2021年12月27日月曜日

人物 「野坂昭如」

 1930〜2015年(85歳没)。




年末に近づくと、どの局でもこぞって長時間歌番組をやってるのは、昔も今も変わらない恒例行事。


最近では、滅多にTVさえも観なけりゃ、歌番組さえも観ない自分なのだが、先日たまたまTVをつけていると………



流れてくるのは、どれもコレも同じようなモノばかりに、たちまちウンザリ。


いつのまにか、歌番組は《無個性な若い人たち》が、大勢出てきて占拠するという、《素人・歌の発表会》になっていたのでした。



コレに長時間付き合う気もなく、TVをそっと消した私。



「もう、歌番組はお終いかも……」と、何気に思った時、私の頭の中に、ある曲のフレーズが、いきなり飛び出してきて、勝手にリフレインしはじめた。


それが、野坂昭如(のさかあきゆき)が昔、歌っていた『マリリン・モンロー・ノー・リターン』って曲。



♪この世はもうじきおしまいだ〜……


♪マリリン・モンロー・ノー・リターン、ノー・リターン……



ものすごく悲観的でバカバカしい歌詞なんだけど、野坂昭如が繰り返し、このフレーズを歌ううちに妙な可笑しみが生まれてくるという、稀な珍曲である。



野坂昭如』……この人を思い浮かべる時に普通の人は何を思い浮かべるのだろう。



ジブリが映画化した悲壮な物語『火垂るの墓』の原作者?



それとも、舞台上で、大島渚に突然殴りかかった、あの伝説の名場面だろうか?


私、たまたまワイドショーで、この場面を観ていて、突然の変貌ぶりにド肝を抜かれた思い出がある。



《大島渚を祝う会》が行われ、壇上でニコヤカに挨拶する大島渚小山明子のおしどり夫婦。


そこへ野坂昭如がやって来て、隣で祝辞を読み上げるも、いきなり振り向いて大島渚の顔面に痛烈な右フック👊



(気がおかしくなった?)


怒りのスイッチが入った大島渚も、野坂昭如に掴みかかり、持っていたマイク🎤でボッコボコに殴りかかる。


「殴ることはないだろー!」頭から湯気💢が出る大島渚と、酒でヘベレケの野坂昭如の間に入って、小山明子が「まぁ、まぁ……」と笑顔で止めに入る。


関係者に壇上から引っ張っていかれる野坂昭如。

今、思い返しても壮絶な名場面である。


後日、野坂昭如の怒りの理由も分かるのだが……(気弱な野坂昭如は祝辞を考える為に前の晩から何度も書き直していたそうな。そして当日、待てど暮らせど自分の順番がまわってこなくて、とうとう酒をがぶ飲み。結果あの醜態である)



それにしても、大のオッサンたちの本気の殴り合いが、公共の電波で流される様子は、当時、中々のインパクトだった。


この件以来、すっかり《野坂昭如》=《アブナイ人》のイメージが定着してしまったと思う。


周りも「なるだけ関わらないでおこう……」と、大部分の人たちが、潮が引くように離れていったのかもしれない。



でも、当の本人は少しホッとした部分もあったのじゃないかな。


なにしろ、この見た目とは違って、気弱な性格ゆえに、頼まれると断れないのだから。(だから酒の力を借りるのだ)



小説家だけならまだしも、作詞家(童謡『おもちゃのチャチャチャ』)、政治家(参議院議員に当選)などなど……多岐な分野で活躍した野坂昭如だったけど、全てが自分の本意だったのか。


断れなくて、これらの活動も、イヤイヤこなしていたんじゃないのかな。


もちろん、歌手活動も……



前述の『マリリン・モンロー・ノー・リターン』にしてもだけど、まぁ、次々に名曲、珍曲を歌ってる野坂氏。


でも、それがなぜか?耳に残るようなモノばかりで、聴いてるとクセになり、困るんだけどね(笑) 。



ヴァージン・ブルース』(これもトンデモない歌詞。今じゃ、このキワドイ歌詞は放送コードに引っかかるはず。だけど後に戸川純がカヴァーしてます)


黒の舟唄』(名曲!「♪男と女のあいだには〜深くて暗い河があるぅ~……」の、有名なフレーズは誰でも1度は聴いた事があるはず)


チン●マケの唄』(けっして卑猥な唄じゃないのだけど……とにかく凄い歌。どうも反戦歌らしいのだが。「♪チーン、チーン、チンタ●ケ……」を連呼する度に複雑な笑いが…… (笑) )



CMソングでは、

「♪そ、そ、ソクラテスか、プラトンか〜、に、に、ニーチェか、サルトルか~♪」なんて歌もございました。(これも有名)



で、結局、ここまで書いてみて何が言いたいかというと、世の中は、いつの時代も、歌手とはかけ離れたような分野の《オッサン》が、突然現れて、珍妙な歌詞を歌うのを求めているのだ。(と、私は声を大にして言いたい!)



歌番組も、若者たちばかりが揃って同じような曲を歌ってたんじゃ、メリハリが無くて、《つまんない!》ってこと。



すき間、すき間に、そんなオッサンの珍曲が入るだけで歌番組は俄然盛り上がるし、他も引き立ってくるのである。(紅白はその辺りをまだ分かっていて、それを担うのが、今年は一人だけ奮闘する、松平健である)



歌うは《一時の恥》かもしれないけれど、作家でもいいし、中堅俳優でもいい。

それにスポーツ選手でもいいし、政治家だっていい。


野坂氏のように、恥をかなぐり捨てて、《一時の恥》をかいてみるような変なオッサンが現れないかなぁ~。


2022年は、歌謡界に、そんなオッサンの出現を期待したいと思う。



※アッ、そうそう、こんな野坂昭如でも、あるアイドルの前では、途端に借りてきた猫状態だったそうな。


それが、スーパーアイドル、山口百恵ちゃん。


百恵フアンの野坂氏は、百恵ちゃんを目の前にすると、終始デレデレ♥️。(この顔で)


「も、百恵さん……」(敬語?)


百恵ちゃんも苦笑い。


狂犬を手なづける百恵ちゃんは、猛獣つかいか、はたまた菩薩様か。

流石である!(笑)


2021年12月19日日曜日

映画 「ぼくらの七日間戦争」

 1988年  日本。





80年代、時はバブル真っ只中!


猛勢を誇る角川事務所は、この時期、向かうところ敵なしの無双状態である。



とうとう小説だけでは飽き足らず、1985年には漫画雑誌まで刊行してしまう。



それが、少女漫画雑誌『月刊 ASUKA』。



その創刊号から、ドドーン!と看板作品に持ってきたのが、雑誌名をタイトルに入れて、しかも主人公の名前を『あすか』にするという、『花のあすか組』である。(あらためて凄い戦略)



白泉社から漫画家『高口里純』を引っ張ってきて、中学生同士の不良抗争漫画を描かせる。


80年代といえば、世はまさに、《不良ブーム》なのだ。


漫画でも、ドラマでも、映画でも……とにかく《不良》を題材にしとけば、必ず大当たりする!(安易だと思うが事実そうだったのだ)


スケバン刑事』や『ビー・バップ・ハイスクール』、『不良少女と呼ばれて』、『ヤヌスの鏡』などなど……



特に、少女が日常にある武器で闘うという『スケバン刑事』は、一歩抜きん出ていた感があり、主人公『九楽あすか』も《金貨》を武器に闘いを繰り広げる。(だいぶ『スケバン刑事』に影響されている感じだなぁ~)



でも、この武器の《金貨》、一回投げつけたらそれっきりである(笑) 


銭形平次のように何枚も持ってるわけではないのだ。

たった1枚きりの《金貨》の武器。


なので、その後は急にワタワタするという (笑) 。(その後、金貨に穴を空けて長いチェーンを取り付けて、なんとか手元に返ってくるようにするのだけどね)



とにかく戦略は、なんとか成功して、『花のあすか組』は漫画作品として、徐々にヒットしはじめた。


こうなると、「待ってました!」とばかりに、映像化に踏み切る角川事務所。


それも《ドラマ》と《映画》の同時進行という、かつて無い戦略を打ち立ててきたのだった。


ドラマでは、小高恵美を、映画では、つみきみほを、それぞれ主役にする。


もちろん、角川春樹が俄然期待をよせているのは《映画》の方である。


ひとまず、映画は冬からじっくりと撮影に入り、その年の夏休み、8月公開となった。



そんな時、太っ腹な角川春樹は、急にこんな事を思いつく。


「『花のあすか組』と同時上映で、もう一本映画を作ろうか?」と。



ただ、同時上映に選ばれた作品『ぼくらの七日間戦争』には、特に期待もしていなければ、たいした想い入れもなかったはずである。


「まぁ、戦車は高くつくが、撮影は、ほぼ廃工場と学校で済むし、普通の映画制作費よりも安上がりで済むだろうさ」


現実は、こんな算段だったろうと思うのだ。



冬服を着ている『花のあすか組』のつみきみほと、涼しそうなタンクトップを着ている『七日間戦争』の宮沢りえを見比べれば、それは一目瞭然である。(『七日間戦争』の方は撮影期間も短かったはずだ。8月公開前に合わせてバタバタと撮り終えたのだろう、と推測する)




こんな風に準備は整えられて、映画よりも、ひと足早くに、ドラマ『花のあすか組』はスタートしたのだが……



全く人気がでない、ドラマ『花のあすか組』。(笑)



『スケバン刑事』の田中秀夫監督まで連れてきて、主題歌はBaBeが歌ってるのに。



とにかく、主役『あすか』を演じている小高恵美の人気が、どうにもこうにもサッパリなのだ。(「脇役の石田ひかりの方が可愛いのに……」という声もチラホラ)



オマケに、あすかの敵であるお嬢様『ひばり』役には、あの!『アリエスの乙女たち』に出ていた、佐倉しおりである。(出た~!)




小高恵美佐倉しおり……ともに 眼の下の《隈(くま)》が、もの凄いことになっている二人😱



ドラマを観ながらも、

「疲れてるの?疲労が溜まってるんじゃないの?」って、視聴者が心配してしまうくらい、二人の形相はヒドイのである。



こんな風で人気が出るはずもなく……ドラマは当時としては、最短の23話で早々に打ち切りが決まってしまうのだった。(この時代、二人の《隈》をカバーするようなメイク技術は無かったのか?)



「こ、こうなりゃ映画の宣伝だけでも…(-_-;)」



中盤から、このドラマはあり得ない展開をみせる。



なんと!未来からタイムスリップして来た、もう一人の『あすか』(つみきみほ)がドラマに登場して、『九楽あすか』(小高恵美)と対峙するのだ。(原作無視。ドラマ展開も無視。これはSF? もう、ムチャクチャである)



とにかく、後はテレビやイベント、雑誌で、映画『花のあすか組』の宣伝につぐ、宣伝!




そうして、映画が公開されると………



見事に映画『花のあすか組』はコケた。(ハハハ (笑) )


原作を無視して、舞台を未来に変えて、『あすか』の人物設定も大幅に変えている映画版は、あまりにもマニアック過ぎた。(なんと!《金貨》ではなく、銃を持つあすか)


原作フアンからは全く相手にされず、大ブーイングの嵐!である。(だろうな)


映画は3億超えの収益を挙げながらも、大赤字となる。



ドラマと映画で主役を演じた、小高恵美つみきみほも、その後は尻すぼみに消えていく……(可哀想に)



代わりに、世間の注目を浴びたのが、全く期待されていなかったぼくらの七日間戦争だった。



たいした宣伝もされず、制作費もかなり安上がりに作られた『七日間戦争』は、次第に口コミで伝わり、大人気となる。


「面白いーー!」


宮沢りえ、可愛いーー!」(ムチムチ)


宮沢りえはアイドル的な人気を得る。(まぁ、宮沢りえの演技も、かなり下手くそなんだけど、群像劇ゆえに粗(あら)が目立たない。ラッキーといえばラッキーな幸スタートである)




原作の宗田理(そうだおさむ)の文庫本も飛ぶようにバカ売れし始めて、ロングセラーとなり、『ぼくらの……』は続々とシリーズ化されていく。


主題歌のTMネットワークが歌う『seven days war』も大ヒット。


テレビ放送も何度かされると、上々の視聴率を得る。



生徒たちが決起して、大人たちに反乱を起こす物語なのだが、子供も大人も殺伐としたモノにならないよう、充分に配慮されている。(なんせ中学生だし)


《戦争》なのに、安心して観られるという、稀な仕上がり具合。


それに、ジメジメした雰囲気にもならずにカラッとしていて、最後には妙な爽快感まであったりする。(夜空に打ち上がる花火に、皆が心洗われる)



それまで《学校からハミ出した不良》といえば、《壮絶な闘いや抗争》になるのがお決まり。


どちらかというと、ダーク・サイドに堕ちていくイメージである。



それの真逆にして、ライト感覚にしたのが、この『ぼくらの七日間戦争』なのである。(本当に、世の中、何が当たるか分からんよね~)



もちろん、『ぼくらの……』は、今観ても面白いし、名作だと思うのだが、当時はこんな事も思ってしまった。


「これで《不良》を題材にした映画やドラマも終わりかも……」とも………



そんな自分の勘が当たるように、学園不良ドラマや映画などは姿を消していき、徐々に衰退してゆく。



そうして、この時から角川春樹の直感も少しずつ、世間が求めるモノとズレが生まれてきたような気がするのだ。



80年代は終わり、90年代へ……


ちょうど、そんなターニング・ポイントに位置するような映画なのかも、この映画は。


星☆☆☆☆。


※なんだか読み返すと、『ぼくらの……』よりも、だいぶ『花のあすか組』の割合が多いような……まぁ、笑って許してくだされませ ( (~_~;) 汗 )



2021年12月14日火曜日

映画 「暗い鏡」

 1946年  アメリカ。




「今朝、掃除に行ったら先生が床に倒れていたの」


高名な医師ベラルタは、背中を短剣で刺されて、自宅の部屋で絶命していたのだ。


清掃員やアパートの住人たち、秘書の証言では、どうも《コリンズ》という若い女性が怪しそうである。


捜査にあたった『スティーヴンソン警部』(トーマス・ミッチェル)は、早速、その問題の女性『テリー・コリンズ』(オリヴィア・デ・ハヴィランド)が働いている医療ビルの売店へと向かいながらも、


(この事件は簡単だ。犯人はきっと彼女のはず。これで事件は万事解決だ!)と、一人ほくそ笑む。


だが、そう上手くいくのかな?



ベラルタ医師が殺された頃、テリーには現場から7キロも離れた場所での完全なアリバイがあったのだ。


(どうなってるんだ?!目撃者の証言も全て彼女に一致するのに……)


ベラルタの事件を警部から聞くと、失神して倒れる彼女。


それを見て、その場にいた人たちがテリーの介抱の為に次々と駆けつけてくる。(なんせ医療ビルだし医者もいる。それに彼女は美人なのだ。)


(ヤレヤレ……どうも演技くさいが。ここはひとまず出直すか……)


警官にテリー・コリンズのアパートを見張らせておいて、その夜、スティーヴンソン警部は再度訪問してみると……



ゲゲッ!


同じ顔の女が二人?!


そう、テリーには一卵性双生児の『ルース』(オリヴィア・デ・ハヴィランド二役)がいて、二人は一緒に暮らしながらも、チョイチョイ入れ代わって、誰にも気づかれないように職場でも働いていたのだ!


「どっちがベラルタを殺したんだ?!」


「さぁ、どちらかしらね」ひとりが警部を、鼻で笑いながら微笑む。


「と、とにかく、どっちかが犯人なんだ!二人とも逮捕する!



だが、逮捕してみて、目撃者に面通しをしてもまるで判別出来ない様子。


「無理です!コレじゃ、どちらがどちらだか分かりません!」

折角しょっ引いてきてもお手上げ状態。


「警部、これでは裁判にすらかけられない。二人を開放するしかないのだ」


「そんな?!どちらか一方が、絶対に犯人のはずなんだ!」


苦渋の決断で、警察はテリーとルースの姉妹を、あっさり釈放するのだった。


だが、どうしても諦めきれないスティーヴンソン警部。


警部は、テリーが働いていた医療ビルで心理療法を営む若い医者『スコット・エリオット博士』(リュー・エアーズ)に助けを求めた。



「頼む!あんたなら二人を見分けられるかもしれない。どちらが犯人なのか突き止めてくれ!」


気が進まないスコットなのだが、警部の熱心さに、とうとう折れて、様々な心理テストを試みてみようと約束する。


そうして、しばらくすると、姉妹の性格も徐々に区別がつくようになってきた。


ハキハキ物事を言う《テリー》に、少し気弱な《ルース》。



だが、どちらかが残酷な殺人犯であり、《真犯人》なのだ!




やっと念願の『暗い鏡』を観れました。

この日をどれだけ待ったことか………


監督は、私が目下、ご贔屓にしているロバート・シオドマクなので、これも傑作だろうと思っていたら、案の定、傑作でございました。(『らせん階段』、『幻の女』、『真紅の盗賊』もご覧あれ。どれもこれも見応えあり)



《テリー》が犯人なのか?、《ルース》が犯人なのか?……この映画は、この一点だけに絞り込んだ本格ミステリーになっている。(なのでネタバレは控えておきます。これから観る人の為にもね)



それにしても、………


どう撮影してるんだろ?コレ?!



1946年ゆえ、まだそんなに合成技術も発達していないはずなのに、まるで違和感がない!


もちろん、実際のオリヴィア・デ・ハヴィランドは双子じゃないのはご承知。(妹で同じような女優さんのジョーン・フォンティンはいるけど)



冒頭に貼り付けてある画像なんて、皆さんどう思います?


オリヴィアをオリヴィアが抱いてる絵面なんて、ハッキリ言って「もう、訳が分かんない!」の一言です。(似た人がいた?まさかね~)


コレが撮影なら、当時としてはトンデモない高度な技術である。(さすがロバート・シオドマク監督!恐るべしである)



そして、シオドマク監督も凄いが、その撮影方法に合わせて演技しているオリヴィア・デ・ハヴィランドも、これまた凄い!



姿は同じでも、その中身は全く違うテリーとルースを完璧に演じ分けている。


それを観ている人に違和感なく見せてるのだから、本当に大した女優さんである。



 


話は変わるが、つい最近(2020年7月)、オリヴィア・デ・ハヴィランドが亡くなった。


104歳の大往生だった。(スゲ~!)


このニュースは世界各地に飛び交い、日本でも、その訃報を伝えたのだが……私は少々気になったこともあった。


どのニュースでも、

「『風と共に去りぬ』のメラニー役で有名なオリヴィア・デ・ハヴィランドさんがお亡くなりになりました……」

こんな具合なのである。



もちろん、『風と共に去りぬ』は有名だけど、『メラニー』は主役じゃない。


死んでも尚、貞淑な妻、心優しいメラニー役ばかりをクローズアップされてるのを、本人が知れば、あの世で(プンプン!)憤慨してそうな気がしてくる。


妹のジョーン・フォンティンに、先にアカデミー賞をとられて、嫉妬の炎をメラメラと燃やしながらも、生涯「女優としてやりがいの役を!」と、求め続けたオリヴィア。


そんな、本来は勝ち気でいて、負けん気の強いオリヴィアは、実際はメラニーとは真逆の性格だったと思うのだ。


「私にはアカデミー賞を受賞した『女相続人』や『遥かなる我が子』だってある!『蛇の穴』だって有名だ!私の他の作品を観なさいよ!」


こんな声があの世から聴こえてきそうである。(ゴメンなさい!私観てませんでした!これから、ゆっくり追いかけますので (-_-;) ハイ!)



『暗い鏡』は、そんなオリヴィアが残した、演技派としての良質な一本。


診察する若いスコット医師をはさんで、仲の良かった姉妹にも、微妙な恋愛感情や亀裂がうまれてくる様子は、中々の迫力で見応えあり!


オススメしとく。

星☆☆☆☆。



※《追記》映画のオリヴィアを観ながら気づいたこともあった。


このオリヴィアの髪形、なにかを連想しません?


トップをリーゼントのようにボリュームをもたせて、両サイドはクルンとはね上げて巻いたような髪。



あの、漫画の《サザエさん》にそっくりなのだ!(笑)



漫画のサザエさんの連載が始まったのが昭和21年(1946年)。

この映画だって1946年だ。


案外、作者の長谷川町子は、こんな当時のオリヴィアたちがやっていた髪形に影響を受けてたのかもしれない。


でも、これが当時としては最先端のオシャレな髪形だったのかねぇ~?


いや、いや!

やっぱりヘンテコリンな髪形である (笑) 

2021年12月11日土曜日

人物 「真田ナオキ」






最近の低迷している音楽業界で、オッサンである私が、今イチオシなのが、この人である。


真田ナオキさん(1989年生まれ)


整ったお顔は、一見韓流スターかジャニーズか、ってなくらいで、パッと見「あっ、そう」と簡単に素通りされそうだが、この人は平成生まれの演歌歌手なのだ。


まだ2016年にメジャーデビューして、数曲を出したばかりだが、たまたま歌っている姿を偶然見てしまった私。


何やらヒビッ!っと引っかかったものがあった。(今や演歌どころか音楽さえも滅多に聴かないのに)



この人の《》!


この見た目とはあまりにも不釣り合いな《声》に特別惹かれたのだ。


歌番組などで、そのビジュアルと一緒に聴いてみれば、たちまち強い印象を残すはずである。



もう、トンデモないダミ声に近いようなハスキーヴォイスで歌うのだ!(こんな声、昭和ならともかく令和の時代になって久しぶりに聴いたわ)



《声》だけ聴けば、往年のぴんから兄弟か、葛城ユキか、って感じ。(ゲゲッ!この見た目にまるで合ってない)



なんでも「君は歌手に向いてない」なんて言われて一念発起。


若い時から野球や空手にのめりこんでいて、ド根性の塊のような性格の真田ナオキさん。


簡単には引き下がらない!



なんと!唐辛子を食べ続けて、日本酒でうがいをして、この声にしてしまったそうな。(大丈夫なのか?身体に悪そうだが)



そうして、あの吉幾三がこの人をべた褒めして、一目で気に入った。


「君、変わった声してるなぁ~」(本人の努力ですけどね)



師匠を吉幾三にして、作詞作曲も吉幾三。


吉幾三の完全プロデュースで、メジャー・デビューする。


何気に、今まで名曲を生み出している吉幾三。

千昌夫の『津軽平野』もこの人ですもんね。(ただの呑兵衛オジサンじゃない(笑))



恵比寿』という曲で注目を浴びて、ただいま『本気(マジ)で惚れた』がロングランヒット中だとか。(しかも演歌部門で1位になり、着々と知名度をあげておりまする。私が知らなかっただけなのか?)





でも、このギャップと声に段々慣れてくるとクセになるから不思議である。


『本気(マジ)で惚れた』に、どハマリして何曲か聴いてみたが、そんな中で、アルバム曲『ひとりぼっち』が、ただいまお気に入りである。



それにしても、この《声》は、この令和の時代には異質であり、大勢いる歌謡界でも目立つはず。


良曲に恵まれて、さらなるブレイクが出来るよう陰ながら応援したいと思う。


限界突破して、あらぬ方向へいってしまったHさんの代わりをお探しのオバサマ方、この『真田ナオキ』さんに是非注目してみては?(NHKのお偉いさんたちもね)



本人の性格も中々良さそうで、こりゃ幅広く、人気が出ると思いますよ、ハイ。



※それにしても演歌について、こんな風に語りだすなんて、私もそれだけオッサンになったという証拠か……(笑)


2021年12月10日金曜日

映画 「鳥」

1963年  アメリカ。





この映画のことを、どんな風に書けばよいのやら……


とにかく大量の《鳥》たちが、突然人間を襲ってくる!


ただ、それだけの話なのだから。



もちろん、主役は《鳥》じゃなくて《人間》であり、少しはドラマ的な部分もあるのだけど……この映画に関しては俳優や女優の演技力どうこうは若干弱い感じがする。


ゆえに、当時無名の新人だったティッピ・ヘドレンでも成り立つような話なんだけど。



それにしても、女優ティッピ・ヘドレンと監督ヒッチコックの確執は、ヒッチコックが亡くなって数十年経った今でも、メラメラと続いているのだから、恐ろしい気がしてくる。



この『鳥』の主演に起用したのはヒッチコックの鶴の一声だった。


その頃、離婚したばかりで幼い一人娘のメラニー・グリフィスを抱えながら、細々とモデルをやって、やっと生計をたてていたティッピ・ヘドレン。


「君の面倒は私がみるから……」


異例の7年間の専属契約の話は、当時のヘドレンにとって、渡りに船の申し出だったのだ。


ただ、ヒッチコックの思惑は別のところにあったみたいで……



とにもかくにも、映画を撮る前にティッピ・ヘドレンには、それまでヒロインをつとめた女優たちのように、ヒッチ好みの洗練された美女に変身してもらわなくてはならない。


アップにしたプラチナ・ブロンドの髪に、上品な化粧をほどこす。

イーディス・ヘッドがデザインした淡い外出着のスーツ。


そんな姿に変身して、再びヘドレンが現れると……



ヒッチコック、たちまち(ポワワ〜ン♥)目がハート。


好きなタイプが、「もう、断然大好き!」に格上げしてしまう。


(理想どおり……いや、予想以上だ!)



こうなりゃ、映画作りにも熱が入ろうというもの。


なんと!この『鳥』に関しては、アニメーションのように、細かい絵コンテまでを、ヒッチ先生自ら描き始めたのである。(今も現存する。それにしても、丁寧に描かれた絵コンテには感心してしまう。この人、世が世ならアニメ映画の監督にもなれたんじゃないのかな?)



以前、「たかが映画じゃないか……」なんて、どっかの誰かに、ポーカーフェイスを気取って語っていた過去はどこへやら。


とにかく、

「大好きなへドレンをスターにする為なら!」


60歳を過ぎた老いらくの恋、そのパワーは相当なものなのである。



前作『サイコ(1960)』で莫大な収益をあげていたヒッチコックは、制作費にも出し惜しみなんて一切しない。


この『鳥』には、いくら制作費がかかろうが、その為の費用をジャブジャブと注ぎ込んでいく。



調教された数万羽の鳥たち。(それだけじゃ足りないと、アニメーションの合成の鳥まで足している)


ひとつの街が作られて、鳥による襲撃で無惨に破壊されていく、たくさんの車や家々。



勿論、この当時はCGなんて無い時代だし、どれだけ莫大な費用がかかったのか。(想像すると空恐ろしくなってくる)



そんな状況下で、何度も、何度も、《鳥》に襲われるティッピ・ヘドレン。


恐怖する顔、怯える顔のティッピ・へドレンが血だらけになりながら、あちこちを逃げまどう。


映画の最後で、恋人役のロッド・テイラーや、その母親役であるジェシカ・タンディに支えられながら、命からがら街から脱出する場面なんて、まるで放心状態。


演技とは思えないほど、素の表情で心底くたびれているように見える。



異様な鳥の大群に覆われた町中、逃げるように立ち去っていく1台の車。

ENDマークも出ないまま、そうして、静かに映画は終わってゆく……




恐ろしい映画……


映画も充分に残酷で嫐(なぶ)られるへドレンは気の毒以外の言葉が見つからないが、後日へドレンとヒッチコックの因果関係を知ってしまうと、ことさら鳥肌が立つほど恐ろしく思えてくる。


公開当時は、迫力満点の映像に皆が大騒ぎ!

『サイコ』に続いて、これまた大ヒットする。


だが、当のティッピ・ヘドレンは撮影終了後、ぶっ倒れて入院してしまう。(だろうよ)



一方、映画のヒットと、世間一般にティッピ・ヘドレンが認知された喜びに湧くヒッチコック。


それに伴うようにへドレンに対する歪んだ愛情は増すばかりである。(なんかゾゾ〜ッとするね)



歳をとってから熱烈な恋をすると、人はこれほど盲目的になってしまうのか。


この後は、ご存知のように有名な話でヒッチコックは、とうとう理性のタガが外れてしまうのだが……(イヤ、この時点で既に尋常ではない気もするのだが)



なんだか『鳥』のへドレンが怯える表情は、それを想像させてしまう。



ヒッチコック映画、最後のピークである『鳥』。


初めて観る方は、そんな裏話の背景を脇に置いといて、ただ素直に驚いてほしいと思う。


星☆☆☆☆。


※まぁ、これだけ美人だとメロメロになるのも分かる気がするんだけどね。