2020年2月28日金曜日

映画 「七人の無頼漢」

1956年 アメリカ。



大雨が降りつける森の中、大きな岩蔭の下に、雨宿りの場所を見つけた男二人組は、焚き火をしながら、優雅にコーヒーなんぞを飲みながら、ユックリとくつろいでいた。



旅の途中なのだろうか……そばには繋がれた馬が二頭いる。


そんな二人の元へ、雨に濡れた男が、フラリとやって来た。


「雨宿りさせてくれないか?」


咄嗟に現れた見知らぬ旅人に、身構える二人組。


「馬もなくて、この雨の中、歩いてきたのか?」

「旅の途中で盗られた」


シレ~として旅人は、そう言うと、男たちにコーヒーを要求してきた。


コーヒーを飲ませながらも男たちは警戒している。


「どこから来たんだ?」

男の一人が訊ねると、旅人の男は「シルバー・スプリングス」とだけ答えた。


男二人の顔つきが、途端に変わる。


「確か……殺しがあったとか?犯人は見つかったのか?」

「あぁ、目の前にいる二人だけはな」


そう言うと旅人は、男二人に向けて素早く引き金を引いた。


雨の中に響き渡る銃声………。






翌朝、旅人の男、『ストライド』(ランドルフ・スコット)は殺した男たちの馬を引いていた。


元保安官のストライドは妻を殺されて、大金まで奪われていたのだ。

そうして、その妻を無惨に殺したのは、七人の無頼漢たちだった。


(絶対にこの仇はとる!)

復讐を誓ったストライドは、こうして旅を続けていく………。






リー・マーヴィン見たさに、借りた『七人の無頼漢』だが、この時は、まだまだ主役なんてものでもなく、それを引き立てるような悪役。

ストライドが旅先で出会う、大金を狙う『マスターズ』を演じている。




でも!、でも!、やがて主役として君臨して輝き始める、その片鱗は充分に伺える。




もう、リー・マーヴィンがうつるだけで、目はそれを追わずにはいられないのだ。


ストライドは一味を追う途中で、幌馬車で旅するジョン・グリーアと妻アニーの夫婦と知り合い、それに、やがて合流するのが『マスターズ』(リー・マーヴィン)とクリントという男たちなのだが………


この『マスターズ』(リー・マーヴィン)、こともあろうに、そのアニーを口説きはじめるのだ。(アララ)



「あんたによく似た女を見た事がある………昔………。そんなに青い瞳じゃなかったが……」なんて、気障なセリフも、サラリと言ってのけるマスターズ。


ストライドもアニーも、怪訝な顔でマスターズを見かえすのだが…………それにしても『マスターズ』(リー・マーヴィン)の溢れ漏れる男の色気よ。


表情、声、仕草、こんなのになびかない女なんて逆にいるのか?なんて疑いたくなるほどである。(単に自分がマーヴィンびいきなのもあるだろうけど)


案の定、この後は、ストライドの怒りにふれて、翌朝マスターズはおいてけぼりにされてしまう。


憤慨した彼は、この後、ストライドの敵になるべくして、残りの一味たちの元へと、はしるんだけどね。

まぁ、主役を引き立てる悪役だし、こんな展開もしょうがないか。



でも、こんな悪役でも、画面に映れば、男の色気ムンムンで、やがてのスター性を見せつけまくるリー・マーヴィンなのである。






一方、主役ストライドを演じているランドルフ・スコットはというと…………




とてつもなく棒演技!


ビックリした!あまりの演技のヘタクソさに!



ランドルフ・スコットの映画自体は初めて観たが、色々な噂と名前だけは知っていた。それにしても………。





西部劇専門のスターで、あの有名なケーリー・グラントと仲の良かったランドルフ・スコット。


二人は12年間、一緒に住んで共同生活をしていたほどである。


「二人はゲイじゃないのか?」なんてオフレコが、当然ついてまわったほど、終始ベタベタで、一緒のスナップ写真が、今も数多く残っております。



そんな二人の仲を「本当にゲイなんじゃねぇの?」なんて、直接からかった俳優のチョビー・チェイスは、ケーリー・グラントの怒りにふれて提訴までされたらしいけど。(また、余計な一言を……)


でもケーリー・グラントも5回結婚していて、娘まで授かっているし、ランドルフ・スコットも生涯2度結婚しているし、ほんとのところはどうなんでしょう。


今となっては分かりませんけどね。



そんな噂がたつほど、ケーリー・グラントにしてもランドルフ・スコットにしても若い時は、超ハンサム。

ランドルフ・スコットも整った顔をしている。


でも、演技の方は………ゴニョ、ゴニョ………。



顔の良さだけで、戦前は西部劇のスターとして、もてはやされたかもしれないけど、戦後、歳を重ねていけば、それだけではすまなくなってくる。



動き、表情、声の出し方……自分を観客たちに惹き付けるような演技の工夫。


それらは一朝一夕では身に付くものでもないし、長年の積み重ねや内面から滲み出てくるものじゃないだろうか。




案外、本人も西部劇専門にやっていて、他のジャンルには手を出さなかったところをみると、自分の演技の限界を自覚していたのかもしれない。(こんな風に書くと、あの世からでもケーリー・グラントが現れて激昂するかもしれないけど(笑))



人は良さそうな、見るからに善人そうなランドルフ・スコットなんですけどね。





でも時代が進み、観客たちの目が肥えてくると、そればかりではすまなくなってしまい………。



その後、1962年『昼下がりの決斗』を最後に引退した。(最後の映画も大赤字をだしてしまったらしい)



ランドルフ・スコットとリー・マーヴィン。


この映画で二人を比べてみると、その差は、あまりにも歴然としていて、ランドルフ・スコットが気の毒に思えてしまうほどだ。



この映画が完成して、ラッシュを観た時、本人も思ったんじゃなかろうか。


(あぁ、俺の時代も終わった………)なと……。


顔だけ良くてもスターとしては生き残れない。

厳しい世界でございます。

星☆☆☆。

2020年2月23日日曜日

アニメ 「コブラ」

1982年~1983年。





《アーマロイド・レディのフィギュア》



今、久しぶり~に、アニメ「コブラ(放映タイトルは『スペースコブラ』)」を見終わったとこ。


やっぱ面白いわ、これ。



全31話で、ちょっと時間がある時には、サクサクと観れるので手頃である。



監督は、以前も『エースをねらえ!』で紹介した出崎統さん。



水彩画の独特な止め絵などを多様した独自の手法は、いつもの出崎統節なのだが、とにかく、この『コブラ』は動く、動く!



敵の刀やレーザー銃を、とんだり、跳ねたりして、身軽に避けながら走り回り続ける。


片手倒立から、ジャンプ!そして1回転。


くるりと振り向き様に、左手を抜くと、あらわれる『サイコガン』が、間髪入れず火をふくのだ!



当然、この時代のアニメは手描きのセル画作業だし、この自然な動きの為に毎週どれだけの枚数のセル画が使われていたのか ………(殺人的スケジュールを想像すればゾッとする)



アニメーターの方たちの苦労が忍ばれてならない。



どの回を観ても、同じカットのセル画を何度も使い回している風でもないんですもん。



だからコレは驚異的アニメであり、国がこれからも保護すべき大切な国宝級の遺産なのである。





原作の寺沢武一が描く『コブラ』の漫画も、もちろん面白い。





『コブラ』のモデルが、俳優のジャン・ポール・ベルモントなのは有名な話。(このデカい丸鼻を見れば、何となく納得か)






『ジェーン・ロイヤル』、『ドミニク・ロイヤル』、『シークレット』のモデルは、映画『バーバレラ』のジェーン・フォンダ。(これもこの姿を見れば納得)






そうして、『アーマロイド・レディ』のモデルが、大昔の1927年、フリッツ・ラングが監督した『メトロポリス』のマリアなのは、見るもあきらかだ。






こんな色々な映画にインスパイアされて描かれた『コブラ』。



寺沢武一氏も、かなりの映画好きと見た。



宇宙をかけめぐるコブラの冒険物語にも、数々の映画のエッセンスが混ざりあい、張り巡らされている。



映画好きの自分なんか、「あ~、これは、あの映画に似ているなぁ~」なんて思いながら、ひとりニヤニヤしてる。



たまの時間のとれた休みには、『コブラ』と共に、宇宙の冒険に出かけるのもいいかもしれない。


星☆☆☆☆。



※最後にひとつ疑問が。



《アーマロイド・レディって、どうやって食事(エネルギー補給)をしているのだろう?!》



あんな風に目元までメタル合金で覆われていては、口からモノを食べるなんて無理だろうし。



かといって、指先からでもエネルギー補給をするのだろうか?

それとも背中に何か充電コードみたいなモノを差し込む?




今の今まで、アニメでも漫画でも、それらしきシーンがないので、ずっと気になってます。


そのうち、寺沢武一氏が漫画で描かないかなぁ~と思っているのだが……(まぁ、描く風でもなさそうなんだけど)



今だに、アレやコレや想像するしかない自分なのでございます。

2020年2月21日金曜日

映画 「Wの悲劇」

1984年 日本。







とお~い昔、夏樹静子の『Wの悲劇』も読んだはずなのだが……。



全く覚えていない!内容を!



製薬会社を営む大富豪の邸宅で、愛憎渦巻く殺人事件が起きる、くらいのボンヤリしたような記憶だけだ。




代わりに印象深く覚えているのは、映画の方だ。


この映画『Wの悲劇』の方は、原作をそのまま映画化しているわけではなく、原作の『Wの悲劇』は、あくまでも劇中劇として取り扱っており、完全なオリジナル作品となっている。




劇団『海』が、演目として選んだ題材が、この小説『Wの悲劇』なのである。(マイナーなミステリー小説を選ぶとは………これにお客が集まるのかねぇ~)



そんな劇団『海』の若い研修生たちは、「これはチャンスだ!」とばかりに、良い役をもらえるよう闘志を燃やす。



その中のひとり、地味な『三田静香』(薬師丸ひろ子)も……。




「初めてだったのか?」

「ええ、だって男を知らないと人間として幅が広がらないというか、女優としても成長できないような気がして……」


そう言って静香は、ある夜、劇団の先輩俳優『五代』(三田村邦彦)と一夜を供にした。(なんて早まった事を!)



1度限りの後腐れのない関係……そして静香は決心する。


(これで前に進めるわ!そして、次こそは必ず大役をつかんでみせる!)




そんな静香が、野外公園のステージで練習していると、見知らぬ男が興味深げに話しかけてきた。


「君、お芝居やってるの?」


男は、『森口昭夫』(世良公則)といい、今は不動産の仕事をしているが、昔、芝居をしていた事もあり、熱心に練習している静香が気になった様子である。



それからも、公園で度々会った二人は次第に打ち解けて話すようになってきた。



やがてオーディションがあり、そして配役の発表日。



静香に与えられた役は、あまりセリフのない女中役(トホホ……)とプロンプター(役者が台詞を忘れた時に裏方でフォローする役目)だった。


そばでは、ライバルとして、しのぎを削っていた同期の『菊地かおり』(高木美保)が、「ヤッター!」と大喜びしている。


『Wの悲劇』の念願だった主役、和辻摩子役を、とうとう手に入れたのだ。



その様子を見て、さらに落ち込む静香。





夜もふけて、静香の足は知らず知らず、あの野外公園のステージに来ていた。


そこで落ち込む静香を見かけた森口は、思わず「結婚しよう!」と言うのだが、静香は女優の道を捨てきれないでいる。


「君が女優として成功した時は、楽屋に花束を送ってやる」

森口なりの励ましに、苦笑いで応える静香なのだった。




そんな静香を劇団の大先輩で大女優の『羽鳥翔』(三田佳子)も慰めてくれる。(お小遣いまでくれちゃう気前のいい翔)



大坂公演の後、静香はお礼がてら、翔のホテルを訪ねると……そこには血相を変えて取り乱した翔の姿が。


「ど、どうしたんですか?翔さん?」

部屋の中では、不倫相手で長年のパトロン『堂原』(仲谷昇)が死んでいた。



行為中の《腹上死》だった。(中年同士で、どんだけ激しいの?(笑))



その死体を見て、静香も、さすがに絶句して後ずさりする。



死体のそばでは、翔が「どうしよう……どうしよう」と言い続けているが、翔は静香の姿を見ると「助けて!助けてちょうだい!」と、いきなり泣きついてきた。


「助けるったって……私にどうしろと?」

「堂原があなたと一緒にいた事にしてちょうだい!」

「そんな………」

「このお礼は必ずするわ!あなたの望みなら何でも叶えてあげる!主役が欲しいんでしょ?その望みを叶えてあげるわよ!!」




こんな中年男の身代わりを、私にしろと?



………でも、これで主役になれるのなら………



翔の悪魔のような囁きと、モラルを天秤にかけて、揺らぐ静香だったが、すぐさま答えは出た。


「分かりました」静香は合意した………。




それからは、警察の取り調べ、マスコミの記者会見などを、全て仕事のように淡々とこなしていく静香。



その後には、最大級の褒美が待っている。



『Wの悲劇』の主役。

静香は、いきなり端役から、主役『和辻摩子』に、ジャンプアップ!

大抜擢されたのだった。




だが、この突然の主役変更に、納得できるはずもなく………劇団員たちは、当然ざわつきはじめた。


(どうして、あの子が?)

(何か汚い手でも使ったんでしょうよ……)なんていう陰口もチラホラ。




代わりに突然、役を降ろされた菊地かおりは、納得できるはずもない。


「翔先生!」

「あなたじゃダメなのよ!摩子役、誰かに変わってもらわなくちゃ、私できないわ!」

かおりは憎悪をむき出しにして去っていった。




それでも、静香は動じる事はない。


(これが自分で選んだ道……どんな手段でも主役は私なんだから……)



静香の舞台『Wの悲劇』の幕が開く……。





この後は、この映画、もう名セリフのオンパレード。



《名セリフ1》そんな汚いやり方で、役を手に入れた静香に激昂する森口に向かっては、


顔ぶたないで!私、女優なんだから!(顔は女優の命ですもんね)





《名セリフ2》『Wの悲劇』の幕開け前に、覚悟をきめたはずなのに、緊張でガクガクの静香に翔が言う言葉も印象深い。



女優!女優!女優!勝つか負けるかよ!(女優のお仕事も大変)





《名セリフ3》さあ、いざ本番、『Wの悲劇』の幕があがると、『摩子』(静香)のセリフが、


私、おじいさまを殺してしまった!おじいさまを刺し殺してしまった!!(この芝居のセリフ、これで掴みはO.K!)





《後、隠れた名セリフ4》別れを決意して去ろうとする静香に、後ろから昭夫が声をかけるのだが……


これが俺たちの千秋楽なのかよ?!


なんてのもある。(こんな臭いセリフも世良公則だから、カッコ良いんだけどね)





現実世界では、到底使わないような言葉が、ポン!ポン!飛び出してきて、まぁ楽しい事!


そして、こんなインパクトがあるセリフは、当時バラエティー番組なんかがあると、こぞって取り上げてマネしたものである。




それまで、薬師丸ひろ子の映画は何となく不得手だった。


でも、この映画に関しては大好きになってしまった。(もちろん名女優、三田佳子さんも)





そして、薬師丸ひろ子の歌の上手さも、この映画で改めて再確認したような気もした。




この映画の主題歌、『 WOMAN~(Wの悲劇より~) 』は、ハッキリ言って、超ムズカシイ難易度の高い曲で、誰でもが簡単に、一朝一夕(いっちょういっせき)で歌えるシロモノではないのだ。


ともすれば、暗く陰鬱そうな、このメロディーラインを、薬師丸ひろ子の伸びやかな声が、救い上げるように、みずみずしく歌いきっている。


作曲は、あの松任谷由実だが、作ったユーミンのダミ声でも、このカバーだけは絶対に不可能。



薬師丸ひろ子だからこそ、歌いこなせる楽曲なのである。




そして、あれから、数十年以上経った今でも、当時と同じキーで歌い上げている彼女の歌唱力は驚異的。


たまにテレビで観ても、スンナリ聞き惚れてしまうくらいだ。



DVDには(レンタルでも)、本編の映画の他にもメイキングや、何と、薬師丸本人の歌唱シーンもあって、超贅沢な気分を味わえる事請け合い。


是非、是非、観るべしである。

星☆☆☆☆☆。

2020年2月16日日曜日

映画 「悪魔のような女」

1955年 フランス。






男ひとりに、妻と愛人……。


この三角関係は、古来から続いていて、男と女がいれば逃れようもない、これから先も続いていく永遠のテーマのようなものだ。




そして、この関係図で、真っ先に思い出させるのが、この『悪魔のような女』である。




名作『恐怖の報酬』のアンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督の、もう1つの傑作。


1996年にもイザベル・アジャーニやシャロン・ストーンでもリメイクされている。






病弱で気弱な『クリスティーナ』(ヴェラ・クルーゾー)は夫の『ミシェル』(ポール・ムーリス)と共に、パリの郊外で寄宿制の小学校を経営していた。


大勢の生徒や教師たちがいる学校では、こんなクリスティーナに采配なんてのが務まるはずもなく………

代わって夫のポールが実権を握り、校長としてふんぞり返っている。



そんな、ミシェルに逆らう者などなく、常にやりたい放題の日々。



育ち盛りの生徒たちに出される給食なんてのは、ミシェルのドケチ根性丸出しで質素なモノばかりである。



(可哀想に……ちゃんとした食事をさせてあげたいわ)


クリスティーナが、こんな風に思い意見でも言うものなら、ミシェルの荒々しい言葉が逆に返ってくる。



「贅沢な!何でも食え!飲み込め!食べられるはずだ!!」

腐りかけた魚でも無理強いして、食べさせる始末。(ゲゲーッ!)



そんなミシェルは、妻がいながらも同じ小学校の教師『ニコル』(シモーヌ・シニョレ)を、隠しもしないで、堂々と愛人にして囲っていた。


「どうしたの?」

サングラスをかけているニコルを、たまたま見かけたクリスティーナは、ふと話しかけた。


サングラスを外すと、そこには青く殴られた痣が。


夫のミシェルにやられたのだと言う。



もはや、二人は我慢の限界。


妻と愛人の二人は、結託してミシェルの殺害を考えはじめた。



そうして計画を開始した二人。



二人は旅行に行くと言って小学校を出ると、ニコルの自宅にミシェルを電話で誘いだす事にした。


「離婚したいのよ、ミシェル!!」


電話のクリスティーナの言葉に、慌ててやってきたミシェル。


そして、ニコルの自宅に呼び込むと、二人は、言葉たくみに騙して、飲み物の中に入れた睡眠薬を、コッソリ飲ませた。



「どうやら眠ったようよ」

「今のうちよ」

女二人は、ミシェルを担ぐと、やっとこさ風呂場の浴槽に運んで沈めた。


「死ね!この!死ね!!」なんて言いながら暴れるミシェルを浴槽の水の中に押さえつける二人。(なんちゅー殺し方じゃ!)



やがて、ミシェルはおとなしくなり、完全に水の中でブクブクと沈んでいく。


「さぁ、今度はコイツを運ぶのよ!」


ニコルの怒声が、気弱で放心状態のクリスティーナを急き立てる。


その後、二人は遺体をくるんで車を走らせると、何と、自分たちの小学校の使っていないプールに、ドボン!と放り投げたのだ。(まぁ、難儀な事を!でも雑な遺体の後始末)



でも、次の日から、学校に戻ってきたニコルとクリスティーナは、旦那を沈めたプールが気になってしょうがない。


プールの水は、底さえも覗けないくらい淀んでいて汚れている。


水面には、落ち葉や枯れ木が、ユラユラと動いているだけ。




それを、暇さえあれば、校舎の窓から、ずっと見ているクリスティーナ。


(あの水底にミシェルがいる……冷たい水の奥深くに………私たちを恨んでいるかしら?………本当にこれでよかったのかしら?)



時に罪悪感で押し潰されそうになるクリスティーナ。


そんなクリスティーナをニコルは叱咤する。


「しっかりするのよ!何も証拠はないんだから!!」




だが、そんなクリスティーナの前に、死んだはずの夫、ミシェルの痕跡のようなモノが次々と現れ出した。


「あの窓ガラスに校長先生がいたよ!」

ある日、生徒のひとりがミシェルを見かけたという。



(ウソ?!ミシェルは……彼は死んだはずよ!……)


怯えだすクリスティーナ。



(夫は確かに死んでいるはずだ!)

(プールの底に遺体はあるのだから……それとも蘇生して再び生き返っているの?)



グルグルと考えをめぐらせ始めるクリスティーナの周りでは、さらに奇怪な現象があらわれだすのだった………。





この後は、「これでもか!、これでもか!」っていうほど、ホラー映画のような展開がどんどん続いていって、すっかり憔悴していくクリスティーナ。



そうして、最後の最後に、大どんでん返しが待ち構えている。



映画公開時には、「決して結末を教えないでください」なんて、うたい文句まであったくらいで、初めて観た人は、それなりにビックリする事だろう。


自分も、この映画を初めて観た時は、感心した。(かの有名なヒッチコックは素直に大感動したらしいが)


「ホォー」なんて言葉も出たくらいだ。





でも、……

映画を観ながらも、頭の隅にず~っと違和感のように思う事が、チラホラあったのも事実で……。



それは、

『妻と愛人が結託なんてするのかねぇ~』という、ごくごく自然な違和感だ。



どんなに酷い事をしている夫でも、妻が最初に憎むべき対象になるのは《 不倫相手の女性 》。



不倫相手の女性も、また逆で、憎むのは《 妻 》なのである。



《女の敵は女》とはよく言ったものである。



そんな、妻と愛人が結託してまで殺人をするのかねぇ~?




こんな風に考えると、気弱なクリスティーナが、夫にも、ニコルの提案にも逆らえないのは百歩譲って理解できても、一番理解できないのは《愛人ニコルの行動》である。




ニコルなんて、校長のミシェルが嫌なら、さっさと学校を去ればいいだけの話。


無理に殺す必要なんかないのだ。



ましてや、妻と共謀して殺人に加担する必要もない。


愛人のニコルには、そこまでするようなメリットは、全くもって何もないのだ。




でも、クリスティーナに協力するという事は……… 《何か裏があるんじゃないのか?》



普通なら誰でも、こんな風に推理するはずである。



と、ここまで書くと、勘の良い人なら結末を話さなくても、おのずと、このカラクリがどういうものなのか、想像がつくだろうと思うのだが……どうだろう?



そして、『悪魔のような女』が誰の事を指すのか、お分かりになるはずである。





ただ、この映画では、観るべきところは、そんな《どんでん返し》だけじゃない気がする。



それが、アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督の優れた演出方法。


プールの水や、浴槽に張る水なんかには、「ヌメェ~」、「ドヨ~ン」とした感じが、妙に伝わってきて、この人の映画ならではの怖さを感じてしまうのだ。(リメイクには全然、こんな怖さを感じなかった)



やっぱり、そういう見せ方ひとつでも、他の監督たちとは、まるで違うと思っている。



どんな汎用な話でも、名監督の手にかかれば、傑作になり得るんじゃないのか?



そんな風に思わせてしまう『悪魔のような女』の一編なのでございました。

星☆☆☆☆。

2020年2月15日土曜日

映画 「怒りの荒野」

1967年 イタリア。





主演はジュリアーノ・ジェンマとリー・ヴァン・クリーフ。




ある日、友人Mさん(69歳)が、電話をかけてきて、今、『怒りの荒野』を観てると言う。

何をかくそう、Mさん、この、ジュリアーノ・ジェンマの熱烈な大フアン。


で、自分に、

「是非、これを観ろ!観ろ!」とうるさく言ってくる。


自分は「ハイ、ハイ、分かりましたよ」と、取り合えず返事はする。


「これを観ずして西部劇なんてのは語れないぞ!」

視聴真っ只中で興奮気味のMさんは、押せ押せの熱量で、まるでやり手のセールスマンのようだ。


「ヘ~イ、分かりました」と安易な返事をして電話をきる私。


(でも、誰?『ジュリアーノ・ジェンマ』って?)ってな感じの自分。



アメリカ西部劇は、大体は観ていても、イタリア西部劇なんてのは、とんと観たことないし。


レオナルド・ディカプリオが、『ワンス・アポン………』でも、

「イタリア西部劇が、どんなに低質な映画なのか知ってるのか?」と、散々、馬鹿にしていたし。


(まぁ、どうせ、内容なんてないような映画なんでしょ……)なんて思いながら、話の種になればと、期待もせずに視聴を始めたわけだが…………。




面白いじゃないですか!!




この映画、もうオープニングから、西部劇とは思えないほど、小気味良い音楽と映像がオシャレ。


ジュリアーノ・ジェンマリー・ヴァン・クリーフの顔がスライドされて、右に左にいったり来たり。


画面が分割されて、ガンマンがピストルを抜く場面がモノクロになり、青やピンクや緑の鮮やかなバックに映えること。


オードリーの『シャレード』や007などの、そんな雰囲気を思い出させるような、オッシャレ~なオープニングで始まるのだ。



ストーリーは、至って簡単。



メキシコの小さな町で、売春婦の息子として蔑まされて生きてきた青年『スコット』(ジュリアーノ・ジェンマ)が、ふらりとやって来た、さすらいのガンマン、『タルビー』(リー・ヴァン・クリーフ)に指南されて、凄腕のガンマンになっていく成長物語だ。


タルビーがスコットに叩き込む『ガンマン10ヶ条』なんてものまである。



教訓の1、 決して他人にものを頼むな。

教訓の2、決して他人を信用するな。

教訓の3、 決して銃と標的の間に立つな。

教訓の4、 パンチは弾と同じだ。最初の一発で勝負が決まる。

教訓の5、 傷を負わせたら殺せ。見逃せば自分が殺される。

教訓の6、 危険な時ほどよく狙え。

教訓の7、 縄を解く前には武器を取り上げろ。

教訓の8、 相手には必要な弾しか渡すな。

教訓の9、 挑戦されたら逃げるな。全てを失う事になる。

教訓の10、 皆殺しにするまで止めるな。




何だか、よ~分からんようなタルビー先生の10ヶ条なのだが、これさえ出来れば、あなたも今日から『凄腕ガンマン』になれるらしい。(「教えてやるんだ、ありがたく思え!」と言いながら、スコットから金を巻き上げるタルビー先生は、ちょっとばかしセコイが)



従順なスコットは、タルビーの教えを守って、着々と強くなっていく。


だが、タルビーのガンマンとしての腕は尊敬しても、次第にタルビーの邪悪な本性を知っていく。



やがて、師匠と弟子の考え方はズレが生じていき、二人は、とうとう対決をむかえるのだが……。





Mさんには悪いが、ジュリアーノ・ジェンマには、別にフアンにも何にもならなかった。(何だか始終、口をポカ~ンと開けているジェンマが、最後までアホ面に見えてしまったのだ。ゴメンナサイ!(笑))





かわりに、カッコイイなぁ~と思ったのが、悪役のリー・ヴァン・クリーフ。


口髭の似合う、まるでダンディーを地でいくようなオジサマじゃないですか!


渋い!

立ち姿といい、銃を構える姿といい、何もかもがカッコイイのです。


この方、ゲーリー・クーパーの『真昼の決闘』にも出演していたのだが、観ているはずなのに、とんと覚えてない自分である。(機会があれば、見直してみようっと)




調べてみるとタランティーノも、この映画の熱烈な大フアンらしい。(あら、やっぱり、そうだったのか?!)


まぁ、何にせよ、Mさんありがとう。


イタリア西部劇、侮るなかれですね。


やはり、先人の教えはキチンと聞くものですね。(タルビーに教わるスコットのように)


星☆☆☆☆です。

2020年2月13日木曜日

映画 「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」

2019年 アメリカ。



☆祝☆ブラッド・ピット、アカデミー賞助演男優賞、受賞おめでとうございます。


この『ワンス・アポン……』の受賞は納得かも。(それにしてもタイトルが長いなぁ~『むかし、むかしハリウッドで』でも良さそうなのに)


落ち目の映画スター、『リック・ダルトン』(レオナルド・ディカプリオ)のスタントマン、『クリフ』を演じているのがブラッド・ピットである。




かつては西部劇のスターだったリックも今じゃ、パッとしない。

テレビドラマの悪役を、単発でポツポツと続けるような仕事ばかり。



そんなリックを見捨てたりもせずに、従順なクリフは、何かと世話をしてくれている。

飲酒運転で免停になったリックの代わりに、運転までしてやって、映画プロデューサー『マーヴィン』(アル・パチーノ)との待ち合わせ場所まで連れていってくれる優しいクリフ。


「君の西部劇には感心しているんだ!どうだ?イタリアで西部劇をやらないか?!」


マーヴィンの提案にリックは、たちまち難色の顔。


ゲゲッ!イタリア映画だって?!


イタリア映画がどんなものなのか知っていて言ってるのか?、このオヤジ?……あんな最低の映画に、この俺様が?!(イタリア映画に失礼じゃねぇの?(笑)クリント・イーストウッドだって、売れる前はイタリア映画『夕陽のガンマン』から始めたんだから)


「このまま、悪役を続けるよりは、よっぽどいいと思うぞ!その悪役の仕事も1年後、2年後にはどうなっていくのやら……君は、次第に忘れ去られていく。イタリアに行って映画を撮るんだ、リック!!」




マーヴィンとの話し合いが終わると、リックとクリフは車を置いてある駐車場に出た。

すると、リックの顔がグシャグシャに歪み、突然、泣き出した(?)


「あの野郎、言いたい放題言いやがって~!」


プライドをズタズタにされたリック(レオナルド・ディカプリオ)はクリフ(ブラッド・ピット)の肩を借りて、まるで子供のように泣きはじめた。(アラアラ……)


それを「あ~、よしよし……」と慰めるクリフは、どこまで人間が出来ているのか、まるで聖母のように優しい。


もはや、スタントマンの域を越えて、まるでリックの母親かベビー・シッターのような役まわりのクリフである。



そんな二人のそばに、あの有名な監督『ロマン・ポランスキー』が引っ越してくる。

妻で女優の『シャロン・テート』(マーゴット・ロビー)を伴って………。






リックとクリフは創作だが、ロマン・ポランスキーやら、シャロン・テート、チャールズ・マンソン、ブルース・リー、スティーブ・マクイーンなどは、実在の人物。


虚構と現実の人物が混じりあって、何ともいえない、これはおとぎ話のような映画である。




もちろん、チャールズ・マンソンの事件は知っている。


生まれついての犯罪者マンソンは、ヒッピーたちを束ねてカルト集団を作り上げた。

家出少女たちにセックスを強いて、麻薬の力を借りては、狂信的な信者を増やしていったマンソン。

自らは手を汚す事なく、カルト集団のトップとして、殺人命令だけをくだす冷酷非道なマンソン。



そんな異常すぎる日常を送っていたマンソンだったが、正反対に、ごくごく普通の夢を持っていた。



それは『ミュージシャン』になる事。



でも、その夢を馬鹿にしたのが『テリー・メルチャー』という男。

ミュージシャンとしてメジャー・デビューするのが夢だったマンソンは、テリーを恨み続け、そして、ある日、


「テリーを殺せ!」と信者たちに命令する。



だが、テリーは、すでに引っ越した後で、たまたま、その後に越してきていたシャロン・テートと数名が、間違って、信者たちに惨殺されたのだった。(ドジで馬鹿な信者たちである)

《実際のシャロン・テート本人》


当時、ロマン・ポランスキーは撮影の為、留守だったので難を逃れたが、妻のシャロンは妊娠していて、お腹の子供もろとも殺される。




このショッキングな事件は、当時、アメリカ全土を震え上がらせ、マンソンの名は一躍有名になった。


実行犯はもとより、マンソンも逮捕されたが、マンソンは死刑にはならず2017年(最近)まで獄中暮らし。そうしてやっと亡くなった。

《実際のチャールズ・マンソン本人》


世間は、シャロンと子供を殺されたポランスキーに同情的だったが、この話には、さらに後日談があって、今度はポランスキーがとんでもない事を仕出かす。



13歳の少女への強姦事件。



ポランスキーは逮捕されるが、無実を訴えて、取りあえずは仮釈放になる。



だが………大胆にも、その最中に国外逃亡するのだ。

それ以降はアメリカに戻らず、現在に至る。(アメリカに戻れば、即、逮捕ですもんね。まるで最近のゴーン容疑者のような逃亡劇)




こんな凄惨で、残忍で、目まぐるしいほどの事件の数々。


映画の題材にならないわけがない。


マンソンやシャロン・テートの事件も、何度か映像化されています。




で、こんなロマン・ポランスキーやシャロン・テート、チャールズ・マンソンに、今度はクエンティン・タランティーノが挑む。



冒頭のリックとクリフのやり取りを見ても分かるように、凄惨とは、真逆なライト感覚の映画に仕上がっている。


平凡な人間なら、この題材を、「どれだけ残忍な映画にするか」ばかりを考えるはずだが、それだけにならないところが、タランティーノの優れた才能なのだ。(まぁ、火炎放射器をぶっぱなしたりするレオ様やら、ぶっ飛んだ場面もあるにはあるけどね)



ふて腐れて、子供っぽくて、俺様俺様してる『リック』(レオナルド・ディカプリオ)は可愛げがあって、何かと、そちらにばかり目がいきそうだが、飄々としてストイックなブラッド・ピットも中々である。


過剰にならずに、ごく自然に見える演技は、ディカプリオとの対比で、今回は好評価された。


この人、見た目のイケメン度合いばかりが先行されて、勘違いされがちだが、昔から演技派だと思っていたので、今回の受賞は、「やっと……」って感じである。



マーゴット・ロビーに関しては、今回の映画では、特に可もなく不可もなく。(トーニャ・ハーディングは面白かったけどね)


2時間40分は、さすがに長いなぁ~と思ったけど、あんまりダレル事なく観れたかも。


星☆☆☆☆である。

レオナルド・ディカプリオとブラッド・ピットのコンビで観る価値、大いにあり。

2020年2月10日月曜日

ドラマ 「陽あたり良好」

1982年。






♪とって~おきの春を~連れてきたよ、君に~(by竹本孝之)



とっても歌が上手い、竹本孝之。

よく観てたなぁ~、このドラマ。





『岸本かすみ』(伊藤さやか)は、この春、明条高校に入学する。


その明条高校に通うために、叔母の『水沢千草』(木内みどり)の元に下宿する事になった。


「ここが、ひだまり壮かぁ~」

未亡人となった千草は下宿屋を経営して、かすみも高校に通いながら、手伝う事となった次第。


玄関を開けると、叔母の千草が出迎えてくれた。


「よろしくお願いします、おばさん!」

「ちょっとやめてよ、かすみちゃん。私まだ若いんだから。私の事は『千草さん』って呼んでちょうだいね!」

(木内みどりも、この時、まだまだ30代ですもんね)




『ひだまり壮』には、ちょっとドスケベな美樹本伸(「わぁ~君可愛いねぇ~」なんて言う根っからの軟派人)、大食漢の有山高志(この太った体型で、一応サッカー部)、相戸誠(メガネ、勉強の虫)などなどの個性豊かな面々が揃う。



(どいつも、こいつもパッとしない野郎たちばかりね………まぁ、でも私には愛しの克彦さんがいるけどね……)



かすみの恋人で大学生の村木克彦は、ただいま米国へ留学中。

会えない日々を埋めるように、『かすみ』は手紙を送る毎日だ。


(あ~ん、克彦さん。愛しい、愛しい克彦さぁ~ん……)なんて暇さえあれば、想いをはせる、かすみである。


「あと、もう一人下宿人が来るはずなんだけど………遅いわねぇ~ ……」千草のボヤキも、かすみの耳には入らないようである。



そして、夜。


もう一人の下宿人、『高杉勇作』(竹本孝之)が、やっと『ひだまり壮』に現れた。



「まぁ、勇作くん、ずぶ濡れじゃないの!」

(このあたり、記憶があやふやで、何故?ずぶ濡れだったかの理由を忘れてしまったが、確か人助けか、人命救助だったはず)



着いたそうそう、着ているものを全て脱いで、勇作は風呂に入ろうと、浴室の扉をガラガラッ、と開けるとそこには、

「キャアァーーー!」

先に入浴していた、一糸まとわない姿の『かすみ』の姿があったのだった。(なんて羨ましい奴)





そして、しばらくして、プンプン怒っている『かすみ』や皆の前で自己紹介する勇作。


「高杉勇作です。ヨロシク。高校では応援団に入るつもりです!」

「何で応援団?」

「俺って、一生懸命な奴を見ると、無性に応援したくなるんですよね」


(フン!変わってる!何が応援団よ!それにしても………愛しの克彦さんにも見られた事もない、私の裸を、あんな奴に見られるなんて………)


そんな『かすみ』の思いなど気にせずに、勇作は、シレ~ッとしている。そして元気よく挨拶した。


「ヨロシクね、かすみちゃん!」と。





こんな感じの『陽あたり良好』第1話じゃなかったかな?(なんにせよ、遠い記憶を、思いだしながら、探り探り書いてるので、あまり自信はないのだが……)




このドラマで、伊藤さやかを知ったのだが、本当に可愛かった。


ふんわり広がる髪形が似合っていて、ちょっと小柄で小悪魔的。

でも、笑うと、とびっきりの弾けるような笑顔を向けてくれる。



彼女も、あの『花の82年組』(松本伊代、早見優、堀ちえみ、中森明菜、小泉今日子などなど)と同じようにデビューは1982年である。


アイドル豊作の時期で、デビューした時期が悪かったのか(まわりが強敵ばかり)、このドラマ以降は、ほとんど見かける事もなくなってしまった。



しばらくした後、彼女の名前を再び見つけたのは、アニメ『さすがの猿飛』の主題歌。

オープニング曲『恋の呪文はスキトキメトキス』を歌っているのが、彼女だった。(なかなか名曲ですぞ)



そして、またもや見かけなくなってしまった彼女である。(細々と女優業を続けてはいるようなのだが……)





竹本孝之もカッコ良かったなぁ~。


クサイ台詞や歯の浮くような台詞でも、竹本孝之が言うと、なぜか妙にキマッていた。


こちらも強敵揃いの1981年デビュー。(同期には、近藤真彦、ひかる一平、沖田浩之など、そうそうたる顔ぶれだ)


そんな強敵の中でも、コンスタントに、『だんなさまは18歳』やら『まんが道』なんていうドラマをこなしていたんだけど、最近では、こちらもメディアで、とんと見かけなくなってしまった。



それでも、なんとか、細々とライブ活動だけはしていて、まぁ、引退はしていないようだが。





もちろん原作は、あの『タッチ』や『みゆき』のあだち充なのだが、当時、漫画の方を読んでなかった自分は、このドラマが最初でした。



この二人の掛け合いや、なんともいえない距離感やドキドキ感が、まさに思春期の自分にはドンピシャリ!で、毎週観ていたものです。


他の下宿人たちのキャラクターも良かったけどね。


主題歌の『とっておきの君』もいいけど、挿入歌で流れる『二度とない時に』も、これまた名曲である。



♪俺の中にある~いい加減な奴ら~


♪今、しばらく昼寝をしてなぁ~

(歌詞だけ見れば、「なんじゃコリャ?」なんだけどスローなメロディーにのせて竹本孝之が歌うと、「ジ~ン」と感動する)





これレンタルないのかなぁ~、レンタルになればいいのに。




50代には懐かしい、……あの頃の青春の甘酸っぱい思い出……

星☆☆☆☆。

2020年2月6日木曜日

映画 「スーパーマン」

1978年 アメリカ。






ここ最近まで、ず~と『ランボー』を書いてきて思った事。



やっぱりシルベスター・スタローンの吹き替えは、この人で大正解である。


ささき いさお』さん。



もちろん、歌手としての『ささき』さんも大好きだし、素晴らしい日本の宝のような人である。(ヤマトのエンディング『真っ赤なスカーフ』は名曲中の名曲)


低音の伸びやかに響く声は、音楽に無知な自分にも、充分に伝わり、心を揺り動かされてしまう。


そして、前回、『中原理恵』さんのドラマの事を書いている時に、「もう、次は、この映画しかないだろう」、というのが、頭のどこかに、自然と浮かんできたのだった。



それが、この『スーパーマン』。



「あれは何だ?!」

「鳥だ!飛行機だ!」

「いや、スーパーマンだ!!」

(流行ったなぁ~、この掛け合いのフレーズ)



『スーパーマン=クラーク・ケント』(クリストファー・リーヴ)の吹き替えは、ささき いさおさん。

恋人の『ロイス・レーン』(マーゴッド・ギター)の吹き替えは、中原理恵さんがあてているのだ。





この『スーパーマン』が、公開された当時は、まさに衝撃的だった。


まだ、CGすら無い時代である。



空中にギューン!と浮かび上がるスーパーマン。

すると、すぐさま加速して、マントが風になびき、雲間をグングン、猛スピードで、突き進んで行く。


それは観ている我々も、大空の彼方へと誘い、一緒に飛んでいるような気分にさせられた。



(いったい、これ、どうやって撮影しているんだろう……)


子供ながらに、そう思いながらも、今まで観たこともない映像が、画面一杯に、次から次へと、押し寄せてきて……

そして、いつしか、そんな疑念は振り払われて、


「スーパーマンは本当に実在するかも……」なんて、錯覚させてしまうほどだった。



そのくらい、監督のリチャード・ドナーの演出は素晴らしかったし、何より主演を演じた、クリストファー・リーヴが自分には、まるで本当に異星人。


そう、人間離れしてみえたのだ。


クリストファー・リーヴの見た目が、また凄くて特徴的。


薄青い瞳に、長く伸びた鼻。

発達した顎は岩をも砕きそう。


そんな顔を支えている、まるで大木のような太い首。


肩や胸筋なんて、「これでもか!」ってくらいムッキムキ!(胸囲なんて何メートルあるのやら)

太ももなんて、成人男性のウエストくらい、ゆうに盛り上がっている。



こんな見た目、規格外のクリストファー・リーヴなので、「違う星からやって来た」なんて言っても、説得力充分だったのである。




でも、こんなクリストファー・リーヴだが、クレジットでは、この映画では、まだまだ3番手。


全くの無名だったのもあるだろうが、1番手に名前がでるのは、あのマーロン・ブランドーなのだ。


スーパーマンの父親、『ジョー・エル』を演じているマーロン・ブランドなんだけど、個人的には、昔から苦手。



《メソッド演技法》が、上手くいく時はいいのだが、大体がボソボソした台詞まわしで、吹き替えじゃなきゃ何を喋っているか分からない演技をしている。(※《メソッド演技法》については、【羊たちの沈黙】で以前、語っているので、そちらを参照下さいませ)


この『スーパーマン』でも、はなから、やる気がなかったのか……高額なギャラだけを貰って、台詞も覚えずに、あちこちにカンペの紙を置いては、おざなりに台詞を喋っていただけだったらしい。(こんなのアンソニー・ホプキンスなら、「演技者の風上にもおけない!」と大激怒だろう)



その後に、2番手で、敵役の『レックス・ルーサー』を演じたジーン・ハックマンの名前が出てきて、やっと3番目にスーパーマンであるクリストファー・リーヴの名前がクレジットでは並ぶ。



主役なのにねぇ~。



こんな不満もあれど、映画の中身は、クリストファー・リーヴが、主役で充分、牽引している。



もちろん恋愛要素だって。


キャリア・ウーマンの先駆けで、新聞記者クラーク・ケントの正体がスーパーマンとは知らずに、恋してしまう『ロイス・レーン』(マーゴッド・ギター)。



ロイスを誘って、空中遊泳なんて、スーパーマンしか出来ないような、ロマンチックな恋愛アプローチだ。



綺麗な星空を二人、手を繋いでの甘いランデブー。



こんなシチュエーション、ロイスじゃなくても女性なら、誰でも一発で「惚れてまうやろー!」じゃなかろうか。


何だか、こうして記憶を探りながら書いていると、自分も無性に観たくなってきた『スーパーマン』。


たまには観てみようか、『スーパーマン』を。

星☆☆☆☆。


2020年2月5日水曜日

ドラマ 「男と女のあいだには」

1982年。




《写真は中原理恵さん》




役名すら覚えていない。


ドラマのあらすじさえ覚えていない。


Wikipediaにすらないドラマなのだが、なぜか?これも忘れられない幻のドラマ。




唯一、資料としてあるデータベースを今更、調べてみると主演が中村敦夫さんだったのか?(全く覚えてない)


火野正平や西村晃、山城新伍なんて人たちも出ていたようだ。



だが、男性陣の印象は全くもって覚えていない。



こんな覚えていない尽くしのドラマの事を、これを読んでいる人は「何を書くつもりなんだ!」と思うだろうが、このドラマのインパクトは別にあるのだ。






仲の良い3人組、中原理恵和田アキ子、樹木希林がいるのだが、和田アキ子が売れない女優役だった気がする。


だが、中原理恵と樹木希林の助力で(全く芸能界には精通していない素人なのに)、和田アキ子をバックアップして再起、歌手デビューさせようと計画するのだ。





「ん~何か、そうね……まずはインパクトのある芸名に変える事がいいんじゃないかしら?」

樹木希林が言い出すと、中原理恵も「そうね、いいわね」と賛同。





どんな芸名になるのか、気の弱い(?)和田アキ子は気が気じゃない。




「水虫……そうね!『水虫かわゆ子』なんてどうかしら?インパクトあるんじゃないの?!」(ゲゲー!いきなりの樹木希林のとんでる発想である)




「水虫って何よ?!嫌よ!そんな変な芸名」


こんな恥ずかしい芸名にされる本人の和田アキ子は、もちろん反対するのだが、



「大丈夫よ!こんな一見、訳の分からないような芸名の方が、いろんな人に覚えてもらいやすいのよ」と樹木希林が、やんわり説得する。


「いいかもね、これなら断然覚えてもらえるわよ」と、中原理恵も人の事だと思って安易に賛成する。





こんな二人の押せ押せムードに負けて、当人の和田アキ子も、段々その気になってくると、

「そうね、私、『水虫かわゆ子』として頑張るわ!」と固く決意した。(こんなのいかんだろう!(笑))




こんな風に、安直に決まった芸名の『水虫かわゆ子』。



芸名が決まったら、今度はデビュー曲を考えなくてはならない。





樹木希林は、毎夜、「ん~」と頭をひねりながら懸命に考えて、詞を完成させた。






曲は『水虫ララバイ』である。(これ、今考えると中原理恵が出ているので『東京ララバイ』に対抗してるのかな?)



『水虫ララバイ』の詞にメロディーがついて、それからは、あれよ、あれよ、という間にトントン拍子でプロデュースは進んでいき(信じられない)、そして『水虫ララバイ』のレコードは完成した。





レコードは発売されると、結果は大ヒット!




『水虫ララバイ』は売れに売れて、テレビで、とうとう歌唱する日がやってくる。





「それでは『水虫かわゆ子』さんに歌って頂きましょう。曲はデビュー曲の『水虫ララバイ』!」



ステージの中央に立って、マイクを持ち、『水虫かわゆ子』(和田アキ子)は心をこめて歌いだした。



♪水虫ラーラバイ、カイ、カイ、カーイ


♪水虫ラーラバイ、カイ、カイ、カーイ


♪水虫が、かゆいのは、あなたが生きてるしるし


♪その水虫を私に移してくれませんかぁ~?


♪そうすれば、あなたの愛が~足の指から、伝わってぇ~くるでしょ~う~♪




真剣にステージで歌う『水虫かわゆ子』(和田アキ子)には大喝采の拍手が待っていたのだった。





ヒェーッ!


この歌、このインパクト、忘れようったって忘れられません。


この歌がブラウン官から流れてきた時、当時、腹を抱えて笑い転げたような記憶があるのだ。






こんなのが、デビュー出来て、ヒットするなんて、まるで夢物語。


異次元の世界のようなドラマである。


DVD化してくれないかなぁ~。

してくれないだろうなぁ~。

スッゴイ面白いんだけどなぁ~。






もはや、芸能界の大御所となった和田アキ子は、自身の人生の汚点として、DVD化には反対するかもな~


この歌をどっかの番組で歌ってくれないかなぁ~(まぁ、それも無理か)


今や芸能界を去った中原理恵や、飄々とした樹木希林の印象も強くて、これは語り継ぐべき伝説のドラマなのである。


星☆☆☆☆