2020年8月25日火曜日

ドラマ 「熱っぽいの!」

1988年 4月~7月。





大病院の跡取り娘『南条円(まどか)』(南野陽子)は、父親が決めた縁談を嫌って家出した。


「お父様なんか大キライ!!」

自由を、フリーダムを目指して!



書き置きの言葉に、「何がフリーダムや!」と父親はカンカン、母親はオロオロだ。




円が目指した場所は、父親の知り合いで、東京で花岡病院の院長をしている『花岡秀郎(ひでお)』(二谷英明)。


目の前にドドーン!とある病院を見つけて、「ここだわ!」と喜ぶ円。




そこへ緊急オペの患者が運ばれてきた。

医者も看護師たちもバタバタ。



一人の主任看護師『広岡』(高橋ひとみ)が、玄関口にいる円を見つけると、有無を言わさず手を引っ張って、「遅いじゃないの!」と、いきなり怒鳴りつけた。


円は(?、?、?)。


「さぁ、これに着替えて!それにしても派手な格好してるわね!」



あれよ、あれよ、という間にオペ室に連れていかれる円。


「あの~私、違うんです……」

「何が違うのよ!さっさとしてちょうだい!!」



オペの執刀医は南条家の次男で外科医の『南条康』(村上弘明)だ。



そのオペの真っ最中、血を見て卒倒する円。


「何だ?!この看護師は!邪魔だ!さっさと連れ出せ!!」



康の怒声で、気を失ったまま外に連れていかれる円。


しばらくして、婦長の『川上冴子』(梶芽衣子)の介抱で目を覚ますと、円は子供のように泣き出した。


そこへ、院長の花岡秀郎が現れると、安堵したのか、「オジサマ~!」と叫んで、さらに大泣き。



今日から来るはずだったベテラン看護師と間違えられた円。(その看護師は、「や~めた」と言って帰っちゃったけど)



そして、円の家出の事情を聞いた花岡院長は、「うん、うん、……」と優しく慰めながら、当分この家にいる事を許可してくれた。


「両親には私から連絡しておくから安心しなさい。」


花岡の言葉に少しホッ!とする円。


「その代わりに、君、ここで看護師見習いとして働いてみないかね?」


花岡の提案に、少し考えた円。


(やってみるのも悪くないかも ……… 自分は何も知らない世間知らず 。 ちゃんと働いてみせて、実家の父親を見返すのもいいかもしれない!)


円は決心した。(もちろん南条病院のお嬢様の素性は隠して)





住み込みの離れの部屋は、同じ看護師見習いとして学んでいる『森雪子』(工藤静香)と同室だ。


「南条さぁ~ぁん?歳はあたしが下でも、一応あたしが先輩なんだからねぇ~!じゃ、ヨロシクぅ~」


の字眉毛に、の字に垂れ下がる目。

ナース・キャップからは思いっきりバッサバッサ!と四方に広がる奇抜なヘア・スタイル。


そんな『森雪子』(工藤静香)は、鼻高々に挨拶してきた。(こんな不衛生な髪形のナース、今も昔も見たことない(笑))


「はぁ、よろしくお願いします……」



こうして、南条円のナース見習いの日々は始まったのだった………。







こんな風な『熱っぽいの!』第1話だったと思う。(例によって記憶を探り探り書いております)



主演は、もちろんナンノこと、南野陽子嬢。


メディカル・ホーム・コメディーと銘打っているので、医療現場の大変さなんて微塵もないような、ゆるゆるドラマでした。



なんせ、医療よりもギャグ、医療よりも恋愛なのだから。(こんな病院に入院した患者は、たまったもんじゃございませんわ(笑))


主演が南野陽子………それだけの理由で、ただ、二十歳の自分は、熱心に観ておりました。




でも、このドラマ、今考えると出演者たちが豪華絢爛。



ナース群には、先程の婦長の梶芽衣子。主任の高橋ひとみ。(女囚さそり、海槌麗巳 …… まぁ、怖い(笑))


他にも、村上里佳子やら、松居直美やばせばみ山瀬まみ)、なども出てる。(ギャグ要員たちね。先輩ナースなのに、コイツらが看護してるシーンなんて、全く見たことなかった)


あの!所ジョージも、病院に出入りする委託業者(病院食のセールス)として参加。




医者の方は、花岡院長に、二谷英明


その院長には四人の子供たちがいて、女子高生のツンデレで生意気な娘(名前忘れた)。


三男が、チャラい大学生の『花岡優(まさる)』(中村繁之)。


次男が、真面目な外科医『花岡康(やすし)』(村上弘明)。


そして、長男『花岡健(たけし)』(田代まさし)がいるのである。




もう、さっしのいい方はお分かりだろう……




そう、この《田代まさし》が大問題なのである!



このドラマでは、気は優しくて、子供が大好きな小児科医役。

所ジョージとは、ギャグを折り込みながら、ドラマを盛り上げている。


そして、何と!このドラマでは、主演の南野陽子が好きになる相手が、よりによって、この『田代まさし』なのである。


しかも、最後はお互い、相思相愛になってドラマは終了するのだ。



こんな役得がまわってくるくらい、当時の田代まさしは絶頂期だったのだ。(なんせ、南野陽子は当時、スーパーアイドルですぞ)




この後の田代まさしの転落はご存知のとおり。


覚醒剤におぼれて、現在まで何度も再犯で捕まり、塀の中を行ったり来たり………。




このドラマが、ビデオ化も見送られて、いまだDVD化にもならないのは、田代まさしによる部分が非常に大きいのである。



なんで、薬なんかに手を出してしまうかねぇ~。



このドラマの役が、心優しい小児科医役で、ヒロインが惚れる設定である以上、現実との違いのギャップは、とても埋められるはずもなく……。

この先、このドラマがDVD化される事は、まず無いだろうと断言する。




ただ、…………ワタクシめは、このドラマを遠い昔、VHSのビデオ・テープにおさめ、今でも保管しているのだ。(何と!全話!)



ここには記憶を探りながら書いたが、そのうちDVDに変換しようと思っている。


多分、保存状態も大丈夫だと思うのだが、今となってみれば、これはある意味、幸運なお宝かもしれない。



これは、老後の楽しみのひとつ。


もうしばらくしたら、可愛い、ナース姿のナンノをゆっくり楽しみたい!とひそかに考えているのである。

星☆☆☆☆。

2020年8月23日日曜日

映画 「イタリア式離婚狂想曲」

1961年 イタリア。






(俺は何でこんな女と結婚したんだろう………?)



『フェルディナンド(通称フェフェ)』(マルチェロ・マストロヤンニ)は、寝室でわざと反対を向いて眠ろうとする。



だが、ベッドの横に寝ていた妻『ロザリア』(ダニエラ・ロッカ)は、「待ってました!」とばかりに、ガバッ!と起きてフェフェに襲いかかった。


「ねぇ~ん、フェフェ、愛してる?私のこと………」


(やれやれ……また、はじまった)


毎晩、毎晩、こうして繰り返されるロザリアの質疑応答に、フェフェはウンザリ顔を隠して、ロザリアを振り返った。



見れば見るほど、珍妙な顔 ……


髪の毛はセンター分けで、眉毛は『こち亀』の両さんのように繋がってる(ゲゲッ)。


唇は分厚くて、まるでオバQのよう。


おまけに笑い方も超キモい。

イーッ、ヒヒヒッー!なんて声をあげて笑うのだから。(マルチェロ・マストロヤンニがどう思ったか知らないが………ここまでは、全て私の感想(笑))




こんな女と結婚して12年……。

フェフェは、イタリア貴族の長男だった。



老いた男爵のエロ親父(隙あらば女中の尻をなでまわす)、それに母。

結婚間近の妹(葬儀屋の息子と婚約中)。

そしてフェフェと妻ロザリアで、一家は古びた邸に住んでいた。



そして、一家のすぐ真隣には叔父一家が住んでいる。(散財した父親から、叔父が邸を、半分買い取ったのだ)



夜半、トイレの窓からフェフェが外を見ると、向かいの一階が、全て見渡せた。


そこには、若く美しい姪の『アンジェラ』(ステファニア・サンドレッリ)の姿が……。


(オオッ……愛しいアンジェラ……)


フェフェは年甲斐もなく、すっかりアンジェラにのぼせていた。(いいのか?姪で、しかも相手は16歳だぞ!)



フェフェだけでなく、アンジェラもフェフェに惹かれている事が分かってくると、もはやフェフェの気持ちは抑えられない。


(どうにかして……あの妻を葬りされないものか………)


フェフェは、真剣に考えはじめる。




マルチェロ・マストロヤンニの傑作コメディーである。

期待半分で今回観たのだが、超面白かった!!


なんたって、マストロヤンニの妄想が、イチイチ面白い。






石鹸作りをするため、庭先で釜をグツグツ煮たたせている母親と女中。


「もう!またやってるわ!!この匂いたまらないったらない!!」

妻のロザリアは、下に降りていって、母親と女中に吠えまくっている。



それを2階の窓から、こっそり覗くフェフェは、妄想する。


(アイツが代わりに釜を混ぜていれば、そっと忍び足で近づいて………後ろから……ブスッ!と刺して、それから釜になげこんで……… )





一家で海に日光浴に来れば、妻のロザリアは砂風呂に入っている。



それを見ながら、またもや、フェフェの妄想がはじまる。


(この砂が、底なし沼のようになって、この女を沈めてくれればいいのに…… )



こんな場面が、イチイチ挿入されるので、笑ってしまうのだ。(沼に沈んでいきながらも、「イーッヒヒヒヒヒッ!!」と笑うのを忘れないロザリア。本当に何やねん、これ!(笑))





やがて、フェフェは妄想だけではあきたらず、とうとう本格的な計画をたてはじめる。



それは妻のロザリアに浮気をさせて、《不貞の妻》という名目で殺害するというものだ。


上手くいけば、3年で出所できるはず……その後は、愛しいアンジェラと……ウッシシッ!




だが、そんな相手が、うまく見つかるのか?(こんな容姿の妻だもんね)




でも、世の中、伊達食う虫も好き好きで、変わり者がヤッパリいた!


それが、ロザリアの幼馴染み『カルメロ』(レオポルド・トリエステ)なのだ。(何と!フェリーニの『青春群像』のメガネ劇作家君じゃないですか!)




館の壁画修復を理由に、カルメロを呼び寄せると、フェフェは、妻ロザリアとカルメロを二人きりにする。



そして、急いで自分の部屋へダッシュ!



二人の会話を盗聴しているのだ。


(さぁ襲え!やれカルメロ!!男だろ?! 妻を襲うんだぁー!!)


はて、さて、フェフェの願いは叶うのか ………





随分、回りくどい計画だと思う人もいるだろう。



そんなに嫌なら、「さっさと離婚すればいいのに!」となんて、我々からしたら単純に思うのだが、そこはイタリア。



この1960年代、イタリアでは法的に《離婚を認めてなかった》のだ。



1度結婚したら、生涯、その相手と添い遂げなければならない!

《離婚なんてもっての他!》だったのである。



離婚が認められるようになったのは、70年代になってからやっとなのだ。



それでも、この2020年の現代でも、イタリアで離婚するには、

『3年以上、別居してるか、どうか』を厳しく審査され、教会や裁判などに多額の費用がかかる。



簡単には《離婚を許さない!》状況が、今でも続いているのである。




これは、イタリアの宗教的な問題がとても大きく関わっている。




イタリアといえばカトリック教。


教会において、「神の前での誓いは神聖であり、絶対的」という教えに基づいている為である。



そして現代においても、多額の費用と時間を労して離婚できたとしても、教会では2度と結婚式を挙げることは許されないのだ。


相手が死別しての再婚ならともかく、離婚しての再婚を教会側は絶対に認めないのである。




こんな法律のイタリアゆえ、女性を簡単に口説くイタリア男性たちも、結婚にはことさら尻込みして慎重になってしまう。

カップル同志でも結婚しない人なんてのもザラである。(子供が出来ても)


そうして、1度結婚したら別れる人が極端に少ないのがイタリア人なのだ。(離婚にかける労力が、途中で「馬鹿馬鹿しい」と思う人が大概らしい)






そして、マルチェロ・マストロヤンニも、この映画を地でいくような体験をしている。



既に結婚して妻がいたのに、あの、『カトリーヌ・ドヌーヴ』と恋におちてしまったのである。(結果、カトリーヌは身籠ってしまう)


だが、離婚は叶わず、カトリーヌ・ドヌーヴは今流行りの(流行りなのか?)シングル・マザーとして子供を出産したのである。




なんだか産まれてくる子供には罪はないし、可哀想な気もするのだが、それが当時のイタリアの法律。


愛しあいながらも、二人は結局一緒になれずじまいだったのだ。



今なら簡単に、離婚も結婚も出来るのにねぇ~(タップリお金さえあればね)





でも、現代において、芸能人たちが安易に結婚離婚を繰り返すのを見てると、この法律も多少アリなのかな。

あまりにも、節操がなさすぎるようにも見えるし。


ん~、難しい。




そうして、そんなイタリアだからこそ、こんな映画も出来てしまうわけで………



監督はイタリア映画界の巨匠ピエトロ・ジェルミ。(有名な監督さんなんだけどお初である)



深刻なテーマを扱いながらも、そこまで深刻にならないのが、やっぱり根明なお国柄のせいなのだろうか。(前述のようにアホらしさ、バカバカしさ満載だ)


星☆☆☆☆としておきましょうかね。



イタリアという国を理解するには、ちょうどいい映画だと思いますよ。



2020年8月19日水曜日

映画 「ミニミニ大作戦」

1969年 イギリス、アメリカ合作。





マイケル・ケイン主演の『ミニミニ大作戦』を20年ぶりに観た。(本当にダサい邦題。原題のThe Italian Jobの方が、ずっといいのに)



昔、観た時もなかなか痛快で面白かったけど、今回久しぶりに観れば、色々な発見も新たにあった。


マイケル・ケイン以外にも、「あ、この人知ってる!」や「あ、この人も出ていたのか~」なんてのが分かってきたのだ。



それだけ自分が、数多い映画を観てきたからなのだ、と思うと、なんだか嬉しくなってしまう。



全く映画には関係ないのだけど、少しだけ、ここにツラツラ書いてみようと思う。



★ノエル・カワード……最近、このblogでも挙げた『バニー・レイクは行方不明』で、主人公キャロル・リンレーが借りるアパートの気持ち悪い大家さんだった人。


この『ミニミニ……』では、刑務所で、囚人にもかかわらず、貴族のような威厳で、看守や刑務所長を顎でこきつかう大物『ブリッジャー』を演じている。


独房には、壁一面に貼られた女王陛下の写真、上等なソファー、贅沢な食事。

「これで、本当に囚人なの?」って感じだ。




元々、俳優が本業でないカワードは、映画監督をしたり、演出したり、脚本を書いたり、作詞作曲したりと、ジャンルをとわないような幅広い活躍をした方。


どうも、俳優の方は頼まれて、しぶしぶ、その合間で演っていただけらしい。(だから出演している映画も少ないので、たまたま2本観た私はラッキーだったのかも)


その、独特な風貌は強烈で、1度見たら強く印象づける。

そして、多才で天才。


この『ミニミニ…』の、ブリッジャー役の威厳も、そんな背景を知ってしまうと納得である。






★ラフ・ヴァローネ……つい先日、またもや、blogで挙げた『にがい米』に出演。

シルヴァーナ・マンガーノが好きで言い寄る『マルコ軍曹』を演じておりました。(この人も、この映画に出ていたんだ!)



さすがに『にがい米(1949)』から、この映画までは、20年も経っているので、その容姿もだいぶ変わっている。


あんだけ胸毛全開で、セクシー軍曹だったヴァローネさんも、歳をとると、だいぶ恰幅がよくなっていて、ちょっと厳めしい顔つきになっている。


元々、おち窪んでいた目が、さらに窪んでいるような。



この『ミニミニ……』では、冒頭から、大勢の部下を従わせて、トンネルにショベルカーを待機させて、相手を車ごと殺害するという、非情なイタリアン・マフィアの首領『アルタバーニ』役。(残酷~)


その後も、主人公『チャーリー』(マイケル・ケイン)をつけ狙ったりする。
(長い歳月は、この人を、こんな悪役顔に変えちゃったのかぁ~)と思うと、その間、出演している映画なんかも、なんとなく気にもなったりして……。





映画の話に戻そう。


『チャーリー』(マイケル・ケイン)は、2年の刑期を終えて、やっと出所したが、ヤッパリ根っからの悪党ぶりは直らず、すぐに盗みの仕事が舞い込む。


それは亡くなった知り合い『ロジャー』が計画していた仕事だ。(冒頭、イタリアン・マフィアに殺された残念な人)


「イタリアのトリノで、交通麻痺を起こさせて、その混乱に乗じて、銀行から輸送されてくる400万ドルの金塊を奪うんだ!」


ロジャーの妻から渡されたフィルムを再生すると、映像のロジャーはチャーリーに向かって、計画の一部始終を、まるで遺言のように語りだした。


(大変な計画だ………人手がいるし、助けが必要だ)


チャーリーは、イタリア・トリノの刑務所で、王様のように振る舞う『ブリッジャー』(ノエル・カワード)に、すぐさま相談する。



最初は、あんまり乗り気じゃなかったブリッジャーだが、次第に気持ちが変わってきたのか、外にいる部下たちに、

「チャーリーに協力しろ!」と言ってくれた。




さぁ、そして、金塊が運ばれてくる日。


トリノの町の片隅に、《赤》、《白》、《青》の三台のミニが待機する………。




もう、この後は、この3台の車が大活躍!



無事に金塊を盗みだすと、この色違いの3台のミニクーパーに載せて、さぁ逃亡。


逃げろや、逃げろ!



追ってくる警察の追走をかわしながら、地下鉄を、ドームの屋根を、下水溝をと、あらゆるイタリアの町中を、ビュンビュン走りまくる。



その3台のミニの走りが、あまりにも軽やかなので、まるで音楽でも聞いているようである。



どんな悪路もスイ、スイ、スイー!、と進んでいくのだから、観ているだけで、チョー気持ちがいい事。


今のような猛暑の夏、風をきって軽快に走る3台のミニの映像は、ちょっとしたストレス軽減にもなるし、ピッタリかも。


こんな疑似体験ができる映画もあまりないんじゃないかな。


オススメ!

星☆☆☆☆であ~る。

※でも、3台のミニが走るなら、邦題は『ミニミニミニ大作戦』でもよかったんじゃないの?と、かるいツッコミでしめておく(笑)。




2020年8月15日土曜日

映画 「ひまわり」

1970年 イタリア、フランス、ソビエト連邦合作。



青く、晴れ晴れした空の下、大地に広がり、美しく咲き誇るひまわりの大群が、ユラユラと風に揺れている。


まるで絵画のように、1枚絵に切り取りたくなるくらい、絶景な風景だ。


だが、そのひまわりの下に眠るのは……。





終戦後、役場で騒いでいる女が一人いる。


「夫は生きています!私には分かるんです!探してください!!」と。

『ジョヴァンナ』(ソフィア・ローレン)は、必死の形相で役場の職員に訴えかける。



だが、なすすべもなく帰途につくジョヴァンナ。


辛い日々の中、ジョヴァンナは、夫『アントニオ』(マルチェロ・マストロヤンニ)との少ない思い出に身をはせる。





「結婚しましょうよ、私たち!」


そう、最初に口説いたのはジョヴァンナからだった。


結婚すれば、少なくとも12日間は兵役を逃れられる。

愛するアントニオと、少しでも長くいたいジョヴァンナは、二人、新居に住んで、じゃれあい、日々を楽しんだのだった。





だが、そんな日々も終わりを迎える頃、二人は考えだした。


(イヤだ!このまま別れ別れになるなんて………何とかして戦争に行かなくていい方法はないものか……)と。





「キャー!助けてぇー!!」

街中で叫ぶジョヴァンナ、暴れまくるアントニオ。

叫びを聞きつけて、人々が集まってくる。


「夫が急に気が変になって暴れだしたのよ!!」

ジョヴァンナの訴えに、アントニオは取り押さえられて、軍の病院に連れて行かれた。




やがて、ジョヴァンナも調書の為に病院に行くと、ある個室に連れて来られて、「ここで待っていてください」と言われる。



しばらくして、そこに連れて来られるアントニオ。


二人きりになると、先程の醜態とはうって変わって、二人は抱き合った。


「これで上手くいくはずだ」


そう、アントニオは精神異常を装って、兵役を逃れようと企んだのだ。




だが………そんな企みはアッサリ見破られてしまう。


壁には穴が空いていて、その一部始終は見られていたのだ。


「アントニオ、君は嘘をついた。懲役が嫌なら、君にはロシア戦線へ行ってもらう」



あわれ、アントニオは極寒のロシアへ。

泣く泣く送り出すジョヴァンナ。


列車は半泣きのアントニオを乗せて、無情にも走り去っていったのだった。





そして、あれから数年……。


戦争が終わり、ロシアの戦地から人々が引き揚げてくる。


ジョヴァンナは、必死にアントニオの手がかりを求めて、訪ね歩いた。



一人の帰還兵がアントニオと一緒だったと言う。



空から降ってくる爆撃、広大な雪原をフラフラになりながら、どこへ向かって歩いているのか分からない…………長い距離と時間。



一人が倒れ、また一人が行き倒れていく。

その中にアントニオもいたと言う。




「ひどい人ね!手を貸そうともせずに置き去りにするなんて!!」


ジョヴァンナの剣幕に、男は黙りこんだ。

他人の事などは二の次……そんな余裕などあるものか!


「きっと助からない」帰還兵の言葉にジョヴァンナは首を振る。


「いいえ!彼は絶対に生きている!私が彼を見つけ出すわ!!」


戦争が終わり、スターリンが死んで、ソビエトも環境が変わったはずだ。


ジョヴァンナは、アントニオの母に「必ず彼を探しだしてみせる!」と約束すると、単身、ソビエトにやって来た。


知り合いさえいない、この広い国………でも、愛するアントニオは必ず生きていると信じて…………。




名作と言われている、この『ひまわり』を初めて観た。


でも、この『ひまわり』、あまりにも有名すぎて、あちこちから情報を目にしていたし、内容は充分に知っていた。



《 戦争が引き裂いた、愛し合う男女の数奇な運命 》……簡単に説明すれば、こんなお話だし、「今さらなぁ~」ってな具合で、この歳まで観ずじまい。


名作の冠と、あまりにも世に知れ渡ったメディアの情報で、何だか自分の中では敷居を高くしてしまっていて、長年遠ざけていたのだった。



でも、最近、イタリア映画にどっぷりハマってしまった私。



意をけっして観はじめたのだが………もう、自分が単純なのか、涙腺崩壊(もうボロボロ)。



泣ける~!😭


可哀想な『ジョヴァンナ』(ソフィア・ローレン)に心底同情してしまい、『アントニオ』(マルチェロ・マストロヤンニ)の運命に歯ぎしりしてしまった。


なるほど、本当に、こりゃ名作だわ。






ジョヴァンナの想いが通じたのか……アントニオは生きていた


だが、皮肉にもソビエトで結婚して、子供まで授かっていたのだ。


「彼を見つけた時は、死ぬ寸前でした。助かってからもずっと記憶を失っていて………」

アントニオの現妻『マーシャ』(リュドミラ・サベーリワ)は、目の前にいるジョヴァンナに動揺しながらも語りだす。(もう、どちらも涙をこらえているので、何とも言えないくらいの場面)



(いっそ、この女が、性悪な女だったらよかったのに……)なんて、思っているジョヴァンナの心の声が聞こえてきそうである。



でも、目の前にいるのは、気立てが良くて、心底アントニオを愛しているマーシャ。



マーシャに案内されて、アントニオにやっと会えたジョヴァンナ。



でも、ジョヴァンナは目の前にしたアントニオに何も言えず、唇を噛みしめ、たまたま来た列車に飛び乗った。


座席に座り込んだと同時に泣き崩れるジョヴァンナ。

声をあげて泣き叫ぶジョヴァンナ。






あ~、なんて可哀想なのか😭。(この場面を観て泣かない人間は人間じゃねぇ~)


ソフィア・ローレン、本当に感心した。

名優だわ、この人!




劇中、ジョヴァンナがアントニオを訪ね歩く場面に、このタイトルの広大な『ひまわり畑』が出てくる。


そこは、戦争中、残酷にもイタリア人やロシア人たち、子供や老人までを、大きな穴を掘って埋めた場所。


その大地の上に、咲いている《ひまわり》なのである。



どうりで、風に揺れている《ひまわり》は、首を振ったり、頭を垂れたりしていて、まるで生き物のようにも見えてしまう。



何かを訴えかけるようにも見える。(ある意味、綺麗な場面なんだけどゾッ!とする)



男女のメロドラマなんだけど、これも立派な反戦映画。


今日という日には、私は、この1本を挙げておきたいと思うのである。

星☆☆☆☆☆。

2020年8月9日日曜日

映画 「ナイブズ・アウト / 名探偵と刃の館の秘密」

2019年 アメリカ。







この映画とは、全く関係のない話を少し。



こんなのは自分だけかもしれないが、私、『ケネス・プラナー』が大キライである。



ケネス・ブラナーといえば、シェークスピア役者として世に出てきて、「ローレンス・オリヴィエの再来」とまで言われた人。(誰がこんな事を言いだしたのか?)

シェークスピア劇の映画も何本か監督してる。(観る気もないけど)



私がキライになったのは、この人がジョセフ・L・マンキーウィッツ監督の『探偵スルース(1972)』をリメイクしてから。

期待して観たら、とんでもなく陳腐な出来でした。



そうして、トドメはクリスティーの『オリエント急行殺人事件』のリメイク。


しかも、不格好な口髭で主演のポワロまで、嬉々として演じてしまった。

列車の屋根にまで飛び上がるポワロ。(死んだクリスティーが、激怒して墓場から蘇りそうなくらいの出来)



原作のフアンたちを激怒させ、映画も散々だったはずなのに、懲りないブラナーは、またもや『ナイル殺人事件』のリメイクにまで手をつけてしまった。



不出来な、オリジナル破壊のリメイクやアメコミ(『マイティー・ソー』)、アニメの実写化(『シンデレラ』)しか出来ないブラナー。



オリジナル脚本とオリジナルの役で、勝負しようともしないブラナーに、「本当にこの人、監督としても才能があるの?」と疑ってしまう。



今後も、こんな調子で作品を作り続けるのだろうか?

まぁ、観たい人は観ればいい。でも私は、完全に無視するけどね。





こんなブラナーにムカムカしているところへ、この映画『ナイブズ・アウト』の存在を、最近知ったのだった。




監督は、順調にキャリアを築いてきた新進気鋭の『ライアン・ジョンソン』。



ライアン・ジョンソンも、子供の頃からクリスティーの小説が好きで、「こんなミステリー映画を、いつか撮りたい!」と思っていた人だ。



でも、安易に、クリスティーの小説の映画化なんてのには手を出さない。


自分で《オリジナルの脚本》を書いて、自分で《創作した探偵》を作り出す。



あくまでもクリスティー風の群像劇のミステリー映画であり、徹底的にオリジナリティーにこだわったライアン・ジョンソン。



こんな情報を知ると、「ムムッ、最近にしては気骨のある奴。こいつは期待できるかも………」と俄然、観る前から評価は、クグーン!と上がってまう。



で、今回観てみてのだが………



中々、上手く出来てるじゃございませんか。




著名なミステリー作家『ハーラン・スロンビー』(クリストファー・プラマー)が邸宅で85歳の誕生パーティーをおこなった。


一族の者たちは、なにかしらスロンビーの恩恵を承けているので、無下にもできず集まってくる。



そして、翌朝、家政婦がハーランの死体を発見した。


喉をかき切っての自殺。



警察も単純な自殺として、公式ばかりの家族への尋問をして終わりにするはずだったのだが………。



そこへ名探偵『ブノワ・ブラン』(ダニエル・クレイグ)が現れた。


「私に匿名の依頼があったのだ。それにこの事件は、単純な事件じゃないはずだ」ブランはそう言い切る。



調べてみると、次々表れてくる一族の秘密。

皆がハーランを恨みに思っていたのだ。



そんな中で、ブノワ・ブランは一人の女性に目をつける。


『マルタ』(アナ・デ・アルマス)と名乗る、この若い女性はハーランの信頼も厚く、献身的に世話してきた看護師だ。


「私は……何も知りません」

マルタはそう言うだけだが、ブランの勘が、この女性の何かに惹き付けられた。


(何か……隠している………)



案の定、マルタは秘密を隠していた。

自分ひとりでは、押し潰されてしまいそうな大きな秘密を………。




大金持ちに群がるハイエナのような一族たち。


昔ながらの定石のミステリーの形をとりながらも、看護師マルタの視点を借りながら物語が進んでいくところに、この映画の工夫がある。



それにしても、ジェイミー・リー・カーティスやれ、ドン・ジョンソンなんて人たちを久し振りに見ると、それだけで嬉しくなってしまった。(歳をとったなぁ~、当たり前なんだけど)



最後の謎解きは、あまりにも駆け足すぎて、もう少しだけ尺が欲しかったが、クライマックスまでのどこにも不自然さがないような着地はお見事。



あと、この手のミステリー映画としては、ユーモアも、もうちょっとだけ欲しかったかな。



ダニエル・クレイグの名探偵ブノワ・ブランの個性も、まだまだこれからって感じがする。(続編も作られるそうです。ダニエル・クレイグ、この人何気に演技派です)




でも、私はこの映画を断然評価する。



オリジナリティーにこだわり、オリジナルの探偵を創作しようとした監督『ライアン・ジョンソン』の挑戦は、近年では、「アッパレ!」な所業。



こんな脚本が書ける人は、今のアメリカ映画界では貴重だろう。



プロデューサーたちも、オリジナリル脚本には、どんどん出資して育てていってほしいと、切に願います。(まぁ、スター・ウォーズの監督では散々に酷評されたライアン・ジョンソンなので、私としては、こっちのシリーズで頑張ってほしい限りである)


星☆☆☆☆。

次回の名探偵ブノワ・ブランの活躍に期待したい。



2020年8月7日金曜日

映画 「にがい米」

1949年 イタリア。






まだまだ戦後で、トラクターもなかった時代……。



北イタリアでは、5月になると大勢の女たちが米作りの為に集まる。

労働手帳を持って、女たちは広大な水田地帯で一定期間、出稼ぎ労働者となるのだ。



「こんな過酷な労働は、女性たちにしか出来ません」ニュース中継のアナウンサーが、集まった女性たちを撮しながら誉め称える。(よく言うよ)




駅には、その為の、専用の《稲作列車》なるモノまで待機していた。


そんな、列車が出発待ちの間、人混みの中に怪しいカップルの姿が………。


男の名は『ワルテル』(ヴィットリオ・ガスマン)、女は『フランチェスカ』(ドリス・ダウンリング)。


グランド・ホテルから高価な宝石を盗んだばかりだった。


「いいか、この宝石を守るんだ!」ワルテルは、そう言うとフランチェスカに渡した。




列車の側では、退屈しのぎに持参した蓄音機の音楽に、狂ったように踊る『シルヴァーナ』(シルヴァーナ・マンガーノ)がいる。


それを外野が取り囲んで大騒ぎしてると、ワルテルはニヤニヤ顔で、シルヴァーナとダンスに興じ始めた。


「へ~え、上手いじゃないの!」

シルヴァーナもノリノリだ。




ブスっとした顔でそれを見ているフランチェスカ。

踊りながら回転しているシルヴァーナの手が、ワルテルの麦わら帽子を払いのけて落ちた。(わざと)



焦るワルテル、そこへ「いたぞー!この泥棒ー!!」の声。


騒然とした中、ワルテルは一目散に逃げ出した。



しばらくして列車が出発すると、浮かない顔でフランチェスカが、ひとりきり乗車している。



次の客車に移ろうとドアを開けると、目の前には、あのシルヴァーナの姿が。


明らかに不審な様子でフランチェスカを見つめるシルヴァーナ。



「あんたの彼氏、あれからどうしたのさ?いい男じゃないの」

「私には関係ないわ。それより仕事が欲しいのよ」



(なんか怪しいわ……あの彼氏も、この女も………)


列車は、様々な事情を抱えた女たちを乗せて、水田地帯を目指して走っていく。




駅に着くと、何台もの大型トラックの荷台に乗り込んだ女たち。

軍隊が兵舎として使っていた場所に向かって走り出す。

そして、そこは、40日間彼女たちの寝ぐらとなるのだ。



「ここを使うといい」

兵舎に着くと、『マルコ軍曹』(ラフ・ヴァローネ)が、フランチェスカとシルヴァーナの為に2段ベッドを空け渡してくれた。


《なぜか? いつでも、どこでも胸毛全開の『マルコ軍曹』(ラフ・ヴァローネ)さん》




2枚目でイキなマルコ軍曹にフランチェスカも微笑むが、シルヴァーナは「軽い男!」とばかりに歯牙にもかけない。





「みんなベッドを整えるんだ!」


ズタ袋に藁を押し込んでの寝床つくり。


だが、フランチェスカが目を離した隙に、ベッドの下に隠した宝石が、いつの間にかなくなってる!


「ない!ないわ!どこにも……!!」


その時、現場監督から、「契約をしてない者は帰ってもらうぞ!」の大声が。



(そんな………何としても雇ってもらわなくては………宝石を探せやしない………)

焦るフランチェスカ。



侮蔑の表情を浮かべたシルヴァーナが、それを遠くから見つめているのだった ………





《 原爆女優 》なんて酷いアダ名、いったい誰がつけたのか。



名前だけは知っていて、昔から気になっていた、『シルヴァーナ・マンガーノ』。


この度、やっとお目にしにました。(TSUTAYA発掘良品アリガトウ~)



このネーミング、「あんまりだろう…」と思っていたが、観てみて納得!



もう、この人を観てしまった後では、セクシーだと言われていた、ブリジッド・バルドーもマリリン・モンローも、全てのセクシー女優たちは霞んでしまう。



見よ!コレを!!



これは、まるで《 ロケット 》!!



今にも某アニメのようにミサイルでも発射しそうである(笑)。




腰も、太股も、ドド~ン!

これぞ、魅惑のダイナマイト・ボディー。



この迫力あるボディーに対して、お顔も何て可愛らしくて綺麗な事か。



もう、もう、いっぺんで好きになってしまった《 シルヴァーナ・マンガーノ 》様である。




この映画にしても、観る前は、(稲作だとか、米作りだとか、こんな地味な主題が映画になるの? 映画になっても、どうせ、つまらんシロモノでしょ?)と思っていたらとんでもなかった。



超面白い!



犯罪ドラマであり(無くなった宝石は何処へ?)、2組の男女のメロドラマであり、イタリアの過酷な米作りを知る事も出来るという、何とも形容しがたいような映画である。





腰が痛くても、雨に打たれても、女たちは懸命に働き続ける。



一粒の米が出来るのは、女たちの流した汗と涙から……。



これを観れば、毎度毎度頂くご飯なんて、農家の方々に感謝せずにはいられません。





そして、やっぱり、シルヴァーナ・マンガーノ。

この人が映ると、どうしても目はそちらを追ってしまう。





これを、この肢体を、当時の人たちは、どういう想いで見ていたのか……




まだまだ戦後で、食べる物にも事欠くような時代。

みんなお腹を空かせていては、ガリガリだったはずだ。




そんな中に、このシルヴァーナ・マンガーノが、ドドーン!と目の前に現れれば、そりゃ、見た目のビジュアルは相当な破壊力だっただろう。




《 原爆 》並の破壊力……酷いネーミング・センスだが、分かるような気もする。




スレンダーがトレンドの現代、女性たちは体重を気にしながら、こぞってダイエットにいそしんでいるが、男の自分からしたら少しふっくらしてる方が充分に可愛いと思う。



男は女性の《 丸み 》に安心感や安らぎを感じて、惚れてしまうのだ。



シルヴァーナ・マンガーノ様は、そういう意味でも、当時、世の男たちの女神(ミューズ)だったのだろう。



私も今更ながらフアンになってしまいました。(マンガーノ様の他の映画も探してみよう、っと!)

星☆☆☆☆。

2020年8月2日日曜日

映画 「卒業」

1967年 アメリカ。





その大昔、ハリウッドのスター・システムなるモノが存在していた。



男は高身長の美男でなければならない。

女はスタイルの良い美女(ブロンドなら尚よろしい)でなければならない。



男も女も、とにかく見栄えが最優先。



そうでなければスターには到底なれなかったし、ましてや主役なんてもってのほか。(ゆえに面食いの私が、好きな俳優、女優は40年代、50年代に偏ってるのだが)



だが、そんなスター・システムも60年代から徐々に崩れていき、70年代には、ほぼ無くなってしまった。


そうした60年代終わりに、この『ダスティン・ホフマン』も出てくる。




最初この人を観た時、失礼な話、

「ゲゲッ!何てチンチクリンな男!」ってのが正直な感想だった。



身長167cm。しかも胴長、短足、おまけに撫で肩ときている。




低い身長でもバランスが取れてる俳優は、もちろんいる。


例えばトム・クルーズなんて、たった170cmだが、胴の長さ、足の長さ、全体のバランスは均等にとれている。


チンチクリンなんて誰も思わない。



この二人が共演した、『レインマン』で並んだパッケージを観た時、ことさら、ダスティン・ホフマンのチンチクリンさをあらためて痛感してしまった。


わずか3cmの身長差でも、なんでこんなに違うのか。


デカイ縦長の顔に、小さな目。

それに超デカイ、おもいっきり鷲鼻の鼻(鼻穴も縦)。

かたく結んだ薄い唇。尖ったアゴ。



もう、全体的に見てもアンバランスなのである。




自分の容姿がマズイ事に本人は気づいていただろうか?……もちろん自覚していたと思うのだが。


いくらハリウッドのスター・システムが崩れたからといって、こんな容姿の俳優が、おいそれと、簡単にスターになれるはずもない。


オーディションを受けても、受けても落とされる日々だったろう。

そうして、このタイプが、最後に行き着く考えは、やはり、「舞台から始めて、コツコツと演技の実力をつけること」なのである。



長い下積みを得て、舞台での実績をつけると、やっとチャンスは、向こうからやって来た。



映画『卒業(1967年)』に抜擢。映画は大ヒットした。(サイモン&ガーファンクルの『サウンド・オブ・サイレンス』は名曲中の名曲だし)



でも、大人になって、初めて、この映画を観た私は、やっぱり変な違和感しか感じなかった。






大学卒業を前にした『ベンジャミン』(ダスティン・ホフマン)は久しぶりに実家に帰省した。


そんなある日、パーティー会場で、父親の仕事のパートナー・ロビンソン氏の奥さま『ミセス・ロビンソン』(アン・バンクラフト)に誘惑されてしまう。(いわゆる不倫関係ね)


ズルズルと関係を続けるベンジャミン。



心配した両親は、幼なじみの『エレーン・ロビンソン(ロビンソン夫妻の娘)』(キャサリン・ロス)を紹介。(なんて身近なところで)



エレーンに段々惹かれていくベンジャミン。



でも、ミセス・ロビンソンは当然面白くない。

「エレーンと別れないなら、エレーンに私たちの関係をぶちまけてやる!」と息巻く。(娘に嫉妬して張り合う母親)




しょうがなくエレーンに全てを打ち明けたベンジャミン。


当然、エレーンの反応は「最低!出ていって!」だった。




エレーンは衝動的に別の男との結婚を決意する。



でも、エレーンへの気持ちをあきらめきれないベンジャミン。

エレーンも、また揺れる気持ちを抱えている。




そして迎えた結婚式の当日。

ベンジャミンがエレーンを連れ去りにやってきた。


「エレーン!エレーン!」


手に手をとって、教会から逃げ出す二人。

映画はこんな風に終わるのである………。




前述に書いた事を見てもお分かりのように、全然イケメンじゃないダスティン・ホフマン。


それを、母と娘が親子丼で、競って奪いあうなんて、なんかおかしくないですか?




キャサリン・ロスの身長は166cmでホフマンと1cmしかかわらない。

アン・バンクラフトなんて、女性ながらも173cmもあるのだ。



こんな女たちが、よりにもよって、何でこんな小さな男に夢中になるのか?(誰か教えて!)
……絵面からしても、「ん~ ……」全然納得いかなかった。




この映画って、名曲『サウンド・オブ・サイレンス』の雰囲気に、だいぶ助けられていると思うのだが、どうだろう?




でも、こんな自分の感想とは裏腹に、映画はヒットして、ダスティン・ホフマンはキャリアをスタートさせる。



やっぱり熱烈なフアンはいるんだろうなぁ~。


そうでなければ、こうして何年も生き残れるはずもないのだから。(私自身は、繰り返すが、あんまり好きじゃないけど)




それでも、私の好きな俳優たちと共演しているホフマン。


今後も避けてとおるわけにもいかず、たま~にホフマンの映画を取り上げないわけにはいかないはずだ。(その場合は、たぶん辛口になるだろうが)


『サウンド・オブ・サイレンス』の名曲に、星☆☆☆である。