・コナーを守る為の、善のターミネーター。


『T-1000』は抹殺する為の、悪のターミネーターである。



二人のターミネーターは、どこにいるやも知れぬ『ジョン・コナー』を探して、夜の街を駆けずりまわるのだった……。







で、この後、『ジョン・コナー』役のエドワード・ファーロングが登場するわけだが……。



凄い人気だった。



『ターミネーター2』の大ヒットの効果もあっただろうが、本国アメリカよりも、日本で女性たちに大人気だった。


「誰?あの美少年!」

てな感じで、ざわつき始める腐女子たち。



サラサラヘアに長めの前髪からは、シャープな切れ長の目がのぞいていて、まさに少女漫画に出てくるような王子様的な雰囲気。


10歳のジョン・コナーを演じていたが、本人は1977年生まれで、公開時には、とっくに14歳になっていたはずだ。(この設定、だいぶ無理があるんじゃないか?と思っていたが………)



そのうち、エドワード・ファーロングは、日本でCMにまで出始めた。


確か、ホットヌードルのCMで、バックには大黒摩季の歌が流れていたっけ。

日本の学生の学ランを着て、女子校生とヌードルを食べるCMだったはずだ。

(俺は格好いい!俺はモテモテ!)



これで、もてはやされて、ファーロングは、すっかり勘違いしてしまったのかもしれない。



『ターミネーター2』でブレイクしたとはいえ、それまでまったく演技経験や下積みが無かったエドワード・ファーロング。



すぐに坂道を下っていった。




その後はお決まりのコース。

アルコールに溺れ、薬物……安易な結婚、そして離婚。

接近禁止令を無視して、前妻につきまとった挙げ句、刑務所に収監までされてしまう。



それらの自堕落な生活は、当然、彼の容姿をすっかり変えてしまった。

デップリ醜く太って、顔色の悪い中年のオッサンになったファーロング。





でも、このファーロングが、最新作『ターミネーター:ニューフェイト』に出るという。


(大丈夫か?………)


ジェームズ・キャメロンのお情けなのか、それとも復活のチャンスを与えるつもりなのか………。


「ありがとう、精一杯頑張るよ!」

なんて、本人のコメントもあるが、ちゃんとシェイプアップして、世界を救う『ジョン・コナー』に戻れるのか……… 一抹の不安が残る。




一方、サラ・コナー役のリンダ・ハミルトンも『2』では、その見た目も、前作と比べてだいぶ変化している。


闘う女サラ・コナーになりきるために、筋肉をつけてマッチョになり、無駄なものは、全て削げおちた感じ。



元々がタレ目で、法令線が目立っていた顔が、尚更、タレ目が酷くなり、法令線も深くなっている。



でも、なぜだか、その顔が抜群に格好いいのだ。



『2』では、ターミネーターをしのぐほどの大活躍。

このターミネーターと対峙できるほどに成長したサラ・コナーだからこそ、意表をついて、『2』は『1』を上回るほどの大ヒットに結び付いたのだと思っている。



『ニュー・フェイト』の予告では、白髪のショートヘアで、完全に老婆顔のリンダ・ハミルトン。


だが、その眼光は、鋭さを増しているようにも見える。



すっかり毒気が抜けて、枯れたシュワルツェネッガーや、再起を掛けるエドワード・ファーロング………それに若手の女優なんてのよりも、最新作で、皆が一番期待しているのは、もはやリンダ・ハミルトンだけなんじゃないのかな?



かくいう自分も、そうなのだから。


最新作を絡めて、文句を言ってみたり、期待もしてみたり………。



でも気になる『ターミネーター:ニュー・フェイト』。

多分、文句をつけながらも観る事になるでしょうね。



『2』はもちろん、星☆☆☆☆☆。(なんせ傑作だし、面白いんですもん!)


前後編で書いてみた『ターミネーター』レビュー、長々読んで下さった方ありがとうございました。

2019年9月25日水曜日

映画 「ターミネーター」

1984年 アメリカ。






2019年『ターミネーター:ニュー・フェイト』が公開される。


予告もチラリと観たが、本当に今度こそ期待してもいいのか?(やや不安)





で、おさらいとして、この一作目、『ターミネーター』を久しぶりに観てみた。


ところどころ、すっかり抜け落ちて忘れていた、記憶補完のつもりだったのだが ………




最初のターミネーターが送り込まれてくる未来は、『2029年のロサンゼルス』だったのだ。

(後、たった数年後じゃないか!………
そう考えると、それだけの時が過ぎた事に今更ながらに驚く)






そうして、1984年のロサンゼルス。



夜の路地裏に稲光がはしり、送り込まれてきた第1号の『ターミネーター』(アーノルド・シュワルツェネッガー)。


一糸まとわないスッポンポンの全裸姿である。(キャ~)



でも、何故?に未来から転送されてくる時は、皆さん、誰も彼もが一糸まとわない《全裸》なんだろう?


当時も今も疑問なのだが、骨も血液も肉体も、それにターミネーターのような機械すら転送できるのに、布地は転送できないって、どんな欠陥システム?


まぁ、そんな疑問はおいといて。






久しぶりに見た若い頃のシュワルツェネッガーの肉体に、やっぱり驚いた。


胸板はどれだけの厚さなのか …… 筋骨隆々のバッキバキ。

前にも後ろにも、筋肉がドドーンと、せりだしている。



両腕なんて脇が閉じないんじゃないか?ってくらいゴリゴリ。


お尻なんて、重力に逆らって、思いっきり上に持ち上がっている。


太股の幅なんて、片方だけで、ゆうに1メートルはあるんじゃないかってくらい。



こんな異様で人間離れした肉体でしたっけ?シュワルツェネッガー?!




だからこそ当時、我々はこの姿の『ターミネーター』に戦慄し、恐怖したのだが ……




でも、これを見てしまうと、今の枯れたシュワルツェネッガーで、

「今更、『ターミネーター』役なんて大丈夫?」

なんて余計な心配をしてしまう。(この時とあまりにも違いすぎる現在の姿に)



まぁ、これに、どう説得力を持たせるのかが、『ターミネーター:ニュー・フェイト』の成功の鍵だと思うのだが。




脱線したが、



シュワルツェネッガー扮するターミネーターが送られてきて、しばらくすると、今度は別の路地裏にも稲光が轟いた。




今度、そこに現れたのは人間の男。

『カイル・リース』(マイケル・ビーン)である。


筋骨隆々だけど、どこかアンバランスで笑われちゃうシュワルツェネッガーの肉体と違って、マイケル・ビーンの全裸は無駄のない細マッチョで、均整がとれていて美しい。


顔もイケメンである。(この人、本当に見た目ハンサムなんだし、この後、もう少しブレイクしてもよかったのにねぇ~)



こんな風に時間差で、1984年の世界にやってきた二人の目的は『サラ・コナー』を探し出す事。


でも、どこに住んでいるのか分からない『サラ・コナー』。


ターミネーターは、単純に電話帳に載っているサラ・コナーを片っ端から殺していく事にした。(なんにも未来からデータは受け取らなかったのか?)



「今日、サラ・コナーさんが、何者かに殺害されました」



テレビのニュースで流れ出すと、それをたまたま見ていた『サラ・コナー』(リンダ・ハミルトン)。


(きっと……同姓同名の偶然よね?……)



ターミネーターの行動は素早かった。


とうとう、自宅を突き止めたターミネーター。


でもあいにくサラは留守中。

同居人のジンジャーとボーイフレンドを、その場であっさり殺すと、サラの音声と顔写真を手に入れる。(これでよし!)



そして、夜のディスコ。

皆が踊り浮かれて騒いでいる奥には、サラの姿があった。


そこに近づいていくターミネーター。


ターミネーターの銃の赤外線が、サラの頭部に狙いを定めた時、

「伏せろ!」

の声と共に、ターミネーターを吹き飛ばす銃の発射音。


済んでのところで、サラは助け出された。





サラを助けたのは、カイル・リース。

未来からきたカイル・リースの目的は、サラ・コナーの救出だったのである。







と、まぁ、こんな感じのパート1である。






『リンダ・ハミルトン』も、まだこの時若いなぁ~。


でも、昔から、この人特別、美人って感じじゃないんだよね。

芋っぽいというか、どこにでもいるような普通のお姉ちゃんって感じ。





それに、今見ても、この髪型って超ダサいんだよな~。(当時も思ったが、アメリカ女性たち皆が、こんなヘンテコリンなパーマを揃いも揃ってかけていたっけ)



80年代のアメリカ女性のファッションは最悪。


チークや頬紅も赤々と濃いし、アイシャドウも殴られた青アザのような濃さのドギツイ化粧。


それに皆がヘンテコリンなパーマである。


大抵、どの映画を観ても80年代の女性は、こんな感じである。(前回の『危険な情事』のグレン・クローズもアン・アーチャーも)







でも逆に、脱ぎっぷりもいいのも80年代の特徴。


リンダ・ハミルトンも胸をさらけだして、マイケル・ビーンと一夜を悶え狂います(アハ~ン、ウフ~ンと)




でも、こんな濡れ場なんて『ターミネーター:ニュー・フェイト』には期待できないんだろうなぁ~。


やってくれたら満点をつけるんだが……。




『ニュー・フェイト』の予告じゃ、若手の女優さんがバリバリアクションをキメてるけど、そっちのお色気部分は、あんまり期待できなさそうである。




なんか、最近の新進のハリウッド女優たちって、

「男に負けてなるものか!女たちが主役のアクションでもいいじゃないのよ!」

とばかりに、妙にキリキリ、ヒステリックな印象ばかりを受けてしまう。



色気や、か弱さなんて微塵も見せないし、感じさせない。





そんなに、「男なんぞに負けてたまるか!!」と、男を敵視してまでも、ガムシャラに闘いたいものなのかねぇ~。(まるでサラ・コナーに続けとばかり。でもサラ・コナーは一人だけで充分。何人も要らないんだけど)




まぁ、『ターミネーター』は、やっぱり『1』と『2』が最高でした!って感想に戻らなければいいけどね。


もちろん、『1』は星☆☆☆☆☆である。

2019年9月24日火曜日

映画 「危険な情事」

1987年 アメリカ。






最近、たまたま2017年の『アンロック / 陰謀のコード』なる映画を観た。


ここでも取り上げようかな~と思ったが、物語があまりにも自分好みじゃないので止めた。


でも、この映画を観ると、ふと見覚えのある顔が ……



マイケル・ダグラスじゃ、あ~りませんか!



思いっきりお爺さんになっているマイケル・ダグラスに愕然。


無理もないか ……… この『アンロック』の時で、既に70を越えているし。




80年代~90年代まで活躍したマイケル・ダグラス


名優カーク・ダグラスの長男として生まれた彼は、2世のジンクスなどを吹き飛ばして、次々とヒット作に出演した。



そんな作品の中でも強く印象に残っているのが、この『危険な情事』なのである。







ニューヨークで弁護士をしている『ダン・ギャラガー』(マイケル・ダグラス)は、参加した出版パーティーで、ある女性と知り合う。


長いプラチナブロンドの髪にパーマをかけて、ひときわ目立つ女性 ……『アレックス』(グレン・クローズ)。


(何て綺麗な人なんだ……)


エキゾチックなアレックスの姿は、一目でダンに印象つけた。




「じゃ、行ってくるわね」

土曜日、ダンの妻、『ベス』(アン・アーチャー)は、幼い一人娘の『エレン』を連れて実家に出掛けていった。


実家のそばに新居となる家を探す為でもある。




あいにく、ダンは仕事で会議に出席しなければならない。


だが、その会議に行くと偶然にも、あのアレックスがいた。

「あら!」

「やぁ!」

最初はとりとめのない会話が続いたが、お互い第一印象がよかったのだろう …… 二人はすぐに打ち解けた。




打ち解けてくると、ダンには、ムクムクとよこしまな考えが浮かんでくる。


(妻も娘もいない週末……ちょっとくらいなら羽目をはずしても …… )と。(おいおい!)


相手のアレックスもまんざらでもなさそうだ。


どちらからともなく、その夜、二人は一線を越えて関係を結んでしまった。





そして ……… 事が済んで、ここはアレックスのアパート。



アレックスは、ダンの為に甲斐甲斐しく食事を作り始めたのだ。


「スパゲッティーを茹でてるのよ」

嬉しそうに仕度するアレックス。


部屋ではアレックスの趣味のクラッシック音楽がかかっている。


二人は同じ部屋で、同じ音楽を聴きながらも、全く別の事を考えていた。


ダンは、

(お互い大人の男女同志、…… 後腐れなく、一晩限りを楽しんだんだ)

と、浮気を勝手に肯定させては納得している。




一方、アレックスは、

(やっと巡り会えた運命の相手、絶対に逃すもんですか!)

なのだった ………




この後は、もうトラウマになるような恐ろしい怒濤の展開が待っている。



《グレン・クローズ》=《恐ろしい女》



こんなイメージを、この映画では、完全に決定づけてしまった。



それは何十年経った今でも、ずっと尾をひいていて、


普通の役をしても、

(何か、この後に、きっと恐ろしい事をするんじゃないのか?…… )

と思わせてしまうほどなのである。



そのくらい、この映画のインパクトは強かったのだ。




「絶対に別れるもんですか!!」


「何で、すぐに電話に出ないのよ!!」




一夜限りと、高(たか)を括(くく)っていたダンは、アレックスの激しさと束縛に圧倒され続ける。



今までは、一人でクラッシックを聴いていた部屋も大丈夫だった。


でも二人の楽しさを知ってしまった今は、とてもこの孤独に耐えられない。




そうして、偶然を装って、妻のベスに近づきはじめたアレックス。


「妻に近づくな!」

ハラハラするダンは、勝手な理屈で激昂しながら言うが、相手が悪かった。


「ダン、私、妊娠したのよ。喜んでくれるわね?」なんて切り返し。(嘘か本当か)


こんな言動ばかりではない。

アレックスの行動には異常さに拍車がかかって、どんどんエスカレートしていく。



そうして、ついに一線を越えて やらかした!





外出から家に帰宅した妻のベス。


でも、なんだか様子がおかしい。


(何かしら?、台所で火が点いてるの?)



台所にベスが行くと、


「キャアァーーーッ!!」の大絶叫。




レンジの上の大鍋では、グツグツと………


娘のエレンがペットとして飼っていた《ウサギ🐰》が、そのまま丸ごと放り込まれて、顔だけを出しながら、煮たって死んでいたのだった!!(伝説のウサギ鍋🐰🍲シーンである。これゾッ!とします)





この後も、「これでもか!これでもか!」と、次々と繰り出されるアレックスの異常行動に、1秒たりとも目がはなせません。




これを当時、普通に、民放のロードショーで放送していたのだから、幼い子供が目にした日には、恐怖で泣き出すか、ひきつけをおこしていたはずだ。



そんな子供たちの記憶は、大人になった今でも鮮明に残っている。



グレン・クローズが 恐ろしい女と言われる所以である。




そして、こんな破壊力のあるシーンの連続で、グレン・クローズの鬼女ぶりばかりが、クローズ・アップされる『危険な情事』だが、マイケル・ダグラスも中々だった。



とにかく『クズ』で『浮気性』な男を演じさせたら、当時、マイケル・ダグラスの右にでる者はいないほど完璧だった。(変な褒め方だが)



その後も『氷の微笑』、『ローズ家の戦争』、『ディスクロジャー』と、マイケルの怪演は続いていく ………



本人は当時、セ●クス依存症に悩まされていたらしいが、なるほど………画面から溢れ漏れるギラギラ感は、これだったのかと納得。



さすがに、今は加齢と共に、依存症も治まってきて本人はホッとしているらしいが……。



「今は落ちついて、安心して生活しているよ」

なんてコメントも。(安心ねぇ~)



ギラギラしたマイケル・ダグラスを知っている自分ら世代には、少々淋しい気もしてくるが。




恐ろしい女っぷりのグレン・クローズと、クズっぷりが光るマイケル・ダグラス。



これも、いつまでも忘れられない青春のトラウマ映画なのである。


星☆☆☆☆☆。


2019年9月23日月曜日

映画 「ダヴィンチ・コード」

2006年 アメリカ。





2003年に作家ダン・ブラウンが書いた、この『ダヴィンチ・コード』は、出版されると、たちまち世界中で大ベストセラーになった。

直ぐ様、日本でも角川書店で翻訳されて、上下巻が店頭に並んだ。




売れる!売れる!


厚手の上下巻が面白いように売れた。



売れると、次の戦略はダン・ブラウンがそれ以前に書いた小説を並べる事。


『パズル・パレス』、『天使と悪魔』、『デセプション・ポイント』と店頭の目立つコーナーに、『ダヴィンチ・コード』と並べられると、これまた、相乗効果でバカスカ売れたのだった。(本当に何億儲かったんだろう……もの凄い数の増刷だったはずだ)



そして、かくいうミーハーな自分も、それらを買い求めて走った。(今、考えると、すべての上下巻を揃えるのに結構な金額を使ったと思うが、ブームという熱病に侵されている時は、こんなものだろう)


期待して、『ダヴィンチ・コード』を手に取り、最初の一頁をめくると………





すぐにつまづいた。


む、難しい~。

何じゃこりゃ?



考えてみればレオナルド・ダヴィンチの事なんて『モナリザ』や『最後の晩餐』を描いた画家くらいの知識しかない自分。





『ウィトルウィウス的人体図』??

『マグダラのマリア』??

『テンプル騎士団』って何??





頭の中で『?』マークがグルグル駆け巡る。


あきらめようか?



いや!これだけ元手がかかってるんだし、読み進めねば!

そして、ドケチ根性に背中を押されて、格闘しながら時間は過ぎて………





上下巻を徹夜で読破した。(多分、途中で辞めれば2度と手に取らないと思って)


読んだ感想、面白かった。それに何だか賢くなった気もした。(錯覚)




ダン・ブラウンの文体に1度慣れてしまえば、後の小説も時間はかかったが読む事ができた。(『天使と悪魔』、『パズル・パレス』、『デセプション・ポイント』と。)



今、考えると、よくも、まぁ読破できたものだと思う。


とてもじゃないが、今じゃ徹夜で読破するなんて体力もなければ気力もないが……。





で、ここまで読んでみても、やはり『ダヴィンチ・コード』の出来が一番だと思った。





そうして、ベストセラーになれば当然、映画化の話も浮上してくる。

でも………これが映画に向いている原作だろうか?

これだけの濃縮された情報量のある小説を、わずか2時間強の映画にまとめられる?



自分のイヤな不安をよそに、次々と映画制作は進行していく。




監督はロン・ハワードに決まり、主人公ロバート・ラングトン教授には、トム・ハンクス。

ヒロインのソフィー・ヌヴーには、『アメリ』のオドレイ・トトゥ。

イアン・マッケランやら、ポール・ベタニー、そしてジャン・レノと有名どころのキャストが揃っていく。




そして、映画が公開されると小説と同じように映画もヒットした。


ヒットしたのだけど………自分の観た感想は、この映画は、完全に『失敗』だと思った。





多分、小説を読んだ事がある人には理解出来ても、読んでない人には、まるでチンプンカンプンだったはずだ。



情報量の多さは、とてもじゃないが収まりきれない。(149分あろうが、完全版の174分だろうが)





例えば、『最後の晩餐』に隠された秘密の説明なんてものになると、物凄く時間を使う。





『最後の晩餐』の絵は、横長のテーブルに、イエス・キリストを中央にして、12人の使徒が順番に腰かけている姿が描かれている。

12人の使徒は、いずれも男性のはずだが、向かってキリストの左に座っている人物ヨハネが、女性のように描かれているのだ。




長いソバージュの髪をたらして、その表情は目をふせている。

この人物ヨハネが、実は、『マグダラのマリア』という女性じゃないのか?っていうのがダン・ブラウンの解釈。



そうして、この『マグダラのマリア』と『イエス・キリスト』の間には、奇妙な空間が存在する。





それは『 V 』の字になった空間である。


この『 V 』は『聖杯』でもあり、『マリアの子宮』を型どってる事も意味しているというのだ。



つまり、マリアとキリストの間には『子供』がいたんじゃないか?というのである。


そして、その子供が、何代も、何世紀も子孫を残し続けて、キリストの血を受け継いで、この現代にも生存して生きている。



そして、それは、今、ラングトン教授の目の前にいる●●だった。


っていうのが、この映画の最大の秘密なのである。




こうして文章で書けば分かりやすくても、映画として、この部分を描こうとすれば下手をすると、話の緊張感を削いでしまいかねない。


映像つきで、この部分の詳しい解説が始まると、まるで映画を観ている気分ではなく、どこかの講義に参加させられている気分になってしまう。



嫌な予感は当たった。




「へ~え」、「ほぉ~」とは感心しても、それまでのラングトン教授の逃走劇の緊迫感は、ここで一気に消えてしまったのだった。



『ダヴィンチ・コード』の小説は素晴らしい。


素晴らしいけど、映画には向かない原作もあるのだ。



監督のロン・ハワードは原作の『ダヴィンチ・コード』を呑み込んで、そして1回バラバラに解体すべきだった。




そうして削り取り、削り取り、再構築していく。

映画と小説は別物と割りきって。



でも、そこまでするには、ベストセラーゆえ世間の悪評が怖かったのだろうか。

残念ながら、星☆☆である。

2019年9月21日土曜日

映画 「疑惑の影」

1943年 アメリカ。






『チャールズ・オークリー』(ジョセフ・コットン)は自宅のアパートのベッドで、虚空を見つめながら寝ていた。


何を考えているのか………しばらくするとチャールズは起きあがって、窓辺に立つと、こっそりカーテン越しに、外の通りを覗いてみた。


通りの角には男が二人立っている。



「何も証拠はないはずだ……」



チャールズがアパートを出てくると、早速、その後ろを、さっきの二人組が尾行しはじめる。





チャールズは角を曲がると、いきなり走りだした。


尾行していた二人も追いかけるが、どこにも姿がない。

アッサリ尾行を撒いてしまったのだった。






そして、電話ボックスに行くチャールズ。


「あ~、電報局ですか?電報を頼みます。カリフォルニア州サンタローザに。『皆に会いたくなった。木曜には着く。姪のチャーリーへ、叔父のチャーリーからキスを』と。」


チャールズはそれだけ言うと受話器を切った。






一方、カリフォルニア州サンタローザのニュートン家。



ジョセフ・ニュートンは穏和な性格で、真面目な銀行勤め。

エマは、そんな夫を支える献身的な妻である。


どこにでもある中流家庭。(当時としては上流と言ってもいいか)




そんな夫妻には3人子供たちがいる。


次女のアンは眼鏡をかけた本の虫で片っ端から1日中、本ばかりを読み漁っている変わり者。(10歳くらい)

長男のロジャー(7歳くらい?)は家から薬局まで何歩で歩けるか?どうでもいい事に夢中。(これも少々変わっている)



そしてもう一人………。


長女の『チャーリー』(テレサ・ライト)は2階の自分の部屋のベッドで、昼間からゴロゴロしていた。




思春期のチャーリーには、毎日繰り返される日常が退屈でしょうがない。



「そうだわ!電報を打とう!チャーリー叔父さんに!」



母親エマの一番下の末っ子で、ハンサムなチャーリー叔父さん。

私と同じ名前の叔父さん。




(彼が来れば、こんな陰鬱な気分も吹き飛ばしてくれるにちがいないわ……)


思いついたチャーリーは、両親の制止を降りきって、近くの電報局に走っていった。





「ちょうど良かったわ。チャーリー、お宅に電報が届いているのよ。チャーリー叔父さんって方から。木曜にこちらに来るって。」


受付係の言葉に、しばしポカ~ン顔のチャーリー。



(以心伝心? それともテレパシーなの? こんな風に遠く離れていても心が通じるなんて……。)



ウキウキ顔で電報局を出たチャーリー。

自然に歩きながらも笑みがもれる。





そして木曜日、家族が待ち構える中、チャーリー叔父を乗せた列車がやってきた。



モクモクと黒い煙りを吐く列車は、昼間なのに、あたりの空を暗く覆い隠すほどで、何か不吉の前兆にも見えたのだった………。





叔父の《チャーリー》と姪の《チャーリー》、二人は徹底的に対極な位置にある。


ヒッチコックもそういう風に、わざと撮っている。




冒頭、ベッドに寝ているチャーリー叔父さん。



そして場面は変わって、自分の部屋のベッドで寝ている姪のチャーリー。

二人の行動はまるで同じである。




ただ、中身は《善と悪》、《陽と陰》に分かれている二人なのだが……。



未亡人を騙して、金を巻き上げ、ためらいなく殺してしまった『チャーリー叔父』(ジョセフ・コットン)。


しばしの隠れ家に選んだのが、サンタローザのニュートン家だったのだ。




だが、隠れ家として選んだニュートン家でチャーリー叔父は度々ドキッ!とする出来事に遭遇する。



それは姪の『チャーリー』(テレサ・ライト)の、何気ない一言や直感である。




「何だか頭の中で、ある曲が流れるの……そう、『メリー・ウィドウ』ってワルツの曲が……」



姪のチャーリーの言葉に叔父のチャーリーは、とても平静でいられない。(『ウィドウ』は『未亡人』の意味)




新聞に未亡人殺しの記事を見つけたチャーリー叔父は、咄嗟の機転でそれを誤魔化すが、姪のチャーリーは何かを感じとる。(このあたり、本当に霊感というか、テレパシーというか、二人の間にだけ存在する不思議な能力である)




そして、そんな姪のチャーリーが真相にたどり着くのに、そう時間はかからなかった。



(お母さんやお父さん、家族には話せないわ………どうすればいいの……)



姪のチャーリーの疑惑を、チャーリー叔父さんも逆に感づいたようだった。




(残念だが、口を塞がなくてはならない……)


ハンサムな姿に悪魔の心を宿したチャーリー叔父は、姪を事故死として片付けようとするのだが……。






この映画を観たのは、ヒッチコックの映画にハマりだして、だいぶ経ってからだった。



と、いうのも、この映画だけが、あのビデオ普及の時代にも、なかなかビデオ化されなかった為である。


ビデオ化されると即決で買い求めた記憶がある。(直ぐに、その後に、DVDやBlu-rayの時代が来ようとは誰が予測できただろう)




観てみて感心。

やはりこれも傑作だった。




テレサ・ライトが抜群に良い。


これは彼女の成長物語でもあるのだ。



普通の少女が、叔父の悪事を知ってしまい、誰にも相談できずに苦悩しながらも、ひとり、孤独な闘いに挑もうとする。


『少女』は、この事件をきっかけに急成長して、『大人の女性』になっていくのだ。
(この映画を観ると、『少女は大人になりましたぁ~♪』っていう、牧村三枝子の歌を思い出してしまう(古っ!))


人間の邪悪な暗い部分を覗いてしまった事が、大人になるって事なのかなぁ~。




映画のラストシーンで、チャーリー(テレサ・ライト)の顔は、少し成長した大人の女性になったような気がする。



この演じ分けは流石で、女優テレサ・ライトには、素直に魅了されてしまいました。





それと、もうひとつ感心したのが、映画の舞台となるサンタローザの町。



1943年といえば、第2次世界対戦中なのに、カリフォルニア州のサンタローザの街並みには、そんな気配すら微塵もないのにビックリ。

のどかで平和そうな時間が流れているのだ。




緑の木々が風に揺れて、広い庭付きの2階建ての家が、いくつも並んでいる。



車の行き来には、交差点の中央で警察官が手旗信号をしている。(信号機ないし、車もそれほど走ってない)


列車が到着する駅などは、ただ道の真ん中に線路が、ズドーンとあるだけで、ホームもなけりゃ、踏み切りも標識さえもない。(閑散としている)




そして男も女も、皆が格段にオシャレなのである。


男たちはパリッ!としたスーツに身を包んでいるし、チャーリー役のテレサ・ライトもモダンなワンピース姿である。


軍国主義に傾いていき、「贅沢は敵!」と言って、男も女も粗末な身なりをしていた当時の日本とは、どれだけの差があったのだろうか。





この1940年代の映画にふれる度に、つくづく思い知らされる、この違い。


戦争の暗い影すらも匂わせる事すらない。



そして、当時の戦争には全く関係なく、このような極上のサスペンス映画を普通に撮れる状況にも驚かされるし、この映画の存在も、今となっては、超貴重な財産。



星☆☆☆☆である。

※ジョセフ・コットン&テレサ・ライトのコンビで『the steel trap』なる映画が存在する。(1952)

観てみたいが、日本では全く無視されてる。(上映どころか、ビデオ化、DVD化、Blu-ray化もされていない)



どこかのメーカー様、出して頂けないでしょうかねぇ~、お願いします!(せめて生きている間に観てみたいものである)

2019年9月18日水曜日

ドラマ 「ミディアム ~霊能捜査官アリソン・デュボア~」

2005年~2011年。





デュボア家の朝は騒々しい。




今朝も13歳の長女『アリエル』(ソフィア・ヴリジーヴァ)と8歳の次女『ブリジット』(マリア・ラーク)がテーブルで口喧嘩。



「あんた、そんな変な格好で学校に行くの?」


「いいんだもん、気に入ってるんだもん」

何日も同じヘルメットを被っているブリジットを見て、アリエルがこれ見よがしに馬鹿にする。(ほっとけばいいのに)



「もう、何日も髪も洗ってないじゃないの!外しなさいよ!」


「ヤダ」

意固地なブリジットも負けてはいない。




そして、アリエルがテーブルで叫ぶ。

「ママー!、ブリジットが臭いんですけどぉー!」




奥から呼ばれてきたのは主人公『アリソン・デュボア』(パトリシア・アークエット)。


「もう、二人とも喧嘩しないでさっさと食べてしまいなさい!」


ブスッとした顔で、テーブルの皿のコーンフレークを突っつくアリエル。(このドラマ、牛乳に浸したコーンフレークばかり並んでたなぁ~。豪勢な食事が出た事、1回もなかった(笑))



その後に遅れてアリソンの夫、『ジョー』(ジェイク・ウェバー)が、
「ファ~」とアクビをしながら、寝ぼけ眼、Tシャツにパンツ1枚のだらしない格好で現れる。



奥では産まれたばかりの3女、マリー(ミランダ&マディソンの双子Wキャスト)の鳴き声。


「ジョー、悪いんだけど。今朝は早く検事局に行きたいから、マリーの保育所お願いね!」


3人の娘たちの母親なれど、検事局でパート勤務をしているアリソンは忙しい。



「はいよ」と、取りあえずは返事をするジョー。

「あんたたちは、ママが学校に連れていくから、さっさと食べて仕度してちょうだい!」


まだ、食べながら言い合いをしているアリエルとブリジットに、アリソンがピシャリ。





こんな感じの毎朝を迎えるデュボア家。


どこの家庭でも見かけるような日常風景である。




ごくごく普通の家庭。

でも、他の家庭とは違うところがある。



奥さまは、なんと『霊能者』だったのです。





……なんて風に、「奥さまは魔女」風に書いてみたがどうだろうか?



このドラマも、飽きっぽい自分が挫折することなく、珍しく最後まで視聴したドラマである。

最初、このタイトルを見たとき、『ミディアム』って何じゃろ?って、とこから始まった。




肉の焼き加減?(ミディアムとか、レアとか?)


『ミディアム』とは『霊能者』の意味らしいのだ。(アホでスイマセン(笑))




もちろん霊能者は、主人公のアリソン・デュボア。


このアリソンの能力が変わっている。



1、『予知夢』を見る。

2、幽霊が見える、話せる。

3、人に触れただけで、その人の過去が見える。

なのである。




こんな能力が備わっていれば、さぞや便利だろうと思うがとんでもない。



霊能者を抱えた家族は大変である。




夜中、寝入っている夫婦の寝室で、

「ワァーッ!」と飛び起きるアリソン。


予知夢は、何の前触れもなく突然始まったかと思えば、幾晩も続く事もある。


「何だい?どうしたんだ?」

お陰で隣で寝ている旦那のジョーは、いつもたたき起こされる。(朝、ジョーが、いつも朦朧としているのはその為である)




幽霊も、いきなり現れたりして話しかけてくる。(特に死んだジョーの父親なんてのは、しょっちゅう現れる)



何だか睡眠欲も奪われて、平穏とはかけ離れた家族に、

(大丈夫か?)とハラハラ気を揉んだりもさせられる。




でも、このアリソンの能力は、検事局では大活躍。



アリソンの上司、『デヴァロス検事』(ミゲル・サンドバル)なんて、毎回事件が起こると、頼りにしっぱなし。


「アリソン、何か夢を見たか?何か感じたか?」

ってな調子だ。



若い『スキャロン刑事』(デヴィド・キュービッド)は、そんなアリソンを最初は、毛嫌いして疑惑の目で見ていたが、しだいにアリソンの的中率に感服して、打ち解けてくる。

「あんたの能力は本物だ!」と。



こんな登場人物たちが、毎回現れては、スッタモンダがあり、事件はアリソンの霊能力で、無事解決する。



レギュラーに嫌な人がいないのも良かった。


シーズン7までは長いが、キチンと完結してるし、暇な時に、ちょっとずつ観るのにオススメなドラマ。


アット・ホーミングな家族にホンワカしたり、事件の謎にハラハラしたり。

これも、星☆☆☆☆であ~る。



「お姉ちゃんのバカ!」

「ブリジットのバカ!」

「イーだ!」

「ベェーだ!」

姉妹喧嘩は、次の日も次の日も続いて行く。(笑)

2019年9月17日火曜日

ドラマ 「CSI:マイアミ」

2002年~2012年。








ズラーッ、と並べられたレンタル屋の前で、取りあえずは、オリジナルの『CSI:科学捜査班』のシーズン1 、1巻を借りて観た。



う~ん、ハマらなかった。


主人公のギル・グリッソム博士(ウイリアム・ピーターセン)は、まだしも、黒人のウォリック(ゲイリー・ドゥーダン)が見た目も役の性格も受け付けなかった。(後年、プライベートでも薬関係やら、暴力沙汰で逮捕されたり、解雇されてるが……)




そして次に観たのが『CSI:NY』。



『フォレスト・ガンプ』のゲイリー・シニーズが出てるしいいんじゃない?って安直な理由で。




でも、このマック・テイラー(ゲイリー・シニーズ)が暗〜い😔

奥さんを亡くしているのは分かるが、ずっと引きずっていて、相棒のステラ(メリーナ・カナカレデス)に精神的に寄りかかりすぎ。


でも、同じラボのエイデン・バーン(ヴァネッサ・フェルリト)のフアンになり、見続ける事にした。


シーズン1を終了し、さてシーズン2になった時、


ガーン!


ヴァネッサ・フェルリト降板。(CSI:NY、シーズン2で、ヤッパリ挫折である)




このCSIシリーズとは、とことん相性悪いのか。





これで最後と思い、『CSI:マイアミ』に手を伸ばしてみると………。


ハマった!😆


見事に!


シーズン1、第1話「マイアミ上空17秒間の惨劇」。





湿地帯にホバークラフトで駆けつけるCSIたち。

上空で爆発した飛行機の残骸や遺体の回収作業にあたりはじめる。


チーフになったばかりの『ホレイショ・ケイン』(デヴィッド・カルーソ)の指揮の元、皆が一生懸命だ。


沼地に散らばった遺体に、若い『エリック・デルコ』(アダム・ロドリゲス)は、

「ワァー、ワァーッ!」大騒ぎ。




その横ではヒョウヒョウとした『ティム・スピードル』(ロリー・コクレーン)がジト目で見ながら作業している。




金髪でおさげにした美人『カリー・デュケーン』(エミリー・プロクター)は、弾道分析のプロ。

でも現場での作業にワクワクしていて、何だか嬉しそうだ。

「精一杯がんばります」ってな感じで初々しい。



そんな時、そこから離れた現場で一人の生存者が見つかった。



ホレイショの勘がはたらく。


(この事件は普通の墜落事故じゃない!何かがおかしいぞ……)


チームは一丸となって真相究明に乗り出すのだが……







この『CSI:マイアミ』には、本当にハマっていた。


この他にも黒人女性、検死官の『アレックス・ウッズ』(カンディー・アレキサンダー)も感じが良かったし。




ただ、やはり一人くらいは感じの悪い人物はいるわけで……。




この後、登場する『メーガン・ドナー』(キム・デラニー)。


ホレイショの前任のチーフだったが、夫を亡くして半年間休んでいた。


その為に降格させられていた彼女は、現場に戻ってからも、チーフ風を吹かせて威張り散らす。


「メーガン、俺は自分がなりたくてなった『チーフ』じゃないんだ。でも今は、この俺が、現場の指揮をとるチーフだ!従ってもらおう!」
(このあたりをハッキリ、キッパリ!堂々と言ってのけるところにホレイショのリーダーとしての気概を感じられて、好感が持てる)



ホレイショの一喝に、渋々顔のメーガン。でも顔は相当不満そうである。



(何か……この人さえいなければ、まとまっているチームなんだがなぁ~……)


と思っていたら、自分の願いが通じたのか………アッサリ10話でいなくなってしまった。(役柄を地でいくように、現場でも周囲に馴染めなかったキム・デラニーは降板する。ホッ!)



その後に、入れ替わりで登場するのが、ホレイショの亡くなった弟レイモンドの奥さんで、警察官のイェリーナ・サラス(ソフィア・ミロス)。


ラテン系で、長い黒髪が魅力的な美女。


この人の投入が、さらに自分を『CSI:マイアミ』に夢中にさせたのだった。




そしてここからは、怒濤のごとく……。

シーズン1、2と夢中になって観たものだった。



「『CSI:マイアミ』面白い!」


頭のなかは、いつでもどこでも『マイアミ』で一杯!完全に中毒状態である。





………ただ、やはり長く続きすぎると、何事もうまくいかなくなってくる。


シーズン10はあまりにも長すぎた。


ドラマは続けていくために、勢いをなくし、手を変え、品を変えて、飽きさせないように工夫するのだが、どんどんおかしな方へと流れ出した。


そうして、こんな自分でも、とうとう、シーズン7でリタイヤしてしまう。(いくら面白いドラマでも引き際って大事だなぁ。)




こんな『CSI:マイアミ』であるが、シーズン3まではお奨めする。(一応、ここで伏線らしいものが、とりあえず決着しているので)


その後、続けて観ようと思う人は観ればいいし、ここで止めてもいい。



う~ん、これを書きながら自分も、久しぶりに、もう一度『CSI:マイアミ』を観たくなってきたなぁ~。


星☆☆☆☆

2019年9月16日月曜日

ドラマ 「ROME(ローマ)」

2005~2007年。全22話。





何故に?このドラマを観る事になったのか………。



自分としては、とてもじゃないが苦手なジャンル。




イギリスとアメリカが、莫大な制作予算をかけて作られた歴史大作。


総制作費200億円以上、制作年数8年間。




「とにかく観てよ、面白いから!」

知人があまりにも薦めるので、

「分かった」

と言いながらも、(はぁ~、あんまり壮大な歴史物って得意じゃないんだよなぁ~)って気持ち。


日本の大河ドラマさえも苦手なのに、紀元前のローマの時代なんですもん。



こんなグダグダした具合で、第1話を再生したのだが……。




分からん!

な、名前が覚えられん!


カエサル?

ポンペイウス?

アントニウス?

ヴァレヌス?

プッロ?

はてさて、同じような軍服や甲冑をつけていて、誰が誰やら。



とにかく長い戦争から帰ってきた。


そして、あちらこちらで、男たちは激しいSEX三昧。(これゆえにR‐15指定なのか)




第1話を見終わって、いきなり挫折。

こりゃ、アホな自分には無理だわ~。




でも、翌日になれば、

「どう?面白かったでしょう?」

って聞かれて、

「う、うん……」ってな曖昧な返事。



こんな『ROME (ローマ)』だったので、半年くらいは、完全に放置してました。(なんせ根性なしなもので)





これを再び観ようと思ったのは、正月休みの時。


どのチャンネルでも正月バラエティーばかり、ぶっ続け何時間もやっていて、ふと思い出したのだ。



観てみようかなぁ~。



でも久しぶりに第1話を観ても、「ヤッパ相変わらす難しいわ~」って気分。


それでも我慢して、2、3、4話と観ていくと、何となく区別がついてきて、物語も分かりはじめてきた。


第1シーズンを見終わると、やっと「面白い!」って感想に自分もたどり着けたのだった。




舞台は紀元前52年(単純に計算して今から2071年前)のローマ。

長い8年間の戦争から、勝利をおさめて凱旋帰国してきたカエサルと大勢の兵士たち。


だが、8年も経てば、世の中、色々事情も変わってきている。

カエサルの留守中、元老院のポンペイウス将軍が統治していたローマ。


ポンペイウスにしたら、(今頃ノコノコ帰ってきて目障りな奴)なのだ。




そんなカエサルが率いる大軍は幾重にも分かれている。

カエサルの直属の部下がアントニウスで、これまたアントニウスが率いる軍がいくつもある。(このあたりがややこしいのだ)


で、その中の軍のひとつで、百人を指揮している隊長が、主人公の『ヴァレヌス』(ケヴィン・マクキッド)なのである。


短めの金髪に彫りの深い顔。

眉間には縦皺が入っていて真面目そうだが、神経質そう。


もう少しでローマに着く嬉しさを隠しながらも、真面目なヴァレヌスは、

「ローマに着くまで気をぬくなよ!」と大勢の兵士たちに活を入れる。



でも、部下の『プッロ』(レイ‐スティーヴンソン)は、嬉しさを隠そうともしない。

「これで、思いっきり女を抱けるぞ!」と雄叫びをあげるのだ。


愛妻家のヴァレヌスは、ローマで売春宿に直行するつもりのプッロに厳しい目付き。


逆にプッロは、

「よく奥さんだけで満足できますね?、他の女を抱きたいと思わないんですか?」

と言ってくるのだった……。





このプッロ、見た目も中身もヴァレヌスとは、まるで対称的。


ひとまわりデカイ図体と、性欲にも本能のままに突き進む単細胞。(こいつがもう一人の主人公)




この物語は、そんな見た目も性格も全く違う二人の冒険談なのである。



ヴァレヌスも、プッロも創作上の架空の人物。

こんな二人が、歴史上有名な人物たちに関わりあいながら、自分たちの運命も、それに振り回されて変わっていくのが、この物語なのだ。


(あ~、なるほどね。この二人を取りあえず、押さえておけばいいや……)


と思ったら、後はスラスラと物語の世界に入っていけました。(歴史物が苦手な自分でも)




第1シーズンと第2シーズン、合わせて全22話で、キチンと完結しているのも、ちょうど良かった。


ちょっとした休暇には、観るのにちょうどいい長さのドラマである。



ただ、最初の4話くらいまでは辛抱してほしい。


そこを乗り越えると、確実にハマる事、請け合いのドラマだと思うので。


それにしても、全て観た感想だが………。



歴史ってやつは、戦争と激しいSEXで作られてきたんだなぁ~、と、改めて再確認させられてしまうドラマなのであった。(笑)

星☆☆☆☆