2019年1月30日水曜日

映画 「ガス燈」

1944年 アメリカ。






19世紀も終わりの頃、霧深いロンドンの夜に、歌手のアリス・アルキストが、自宅の応接間で何者かに絞殺された。


この悲惨なニュースは瞬く間に広がり、邸宅の周りには、そこら中、野次馬だらけ。


アリスと一緒に暮らしていた姪の『ポーラ』(イングリット・バーグマン)が、遺体の第一発見者で、あまりのショックで憔悴している様子だ。


そんなポーラを乗せて、馬車はロンドンを離れていった。





―  それから10年後。


いまだ犯人は見つからず、事件が人々の記憶から薄れていった頃、声楽教師『グアルディ』に預けられたポーラは美しく成長していた。


「どうしたんだ?!、ポーラ!歌に心が入っていないぞ!!」

グアルディのレッスンをうけながらも、心はそぞろのポーラ。


ピアノ伴奏の『グレゴリー・アントン』(シャルル・ボワイエ)が部屋を出ていくと、残されたポーラに、グアルディは続けて問いかけた。


「この歌は、悲劇なのに、君は理解していない!、いや、理解しようにもできない感じだ。なんだか嬉しすぎて…」


ポーラは、はにかみながら黙っている。


「……もしや、誰かに恋しているのかね?」


ズバリ言い当てられて、ポーラもあっさり白状した。



ポーラの、今までの不遇を知っているグアルディは、素直に祝福してくれた。

「幸せにおなり、ポーラ…」



屋敷を出ていくと、ポーラの意中の相手が、そこで待っていてくれた。

先ほどのピアノ伴奏者のグレゴリーだった。


「結婚してくれるね?ポーラ」

「ええ、もちろんよ。でも貴方と知り合って、まだ半月だし……、結婚する前に一人で旅行に行きたいの」

求婚に、飛び上がるほど嬉しいポーラだったが、ちゃんとした冷静さも持ち合わせていた。


『イタリアのコモ湖に行って、ゆっくりこれからの事を考えてみよう…』




次の日、旅行の為に列車に乗ったポーラ。


隣の乗車席では、老婦人が腰掛けて、推理小説を読んでいる。


ときおり「おや!」「まあ!」と声をあげながら読んでいたが、隣のポーラに気づくと、根っからお喋り好きな婦人(メイ・ウィッティ)は、話しかけてきた。(あっ!ヒッチコックの『バルカン超特急』のミス・フロイだ!)



嬉々として話す婦人のお喋りは、もう止まらない。



「私、ロンドンに住んでるのよ。そういえば10年前、近くの家で、ほんとの殺人事件があったのよ」

蒼白になるポーラ。



そんなポーラに気づくことなく婦人の話は、淀みなく続いてゆく。

「家はロンドンのソーントン広場のそばでね、遺体は絞め殺されていたんですって!、いつか屋敷の中を覗いてみたいわ。うちはその近所なのよ」


列車が、駅に着くやいなや、ポーラは荷物を降ろして、この場から一刻でも逃げ出したいように、「もう降りないと…」と一言だけ言うと、飛び降りた。



だが、下車した目の前には、あのグレゴリーが待っていたのだ。(ちょっとゾッ!とする。何なんだ?この男?!)


「怒った?」グレゴリーの問いかけを制するように、ポーラは抱きついた。




その夜、二人は月明かりを見ながら語り合っていた。


「ぼくの夢はいつか結婚してロンドンに住むことなんだ」

なにげに言ったグレゴリーの言葉に、ポーラは、しばらく黙っていたが、やがてポーラがきりだした。


「貴方の夢を叶えてあげるわ」と……




かくして、二人は結婚して、ロンドンのソーントンへとやってきた。


10年ぶりの邸宅。


鍵をまわし、扉を開くと、ポーラは重々しい空気を肌で感じた。


まがまがしい雰囲気に気圧されそうになりながらも、ポーラはグレゴリーと共に屋敷の中に、ソロリと1歩ずつ進んでいったのだった……






若妻ポーラが、戻った邸宅で精神的に追いつめられていく心理サスペンス。


監督は、『マイフェア・レディ』など女性を綺麗に撮る事で有名なジョージ・キューカー


それゆえか、この映画のイングリット・バーグマンは、絶頂期もあっただろうが、とにかく美しく撮られております。



そして、この作品で、見事、アカデミー賞主演女優賞まで授賞している。


もちろん、美しさだけで賞がとれるものでもなく、バーグマンの演技も素晴らしいのだけど。




冒頭のプロローグ、読んで頂ければ、シャルル・ボワイエを全身全霊で愛しているのが分かると思う。




それが、ロンドンにやってきてからは、グレゴリーがプレゼントした、母の形見のブローチを無くしたり、次々、物が無くなったりと、不審な事件が頻繁に起こりはじめてくる。


『私は気がおかしくなっているのでは……』

という不安や焦りにさいなまれるポーラ。

そんな様子をイングリット・バーグマンは、巧く演じているのである。




※ネタバレになるが、勿論、犯人は夫の『グレゴリー』(シャルル・ボワイエ)で、彼がポーラを精神的に追いつめる為に仕掛けた、小細工の罠なのである。



シャルル・ボワイエ演じるグレゴリーは、今でいうモラハラ、パワハラ夫の典型である。


このグレゴリー、ポーラの失敗を直接的には責めたりしない。


声を荒げたり、決して怒鳴ったりもしないのだが………その分、人の心の隙間にそっと入り込んで、不安感を埋め込むのが、ゾッとするくらい上手なのだ。(本当に気味が悪いくらい)


「不注意だぞ、ポーラ」

弓なりになっている片眉をあげながら、見下した表情は、それだけでも相手にとっては効果的なのである。


物が無くなっても、直接は、ポーラを責めたりしないで、まずは家政婦やメイドを呼び出して疑るふりをするグレゴリー。



はては、聖書まで持ち出して、一人、一人に手を置かせて宣誓までさせるのだから、もう、目の前で、それを見させられているポーラは、たまらない気分になってくる。(本当にムカツク嫌な野郎である)




しまいには、この状況に堪えられないポーラは、

「もう止めて!私が無くした事にしてちょうだい!」

なんて言う始末である。



人の感情や状況を、巧くコントロールして、自分の思うがままに利用する……

こんな男こそ、身近にいれば寒気がするくらい恐ろしいものである。


夜ごと、窓から見えるガス灯の明かりが薄暗くなったりするのもグレゴリーの仕業なのだが、神経を苛まれているポーラは、「本当に自分はおかしくなってきたのかも……」なんて思いはじめる。(ガス灯の明かりの調整なんて、大変な労力である。よ~やるよ)



だが、こんな恐ろしいグレゴリーも、ロンドン警視庁から、捜査にやってきた敏腕の『キャメロン警部』(ジョセフ・コットン)によって、化けの皮が剥がれる時が、やってくる。




キャメロンが、半端、幽閉されているポーラの元にやってきて、


「貴女は狂っていない!、貴女は正気です!」

と励まして、悪党グレゴリーの正体を暴きたてるのだ。(この映画のジョセフ・コットンは、とびきり格好いいです。ヒーローしております)


悪党グレゴリーを取り押さえて、全てを白状させるキャメロン警部は、痛快である。



そして、化けの皮が剥がれて椅子に縛りあげられたグレゴリーとポーラの最後の対面。



この場面こそが、イングリット・バーグマン、最大の見せ場なのである。



果たしてポーラはどうするのか?


激昂するのか?泣き叫ぶのか?



楽しみの為にここは伏せておきたいと思う。



星☆☆☆☆。


「結婚するなら、相手の中身をキチンと見極めることが、まず大事!」


こんな教訓が、まず浮かんでくる映画である。


※〈蛇足〉メイド役で若き日のアンジェラ・ランズベリー(ジェシカおばさんの事件簿)が出演しておりました。たま~にある、こんな発見も、また楽しい。

2019年1月27日日曜日

映画 「最強のふたり」

2011年 フランス。





夜半のパリ街を車が猛スピードで、走っている。

前の車の間をすり抜けながらも、加速し続けて、メーターの針は、180キロを越えた。




案の定、パトカーに追われ車は停止した。

「手をあげろ!」取り囲んだ警察が、車から出た黒人のドリス(オマール・シー)を車のボンネットに押さえ込む。


「助手席の男も出るんだ!」警察が叫ぶが、助手席の髭面の男は、微動だにせず、荒い息を吐いている。


「その人は障害者だ!、車にはステッカーも貼ってあるし、車椅子だって積んでいる。雇い主が発作を起こしたんだ」ドリスが叫ぶ。




警察が助手席の男を見ると、荒い息使いはひどくなり、口から泡を吹きはじめた。

「その人が死んだらあんたらのせいだぞ!!」

警察は、オロオロしはじめ、「よし!我々が救急病院まで先導します」と言い、ドリスも解放され、車に乗り込んだ。



助手席の男フィリップ(フランソワ・クリュゼ)は、ケロッとしている。


二人は笑い会うと車は、パトカーの先導で、再び走り出した。


車の中では、アース・ウィンド&ファイヤーの「セプテンバー」が大音量、ノリノリの二人は夜半のハイウェイを進んでいく……。






大富豪フィリップと介護人ドリスの、生まれも育った環境も違う二人の友情物語。



実話をベースに映画が作られ、瞬く間にヒットした。




でも、これをコメディのジャンルに入れていいのか、いささか疑問である。

多少は、笑いところがあっても、取り扱っている内容は切実だからだ。





主人公ドリスは、移民で、狭い団地の住宅に、母親と沢山の兄弟たちとひしめき合って暮らしている。(いつも思うのだが、なぜ?貧乏なのに子供をたくさん作るのだろうか)


そんな暮らしに耐えられず半年くらい、フラッといなくなったり帰ってきたり。(母親も「出ていけ!」と追い出しにかかる)




宝石泥棒で前科もある。

現在は失業保険で暮らしているが、給付期間がそろそろ終わりそう。

その前に、引き続き貰えるよう、3ヵ所の雇い主からのサインを貰いたいだけ。

「こんな、無学で、黒人で、移民の自分を受け入れて雇ってくれるところなんて、どこにもない」とはなから諦めている。



このシビアーな背景は、いくらドリスが、「クール&ギャング」や「アース・ウィンド&ファイヤー」の音楽が好きでも笑えない。




ドリスは、たまたま富豪のフィリップのきまぐれで世話係で雇われたが、他の兄弟や同じ様な仲間たちは、仕事もなく希望もなく、いずれは犯罪者に身を落としていくと思うのだから……。


フランスに限らず、他国の者が、移民としてやってきて、他の国で職を求める事の難しさ、困難さ………。





障害者のフィリップにも同情するが、大富豪ゆえに、それも、ドリスの暮らしてきた境遇と比べるとあまりにも恵まれすぎていている。




このフィリップという男、妻が死んだ後も、ひとり娘を省みず、事故で四肢麻痺になってからも、秘書に文通相手の手紙を書かせたりしていて、自分の事ばかり優先させていて、なぜか好きになれなかった。




人生は良い事ばかりじゃない。


人が羨む贅沢な暮らしには、いつか、必ず、それにあった代償を払う時が、きっとやってくる。


貧乏人のひがみに思えるだろうが、自分は、そう思っている。




映画のラストも余りにも出来すぎていて、自分には気に入らなかった。
(まだ見ぬ文通相手とフィリップを引き合わせるドリスなど……。)




それよりも、娘との関係の修復や、今まで、自分を支えてくれた周りの人々の優しさに気づいて、変化してほしかった。




ドリスの為といって、ドリスを解雇した後、来てくれた看護人たちに対するフィリップの態度をみれば、分かると思うが、彼自身は、何も心の成長が見られないのは明らかだからだ。



具合が悪くても、新しい介護人に、心を開かず追い払い、苦しみに耐える姿は、一見可哀想にもみえるが、只のへそを曲げた子供のようにも見えて、ガッカリしてしまった。



結局、使用人がドリスを呼び戻してしまう。



自分の意識が変わらなければ、周りも変わらない。


ドリスの介護を受けている間、フィリップはいったい何を学んでいたのだろう…。



映画は星☆☆です。

この映画が好きな方には、ごめんなさい。

2019年1月26日土曜日

映画 「PARKER / パーカー」

2013年 アメリカ。






オハイオ州ステートウェア。


晴天の広大な遊園地では、大勢の人々が集まってくる。

催し物も、パレードやミスコン、豚の徒競争などなど…幅広い。

そして、そんな大勢が集まる場所には、当然、たくさんの『』が集まってくるのだ。




遊園地の集金所から、ひと騒ぎをおこして、まんまと金を奪った『パーカー』(ジェイソン・ステイサム)と一味たち。


パーカーは泥棒稼業を生業にしている。


仲間とパーカーたちは、仕事が終わると分散して、それぞれバラバラに逃げた。





そうして、しばらく車を走らせて、待ち合わせ場所の廃坑に行ってみると、先に『ハードウィック』という若い男が待ちかまえていた。


それを見つけて、途端に怒りの表情に変わるパーカー。



ハードウィックに詰め寄ると、

「何で計画通りにしなかった?!火をつけるのは、家畜場のそばのはずだ!」

と怒鳴り付けたのだ。


ヘラヘラ笑いで、少しも悪びれてもいないようなハードウィックは、「ハハ!ちょっとだけアレンジしたのさ」と言う。


「ふざけるな!関係のない死人を出すとこだったんだぞ!」

泥棒が正業でも正義感のある(ややこしや)パーカーは、ハードウィックを有無も言わせず殴り付けた。




誰も傷つけずに、仕事はスマートに!

それがパーカーの仕事の流儀なのだ。



そんな風に、二人が言い合いをしていると、残りの仲間たち3人も遅れてやって来た。

揃った5人は車を乗りかえると廃坑を後にする。




しばらくすると、ワゴンは町を離れ、閑散とした田園の公道を走っていた。


運転する黒人の『カールソン』の横で、ピエロの変装を拭きながら、スキンヘッドで太っちょの『メランダー』(マイケル・チクリス)が、
「うまっくいったぜ」と上機嫌な声をあげた。


後部座席には、『ロス』という男、ハードウィック、パーカーの3人が乗っているが、先程のいざこざで険悪なムードがプンプン匂っている。


メランダーは、そんな事におかまいなしに、
「なぁ、俺に提案があるんだが、この金を元手に次の大きな山をやらないか?」と持ちかけてきた。


パーカーは、自分の取り分をキチンと貰いたいとだけ主張する。(いかにも「これ以上、こんな奴らと組めるか!」って様子)


「こんなはした金じゃ、家しか買えねぇぜ!、なぁ、やろうぜ、パーカー!」


だが、パーカーは拒否して首を縦にふろうとはしない。



しだいに、メランダーの顔つきも変わり始めてきた。




メランダーは、助手席で銃を取り出した。

パーカーも殺気を感じて、直ぐ様、応戦した。




ワゴン内に響きわたる銃声と殴り合い。



運転手のカールソンは、流れ弾に耳を撃たれ、「ギャアー!」と悲鳴をあげた。


車は蛇行し、走るワゴンの後部座席から、パーカーが投げ出された。




血だらけで道路にたおれこんだパーカー。

車を止めたメランダーは、ハードウィックに「さっさと、とどめをさして来い!」と命令する。


車を降りたハードウィックは、パーカーに向けて引き金をひくと、そのまま蹴りあげた。


パーカーの身体は土手を転がり落ちて、道路下の川へと沈んでいく。

残りの4人は、清々した顔で、すぐさま立ち去っていった。




だが、パーカーはとことん運の良い奴。(何しろ主人公なので)

銃で撃たれようが決して死なないのだ!(なんでやねん)



しばらくすると、親切な農家のトラックが通りかかって、トラックに乗せて病院へと運んでくれた。

「大丈夫か?!しっかりするんだぞ!!」



遠のく意識の中、パーカーが再び目覚めると、病室のベットの上。


( 俺は助かったのか …… )


とりあえず安堵したパーカー。

だが、次の瞬間、パーカーの目は、自分を殺そうとした奴らへの復讐を決意する!


(この怨み、はらずにおくものかぁ~ …… )



復讐劇の始まり、始まりであ〜る。







みんな大好きジェイソン・ステイサムの映画。


「MEG ザ・モンスター」があんまりにも面白かったので、もう一本あげたくなりました。


悪党だが、自分の流儀を守り、弱い者からは奪わない(車は盗むが)パーカーシリーズは、小説家ドナルド・E・ウェストレイク(別名リチャードスターク)によって書かれ、60年代に颯爽と誕生した。





このパーカーシリーズは、20作あり、これまで何度も映画化されています。


有名なのでは、

●「殺しの分け前/ポイントブランク」1967年 主演リー・マーヴィン

●「ホット・ロック」1972年 主演ロバート・レッドフォード

●「組織」1973年 ロバート・デュヴァル

●「ペイバック」 1999年 メル・ギブソン


などなど…他にも色々な映画があるみたいです。


このパーカーの性格と単純明快なストーリー運びが、よっぽどアメリカ人に共感されてるんでしょうね。



そして、ジェイソン・ステイサムによって、何十年ぶりに映画化されたパーカー。



子供にぬいぐるみをプレゼントする為に射的をしてくれるパーカー。


不動産屋で働いていて、偶然、事件に巻き込まれる『レスリー』(ジェニファー・ロペス)と命を救ってくれた農家には、大金を、ポン!と、プレゼントする太っ腹なパーカー。

こんなパーカーは、心底の悪党ではない。




このパーカーの資質が、なんだかピッタリ、ジェイソン・ステイサムに合っているようにみえて、自分としてはシリーズ化してもいいように思うのだが。




完璧で非情な殺し屋を演じた『メカニック』も、それはそれで良かったのだが、このパーカーや『キラー・エリート』、『トランスポーター』のように女性や弱い者を守りながら(それが足枷だろうと)闘う方が、自分は好きである。


それらを簡単には、切り捨てられず、所詮非情にはなりきれないヒーロー像でこそステイサムは、光輝くと思うのだ。(頭も)



この後、自分をメッタメタにしてくれたメランダーたち悪党への復讐は、いつものステイサム節で痛快!爽快!



映画は星☆☆☆。

これも安定のステイサム映画の1本としてオススメしておく。



2019年1月20日日曜日

映画 「MEG ザ・モンスター」

2018年 アメリカ、中国合作。






深海に深く沈んだ原子力潜水艦。

レスキューチームが向かい、救助潜水艦と合体接続させると、繋ぎ合わせたハッチを開いた。


リーダーの『ジョナス・テイラー』(ジェイソン・ステイサム)は、生き残っている者を捜しに、率先して救助に降りていく。


だが、突然、巨大な何かが体当たりする強い衝撃が、原子力潜水艦を襲う。


たちまち、艦内に流れ込んでくる大量の水。

「ここは、もう持たない!」

ジョナスは、救助潜水艦に戻ると、接続ハッチを閉じようとする。


「待て!ジョナス!まだ8名残ってるんだ!」

医師のヘラーが叫ぶ。

だが、そんな制止を振り切り、ジョナスは、ハッチを閉じると救助潜水艦を急浮上させた。




なんとか無事に帰還できた11名とジョナスたち。


だが、8名を死なせてしまったジョナスの『巨大な生物説』を誰も疑い信じなかった。


それどころか、恐怖のあまり錯乱して幻を見た、とまで言われる始末。

ジョナスは、落胆し、チームを去った。





―  それから数年後、中国の海に浮かぶ大規模な海洋研究所。


研究者のジャン博士の下、様々な海のエキスパートたちが集められ、深海のまだ底、人類がたどり着いたことのない未開の領域といわれる探査が始まっていた。


ヘリコプターで、実業家で研究の投資家でもあるモリス(レイン・ウィルソン)もやってくる。(毎度、この手の金持ちは、素人のくせに、大金をちらつかせて、なんにでも首を突っ込んでくるなぁ~)


ジャン博士の娘でクルーの、スーイン(リー・ビンビン)とスーインの小さな娘メイインが出迎えた。(研究所に、こんな小さな子供が居ていいの?、まぁ、可愛い子だけど)


研究所内には、船医として、あのヘラー医師、腕に刺青たっぷりのキップのよい白人女性ジャックス、黒人の恰幅のよいお喋りなDJ、ニュージーランド人の冷静なマックなど、多様な人々がいた。



探査機には、ジョナスの元妻ローリー、髭面の中年ウォール、日本人トシ(マシ・オカ)が乗り込んだ。



探査機「オリジン号」は、3人を乗せて、どんどん沈み、やがて深海の底に到達した。



海の内情を知るため、次々、ライトを落とすオリジン号。

その時、オリジン号に巨大な生物が体当たりしてくる。

探査機は、破損し動かなくなり、地上と通信も途絶えてしまった。



地上の海洋研究所のジャン博士とクルーたちは、数年前、ジョナスが言っていた『巨大な生物』の存在を思い出した。
深海の底の探査機に取り残されたクルーたちを救うには、あの男の力を借りるしかない!(そうだ!ここで、ヒーローの出番だ!)


ジャン博士とマックは、急遽タイに飛び、ジョナスを探すのだった………。



やっと観ました。


そして、久しぶりにスカッ!とする王道の映画をみた気持ちです。





ここ最近のハリウッド映画の中でも断トツ面白かった!

手を上げて「万歳!万歳!」と言いたい。(スミマセン、つい表現が過剰になります)




妙にこねくりまわして、小難しい言葉を並べ立てて、悦に入っているハリウッド映画ばかりを絶賛する評論家たちよ、この映画の良さが分からないのか?!


なにが評価B+だ!なにが「B級映画」だ!

頭ガチガチで、感覚自体がおかしいんじゃないのか?

こういう映画を、超A級と思わないで、楽しめない人たちとは、決して友達にはなれない!
(ハァ、ハァ)と、力いっぱい力説しておきます。






巨大なサメ「メガトロン」のど迫力もさながら、やはり、ジェイソン・ステイサムに感心してしまった。


これだけ、個性豊かな脇役たちを牽引して、その中でも特別な輝き(オーラ)を放っている。

水泳の飛び込み競技の選手だったステイサムの泳ぎは、海の中でもひときわ際立つ。


水の中は、元々、彼の守備範囲(テリトリー)なのだ。

サメに追われながらも、他の俳優たちが、決して真似できない、まるで水を得た魚のような華麗な泳ぎを見せてくれる。




リー・ビンビンや子役の子も可愛い。


他のクルーたちも変な奴は、全然いない。

皆が一丸となって団結して、巨大サメに立ち向かっていくのだ。




この映画、企画があがっても、何度も何度も頓挫して、ようやく完成したらしいが、まったかいがあるというものだ。

とにも、かくにもこれを傑作といわず、何を観て傑作というのか。

是非、是非観て欲しい映画です。

2時間楽しめる事請け合いです。

星は☆☆☆☆☆です。



2019年1月18日金曜日

映画 「ワイルドシングス」

1998年 アメリカ。







フロリダ州の高校教師『サム・ロンバート』(マット・ディロン)は、指導の一環として、講堂に学生たちを集めて、講義を始めた。



議題は、《性犯罪》について。


集められた生徒たちから、「ヒュー!ヒュー!」だの、からかうような野次や、口汚い言葉が飛び交う。



壇上に立つサムの横には、特別顧問として呼ばれた、ブルーベイ警察の『レイ・デュケ』(ケヴィン・ベーコン)と『グロリア・ペレス』が鎮座していた。


二人とも、馬鹿な生徒たちの反応にいささか憮然とした顔をしている。



そんな中、女生徒の一人が、「あ〜馬鹿馬鹿しい」と言って立ち上がった。

見るからにヤンキー然とした不良少女の『スージー』(ネーヴ・キャンベル)は、そのまま会場を出ていった。




その日の放課後、ヨットハーバーで、ヨットクラブの顧問もしているサムは、男子高校生と部活の後片付けをしていた。


そこへ現れたのは、いかにも色気ムンムンの女子高生『ケリー』(デニス・リチャーズ)である。


「ねぇ~ん、先生の車で家まで送ってくれない?」

ケリーが甘えた声で囁く。(いかにも下心丸見え)



サムが車で送ってあげると、またもや、ケリーが「今度先生の車を洗車してあげるわね」と言い残して去っていった。




次の日、早速、そのケリーがサムの家にやってくる。


ホースで車を洗いながら、Tシャツはビチョ濡れ、形のいい胸がくっきり浮かび上がる。(これ、わざとだろ)


「いや〜ん、あ〜ん」なんて黄色い声をあげるケリーなのだが……


おや?しばらくすると、サムの家から走り去るケリーの姿があったのだった。




それから数日がたち、ケリーの母親が、真っ昼間から、ベットで若い男の上に馬乗りになって、「アへ!アへ!」あえいでいる時、一本の電話がかかってくる。(この娘にして、この母親ありだ)



電話は学校からで、娘のケリーが全然、学校に登校していないというものだった。



自宅に帰り、母親がケリーに問いただすと、ケリーは

「サム先生にレイプされたのよ!」と泣きながら告白した。


怒りの母親は、すぐさま警察にサムを訴えた。



警察はサムを逮捕するが、サムは

「俺はそんな事をしていない!無実なんだ!」と主張する。



この教師が女子高生をレイプした事件は、マスコミで、たちまち大々的に取り上げられ、町全体を揺るがすニュースとして拡大していったのだった……。





90年代を締めくくるエロ&どんでん返しのサスペンス映画。



「これでもか!これでもか!」の猛烈エロシーンと、「これでもか!これでもか!」の大どんでん返しの連続である。





冒頭に書いたように、こんだけハレンチな母娘なんですもん。



サムへの疑いは、ケリーの友達で、不良少女のスージーによって簡単に覆される。


「ケリーの言ってることは、全て大ウソなのよ!」と。


娘の為に、裁判までおこした母親は大恥をかかさて(キィーーッ!)ヒステリック状態に。


そうして、サムは無実を獲得して、世間からは掌を返したように同情されるのだ。



だが、このドロドロ裁判劇には、まだ裏があって……





そう、こっから、まだドギツイようなエロシーンと、どんでん返しが繰り広げられていくのである。(これ以上は、ネタバレになるので語るのはやめとこう)




そのかわり、この映画、何気に有名な俳優たちが出ているので、そこを重点的に語りたいと思う。




始めに、



マット・ディロン…一時期は青春スターとして人気者だった彼も、最近では滅多にお見かけしなくなった。


『アウトサイダー』、『ランブルフィッシュ』なんて映画もあったっけ。


この映画では、ハンサムな教師として、複数の女性たちとエロシーンを演じています。

現在は、何してるのかなぁ~と思ったら2015年に日本に来日してました。

多少は老けたものの、当時と同じ、立派な太い眉毛は健在でした。




ネーヴ・キャンベル…代表作、絶叫ホラー・サスペンス『スクリーム』シリーズと、この映画にでた後、殆ど消えてしまった感じ。(細々と出演はしているらしいが、全く話題にもならない)






デニス・リチャーズ…こちらは最近も忙しそうだ。


007のワールド・イズ・ノット・イナフのボンドガールを務めたり、あのチャーリー・シーンと結婚して、二人の子宝に恵まれたりと。


結局、この二人別れるのだが、離婚調停中もお互い、違う相手と不倫したりと、私生活も、この映画を地でいくようなジェットコースターのような人生だ。


10代の時に、豊胸手術をした胸を、最近、手術で小さくしたらしい(この映画の胸は手術であんなにデカかったのか……ちょっとガックリ↓)




ビル・マーレイ…こんな映画にビル・マーレイ。再見するまで気がつかなかった。この映画では、逮捕されたサム(マット・ディロン)の弁護士役。






そして、最後に、



ケヴィン・ベーコン…この映画では、最初、マジメで勤勉な警察官を演じているのだが……



彼がこんなまともな役で満足するはずもない、と誰もが想像するとおりです。


安心して下さい!(なんの安心だ)この映画でも、素っ裸でフルヌード、股間のイチモツまで、堂々と晒しています。




思えばケヴィン・ベーコンの出演作は、こんなのが、ホント多い。


『告発』では、死刑囚だが、泣きながらオナニーしてるし、『インビジブル』では、透明になる前、やはり素っ裸。

『秘密のかけら』では、女性と一戦交えている時に、コリン・ファレルまで参戦してくるなどの乱交プレイなどなど……。




最近インタビューで、本人が、

「映画では、女性のヌードが多いのに、なんで男優の裸が少ないのだ!、男だって、どんどんヌードになるべきなんだ!」と熱く語ってました。


なるほど、本人の希望の露出癖だったんですね。(納得!)





この面々が挑む映画がまともなはずはない。


なんにしても、欲望丸出しのこの映画、観る時は、どうぞお覚悟を!と注意しておく。

星☆☆☆

2019年1月16日水曜日

映画 「恐怖の報酬」

1953年 フランス。






ベネズエラのラス・ピエドラス。

あちこちの国から流れてきた不法移民たちが、集まる場所。



今日も道路に、酒場にと、昼間から何をするわけでもない連中たちで、ごった返している。


仕事もなくピザすらもたない移民たちは、こんな風に毎日をブラブラさ迷う。

金も無いので、こんな国を出ていく事さえ叶わないのだ。



その中に若い青年『マリオ』(イヴ・モンタン)の姿もあった。



今日も酒場にやってきては外のベンチにもたれ掛かっている。(他に行くところがないので)



酒場に雇われて床を雑巾がけしている『リンダ』(ヴェラ・クルーゾー)は、そんなマリオを見つけては嬉しそうにチラチラと目線をおくっている。


酒場の主人はそんなリンダとマリオを見つけては面白くなさそうだ。(「ちゃんと仕事しろ!」の怒鳴り声)




そんな時、町のそばに小型飛行機が着陸した。



そこから降りてくる一人の男。

白いスーツをパリッと着こなした、中年の紳士然とした男は、そのままタクシーに乗り込むと町までやってきた。




酒場でブラブラしていた連中は、場違いな格好をしている男の登場に「誰だ?!誰だ?!」の野次馬見物。(暇なので)



もちろんマリオも。


その男『ジョー』(シャルル・ヴァネル)も、浮浪者たちの中からマリオを見つけると、自分から話しかけてきた。



二人は同郷が一緒だと分かるとたちまち意気投合。


調子の良いジョーは、マリオにタクシー代を払う金が無いことを率直に打ち明けた。(無賃乗車じゃねぇ~か! 金も無いのに、よくタクシーに乗れるものだ)



マリオはマリオで自分も金がないのに

「俺に任せてくれ!」と安請け合いする。




で、どうするのかと思えば…………


酒場の主人をうまく騙して、まんまとタクシー代を払わせてしまうのであった……。





冒頭のあらすじは、ここまで。



というのも、この映画150分近くあるのだが、最初の1時間くらいが、マリオとジョー、町の人々の、ノンビリした日常風景が流れるだけだからである。



昔、この映画が批評家たちに絶賛され、名作と言われて、「よし!観てみよう!」と奮起して見始めたはいいが、冒頭のような、ど~でもいいエピソードで、途中「失敗した!」と思い、何度挫折しかけたことか……
(マリオとジョーが仲良くなって、マリオの同居人が変な嫉妬をしたりと、長々とこんなエピソード続く)



今の映画の、スピーディーな展開に慣れ親しんだ現代人には、最初の一時間は、とても苦痛だろうと思うのだ。(自分もそうでした)



でも、そこを乗り越えれば、映画はガラリ!と様相を変えて、途端に面白くなるので、どうぞご辛抱を。






500キロ先の油田で大火災が起こった🔥🔥。


そして、それを鎮火させるために、大量のニトログリセリンを使って、逆に「全て燃やし尽くしてしまおう!」という無謀な計画が持ち上がる。(眼には眼を、火には火を?って感じか?)




だがニトロはあるものの、専用のトラックはない。


普通のトラック2台で運ぶしかないのだ。




そして、そんな命懸けの運転をする者もいるはずもない。



ならばと、責任者のオブライエンは、

「町の仕事にあぶれている労働者たちに、報酬2000ドル💰で募集をかけよう!」

と提案した。



やがて、2000ドルの大金に釣られて、来るわ、来るわ、の男たち。


だが、少しの熱や衝撃で

「ドッカーン!!💥」

と爆発するニトロの破壊力に怖じけづいて、殆どが帰って行く。(無理!無理!)



最終的には、マリオ、ルイジ、ビンバ、スメルロフの4名の男たちが選ばれた。(中年のジョーも名乗りをあげるのだが補欠)




そして約束の集合時間、スメルロフだけ来なかった。


代わりにひょっこり現れたのは、あのジョー。(自分が仕事にありつくために、ボッコボコに痛めつけたと思われる)




マリオとジョー、ルイジとビンバが、それぞれペアを組んで、ニトロを乗せたトラックは、それぞれ、ゆっくりと慎重に走り出してゆく………




ここからが映画は怒涛のように俄然面白い。



最初にほんの数滴垂らしたニトロの爆発的な破壊力を見せているので、舗装されていないガタガタ道をトラックが進むだけでも怖いこと、怖いこと。



4名が進む道には、「これでもか!」というくらい次から次へと災難が降りかかる。



細い崖の道を進んだり、崖に突き出た腐った木材の足場で落ちそうになりながらも、ギリギリUターンしたりして ……


道路の真ん中に巨大な岩石が落ちていて道を塞いでいたり。(他に安全な道はないのか…)



最初、あれだけ伊達男を気取って、マリオに兄貴風をふかせていたジョーは、メッキがとれて、あまりの恐怖にガタガタと震えだしてしまう。


運転をマリオに変わってもらい、しまいには、その隙をみて逃げ出す始末だ。



マリオはマリオで何かに取りつかれたかのようになりジョーを追いかけていって、連れ戻すとボッコボコ。

鬼の形相をして痛めつけたりする。




しまいにはジョーは、「オ~イ、オ~イ!!」泣き出してしまうのだ。(あんだけ強気のオッサンだったのに)




マリオとジョーの力関係が逆転するのである。(あ~、それで、前半に長々とあんなシーンに時間を割いたのか……と、ここで納得)




こんな、次から次に襲いかかってくる困難やドタバタ続きの旅。



そしてニトロは無事に目的地に届いたのか、誰が最後に笑うのか、………それは、ここでは語らないでおこうと思う。



映画は傑作です!



但し、最初の1時間だけを我慢して最後まで観終えてこその感想です。




普段隠してある本性もギリギリ追いつめられれば、それもあらわになる。


ニトロの恐怖を描いていても、こんな裏テーマで怖がらせてしまう特別な映画。


フランスの奇才アンリ=ジョルジュ・クルーゾーの傑作を1度はどうぞ御賞味あれ。


星☆☆☆☆☆。

※それにしても『マリオ』やら『ルイジ』やらの名前を見かけると『スーパーマリオ』を思い出してしまうのは自分だけか?(笑)

2019年1月14日月曜日

映画「らせん階段」

1945年 アメリカ。







時は1900年代初頭。

場所は、町外れの2階建てホテル。



1階では無声映画が上映されていて、集まった観客たちは、それを真剣な眼差しで観ていた。(なんせ娯楽に乏しい時代)



その中には、お金持ちのウォーレン夫人の館で女中として働いている『ヘレン』(ドロシー・マクガイア)の姿もある。



久し振りの休日を、はるばる映画を観る為に、この3キロも離れた町までやってきたのだ。



子供の頃、火事にあい両親を亡くして、そのショックで声をなくしてしまったヘレン…。


そんな彼女の唯一の娯楽が映画を観ることだった。




ちょうど同じ頃、そのホテルの2階では……


部屋の一室では足を引きずった女性が着替えをしている。

クローゼットを開けると中には幾つもの服が吊るしてある。



その奥で、異様に光る不気味な瞳……





1階の映画館に何かが倒れこむような「ドスン!」という鈍い音が響きわたった。



「何だ?何だ?!」

支配人が、すぐさま階段をかけ上がり、2階の部屋のドアを開けると、そこには………


たった今、首を絞められて殺されている女性の遺体があったのだった。



しばらくして警察が来るとホテルは大騒ぎ。


「皆さん、もうけっこうです!帰ってください!!」人々もその声に、やっと散り散りになって帰って行く。



残った警察たちは、ため息。

「もうこれで3件目だ。《障害者》ばかりを狙った殺人……」






ヘレンも遠い道のりを、屋敷に向けて帰り出した。

そこへ馬車が通りかかる。


「ヘレン帰るんだろう?乗っていきなさい」

町の若い医者『バリー』だった。



馬車に揺られながら、バリーが手綱をさばく横でヘレンはソワソワと、なんだか落ち着かない様子。(バリー医師の事が好きなのがバレバレ)



バリーも、また、ヘレンの事を愛していたのだが、医者として彼女の病気のことを何とかしてやりたいと思っていた。



「諦めるのは早いよ。 今は医学が進歩しているんだ! ボストンの町に行けば、きっと良い病院が見つかるはずだよ。」


バリーは、熱心にヘレンを励ましてくれるのだが、当のヘレンは、どこか諦め顔である。




しばらく馬車が進むと、通りに男の子が一人飛び出してきた。


「バリー先生、父さんの具合が悪いんだ!お願いだから来てくれよ!」

バリーは馬車を止めて「仕方がない」と言うと、ヘレンが馬車から降りて、男の子を代わりに乗せた。



「後で屋敷に行くよ」そう言うとバリー医師は去っていった。



館までの帰り道を再び一人歩きだしたヘレン……






空は薄暗く、何だか雲行きがおかしくなってきた様相だ。


そして、いきなり強い勢いで雨が降りだした。



館まで少しの距離だったので、急いで走るヘレン………それを離れた木々の間で、じっと見つめている先程の《殺人犯》。(ゲゲッ!いつの間に)



ずぶ濡れで館に入ると、女中の一人がタオルを渡しながら、「急いで奥さまのところへ行ってちょうだい」と言う。


外は瞬く間に嵐になって、雷鳴が鳴り響いている。



そんな二人の耳にガタン!という物音が聞こえた。



行ってみると裏窓が開いていて風が木戸を揺らしている。

「変ねぇ~、ちゃんと戸締まりしたはずなのに……」




この広い館には、年老いたウォーレン夫人と、女中以外にも様々な人々が住んでいた。


ほぼ寝たきりで始終具合の悪いウォーレン夫人の為の、付き添い『看護師』。

ウォーレン夫人の息子で長男の『ウォーレン教授』。

その秘書で美人の『ブランチ』。

そして、パリから帰省してきたばかりの次男『スティーヴン』。





ヘレンは大広間にでると、2階へと続く螺旋階段を登って、ウォーレン夫人の部屋に上がっていった。



2階の廊下には、中年の女看護師がドアの前で、椅子に鎮座してプンプン怒っている。


ウォーレン夫人に「お前は下がっておいで!」と邪険に追い払われたばかりなのだ。



ヘレンは部屋に入っていく。

そうして、後からこっそり看護師も………



案の定、『ウォーレン夫人』(エセル・バリモア)の怒声が響きわたる。

「出てお行き!!廊下にいるのがあんたの役目だよ!」


看護師は、またもやプンプン。

頭から湯気が出るような怒りの表情で、即座に出ていった。




ベッドに横になっている夫人が、ヘレンを見る目は優しい。


素直で気立ての良いヘレンを気に入っているのだ。



そんな、ヘレンを側に引き寄せると、夫人は途端に厳しい顔つきになった。

そして、いきなりこう切り出したのだ。



「お前は今夜、この館を出ていきなさい!いいね?私の言うことを聞くんだよ!、私にはわかるのさ。今夜、きっとここで恐ろしい事が起こることを……」



突然言われた、まるで訳のわからない命令……

だが、夫人の眼差しは真剣そのものだ。



障害者ばかりを殺害する事件は、夫人の耳にまで入っている。


病人の自分よりも、ヘレンの身を案じて誰よりも心配してくれているのだ。



それに、ヘレンは、素直にコクン!と頷いた。




外では、雨風がどんどん激しさを増していく………







昔、真冬の深夜に、この映画がたまたま放送されていた。


何の気なしに見始めると、ドンドン、この雰囲気に引き込まれていって、いつの間にか最後まで固唾をのんで観ておりました。




モノクロの不気味な館ミステリーなんて、条件バッチリですもん。



白黒のハッキリ浮かび上がった陰影、らせん階段に長く伸びる影など………



話は大した事なくても、この映画は、その雰囲気やインパクトのある絵面で、自分には強い印象を与えたし、たちまち虜にしてしまったのでした。




そして、今観ても、その雰囲気を充分に感じさせてくれる。


それに、モノクロ映画には独特の、オドロオドロしい恐さがあるのだ。




監督は、ロバート・シオドマク


この時代に、数々のミステリー映画を残したお方で『幻の女』や『暗い鏡』なんて映画も撮っている。




主演のドロシー・マクガイアは、グレゴリー・ペックの『紳士協定』にも出ていたっけ。


決して美人さんじゃないのだが、日本の女優でいえば、若い頃の薬師丸ひろ子に少し似てるかな?


口が利けないけど人柄だけは良い、好感の持てるヘレンを上手く演じている。(だんだん可愛く見えてくるから不思議だ)





ふっと1人きりになると、愛するバリー医師との結婚を夢見てしまうヘレン……


ヘレンの妄想は、やがて結婚式にまでドンドン進んでいき、誓いの場面となる。(あらあら、想像力豊かな娘 (笑) )




でも目の前の神父に、

「さぁ、ヘレン!誓いの言葉を!」

と、言うように迫られるも、全く声が出せないヘレンは途端にオロオロして狼狽する。



そうして、「ハッ!」と現実に引き戻される。(「所詮、自分には叶わぬ夢か……」と)




だが、こんな乙女チックな妄想もここまで。




現実は、そこまで恐ろしい《殺意》が迫っているのだ!



館では邪悪な殺人者が、すぐそばにいて、ずっとヘレンを殺す機会を「今か、今か!」と伺っているのである。





やがて、ヘレンの代わりに殺されてしまう館の住人。




恐怖して、助けを呼びたくても叫べないヘレン。



自分の不遇を呪うヘレン。



でも、「今の自分に出来ることをしなければ!」と、身ぶり手振りで館中を駆けずり回るヘレンに、いつしか観ている方も「ガンバレ!」と応援したくなってしまう。




深夜、真っ暗闇の中で布団にもぐりこんで、モノクロ映画の鑑賞もなかなかオツなものですよ。



オススメしときますね。

星☆☆☆☆☆。


※でも、病人には螺旋階段を上がった2階の部屋よりも、1階の方が良い気がするのだけどね (笑)。(余計なお世話)




2019年1月13日日曜日

映画「狼よさらば」

1974年 アメリカ。








設計士『ポール・カージー』(チャールズ・ブロンソン)は、愛する妻『ジョアンナ』とハワイで休暇をとっていた。


海辺でイチャイチャしながら、笑いあう中年夫婦。


「ずっとここに居たいわ …… 」ジョアンナがつぶやいた。





―  そうして、場所は変わってニューヨーク。

犯罪事件が後を経たない治安の悪さを連日ニュースは流している。



ハワイから帰省したジョアンナと、娘の『キャロル』は、近くのスーパーマーケットに買い物に行っていた。

気味の悪い3人組につけられているとも知らずに ……




二人が家に帰りつくと、すぐに鳴り出すインターホーン。


「スイマセン、お届け物です」

何の気なしにドアを開けると悪党どもがいきなり乗り込んできた。


ジョアンナはメチャメチャに殴られて、娘のキャロルにはレイプ魔が襲いかかる。



「やめてー!」キャロルの叫びも虚しく、悪党たちは力ずくで服を裂き、事が済むと笑いながら出て行った。(ケダモノ三人衆)




そんな事になっているとは、つゆ知らないポールは会社で黙々と仕事中。

娘婿のジャックから電話が掛かってくる。


「お義父さん、大変です!お義母さんとキャロルが …… !!」

「なんだとーー?!」

慌てて病院に駆け付けると、妻は酷い有様で既に亡くなっていた。


娘のキャロルも、レイプのショックで精神はボロボロ。


「ど、どうして?どうしてこんな事に …… 」




―  後日、大雪が降りつけるニューヨークの墓地で妻はひっそりと埋葬された。



その後、娘のキャロルは退院したが、レイプの後遺症は続いている。


娘婿のジャックが献身的に介護するものの回復の兆しは見られない状態だった。



ポールの絶望は、時間と共に怒りに変わったが、そんな気持ちをどこへぶつけてよいのやら、それをもてあます毎日 ………




そんな折、上司の粋な計らいで、アリゾナの田舎町ツーソンへの出張を命じられるポール。



《ツーソン》……自然に囲まれて犯罪も殆んどない町 ……


空港に着くと、ジェインチル不動産のオーナー・『エイムズ』(スチュアート・マーゴリン)が快く出迎えてくれた。



広大な敷地に、人が心穏やかに住めるようなニュー・タウン計画の設計をポールは依頼されたのだ。



ひと目でポールを気に入ったエイムズは、町の西部劇のショーに連れて行く。


「ここじゃ、昔の開拓時代のように皆が拳銃を携帯している。だが不思議に犯罪事件も少ないんだ」エイムズは言う。



夜間、ポールが事務所で設計をしていると、エイムズが、またもやぶらりと現れた。


「どうだい?気分転換にガン・クラブに行ってみないか?」

と誘い出したのだ。



朝鮮戦争の時、医療部にいたポールだが、死んだ父親がガンマニアという事もあって、それなりの手ほどきを受けていた。


エイムズに渡された銃を受け取ると、標的の的を射ぬくように狙うポールの目。


見事に一発で命中させると、エイムズはしこたまビックリする。


「今度はコルトを貸してくれないか?」

とポールが進んで言い出した。




次々に正確無比な射撃をみせるポール。


それは、いつしか快感に変わり、拳銃の魔力にとり憑かれた瞬間でもあったのだ …………





チャールズ・ブロンソンの傑作と言われている『狼よさらば』、久し振りに観ました。



原題は「Death Wish」。

デス・ウィッシュ=死を願う、だ。



ブロンソンの当たり役になったポール・カージーのシリーズは、その後も作られ続けて全部で5作。



近年は、ブルース・ウィリス主演でリメイクされてもいる。(こちらは設計士から外科医に変更されているが)


果たして、観ていないのでリメイクの方は成功したのかどうか ……(最近、やや落ち目のブルース・ウィリス)




70年代のニューヨークは治安の悪さが社会問題になっていた。


強盗、殺人、レイプなどは日常茶飯事。


路地裏や地下鉄では、それが毎日繰り返されていた。(近年は至るところに監視カメラができて少しは減少してきたが …… それでも【ニューヨークの地下鉄】=【恐ろしい】のイメージは今でも残っている)



そんな時代背景があったからこそ、警察ではなく、普通の人ポール・カージーが自ら悪を裁くスタイルはすんなりと大衆に受け入れられたのかな?と推察する。


「悪党は俺が裁く!狼よさらばだ!」


なるほど、ブロンソンの全盛期では、中々カッコいい台詞を吐いている。





でも、この映画にはおおいに不満もある。




てっきり銃を手にとったポール・カージーが、妻を殺して、娘をレイプした犯人3人組を探し出して、血祭りにする【復讐劇】になるかと思いきや、全くそんな展開にはならないのだ!(アレレ? …… この冒頭の「これでもか?これでもか?」の悲劇はいったい何だったの?)



ただ、自ら世直しの為に、夜にたむろするようなチンピラたちを無差別に殺すだけなのである。(???)



コレじゃ、ダメでしょ!




今、観れば、拳銃を撃つ快感を覚えたポールがストレス解消に、ただ殺しを楽しんでいるようにも見えてしまう。




悪党たちを殺すのも、普通の人ポール・カージーなら、ちゃんとした《復讐》という理由づけがほしいところ。



でも、日本では、当時のブロンソン人気と、上手い邦題のつけ方で今まで奇跡的に残っているような稀な映画なのである。


まぁ、その後も脈々と続いてゆくシリーズの第一作目として見るなら、大負けに負けて及第点。

星☆☆☆ってとこにしとくかな。(甘いか?)


2019年1月12日土曜日

映画 「三人の妻への手紙」

1949年 アメリカ。






仲良しの3人の女たちは、婦人クラブのピクニック(近所の子供たちの世話)のため、遊覧船がでる船着き場まで、それぞれ集まってきた。



ブラウンヘアの『デボラ』(ジーン・クレイン)は、農家の出だが、戦争中に海軍に入って、そこでブラッド・ビショップと出会い結婚して、3年前に、この町にやってきた。


だが、上流社会の人間たちが多いこの町では、なかなか馴染めない日々をおくっている。




ブロンドの『リタ』(アン・サザーン)は、そんなデボラを放っておけず、うまく近所に溶け込めるように、なにかと世話してくれる。


リタは、教師の『ジョージ』(カーク・ダグラス)と結婚して、双子の子持ちだが、ラジオドラマの脚本家としてバリバリ働き、ジョージの収入を遥かに上まわっている。


それゆえに、ジョージも家では、リタに頭があがらない。





そして、最後にブルーネットの『ローラ』(リンダ・ダーネル)。

太った母親と生意気な妹、それにあちこちの家で家政婦をしている間借り人で母親の友人『セイディ』(セルマ・リッター)の四人暮らし。

線路脇の家は、列車が通り過ぎるたびに、酷い揺れに悩まされていた。


ローラは、いくつものデパートを経営している社長の『ポーター』の下で働き、同時に付き合ってもいた。


でも、なかなか結婚に踏みきれないポーターを、色仕掛けで落とそうとするが失敗する。(ストッキングを破いて脚を見せたり)


だが、いざローラと別れると、ポーターは、いてもたってもいられずに家に乗り込んで求婚したのだった。(そして、いきなり大金持ちの妻)





そんな、背景をそれぞれもつ3人の妻たち。

いざ、ピクニックの為の乗船をしようという時、自転車に乗った郵便配達人が、3人宛に手紙を持ってきた。



差出人は『アディ』だ。


アディ……町一番美しく、全ての男たちを虜にしてきたアディ……。


そんなアディが今頃何の用?




3人が手紙を開く。


『デボラ、リタ、ローラ、私はこの町を去ります。 でも一人じゃない。あなたたち3人の夫の内の1人と……。』



「何なのこれ?」

「馬鹿馬鹿しい」

「冗談でしょ?ふざけてるのよ!」

口々に言う3人。



やがて乗船して船が岸を離れた。


でも3人は岸辺の公衆電話をずっと見つめている。(今すぐ電話をして夫の所在を確かめたいのだ)




デボラは、ブラッドとアディが昔付き合っていた事を知っている。『相手はブラッドなの?』


リタは、ジョージをないがしろにしてきた。そんなジョージの誕生日にアディから、レコードの贈り物が届いてきたのを知っている。『ジョージかしら?』


ローラは、ポーターが以前アディと付き合い額に入れた写真を飾っていたのを知っている。『相手はポーター?』




3人の妻たちは、ピクニックの最中も気もそぞろ。


それぞれに、今までの出来事を振り返り反芻してみるのであった……。







監督は、あの『イヴの総て』、『探偵スルース』のジョセフ・L・マンキーウィッツ



この作品もアカデミー賞作品賞、監督賞を受賞している。


次の年の『イヴの総て』と2年連続してアカデミー賞を獲った監督は、マンキーウィッツだけ。(まさにこの時期、絶好調。向かうところ敵なしだ)



そして、はじめて、この『三人の妻への手紙』を観たのだが、………さすが上手い!


やっぱりチョー面白かった!



この映画は、

「アディが『誰の夫』と駆け落ちしたのか?」

の謎解きミステリーでもある。
(人は誰も死ななくてもこれも立派なミステリーだ)




そして、恋愛映画でもあり、笑い所もちゃんと用意されている。




中でも、ローラの自宅で、母親とセイディがポーカーをしてると、電車が通る度に、振動で家中が、ガタガタ揺れて、冷蔵庫の扉がパカーンと開くシーンは、笑わせてくれる。



そんな酷い家に、ローラを訪ねてポーターがやって来ると、お決まりのように電車がガタガタ通り、またもや振動で、家中が揺れるのだが、皆が慣れたもので、シレーッとしているのに、一人ビックリ顔のポーターが可笑しい。





そして、この映画にもあの《セルマ・リッター》が出ている。(ヒッチコックの『裏窓』では看護師、『イヴの総て』のベティ・デイヴィスの世話係)



アメリカの山岡久乃みたいな名脇役のような人だ。


彼女が脇役として、出演する映画にハズレなしなのだ。



後、どんな映画に出ていたっけ?……


そのうち探して、それも、もちろん観てみるつもりである。

星☆☆☆☆☆。