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2021年10月16日土曜日

映画 「HK / 変態仮面」

 2013年  日本。





人間50年以上生きてくると、様々な変態に偶然出くわす事もある。


中学の時は、校内の廊下を下半身丸出しで歩いている男子中学生がいた。

女子中学生は「キャア~!キャア~!」、先生たちは「何をやってるんだー!」と追いかけまわす。(あの中学生は、その後どうなったろう?立派な変態になったのだろうか?)



大人になって、夜、車で海岸沿いを走っていたら、全裸でハイヒールを履いて闊歩している女性を見た事もある。(痴女?)


病院のガランとした待合所にいた時、トイレの中から喘ぎ騒ぐ男女の声。(なんと!真っ昼間から、ホームレスの男女が障害者トイレの中でヤッてるのだ)


みんな、みんな変態さんばかり。



えっ?変態に出くわす頻度が多すぎる?

知らんがな、そういう運命なんでしょうよ (笑)。



そんな変態に遭遇する日常で(どんな日常やねん (笑) )、少年ジャンプにて、この漫画が突然現れた。


究極!変態仮面』。


女モノのパンティーを被ると興奮して、着ているモノを脱ぎ去り、網タイツ、それにはいてるブリーフをグ〜ンと肩まで持ち上げて交差させる。(まぁ、ほとんど全裸に近い)



この男、『色丞(しきじょう)狂介』が変態仮面に変身して、悪党相手に自身の股間を無理矢理に押し付けたり、なすり付けたりして成敗する。(これが成敗になるのか?ホモ相手には喜ばれそうだが (笑) )


他の漫画を読みながらも、永井豪の『けっこう仮面』以来、久しぶりに登場した異質な『変態仮面』は、それはそれで記憶に残る少年漫画でございました。(わずか6巻くらいで終わったのもしょうがないかも)



そして、こんな『変態仮面』の事など、すっかり忘れていた頃、あの男がコレを掘り返して突然叫びだした。


「俺は『変態仮面』をやりたいんだぁぁぁー!」(by 小栗旬


当然、事務所サイドからは、「NO~!」の返事。


「イメージを大切にしろ!」


「今まで築きあげてきたモノを、全て無くすつもりか!?」


これに渋々退いた小栗旬だったが、それでも実写化の夢を諦めきれない。(そこまで固執する小栗旬って、やっぱり変態なのか?)


ならば、脚本協力という立場で関わる事になった小栗旬は、今まで、中々芽が出なかった、一人の俳優にその話を持ちかけたのだった。


それが、鈴木亮平


既に結婚していて妻がいた鈴木亮平は、この『変態仮面』のラスト・チャンスに命をかけた。


「失う名声など何もない!もう完璧な『変態仮面』を俺がやってやる!」と。(半端ヤケクソだろうか?とにかく、そのくらい振りきらないと、こんな役、誰もやらないだろうよ)


肉体改造をして立派な身体をつくった鈴木亮平。(そこまでして、演じる役は変態なのに)



とにかく『変態仮面』役が決まると、今度はヒロインの『姫野愛子』役探し。


こんな映画のヒロインを演じる若い女の子なんているのか?……と思っていたら、いたー!


清水富美加(現在、出家して千眼美子)。



この子、デビュー作の『仮面ライダーフォーゼ』から、(一風変わった子だなぁ〜)と、マークしておりましたが、なるほど(この子なら有りかも……)と、妙に納得もしてしまいました。


『フォーゼ』では、宇宙オタクで、自作で宇宙の変なコスプレをしながら、作詞作曲で変な宇宙の歌を歌うという、とにかく最初からイッちゃってる役。(観ながらも、「これは演技なのか、素でやってるのか?」ぐらいに訳のわからない役でした)



最初がこんな変わり者の役ですもん。

ドンドン変わり者のオファーが舞い込んでくる。



松岡昌宏の『家政夫のミタゾノ』では、またもや不思議ちゃんを嬉々として演じる清水富美加。


女装している『ミタゾノ』(松岡)の後ろから近づいてきて、釣り竿の針で、「えい!やー!」ミタゾノの被る鬘を釣り上げてみせる。


「やっぱりミタゾノさん、男だー!キャッ、キャッ!」(この清水富美加が出演したミタゾノが最高に面白いです。後はダメだけど)



こんな最初っから振り切ってる清水富美加ですから、こんな場面にだって、た、耐えられるはずである。(本人、後日メイキングで、鈴木亮平のハミちんを、何度も何度も間近で拝見したとか言っておりました。)




他にもムロツヨシや、安田顕を引っ張りだして映画は、かねての予想を上回り大ヒットする!(世界でも反響を呼び、とうとう続編まで作られちゃう始末)



鈴木亮平は俳優業を順調にスタートさせて、その後の活躍は世間の皆が知るところ。


一方、清水富美加は、どんどんイッちゃってる演技の繰り返しに、さらに向こう側へと行っちゃいました。(本名に戻せばいいのに。どんな宗教を信じるのも自由だけど、この、まるでセンスのない『千眼美子』って名前だけはいただけない)



とにかく、この『変態仮面』が、二人の明暗を分けたターニング・ポイントになったのは間違いないと思う。



それにしても、陰気な暗闇から現れる変態と、真っ昼間から堂々と現れる明るい変態に違いはあるのだろうか?


まぁ、どっちにしても公然わいせつ罪で逮捕されますけどね (笑) 。(これはフィクション。ちゃんと理性でこらえましょうね)


星☆☆☆☆。

2021年6月13日日曜日

映画 「スイス・アーミー・マン」

2016年 アメリカ。





《スイス・アーミー・ナイフ》には、多機能万能ナイフの意味合いがある。

そこから借りてきて、映画のタイトルは、《スイス・アーミー・マン》と名付けられているのです。


で、…………



《スイス・アーミー・マン》と呼ばれる、この死体『マニー』(ダニエル・ラドクリフ)は、本当に人間が亡くなった後の《死体》なんだろうか?



この映画を観終わった後、こんな疑問符??が真っ先に出てきたのだった。



これを、どう説明したり、解釈すればよいのか……



死体なのに、《オナラ・ジェット》で荒海を勢いよく進む。(プッ・プクプー😁💨💨)


死体なのに、首を前に倒せば、飲み水が際限なくジャー、ジャーと滝のように出てくる。(見た目は、まるで吐いてるようにしか見えないんだけど)


口に石を詰め込むだけ詰め込んで、頭をポンポンと叩けば、まるでマシンガンのように石弾を連続発射する。(死体にこんな事をするのも、どうよ? )


股間の●●●●は、エロ本を見せれば即座に反応して、グルングルン🌀と回り続けて、方位磁石の役割までしちゃう。



ナニこれ……?



「お下品」、「お下劣」、「悪趣味」、「冒涜」……こんなワードがいくらでも出てきそう。



公開当時、映画祭では、これらが映し出されると、即座に席を立つ者たちが続出したそうな。(だろうな)



でも、その気持ちも分かる気がする。



まるで、大昔の、ふざけた小学生が作ったんじゃないか?と思われるような発想なのである。


こんなの70年代に流行っていた永井豪の漫画の世界と、まるで一緒じゃないか!


●●●●が回転するなんて、永井豪の漫画『へんちん!ポコイダー』を、私なんか咄嗟に思い出してしまった。(これも相当、変な漫画である)


モラルや常識に背を向けて、世間を敵にまわしながら、当時の永井豪は、こんな漫画ばかりを、連発しながら、せっせと描いていた。(今なら発禁だろう)



そんなのを数十年経った、しかも、アメリカの映画で、今さら観る事になろうとは。



この死体『マニー』(ダニエル・ラドクリフ)と無人島から脱出して、サバイバルを続ける『ハンク』(ポール・ダノ)は、マニーの特殊な能力に頼りながら、いつしかマニーに愛着をよせていく。



マトモな人間の感性なら、そんなハンクの異常な行動や感情に、眉をひそめて、一瞬で嫌悪するはずである。



これらは席を立つ人たちの、当然の反応なのだ。



でも、こんなモラルや常識を、ひとまず切り離して考えてみると、ハンクとマニーの関係は、どことなく、のび太とドラえもんのようにも、自分なんかには見えてしまう。


ダメ男ハンクと、万能能力を備えた死体マニーのヘンテコリンな友情。(なんか、良い部分を探そうとして、無理にそう思いこもうとしてるのだけど (笑) )




最初、この映画を観始めた時、てっきり、この主人公『ハンク』(ポール・ダノ)は、正気じゃなくて、こんなマニーの姿は、ハンクにだけ見えたり、聴こえたりする幻覚なんだと、思いこもうとしていたのだが、映画のラストを観ると、どうやらそうでもないのだ。



こんなマニーは、警官にも、レポーターにも、ハンクの父親にも、ハンクの初恋の女性サラにも、ハッキリと見えているのだ。



マニーの姿は、ちゃんと実在していて、全員がそれを確認して、驚嘆する。


故郷に帰り着いたハンクを残して、またもやオナラ・ジェット😁💨💨で海に帰っていくマニー。


その姿を見送りながら、サラが呟く言葉。



「ちょっと、何なの?アレ?!……」



本当に何なんだろう?……ただの死体じゃない事だけは確かだ。



ゾンビ?

異星人? 


それとも天使なのか?(こんな天使がおるんか?(笑) )



考えると頭の中がクラクラ。


これをオススメしてよいのやら……。



とにかく、今、言える事は『ハリー・ポッター』に人一倍想い入れがあって、ダニエル・ラドクリフを好きな方は、観ないほうがいいかも。


ガラガラと音をたてて、一瞬で崩れさっていく、ラドクリフのイメージ。


それくらいの異様な問題作なのですから。



取り合えず、ここに記す事で、この映画の事は自分自身も、一旦忘れようと努力するつもりである。(忘れられたら良いのだけどね。まぁ無理か (笑) ) 


2021年2月14日日曜日

映画 「ランボー ラスト・ブラッド」

2019年 アメリカ。




タイから故郷アメリカに帰省して11年………


『ジョン・ランボー』(シルベスター・スタローン)は、両親が残していたアリゾナ州の牧場を引き継ぎ、父親の代からの家政婦『マリア』と、その孫娘『ガブリエラ』(イヴェット・モントリオール)の3人で平穏な日々を過ごしていた。(こんな故郷があるなら、ベトナムの任務が終わった後に、さっさと帰ればいいのに。ずっと天涯孤独だと思っていたランボーの生い立ちに、いきなり(ズコッ!)拍子抜け)


たま~に、昔とった杵柄(きねづか)で、人命救助のボランティア活動にも勤しむランボー。(危険を求めて血が騒ぐのか?)


暇があれば牧場の地下を掘り進めて、とうとう立派な地下道まで作ってしまったランボー。(何だか、ランボーも自分の奥底から沸き起こってくる殺戮衝動を抑えようと必死なんだなぁ~)


それでも、何とか、ランボーは平穏な日常に馴染もうとしていた。



なんせ、近くには美しく成長した娘、ガブリエラが側にいるし。


そんな愛しいガブリエラを養女にして、いずれは牧場を継がせようとランボーは、勝手な夢を描いていたのだが……


年頃の娘は、そうそう思い通りにもいかず……ある日とんでもない事を言い出した。


「あたし、本当のパパの居所を見つけたのよ!メキシコよ!!おじさん、私、パパに会いに行ってみたいのよ!!」


マリアもランボーも、当然大反対。


「あの男は根っからの悪党なんだよ!お前やお前の母さんを捨てて……何を期待してもムダさ。絶対にあんな男に会いに行ってはダメだよ!!」


特にマリアの激昂は凄まじかった。


「友人の『ジゼル』が父親を探しだしてくれた」と言うと、これまたガブリエラの友達の事もクソミソに扱き下ろすマリア婆ちゃん。


「あんな最低の不良娘!あの娘が遠くに行ってくれて安心していたのに……まだ、あんな不良と関わっていたの?!」


ガブリエラの言う事、なす事、真っ向から猛反対するマリア婆ちゃんなのである。


もちろん、ランボーもマリアに同意している。



だが、これが、逆にガブリエラの反発心に火をつけてしまったのか…内緒でメキシコに旅立ってしまうガブリエラ。


ランボーは、愛しいガブリエラを救いだそうと、メキシコへ向けて後を追いかけるのだが………。




これで、本当に最後の『ランボー』シリーズ。



最後のランボーは、こんな導入部で始まるのだが…私、正直言って、この『ラスト・ブラッド』を観るのが、少しだけ恐ろしかった。



なんせ、前回の『最後の戦場』がアレですもん。


やたらめったら、情け容赦なく殺しまくるランボーに、寒気さえ覚えてしまったのだ。



これは自分の好きなランボーじゃない!


もはや《ホラー・アクション》になってしまったランボーに、拒否反応すら感じたくらいだったのだ。



『最後の戦場』の、何が自分を、ここまで震え上がらせたのか…。


それはランボーが殺しまくる為の《理由づけ》が、まるで見えてこなかったからである。


いくら医療ボランティアで美人の『サラ・ミラー』を救出するためとはいえ、知り合ったばかりの人。ましてや恋人関係でもないのに、この大量虐殺。


まるで『13日の金曜日』のようなジェイソンと化したランボーに、感情移入なんて出来るはずもなかったのだ。(ごめんなさい、私にはそう見えたんです)



その辺りの問題を、この『ラスト・ブラッド』は、どうクリアしたのか……恐る恐る観始めたのだけど……。



なるほど、これなら《ランボーの怒り》も納得する。


それにしても、予想通りの展開とはいえ、ガブリエラの辿る悲惨な運命には、ゾッ!とさせられるが。(クズの父親に会いに行って、さらわれて売春宿、麻薬漬けにされるのは、ちょっとエグすぎる)



瀕死のガブリエラを、なんとか助け出したランボーが、故郷の牧場に向かって、真夜中に車を走らせる場面では、もうウルウル。(オジサン涙腺崩壊である)


「眠るんじゃないぞ!起きてるんだ、ガブリエラ!! もうすぐ牧場に着くんだから!!」


そんな、ランボーの懸命な呼びかけも叶わず、車中で力尽きて死んでしまうガブリエラちゃん。(決して馬鹿な娘といえない。ただ、ただ父親の愛を追い求めただけなのだ!)



許せん……!!


愛しいガブリエラを殺されたランボーの悲しみと怒りは、観客にも自分にも充分に伝わってくる。



もう、好きにやっちゃってちょうだい!、ランボー!!(私が許す)


お前の力を見せる時がきたのだ!!



と、ここで再び「オオッ!」と唸ってしまう私。


マリア婆ちゃんを姉の元へ送り出すと、牧場の至る所に巧妙なトラップを仕掛ける為に準備に勤しむランボー。(こ、これは!)



そう、まるで、第1作目の、山の中で追ってくる警察たちに仕掛けられたトラップを思い出させて、シリーズをずっと観てきた自分にはニヤリとさせられる場面なのだ。


当然、冒頭の地下道にも幾多のトラップが仕掛けられる。



そして、準備は完了。

悪党たちを誘い出して、全員血祭りにしてやる!



もう、後はランボーの独断場の大暴れ。


面白いように、悪党たちは次々とランボーが仕掛けたトラップに引っ掛かって絶命していく。(ランボー最大の武器、あの《弓矢》もちゃんと出てくるしね)



多少、やっぱり殺し方にエグいシーンもあるにはあるが、私は今回だけは許す気になった。(なんせ、愛しいガブリエラの仇討ちって名目があるしね)



最後、悪党たちを倒したランボーは馬に乗ってどこかへと去っていく……。


エンディングには、第1作からの名場面のシーンがスライドされ、映し出されると、「あ~本当に終わりなんだぁ~、ありがとうランボー! 今までお疲れさま、ランボー!」と何だか感慨深くなってしまった。


シルベスター・スタローンも、吹き替え担当のささきいさおさんも、長い間ご苦労さまでした。



星は、もちろん☆☆☆☆☆。


『最後の戦場』でランボーに見切りをつけた方々には、この『ラスト・ブラッド』で是非に溜飲を下げてほしいと、特にオススメしておく。


※やっと書き上げた『最後のランボー・レビュー』に、取りあえず今は、「ホッ!」とする私なのである。



2020年8月9日日曜日

映画 「ナイブズ・アウト / 名探偵と刃の館の秘密」

2019年 アメリカ。







この映画とは、全く関係のない話を少し。



こんなのは自分だけかもしれないが、私、『ケネス・プラナー』が大キライである。



ケネス・ブラナーといえば、シェークスピア役者として世に出てきて、「ローレンス・オリヴィエの再来」とまで言われた人。(誰がこんな事を言いだしたのか?)

シェークスピア劇の映画も何本か監督してる。(観る気もないけど)



私がキライになったのは、この人がジョセフ・L・マンキーウィッツ監督の『探偵スルース(1972)』をリメイクしてから。

期待して観たら、とんでもなく陳腐な出来でした。



そうして、トドメはクリスティーの『オリエント急行殺人事件』のリメイク。


しかも、不格好な口髭で主演のポワロまで、嬉々として演じてしまった。

列車の屋根にまで飛び上がるポワロ。(死んだクリスティーが、激怒して墓場から蘇りそうなくらいの出来)



原作のフアンたちを激怒させ、映画も散々だったはずなのに、懲りないブラナーは、またもや『ナイル殺人事件』のリメイクにまで手をつけてしまった。



不出来な、オリジナル破壊のリメイクやアメコミ(『マイティー・ソー』)、アニメの実写化(『シンデレラ』)しか出来ないブラナー。



オリジナル脚本とオリジナルの役で、勝負しようともしないブラナーに、「本当にこの人、監督としても才能があるの?」と疑ってしまう。



今後も、こんな調子で作品を作り続けるのだろうか?

まぁ、観たい人は観ればいい。でも私は、完全に無視するけどね。





こんなブラナーにムカムカしているところへ、この映画『ナイブズ・アウト』の存在を、最近知ったのだった。




監督は、順調にキャリアを築いてきた新進気鋭の『ライアン・ジョンソン』。



ライアン・ジョンソンも、子供の頃からクリスティーの小説が好きで、「こんなミステリー映画を、いつか撮りたい!」と思っていた人だ。



でも、安易に、クリスティーの小説の映画化なんてのには手を出さない。


自分で《オリジナルの脚本》を書いて、自分で《創作した探偵》を作り出す。



あくまでもクリスティー風の群像劇のミステリー映画であり、徹底的にオリジナリティーにこだわったライアン・ジョンソン。



こんな情報を知ると、「ムムッ、最近にしては気骨のある奴。こいつは期待できるかも………」と俄然、観る前から評価は、クグーン!と上がってまう。



で、今回観てみてのだが………



中々、上手く出来てるじゃございませんか。




著名なミステリー作家『ハーラン・スロンビー』(クリストファー・プラマー)が邸宅で85歳の誕生パーティーをおこなった。


一族の者たちは、なにかしらスロンビーの恩恵を承けているので、無下にもできず集まってくる。



そして、翌朝、家政婦がハーランの死体を発見した。


喉をかき切っての自殺。



警察も単純な自殺として、公式ばかりの家族への尋問をして終わりにするはずだったのだが………。



そこへ名探偵『ブノワ・ブラン』(ダニエル・クレイグ)が現れた。


「私に匿名の依頼があったのだ。それにこの事件は、単純な事件じゃないはずだ」ブランはそう言い切る。



調べてみると、次々表れてくる一族の秘密。

皆がハーランを恨みに思っていたのだ。



そんな中で、ブノワ・ブランは一人の女性に目をつける。


『マルタ』(アナ・デ・アルマス)と名乗る、この若い女性はハーランの信頼も厚く、献身的に世話してきた看護師だ。


「私は……何も知りません」

マルタはそう言うだけだが、ブランの勘が、この女性の何かに惹き付けられた。


(何か……隠している………)



案の定、マルタは秘密を隠していた。

自分ひとりでは、押し潰されてしまいそうな大きな秘密を………。




大金持ちに群がるハイエナのような一族たち。


昔ながらの定石のミステリーの形をとりながらも、看護師マルタの視点を借りながら物語が進んでいくところに、この映画の工夫がある。



それにしても、ジェイミー・リー・カーティスやれ、ドン・ジョンソンなんて人たちを久し振りに見ると、それだけで嬉しくなってしまった。(歳をとったなぁ~、当たり前なんだけど)



最後の謎解きは、あまりにも駆け足すぎて、もう少しだけ尺が欲しかったが、クライマックスまでのどこにも不自然さがないような着地はお見事。



あと、この手のミステリー映画としては、ユーモアも、もうちょっとだけ欲しかったかな。



ダニエル・クレイグの名探偵ブノワ・ブランの個性も、まだまだこれからって感じがする。(続編も作られるそうです。ダニエル・クレイグ、この人何気に演技派です)




でも、私はこの映画を断然評価する。



オリジナリティーにこだわり、オリジナルの探偵を創作しようとした監督『ライアン・ジョンソン』の挑戦は、近年では、「アッパレ!」な所業。



こんな脚本が書ける人は、今のアメリカ映画界では貴重だろう。



プロデューサーたちも、オリジナリル脚本には、どんどん出資して育てていってほしいと、切に願います。(まぁ、スター・ウォーズの監督では散々に酷評されたライアン・ジョンソンなので、私としては、こっちのシリーズで頑張ってほしい限りである)


星☆☆☆☆。

次回の名探偵ブノワ・ブランの活躍に期待したい。



2020年7月8日水曜日

映画 「P K (ピーケイ)」

2014年 インド。







『P K』は、名作『きっと、うまくいく』と同じ監督、ラージクマール・ヒラーニの作品で、主演も同じアーミル・カーン






ある日、巨大宇宙船から降り立った一人の青年(アーミル・カーン)。


姿かたちは人間にソックリでも、彼は《 宇宙人 》である。


衣服もまとわない全裸姿には、奇妙に光るペンダント(宇宙船のリモコン)だけを首から提げている。



言葉さえ分からない初めての星で、右往左往している宇宙人。(宇宙人も降り立つ前に、少しでも地球人についてリサーチするくらいしてもよさそうなのにね)


そして、宇宙人は泥棒にペンダントを盗まれてしまった。(どないしよう~)

広いインドの荒野で、なすすべもなく立ち往生する宇宙人……。





同じ頃、ベルギーでは、『ジャグー』(アヌシュカ・シャルマ)という女性が、『サルファラーズ』(スシャント・シン・ラージプート)という男性に、偶然出会い、恋におちていた。


でも、彼はパキスタン人。


(熱心なヒンドゥー教の信者である父親は、この交際に猛反対するだろう……)


ジャグーは、それでも優しいサルファーズにどんどん惹かれていく。



だが、案の定、ジャグーの父親は大反対。

「何を考えてるんだ?!相手はインド人じゃない!パキスタン人なんだぞ!!」

「それが何よ!彼を愛しているのよ!!」



こりゃ、たまらん!

ジャグーの父は、慌てて、ヒンドゥー教の導師タパスヴィー様に相談しに行った。


「大丈夫だ、その青年、サルファラーズはジャグーを、きっと裏切るはずだ」と預言する。



父親がタパスヴィーの預言の話をしても、ジャグーは信じない。

だが、強引に進めた結婚式の当日、彼は現れず………別れの手紙だけをジャグーに残して消え去った。


(預言が当たった………もうおしまいだわ)

傷心でボロボロのジャグーは、インドへ帰国していった。





そして、数ヵ月後、ジャグーは、インドのテレビ局で働いていた。


失恋の傷は、まだまだ癒えぬが、それでも「前を向いて進んでいこう!」と張りきるジャグー。


そんなジャグーは、街中で変なチラシを配り歩いている男に遭遇する。


『P K』(酔っぱらい)と呼ばれている、その青年は「神様が行方不明」と書かれたチラシを懸命に配っていた。


(何これ? それにこの人、何者?……)


ジャグーは『P K』(アーミル・カーン)に俄然、興味を持って近づくと、彼はトンデモない話をしはじめた。


「僕は宇宙人………」




何も知らない無垢な宇宙人が、初めて降り立った地球で、次々遭遇する出来事をとおしながら、差別、偏見などを浮き彫りにする。


笑いのスパイスをきかせながらも、決して説教くさくならないようにする手腕は、さすが、ラージクマール・ヒラーニ監督である。これも中々の佳品。



主演のアーミル・カーンも、トボケていて、エキセントリックな『P K』を演じている。(何と!観ていると、全く瞬きをしない)


ジャグーを演じているアヌシュカ・シャルマも、ショート・カットが似合っていて可愛らしく、溌剌した雰囲気で好感度抜群。



そして、ジャグーの恋人役サルファーズをつとめた、『スシャント・シン・ラージプート』なのだが……多分、日本でも公開されると思うが、主演作が作られている。



『きっと、またあえる』(2019)。



名作『きっと、うまくいく』とも似た邦題名で、同じように大学生活を描いた青春モノ。


何だか、内容を聞いただけで、ワクワクして、ものすごく期待してしまう。(そのくらい『きっと、うまくいく』がチョー面白かったので)




だが、そんなワクワク気分に水を刺すような、トンデモないニュースが飛び込んできた。



主演のスシャント・シン・ラージプートの自殺 ………




「えっ?何で?これからなのに……」



この『P K』で共演したジャグー役のアヌシュカ・シャルマは悲しみのコメントを残している。



「スシャント、逝ってしまうにはまだ若すぎる。すばらしい才能もあった。私たちがいる業界では、あなたがトラブルに陥っていたかもしれないのに助けられなかった。悲しくて動揺している。どうか安らかに眠ってください」




『きっと、うまくいく』でも、ふれていた若者たちの自殺問題。


インドばかりじゃなく、韓国や、それに日本でも社会問題になっている。



ネットが蔓延している現代では、昔は直接、目や耳に入ってこなかった誹謗中傷も、針でつき刺すように本人たちに届いて、その心を蝕んでいく。



大勢に晒されて、その攻撃の対象になりやすい芸能人たちは、もはや並の神経では務まらない。


沢山の華やかな光を浴びれば、無数の影が伸びる。


それに孤軍奮闘して、ひとり闘うには、どれだけ鋼のメンタルが必要なのか、凡人の自分には想像し得ない。



『P K』でも主題に掲げているように、差別、偏見、暴力が少しでも少なくなりますように。
映画は星☆☆☆☆。



スシャントが遺した足跡『きっと、またあえる』を待ちわびたいと思う。

合掌。

2020年5月20日水曜日

映画 「トランス」

2013年 イギリス。





絵画競売人の『サイモン』(ジェームズ・マカヴォイ)は、ギャンブル依存症。



その為、膨れ上がった借金を肩代わりしてくれた、ギャングのリーダー『フランク』(ヴァンサン・カッセル)の計画に加担する事になる。




それは、オークション会場からの、絵画《 魔女たちの飛翔 》の強奪計画だ。



ガスを充満させ、会場が大騒ぎになり、パニックの中、見事、サイモンとの連携プレイで、絵画を強奪すると、フランクは、ホクホク顔で仲間のいるアジトに戻った。




そして、期待して包みを開くと……



…………ガックリ。



額縁だけやんけ~!何じゃコリャ~!!


舐めとんのかぁ~、あのヤローが裏切りやがったのかぁぁぁぁ~!!




サイモンは案の定、ボッコボコに殴られて、病院送り。


やっと退院すると、(ヤッパリね)フランク達の制裁が待っていた。


「俺の絵をどこに隠したんだ!!言え!!」


「覚えてないんだ!本当だよ!あんたに殴られて、その時の記憶がないんだ!!」



どんなに拷問されても、指の爪を剥がされても(ヒィーッ!痛そう)、口を割らないサイモンに、さすがのフランクも、


(本当に記憶喪失………?)と、信じはじめる。


でも、どうやって奴の記憶を取り戻せばいい?……



催眠術?そうだ!《 催眠療法 》だ!!


「おい!この中からどれでもいい、お前が選べ!!」

スマホ画面に、ズラズラと出てくる催眠療法師のリストから、サイモンは何となく、一人の女性を指差した。


「この人がいい………」



次の日から、選ばれた催眠療法師『エリザベス』(ロザリオ・ドーソン)との、マンツーマンのカウンセリングがはじまった。


もちろん、サイモンには、隠しマイクがつけられていて、フランクと他の3人の仲間達は、離れた場所で盗聴しながら、耳をタコにして、待ち構えている。



「さぁ、リラックスしてね……」



エリザベスは、そう言うと、自身が語りかける、あらかじめ録音していた声を流すと、サイモンに、『何も喋らないで!』というカードを目の前に差し出した。


『盗聴されてるのね?』というカードを見せて、サイモンには頷く合図だけをさせる。



そして、サイモンの胸ポケットにある隠しマイクを見つけると、それに向かって、おもいっきり、「ワァー!!」と叫んだ。




聴いていたサイモンたちは、耳がキーーーーンッ!!



「ぎゃあああぁぁーーー!!」の、けたたましい叫び声をあげる。





「あんた、いったいどういうつもりなんだ!?」


もはや、隠れてコソコソする必要もなくなったフランクは、エリザベスの前に現れた。


もう、とっくに、フランク達がギャングの一味で、記憶喪失のサイモンを使って、何かを探りだそうとしている事はお見通しなのだ。



そんなフランクに全く動じるような様子もないエリザベスは、「フフン」と笑みを浮かべて、

「私をあなた達の仲間に入れてよ」と逆に提案してきた。


「何を言ってるんだ?!」


「私が必要なはずよ、サイモンの記憶を取り戻す為にはね」


「ムムッ……」確かにフランク達だけでは、どうしようもないのだが、この女の、人をクッたような態度には、ムカッ腹が立つ。



こらえて……こらえて……



「いいだろう、分かったよ」と、渋々仲間に入れたフランク。




こうして、エリザベスの治療が再び始まる。



イラつくフランク……


(まるで、この女に、いいように主導権を握られたも同然だ………)


だが、イラつく気持ちとは、真逆の感情が芽生えはじめ、この不思議な女性、エリザベスに、フランクはどんどん惹かれてゆく………。




絵画を絡めた男女のサスペンス・スリラーである。



何だか、この映画、けっこうあちこちで、あんまり評判は良くないのですが、私は楽しめました。



マイナーな映画ゆえ、またもや、長々と冒頭のあらすじを書いてみたけど…………、懐かしい顔が出てるじゃないですか。




ジェームズ・マカヴォイを久しぶりに観たような気がする。(少しヤッパリ歳をとったかな? 顔も前よりふっくらしてるような)





ヴァンサン・カッセルが出演している映画を取り上げるのも、このblogじゃ初めてかもしれない。


言わずとしれた、いまや有名な2世俳優。



父親は、あの『オリエント急行殺人事件』の車掌ピエールや、『料理長殿、ご用心』の鳩料理人ルイでお馴染みの、『ジャン・ピエール=カッセル』。


後々になって、こんな話を知る事になるのだが、私、最初、このヴァンサン・カッセルの顔を、初めて見たとき、(ゴメンナサイ!ハッキリ言うと)気持ち悪かった。


「何だか、カマキリみたいな顔だなぁ~」ってのが素直な印象。


でも、見慣れてくると、不思議なもので、最近では、逆にカッコよくも思えてくる。


今や、歳をとって、溢れ漏れる男の色気みたいなモノが、今やムンムン。





そして、ロザリオ・ドーソン…


この映画で初めて見た女優さんだけど、この人、何人(なにじん)なんだろ?って思うくらい変わったお顔。



デカイ目、デカイ鼻、デカイ口、しっかりした顎。



調べてみると、《プエルトリコ人とキューバ人の混血である母親と、ネイティブ・アメリカ、アイルランド人の混血である父親のもとに生まれる》とある。



色々なお国の血が入ってるのも納得だ。




こんなロザリオ・ドーソンであるが、この映画の後、監督のダニー・ボイルとデキちゃったり、なんかする。



『監督』と『女優』………よくある話なんだけどね。



やっぱり、下世話な話、ダニー・ボイル監督も、カメラのフィルター越しに、女優ロザリオを見つめていると、なんだか特別な感情が生まれてくるのかな?


この女優に「触りたい!」、「引き寄せたい!」って思い始めるのかもねぇ~。





と、下世話な話は、このくらいにして。(エッ?いいのか?いきなり真面目!)




この映画で取り上げられる絵画も、なかなか魅力的でした。

《ゴヤ作『魔女たちの飛翔』》




話の中心になる、ゴヤの『魔女たちの飛翔』もいいけれど、映画の冒頭に出てくるレンブラントの『ガラリアの海の嵐』の素晴らしさに、見た瞬間、心奪われてしまった。


《レンブラント作『ガラリアの海の嵐』》




「なんて躍動感があって、荒々しくて、壮大で、素晴らしい絵なんだろう!」と。


こんな絵画なら、自分も欲しいし、一日中、見ていても見飽きる事もないだろうなぁ~。



映画が終わっても、冒頭の『ガラリアの海の嵐』が、もう1度見たくなってしまって、また再生してしまったくらいである。(1990年に盗まれて、いまだ行方不明。高額な3億ドルの値がつく盗難絵画である。誰だ~? 盗んだのは~?!)



レンブラントなら『夜警』が有名だが、この『ガラリアの海の嵐』は、なぜか、私を、強く惹き付けてしまった。


本当に素晴らしい絵画です。



映画は、星☆☆☆。

絵画もたまには、良いモノですね。


※《後記》ちなみに、この映画とは、全く関係ないが、とんでもないモノを見つけてしまった。



こちらが、画家ミレーが描いた『オフィーリア』の肖像画。


《ミレー作 『オフィーリア』》




そして、こちらが、それに扮している《樹木希林》である。



最後まで、お騒がせなバアさまだ(笑)。

お粗末!



2020年4月26日日曜日

映画 「ゲット・バッカーズ」

2014年 アメリカ。






何でこんな邦題になってるのかな?


原題は、『Reach Me』(私に届きます)なんだけど。







「自分を変えるんだ!自分自身を変えなきゃ望みは叶えられない!」



自己啓発本、《救いの手》で、人生が180度変わったラップ・スターは、熱心にテレビで語りかけている。




本の著者は、誰も姿を見た事がない、《匿名の著者》である。




それを食い入るように観ている囚人、『コレット』(キーラ・セジウィック)。(明日、出所)


(こんな私でも出所したら、生まれ変われるかも………)なんて思いながらドキドキ。





ゴシップ記者『ロジャー』(ケヴィン・コナリー)も、たまたま、テレビを観ていた。(禁煙パッチをつけても禁煙出来ずにイライラ)



そんな、ロジャーに、上司の『ジェラルド』(シルベスター・スタローン)から、呼び出しの電話が鳴る。



すぐさま、とんで駆けつけると、ロジャーの胸ポケットから覗いている煙草を見て、チクリ。


「いつまで煙草を吸い続けるんだ!そんな息の臭い奴と、キスをしたいって女がどこにいる?だからお前は、ダメダメなんだ!」



ケチョン!ケチョン!に、こき下ろすジェラルドに、ロジャーは何も言い返す事ができない。
そして、ジェラルドは命令した。



「この、話題の啓発本の著者を、何としても探し出すんだ!わかったな!?これは、きっと良いネタになるぞ!」



(こんなゴシップ記事なんて、本当は書きたくないのに………)


頭では、そう思っていても、ジェラルドの迫力に気圧されて、従うしかないロジャーなのだった。




マフィアの間でも、この《救いの手》は、話題になってる。


(俺もこんな下っぱの汚れ仕事なんてしたくないんだ!俺も生まれ変わりたい!)と。



人を捜査で、すぐに撃ち殺してしまう刑事は、神父に懺悔を乞うものの、偶然が偶然をよんで、やっぱり《救いの手》に引き寄せられるように…………




仕事も環境も違う人々が、ぞくぞく集まりはじめる。



たった一冊の本、《救いの手》の為に。



そんな時、秘密の著者、『テディ』(トム・べレンジャー)は、自身も、ひとり悩みを抱えて、町をさ迷っていたのだった………





シルベスター・スタローンが出演していると思って、偶然手にとった1本であるが………あんまり期待しないで。




スタローンは、あくまでもその他大勢でした。(これ観たかんじ、主役はトム・べレンジャーじゃないか?それにしても久しぶりに観たべレンジャーは、だいぶ太って、だらしのないオッサンになっていました)





《自己啓発》なんてものを、はなから信じていない私は、それに感化される人の気持ちが、最後まで、全然分からなかった。




それでも、映画は、多少のコメディー色があって、それぞれが丸くおさまっていき、幸せな結末をむかえるんだけど………。





でも、これって、ある種の《 洗脳 》なんじゃないのかな?



宗教などに、のめりこんでいる人にも似ている感じがして、あんまり良い気持ちがしなかったです。




うちにも、たま~にやって来ます。



ピンポーン♪


ドアの覗き穴から見ると、パンフレットや、それらしき本を抱えている人が笑顔で、

「私、●●という活動をしています。是非、お困りの方々の力になりたいのです。」と。



私、ドアも開けずに、

「あ、けっこうです」の一言で済ますけど。




帰った後、いつも考える事だけど……こういう活動にハマる人たちって、(どういう気持ちでやってるんだ?)って思う。




ヤッパリ同じような思想の人を増やしたい為?


だとしたら、恐ろしい考えだ。





これは自分なりの考えだが、「同じ思想の人が大勢集まると、ろくな事にならない」と思っているからだ。




《多少気が合う》とか、《趣味が合う》くらいの人が、、少人数(3~4人)で集まるくらいが、丁度よい。




同じ考え(思想)の人が、数十人、集団、国家になるほどの人数に、どんどん膨れあがると、それは今度は、逆に、少数派や違う考えの人間たちを除外したり、迫害したり、そして弾圧したりへと変わっていくからだ。




やがて戦争に変わっていく事を、私たちは、充分知っているはずである。





そんな集団思想ほど、この世で恐ろしいモノはないのだ。




《イジメ》も同じ考え(思想)の集まりの結果だと思う。




こんなのも、個々に分けてしまえば、パワーダウンして、みるみる減退していくはずだ。




別に、《人それぞれで、かまわない》し、《人の考えや人生を無理に変えようとは思わない》。




自然の流れにまかせて、決して押しつけず、変わっていくなら、それはそれでよし!である。







映画のクライマックス、同じような考えに取りつかれた人々が、大勢で集会に集まっていく場面を観て、ゾッ!とする。



見知らぬ著者の何に期待していて、ここまでするんだろうか。




私には、分からない。




唯一、この著者に同調しないで、ゴシップ記事の為だけと割りきっている、孤高の人『ジェラルド』(シルベスター・スタローン)がいた事が、この映画の、ただ1つの救いなのである。

星☆☆。

2020年4月12日日曜日

映画 「ジュマンジ / ネクスト・レベル」

2019年 アメリカ。





ゲームの中なら、ムキムキ、マッチョの『ブレイブストーン博士』(ドウェイン・ジョンソン)になれる!!(ハゲてるけど………)



ゲームの中なら自信が持てる!!



青年『スペンサー』(アレックス・ウルフ)は、またもや、いけないとは分かっていても、《 ジュマンジ 》ゲームに、こっそり手を出してしまった。




あの、1度味わった快感が忘れられないのだ。(麻薬の禁断症状と一緒だ)



そして、いざ、GO!《 ジュマンジ 》の世界へ。



そんなスペンサーを、前回の仲間たち、べサニー、フリッジ、マーサも後を追いかけようとする。(ヤレヤレ)



でも、前回とはどこか様子がオカシイぞ。



マーサとフリッジは、《 ジュマンジ 》に引っ張られていったが、美人のベサニーはおいてけぼり。



代わりに引っ張られたのは、スペンサーの祖父、『エディ』(ダニー・デヴィート)と、エディの知り合い、『マイロ』(ダニー・グローヴァー)。


「大変!どうにかしなくちゃ!」

残されたベサニーは、もう一人の《 ジュマンジ 》体験者『アレックス』に、すぐさま助けを求めるのだが………



『ジュマンジ / ウェルカム・トゥ・ジャングル』の続編。




ヤッパリ、続編を作ってしまいましたか………。



そりゃそうだろうなぁ~、興行的にも成功したしね。



「こりゃ、当分、これで、ガッポリ稼がせてもらいまっせ!」なんて、最近のハリウッドは、まるで、儲け主義の浪速商人(なにわあきんど)。


しばらくは、このシリーズ続けるつもりらしい。(コケるまでね。でもその前で止めとけばいいのにね)




前回、書いた『ターミネーター』にしても、『スター・ウォーズ』にしても、これだけシリーズが、続いていくなら見限る判断は、観客(視聴者)次第。



どこで線引きをするのか……。


ダラダラと続けるつもりのシリーズものは、完全に観客が飽きるまで続くだろうから。







まぁ、今回は何とか観たけど………でも、一言、二言、文句もいいたい。



《 ジュマンジ 》のゲーム自体の内容が、はっきり言って、「チョー!つまらない!!」のだ。



現実世界とは、別のキャラクターになれる設定以外は、このゲーム自体、全く面白いとは思えない。



キャラクターが、難関をクリアする度に、アイテムを得るなり、レベルアップなりをしていくなら、まだしも、そんなものもないゲームの、何が面白いだろうか?



ただ、ザコキャラが大勢で襲いかかってくるだけ。(それもダチョウやら、マントヒヒやら……)




たいしたラスボスも出ないし、それにたどり着く為の謎解きも何もあったもんじゃない。




この問題を、どうにかしないと、次で、このシリーズに(バイバイ!さよなら~!)と、見切りをつける人も出てきそう。







後、主人公、スペンサー役の、この人………アレックス・ウルフっていうんだっけ?



頼むから、そのホクロ、除去してくれません?(笑)



顔のホクロが、額やアゴにあっても気にならないんだけど、場所が鼻の下にあるだけで、超気になるのはなぜなんだろう?


いっきにマヌケ顔というのか………(スイマセンけど、私にはそう見えてしまうのです)




真面目な台詞も、鼻の下にホクロがあると、目が、その1点にだけにいってしまうので、まるっきり集中できない。



これは、役者としては致命的なんじゃないのかな?


本当に除去をオススメする。


鼻の下のホクロだけを、じっと凝視しています。



私は、そうですけど。(お話が頭に入ってきません)



星☆☆。

※ホクロの事ばかりで、全く、ドウェイン・ジョンソンにふれてないけど、今回も通常運転。

いつもの、ゴリゴリのドウェイン・ジョンソンでした。(ドウェインも、これ以上タトゥーを増やさないようにね(笑))

2020年4月11日土曜日

映画 「ターミネーター:ニュー・フェイト」

2019年 アメリカ。






冒頭、のっけから『ジョン・コナー』(エドワード・ファーロング)が、ターミネーターに殺されちゃった。




あの『 2 』を全否定するように、始まる、この『ニュー・フェイト』。



ファーロングには役者として、再起のチャンスすら与えない。



ファーロングの顔の造形だけをコンピューターに取り込み、若返らせて、子供の顔にはめ込んだだけ。


まるで、「太った豚は死ね!」とばかりの非情なジェームズ・キャメロンである。




この冒頭だけで、長年の『 1 』、『 2 』の大フアンだった人は、この作品を見限ったのじゃないかな。



「こんなの長年、待ち望んでいた『ターミネーター』じゃない!!観る価値なし!」と。




この『ターミネーター:ニュー・フェイト』が興行的にも大コケしたのは、それが最大の理由だろう。




代わりに始まるのは、今までと、何の想い入れもない人物の物語。


メキシコの少女『ダニー・ラモス』(誰?)の命を奪う為、未来から送られてきた新型ターミネーター、『レヴ・ナイン』。


そして、そんなダニーを守る為に、これまた未来から送られてきた強化人間『グレース』(これまた誰?)。




それに絡むのが、ジョンを殺されて、半端ヤケクソ気味になりながら、20年以上、ターミネーター狩りをしている『サラ・コナー』(リンダ・ハミルトン)。



そして、ジョンを殺した後、すっかり人間生活にとけこんで、カールと名乗りながら、ちゃっかり家庭まで築いている別の『Tー800 』(アーノルド・シュワルツェネッガー)。




こんな四人がメインになって物語が進んでいくんだけど………。





この『ニュー・フェイト』、良い評価もあるには、あるのだけど、それでも私なりの感想を、まず、言っておく。




完全な失敗作である。




高い予算をかけて、せっかく作ったのに、残念ながら、ストーリーは完全に破綻している。


ジェームズ・キャメロンも、この数年で、だいぶ、お歳をとったようだ。





まず、冒頭、『ジョン・コナー』が殺された事で、この物語は、全く整合性を失ってしまった。





少年のジョンが殺されれば、『 1 』の未来(2029年)での、大人のジョンも存在しないわけで、



そうすると、未来から、1984年の世界に、『ジョン・コナー』によって『カイル・リース』(マイケル・ビーン)が送られてくる事もなくなるのだ。




カイルが送り込まれなければ、サラを襲う為のターミネーターも1984年には存在しない。




もちろん、サラとカイルが結ばれる事もない。




ゆえに、ジョンも産まれない。




その後の、サラがターミネーターと闘ってきた死闘の数々も、ジョンが産まれてこなければ、全てが《抹消》されるのだ。(『1』も『2』も、全く意味をなさなくなる)






この物語の2019年の時点で、サラが生きていたとしても、歳をとった、何も知らない、普通の老婦人に変貌していなくてはならない。



ジョンが殺された時点で、『1』や『2』のサラの過去や記憶は、全てが自動的に書き変えられている事になるはずなのだから。





ターミネーター、「何?それ?」ってな感じで、別人格になってなくては、おかしいのである。(こんな素人でも考える事、誰か映画を作る前に、キャメロンに教えてやれよ~(笑))







もう、この大きな矛盾に、冒頭から気づいてしまった人は、この後のダニーやら、グレースやら、相変わらずの女闘士サラの姿を観ても、違和感しか覚えず、頭の隅にある矛盾を、完全に追い払う事は出来ない。



いくら迫力あるアクションやら、見せ場、見せ場があっても、まるで「意味のない」物語を、延々、見せられているだけなのだ。



「これを皮切りに、新しい『ターミネーター』として、この続編と次の続編までの構想がある。期待していてくれ!」


ジェームズ・キャメロンが、鼻息荒く、インタビューに答えているが、


「やめておいた方がいいんじゃない?」と言ってあげたい。




『1』と『2』を愛するターミネーターのフアンは、この『ニュー・フェイト』の存在こそを、頭の隅から、逆に抹消するだろうから。




期待を裏切られたフアンは、ターミネーターは『1』と『2』で完結!

そんな風に線引きをするはずだろうから。


星☆。


それと、機械のターミネーターが、人間と同じように年老いたりして姿を変えていきますかね?(経験値は学んでいっても)



ドラえもんで、SFを学んで育ってきた我々世代には、こんな整合性のない、矛盾だらけの物語には、とても、ついていけそうもございませんです。

2020年4月5日日曜日

映画 「シティーハンター 史上最香のミッション」

2019年 フランス。







『シティーハンター』を、またもや実写化する?!




このニュースを聞いた時、イヤな予感が、一瞬、頭を横切った。




知ってる人は知ってる………

あの伝説のジャッキー・チェンが演じた1993年版の悪夢がよみがえってくる………



あれを、わざわざ、当時、劇場まで足を運んで観に行ったのだ。



そして、

「何じゃコリャー?金返せー!」

くらいの憤慨モノでした。(おそらく原作フアンじゃなくても大勢の人が、そう思った事でしょう)



『シティーハンター』自体に、そこまでのマジメさなんて求めてないけど、これは酷すぎた。



リョウ(ジャッキー)が、『ストリート・ファイター』の春麗(チュン・リー)になったり、意味のない、とんねるずの曲が使われたりと………こんなのにお金を払って劇場に赴いた事に、とことん後悔した。


                



そうして、何年か経つと、今度は『キャッツ・アイ』の実写化。





これも観に行ったけど、レオタードどころか、キャットウーマンのようなボディー・スーツと被り物。


主役が三女の『愛』(内田有紀)に変更されたり、ストーリーも破綻しまくり(監督の林海象に、原作愛なんてものは、全くないらしい)







この二つの実写化には、原作フアンとして、憎さしか残らなかった。




これに「O.K.!」を出したのは、当の原作者の北条司ではあるまい。(たぶん、儲けるだけ儲けたい主義の集●社)




案の定、これらの実写化は悪評で、今でも実写歴史上、最大の汚点扱いである。(当たり前だっつーの!)




それから数十年が経ち、またもや実写化の話が持ち上がる。



いったい誰が?

どこで?またもや中国?

ヘタクソ実写化の日本?

それともアメコミとディズニーまみれのアメリカ?




なんと!『フランス』である!!




『フランス』………これは期待できるかも………。




そうして、次第に撮影ショットなどが、ポツポツ、ネット上に流れだすと、「これは是非観てみたい!!」と思ってしまった。




主役の、リョウと香のビジュアルや再現度が、漫画以上に半端ない出来なのだ。




冴羽リョウを演じるのが、フィリップ・ラショー


髪を黒く染めて、赤のTシャツに、腕まくりの水色ジャケット。


当然、撮影の為に体を鍛えている。


限りなく漫画の冴羽リョウになろうとしているラショー。



そうして主演だけではなく、監督、脚本にも関わっているフィリップ・ラショーの『シティーハンター愛』は凄まじく、自ら脚本を携えて日本にまで足を運び、原作者の北条司を説得したという。(こりゃ、本物だ!)


そんなラショーの情熱は、原作者の心を、とうとう動かした。(北条司も前の実写化で、相当懲り懲りだったと推察される。それを揺り動かしたんだから、どんだけラショーの原作愛アピールが凄かったかという証拠)





槇村香のビジュアルも原作のまんま。



演じるエロディ・フォンタンは、長い金髪の地毛を赤く染めて、髪をバッサリショートにする覚悟。




ジーパンにスタジャンを羽織った香は、まさに香そのものである。(もちろんメガトン・ハンマーも振り回す)





もう、実写化としては、ここまでで70点をあげてもいいが、さらにスゴいのが海坊主のビジュアル。




漫画のまんまやんけー!(どこで探してきたの?こんな人!!)



カメル・ゴンフーという人らしいが、この人のビジュアル自体が、もう海坊主にしか見えないくらい海坊主で、ネットでも騒然。




この人のビジュアルで、もう90点。




そして、やっと本編を観ることができた。(本当は映画館にまで行きたかったのだが、あまりにもプライベートの雑用が去年は忙しすぎた。)



フランスらしい下ネタもはさみながら、リョウと香の関係もキチンと描いていて、親友、槙村の死のくだりなどもある。





オリジナル・キャラクターも、それはそれで中々微笑ましい感じを残し、アクションは見せ場たっぷりだ。



これは、もう漫画の実写化としては大成功で、満点の100点をあげてもいいんじゃないだろうか?



星☆☆☆☆☆。

近年の映画で稀にみる面白さ!

もう、1回観よ~っと!!