2021年5月28日金曜日

ドラマ 「沙粧妙子 最後の事件」

1995年 7月~9月。




人間というものがいる限り、この世界から悪意が消滅することはあり得ない。そして悪意は、目に見えないものとは限らない……


大層な言葉で始まる、このドラマなんだけど、裏を返せば「人の悪意は目に見える!」って事を言いたいだけ。


んな事は、毎日流れているニュースで、世界中が知ってる事だし、あらためて言われなくてもねぇ~。



1991年に『羊たちの沈黙』が公開されて大ヒットし、アカデミー賞を総なめにすると、猟奇殺人犯やら犯罪プロファイリングやらの映画が、後を追いかけるように、この時期、ジャンジャン量産されていた。


そうして、この手のモノが、とうとう日本のドラマでも作られてしまう。



それが、この『沙粧妙子 最後の事件』。




IQが高い天才『梶浦圭吾』(升毅(ますたけし))は、恋人『沙粧妙子』(浅野温子)、それに同期の『池波壮一』(佐野史郎)、他にも何人かのメンバーを加えて、《犯罪プロファイリング・チーム》を結成した。


だが、犯罪者のデータをとりながら、接見するうちに、リーダー梶浦は犯罪の魅力に、どっぷり取りつかれてしまう。(ミイラ取りがミイラになってしまう)



とうとう、犯罪プロファイリングのメンバーを殺害して梶浦は(スタコラ)逃亡した。


そして、自ら犯罪を犯すだけじゃあきたらず、マインド・コントロールを駆使して、犯罪者になれる素養のある者を探しだしては、その育成に乗り出したのだ。


そんな梶浦が作り出した犯罪者たちを追いかけながらも、かつて恋人だった沙粧妙子は、刑事課に移動して、梶浦の足取りを探そうとするのだが………。




こんなのが、『沙粧妙子…』の基本のあらすじ。



たまたま、このドラマの第1話にチャンネルを合わせてしまったので、当時はズルズルと最後まで観てしまったのだけど ……… 扱う素材はシリアスでも、ワタクシ、このドラマを全然、真面目な気持ちで最後まで観れなかったのでした。



それというのも、なんせ、主役が浅野温子さん。



ワタクシ、この人を勝手に命名して、


『オーバー・リアクション・アクトレス』と呼んでいるのです。(笑)



この人の、お芝居を昔から観ているけど、何を演じても常にオーバー・リアクション。


明るい役では作り声でハイテンション! 

周りがドン引きするくらい大はしゃぎしてみせたりする。(『あぶない刑事』、『サザエさん』)


良い女風の役では、背中を向けていきなり立ち止まると、突然、長いワンレングスの髪の毛をブルン!🌀ブルン!🌀と振りまわしながら、まるで歌舞伎のような大見得をきったりする。(『101回目のプロポーズ』)



こんな人間を現実には見かけないし、街中でこんな人に遭遇したりすれば、


「ちょっとヤバイんじゃないのか?…… 」


とか、


「なるべく近づかないで、ソッとしときましょ …… 」と思って、普通の人なら、そそくさとその場から離れて遠目で警戒してしまう。



でも、そんな演技をしてしまうのが《浅野温子》さんなのだ。(それはそれで面白いんだけど)



ゆえに、この人の芝居は、いつも周囲から浮きっぱなし。


一人だけコントをやっているように、自分には昔から見えてしまうのである。(失礼なんだけど (笑))



そうして、この『沙粧妙子 … 』でも、そんな浅野温子さんのオーバー・リアクション・演技は、「我が道を行く!」が如く、全開で突き進み続ける。



犯人や相手役とは、もう、距離を縮める限り縮めて、首元や、頬っぺたがくっつくような距離で低音で凄んでみせる。(ソーシャル・ディスタンスなんか無視。コロナ渦の現代とは、まるで反したような芝居である)



でも、こんな浅野温子さん、いつもなら一人だけ浮きっぱなしになるのだが、このドラマに限っては珍しくそうはならなかったのだ。



なぜなら、浅野温子さんをのぞく、他の出演者たちが揃いも揃ってアクの強い《強者》(つわもの)ばかりだったのである。


さらに上をいくような個性派俳優たちが、

「主役がこんな演技をするのなら …… 」とエンジン全開で挑んできたのである。



柳葉敏郎は、見ているだけでクソマジメな暑苦しい芝居をするし。(熱血~)


佐野史郎は、抑揚のない一本調子で早口でまくし立てる。



香取慎吾は魚の腐ったような目つき。(素がこんな感じに見えるけど)



そして、とどめは、あの蟹江敬三さん!


沙粧妙子の上司の刑事役なのだが、もう「こんな刑事が本当にいるのか?」ってな具合の、結果、マッド・サイエンティストな刑事になってしまったのである。



突然、「ナハハハハーッ!」と大声で笑ってみせたり、


沙粧に小馬鹿にされたら、「ちきしょう!この野郎!!💢」と、当の沙粧妙子に当たらないで、腹いせに他の部下の刑事を殴ったり蹴ったりする!(もう八つ当たりの度を越えてる。こんな刑事は即、解雇だろう (笑) )



『高坂警部』(蟹江敬三)は、そんな沙粧を見て、「可哀想な女だよ、お前は!頭が良すぎるんだよ!ハハハッー」と、笑いを浮かべて皮肉たっぷりに言ってみせるが、相手の方が一枚上手。


『沙粧妙子』(浅野温子)は、そんな高坂警部をジーッ!と凝視してみせる。


そんな沙粧の反応にたまらず、

「何だ?!言いたい事があるならハッキリ言え!!」と荒々しく声をあげると、


「怖い顔 …… 」の一言。


小馬鹿にされて、高坂警部の血圧は一気に急上昇。


カーッ!💢となって、またもや、そこらじゅうのモノに当たり散らしはじめるのだ。(もう、まるで、お約束のコントを見ているようである)



こんなアクの強い俳優たちが、アクを全開で、「誰に合わせようと知ったことか!」で、それぞれの芝居をやり始めるんですもの、マトモな普通の芝居をしようとする者は、めっきり霞んでしまうというもの。



妙子の妹役の墨谷友香なんて、まぁ悲惨なモノでした。(あまりにも普通過ぎて)



こんな感じの出演者で物語を動かしていくので、シリアスになればなるほど妙な苦笑いが漏れてしまう。(ドラマは、できるだけ真面目に、マジメ~に進行したいのにね)



このドラマを本気で「恐ろしい~」だの言う人の気がしれない。



私には、全てが現実離れして見えてしまって、これは、平成の歴史に残された珍ドラマとして、深く記憶に刻まれたのでございました。(DVD化されております。)


未見の方にオススメしておきます。

星☆☆☆。


※そうして、一番上部に貼ってみた浅野さんの三白眼の顔、今観てもやっぱりオモシロ怖くて、私の考察もあながち「ハズレではない!」と思いますけどね。(笑)

2021年5月23日日曜日

映画 「動く標的」

1966年 アメリカ。




今回、自分にとっては《苦手》と言われるジャンルや俳優の映画に挑戦したつもりである。



まず、第1に、《ハード・ボイルド》の小説や映画があんまり得意ではないのだ。


私立探偵が地道に、自分の足で、あっちの現場、こっちの現場とコツコツ歩き回って、手がかりを探していく……この魅力があんまり分からないのだ。(このジャンルが、特に好きな人には、「ハァ? アホか!」と怒鳴られそうだが)



それというのも、ハード・ボイルド小説や映画の全てが、主人公である私立探偵の《一人称》で成り立っているからである。


三人称》のハード・ボイルド小説など、今までお目にかかった事がない。



普通の小説や映画は、それなりに、ある程度の距離をおいて、客観的に読み進む事や観る事が出来るのだが、ハード・ボイルドのジャンルになると、いきなり勝手が違ってしまう。


《一人称》ゆえ、まずは、主人公の私立探偵に同化しなければならないのだ。


情報として、目に入るモノも、耳にするモノも主人公の私立探偵の主観だけ。


初めて会う人物の印象なども、その主人公の感じ方や性格に左右されて、読み手は片寄った情報量しか、一切与えられないのだ。


この主人公の気持ちに、すんなり同化出来なければ、小説でも映画でも観ていくのは、ことさら《苦痛だろう》と思ってしまうのである。



元来、忍耐力がない自分なんか、主人公の私立探偵が聞き込みで、あっちこっちに出かけていって、いちいち話を聞いて回る場面が続いていくと、(疲れるなぁ~、早よ終わらんかなぁ~)と、ばかり思ってしまう。


こんな理由で、これまでは、ハード・ボイルド小説や映画を、あまり寄せ付けずにきたのだ。(まぁ、これは、自分に忍耐力や辛抱が足りない、って証明でもあるんだけど)



中にはハード・ボイルドでも、「面白かった!」って思えるような映画はあるんだけど、よっぽど、自分が気に入った俳優じゃなきゃ、滅多に手を出さないジャンルである。




そして、第2の苦手なのは、《ポール・ニューマン》。


「あの《ポール・ニューマン》が苦手って、どういう事?!」

って疑問を持たれる方もいらっしゃるだろうが、これは自分の趣向の問題が、たぶんに大きくて上手く説明できないかも。



ポール・ニューマンは、昔から、スタイルも良くて、顔も良くてカッコイイと思いながらも、何だか自分にとっては、少々、敷居の高い俳優さんなのだ。


ポール・ニューマンは、あのジェームス・ディーンマーロン・ブランドと、ほぼ近い同期じゃなかったかな。


アメリカのアクターズ・スタジオ出身で同じように演技を学んで、映画界に入っていったと思う。



だが、ジェームス・ディーンやマーロン・ブランドが早くから売れっ子になっていっていったのに比べて、ポール・ニューマンは、なかなかブレイクしなかった。


ジェームス・ディーンやマーロン・ブランドの二人が持つような《破天荒さ》や《強い毒っ気》みたいなモノが欠如していた為である。


それらは、生来の性格みたいなモノが大きいのだと思うが、そんな二人に押されてしまうくらい、ポール・ニューマンの個性は、アッサリしすぎて少々物足りなさを感じたのかもしれない。



はては、《第2のマーロン・ブランド》とまで呼ばれてしまい(若い時のマーロン・ブランドと顔立ちは似ている)、


「マーロン・ブランドは映画界には二人も要らない!」

とまで言われる始末。(まぁ、ちょっと可哀想なんだけど)



ポール・ニューマンの悶々と耐える日々が続く……。



そのうち、ジェームス・ディーンは、その《破天荒さ》ゆえ若くして亡くなり、

マーロン・ブランドは、その《毒っ気》の強さから緩慢、横暴さに拍車をかけて自らの容姿も崩れていくと、やっとポール・ニューマンにも光が当たりはじめる。



容姿も完璧だし、スタイルも均整がとれていてイケメンのまんまを、ずっとキープしていたポール・ニューマン。


徐々にヒット作にも恵まれてブレイクしていく。


歳をとっても、死ぬまでスタイルも崩れずに、カッコ良さをキープし続けたポール・ニューマン。



こんなポール・ニューマンの悪い噂を聞いた事がないくらい、亡くなるまで完璧な人であった。



だからこそ、私はポール・ニューマンが少々苦手なのかも。



完璧に見えても、どこかヘタレの部分がありさえすれば、それが弱点でも、それは好きになれる部分でもあるのに。


この人には、そんな部分さえ見いだせないくらい完璧なのだ。


顔はイケメンで、スタイルも良くて、女遊びもせずに、共演者とも揉めることもない。(本当に根が真面目な人だったのだろう)



でも、あえて取りあげるなら、品行方正なポール・ニューマンの芝居は、どこか固さが見えて、技巧的にも見えるかも。


それを、映画『引き裂かれたカーテン』で起用したヒッチコックは嫌ったらしいが。(半分は嫉妬もあるのかな?)



この映画『動く標的』は、ハード・ボイルド作家ロス・マクドナルドの私立探偵リュー・アーチャー・シリーズの一編。(映画では、ルー・ハーパーに名前を変えられている)


ルー・ハーパーを演じるポール・ニューマンが、富豪の妻ローレン・バコールの依頼で、例によって、失踪して行方不明になった夫を、あちこち探してまわる。(『サイコ』のジャネット・リーアーサー・ヒルなんて有名人たちが、脇をかためております。)



どの場面でも絵になるポール・ニューマンのイケメンぶり。


あちこち、こんなニューマンが手がかりを求めて歩き回る姿が映し出される。



苦手なジャンルや俳優の映画を観てみよう!、と思うほど、自分も、だいぶ柔軟に変わったものだ。


1度観てみた『動く標的』は、まぁ続編も作られたくらいなんで、中々面白かったと思う。(カメラ・ワークが上手いんだろうか。ワンカット、ワンカットが絵になるくらいに綺麗だ。)



さて、2度目の視聴でどう変わるのか。


どれ!ポール・ニューマンの今まで見いだせなかった魅力(弱点)でも、じっくり探してみようとするか。


それが見つけだせれば、ニューマンの残した映画に、今後ハマるかもしれないし………


2021年5月19日水曜日

映画 「サイレント・パートナー」

1978年 カナダ。




気がつけばエリオット・グールドの出演作を追い求めて、たま~に観てみる私。


不思議な人だ。


長~い顔に、さらに長~いアゴを持つエリオット・グールド


濃い髭そり跡に、モジャモジャの黒々した髪の毛で、こんな見た目のグールドは、お世辞にもハンサムとはいえない顔立ちだ。(失礼だけど)



それじゃ演技の方はどうかというと、これも、ごくごく普通な感じがする。


こんな《普通の人》であるエリオット・グールドの主演する映画が「大ヒットした!」なんて話を聞いたこともないのだけど、不思議と主演作や出演作は途切れない。


で、今日に至るのだ。



派手なハリウッドの世界で、エリオット・グールドは《すき間産業》を地でいくような、お人なのである。(こんな《普通さ》が、かえって逆に目立つのかもね)



そんな《普通の人》エリオット・グールドは、この映画では、これまた、ごくごく普通の銀行員役🏦。(一応、主任だけど)



真面目が服を着ているような『マイルズ・カレン』(エリオット・グールド)なんだけど、取りあえずは同じ銀行で働く意中の女性『ジュリー』(スザンナ・ヨーク)がいたりもする。


でも、相手には見向きもされないけど。(目下、ジュリーは銀行の支店長と不倫中)



家に帰れば、趣味で集めた水槽の熱帯魚をボ~ッと眺めるだけの味気ない日々。(熱帯魚集めが趣味とは……とことん地味である)



マイルズの勤める銀行は、いくつものテナントがならぶ、巨大なショッピング・モールの中にある。



もうすぐクリスマス🎄が近づいていて、プレゼントを買い求める客たちで、店内は埋め尽くされている。


そんな状況なので、モールの中にある銀行も大繁盛。


金を預ける人や引き出す人の群れで、連日ごった返しているのだ。(まだ、ATMなんてのが無い時代ですから)



そんな折、マイルズは銀行の閉店間際、捨てられた小切手用紙に、指でなぞられた奇妙な文字を見つけてしまう。


銃を持ってるぞ!金を全部出せ!!🔫


(何だ?こりゃ?!誰かのイタズラか?!…)


特徴のある羽上がった《G》のアルファベットの文字は……はて?この文字をどこかで見た覚えがあるぞ………


そうだ!思い出した!!


エレベーターの側にいつも立っているサンタクロース🎅の扮装をした男が持っていたプラカードだ!!


あの《G》の文字にそっくりなのだ。


(それじゃ、あのサンタクロースの格好をした男が、目の前にある、うちの銀行を襲うつもりなんだろうか?………)



見た目は普通に見えても、機転がきくマイルズは、その日から、そのサンタクロース🎅にジッと目を光らせはじめた。


そうして、とうとう、ある日、あのサンタクロースの男が、用紙を片手に銀行の窓口にやって来たのだ。


それもマイルズいる窓口に!



そっと差し出した用紙には、案の定『銃を持ってるぞ!金を全部出せ!』の文字が書かれている。


サンタの男は、右手をポケットにつっこんでいて(銃を握りしめているぞ!🔫)とマイルズに合図してきた。


マイルズは店内にいる他の客たちに気づかれないように、札束を取り出すとサンタは、それを慌ててポケットにしまいこむ。


「下にある金もよこせ」


小声でサンタがマイルズに耳打ちすると、マイルズは受け付け下のドル札の一枚を、そっと抜き取った。


それと同時に、赤い警報ランプ🚨が点滅する。


警備員が気がついて、「強盗だー!!」と叫びだした。


驚いたサンタは、目くら滅法に発砲すると、人混みをかぎ分けて、一目散に走り去っていった。



その夜、サンタクロース強盗のニュースは、瞬く間に世間に広がり、大々的に放送された。


「恐ろしかったでしょう?大丈夫でしたか?」


「えぇ、まぁ……」


襲われたマイルズの顔がテレビ画面に映し出され、《サンタ強盗が盗んでいった4万ドルの行方は、今、いずこへ?》なんてアナウンスが流れている。



大勢の人々が、そんなマイルズ・カレンに同情的になるのであった。


ただ、一人をのぞいては……


「冗談じゃない!俺が掴まされたのは、はした金だ! あの野郎が俺に罪をきせて、上乗せした大金をネコババしやがったんだ!!


もう、怒りまくりのサンタ強盗=『ハリー・レイクル』(クリストファー・プラマー)。


そう、強盗ハリーの推理どおり、マイルズは銀行強盗の騒ぎを利用して、4万ドルの金をチャッカリと自分の懐に着服したのだった。


それを自分の働いている銀行の貸金庫に隠すと、今度は金庫の鍵を、自宅の冷蔵庫のジャムの瓶の中へと、ポトン!(まぁ、気が利いてるし、用心深いことよ)


(俺にこんな大胆な事が出来るなんて……)


すっかり変な自信?がついたマイルズは、心なしか他の事でも積極的になり、ジュリーにも大胆にアプローチしはじめてくる。


「あなた、なんだか雰囲気が変わったわ」


そんなマイルズに、とうのジュリーの方も満更イヤではなさそうな様子である。(不倫中なのに簡単になびいてくる、この女もいかがなものか?)


だが、こんな状況に、あの強盗犯ハリーが黙っているはずもなく……




この映画、とんだ拾いモノだったが、まぁまぁ面白かった。

面白かったんだけど、当時ヒットしたのかな?これ?(今まで知らなかったけど)


最初に書いたように、エリオット・グールドはハンサムな顔立ちでもないし、普通なんだけど、この映画のエリオット・グールドは、なぜか?超モテモテである。


最初はなびかなかった『ジュリー』(スザンナ・ヨーク)にも急に好かれるようになるし、


金の在りかを聞き出す為に、強盗犯ハリーが送り込んだ情婦でスパイの女性『エレイン』(セリーヌ・ロメス)さえも、ミイラ取りがミイラになってしまって、マイルズの魅力にメロメロ状態になってしまう💖。


そんなエレインなんか、「気をつけて!」なんて言いながら逆にマイルズの方へ寝返っちゃう始末。


おまけに、金は頂いてしまうは、機転が利いていて頭は良いわ………


ちょっと、あんまり「エリオット・グールドを持ち上げすぎなんじゃないの?」ってツッコミを入れたくなるほどである。




片や、この映画では準主役のクリストファープラマーはというと…



この人の顔こそハンサムと言っていいほど、整った顔をしてるんじゃないのかな。

金髪で彫りの深い顔立ちで。



つい最近、ダニエル・クレイグ主演の『ナイブズ・アウト』で富豪の小説家役をしていたプラマーも、その後亡くなってしまったけど(合掌)、若い時のプラマーは、中々のイケメンさんで、マイケル・ケインにも似た感じがする。(なんたって『サウンド・オブ・ミュージック』ではトラップ大佐役ですもんね)


この映画『サイレント・パートナー』で、それまでのイメージを払拭したかった、という事だけれど……結果、これが良いイメージ・チェンジになったのか、どうか…。



なんせ、この『ハリー・レイクル』という役が、まるでダメダメ最低人間なんですもん。



イライラして、鬱憤が溜まると平気で女に暴力をふるったり、足で女性の顔を踏んづけたり👣もする最低男。(ゲゲッ!)


おまけに、情婦のエレインなんかは、むごたらしく殺してしまうし。(まるでダリオ・アルジェントの映画みたい)



強盗犯で、DV男、それに殺人犯……。


これで知能犯として、少しでも頭さえ良ければいいのだが、この『ハリー』は、根っからの《トンマ》《お馬鹿さん》ときてる。



実際、この強盗の計画も、最初からマイルズに気づかれるようなドジをふんでいるし、そもそも計画自体がお粗末。


単独で変装して、「銃を持ってるぞ!金を出せ!」ってやり方も、素人目にみても「アホか」って話なのだ。


こんなハリーは、まるで学習能力がないのか…最後は女装して、もう1度同じ手口で銀行強盗に入るのだが、今度は警備員に撃たれて、あっけなく死亡。


醜い最期をさらして死んでいくのである。



悪役が、卑劣でも残忍でもいいけど、

お馬鹿さんだけは、いくらなんでもいただけないかも (笑) 。



でもクリストファー・プラマー本人は、この最低ダメ人間を演じてみて、その後の俳優人生に、ひとすじの光明でも見つける事ができたのだろうか。


今となっては知るよしもないが……。



この映画を観ると、俳優たちにとって、生まれた時代ってのは大事なんだ、とつくづく思ってしまう。


エリオット・グールド、クリストファー・プラマー、もし、この二人が、あと20年くらい早く産まれていたとしたら……



ハンサムでもないエリオット・グールドは、間違いなく主役にはなれないだろうし、


クリストファー・プラマーのイケメンぶりは、スターシステムが健在だったハリウッドの力で、グレゴリー・ペックやゲーリー・クーパーみたいな扱いになっていたかもしれない。(もちろん、こんなゲテモノみたいな役をするはずもない)



その時代の人々の趣向や価値観などが、俳優たちの配役や人生をも、大きく左右する。


そんな風な事を考えてしまった『サイレント・パートナー』なのでございました。


長々とお粗末さま!


星☆☆☆。

※この長~い顔も、見慣れてくると味わい深くなってくるから、ホント不思議だ。


2021年5月15日土曜日

ドラマ 「闘え!ドラゴン」

1974年7月~12月。




ある日の『K』と『P』、二人のクダラナイ会話。



【K】「知ってるか? その昔『闘え!ドラゴン』なんてドラマがあったのを」


【P】「何じゃソレ?知らんわ。《ドラゴン》なんてブルース・リーのバッタモンか?」


【K】「どうも…あの『Gメン´  75』の倉田保昭さんが主役だったらしいけど」


【P】「倉田保昭って、Gメンでは、あの武道派の? 香港カラテシリーズなんてのは、よ~く覚えているけど。そんなドラマなんてあったっけ?」


【K】「なんでもGメンが始まる1年前に、半年間だけ東京12チャンネルでやっていたとか」


【P】「なら、覚えてなくて当たり前。あの頃、うちらは地方の田舎で、民放は、たった2チャンネルしか映らなかった時代だぞ!」


【K】「今となってはこれ、掘り出し物かもよ。倉田保昭さんのアクションは、あのとおり、本場仕込みで鍛えられたド迫力だし。 オマケにこのドラマ、同じGメンに出ていたヤン・スエさんも敵の刺客で出てるらしいよ」


【P】「ヤン・スエって、あの顔面凶器といわれるくらい、ゴツい顔の人? 『ゴリッ、ゴリッ!』、『バキッ、バキッ!』なんて、あの人が動くたびに入る筋肉の変な効果音は忘れられないぜ」


【K】「ストーリーは単純明快で、香港にいる空手の恩師を殺されて、主人公『不知火竜馬(しらぬい りょうま)ことドラゴン』(倉田保昭)が、怒りに燃えて、その仇討ちに挑むというもの。

そんな敵が、『シャドウ』を名乗る殺人組織で、次々と刺客を差し向けてきては、主人公ドラゴンが、香港、マカオ、日本を舞台に大暴れする。」


【P】「へ~え、面白そうだな、ソレ! あのGメンでのアクションを覚えている人なら期待してしまうかもね。 でも、そんなドラマなら、なんで半年間で終わってしまったん?  あの当時なら1年以上続くドラマなんてザラにあったのにさ」


【K】「なんでも海外ロケを頻繁にやり過ぎて、制作費が尽きてしまったとか……」


【P】「なるほどの~。その無念を後年、Gメンではらしたというわけか」


【K】「それでも、このドラマ、けっこうマニアックなフアンがついていて、ドラマを再編集して、その後、劇場版までつくらているらしいよ」


【P】「映画にまで? それも全く知らんかったわ。それにしても、こんな『闘え!ドラゴン』なんてのを、どこで見つけてきたんだ?」


【K】「もちろん、たまたまネットで検索してる時に見つけたのさ。便利な時代であるぞよ」


【P】「ふ~ん……」


【K】「なんなら観てみるか?『闘え!ドラゴン』のOPとED曲なら、ちょこっと観れるぞ。見つけておいたから」


【P】「どれどれ……えっと…… OPは、『ガッチャマン』でお馴染みの子門真人さんか。いかにも《ザ・70年代》って香りのする歌よのぅ……。オマケにEDは、ギャハハハー!(≧▽≦)  ナンじゃ、こりゃ!『ロンリー・ドラゴン』って!  うらびれた暗~い曲調、これも70年代の香りプンプンじゃわい」


【K】「そんなに笑わなくても……こんな雰囲気がまた懐かしくていいんじゃないか」


【P】「悪い、悪い……こうなりゃ『闘え!ドラゴン』っての自分も俄然観たくなってきたわ」


【K】「だろ?そうだろ?!」


『K』と『P』の無駄話はそんな風にいつまでも続いてゆくのであったとさ。


2021年5月13日木曜日

ドラマ 「美しい橋」

1977年 10月2日。




昔むか~し、あった東芝日曜劇場の『美しい橋』。


名プロデューサー、石井ふく子さん直々のご指名で、あの!山口百恵が出演している。



昭和30年、まだまだ貧乏長屋が並ぶ東京下町。


そこにある、大きな石橋の上で偶然に出会った男女の純愛物語である。



百恵ちゃんの相手役は、友和……じゃなくて、若かりし頃の江藤潤さん。(右目の下のホクロが特徴的)


江藤潤さんは、生まれつき体が弱くて、母親や兄貴にも、過保護に育てられた『石田トモジ』を演じている。


その為、出来る仕事もなくて、無職だし、冴えないし、まるっきり情けない男である。(百恵友和フアンには不満があろうが、この役をキリッ!とした二枚目の友和では無理だろう)


無職の『トモジ』(江藤潤)は、成人して、いい歳になってるのに、いまだに兄夫婦の家で厄介になっている始末。(本当に情けなぇ~奴)



そんなトモジでも、やっぱり居候(いそうろう)は気が引けるというもの。


(せめて赤ん坊の子守りだけでもしなくては……)と思い、兄夫婦の赤ちゃんを背中に背負うと、ぶらり、石橋へとやって来たのである。


背中の赤ん坊がワンワン泣いてる。(泣き声はすれど、この赤ちゃん、映像を見れば全然泣いてないのだけど、そこはご愛敬ってことで (笑) )


「坊や、もう泣いちゃダメよ」


トモジが、そんな声に振り向くと、そこにいたのは、スーパーアイドル百恵ちゃん


トモジは『木村チエ』(山口百恵)の姿を見て、一瞬で、


ずっきゅーん! どっきゅーん! 胸射たれる💘。(DA PUMP風に言うと)



『木村チエ』も、また貧乏な長屋暮らし。


行商で働く母親(菅井きんさん)と幼い弟がいて、自身も、近くにある石鹸工場で懸命に働いている。


一目惚れしたトモジは、そんなチエに会いたくて、次の日から、石橋の上をウロウロする事になった。


そこへ、偶然、自転車に乗って衝突してきた『チエ』(百恵ちゃん)。


多少、ケガをして痛い思いはしたけれど、チエの家で手当てをしてもらったトモジは、もうデレデレ状態である💖💖💖。


そんなチエに、


「また明日ねー!トモちゃん!!」


なんて声をかけられると、トモジのやる気は急上昇する。(「キャッホー🎵(≧▽≦)なんて声が聴こえてきそう」)



(あの子の為にも、俺もちゃんと仕事を探して真人間にならないと……)


下町の工場に、やっと見習工の職を得たトモジは、油まみれになりながらも真面目に働き始める。



そして、あの石橋に急いでかけて行くと『チエ』(百恵ちゃん)が待っていてくれるのだ。


雨の日も☔、風の日も、そして雪の日も……。




こんなのが『美しい橋』の大まかな話。



地味だし、大袈裟な出来事もあまり起こらない。


でも、それが《良いのだ》。



心をじんわりとさせてくれて、まるでサラサラとした清涼飲料水のようなモノが、体の隅々にまで行き渡っていくような感じがする。



こんな良質なドラマを、昔の東芝日曜劇場では、1時間1話完結の形で当たり前のように放送していた。(最近じゃ、東芝がスポンサーを降りてから、連続ドラマの枠になって、ほとんど観てないけど)


長年、こんなクオリティーを落とさずに放送していたのだから、今更ながらにビックリしてしまう。(♪光る、光る東芝~)


小説なら、小気味よい短編小説を読んだ気分にもさせてくれるのだ。



ドラマティックな『赤いシリーズ』も良いのだけど、よくぞ、百恵ちゃんを東芝日曜劇場に起用してくれた石井ふく子先生にも大感謝である。


「彼女はちゃんとした演技力がある!」(石井ふく子先生談)



ドラマの後半は、結核の疑いがあるトモジが、チエに

「もう会えない……俺に近寄るとうつるから…」と別れ話を切り出す。



そんなトモジにチエは、


「その、トモちゃんの《結核》、私が貰う!」


と言って、自ら強引にキスしてくる。



おったまげる『トモジ』(江藤潤さん)の顔。



当時、スーパーアイドル百恵にキスされて、百恵友和フアンの怒りをかった江藤潤さんだったけど、今となっては(役得)良き思い出なのかな?


私なんか、今の目で観ると「冴えない男たちにも、夢を与えてくれてありがとう!」と言いたくなってしまうのだが……



ドラマは星☆☆☆☆☆。


戦後、まだ復旧が進まない寂れた町並みや空気感、それに人の情けや純粋さなど……全てをしみじみと楽しみました。


(※結局、《結核》はヤブ医者の誤診だったとさ。喜び抱き合う百恵ちゃんと江藤潤の笑顔でドラマは幕となる。チャンチャン! (笑) )



2021年5月6日木曜日

ドラマ 「フルハウス」

1987年~1995年。




事故で妻を亡くしたばかりの『ダニー・タナー』(ボブ・サゲット)には、まだ幼い3人娘がいて、仕事(テレビ局のキャスター)と子育てで大わらわ。



10歳の『D・J(ドナ・ジョー)』(キャンディス・キャメロン)、

5歳の『ステファニー』(ジョディ・スウィーティン)、

そして、まだ産まれて9か月の赤ん坊『ミシェル』(メアリー=ケイト&アシュレー・オルセン)を抱えているのだ。



こんな娘たちの世話をしながら、仕事と両立なんかできるはずもなく、途方にくれていたダニーの元へ、ある日、助っ人がやってきてくれた。



一人は亡くなった妻パメラの弟でダニーにとっては義弟にあたる『ジェシー』(ジョン・ステイモス)。


熱狂的な♪エルヴィス・プレスリーのフアンで、自身もミュージシャンを目指しているジェシーの身なりは、まさにロックン・ローラーを地でいくような格好。


長髪のモサモサ頭に、全身黒革のレザー・ジャケットやブーツで、バッチリきめている。



真面目が服を着ているようなダニーは目をパチクリする。



もう一人は、コメディアン志望の『ジョーイ』(デイブ・クーリエ)。


暇さえあればジョークやモノマネばかりをして、自分で自分の芸にウケている。(これ、アメリカじゃウケてるのかな? 吹き替えでも、あんまり笑った事ないんだけど (笑) )



(こんなふざけた二人に、大切な娘の世話なんて出来るのか………???)


男3人と幼い娘たち3人、見よう見まねで、アタフタとした子育てがはじまる……。



たぶん、誰もが知ってる世界的に有名なホーム・ドラマ『フルハウス』。


こんな風に書かなくても大部分の人は知ってるだろうが、取りあえずはおさらいとして書いてみた。



このドラマがはじまる2年前(1985年)に、フランスでは、女流監督コリーヌ・セローが作った『赤ちゃんに乾杯!』が、世界的に大ヒットしている。

独身の男たち3人が、右往左往しながらも、協力しあって赤ちゃんを育てるという痛快コメディー映画である。



それに感化されたように、この後は、アメリカでも火がついたように、《赤ちゃん映画ブーム》がはじまっていくのだ。


赤ちゃん泥棒』、『赤ちゃんはトップレディがお好き』、『ベイビー・トーク』………なんて映画が、続々と作られていった。


1987年には『赤ちゃんに乾杯!』をアメリカでは、早速リメイクして『スリーメン&ベビー』のタイトルで映画も作られているほどである。



とにかく、


《赤ちゃんは可愛い❤!》


《赤ちゃんを出せば映画はヒットする!》


こんな安易な考えに、大勢のアメリカ人たちは飛び付いたのだ。(まぁ、可愛い事は可愛いけど……単純というか (笑) )



こんな風なので、


「ドラマでも『赤ちゃんに乾杯!』が出来ないだろうか?!」

なんて事は、すぐさま思いつく。



子育てする《男3人》と《赤ちゃん》のドラマ……



ただ、映画とは違い、ドラマは長期に渡るスパンだ。


撮影の為とはいえ、生後数ヶ月の赤ん坊を長時間拘束する事は出来ない。(この頃には、子役の労働法も厳しく管理されるようになっている)


ならばと、


「赤ちゃんを《双子》にしてみてはどうか?」


という打開案が出た。


双子の赤ちゃんを交互に出せば、赤ちゃんの負担も軽減されるんではないのか、というのが、その考え。(これは実際、今でも採用されていて、ドラマ『ミディアム』なんかでも双子を起用している)


それでも、赤ちゃんだけにスポットが当たれば、自然に出番は多くなる。


「それならば子役を増やせばいいんじゃないか?」


と、D・Jやステファニーの役が増えた………現実はこんな風だったんじゃないのかな?



とにかく、男3人と幼い娘3人の子育てドラマは、こうして万全の体制を整えてから、『アーノルド坊やは人気者』が終了した翌年の1987年に開始された。



だが……


鳴り物入りで始まった、この『フルハウス』だったが、最初は、おっそろしく「つまらなかった!」。


自分もNHKの再放送でシーズン1から観だしたのだが、本当に(ごめんなさい)面白くない。


D・Jとステファニーの姉妹喧嘩があったかと思えば仲直り。男3人は赤ちゃんのミシェルに歌を歌ってあげたり、あやしたり(ベロベロバー)するだけ。


これをシーズン1は延々と観せられるのだ。


そりゃ、赤ちゃんは可愛いし、二人の子役たちも可愛いよ!


でも、ただそれだけ。


30分でも長く感じるほどだった。(シーズン1は第1話だけを観てれば充分である)



こんな風に自分が思ったように、本国アメリカでも視聴率は伸び悩んだそうな。(だろうな)



製作スタッフたちも「何とかせぬば!」と考えて、シーズン2からはテコ入れ。



ダニーと一緒に《おはよう!サンフランシスコ》のテレビ・キャスターとして『ベッキー』(ロリ・ロックリン)が登場する。


このベッキーが、超美人で性格もサッパリしていて、なおかつ、適度にユーモアもあるという、まるで非の打ち所のない人物。


プレイボーイを自称していたジェシーは、たちまち(ポワワ~ン)一目惚れしてしまう❤❤❤。


「二人の恋の行く末がどうなっていくのか?」


視聴者の興味をつなぎとめて、やっと番組は盛り上がりはじめる。(「野郎と子供たちだけじゃ無理!」と、やっと製作サイドも気づいたのだろう)



それとD・Jの親友として『キミー』(アンドリア・バーバー)の出番を増やし、発展させはじめた。


優等生のD・Jに対して、ちょっと可笑しな言動を連発するキミー。(この子がフルハウスでは、一番の功労者だと思う)


呼ばれもしないのに、年中顔を出してはベラベラ喋りまくって、D・J以外のタナー家からは疎んじられるという、まさに特異な存在なのである。


勉強は出来ないし、タナー家のモノは破壊してしまうし、オマケに


《足が異様に臭い👣(笑)》


という、とんでもない設定になっていく。(ちょっと可哀想な気もするが)


こんな破天荒なキミーが、この番組では一手にボケ役を引き受けて、ダニーもジェシーも、ステファニーも、はては小さなミシェルさえもツッコミを入れはじめる。



こんな図式が、ようやく完成すると、番組は大盛り上がり。


視聴率もグイグイ上昇していき、気がつけば『フルハウス』は8年も続く長寿番組になったのだった。



こんな風に面白かった『フルハウス』だが、どんな番組でも必ず終わりはやって来る。


有終の美を飾り、8年間の『フルハウス』は幕を閉じた。



皆がそれぞれ散り散りに別れていき、ダニー役のボブ・サゲットも、ジェシー役のジョン・ステイモスも、ジョーイ役のデイブ・クーリエも、別の仕事をスタートし始めた。


でも頭の隅には、いつも、ある想いが駆け巡る………



(あの子役たちは、これからどうなっていくんだろうか? この先、大丈夫だろうか? )と……。



彼らは、長い間、芸能界にいて、子役スターの悲惨な末路を知りすぎるくらい知っていたのだ。


(このまま番組が終わったからといって、放っておけない……)


それからも心優しい男たちは、『フルハウス』で関わった子役たちと連絡をとりあった。



多感な少女時代をおくる彼女たちには、時として、うるさがられもしただろうが、そんなのは構わない。(向こうにしたら多少はウザかったかもしれないが)



D・J役のキャンディス・キャメロンはデイブ・クーリエの紹介したプロ・ホッケー選手と結婚して、子供にも恵まれて幸せになった。(ホッ!)



ミシェル役のオルセン姉妹は、番組が終わる前に、実の両親が離婚してしまった。(可哀想)


その後、双子の片割れメアリー=ケイトが摂食障害になって、激痩して入院。


(大丈夫か?)


でも、回復して、その後は無事に結婚した。(ホッ!)


ファッション・ブランドを姉妹で立ち上げ億万長者にもなっている。(スゲー!)



問題はステファニー役のジョディ・スウィーティン


彼女は他の子役のように、一時、薬物中毒になっていたのだ。(喪失感みたいなモノから、つい手をだしてしまったらしい)


ボブ・サゲットやジョン・ステイモス、オルセン姉妹は、必死に彼女を励まし、リハビリ施設に入所させて薬の依存を断ち切らせた。


その甲斐あって、ジョディは見事に立ち直ったという。(それと同時に断酒にも成功したらしい)



そうして、長い年月が過ぎて………


近年、『フルハウス』の続編となる『フラーハウス』。


D・Jとステファニー、キミーを中心にした彼女らの物語。(オルセン姉妹は女優業を引退している)


『フラーハウス』の彼女たちを見て男たち3人は何を思うのか……


(やっとここまできた……もう、大丈夫だろう……)と、安堵して肩の荷を降ろす事が出来ただろうか。



とにかく、こんな共演者たちのアフター・ケアーで、悲惨な子役の運命に勝ち得た『フルハウス』は、とても稀なケースなのである。


星☆☆☆☆。

(おかげで、今でも安心して観る事ができます)


2021年5月4日火曜日

ドラマ 「アーノルド坊やは人気者」

1978~1986年。




昔は、アメリカでも日本でも子供を主人公にしたドラマがたくさんあった。


わずか30分くらいのホーム・コメディー・ドラマだったが、子供の自分はそれを食い入るように観ていた。


テレビドラマの主人公である、同じ歳頃の子供たちの生活を、自分と比べてみたり羨んだりもしていた。



だが、そんな番組は、今やほぼ消滅してしまった。


何故か?!


それはアメリカでも日本でも、子役たちが辿る、その後の境遇の悲惨さが、大きく世間に知れ渡ったためである。


大人が書いた台詞を、まだ物の道理が分からない子供に覚えさせて、それを演じさせる事が、どんなに危険をはらんでいる事なのか……それが大人たちにも、やっと分かってきたのだ。


《演じる》事は、小さな子供にとっては、ただ《嘘を言わせる》事なのだ。


始終、その《嘘を言わせる》事が続けば、《演技が上手くなる》=《嘘が上手くなる》という事なのである。


それは結果、子供らしさを奪ってしまい同世代の子供たちとは、かけ離れた価値感を持ってしまうのだ。



ましてや、それが、主役ともなれば小さな子供にとってはハンパない重圧。



これは極論かもしれないが、自分はそう思っている。


そして、番組が大ヒットすれば懐に入ってくる大量の大金は、さらに、その子の環境を大きく変えてしまい、その後の人生さえも狂わされてしまう。



こんな落とし穴に落ちない子役は、ほぼ稀で、ほとんどの子役たちが辿るのが、こんな悲惨な道筋なのだ。


今なら、こんな裏背景も知っているのだが、当時は、このドラマ『アーノルド坊やは人気者』を何も考えずに面白おかしく観ていた自分。



黒人の兄『ウィリス』(トッド・ブリッジス)と幼い弟『アーノルド』(ゲーリー・コールマン)は家政婦の母親と一緒に貧民街で暮らしていたが、ある日、母親が亡くなってしまう。


母親が働いていた家の白人資産家である『ドラモンド』(コンラッド・ベイン)は、そんな二人に同情して養子にすることに決めた。


ドラモンドの妻は既に亡くなり、一人娘の『キンバリー』(ダナ・プラトー)がいるだけ。


そこに通いのお手伝いさん(2シーズンくらいでコロコロ変わってた気がする)を加えて、人種や年齢も違う、特別な一家が誕生するのであった。



こんなのが『アーノルド坊やは人気者』の大まかな設定。



この主人公『アーノルド』が小柄な丸々した黒人の子供で、周り中にシニカルなジョークをとばすのが、おおいに受けた。


「冗談、顔だけにしろよ!」


は、アーノルドの決め台詞。


日本では堀駒子さん(忍者ハットリくんで有名)の絶妙な吹き替えが、さらに評判になり大ヒットした。(英語では何て言ってるんだろう? まぁ、同じようなニュアンスの言葉なんだろうけど)


こんなアーノルドを演じたゲーリー・コールマンは、自分と同じで1968年生まれ。


番組開始時が1978年だから、当時は10歳くらいだったはずだ。


(同じ歳にしては、子供子供してて小さいなぁ~ ……)


なんて思っていたけど、アーノルドの面白さに、あまり気にもとめなかった。(なんせ養父役のコンラッド・ベインの膝に座れて、抱かれるくらいの小ささですもん。規格外に小さい)



こんな『アーノルド坊や…』を観る度に笑っていた自分だが、段々と違和感を感じはじめる。



「なぜ?主人公ゲーリー・コールマンは成長しないのか???」と。



何年経っても小さいままで、子供のまんまのゲーリー・コールマンの姿に妙な違和感を感じはじめたのだ。


他の出演者たちは、それなりに身長も伸びて顔つきも大人に近づいていくのに、ゲーリー・コールマンだけが時が止まったように、全く成長しない。



観ている同じ歳の自分だって成長期でグングン身長は伸びてるのに、ブラウン官の向こうでは、相変わらず小さいままの『アーノルド坊や』。


私は、変わらぬ同じような姿で、同じようなジョークを言っているコールマンに、ただならぬモノを感じて、次第に笑えなくなり、いつの間にか視聴を止めてしまった。



それでも本国では1986年までの8年間も続いたそうだが、最後まで身長142cmの『アーノルド坊や』だったゲーリー・コールマン。(この時点でも、すでに18歳にはなってるはず)



彼は《小人症》になっていたのだった。


もともとの、生まれつきあった腎臓障害が成長をとめてしまったらしいのだが、はたして原因はそれだけなのか。



番組の主人公であり、『アーノルド』のキャラクターの世界的人気が、精神的にもプレッシャーやストレスになったんじゃないだろうか?



後、成長期に多忙だったため、充分な睡眠や休息がとれなかったからではないのか?


日本でも子役のほとんどが身長が伸びないのは、過度な激務で、成長期に充分な睡眠をとれない為と最近では言われている。(男性は、ほぼ160cm代で止まってしまう)



とにかく、番組の終了はゲーリー・コールマンにとっては、他の子役たちと同じように、人生の《下り坂》が待っていたのである。


それも壮絶な《下り坂》が……


子供の頃から稼いだ莫大なギャラを巡って家族と断絶してまでの裁判。(本当にマコーレー・カルキンと一緒だ)


昔のフアンにからかわれての暴力沙汰や訴訟問題。


やっと結婚できても、妻(コールマンより身長も30cm高い)との言い争いや不和は警察沙汰にまで発展する始末。


そうして、とうとう2010年に転倒して脳内出血をおこし亡くなってしまったのである。(享年42歳)



ゲーリー・コールマンだけでなく、兄のウィリス役だったトッド・ブリッジスもコカイン中毒で苦しんだし、キンバリー役のダナ・プラトーなんて薬物中毒により、34歳の若さで亡くなっている。



こんな風に挙げれてしまえば、悲惨な『アーノルド坊や…』の出演者たち。



番組は、今観ても、そんな暗い影なんて微塵もありゃしないのだが、私は昔のようには、とても笑えないかも。


あまりにも当時からをタイムリーに観てきた同世代としては、こんな悲惨さを知ってしまうと、簡単には払拭出来ないと思うのだ。


むしろ、私たちよりは、はるかに若い世代には、そんな雑念も気にせずに楽しめるかもしれない。


ドラマ『アーノルド坊や…』は笑い溢れるホーム・コメディーなのだから ………


星☆☆☆。

2021年5月2日日曜日

ドラマ「浮世絵 女ねずみ小僧・ご存知 女ねずみ小僧」

《浮世絵 女ねずみ小僧   第1~3シーズン(1971~1974年 全49話)》

《ご存知 女ねずみ小僧 (1977年 全31話) 》




そろそろ、このblogも何か書かないとなぁ~と考えていたら、ふと小川真由美さんの事を思い出した。(理由は特にない。なんだろう………天から降りてくるような御告げとでもいうのでしょうか)


子供の時、あれほど頻繁に観ていた女優さんを、最近見かけなくなると、もはや生存確認じゃないけど「まだ、生きてるのか?」なんて、要らぬ心配をしてしまう。



ちゃんと生きておりました。(2021年現在 81歳)


真言宗の尼僧として得度していたらしいが、女優業の引退はしてないらしい。(ホッ)



今回調べてみると、子供の時に知らなかったプライベートの数々を知る事になってしまったが、それにはあんまり触れたくない。


興味がある人は調べればいいし、私はスクリーンやテレビで観ていた印象だけで充分である。



思えば、小川真由美さんの映画やドラマを、数々観ていた自分に、今更ながらに驚く。



映画『八つ墓村』の後家さん『美也子』役。


映画のラスト、鍾乳洞で萩原健一を追いかけまわすシーンは、今思い出しても夢に見るくらい、超怖くてトラウマものである。

(突然 ↑ これですもん。あ~こわ)




ドラマ『積木くずし』では、不良になってしまった高部知子相手に、ひたすら耐え抜く母親役。


「ババァ、さっさと金をよこしな!!」


「ないのよ、香緒里ちゃん!渡せないのよ!」


「くれよ!金くれよぉー!」


髪を引きずられても、蹴られても、財布を抱えてうずくまり耐え続ける。(もう、これもインパクトありすぎて忘れようたって忘れられませんよ)




こんな耐え抜く母親役と真逆なのが、鎌田敏夫が脚本を書いた、ドラマ『会いたくて』。


確か、荻野目洋子井森美幸が孤児院で育っていて、荻野目ちゃんは真面目に東京ドームでバイトしてるんだけど、親友の井森美幸は仕事もバイトも長続きしないノーテンキな楽天家だったはず。


そんな荻野目ちゃんには、自分を捨てた、まだ見ぬ母親がいる事が分かるのだが、その母親が小川真由美さん。


でも、暴力団の男たちに命を狙われていて、ちょっと困った母親。(ちょっとどころじゃないか)


20年ぶりに会った母親に、いきなり「助けてー!」と言われて、荻野目ちゃんもビックリ。


こんなダメな母親でも、庇いながら命からがらの逃避行がはじまるんだけどね。(これ面白いのにDVDにならないの?)

ポール・アンカの主題歌『You Are My Destiny』が印象的でした。



なんか、書けば書くほど、こんな風に、ぞろぞろと出てくる小川真由美さんのドラマなのである。



そんな数多い出演作で、私が一押しなのが、『ねずみ小僧』シリーズなのだ。

昼間は常磐津(『ときわづ』と読む。三味線に合わせて浄瑠璃を語る)のお師匠さんである『お京』(小川真由美)なのだが、夜になれば変身する。


黒装束に少し朱色をのぞかせた衣装に身をつつみ(これが超カッコイイ~)、江戸の平和を守る為に、陰ながら暗躍する義賊『女ねずみ小僧』になるのだ。


暗闇の中、高い塀をよじ登って、屋根から屋根をピョンピョン飛びながら、走り抜けていく女ねずみ小僧🏃。(まぁ、危ないことよ。もちろんスタントもあるだろうけど、小川さんも頑張っております)


悪代官たちが高笑いする座敷の障子のすき間から、ソーッと、女ねずみ小僧『お京』の切れ長の目が覗いていて、キラリ✨と光っている。(ドキッ!(; ゚Д゚))


そうして悪者たちをバッサバッサと倒していく。


この《殺陣(たて)》のシーンも、(猛特訓したのだろうが)流れるように軽やかで、スピード感もあって超鮮やか。


決してダレル事もないし、一目で観る者を惹き付けるのだ。



《浮世絵…》では田中邦衛扮する大工の留吉が男ねずみで相棒役。(さすがにこれは記憶もおぼろげ。)



《ご存知…》では三國連太郎が湯屋の主人で、相棒の男ねずみに扮している。(ねずみ小僧というよりは黒子みたいな感じなんだけど。画像が見つからねぇ~(笑) )



私が、よく覚えているのは《ご存知…》の方。


小川真由美さんと、飄々とした三國連太郎さんの掛け合いが面白かったです。


主題歌のヒデとロザンナが歌う『真夜中の子守唄』も印象的でした。



この後も、《女ねずみ小僧》役を大地真央さんやら、他の女優さんたちも演じているが、やっぱり《女ねずみ小僧》といえば、自分にとっては小川真由美さんで、それは別格なのだ。



こんな『女ねずみ小僧』、もう観れないだろうなぁ~と思っていたら、つい最近『ご存知 女ねずみ小僧』のDVDBOXが、ちゃんと発売されておりました。(隠れフアンは、きっといるはず)


でも、BOXは高額だし、何とか観る手段はないものか。



夜の闇を走り抜ける『女ねずみ小僧』が、うちにも来てくれて、大判小判でも投げ込んでくれたら……


そんな馬鹿な考えをオチに、ここらで終わりにしておきますね。

ナンテね。(笑)


星☆☆☆☆。