2019年1月30日水曜日

映画 「ガス燈」

1944年 アメリカ。






19世紀も終わりの頃、霧深いロンドンの夜に、歌手のアリス・アルキストが、自宅の応接間で何者かに絞殺された。


この悲惨なニュースは瞬く間に広がり、邸宅の周りには、そこら中、野次馬だらけ。


アリスと一緒に暮らしていた姪の『ポーラ』(イングリット・バーグマン)が、遺体の第一発見者で、あまりのショックで憔悴している様子だ。


そんなポーラを乗せて、馬車はロンドンを離れていった。





―  それから10年後。


いまだ犯人は見つからず、事件が人々の記憶から薄れていった頃、声楽教師『グアルディ』に預けられたポーラは美しく成長していた。


「どうしたんだ?!、ポーラ!歌に心が入っていないぞ!!」

グアルディのレッスンをうけながらも、心はそぞろのポーラ。


ピアノ伴奏の『グレゴリー・アントン』(シャルル・ボワイエ)が部屋を出ていくと、残されたポーラに、グアルディは続けて問いかけた。


「この歌は、悲劇なのに、君は理解していない!、いや、理解しようにもできない感じだ。なんだか嬉しすぎて…」


ポーラは、はにかみながら黙っている。


「……もしや、誰かに恋しているのかね?」


ズバリ言い当てられて、ポーラもあっさり白状した。



ポーラの、今までの不遇を知っているグアルディは、素直に祝福してくれた。

「幸せにおなり、ポーラ…」



屋敷を出ていくと、ポーラの意中の相手が、そこで待っていてくれた。

先ほどのピアノ伴奏者のグレゴリーだった。


「結婚してくれるね?ポーラ」

「ええ、もちろんよ。でも貴方と知り合って、まだ半月だし……、結婚する前に一人で旅行に行きたいの」

求婚に、飛び上がるほど嬉しいポーラだったが、ちゃんとした冷静さも持ち合わせていた。


『イタリアのコモ湖に行って、ゆっくりこれからの事を考えてみよう…』




次の日、旅行の為に列車に乗ったポーラ。


隣の乗車席では、老婦人が腰掛けて、推理小説を読んでいる。


ときおり「おや!」「まあ!」と声をあげながら読んでいたが、隣のポーラに気づくと、根っからお喋り好きな婦人(メイ・ウィッティ)は、話しかけてきた。(あっ!ヒッチコックの『バルカン超特急』のミス・フロイだ!)



嬉々として話す婦人のお喋りは、もう止まらない。



「私、ロンドンに住んでるのよ。そういえば10年前、近くの家で、ほんとの殺人事件があったのよ」

蒼白になるポーラ。



そんなポーラに気づくことなく婦人の話は、淀みなく続いてゆく。

「家はロンドンのソーントン広場のそばでね、遺体は絞め殺されていたんですって!、いつか屋敷の中を覗いてみたいわ。うちはその近所なのよ」


列車が、駅に着くやいなや、ポーラは荷物を降ろして、この場から一刻でも逃げ出したいように、「もう降りないと…」と一言だけ言うと、飛び降りた。



だが、下車した目の前には、あのグレゴリーが待っていたのだ。(ちょっとゾッ!とする。何なんだ?この男?!)


「怒った?」グレゴリーの問いかけを制するように、ポーラは抱きついた。




その夜、二人は月明かりを見ながら語り合っていた。


「ぼくの夢はいつか結婚してロンドンに住むことなんだ」

なにげに言ったグレゴリーの言葉に、ポーラは、しばらく黙っていたが、やがてポーラがきりだした。


「貴方の夢を叶えてあげるわ」と……




かくして、二人は結婚して、ロンドンのソーントンへとやってきた。


10年ぶりの邸宅。


鍵をまわし、扉を開くと、ポーラは重々しい空気を肌で感じた。


まがまがしい雰囲気に気圧されそうになりながらも、ポーラはグレゴリーと共に屋敷の中に、ソロリと1歩ずつ進んでいったのだった……






若妻ポーラが、戻った邸宅で精神的に追いつめられていく心理サスペンス。


監督は、『マイフェア・レディ』など女性を綺麗に撮る事で有名なジョージ・キューカー


それゆえか、この映画のイングリット・バーグマンは、絶頂期もあっただろうが、とにかく美しく撮られております。



そして、この作品で、見事、アカデミー賞主演女優賞まで授賞している。


もちろん、美しさだけで賞がとれるものでもなく、バーグマンの演技も素晴らしいのだけど。




冒頭のプロローグ、読んで頂ければ、シャルル・ボワイエを全身全霊で愛しているのが分かると思う。




それが、ロンドンにやってきてからは、グレゴリーがプレゼントした、母の形見のブローチを無くしたり、次々、物が無くなったりと、不審な事件が頻繁に起こりはじめてくる。


『私は気がおかしくなっているのでは……』

という不安や焦りにさいなまれるポーラ。

そんな様子をイングリット・バーグマンは、巧く演じているのである。




※ネタバレになるが、勿論、犯人は夫の『グレゴリー』(シャルル・ボワイエ)で、彼がポーラを精神的に追いつめる為に仕掛けた、小細工の罠なのである。



シャルル・ボワイエ演じるグレゴリーは、今でいうモラハラ、パワハラ夫の典型である。


このグレゴリー、ポーラの失敗を直接的には責めたりしない。


声を荒げたり、決して怒鳴ったりもしないのだが………その分、人の心の隙間にそっと入り込んで、不安感を埋め込むのが、ゾッとするくらい上手なのだ。(本当に気味が悪いくらい)


「不注意だぞ、ポーラ」

弓なりになっている片眉をあげながら、見下した表情は、それだけでも相手にとっては効果的なのである。


物が無くなっても、直接は、ポーラを責めたりしないで、まずは家政婦やメイドを呼び出して疑るふりをするグレゴリー。



はては、聖書まで持ち出して、一人、一人に手を置かせて宣誓までさせるのだから、もう、目の前で、それを見させられているポーラは、たまらない気分になってくる。(本当にムカツク嫌な野郎である)




しまいには、この状況に堪えられないポーラは、

「もう止めて!私が無くした事にしてちょうだい!」

なんて言う始末である。



人の感情や状況を、巧くコントロールして、自分の思うがままに利用する……

こんな男こそ、身近にいれば寒気がするくらい恐ろしいものである。


夜ごと、窓から見えるガス灯の明かりが薄暗くなったりするのもグレゴリーの仕業なのだが、神経を苛まれているポーラは、「本当に自分はおかしくなってきたのかも……」なんて思いはじめる。(ガス灯の明かりの調整なんて、大変な労力である。よ~やるよ)



だが、こんな恐ろしいグレゴリーも、ロンドン警視庁から、捜査にやってきた敏腕の『キャメロン警部』(ジョセフ・コットン)によって、化けの皮が剥がれる時が、やってくる。




キャメロンが、半端、幽閉されているポーラの元にやってきて、


「貴女は狂っていない!、貴女は正気です!」

と励まして、悪党グレゴリーの正体を暴きたてるのだ。(この映画のジョセフ・コットンは、とびきり格好いいです。ヒーローしております)


悪党グレゴリーを取り押さえて、全てを白状させるキャメロン警部は、痛快である。



そして、化けの皮が剥がれて椅子に縛りあげられたグレゴリーとポーラの最後の対面。



この場面こそが、イングリット・バーグマン、最大の見せ場なのである。



果たしてポーラはどうするのか?


激昂するのか?泣き叫ぶのか?



楽しみの為にここは伏せておきたいと思う。



星☆☆☆☆。


「結婚するなら、相手の中身をキチンと見極めることが、まず大事!」


こんな教訓が、まず浮かんでくる映画である。


※〈蛇足〉メイド役で若き日のアンジェラ・ランズベリー(ジェシカおばさんの事件簿)が出演しておりました。たま~にある、こんな発見も、また楽しい。