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2021年11月26日金曜日

映画 「白い肌の異常な夜」

 1971年  アメリカ。




この映画を観れば、ドン・シーゲル監督や、クリント・イーストウッドの見方は180度変わるかも。(『ダーティハリー』しか観てない方は特に)


かくいう自分も、その昔、何の予備知識も無しに観て、かなりの衝撃をうけた。


ガビーーーン!何じゃ、こりゃ?!


この映画を観た後なんて、しばらくの間は、この二人に関しては変な色眼鏡が抜けきれずに、「映画は映画として……」なんて割り切れなかったほどだ。


そのくらい、この映画は、エロティックであり、残酷なモノに満ちあふれている。


ドン・シーゲル、イーストウッドの師弟コンビが、若い時のノリで、思いっきり《変態性》を突き詰めた異色作。


それが、『白い肌の異常な夜』なのであ〜る。




時は、南北戦争終わりの頃、森の中でキノコ採りをしていた12歳の少女『エミー』は、瀕死で倒れている北軍の伍長『ジョン・マクバニー』(クリント・イーストウッド)を発見した。


(死んでるのかしら?……いや、生きてるわ!それに脚を怪我してる、この人!)


幼いエミーにそれ以上の事が出来るはずもなく………エミーは森を抜けた自分が住んでいるファーンズワース女学院へと助けを求めて走った。


しばらくして、気を失っているジョンが、ふと目を覚ますと、自分は担架の上に載せられていて、それを左右から見知らぬ女たちが大勢で取り囲みながら運ばれている。


(誰なんだ?この女たちは……俺をどこへ連れて行くつもりなんだ?!)


《ファーンズワース女学院》……そこは『マーサ・ファーンズワース』を校長として、森の中で自給自足をして女たちだけが住む女学校なのだ。


教師も女なら、エミーのような小さな生徒から思春期の生徒たちまで、全てが女性。

黒人奴隷で学院につかえているのも、これまた女性なのである。



こんな女だらけの巣の中に、突然、男が一人やって来た。


怪我をしていて動けないとはいえ、《男》は《男》なのだ。



案の定、その日から、女たちは始終ソワソワしはじめる。


気にならないはずがないのだ。(しかも若くてハンサムな男ときてるんだから)



ある日、17歳の女生徒『キャロル』は、授業を抜け出して、こっそりジョンが寝ている部屋へ忍び込むと、自ら大胆にキスしてくる始末。(ワァオー!)


清楚な女教師『エドウィーナ』もジョンの魅力に抗えずメロメロになっていく。




やがて介抱のかいあって、ジョンが松葉杖で歩けるようになると、南軍に引き渡そうと考えていたマーサもすっかりジョンの虜になって、

「どうかしら?ここに住んで畑仕事を手伝ってみては?」なんて提案をしてくる。



そんなマーサに「しめた!」と思ったジョンは、「この期を!」とばかりに、年増のマーサにまで手を出してしまう。



こうして色々な女たちと愛欲の日々を過ごすジョン。


まさに、ジョンにとっては、ここは《ハーレム》か《天国》。


あっちの女、こっちの女と行き来して、女たちの欲求に応えていく。



だが…………世の中、そう簡単に上手くいくのか?


やがて、女たちの間では、不穏な空気が流れはじめ、最悪の事態がジョンを襲うのだった………(アララ……やっぱりね)




こんなモテ男を演じたクリント・イーストウッドと、それを監督したドン・シーゲル


この『白い肌の異常な夜』は、あの『ダーティハリー』と同年、1971年の作品なのだ。


で、結果は『ダーティハリー』の方が世間的に大ヒットしたのは、皆の知るところなのだが、ドン・シーゲルにしてもイーストウッドにしても、この『白い肌の異常な夜』の方にこそ、思い入れが、かなりあるらしい。


なんせ、後年になっても、

「自分が監督した作品で何が好きか?」

と聞かれると、ドン・シーゲルなんて真っ先に「『白い肌の異常な夜』!」と答えているのだから。(まぁ、『ダーティハリー』は、皆が嫌がって無理矢理押し付けられたモノだしね)


イーストウッドにしても、この映画の撮影では「こんなカメラアングルで撮った方が効果的なんじゃないか?」なんて、どんどん自分の意見を発信していたらしい。


シーゲルも、それを「うん!うん!」と受け入れてくれたのだから、この映画は二人にとってはエポック的な作品なんだろうと思う。



たとえ、映画が、《残酷》で《変態》みたいな内容でも……(笑)




この後は、案の定、ジョンが若いキャロルと情事にいそしんでいるのを、女教師エドウィーナが目撃して修羅場。


エドウィーナは松葉杖のジョンを階段から突き落としてしまう。(ヒェ~!)


治りかけていたジョンの脚は、複雑骨折で、もうメチャクチャだ。


そんな光景を見ながら、マーサが冷淡に告げる。


「この脚はもうダメね……切るしかないわ」


イヤだぁぁぁーーー!

ジョンの叫びも虚しく、ギーコギコ(ギャアーー!(鳥肌モノ) )




脚を失ったジョンを今後どうするのか……


憎さはあれど、ジョンの肉体に完全に溺れていた女たちは集まって話し合う。


その結果、「皆でジョンを《共有する》」事になる。(いわばタネ馬みたいなもんである)



だが、こんなのに当のジョンが堪えられるはずもなく、すきをついたジョンはマーサの銃を盗んで、逆に脅してきたのだ。


(この男はやっぱり危ない……学園の平和の為にも、ここは決心しなければ……)


その夜、ジョンには、美味しい《毒キノコ》の料理がふるまわれたのでした。


メデタシ、メデタシ……。(メデタシなのか?)



ドギツくて、変態的で、なんとも言えないような内容の映画でしょ?


冒頭、少女がキノコ採りに行って、見つけたのは、食べられないけど立派な《キノコ》を持った男なのでした。


キノコではじまり、皆が《キノコ》を求めて、毒キノコで終わる。


なんだかキノコ尽くしの映画。


この映画は、こんな解釈でいいのかな?(失礼!(~_~;) だいぶ口が滑りました (笑) )


長々、お粗末さま!


2021年8月8日日曜日

映画 「ハートブレイク・リッジ 勝利の戦場」

1986年 アメリカ。




時代が70年代から~80年代に移り変わった頃、俳優たちにも微妙な世代交代の波が押し寄せてくる。


70年代に、あれだけ活躍していた俳優たちの人気に、徐々に陰りが見えはじめてきたのだ。


チャールズ・ブロンソンは、あまりにも奥さまのジル・アイアランドとの共演作を連発し過ぎて、すっかり観客たちに飽きられてくる。


セクシー・アクション俳優の看板スターだったバート・レイノルズも衰退していく。(私、この人の魅力が今でも分からん)


リー・マーヴィンも若い頃からの不摂生(飲酒)で、元々老けていた風貌は、さらに衰えて、わずか63歳で他界する。(1987年没)


こんな感じで、70年代組の俳優たちは横へ、横へと追いやられていく。



代わりに出てきたのが、皆もご存知のスターたち。


シルベスター・スタローンアーノルド・シュワルツェネッガーの二大巨頭が突出し、後を追うようにブルース・ウィリスたちなどの新進アクション俳優たちが続々と現れだしたのだ。



まさに、時代は新世代にバトンタッチして、変わりはじめていく……もう、時計の針は巻き戻せない。


こんな中で、あのクリント・イーストウッドも、どんどん焦りを感じはじめてくる。



70年代、あれほど猛威をふるって、イケイケだったイーストウッド映画にも、少しずつ陰りが見えはじめてきたのだ。


『ダーティハリー』シリーズは、続ければ続けるほど、どんどん興行収入がガタ落ちしてくる。


起死回生ではじめた『ダーティ・ファイター』も、2作目では1作目を下回る収益。


『ファイヤー・フォックス』、『ブロンコ・ビリー』、『センチメンタル・アドベンチャー』などなども、そこそこの収益を挙げても、中々、大ヒットにはならず、あまりパッとしない。


ならば!と原点回帰で作った西部劇『ペイルライダー』も、そこそこの小ヒット。



焦りはじめるイーストウッド……



刑事モノも西部劇もダメなら、どうすりゃいい?何を撮ればいいんだー?!


自分みたいなオッサンは、もはや過去の遺物なのかー!


なんだい!なんだい!今の若い奴らときたら、チャラチャラ、ナヨナヨしやがって!!


あんな若いだけの奴らに、まだまだ、この俺が負けてたまるかー!



………なんて思ったか、どうかは知らないが、この映画『ハートブレイク・リッジ 勝利の戦場』は、そんな当時のイーストウッドの本音が、ズバリぶつけられているようなキャラクターであり、ストーリーなのである。



根っからの戦争馬鹿『トム・ハイウェイ軍曹』(クリント・イーストウッド)は、時代が移り変わっても、昔の戦地の興奮が忘れられずに、「是非、最前線への移動を!」なんて希望するような変わり者。


こんなハイウェイ軍曹に、やっと移動命令が下る。


「やったー!やっと戦地へ行けるぞー!」


喜んだのも束の間、ハイウェイの仕事は、彼の古巣である、第二海兵師団第二偵察大隊・第二偵察小隊(ノースカロライナ州キャンプ・レジューン)へ戻って、若い兵士たちの指導にあたるモノだった。


(なんだ、戦地に行くんじゃなくて、若い奴らの子守りかよ……まぁ、いいさ。俺が立派な兵士に育ててやる!!)

だが、いざ現場に行ってみると、想像を越えるようなダラけきった奴らの吹き溜まり。


ロックン・ロール、男のくせにチャラチャラしたピアス、ビリヤード………


そんな若い兵士たちは、ハイウェイ軍曹を見ても、物怖じせずもせずに、こんな風に吐き捨てるように言う。


「何だよ、オッサン?お呼びじゃねぇんだよ、とっとと出ていきな!」


ハイウェイは、イライラして、ムカムカして、ドッカーン!とうとう爆発した!!


「お前ら、表に出て整列だ!!」


歯向かってくる若い兵士たちを簡単に力でねじ伏せてしまうハイウェイ。


若い兵士たちも、「ゲゲッ!マジかよ! こんなオッサンに、こんな力が?!」と思って、ビックリ仰天。


鬼軍曹ハイウェイは、本領を発揮して、ダラけきった兵士たちを一人前にするよう特訓を開始するのだった……



こんなのが『ハートブレイク・リッジ…』のあらすじなのだが………



この映画は大当たりした。


なんと製作費の10倍以上の興行収益をあげたのだ!



何がそんなにウケたのか?


それは、イーストウッドと同じように歳を重ねてきた同世代の男たちが、こぞって支持したのだ。


日々の日常、若者たちに抱いている不満を代わりに代弁してくれて、一人でも、負けじと気概を吐くイーストウッドにシンパシーを感じたのだ。


「古いモノには古いモノの良さがある。たとえ古くても、その精神(スピリット)には、敬意をはらい、見習わなければならないのだ!」


こんな主題を、真っ向から打ち出してくるんですもん。(そりゃ、オッサンたちは大歓喜して熱狂するはずだわ)



これ以降、イーストウッドの映画の方向性も、完全に決まっていく。


客層のターゲットを大人の男性たちに絞りこみ、決して若者たちには媚びない映画作り……



アカデミー賞を獲った『許されざる者』も、その後の作品も、全てが、


「歳をとっても、まだまだやれる!年寄りの意地と誇りを見せつけてやる!」


裏テーマとして、こんな主題を掲げているモノばかりである。




なんにせよ、この『ハートブレイク・リッジ…』があったからこそ、イーストウッドだけが80年代を生き残り、90年代へと進めたような気がする。


まさに、イーストウッドにとって、この映画は大事であり、ターニング・ポイント的なモノになったんじゃないかな?


今、現在、オッサンになった自分なんか、特に、このハイウェイ軍曹の気持ちになって、肩入れして観てしまうのである。

星☆☆☆☆。


2020年10月3日土曜日

映画 「アイガー・サンクション」

1975年 アメリカ。






「ドン、『アイガー・サンクション』の監督をしてくれないか?」


ある日、旧友で、監督ドン・シーゲルに、いつものように映画の企画を持ちかけたクリント・イーストウッド。



ドン・シーゲル、しばらく「う~ん……」と考えるふりをして、「悪いが……」と丁重に断った。



ドン・シーゲルには、原作をパラパラ読んで見て、一目で分かっていたのだ。

この(『アイガー・サンクション』の撮影はひどく過酷になるぞ……)って事が。




でも、ドン・シーゲルに断られて諦めるようなイーストウッドではない。


既に『恐怖のメロディ』で監督デビューして自信満々のイーストウッド……「それならば!」と、自ら監督に名乗り出たのだった(もちろん、いつものように主演も兼任で)



だが、この映画がはじまってイーストウッドはすぐに後悔する。


(こんなに過酷だったとは……でも、今さら引き返せない!)


意地とプライド、そして自らの命をかけて………イーストウッド、一世一代の挑戦がはじまる。






『ヘムロック』(クリント・イーストウッド)は、かつて従軍し、戦後には諜報機関で名うての殺し屋として活躍していた。


「絶対に失敗しない!」ヘムロックの仕事ぶりは完璧で(どこかで聞いたセリフ)、諜報機関のトップである『ドラゴン』は、その腕を高く評価していたが、ヘムロック自身は段々殺し屋稼業に嫌気がさして、あっさり引退。


その後は大学教授に転身する。




趣味の登山をしたり、何点もの高価な絵画を買い集める事が唯一の楽しみのヘムロック。


まだ、30半ばを過ぎたばかりのヘムロックは、まさに男盛り。人生を謳歌していた。



そんなヘムロックが大学で講義をすれば女生徒たちは、ウットリと聞き惚れている。


「知ってる?彼の趣味は山登りですって? あ~ん、早く私に登ってくれないかしら」(これ、またもやイーストウッドが監督してて、主演の自分を持ち上げる為に女生徒に言わせているセリフなんだけど……観ているこっちが、こそばゆいというか、恥ずかしくなってくる(笑))



講義中もこんな卑猥な言葉が飛び交うが、(青臭い小娘たちなんて相手にできるか!)のヘムロック。



そんなヘムロックに、かつての諜報機関のボス『ドラゴン』から、お呼びがかかった。


「ドラゴン様がお呼びだ!さっさと来い!」


(下っぱで、どうしようもない部下『ポープ』なんてクズを寄越して、今更何の用だ?………ドラゴン……)



ドラゴンのアジトに行くと、少しの光さえも入らないような暗い部屋へと通されるヘムロック。(ドラゴンは色素欠損症という難病。光が当たるとダメらしい。ナメクジか?お前は(笑))



「諜報員が殺され極秘情報が盗まれた。殺した相手は二人いる。ヘムロック、君に《サンクション》(殺害)してほしい」


んな事、何で引退した俺が、せなあかんのかい!と、ブツブツ言うヘムロックに、ドラゴンはやり込めるネタをちゃんと用意していた。


「薄給の大学教授のサラリーで、高価な絵画を21点も収集している事や、君の預金口座にある多額の金の存在を知れば、政府はどう思うかねぇ~?」


やれやれ、ドラゴンには敵わない。


「分かったよ、一人だけなら……そのかわり報酬は2万ドルだ」


「あんまり、がめつすぎるぞ!ヘムロック」


「いいや!この条件のんでもらうぜ」



こんなやり取りの応酬が終わると、ドラゴンは封筒に束で入っている現金をヘムロックに渡した。


現金を数えるとちゃんと2万ドル入っている。


ヘムロックがいくら要求するかを、ドラゴンは、ヘムロックの性格から詠んでいたのだ。やられた!



「《サンクション》しろ!」






そうして、異国チューリッヒで殺しの仕事を無事におえたヘムロック。



ドラゴンにもらった報酬2万ドルで、お目当ての絵画を早速買っちゃったヘムロックはホクホク顔。


帰りの飛行機の中では、これまたスチュワーデスの『ジェマイマ』にも逆ナンパされるし。



そのまま、ジェマイマと熱い一夜を過ごしたヘムロック……。



全てが上手く行きすぎてはいないか?とも疑う事もせず、ヘムロックは完全に浮かれていたのだった。





だが、次の朝、目覚めるとジェマイマの姿はなく、昨日買ったばかりの絵画も、一緒に消えていた。


(やられた……)



後悔と自己嫌悪におちいっているヘムロックに、またもやドラゴンから呼び出しの電話がかかってくる。


ジェマイマは、ドラゴンの命令で動いていた女エージェントだったのだ。



「やり方が汚いぞ!」抗議するヘムロックに、ドラゴンは何くわぬ顔で次の仕事を依頼してきた。


ヘムロックは、無論断ろうとするのだが、殺された諜報員が『アンリー・パック』だと知ると、途端に眼の色が変わる。



「なぜ、それを先に言わなかったんだ!?ドラゴン!」


かつて戦時中、アンリー・パックに命を救われたヘムロック。


ヘムロックにとって、彼は命の恩人なのだ。


そして戦場で自分を裏切った卑怯者『マイルズ』が殺害に関与していることを知ると、なおさら、この依頼は引き受けざるおえない。



ドラゴンからは、「もう一人の犯人は片足が不自由な山男で、国際親善の一環としてアイガーに登山するらしい……」と、わずかな情報を聞かされたヘムロック。



アイガー ……山登りが趣味のヘムロックが何度か挑戦しても、ことごとく失敗してきた因縁の山。




でも、やるしかない!


もう1度アイガーにトライしながら、犯人を探しだす!





絵画の返却と、合法的な絵画の証明書、それに退職金がわりの10万ドルを条件にヘムロックは、この依頼をうけた。(けっこうがめつい、ヘムロック)



そして、いざ、友人の登山家『ベン』(ジョージ・ケネディ)の元へ。


登山に向けて、ヘムロックの過酷なトレーニング・メニューをこなす日々がはじまる………。








相変わらずの自分賛美や持ち上げ方には、苦笑を隠せないが、それでも良くやったよ、イーストウッドも。



一歩間違えば死んでもおかしくないくらい、この後は物凄い絵面が、次々登場する。





切り立った断崖絶壁の恐怖……雪原が広がる未知の『アイガー』への挑戦。



一歩、足を踏み外せば……もう、観ながら、「ヒィーッ!」とか「ワァーッ!」とかの声が自然にもれてしまう。




もちろん、この時代にCGなんて無いし、スタントマンさえ断って、自らトライするイーストウッド。(たぶん保険は充分かけていたと思うけど、それでも命がけだ)



こんな撮影で死人は出なかったのか?と思ったら、案の定、撮影クルーの一人は落石で死んでいる。(この話を聞くと、またもや「ソゾーッ!」となる)



自分は高所恐怖症でもないのだけど……さすがに、この高さになると震えがくる。


並の神経じゃ、到底つとまらないはずだ。





この映画が公開された時、きっとドン・シーゲルも、この映画を観たはずである。


そして、こう思ったはずだ。


「自分なら、生死に関わるような、こんな過酷な撮影を、俳優たちやスタッフたちに無理強い出来ない……」と。




監督と主演を兼任したイーストウッドだからこそ成し遂げられた産物なのだ。


この映画に限っては、イーストウッドも充分にうぬぼれてもいいかも。(私が許す)


公開時、007の二番煎じだの酷評もあったらしいが、もっとこの映画は、高く評価されてもいいよう気がする。




星☆☆☆☆☆。

CGに見なれた現代人たちよ、目をこらして観るがいい!

これが、正真正銘、本物の迫力である。


2020年9月3日木曜日

映画 「ダーティハリー」②

《①の続き》





無関係の人を無差別に殺してまわって、平気そうに笑っている犯人。

こんなのがニュースで流れてきた日には、「許せん!」と思うのが人の常。




そして、そんな輩が裁判で死刑にもならずに、数年の服役になろうものなら、「何でこんなのが軽い刑なのか?!さっさと死刑にすればいいのに!!」と普通の人なら、必ずそう思うはず。



毎度、司法の甘さにウンザリして、他人事ながら、流れてくるニュースに怒りを抑えられない人もいるのでは?



大多数の人が、自分を含めてそう思っている事と思う。


こんなのは、今も昔も変わらない。




そんな時に、脳裏をよぎるのが、この『ダーティハリー』の犯人役『スコルピオ』。



残忍で、卑劣で、極悪なのをひと塊にしたようなのが、この『スコルピオ』なのだ。




『スコルピオ』を観る時、同情なんてひと欠片も持たないだろうし、これこそ生粋の《悪》。


そのくらいハリーのキャラクターと同等に『スコルピオ』の存在は、強烈なインパクトで世界中に認識されてしまったのだ。





無関係の人を狙撃して殺戮を繰り返すスコルピオ。

無能な市相手に金も要求したりする。




ハリーが何とか逮捕するも、警告や令状もなかったとして釈放、放免。(何でやねん!)




今度は、そんなハリーへの恨みから、ハリーをおとしめる為に、モグリの医者に頼みこんで、

「頼む!俺をボッコボコにしてくれ!!」と自分の顔面が変形するまで殴らせる。(ゾゾッ~)



そして、「ハリー・キャラハン刑事に暴行されたんだ!」と嘘の訴えまでするのだ。





普通そこまでするか?!



加害者をあくまでも守ろうとする法律……それを徹底的に利用して「フフフッ」とほくそ笑む『スコルピオ』。


そんな『スコルピオ』に観客たちは、血の気がひき、恐怖した。





それでも懲りない『スコルピオ』は、今度はスクールバス・ジャックをして、子供を人質にとる。(よ~やるよ。少しはおとなしくできないのかね)




だが、間一髪、そこをハリーにおさえられる。



最後は、見事ハリーの怒りの銃口が火をふいて、THE END。


映画は幕となるのである…………。








こんな形で大成功した『ダーティハリー』。


①でも書いたが、クリント・イーストウッドは飛躍をとげて、監督のドン・シーゲルもチャンスをつかむ。





だが、一人……その成功とは真逆に、ドン底に叩き込まれた人物がいた。



そう………『スコルピオ』を演じたアンドリュー・ロビンソンである。




「さっさと死んじまえぇー!この殺人鬼!!」

映画が公開されるや否や、自宅にはこんな電話がひっきりなしに、かかってきはじめた。




外に出れば、皆が隠れて妙な目で見ながら、コソコソ話。



オーディションにいけば、「スイマセン、今回は残念ながら……」と追い返される。(もう、散々である)




もちろん、役は役。

アンドリュー・ロビンソンは、まともな人間で、決して極悪人ではないのに、もはや映画の中だけの人物とは見られないほど、普通の人たちの理性をかき乱し、狂わせてしまったのだ。



そのくらい『スコルピオ』の役は、身近な恐怖の存在として成り立ってしまったのである。





これを「役者冥利につきる」なんて、考えに至るまでには、相当な歳月がかかったはずだ。(お気の毒なロビンソン)





なんだか、映画のヒットも良いことばかりではなさそうである。



それだけ、この映画が、強い印象をあたえたという証拠でもあるんだけどね。





スコルピオの影が濃ければ濃いほど、ハリーの活躍は、やはりカッコいいし、胸がすく気持ちになる。


こんな映画は滅多にお目にかかれないし、今後も映画史に刻まれるヒーロー、悪役として残っていくはず。





これは文句なしに星☆☆☆☆☆といえるんじゃないかな。


長々と書いた『ダーティハリー』談でございました。(やっぱり、なんだかんだ言っても俳優イーストウッドが好きなのかもね、ワタクシ(笑))

映画 「ダーティハリー 」①

1971年 アメリカ。





誰もやりたがらない汚れ仕事を押し付けられる……つけられたあだ名、それが、『ダーティハリー』だ。


スミス&ウェッソンM29(でっかくて重い銃)片手に、容赦なく悪を撃つ。

その破壊力は凄まじく、当たれば、一発で、どんな強敵でも仕留められるほど。




こんなインパクトで、もう何十年経っても、クリント・イーストウッドといえば、『ダーティハリー』が代表作だというのは、もはや万人が知るところである。


だが、最初から、事はすんなり決まっていたわけではない。




フランク・シナトラに断られ、ジョン・ウェインだの、スティーヴ・マックイーンだのに嫌がられる。


そして、今度は、巡りめぐってポール・ニューマンに依頼が回ってくる。



当然、ポール・ニューマンも断るのだが、ニューマンは、「クリント・イーストウッドはどうかな?」と逆にワーナーに推薦してきたのだ。(やっとここで)




そして、やっと、やっと、クリント・イーストウッドに話が持ちかけられてくる。(そのくらい俳優の中でも、まだまだイーストウッドのランク付けは下の方だったのだ)




だが、簡単にここで「O.K!」を出さなかったイーストウッド。


「引き受けてもいいが………ひとつ条件がある………」


その条件とは………

「監督をドン・シーゲルにしてくれるなら、引き受けてもいい!」(このあたり、世話になったドン・シーゲルに仁義を通すところなど、イーストウッドも、うん!感心する)




かくして、異例ともいうべき措置がとられ、ドン・シーゲルは監督に抜擢された。


《クリント・イーストウッドとドン・シーゲル監督》



なんせ、ドン・シーゲルは、ユニバーサルと契約していたので、この映画の為だけに、ワーナーに貸し出すという異例な措置なのだ。



こんな条件が通ったのも、ワーナー側としても、

「こんなに誰からも嫌われる役、早く映画にして、とっとと終わらせてしまいたい!」

なんて思惑が、あったからこそだろう。(ここに至るまでに散々断られてるしね)




『ダーティハリー』が人がやりたがらない汚れ仕事を押し付けられるなら、クリント・イーストウッドとドン・シーゲルも同じで、誰もやりたがらない映画を押し付けられた感じ。


このあたり、現実と映画がリンクしてるように思えて、面白い気がする。




こんな感じで、最初から全く期待されていなかった『ダーティハリー』。



だが、そんなものは見事に裏切られる。




公開されるや否や、映画は大、大、大ヒット!したのである。


ワーナー側は、驚いて(ビックリ!)大歓喜!!

イーストウッドは、一夜にして瞬く間にA級俳優に。

そして、ドン・シーゲルも監督としての株は一気に上昇したのだった。




なんせ、監督のドン・シーゲル、どんな風に撮ればイーストウッドが、カッコよく引き立つか、全て知り尽くしているお方なのだから。





冒頭の、本筋にはまるで関係ない、銀行強盗の襲撃シーンから、この映画は、カッコよさ満点である。



銀行強盗をした犯人たちが、待機させていた車に乗ってトンズラしようとする時、そこへ偶然居合わせた、『ハリー・キャラハン刑事』(クリント・イーストウッド)。


颯爽と抜いたスミス&ウェッソンM29からは、何発ものマグナム弾が発射される。



車は横転し、命からがら這い出てきた犯人に銃口を突きつけながら、ハリーが言う台詞が、またカッコいい。




「考えてるな?俺がもう6発撃ったか、まだ5発か………。


実を言うと、こちらもつい夢中になって忘れちまったんだ。




でもコイツは《マグナム44》っていって、世界一強力な拳銃なんだ。

お前さんの ドタマなんて一発で吹っ飛ぶぜ。




楽にあの世まで行けるんだ。運が良ければな。


...さあ、どうする?






こんな脅し文句を聞いて、犯人がピクリとも動けるわけがない。


案の定、犯人はハリーに屈伏してお縄となるのである。





この本筋に関係ないシーン、必要か?と疑問に思う人もいるだろうが、これはヤッパリ必要なシーン。




これは主人公『ハリー・キャラハン』という男がどんな人物なのかを、我々観客に教えてくれている、親切丁寧な《自己紹介》シーンなのだ。


このシーンで、我々は、《主人公がこの男であり、刑事で、強力な銃を武器に持っている》のを知る事になる。


性格は、やや無鉄砲、そして向こう見ず。

でも、目の前の犯罪は、決して見過ごせない正義感に溢れている。

そして、犯人には屈伏せず威圧的な駆け引きも出来る………そんな情報を、このシーンだけで、全て知る事ができるのだ。




こんなインパクトのある、そしてカッコいい《自己紹介》も、そうそうあるまい。



野暮な監督なら、あっさり主人公に名乗らせて、さっさと本編にいくところを、名匠ドン・シーゲルは、このあたりをじっくりと描いている。



イーストウッドが慕い尊敬するのも分かる気がする。




こんな『ハリー』の紹介が終わったら、もはや掴みはO.K!



観客たちは、ハリーの気持ちになって、本編『スコルピオ(さそり)』との対決に心躍らせていくのだが………。



今回はここまで。

長くなりそうなので、②へ続くとする。(ここまでで充分長いんだけどね(笑))

2020年9月2日水曜日

映画 「華やかな魔女たち」

1967年 イタリア。





全5話のオムニバス映画。


ごく最近、ここに取り上げた『にがい米』のシルヴァーナ・マンガーノ様が全ての話で主演なされているという。



………なされているという、なんて書き方、変に思うだろう。




そう、私、この映画、全く観たことないです。(だってビデオにもDVDにもBlu-rayにもなってないんですもん、今だに)



でも、「何となく観たいなぁ~」と思って、とりあえずは、ここに挙げてみた次第。(なぜか? ここに書いてみて願いが叶ったモノもあるので)




そして、色々調べてみると、この映画、何気に有名どころの監督を集めている。



第1話『疲れきった魔女』監督ルキノ・ヴィスコンティ(『ベニスに死す』など超有名)


第2話『市民気質』 監督マウロ・ボロニーニ


第3話『月から見た地球』 監督ピエル・パオロ・パゾリーニ(『ソドムの市』)


第4話『シシリア娘』 監督フランコ・ロッシ


第5話『またもやいつもの通りの夜』 監督ヴィットリオ・デ・シーカ(『ひまわり』など超有名)




2話と4話の監督は全く知らないが、後の3人はいずれも、イタリア映画界を牽引した巨匠たちばかりで、無知な自分でも知ってるほどである。




そして、この第5話には、なんと!先程書いたばかりの『クリント・イーストウッド』が出演しているのである。



当時、アメリカでは、まだまだ芽が出なくて、イタリアに渡り『夕陽のガンマン』などで頑張っていた頃のイーストウッド。(「俺はこんなにカッコイイのに何故だぁぁ~?!」なんて悔しい想いが、後に大爆発するのだが……)




しかも、イーストウッドの役が、上司にペコペコする眼鏡をかけたサラリーマン役。



家に帰れば、クッタクタに疲れて眠ってばかりのイーストウッド。

そんな夫に、妻のシルヴァーナ・マンガーノが欲求不満でイライラするってお話らしい。(コメディー?)




なんか、後のイーストウッドのイメージとは、真逆な感じで面白そうなのである。


それにしても、セクシー・ダイナマイトの代表格、シルヴァーナ様を妻にしながらも、寝てばかりなんて許せん!イーストウッド(笑)。


今回は観ていないので、評価はご勘弁を。

いつか、ディスク化される事を願って。

映画 「恐怖のメロディ」

1971年 アメリカ。






「《ミスティ》をかけてちょうだい……」


ラジオの人気DJ『デイブ』(クリント・イーストウッド)の元に、またもやかかくってくる電話。


何度も、何度も、飽きもせずに同じ曲のリクエスト。


だが、デイブは嫌がりもせずにかけてやった。(朝まで5時間の生番組、時間はたっぷりあるしね)




仕事が終わって馴染みのbarにくると、マスター(何と!ドン・シーゲル監督が友情出演)が、気持ちよくむかえてくれた。



離れたところに、ちょこんと座っている女が一人。

「へ~、なかなか美人じゃないか」

「ありゃ、ダメだね。誰が声をかけても空振りさ」


どうにか『イブリン』(ジェシカ・ウォルター)の気を引こうとするデイブ。


だが、意外にも、イブリンはあっさりデイブの誘いにのってきた。




家まで送っていくと、その場のノリでベッドインした二人。


イブリンこそが、デイブのラジオに『ミスティ』をリクエストしている本人だったのだ。


(偶然か?……まぁ、お互い大人なんだし、一夜限りの後腐れない関係だと割りきって………)


こんなデイブの想いとは逆に、イブリンは火がついたように次の日もやって来た。



何とか、夜イブリンを送り出すデイブだが、二人の話し声に近所のオッサンが、「うるさいぞ!」と文句を言うと、イブリンの顔つきが途端に豹変。



車のクラクションを鳴らして、激しい口調で、
「くたばっちまえ!!」の悪態で罵りはじめた。


デイブは呆気に取られる。

だが、こんなのはまだ、まだ序の口。


すっかりデイブにのぼせたイブリンの暴走は、次の日から、どんどん過熱していくのだった…………。





まだ、《ストーカー》なんて言葉すらなかった時代。



クリント・イーストウッドが監督として最初に選んだのが、この『恐怖のメロディ』だった。


原題は、そのまんま、《 Play Misty for Me 》(『ミスティ』をかけて)だ。



中々、この曲良いので、この爆裂ストーカー女『イブリン』も、音楽の趣味だけは良いっところかな。



どんどんヒート・アップして刃物を振り回す『イブリン』(ジェシカ・ウォルター)も怖いことは怖いが、…………私、この映画をたまに観かえす度に、若き日のイーストウッドの気持ちに心をはせてしまう。




前にも書いたが、イーストウッドは究極のナルシスト。


もちろんカッコイイんだけど……他人が思う以上に、こんな人たちは自己評価の方が格段に高いのだ。(まぁ、俳優って職業は大概、そうだろうと思うけど。)



こんなイーストウッドの性格なので、とうとう「監督をやりたい!」と言い出しても、旧知の友ドン・シーゲルは格別驚きはしなかったと思う。


(やっぱり、そうきたか……)なんて思いながら、「よし!監督登録しようじゃないか!俺も協力しよう!」と男気溢れるドン・シーゲルは1つ返事。



本当にイーストウッドが、息子のように、可愛くて可愛くてしょうがなかったのだ。

そして、イーストウッドも、自分を理解してくれているドン・シーゲルを実の父親のように慕い続ける。




そして、選んだ監督一作目『恐怖のメロディ』。




「よし!みんな、この俺のカッコよさを存分に見てくれ!!」とばかりに、監督ばかりか、主演にまで乗り出したイーストウッド。



もう、冒頭からノリノリである。



海辺の別荘にダンディーに佇む『デイブ』(クリント・イーストウッド)の姿。

オープンカーで、風にふかれながら、海辺の道を疾走する『デイブ』。



そんな姿を撮しながら、(なぁ、俺ってカッコイイだろう?)なんていう、イーストウッドの心の声が聴こえてきそうである。




極悪ストーカー女『イブリン』(ジェシカ・ウォルター)は、登場する度に背筋が寒くなる。





それと対比的に、昔の彼女『トビー』(ドナ・ミルズ)は、優しくて思いやりに溢れている。


やがて、再会したデイブは、イブリンの嫉妬をあおりながらも、トビーとイチャイチャ。(何気に、このドナ・ミルズって女優さん、後に知り合うソンドラ・ロックに似ている気もするが………イーストウッドの好きなタイプなのかな?)




「よし!こうなったら、デイブとトビーが愛しあうシーンが必要だ!」



森で、崖下の滝が流れる水辺で、はじまっちゃう、二人のシーン。



周りからは、「こんなの本当に必要か?」と言われたらしいが、「構うもんか!」と、あくまでも強気のイーストウッド。




こんなモテモテの役、それを自分が出演して、監督して、撮影したフィルムに目をとおしながら編集にも立ちあうのでしょ。


ちょっとドン引き過ぎるくらいナルシストだと思いません?(笑)




それでも、この『恐怖のメロディ』は低予算ながら、高収益を叩きだし、監督イーストウッドとしては、幸先のいいスタートとなる。



イーストウッドも、他人の自分から見ても、もちろんカッコイイと思うんだけど、この人の場合、それがあまりにもあからさまなアピールとしてみえるというか………。




ゆえに、イーストウッドの監督と主演を兼任する映画を……なんか、いつも、ちょっと斜めに観てしまう自分。(主演だけなら、特に気にもならないんだけどね)




そんなナルシストなイーストウッドの監督人生は、これよりはじまったばかり。




ドン・シーゲルが、barのマスター役で、笑って接客しているのを見ると、「こんな奴ほど可愛くて……どうか、可愛がってくださいね。皆さん」と、精一杯フォローしているように見えてならない(笑)。

星☆☆☆。

2019年10月7日月曜日

映画 「ガントレット」

1977年 アメリカ。






映画界には昔から、この俳優には、この女優的な組み合わせがある。





例えば最近、書いたのでいえば、
リー・マーヴィン』の映画には、大体、『アンジー・ディキンソン』が出ている。(『殺人者たち』、『殺しの分け前/ポイント・ブランク』、『デス・ハント』など)


リー・マーヴィンは当時、結婚していたし、アンジーと付き合っていたなんて事も噂に聞かなかったから、まったくの仕事だけの関係だったのだろうと思う。(まぁ、本当のところは分かりませんけどね)






有名なところでは、『チャールズ・ブロンソン』と『ジル・アイアランド』。

こちらは結婚して、オシドリ夫婦として、数多い共演をしている。

1968年に結婚した後、1990年にジルが乳ガンで亡くなるまで二人の共演は続いたのだった。(享年54歳、合掌)






そして、
このコンビも有名である。




クリント・イーストウッド』と『ソンドラ・ロック』。





ただ、こちらは前の二組と違って、事情は複雑。



1976年に映画『アウトロー』で知り合うと二人は、すぐに交際を始めた。

だが、クリント・イーストウッドはその時、すでに既婚中。


いわゆる二人は不倫の関係である。




イーストウッドの女ぐせは、とにかく有名で1953年~1985年まで最初の結婚していた間にも、数多くの浮き名を流している。(一時は『悲しみよこんにちは』のジーン・セバーグとも関係があったとか)


その後に1996年に2度目の結婚をしているが、婚外子も含めると、それまでに8人の子をもうけたくらい。



ソンドラ・ロックとの関係は、1976年から~13年も続いたらしい。


この間に、ソンドラ・ロックもイーストウッドの映画にほとんど出演していて、不倫とはいえど、二人はあからさまなパートナーとして、同じスクリーンを共に飾っていた。





でも………

ソンドラ・ロックにとって、この出会いが幸せだったのか、どうか………





デビューしたばかりで、いきなりアカデミー賞にノミネートまでされた彼女。

その演技力は確かなものだったのに、イーストウッドと出会ったばかりに、人生の歯車が狂いだした。




日本と同じく、当時のアメリカでも《不倫》に寛容だったとは、決して思えない。



ましてや、男よりも、女である彼女の方が、世間の風当たりは強かったんじゃないだろうか。

クリント・イーストウッドと関係のあるソンドラに、他の映画関係者のオファーも二の足をふんだはずだ。





アンジー・ディキンソンのように、他の映画でも活躍する事もできず、ジル・アイアランドのように結婚して、オシドリ夫婦になる事も許されない。



監督、俳優としてのクリント・イーストウッドを、ただ、引き立てる為だけに、彼の映画に出続ける彼女。




イーストウッドの映画は、自身をアンチヒーロー然として輝かせるために描く映画。

決して女優を、《可愛く》とか、《美しく》などと描くためのものじゃない。



女優にスポットが当たった《恋愛もの》や《ロマンティック・コメディー》なんてのにも、全く食指は動かない。



あくまでもイーストウッド映画の女優たちは、アンチヒーローである主役の自分を動かす為の、キッカケや原動力にすぎないのである。


この映画、『ガントレット』も、まさにそんな映画に仕上がっている。






アリゾナ州フェニックス市警察に勤務する『ショックリー』(クリント・イーストウッド)は、ある事件で検察側の証人となる売春婦『マリー』(ソンドラ・ロック)をロサンゼルスから護送してくるように、警察委員長『ブレークロック』から、突然、依頼される。


(何で俺が……)

の気持ちのショックリー。

朝から酒の匂いをプンプンさせて、決して勤勉じゃないショックリーに、そんな重大な任務がまわってくるとは……


しかも、たった一人での護送。

まぁ、とにかく命令とあれば仕方ない。





迎えに行ったマリーは、留置所の中にいた。


「あたしを出せば、きっと殺されるわ!あんただって巻き添えをくって殺されるわよ!」

鉄格子の中で叫ぶマリーに、ショックリーは、(変な女だ)としか思わず、強引に連れ出した。



護送の車に乗せても、キャンキャン騒いでいるマリーに、

「黙ってろ!俺は俺の任務をするだけなんだから!」と言い聞かせる。


だが、マリーの予感は当たり、次から次へと、二人は、わけの分からないまま襲撃にあうのだった……。






こんな感じの『ガントレット』で、イーストウッドとソンドラの危険な逃避行が始まるのだが……。



逃避行中、なんと!ソンドラ演じるマリーは、悪漢どもに捕まり強姦されそうになるのだ!




このシーンを黙って堪えるソンドラに当時ビックリしたものである。



いくら映画の為、監督と主演のイーストウッドの為とはいえ、ここまでするか?普通?


それに、そんなシーンをあてがうイーストウッドにも寒気がした。(好きな女に映画とはいえ、ここまでさせる事に)



どんな気持ちで、ソンドラはこのシーンに望んだんだろう。



(好きなイーストウッドの為なら……この映画が成功するなら……)

の、半分、犠牲的な気持ちだったのだろうか?



売春婦って役柄も、相当にヒドイもんだが……



その後に、当然のように、悪漢どもを蹴散らして殴り助け出すイーストウッド。(まるで自分がカッコイイとばかりである)



こんな『ガントレット』だが、映画はヒットし、イーストウッドは監督としても認められていく。





でも、それからもソンドラ・ロックに与えられる役はいつもこんな感じ。



『ブロンコビリー』では、またもや強姦されそうになるし、

イーストウッドが監督した『ダーティハリー4』では、強姦された過去の為に復讐にもえる役。



そして、必ずいいところは全てイーストウッドが持っていくのである。




主役ゆえ当たり前だろうが、でも、この時くらいから分かってきたイーストウッドの本質。


彼は典型的なナルシストなのだ。

自分大好き人間。


だから、自分で監督して主演する作品には、それがモロに出てしまう。



イーストウッド自体は嫌いじゃないのだが、ドン・シーゲルが監督しているイーストウッドには共感できても、イーストウッド自身が監督している映画には、いつもこんな思いがつきまとう。


(あ~また、ナルシストっぽいのやってるなぁ~)と……



こんな風に自分が思う事を、ソンドラも段々と感じてきたのではないだろうか……13年という長い時を得て、二人は破局する。



そして、ソンドラはイーストウッド相手に訴訟を起こした。


「女優としての大事な時期を彼に捧げて、その後の女優人生も台無しにされた」と訴えたのだ。




この気持ち、なんとなく分かる気がする。


女としても、女優としても、本当に大事な時期を、全てイーストウッドの為だけに捧げたのだから。



その後、訴訟は、なんとか和解に終っている。(まぁ、イーストウッドがちゃんと慰謝料として払ったんでしょうけど)





こんなソンドラ・ロックだが、彼女も2018年に亡くなった。(享年74歳)


乳ガンと骨肉腫に苦しみぬいた最期だった。(なんだかつくづく可哀想な人で、しんみりしてしまう)



同じように男臭さを売りにした、チャールズ・ブロンソンやリー・マーヴィンと比べても、このあたりの情けなさが、クリント・イーストウッドが、男としても、二人より何段か、格が低い原因のように思えてならない。




それでも、ソンドラが体当たりで挑んだ『ガントレット』ゆえ、星☆☆☆☆をつけずにはいられない自分なのである。


長文、失礼しました。

2018年11月14日水曜日

映画 「アルカトラズからの脱出」

1979年 アメリカ。






サンフランシスコ湾に、ひっそり浮かぶアルカトラズ島。

四方を荒海に囲まれたこの島に『アルカトラズ刑務所』はあった。



そんな脱獄不可能なこの刑務所に、ある大雨の夜、船で収監されてきた人物がいる。




『フランク・モリス』(クリント・イーストウッド)。




連れてこられると刑務官の前で、素っ裸にさせられ、あらゆる検査を受けると(あ~恥ずかしい)、そのまま冷たい独房まで歩かされてゆく。




ここの刑務所は、完全孤立型の独房。




長い独房までの道のりには、何百人という囚人たちの房が1階、2階、3階とある。


素っ裸で歩いているフランクを、好奇の目で見ている者もいる。(刑務所といえば、その手合いも必ずいるので)


やっと独房にたどり着き、刑務官がフランクを押し込むと、重い鉄格子が《ガチャン!》と閉められた。



「ようこそ、アルカトラズヘ!」






次の日、大勢の犯罪者たちと食堂にやってきたフランク。


トレイには、とてもじゃないが食べらそうもない残飯みたいな食事がのせられている。


そんなモノでも我慢して食わねばココでは生きてゆけないのだ。

近くのテーブルにつくと、ポケットからネズミをとりだしてエサをあたえている中年なんてのもいた。


ネズミがペットなのだという。(ゲェー!)





朝食後、フランクは刑務所長の『ウォーデン』に呼び出された。



ウォーデン所長は、

「このアルカトラズで脱獄に成功した者はいない!」

と念押しする。


ファイルに書かれてあったIQの高いフランクに特別警戒したのだろう。





だがウォーデンは知らない。


フランクが立ち去る時に、目の前の机の上にあった《爪切り》がこっそり消えている事に。



そして、入浴時間。

フランクがシャワーを浴びていると、真横に太った男が近づいてきた。



禿げて太っている『ウルフ』は、真横の素っ裸のフランクを好色そうに見つめると、


「見つけたぜ!俺の《女》になってくれよ!」

と誘ってくる。(出たー!刑務所といえば、必ずいる、こんな奴)



「ハハハ!」と一笑するフランクだったが、次の瞬間には、《パンチ!》&《キック!》


とどめには、口に石鹸までつっこんでやるのだった。(フルチンでよ~やるよ。フランクも)





でも独房に戻ると、またもや退屈な時間をもて余すフランク。



そこへ図書係の黒人『イングリッシュ』が、雑誌を載せた台車を押しながらまわってきた。

「色々揃ってるぜ、新聞からナニの雑誌まで。なんせ読む時間は、ここじゃたっぷりあるんだから」


まぁ、本でも読めば退屈しのぎにはなるか ……


「そこのを、一冊借りようか」



やがて人種の壁を越えて、フランクはイングリッシュと打ち解けて話すようになってきた。



そうして、つかの間の自由時間。


皆が太陽を浴びようと、石階段に囲まれた広い校庭へとやってくる。



外の空気に触れる事ができる唯一の時間なのである。



「上を見なよ!」

イングリッシュが顎を振ると、フランクもそこを見た。



真上では何人もの看守たちが、真下にいる受刑者たちに銃を向けていて徹底した見張りを続けている。


そんな中でも、スポーツをする者もいれば、絵を描いている者もいたりもする。

ネズミを胸ポケットに入れていたあの中年もいた。



一見自由そうに見える時間……でも、ここにいる受刑者たちが、何を想い、何十年も過ごしているのか ……… それは誰にも分からない。





そんな数日が過ぎた頃、フランクを逆恨みしている、あの太ったウルフがナイフを片手に校庭でいきなり襲いかかってきたのだ。(そら、みた事か。ゲイの怨みは怖いぞぉ~)


辛うじて刑務官たちに取り押さえられるウルフだが、襲われたフランクも一緒に引っ張られていく。(どっちが悪いか、なんて刑務所では一切関係ないのだ)



連れて来られたのは、地獄と呼ばれている《D棟》。



D棟 …… そこは窓もない暗闇の狭い独房だ。


少ない食事をあたえられ、刑務官の嫌がらせで、放水を浴びせられるのが日課。


気が変になる者もいるという。(イングリッシュはD棟で堪えられず、自分で自分のアキレス腱を切ったらしい)






何日か何週間か …… 時間も分からないくらいの意識になりかけた頃、フランクはようやく元の独房へと返された。



さすがにヘロヘロ状態のフランクが休んでいると、隣から陽気に話しかけてくる声。


いつの間にか隣には、新入りの『バッツ』というおちゃらけた男が入居していた。






そして、久しぶりの食事の時間では前の刑務所で一緒だった『アングリン兄弟』にも再会する。(兄弟で仲良く犯罪者とは…)

脱獄に失敗して、アルカトラズ送りとなったのである。



(こんな場所からは、なんとしても脱出しなければ!)


その夜、フランクは所長から盗んだ爪切りを使って、独房のベット下の金網のはまった通気口の壁を削ってみた。


壁はもろくて、簡単に削れる。

長年の潮風にさらされた壁は強度を失っていたのだ。





次の日の食事の時間、アングリン兄弟とバッツのいるテーブルについたフランク。



下を見て食事をしながら、

「どうだ?俺の《脱獄計画》にのってみないか?」

と、持ちかけてくるのだった ……






監督ドン・シーゲルイーストウッドが組んだ最後の映画である。



それまで二人は、『マンハッタン無宿』からはじまり、

『真昼の死闘』、

『白い肌の異常な夜』、

代表作『ダーティーハリー』とタッグを組んできた。


よっぽどウマがあったのだろう。

イーストウッドはドン・シーゲルを師匠と仰ぎ、映画の撮影方法も学んでいく。(いつか自分で映画を撮るんだと思いながら)





そして、晴れて、1971年『恐怖のメロディ』を初監督。

そのあと、

『アイガー・サンクション』、

『アウトロー』、

『ガントレット』と監督していき、少しずつ自信をつけてきた。



そして、この『アルカトラズからの脱出』は、ドン・シーゲル恩大からの『卒業』となったのだった。



そんな二人が最後に選んだのが《脱獄モノ》。

思いっきり男くさい男ばかりの犯罪映画だ。(全く女性出ないし)





後半は、脱獄するための準備をするわけだが、異様な緊張感が続く。


脱出するために必要な資財を監守の目を盗んで集めたりする場面。


スプーンと爪切りを上手く溶接して、それでコツコツと壁を削っていく作業などなど …… 


新聞紙と紙粘土で形を整えて、それに色を塗り、毛を張り合わせてダミーの人形まで作り上げてしまう。(なるほどねぇ~、ありあわせのモノを使って。よく工夫してるよ)


レインコートなんかも、海を渡るための浮き輪にまで、作りあげちゃったりする。




IQの高さもなるほど、納得である。


そんなフランクのアイデアに、いちいち感心してしまった。(でも、「こんなにIQが高い男がナゼ?犯罪者になるのかねぇ~」なんて疑問もチラホラあるのだけど (笑) )




脱獄の準備の中、「バレやしないか? 」って緊張感はズ〜ッと続いてゆく。(これぞ脱獄モノの醍醐味!)



ドン・シーゲルとイーストウッド、この名コンビの最後の作品は、中々の良作に仕上がっていると思うので、超オススメである。


星☆☆☆☆です。