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2025年1月20日月曜日

映画 「江利チエミの《サザエさん》シリーズ」

 1956年〜1961年(全10作)日本。





日本人なら誰でも知っている『サザエさん』。


戦後すぐ、昭和21年に、長谷川町子による新聞連載(4コマ)が始まると瞬く間に大人気になる。


そうして実写映画が何本も作られて、テレビドラマも作られて ……

1969年に始まったテレビアニメはいまだに続いているという、前人未到の記録を打ち立ててしまう。(最近じゃ、コンプライアンスに配慮してるのか、かなりマトモで常識人になってきたサザエさん。逆につまらないんだけど)


こんな『サザエさん』の幾多の実写化で超有名らしいのが、歌手で女優の江利チエミさんが演じたという『サザエさん・シリーズ』である。


亡くなった母も、「『サザエさん』といえば江利チエミさんがずば抜けて良かったわ~」なんて言っていたものだが、私なんか「ふ〜ん …… 」てなもの。


だって観たこともなければ、観たくても 観る手段さえ今まで全くなかった のだから。


『サザエさん』が著作権に特別厳しいのは、昔から有名な話だ。


それというのも『サザエさん』のコピー漫画が勝手に世に出回ったり、何台ものバスの車体にサザエさんのキャラクターを描いて『サザエさん観光』なんてのもあったりして、原作者の長谷川町子を猛烈に怒らせて💢しまったからなのである。(いずれも無許可。事件は裁判沙汰にまで発展している)


それからというもの、『サザエさん』ならびに長谷川町子の全ての単行本は、自身が設立した姉妹社で管理し、発刊するという徹底ぶり。(1992年長谷川町子が死去した後、この姉妹社は解散。今じゃ単行本は絶版となっている)

そうして著作権の全ては原作者の死後、現在にいたるまで『長谷川町子美術館』なる存在が管理しているという。


それでも、《『サザエさん』は国民的漫画で大人気!》、《『サザエさん』は高視聴率!》と、あくまで強気の美術館側だったのだが ……


この神話も、ここ最近じゃ、だいぶ陰りを見せているような。(ここから先はあくまでも私個人の感想)


かつては、東芝一強のスポンサー、軽く30%超えの高視聴率を叩き出していたアニメ『サザエさん』も、昨今の不景気やテレビ離れで、かなり苦しいようなのだ。


2018年にはとうとう老舗の東芝がスポンサーをおりてしまい、現在では個人視聴率4%台、世帯視聴率7%台をいったりきたりするような有り様である。


《↑東芝本社》


要らぬ心配だが、長谷川町子美術館にしても経営の方は上手くいっているのかしら。(他の著名人たちの記念館も、この大不況で経営難の所もあるいう噂もチラホラ耳に入ってくる)


とにかく、ここまでの経緯を知ると、最近の軟化してきた『サザエさん事情』も合点がいくと思うのだ。


この令和になって、ようやっと、江利チエミさんが主演した映画『サザエさん・シリーズ』がPrime・videoで配信されて、誰もが視聴することが出来るようになる。(今までには考えられなかったこと。大昔の好景気時代、video化やDVD・Blu-ray化すらなかったのにね)



1956年〜1961年にかけて映画化された江利チエミ版『サザエさん』は、モノクロ・カラーをとりまぜて全部で10作も作られていた。


『サザエさん』(1956年)

『続・サザエさん』(1957年)

『サザエさんの青春』(1957年)(本作よりカラー化)

『サザエさんの婚約旅行』(1958年)

『サザエさんの結婚』(1959年)

『サザエさんの新婚家庭』(1959年)

『サザエさんの脱線奥様』(1959年)

『サザエさんの赤ちゃん誕生』(1960年)

『サザエさんとエプロンおばさん』(1960年)

『福の神 サザエさん一家』(1961年)


映画は10作もかけて、サザエさんとマスオさん(眼鏡をかけてない)の初めての出会いやお見合い、結婚、出産までを丁寧に描いている。


サザエさんのお母さん・舟役には清川虹子さん。(清川虹子さんなんて自分世代でも演技している姿は初めて観たかも。ビートたけしの『元気がでるテレビ』で高田純次の悪ふざけに激昂している姿しか覚えてない🔎🫦


ワカメ役には、子役の頃の松島トモ子さん(〜4作目まで)。(まさか、晩年になってライオン🐅やらヒョウ🐆やらに立て続けに襲われるとはね … )



そうして、肝心のサザエさん役の江利チエミさんである。


な〜るほど、漫画の中から出てきたような、ドジで素っ頓狂なサザエさん役を好演している。


でも、これを笑えるのも自分世代がギリギリってところなのかも。


この《サザエさん》って現代人の厳しい目から見れば、あきらかに ADHD だ。(注意欠如・多動症。落ち着きがない、待てない、日常生活に支障をきたしているなどなど …… )


買い物を忘れて他の事に夢中になってしまうのも(注意欠如)、カツオの姿を見つけて追いかけ回すのも(多動症・落ち着きがない)、お客様が来ているのに足でふすまをあけるのも成人した女性としては(んん~、ちょっとねぇ~)常識的な範疇を、かなり超えていると思う。


まぁ面白いには面白かったけど、これがウケるのも、やはり昭和生まれの人だけなのかもね。やや遅すぎた視聴に星☆☆☆。


※《蛇足》

これを書き始めた頃、トンデモないニュースが世間中を駆け巡り、賑わし始めた。


タレントNの性加害問題である。


フジテレビの社長が擁護なのか、保身のためなのか、まるでトンチンカンな会見をしたばかりに大手スポンサーたちが大激昂。2025年1月20日時点で、なんと!50社以上のスポンサーがフジテレビのCMから撤退するという大惨事がおこったのだ。


もちろん、アニメ『サザエさん』も例外ではなく、放送中、何回かは《ACジャパン》が挟まれるというトンデモ自体。


ネットでは「フジテレビ、いよいよ停波か?!…… 」なんてのも囁かれる始末である。


今後どうなっていくのか、フジテレビ?!そしてサザエさん?!(不安を煽(あお)りに煽って、このブログは終わりにしとく)



2024年2月15日木曜日

映画 「自由学校」

 1951年  日本。





中年サラリーマン『南村五百助(みなみむら いおすけ)』(佐分利信)は、家への道すがら、誰に聞かせる風でもなくポツリとつぶやいた。

「自由 …… 自由か …… 」


海が見渡せる砂浜、松林の奥に建てられた小ぢんまりとした平屋の一軒家が《南村家》。

少々ボロい感じに見えるけど、終戦後まもない頃の家としては充分に上等だ。


妻の『駒子』(高峰三枝子)は、朝も早くから足踏みミシン(若い人は知らんだろうな~)を動かしながら、せっせと洋服の仕立ての内職に勤(いそ)しんでる。

オマケに近所の子供たちに英語まで教えている駒子は、中々の才女だ。


頭が良くて、働き者。

気が効いてて、器量良しの妻。


そんな完璧な妻・駒子が、なぜ?こんな愚鈍そうな男・五百助(いおすけ)と結婚したのか??? …… 



忙しそうに働いている駒子の横で、五百助はパジャマ姿で寝転んで、いつまでもグータラしてる。

「あなた!いったい、いつまでグータラしてるの?!もう会社に行く時間でしょ!!」

何度目かの駒子の激に、ようやっと起き上がると、五百助はポツリと「会社は辞めたんだ …… 」と呟いた。


「なんですってーー?!💢」


聞き捨てならない、その言葉に駒子が詳しく問いただすと、五百助は一週間も前に働いている通信会社をとっくに辞めて、仕事に行くふりをして毎日彷徨い歩いていたのだという。

「自由 …… 自由が欲しいんだ …… 」


(ハァ〜?何を言ってるんだ?!この男は?!こっちは朝から晩まで懸命に働いて、五百助の少ないサラリーで、何とかやり繰りしているのに …… そんな人の苦労も知らないで …… )


最初は呆れて笑っていた駒子も、段々と頭に血が昇ってきて、いつしか、こんな言葉を叫んでいた。


出てけーー!この家から出てけぇーーー!!💢」(言われて当たり前だ)


駒子の剣幕に気圧されて、スゴスゴと出ていった夫の五百助。

(なぁ~に、すぐに私に詫びを入れて帰ってくるでしょうよ …… )と、高をくくっていた駒子。



だが、夫は帰って来なかったのだ。


行く宛もなくブラブラ街を彷徨っていた五百助は、バタ屋(道幅のゴミくずや金物を拾って生活する人)の『金次』(東野英治郎)に気に入られて、意気投合。


金次が住んでいる橋の下のバラック小屋で、一緒に生活しはじめる。(まるでホームレスだ)





一方、駒子の方は、さすがに一週間も戻ってこない夫の事で、伯父の『羽根田力』(三津田健)と妻『銀子』(田村秋子)のところへ相談に行くのだが ……




その昔、映画評論家・中野翠(みどり)さんのエッセイ本を読んでいると、戦前戦後に活躍したという、松竹の映画監督【渋谷実】を紹介していた。


その中では渋谷実監督の代表作として『自由学校』や『本日休診』なんて映画を取り上げていて、中野翠女史、自らのイラストなども交えたりして大絶賛していた。


『自由学校』…… 自由な校風の学校の話なのかしらん?


まぁ、観てみると《学校》なんてのは全然関係なくて、家を追い出された世間知らずの五百助と、亭主がいなくなった駒子の、いわば大人の《社会勉強》を《学校》に見立ててるって感じなのかも。



五百助が金次と一緒に気ままなルンペン暮らしを楽しんでいる頃、妻の駒子の方も

「そっちがその気なら、こっちも好き勝手させてもらうわ!」と、やや捨て鉢な行動に出る。



でも、世の中、そう上手くはいかない。


伯父夫婦の家で知り合った『辺見』という男に言い寄られて、中々良い感じになりそうなものの、肝心の辺見の方が、土壇場で腰砕けになってしまう。(『駒子』(高峰三枝子)の方は「寝たふりしてる間に襲ってくれ」ってな具合で堂々したものだけど)



(↑辺見がモーションに失敗する度、寝たふりしながら近くのスケッチブックに《✗マーク》をつけていく、この駒子の余裕よ(笑))


オマケに伯父夫婦の家で久しぶりに再会した『堀夫人』(杉村春子)の息子『隆文』(佐田啓二)に一目惚れされて、執拗に追いかけまわされる始末。(いくら男でも「歳下過ぎる!」と駒子の方は歯牙にもかけないのだが …… )


それにしても、この『隆文』って男は、始終ナヨナヨしていて 気持ち悪すぎる!(若くして亡くなった中井貴一のお父さん。絶世の美男子と言われて、当時は大人気だったらしいが)


「ねぇ~、オバサマ。ぼくオバサマの事、好きになっちゃったんですうぅ~♥」(ずっと、こんな調子だ)


自分には、ちゃんとした許嫁がいるのに、他の女性に目移りして追いかけまわすなんて、ある意味トンデモない野郎である。


そうして、その許嫁が、これまた変わり者の、当時としてはイケイケ・ガールな『藤村ユリ』(淡島千景)。(自分の事は外人風に『ユーリ』と呼んでくれなきゃ、「ヤ〜よ!」とかほざいている)



この、ユーリはユーリで、フィアンセが年上の駒子を追いかけまわしているのに嫉妬もせず、逆に恋の応援をしたりする??


「フフッ、私はオジサマ(五百助)の方にいってみようかしら?」なんて、終いには、本気かどうか分からない言いようである。(ある意味、お似合いのチャラいカップル)


本当に皆んなが皆んなで、《自由気まま》。


だが、そんな日々も、いつか終わりがやってくるもので ………



ある日、駒子は暴漢に襲われそうになった。(旦那がいなくなって一人になった駒子に暴漢も日頃から目をつけていたのだろう)


ナヨナヨした隆文がそばにいたものの、駒子一人を放り出して、「イヤァーー!助けてぇぇーー!」と自分だけスタコラ逃げていく。(コイツ、本当にダメだ(笑))


たまたま近所の『平さん』(笠智衆)が通りかかって暴漢をフルボッコ👊💥



なんとか駒子は助かったのだが、実は、この平さんも駒子にかねてから横恋慕♥していたのだ。


駒子に突然告白するも(タイプじゃないのか?)断固  拒絶 されて、南村家で破壊活動、カッとして大暴れする!(あの!温厚そうな優しいおじいさんのイメージしかなかった笠智衆が …… ある意味、コイツが一番ヤバいかも)


命からがら近所の家に逃げおおせた駒子は、自分の家がメチャクチャに荒らされて、ガラス窓が割れる音に耳を塞ぎながら、「もう、男なんてコリゴリだ!」と思うのだった。



一方の五百助も散々で、金次の掘っ立て小屋の側に住んでいる怪しい男に上手くのせられて、あれよあれよのうちに妙な《思想家》の代表に祀り上げられてしまう。


オマケに、密売の立ち会い人にまで駆り出されてしまい、そこを張り込んでいた警察たちに一斉御用。

逮捕されて、留置所送りになってしまうのだ。


五百助の逮捕の知らせは、当然、妻・駒子の元へ。


伯父の羽根田は警察関係に古い知り合いがいて、羽根田と駒子の監視の元、【二度と《放浪生活》をさせない!】を条件に、五百助は駒子に連れられて、なんとか釈放されたのである。


自宅に帰ってきて、勝ち誇った顔の駒子。


「いいわね?分かったわね?!これだけ迷惑をかけたんですもの。これからは私には絶対服従よ!!」(ヤナ女だなぁ~)


そんな駒子に背を向けて、しょんぼりしながらも、またもや出ていこうとする五百助。


「僕には橋の下の生活がお似合いなんだ」

それを慌てて引き止めて、五百助に強烈ビンタかました駒子は、すかさず五百助にすがりついて、途端に泣きじゃくる。


待って!負けたわ!出て行かないで!お願い、家に居てーー!家に居てちょうだい!!



まるで見た事もない妻の一面に((⁠´⁠⊙⁠ω⁠⊙⁠`⁠)⁠!)呆気にとられて驚く五百助。(急に180°反転し、可愛く思えてきた高峰三枝子さんに、私自身もビックリ)


駒子の涙ながらの叫びは五百助にも届いたのか …… こうして二人は元の鞘へと落ち着いたのである。(まぁ、駒子の方も夫がいない間、色々なタイプの男を見てきて、良い勉強になったんでしょうね)


めでたしめでたし。(あっ、そうそう、隆文とユーリもよりを戻したそうな)



それにしても、戦後間もない、この頃に《自由》を求めた主題の、こんな映画が出来たのも分かる気がする。

戦時中、人々は散々《不自由》な暮らしを強いられてきたんですもん。


暮らしは、まだまだ貧しくても自由を謳歌したいよね~。


ただ!

そんな《自由》も、多少の《モラル》があってこそ。

笑いを挟みながらも、この映画は風刺を上手く取り入れて、説教くさくなく描かれていると思う。


初めて観た渋谷実監督の日本映画『自由学校』は、中々どうして、かなりの傑作だと思った。(後年を、かろうじて知っている東野英治郎笠智衆淡島千景などは、かなり真逆のイメージ配役である)


渋谷実監督、侮るべからず。


いつかディスク化される事を祈りつつ、星☆☆☆☆としておきまする。(面白かったんで、ついつい最後まで語り過ぎたわい)


オススメしとく。



2023年4月24日月曜日

映画 「越境者」

 1950年  イタリア。




イタリアはシチリアの貧しい村に、たった一つだけある鉱山。


そこが突然《閉鎖》される事になった。


働いている村の男たちにとっては、まさに死活問題。

地下400mのゴツゴツした岩場で、ストライキがはじまる。


女子供たちは地上で、そんな男たちの安否を気遣って居ても立っても居られない様子だ。




坑夫たちと長い付き合いの経理士さんがトロッコで降りてきて必死に皆を説得。


「こんなに硫黄が充満していて空気が悪いところで …… 早く上がってくるんだ! もう、一晩も持たないぞ!」


『サロ』(ラフ・ヴァローネ)や他の坑夫たちもやっと観念して地上へと戻ってくる。


(でも …… これからどうやって暮らしていったらいい? …… )


行き着く不安は、やっぱりソコヘとかえっていく。


妻が亡くなり、男やもめになったサロには幼い3人の子供たちがいるのだ。(上2人が女の子、下の男の子なんて、まだ4歳だ)


(この子らを、これからどうやって食べさせていったらいいのだ …… )


そんな折、一人の中年男『チッチョ』が村の酒場にふらりとやって来て、こんな提案を話し始めた。


「こんな土地にしがみついてるより、是非フランスへの移民をオススメするね!  私ならそれが出来るぞ! なぁ~に、それなりの金を払ってくれるなら私が道中のガイドになってやってもいいし、上手く憲兵たちにも取り計らってもやれるぞ!」←(チョー胡散臭い)



「俺はフランスへ行くぜ!」

誰かが先陣をきって言い出すと、2、3人が賛同しはじめて、しまいには酒場に居た全員が賛成する事になった。

もちろん、サロも ……


家財道具一式を売り払って、わずかな金を工面した数十名たち。


「新天地《フランス》でやり直すのだ!」

皆が命がけで明日への希望に燃えている。


そんな夜、一人の女がチッチョを訪ねてきた。


「二人分、お願いしたいの …… 」

伏し目がちで暗い表情の『バルバラ』(エレナ・ヴァルツィ)である。


彼女は村でも評判の悪い男・ヴァンニと付き合っているのだ。

母親にも反対され、村人たちからも白い目で見られているバルバラ …… でも、悪党とは分かっていても、どうしてもヴァンニとは別れられない。(女心は複雑なのね)


(新しい土地に行けば、あの人だってきっと変われるはず …… )←(根拠のない希望)



こうして、様々な事情を抱えた者たちがバスに乗り込んで出発した。

まずはシチリアから列車に乗り換えて〜ナポリまで。


だが、長い旅路はどんどん困難を極めていき ……





原案・脚本には、あの有名なフェデリコ・フェリーニが関わっている。(『道』、『青春群像』など)


監督はピエトロ・ジェルミ。(これまたイタリア映画界では有名人。監督だけではなく俳優も兼任された方。監督作では『イタリア式離婚協奏曲』を観て、ココでも取り上げました)



で、主演が『にがい米』や『アンナ』にも出演していたラフ・ヴァローネさんである。



ラフ・ヴァローネさんは元々俳優になるつもりはなかったのだけど、勧められて続けるうちに、たまたま出演する作品にも恵まれて大スターになったという稀なお人だ。(どんだけラッキー)


この映画は、そんなラフ・ヴァローネの長い映画人生においても、ある意味、特別な作品となっている。(それは最後に後述しとく)




それにしても、名だたる監督や俳優たちで、よくもまあ、こんな映画を撮りあげたものだ。



なんせ、

《イタリアがあまりにも貧乏過ぎて、絶望して、皆でフランスに行きましょうよ!》

ってのが主題。



それを当のイタリア人たちが総出で撮っているんですもんね。


普通なら逆に《イタリアの素晴らしさ》をアピールしてもよさそうなものを。(当時、この映画は検閲に引っかからなかったのかしらん?)




確かに冒頭に映し出されるシチリアには悲惨さが滲み出ている。

村には木はおろか、草一本はえていないような岩だらけの乾いた場所で、石造りの家しか並んでいない。


これじゃ、農作物なんてのも育たないし、皆が飢えや貧困にも苦しむはずだわ。(※イタリアの貧困はその後も1960年代まで続く。アメリカ経済に助けられ、やっと息をふきかえす事になる)







案の定、ガイドの男は詐欺師だった。



村人からお金だけを巻き上げてトンズラする気だったのだ。(やっぱり!)



ナポリの駅で逃げる男に、悪党ヴァンニが懐(ふところ)から《銃》を取り出して発砲。

駅周辺は大騒ぎになる。



すぐに警察が駆けつけてくるも肝心の二人は捕らえられず、代わりにサロや村人たちが逮捕されてしまう始末。


「いいか!これは恩情だぞ。三日以内に皆んな故郷のシチリアへ帰るんだ!これは警察の命令だ!!」

変な命令書を渡されて苦渋に満ちた顔の村人たち。



警察からやっと開放されると、それをサロはビリビリと破り捨てた。


「今更、家に帰れるか!家財道具も全て売り払ったんだぞ!俺は何としてもフランスへ行くぞ!!」


バルバラも(国境まで行けばヴァンニと出会えるかも ……)そんな期待でフランス行きを決意する。

でも村人の半数は警察怖さに故郷に戻ってしまった。



残りの村人たちは不安ながらも、サロを先頭にして再び歩きはじめる ……





この後も一難去って、また一難。



サロと村人たちは農場で小作人として雇われるも地元の人たちから「よそ者は出ていけー!」の罵声が飛び交う。


そんな中でサロの娘が怪我をしてしまい動けない状態。

バルバラは単身、村まで医者を呼びに行ってくれたりすると、(オヨヨ ……?)二人は何だか良いムードになってきたぞぉ~。




ヴァンニの事が気がかりでも、誠実で子供に優しい『サロ』(ラフ・ヴァローネ)にどんどん惹かれていく『バルバラ』(エレナ・ヴァルツィ)。



映画は大方の予想通り、二人は相思相愛になっていくのだが、この二人、現実世界でも、やがて本当の夫婦になるのである。(なんと!(⁠´⁠⊙⁠ω⁠⊙⁠`⁠)⁠!)



エレナ・ヴァルツィは女優を辞めてラフ・ヴァローネと結婚。

二人は死ぬまで添い遂げる事となる♥。(二人ともに2002年に亡くなっている。どんだけ仲が良かった《おしどり夫婦》だったのかしらん)



この映画の撮影は、後半、過酷過ぎるくらい過酷になり、猛吹雪の中の山越えシーンなんてのは、撮影クルーにしても、俳優たちにしても本当に命がけだ。




こんな困難な撮影を、ともに乗り越えたからこそ、妙な連帯感が生まれて、それが愛情へと変わっていったのかもしれない。




尚、この映画は第1回の《ベルリン国際映画祭》で銀熊賞(監督賞)を受賞している。(ちなみに第52回(2002年)に『千と千尋の神隠し』で宮崎駿金熊賞を受賞している)



だからこそ、ロード・ムービーとしては秀逸の出来。



果たして皆は無事、フランスへとたどり着けるのか …… を最後まで語るのは、いちいち野暮というもの。



是非、ご覧あれ。(オススメしとく)

星☆☆☆☆。


それにしても絵になるくらい格好いい夫婦だなぁ~)


2022年4月20日水曜日

映画 「ローマの休日」

 1953年  アメリカ。






あまりにも有名なオードリー・ヘプバーンの『ローマの休日』。



この映画を観たのは、あらかた、オードリーの他の映画を観てから、だいぶ経った頃だった。


なんせ、意識しなくても、あちこちで『ローマの休日』のオードリーが日常的に目に飛び込んでくる状況なのだ。



もう、観る前から、すっかり観たような気分にさせられていたのである(笑)。




それにしても、日本人の《オードリー好き》には、あらためてビックリさせられる。



1953年に本国で公開されて、翌年に日本で上映されると、日本では瞬く間に《オードリー旋風》が吹き荒れる。



男の自分でも、オードリーは「可愛いなぁ~」とは思うけど、女性の方がはるかに熱狂的!



『ローマの休日』を観た後は、世の女性たちが、一目散に美容室へと駆け込んだそうな。


「お願い!ヘプバーン・カットにしてぇー!!」


巷中(ちまたじゅう)に溢れかえるヘプバーン・カットの女性たち。(だったそうですよ、当時は)




そうして、こんな勢いは髪型だけにとどまらない。


もう、《美の基準》全てが、オードリー《一色》になってしまったのである。




眉の描き方から、アイラインのひき方まで …… メイクのお手本は、全てオードリー。


洋服の着こなし方なども、もちろんである。



鏡を見ては、「オードリーのようにシャープな顎をしていればねぇ〜 …… 」と溜め息をつき、

自分の体型をオードリーと比べては「あぁ、オードリーのようにスラーッとした体型になりたいなぁ~」と憧れる。



身長170cmで体重50キロのオードリーは、ちと痩せすぎのような気もするが、《美の基準》が《ソレ》だという風に完全にインプットされてしまった女性たちは、母親になっても変わらず。


生まれた娘も、孫も、そのまた孫の代まで、ずっと現代に至るまで、その基準は脈々と続いているのだ。





だが、こうなったのも無理はない。



60年代〜70年代の少女漫画家が描いているヒロインの顔は、誰も彼もが、オードリーの面影を残したヒロイン像を描いているし。(描いてる漫画家も《オードリー好き》なんだろう)



映画雑誌などでは、定期的にオードリーが表紙を飾り、特集ページが何度も組み込まれたりする。(しかも何十年間も)


そんなのを毎号毎号、買い求めては皆が読んでたんですもんね。(そりゃ、イメージは刷り込まれるわ)




日本に《ジェラート》のアイスクリームが売り出されれば、たちまち、この『ローマの休日』のオードリーがCMに駆り出されたりする。(ベスパのスクーターも同じ)




バブルの頃なんて、誰が考え出したのか
…… 《オードリーと行こう!イタリア・ローマのツアー》なんて企画の旅行プランもあったりしたもんだ。(オードリーは行かねぇっつーの!(笑))



そうして、またもや最近でも、明石家さんまとの合成CMが流れていたりする。




日本では、この70年間、『ローマの休日』のオードリー・ヘプバーンの姿が、途切れる事が、全く無いのだ!!



そう思うと、この、たった一本の映画がもたらした経済効果は、もはや天文学的数字。


大袈裟に言うなら、《宇宙規模》といっても良いのかもしれない。(ヒェ~!スゲ~や(*_*))





こんな『ローマの休日』を20年前くらいに、ちゃんと観てみた。


観た感想は、……… まぁ普通。(星☆☆☆)


オードリー・ヘプバーンは当然可愛いし、お話自体は楽しいんだけど、案外「普通かなぁ~」と感じてしまった。(こんな風に書くと、オードリー・フアンから、トンデモないお叱りをうけるだろうが)



これだけメディア効果や宣伝がなければ、また違った感想だったかもしれないが。(とにかく冒頭にも書いたように、既に観たような気分が災いしたとしか言いようがない)



ただ、オードリーグレゴリー・ペックが、街中を楽しくベスパで乗り回すシーンには、「オオッ!」と唸ってしまった。



ノー・ヘルメットで二人乗り!(今なら、即、御用!(違反キップ)(笑))


おおらかな良き時代に、「羨ましいなあ~」なんて、多少の憧れもあったりして ……



まぁ、日本人なら、一度は、ちゃんと観るべし …… なのかな?(オススメしとく)


2021年8月26日木曜日

映画 「ナイアガラ」

1953年 アメリカ。




『ポリー・カトラー』(ジーン・ピーターズ)は、夫の『レイ』と一緒に新婚旅行で《ナイアガラ》にやって来た。



「思う存分、このナイアガラ・ツアーを楽しまなくちゃ!!」


浮き浮き気分で、俄然、張りきるカトラー夫婦。


地上からエレベーターを下に降りていき、暗いトンネルを抜けていくと、そこはナイアガラの滝の、ちょうど真裏に出てくる。

そして、目の前に広がるのは、絶景スポットの展望台。(1950年代にこんな場所が完成されている事に、今更ながらに驚く)


そんなナイアガラを背景に、夫のレイは妻のポリーを写真におさめたいのだ。


「もっと後ろに下がって!」


夫の掛け声に笑いながら後ずさりするポリー。



すると、真横の岩陰で熱烈なキスをしている男女の姿が、突然ポリーの目にとびこんできた。


(あれは隣のロッジにいるルーミス夫人だわ!……相手の若い男は………どう見てもご主人じゃなさそうね……)


バツの悪い場面を偶然見てしまったポリー。


美人で派手な『ローズ』(マリリン・モンロー)は、地味で根暗な男『ジョージ・ルーミス』(ジョセフ・コットン)と結婚していた。

この夫婦もポリーたちと同じように、ナイアガラの側のロッジに宿泊していたのだが……さわやかなカトラー夫婦とは、まるで真逆で、常に淀んだ空気が流れている。


夫のジョージが、あまりにも嫉妬深すぎるのだ。


熱烈に愛しすぎるがゆえに、

「ローズが外に出れば他の男に奪われてしまう!」

こんな疑念でイッパイになり、結婚してからというもの、片時も心休まる暇がないときている。(ある意味、ジョージの疑念は当たっているんだけど)


こんなジョージの嫉妬は、とうとう仕事にまで影響して、事業は失敗続き。

オマケに、お国の為に朝鮮戦争に行くと、ズタボロの精神状態で、ジョージは帰国してきたのだった。


ますます、陰気臭くなったジョージの性格。



こんな男と暮らしていて、毎日が楽しいはずがない。


妻のローズは、こっそり若い男を手玉にとってメロメロにしてしまうと、ある企みを、今まさに、実行しようとしていたのだった。


「夫を殺してちょうだい……」


こんな痴情のもつれで、お互いに殺伐としだしたルーミス夫妻。


偶然、三角関係を見てしまったポリーは、そんないざこざの渦に巻き込まれて………




急に、この映画『ナイアガラ』を思い出して、40数年ぶりに観てみた。

コロナ蔓延の中、家の中にこもりっきりで、鬱々とした気持ちで限界にキテる人も多いはず。

そんな時に、多少、観光気分を味わえるのなら、こんな映画もいいかもしれないと思ったのだ。


この《ナイアガラの滝》は、数十年経った今、観ても、中々のド迫力で見応え充分である。




物語の内容はというと…スッカリ忘れていた。


この映画『ナイアガラ』について書かれている幾多の記述なんかを読むと、


「マリリン・モンローの初めてのカラー映画」だとか、


「マリリンが魅せる華麗なモンロー・ウォーク」なんてモノばかり。


たまにジョセフ・コットン演じる根暗なダメ夫について書いているのを見つけても、ほぼ、内容にふれたのを見かけた事がない。


何でだろう?と不思議に思い、今回新たに観直してみると、その疑問も分かった気がする。


この映画のクレジットには、一番最初の画面に3人の名前が一気に並ぶ。


画面左上にマリリン・モンロー、その右横にジョセフ・コットン

そして、二人の下、中央にはジーン・ピーターズの名前。



もう、お分かりだろう?


冒頭に書いてみた、多少のあらすじを読んでみても分かるだろうが、この映画の実質上の主役はジーン・ピーターズ演じる『ポリー』なのだ。



主役はマリリン・モンローでも、ジョセフ・コットンでもない。


観客が感情移入して、ハラハラ、ドキドキすべき人物は、若妻『ポリー』(ジーン・ピーターズ)なのである。


古い映画だから、思いきって書いてしまうが、

『ローズ』(マリリン・モンロー)と愛人の若い男が計画した《夫ジョージ殺し》は失敗に終わる。

ナイアガラの滝で突き落として殺す計画だったのだが、逆に『ジョージ』(ジョセフ・コットン)に殺されたのは若い愛人の方だったのだ。


オマケに、ジョージは、《ローズが愛人と共謀して、自分を殺そうとした》事に気づいてしまうのだ。


可愛さあまって憎さ百倍……

ローズを憎むジョージは、とうとう追いつめて、ローズの首を絞めて殺してしまう。


そう、映画の半分を過ぎたあたりで、『ローズ』(マリリン・モンロー)は、殺されてしまうのだ!


断言する!

こんな役で、主役であるはずがない!



こうして、殺人犯として逃亡を続けるジョージ……

そして、それを知ってしまったポリーは、事件に巻き込まれながらも、壮大なナイアガラで、ジョージと最後の対決をするのである。(もちろん、主役ゆえ、ラストはヘリコプターで救助されるポリー)


こんな話が、映画『ナイアガラ』の本当の姿なのだ。


それなのに、どういうわけか、この映画は、数十年経った今でも、マリリン・モンローが主役の映画として、ずっと勘違いされ続けている。


映画の宣伝も、評論も、なんならDVDなどのパッケージなんかを見ても、マリリン・モンローを押し出して、「ババァーーン!」と見出しにしたものばかりが目立つ。


これでは観てない人には、「マリリン・モンローが主役の映画なんだろう!」と思われるのも当たり前なのである。



どうしてこんな風になってしまったのか?


それはマリリン・モンローが、この映画で演じた『ローズ』という役柄のインパクトが非常に大きいのだ、と推測する。


自分が目立つように、セクシーで派手なショッキング・ピンクのドレスに身を包んでいるローズ。(周りから一人だけ浮いてる格好に、今、観ればドン引きして、笑ってしまう (笑) )


恋愛に奔放でいて、旦那がいても関係なし。


気軽に男と浮き名を流す、ふしだらな女ローズ。


そうして、最後は自業自得で殺されてしまうローズ……



マリリン・モンローの実生活と重ねて、人々は、この『ローズ』のキャラクターを見てしまったのだ。


実際のマリリン・モンローも結婚離婚を繰り返し、共演者とも浮き名を流す恋愛体質。


オマケに36歳の若さで亡くなった謎の死。(事実は自殺だったらしいが)


でも、この『ローズ』の役柄が影響しているのか、今でも《他殺説》の憶測や噂を信じる者は後を絶たない。



マリリン・モンロー》=《ローズ》のイメージは、マリリンの死によって、決定的に刻印のごとく印象つけられてしまったのである。



なるほどねぇ~……

でも、その勘違いや虚飾も、そろそろ幕を下ろしてもいいんじゃないの?(もう70年も経つし)


映画を観れば分かるはずだが、ジーン・ピーターズは、理知的で美しく、確かな演技力をみせてくれる女優さんである。(私は彼女の方が好き)

着ているファッションも、ケバいマリリン・モンローとは比較にならないくらいセンスが良い。(クール・ビューティーを存分に引き立てている)





ナイアガラの濁流の中、流されまいと岩場に必死につかまる彼女。

上空を飛ぶヘリコプターからロープで降ろされた椅子を、たぐり寄せて、必死で掴まる彼女。


ジーン・ピーターズは体を張った体当たりの演技を見せて、映画のラストを飾っている。(ボンド・ガールも真っ青)


この映画を久しぶりに観て、ナイアガラの見事さを堪能した私は、マリリンにかぶされた虚飾の王冠をおろして、ジーン・ピーターズの頭に、その王冠をかぶしてあげたくなってしまった。


どうだろうか?

星☆☆☆☆。