2024年2月15日木曜日

映画 「自由学校」

 1951年  日本。





中年サラリーマン『南村五百助(みなみむら いおすけ)』(佐分利信)は、家への道すがら、誰に聞かせる風でもなくポツリとつぶやいた。

「自由 …… 自由か …… 」


海が見渡せる砂浜、松林の奥に建てられた小ぢんまりとした平屋の一軒家が《南村家》。

少々ボロい感じに見えるけど、終戦後まもない頃の家としては充分に上等だ。


妻の『駒子』(高峰三枝子)は、朝も早くから足踏みミシン(若い人は知らんだろうな~)を動かしながら、せっせと洋服の仕立ての内職に勤(いそ)しんでる。

オマケに近所の子供たちに英語まで教えている駒子は、中々の才女だ。


頭が良くて、働き者。

気が効いてて、器量良しの妻。


そんな完璧な妻・駒子が、なぜ?こんな愚鈍そうな男・五百助(いおすけ)と結婚したのか??? …… 



忙しそうに働いている駒子の横で、五百助はパジャマ姿で寝転んで、いつまでもグータラしてる。

「あなた!いったい、いつまでグータラしてるの?!もう会社に行く時間でしょ!!」

何度目かの駒子の激に、ようやっと起き上がると、五百助はポツリと「会社は辞めたんだ …… 」と呟いた。


「なんですってーー?!💢」


聞き捨てならない、その言葉に駒子が詳しく問いただすと、五百助は一週間も前に働いている通信会社をとっくに辞めて、仕事に行くふりをして毎日彷徨い歩いていたのだという。

「自由 …… 自由が欲しいんだ …… 」


(ハァ〜?何を言ってるんだ?!この男は?!こっちは朝から晩まで懸命に働いて、五百助の少ないサラリーで、何とかやり繰りしているのに …… そんな人の苦労も知らないで …… )


最初は呆れて笑っていた駒子も、段々と頭に血が昇ってきて、いつしか、こんな言葉を叫んでいた。


出てけーー!この家から出てけぇーーー!!💢」(言われて当たり前だ)


駒子の剣幕に気圧されて、スゴスゴと出ていった夫の五百助。

(なぁ~に、すぐに私に詫びを入れて帰ってくるでしょうよ …… )と、高をくくっていた駒子。



だが、夫は帰って来なかったのだ。


行く宛もなくブラブラ街を彷徨っていた五百助は、バタ屋(道幅のゴミくずや金物を拾って生活する人)の『金次』(東野英治郎)に気に入られて、意気投合。


金次が住んでいる橋の下のバラック小屋で、一緒に生活しはじめる。(まるでホームレスだ)





一方、駒子の方は、さすがに一週間も戻ってこない夫の事で、伯父の『羽根田力』(三津田健)と妻『銀子』(田村秋子)のところへ相談に行くのだが ……




その昔、映画評論家・中野翠(みどり)さんのエッセイ本を読んでいると、戦前戦後に活躍したという、松竹の映画監督【渋谷実】を紹介していた。


その中では渋谷実監督の代表作として『自由学校』や『本日休診』なんて映画を取り上げていて、中野翠女史、自らのイラストなども交えたりして大絶賛していた。


『自由学校』…… 自由な校風の学校の話なのかしらん?


まぁ、観てみると《学校》なんてのは全然関係なくて、家を追い出された世間知らずの五百助と、亭主がいなくなった駒子の、いわば大人の《社会勉強》を《学校》に見立ててるって感じなのかも。



五百助が金次と一緒に気ままなルンペン暮らしを楽しんでいる頃、妻の駒子の方も

「そっちがその気なら、こっちも好き勝手させてもらうわ!」と、やや捨て鉢な行動に出る。



でも、世の中、そう上手くはいかない。


伯父夫婦の家で知り合った『辺見』という男に言い寄られて、中々良い感じになりそうなものの、肝心の辺見の方が、土壇場で腰砕けになってしまう。(『駒子』(高峰三枝子)の方は「寝たふりしてる間に襲ってくれ」ってな具合で堂々したものだけど)



(↑辺見がモーションに失敗する度、寝たふりしながら近くのスケッチブックに《✗マーク》をつけていく、この駒子の余裕よ(笑))


オマケに伯父夫婦の家で久しぶりに再会した『堀夫人』(杉村春子)の息子『隆文』(佐田啓二)に一目惚れされて、執拗に追いかけまわされる始末。(いくら男でも「歳下過ぎる!」と駒子の方は歯牙にもかけないのだが …… )


それにしても、この『隆文』って男は、始終ナヨナヨしていて 気持ち悪すぎる!(若くして亡くなった中井貴一のお父さん。絶世の美男子と言われて、当時は大人気だったらしいが)


「ねぇ~、オバサマ。ぼくオバサマの事、好きになっちゃったんですうぅ~♥」(ずっと、こんな調子だ)


自分には、ちゃんとした許嫁がいるのに、他の女性に目移りして追いかけまわすなんて、ある意味トンデモない野郎である。


そうして、その許嫁が、これまた変わり者の、当時としてはイケイケ・ガールな『藤村ユリ』(淡島千景)。(自分の事は外人風に『ユーリ』と呼んでくれなきゃ、「ヤ〜よ!」とかほざいている)



この、ユーリはユーリで、フィアンセが年上の駒子を追いかけまわしているのに嫉妬もせず、逆に恋の応援をしたりする??


「フフッ、私はオジサマ(五百助)の方にいってみようかしら?」なんて、終いには、本気かどうか分からない言いようである。(ある意味、お似合いのチャラいカップル)


本当に皆んなが皆んなで、《自由気まま》。


だが、そんな日々も、いつか終わりがやってくるもので ………



ある日、駒子は暴漢に襲われそうになった。(旦那がいなくなって一人になった駒子に暴漢も日頃から目をつけていたのだろう)


ナヨナヨした隆文がそばにいたものの、駒子一人を放り出して、「イヤァーー!助けてぇぇーー!」と自分だけスタコラ逃げていく。(コイツ、本当にダメだ(笑))


たまたま近所の『平さん』(笠智衆)が通りかかって暴漢をフルボッコ👊💥



なんとか駒子は助かったのだが、実は、この平さんも駒子にかねてから横恋慕♥していたのだ。


駒子に突然告白するも(タイプじゃないのか?)断固  拒絶 されて、南村家で破壊活動、カッとして大暴れする!(あの!温厚そうな優しいおじいさんのイメージしかなかった笠智衆が …… ある意味、コイツが一番ヤバいかも)


命からがら近所の家に逃げおおせた駒子は、自分の家がメチャクチャに荒らされて、ガラス窓が割れる音に耳を塞ぎながら、「もう、男なんてコリゴリだ!」と思うのだった。



一方の五百助も散々で、金次の掘っ立て小屋の側に住んでいる怪しい男に上手くのせられて、あれよあれよのうちに妙な《思想家》の代表に祀り上げられてしまう。


オマケに、密売の立ち会い人にまで駆り出されてしまい、そこを張り込んでいた警察たちに一斉御用。

逮捕されて、留置所送りになってしまうのだ。


五百助の逮捕の知らせは、当然、妻・駒子の元へ。


伯父の羽根田は警察関係に古い知り合いがいて、羽根田と駒子の監視の元、【二度と《放浪生活》をさせない!】を条件に、五百助は駒子に連れられて、なんとか釈放されたのである。


自宅に帰ってきて、勝ち誇った顔の駒子。


「いいわね?分かったわね?!これだけ迷惑をかけたんですもの。これからは私には絶対服従よ!!」(ヤナ女だなぁ~)


そんな駒子に背を向けて、しょんぼりしながらも、またもや出ていこうとする五百助。


「僕には橋の下の生活がお似合いなんだ」

それを慌てて引き止めて、五百助に強烈ビンタかました駒子は、すかさず五百助にすがりついて、途端に泣きじゃくる。


待って!負けたわ!出て行かないで!お願い、家に居てーー!家に居てちょうだい!!



まるで見た事もない妻の一面に((⁠´⁠⊙⁠ω⁠⊙⁠`⁠)⁠!)呆気にとられて驚く五百助。(急に180°反転し、可愛く思えてきた高峰三枝子さんに、私自身もビックリ)


駒子の涙ながらの叫びは五百助にも届いたのか …… こうして二人は元の鞘へと落ち着いたのである。(まぁ、駒子の方も夫がいない間、色々なタイプの男を見てきて、良い勉強になったんでしょうね)


めでたしめでたし。(あっ、そうそう、隆文とユーリもよりを戻したそうな)



それにしても、戦後間もない、この頃に《自由》を求めた主題の、こんな映画が出来たのも分かる気がする。

戦時中、人々は散々《不自由》な暮らしを強いられてきたんですもん。


暮らしは、まだまだ貧しくても自由を謳歌したいよね~。


ただ!

そんな《自由》も、多少の《モラル》があってこそ。

笑いを挟みながらも、この映画は風刺を上手く取り入れて、説教くさくなく描かれていると思う。


初めて観た渋谷実監督の日本映画『自由学校』は、中々どうして、かなりの傑作だと思った。(後年を、かろうじて知っている東野英治郎笠智衆淡島千景などは、かなり真逆のイメージ配役である)


渋谷実監督、侮るべからず。


いつかディスク化される事を祈りつつ、星☆☆☆☆としておきまする。(面白かったんで、ついつい最後まで語り過ぎたわい)


オススメしとく。