2020年7月29日水曜日

映画 「崖」

1955年 イタリア。





『青春群像』、『道』と大ヒットさせて、各賞を総なめにし、その名を全世界に知らしめたフェデリコ・フェリーニ監督。


「次はどんな作品を作るのか…」


当時、ワクワクして、皆が期待に期待をかけて、待ち望んでいたに違いない。



だが、作られた作品は……

全くカッコよくない、中年のオッサンを主人公にした、《詐欺》グループのお話でした。





年長者の『アウグスト(写真右)』(ブロデリック・クロフォード)、

お調子者『カルロ(あだ名はピカソ)(写真左)』(リチャード・ベースハート)、

女好きの『ロベルト(写真中央)』(フランコ・ファブリッツィ)の3人組は、田舎の山道を、ロベルトを運転手に車を走らせていた。



車を走らせていると、サングラスをかけた男が、道の通りに立っている。

男の名は『ヴァルガス』。詐欺師3人組の仕事を手引きする男である。



車はヴァルガスの前で停まると、3人組は表に出てきて着替えを始めた。

アウグストは司祭の姿に、ピカソは神父に、ロベルトは黒い背広姿の運転手にと……。


「ここから先の家だ。犬がいるはずだから気をつけろ。手はずは整えてある」

ヴァルガスの指示をうけると、3人は目的の家を目指して、再び出発した。



しばらくすると見えてくる農家の家。


犬たちが、車を見つけると、ギャン!ギャン!吠えてきた。


その犬の鳴き声に気づいて、戸口からコッソリ外を伺う中年女。


「まぁ、司祭様!」

司祭のアウグストと神父のピカソの姿を見るなり、中年女は態度を変えてかけよってきた。


「犬たちを遠ざけて頂けませんか?実は奥さん、司祭様から大事な話があるのですよ」


勿体ぶったおごそかなピカソの演技と、堂々とした威厳で十字をきるアウグストに感心して、中年女は偽物だとは、まるで疑いもしない。


「こんな田舎に何の用でしょうか?、さぁ、とにかく散らかっておりますが中にお入りください」

「では、失礼致します……」

3人達のとんでもない《 詐欺 》が始まる………。





アメリカが《 詐欺 》や《 ぺてん師 》を主題にして映画を撮れば、騙し騙されの知恵比べ。

コン・ゲームかコメディーになるのが普通だが、そうならないのがフェリーニ印の映画。



でも、この映画『崖』、公開当時は興行的にも、すっかりコケちゃったんだよなぁ~。



次の作品『カビリアの夜』が、また評価が高くて、『道』との間ではさまれてる、この映画は、とにかく不遇の扱い。



でも、その理由も分かる気がする。



なんたって、「貧しい人々を騙して金を巻き上げる」というのがちょっとねぇ~(あんまりイイ気はしない)






ピカソがアウグストを法王庁からつかわされた位の高い僧正だと紹介すると、中年女『ステラ』は、さらにおったまげた。



「戦時中、おたくの庭には死体とともに財宝が埋められました。掘り返せばきっと出てくるはずです。ただ……」

財宝を得るためには、法王庁への献上としてミサの代金を払って頂きたい、とアウグストは嘘の話をペラペラとしはじめた。



果たして、本当に庭には財宝があるのか………そこを掘り返してみると、白骨と一緒に財宝(財宝に見せかけたガラクタ)が現れたのだ。


「まぁ、なんて事でしょう!!」


中年女ステラは、目の前に突然あらわれた財宝にビックリ!!


なんとか、法王庁に献上するためのお金を工面すると、

「払います!払います!」

疑いもせず、財宝(実はガラクタ)を受け取った代わりに、献上金を3人に差し出したのだった。



金を巻き上げた3人組は、(上手くいった!)と喜ぶ心を抑えながら、なんとか厳かな様子を保った。


帰途の車に乗って、やっと「大成功だ!」と叫ぶのだった。





でも、こんな《 詐欺 》を繰り返していると、どうなるのか………。

そうそう毎度上手くいくはずもなく…………。







《 詐欺 》は悪い事!(当たり前だが)

アウグストもピカソも重々、それを分かっている。

良心が痛まないはずがないのだ。(若いロベルトだけは、何の良心の咎めもないが)



繰り返す詐欺師の仕事は、どんどん良心に重くのし掛かってくる……


でも、自分たちには、「これしか出来ないのだ!」と納得させて、そんな良心をねじ伏せながら詐欺を続けている。



でも、その報いは必ずやってくるのである。(とても悲惨な形で)





けっこうフェリーニにしては、道徳的な映画。


今の目で観ると、そんなに失敗作でもないような気がするのだが………でも、後味の悪いラストの印象は強すぎて、延々、尾をひくかもしれない。


自分も観ながら、あんまりいい気持ちはしなかった。





それで、今回だけは、ちょっと別の事に着眼してみた次第である。




話は変わるが、『道』、『青春群像』と観てきて気がついた事もある。


フェリーニは気に入った俳優たちは、何度も使うらしい。


それらの俳優たちは《 フェリーニ組 》と呼んでいいくらいだ。



実の奥さんで、女優のジュリエッタ・マシーナはともかく、この映画には『道』で、『ザンパノ』(アンソニー・クイン)をからかい、殴り殺された、あの『イル・マット』役のリチャード・ベースハートが出ている。




で、『ピカソ』(リチャード・ベースハート)が仕事(詐欺)を終えて、ルンルン気分で帰宅すると、可愛い娘と妻『イリス』(ジュリエッタ・マシーナ)が出迎えてくれるのだ。



エッ?(;゜∇゜)


あんたら、『道』で、二人とも死んだんじゃなかったの?


本当は助かって生きていた?


その後、また、出会って、名前を変えて夫婦になった?


後、色々なショックが重なって、二人ともマトモになった?




『道』の後に、この『崖』を観れば、変な繋がりで、アレヤコレヤ勝手な妄想が膨らんでしてしまう(笑)。



この二人が夫婦として生きていたのなら、あの『道』のラスト、夜の海辺で嗚咽の涙を流したザンパノは何だったのか。


「俺の涙を返せぇー!」とでも叫びたいザンパノだろうか?(笑)






馬鹿話はこれくらいにしといて………(スイマセン、バカ野郎で)、この映画には、他にも『青春群像』で女ったらしの『ファウスト』を演じたフランコ・ファブリッツィも出演している。(やっぱり女ったらし役)




こんな勝手な想像に、今回だけは逃がれながら、なんとか観れたような感じです。



それでも、『青春群像』、『道』には及ばないかな。

及第点でギリ星☆☆☆。(甘いか?)



《 後記 》後、豆知識として。

本当は、アウグスト役は、あのハンフリー・ボガード(『マルタの鷹』、『カサブランカ』)を想定して、フェリーニは脚本を書いていたらしい。


でも、プロデューサーが連れてきたのが、ボガードとは似ても似つかないような、おっさん『ブロデリック・クロフォード』。


当然、クロフォードに合わせて脚本は微妙に書き直された。



ハンフリー・ボガードなら、どう演じていただろう?

これも想像してみるのも楽しいかもしれない。

2020年7月24日金曜日

映画 「青春群像」

1953年 イタリア。








グ~タラ5人組の若者たち。

職にも付かず、毎日がグ~タラ暮らし。(あ~これぞ、青春って感じ)




女の尻ばかりを追いかけまわしてばかりいる、根っからのスケコマシ野郎『ファウスト』(フランコ・ファブリッツィ(写真左手前))。


姉と母親がいるのに、自分は働かずに享楽にふけってばかりいるオッサン顔、『アルベルト』(アルベルト・ソルディ(写真右))。



劇作家志望でメガネ君、『レオポルド』(レオポルド・トリエステ(写真中央))。


美声で歌うのが大好きな、こちらもオッサン顔、『リッカルド』(リッカルド・フェリーニ(写真上右))。


そして、仲間内では最年少の『モラルド』(フランコ・インテルレンゲ………仲間では一番のイケメンさん(写真上左))。





こんな5人組は、田舎町のイベント、ミス・コンテストにやってきた。


優勝したのはモラルドの妹『サンドラ』(レオノーラ・ルッフォ)。



だが、天候が怪しくなっきて、突然の稲光。

皆が、近くの建物の中に引き揚げていくと、雷鳴とともに外は大雨になった。



そんな中、優勝者のサンドラが突然ぶっ倒れた。

「キャアアーッ!サンドラ!!」側にいた母親が叫び、皆が騒然としている時、アレレ?……ファウストの姿がいないぞ。




ファウストは急いで帰宅すると、荷造りをしはじめた。


雨の中、急いで帰宅した息子を怪しむ父親。

「何なんだ?お前、いきなり帰ってきて!」

「頼む!親父、5000リラ貸してくれ!今から働きに行くから!」

「働きに行くって、こんな雨の中?」



そんな会話の途中、モラルドがやって来た。


「ファウスト、妹は妊娠していた……」

「へ~そうか、おめでとう」(しらを切るファウスト……明らかに相手はお前じゃないか)



立場がまずくなるのを見越して、ファウストはトンズラしようとしていたのだ。



そんな会話を戸口で聞いていたファウストの父親はカンカン。



「どこにも行かせないぞ!責任をとってお前はサンドラと結婚するんだ!分かったな?!


父親の怒声に、もはや観念!と、トホホ顔のファウスト。



雨上がりの外には、仲間のアルベルトやレオポルド、リッカルドもやって来て、はやし立てた。

「頑張れよー!ファウスト!!」

「おめでとさ~ん!!」


人の事だと思ってコイツら……




そして、後日、教会でリッカルドの美声が高らかに響く中、ファウストとサンドラの結婚式は、執り行われたのであった。




「パパ、結婚して良かったよ~」(コイツ~)


浮かれて騒いで、皆に祝福されるとファウストも、その気になって、不意に、そんな言葉が洩れた。



花嫁花婿は、列車で新婚旅行。ローマへ旅立っていき、それを見送る仲間たち。



だが、人間そんなに直ぐに変われるものか?



根っからのスケコマシ、ファウストの性格は環境が変わっても、変わらずに………。





フェデリコ・フェリーニの『青春群像』をやっと観れた。



これも、長年、「観たい、観たい」と、切に思っていた映画。


この翌年には、あの名作『道』が公開される。




この映画も評価が高く、あのスタンリー・キューブリック監督が、「一番好きな映画」として、これをイチオシしているのも知っていた。



こんなのを頭の片隅に入れていたので、観る前から、俄然、この映画にも期待してしまう。


で、観た感想………



カル~いし、みんなアホだし、

「今日が楽しければそれでいい。明日は明日の風が吹く」なんてのを地でいくような人物たち。



泣いても、怒っても、それを次の日までズルズル引っ張らない。


カラッとしてる。


これが、この時代の人間の特徴。


でも、なんて、皆、平和で、単純で楽しそうなんだろう。






この時代から数十年が経ち、こんな人間たちを、ほぼ見かけなくなった。


かくいう自分にしても、ひとつの事にジメジメ囚われて、明日も、次の日も、ずっとズルズルと考えてしまう。


イヤだ!イヤだ!



今の窮屈そうで、がんじがらめの世の中とは、まるで真逆のような大らかさ。

こんな映画を観てしまうと、「昔は良かったんだなぁ~」とつくづく思わずにはいられない。






最後、浮気を繰り返すファウストに、ウンザリしたサンドラは、乳飲み子を抱えて家を飛び出す。



サンドラに家出されて、やっと自分の愚かさに気づいたファウストは、あちらこちらを探してまわり……


結局は、サンドラは、ファウストの父親の家に赤ん坊を連れて身を隠していた。




「サンドラ~!」

やっと見つかったサンドラにホッ!とするファウストだが、このままですむはずもなく………



怒りの父親の折檻が待っている。


ファウストの父親は、ズボンからベルトを抜き取ると、サンドラと子供を部屋から追い出した。


お前という奴は……そこへなおれ!!


ベルトで、バッチン!バッチン!30男の息子をムチ打つ父親。



ヒィーーーッ!やめてくれぇー!父さん!!


部屋中を逃げ惑うファウスト。(この場面、相当可笑しくて笑ってしまう(笑) )



愛するファウストが打たれる声にたまらず、サンドラが、「もう、やめてー!」と声を荒げて喧嘩はオシマイ。


二人は抱きあってハッピー・エンド。



「ごめんよ、サンドラ……」

帰りには父親とも抱きあって和解するファウストとサンドラ。




怒りは一時のもの。そして、それを許すのも簡単なのだ。



こんな痴話喧嘩や、仲間たちのグ~タラぶりを見ていた一番若いモラルドは、「自分もこのままじゃいけない……」と街を去る決心をする。



一人、汽車に乗って、旅立とうとするモラルドに手を振る駅で働く少年。



「元気でねぇ~モラルド!」


モラルドを乗せた汽車は、遠い線路の向こうへと消えていくのである………。




フェリーニの『道』も傑作なのだが、この映画を観てしまうと、私個人は、この『青春群像』の方が好き。


適度に青春のバカさ加減がつまっていて、不安もあって、でも、毎日を明るく生きてる人々。


星☆☆☆☆☆であ~る。


※リッカルド役のリッカルド・フェリーニは、もちろん監督フェデリコ・フェリーニの実の弟さんである。

他の出演者たちの経歴を、少しずつ調べてみるのも、また今後の楽しみかもしれない。

2020年7月20日月曜日

映画 「サンセット大通り」

1950年 アメリカ。





売れない脚本家『ジョー・ギリス』(ウイリアム・ホールデン)は、今日も脚本を映画会社に持ち込むが……結果はダメだった。


ならば、

「頼む!300ドル貸してくれ!」と、ダメ元で借金の申し出をするのだが、当然、これも却下。


あちこち金策に当たっているギリス。


(どうすればいい?取り立て屋が来る……)

無理して買ってしまった新車のローン……払えなければ車は、即座に取り上げられてしまう。



帰り道、車を走らせていると、近くに取り立て屋の車が。


「いたぞ!!」

向こうも気がついたようだ。公道を猛スピードで逃げるギリスの後を、「見失ってたまるか!」と、どこまでも追いかけてくる取り立て屋の車。



どこをどう走っているのか……咄嗟にギリスは脇道を見つけると、そこへ向けてハンドルをきった。



取り立て屋は気づかずに走り去っていく。


(ホッ!)としたのも束の間、タイヤはパンクしていた。


(なんてツイてないんだ………)

パンクした車で、トボトボ前進していくと、広い屋敷が見えてきた。


広い庭先にはプールもあるが、何年も使われていないのか、泥や枯れ葉で埋まっている。


埃をかぶっていて、だいぶ使われていない様子の車の横には、かろうじて、一台分が停められるような車庫もある。


(ここに車を置かせてもらおう)


邸の主人に、一言断ろうと、ギリスは屋敷に入っていった。


屋敷の中は、くすんだ外観とは違い、豪華な調度品や家具が並んでいる。


広々した大理石のホール。


(誰もいないのか……?)人の気配がまるでない。



ギリスは勝手に部屋のドアを開けていった。



そうして、ある部屋を開けると、そこは寝室らしく、天涯ベッドのレースの陰には誰かが寝ている姿が見えた。



「あの~すいません………」


ぶしつけにレースをめくって近づくと、そこには………


(ゲゲッ!!)


《猿》が寝ていた、しかも死んでるじゃないか!!



「誰よ?!あなた?!」


声に振り向くと、そこには一人の女性。


そして、またもや驚いた。


女性は、サイレント映画の時代に活躍していた大スター『ノーマ・デズモンド』(グロリア・スワンソン)である。


ぶしつけな突然の来訪者を、驚きもせずにノーマはジロジロ、上から下まで値踏みするように見はじめた。


ギリスが自己紹介して、脚本家である事を言うと、ノーマの目の色が途端に変わる。


「これを読んでちょうだい!!私が書いたのよ」

ノーマは厚手の原稿用紙の束をいくつも、ポン!とギリスの目の前に投げてきた。


「『サロメ』の物語。私はこの作品で、また映画界に華々しくカムバックするのよ!!」


そういうと、ノーマの瞳は、目の前のギリスを通り抜けて、どこか現実世界とは違う場所、まるで夢の世界を見ているようになっていった。




(まぁ、いいか……時間はたっぷりあるし、家に帰れば取り立て屋も待ち伏せているだろう………それにしても酷い悪筆だな……)


ギリスはソファにドカッ!と座ると原稿を読み始めた。一時間、二時間、三時間……長い時がたっても、まだ読み終えない。



(今日で、全部を読み終えるのは無理だ)と立ち上がろうとすると、


「離れの客間に部屋をご用意しました」と、どこからか、執事と思われる男が現れた。




この寂れた屋敷にたった二人……老いた大スター『ノーマ』と献身的に仕える執事『マックス』(エリッヒ・フォン・シュトロハイム)。



夜半になって、案内された離れの部屋に、やっと落ち着いたギリス。



窓を開くと、暗い庭先には、ノーマと執事のマックスが、先程死んでいた猿を埋めようと、葬儀を行っていた。


(不気味な………)


だが、これも、たった一晩の滞在になるだろう。


そう、安易に考えていたギリスだったのだが……………。





監督はビリー・ワイルダー 。


このワイルダーの名前が出れば、もう、これも傑作と思えるはず。(毎回言ってますけど)




しかも、この『サンセット大通り』は、1950年度のアカデミー賞で数多くノミネートされた。


だが、この年は強力なライバル、ジョセフ・L・マンキーウィッツの『イヴの総て』が立ちふさがる。


『サンセット大通り』は、映画の内幕を描いたモノで、

『イヴの総て』は、舞台の内幕を描いたモノ。




似て否なるような両者の作品……。


はたして、どちらに軍配があがったかというと、………



『イヴの総て』が勝った!



作品賞、監督賞など6部門で最多受賞(『サンセット大通り』は、美術監督・装置賞、脚本賞、作曲賞の3部門にとどまる)



自分は、どちらも好きなので、W受賞でもいい気もするのだが………ん~、これが勝負の世界なら、当時の選考委員たちも頭を抱えたはずである。




だが、出演者たちにとっても、この映画は、ひとつのターニング・ポイントになったはずだ。




特に、ウイリアム・ホールデンの躍進は、この映画から始まったと言ってもいい。



戦前、『ゴールデン・ボーイ』でデビューしても、その後は泣かず飛ばず。


だが、この『サンセット大通り』で、アカデミー賞の主演男優賞にノミネートされてからは、あきらかに、それまでの向かい風が、追い風に変わった風に思える。(その後、『麗しのサブリナ』、『第17捕虜収容所』など傑作が続けば、ご納得でしょ?)




執事役のエリッヒ・フォン・シュトロハイムは、元々サイレント映画を監督していたお方。

俳優としても有名で、こんな人物を、この映画に引っ張ってこれるのも、ビリー・ワイルダーの名声や実力の成せるワザだろう。


助演賞で、こちらもノミネート(受賞は出来なかったが、確実に爪痕は残した気がする)





そして、忘れ去られたサイレント女優の大スター、『ノーマ・デズモンド』役だけは、最後まで難航したらしい。


老いて、若い男に夢中になって、果ては、現実と虚構の世界で、とうとう気がおかしくなってしまう、そんな『ノーマ』………誰も手を上げて、「やりたい!」なんて人はいなかった。



グレタ・ガルボやらメイ・ウェストなど……サイレント時代の女優たちには、ことごとく断られる。



最後に、いちかバチかで、グロリア・スワンソンにオファーすると、やっと「O.K!」の返事が返ってきたと言う。



そんな、人が嫌がる役を、全身全霊で、やり遂げたスワンソン。



こちらもノミネートでだけで、アカデミー賞は取れなかったが、誰もがその英断を讃えた。(怪演である)




ビリー・ワイルダーにしても、この映画は、ターニング・ポイントだったはず。



この後、怒濤の傑作を産み出すスタートになるのだから。

星☆☆☆☆☆。

こうやって、半世紀以上経った今も、語り継がれているんだから、誰も文句ないでしょ?

2020年7月19日日曜日

映画 「ザ・ボディガード」

2002年 アメリカ。








年老いて、引退しているマフィアの首領『アンジェロ』(アンソニー・クイン)の気がかりは、一人娘『ジェニファー』(マデリーン・ストゥ)の事。



妻はジェニファーを産み落とすと死産し、アンジェロは堅気の養父母に、ジェニファーの養育を託した。


少しずつ成長していくジェニファーを遠くから、気づかれずに見守ってきたアンジェロ。



やがて、ジェニファーは見るからにクズのような男と結婚して、子供を産み、母親となるが、それでもアンジェロは影ながら支援してきた。


クズ男に、裏から手をまわして、仕事を世話したり、豪邸を与えてやったり。(なんだか甘やかしすぎのような気もするが)



だが、自分の余命も後、わずか……



アンジェロは部下の『フランキー』(シルベスター・スタローン)を呼び寄せた。



フランキーも、アンジェロから頼まれて、ずっと昔からジェニファーの動向を見張り続け、遠くから護衛してきたのだ。



ジェニファーの事を、本人以上に知り尽くしている。


「私を恨んでいる連中がいる……私の命を狙う者が………」

アンジェロの遺言ビデオをまわしながら、フランキーの手が止まった。



「そんな……アンジェロ……」

「私が居なくなったら、ジェニファーを守ってやってくれ!」


アンジェロの言葉に、ただ苦笑いで誤魔化すフランキー。



二人はレストランに食事にやって来た。




レストランに着いてからも、アンジェロは、愛しい娘の話をフランキーに聞かせていた。


だが、フランキーが、ふと、外に目をやると、道路に停めた車に、違反キップをきろうとする警察官の姿が……。


「ちょっと失礼します」

慌てて外に出ていくフランキーと入れ違いに、一人の男がレストランに入っていった。



その男は、残されたテーブルにいるアンジェロに近づいていく………そして、


男は容赦なく発砲した!!


銃声を聞いて、すぐさま、かけつけたフランキー。


「アンジェロー!!」


男が撃った銃弾が、フランキーのわき腹をかすめて、フランキー自身も、その場に倒れこんだ。


側には、絶命したアンジェロの死体が……




(ジェニファーが危ない………)

痛みに耐えて、フランキーは、やっと立ち上がると、ジェニファーがいる屋敷を目指して、フラフラと歩きだしたのだが…………。





原題は、『アメージング・アンジェロ』。(この原題の方がずっといいのに、こんな適当な邦題って……)



シルベスター・スタローン主演で、どんだけハードなアクション映画だと思ってたら……何と!これ、ハートフル・コメディーであり、ラブ・サスペンス。



スタローンの恋愛ドラマってのも珍しかったです。



しかも、相手役は、久しぶりに観たマデリーン・ストゥ


懐かしい!


『ラスト・オブ・モヒカン』を劇場で観た時、彼女の神々しい美しさに、しばらく夢中になってた時期があった。


『ブリンク 瞳は忘れない』や『12モンキーズ』、『不法侵入』など彼女が出ていれば、それだけで、その作品を追いかけていたっけ。



ヤッパリ、ちょっと歳をとったかな?



誰だって歳をとるし、しょうがないけど。(それでも、充分綺麗なマデリーンなんだけど)




でも、マデリーン・ストゥのコメディー演技って、見なれていない為か、ちょっとウザイかな。



若いうちなら、これも納得なんでしょうけど、いい歳をした大人があまりにも、キャン!キャン!騒ぎたてれば……ん~、「ちょっと、どうなんだろう~」と思ってしまった。






でも、そんなマデリーン・ストゥのボディー・ガードをしながら、終始デレデレのスタローン♥️。


惚れたストゥを守る口実で、やたらと悪人を殺していく。(やってる事はいつもと同じだけど)



でも、全く残酷な雰囲気にもならずに、なぜか?ノホホ〜ン。


殺し屋に狙われてる緊張感もなく、こんな雰囲気が全編を漂う。 (ちょっと変わった風味の映画である。いつものド迫力を期待すると「アレレ …… 」と肩すかしするので、どうかご注意を)




この映画は、あの名優アンソニー・クイン(『道』など)の遺作なのである。



この映画では、ご覧のように、呆気なく冒頭で殺されてしまうけど……アンジェロの葬儀のシーンでは、まるでアンソニー・クイン自身のお葬式を見るような気がして、何となくおごそかな気持ちになってしまった。




『道』やら、『ナバロンの要塞』やら、色々な映画が思い出されて……胸がイッパイになる。


アンソニー・クインの姿がスライドされると、もうたまらない。




これはこれで良い幕引きだったんじゃないだろうか。


「わが映画人生に悔いなし!!」


そんな風に語りかけているようなアンソニー・クイン。



映画自体は、お世辞にも、あまり良い出来とはいえないのだが、これは、あえて、今後も残す価値ありの映画かな。






久しぶりに観たマデリーン・ストゥと最後のアンソニー・クインということで、大負けに負けて、ギリギリ、

星☆☆☆にしときましょうかね。(甘すぎるかな?)


2020年7月18日土曜日

映画 「ザ・ハリケーン」

1999年 アメリカ。





デンゼル・ワシントンが俳優として、有名になるにつれて、その人種ゆえに、(ヤッパリ避けて通れないような、これは題材なのかなぁ~……)、と当時、思ったものだ。


《 黒人差別問題 》………。



実話、『ルービン゛ハリケーン゛カーター』の物語をデンゼル・ワシントンが演じている。





黒人ゆえに、不遇な扱いに苦しみ続けた伝説のプロボクサー、カーター。


11歳の時に白人の金時計を盗んだ疑いで、少年院行き。


捕まえた白人警官たちは、

「こいつは、子供とはいえ黒人だぞ!」とまるで容赦なし。


10年間の刑期で少年院行き(長い!)になってしまう。


そんな『カーター』(デンゼル・ワシントン)は、20歳の時に、あと少しの刑期を残して脱走。



夜の暗闇の中で、逃げながら、「やっと自由だぁー!」と叫ぶ。



軍に入ったカーターは人生をやり直そうとしていた。


だが、そこにも警察がやって来て、「カーター、残りの刑期のお勤めだ」と言うと再逮捕。


(俺はずっと刑務所のままか……)



だが、カーターは決意し、懸命に身体を鍛え始めた。夜も昼も……、一日中。


(もう、誰も俺に触れさせやしない!他の誰よりも強くなってやる!!)



やっと出所すると、カーターは、プロボクサーになり、破壊的な強さで、並みいる敵を次々とノックアウトしていく。


そして、圧倒的人気で世間を騒がす事になる。



だが、そんなカーターの活躍を面白く思わない白人警官たち。


「盗人のくせに調子にのりやがって……」



ある夜、白人が3人殺される事件がおきて、運悪く現場を通りかかったカーターは、白人警官たちに逮捕されてしまった。(いわれない罪で)



「俺は誰も殺していない!!」

そんな訴えも、黒人というだけで無視されて裁判でも有罪になり、またもや刑務所暮らし。



どこまで理不尽な人種差別に苦しめられるのか………こんなカーターは獄中で悩み考え、いつしかタイプを打ち始めた。



書き出した、それは、《今までの自分の物語》……。



やがて、一冊の本として出版されると、その本は、一人の黒人少年『レズラ』の目にとまる。

「ルービン゛ハリケーン゛カーター ……?」


読み進むうちに、カーターの綴った言葉に感銘するレズラ少年。



レズラはとうとう、刑務所にいるカーターに会いたくなって、たまらずに面会に行ってしまった。


「はじめまして、僕、レズラ・マーティンです」


このレズラとの出会いが、再び、カーターの運命を揺り動かすのだが………。





最近、またもや黒人の人種差別問題で揺れ動くアメリカ。


連日、過熱しているデモ隊のニュースがメディアを騒がしている。


そんな状況を見ると、この『ルービン゛ハリケーン゛カーター』の免罪事件の時代と、あんまり成長していないような気がしてならない。




差別の裏側にあるのは、間違いなく、

「俺は、お前らよりも優れているんだ!」という、《 傲り(おごり)》だ。



そんなモノ、誰が決めて、誰が計れるというのか?



自分勝手な思い上がりなだけである。



人種差別だけでなく、性差別でも、職業差別でも、そんな《 差別的 》な考えに支配されている人の顔は、見るもおぞましく、とても醜い。



そして、話はかわるが、うちの上司の顔は、ひどく醜い。(笑)



先日も、《 個人の人格否定 》や《 職業差別 》で、言い争ったばかり。

本社の社長や部長に、直接、相談して何とか収まったけど……それにしても、まだまだ、こんなのが令和の時代にいるなんてね。(アホか)




リーダー選びは、慎重にやっていただきたい。



その人の裏側に、人を見下すような《 傲り 》があるか、ないか。

上にたつ者の資質としては、それが一番、重要な気がする。



もちろん、知事や総理大臣、大統領選びも同じ。(今、現在の大統領をご覧になれば、皆さん納得でしょ?)




差別に負けずに、映画のラスト、見事、無罪を勝ち取った『ルービン゛ハリケーン゛カーター』に、最近、こんな風に身近で、差別にイライラしていた自分は、胸がスーッ!として、少し溜飲が下がった感じ。



自分と同じような気持ちを抱えている人には、是非オススメしたい、良品の1本である。


星☆☆☆☆。

※ヤッパリ、この時代のデンゼル・ワシントンはカッコイイや!

2020年7月14日火曜日

映画 「パラダイン夫人の恋」

1947年 アメリカ。






ヒッチコックにとっては珍しい法廷メロドラマ。




前回、『汚名』でも少し語っていたように、ここから暗黒期ともいうべき長~いスランプ状態が続く………のだが、この映画に限っては、失敗の全責任を、ヒッチコックだけに擦り付けては、いけないような気がする。



問題は、そう……あの、プロデューサーの『デヴィッド・O・セルズニック』にあると思われるからだ。


《デヴィッド・O・セルズニック》




デヴィッド・O・セルズニックが製作した映画は、有名なモノばかり。



『キングコング』、『アンナ・カレーニナ』、そして『風と共に去りぬ』、『第三の男』、『終着駅』などなど……有名どころの作品が並ぶ。(あくまでも、これは製作である)



戦前、ヒッチコックをイギリスからアメリカへと導いたセルズニック。



その恩はあるにしても、このセルズニックは大いに問題ありな人物なのだ。



とにかく、何でもかんでも、ことごとく口出ししなければ気がすまない、面倒くさい性分。


「あ~しろ!」、「こ~しろ!」始終、口をはさんでくる。(あ~ウルサイ!プロデューサーは資金だけ出してくれればいいのに(笑))



その性格ゆえに、有名監督たちからは、次々、嫌がられて敬遠されてしまうのだが……




この『パラダイン夫人の恋』では、もはや、それが最高潮だったかもしれぬ。


製作ばかりか、とうとう、

「俺が脚本も書く!」と言い出したのだ。


(やれやれ……)ため息が漏れるヒッチコックの姿が想像してならない。



オマケに映画は125分。(長い)


で、取りあえずは、この映画に関する、こんな知識を横に置いといて、観たのだけど………。




観た感想………ゲゲッ!!おっそろしく!つまらなかった!!




法廷モノとしては、大傑作、ビリー・ワイルダー『情婦』の足元すらにも及ばない。


有名な俳優、女優たちが、これだけ揃っているのに、この映画は、やはり脚本がダメダメだ!






目の不自由なパラダイン大佐が毒殺された。

大佐の妻『パラダイン夫人』(アリダ・ヴァリ)に容疑がかかり、やがて裁判となる。


パラダイン夫人の弁護を引き受けた『アンソニー・キーン』(グレゴリー・ペック)は、妻がいるにもかかわらず、パラダイン夫人の美しさに、どんどん惹かれていき、無罪を証明しようと躍起になるのだが……。






こんな出だしで、始まる『パラダイン夫人の恋』なのだけど……役者たちも、自分たちの役を演じながら、(何だかヘンテコな話……)と思わなかったのかねぇ~。


有名俳優、女優たちが数多く出ているので、順を追って、その《 ヘンテコリンさ 》を語っていこうと思う。




まず、

グレゴリー・ペック(弁護士アンソニー・キーン)



クソ真面目すぎるといえば、このグレゴリー・ペックしかいない。



真面目なので、『パラダイン夫人』(アリダ・ヴァリ)に惚れても、ストレートに愛の言葉を吐くなんて出来やしない。



その代わりに、「ヨッシャ!私が夫人の無罪を証明してやる!!」と、そちらの方に躍起になる。


で、無罪にするには、別の真犯人が必要だ。



『アンソニー』(グレゴリー・ペック)が目をつけたのは、目の不自由なパラダイン大佐の部下だった男で、世話人の『アンドレ』(ルイ・ジュールダン)。



裁判で証人として呼び出すと、

「あなたがパラダイン大佐を殺したんでしょう!!」と執拗に、アンドレに罪をなすりつけはじめる。


「私は殺してなどいない!」

「嘘だ!」


こんな応酬が続き、ひとまず休廷。


(やったー!形勢はこちらに傾いているぞ、ウシシッ………これでパラダイン夫人に誉められるかも……)と悦び勇んで夫人の謁見に行くと、


「この馬鹿!!何でアンドレに罪を擦り付けるようなマネをするのよ!!」と大激怒。



?????、頭の中がクエスチョン・マークだらけのアンソニーなのだった。






ルイ・ジュールダン(パラダイン大佐の世話人・アンドレ)


ルイ・ジュールダンがこんな映画に出てたのか。

ジュールダンといえば、我々世代には、『007 オクトパシー』の悪役カマル・カーンが印象深い。(※これblogで書いてるので暇な人は参照してね)




裁判で執拗に責められた『アンドレ』(ルイ・ジュールダン)は、ある秘密を抱えていた。


目の不自由なパラダイン大佐を尊敬しながらも、何と!夫人と《 不倫 》してしまっていたのだ。



良心の呵責で苦しんでいたアンドレ。


オマケに裁判に出れば、アンソニーにコテンパンにやられてしまう。

「もう限界だ……」

そして、とうとう自殺してしまう。





そして、そして、

アリダ・ヴァリ(パラダイン夫人)である。



「アンドレが自殺ですって?!」

裁判中、急にとびこんできた、この知らせに、パラダイン夫人は一時、放心状態だったが、少しずつ皆の前で語りだす。


「もう、おしまいよ。もう、どうでもいいわ………私が主人を殺しました……」とペラペラ白状しはじめたのだ。




(?????????)

(えっ?何これ?)

(こんなアッサリ?)

(この人が真犯人って、結局、何のヒネリもなし?!)

(だったら、何で最初から白状しないの?!)


今まで長い間、我慢して観ていて、この告白には、さすがに胸がムカついてきた。


自分で殺しておいて、アンソニーに弁護まで頼んでおいて、あわよくば、無罪を勝ち取れるとでも思っていたのか?


この馬鹿女は!!





でも、この後が、また最悪なセリフを吐く『パラダイン夫人』(アリダ・ヴァリ)である。



法廷で、目の前のアンソニーをキッ!と見据えると、


「あなたがアンドレを殺したのよ!あなたのせいでアンドレは死んだのよ!!」と、なじりだしたのだ。(オイオイ)


「私の残りの生涯はね、………あなたをずっと憎み、うらみ続ける事だわ……」


うなだれる『アンソニー』(グレゴリー・ペック)………そんな風にして映画は終わるのである。





勝手なクソ女!!


自分勝手な理屈で、逆ギレして、他人をなじり、しまいには、八つ当たりまでしてしまうとは………もう、どこまで性根が腐っているのやら。



同情の余地なし!


こんな最悪な女には、お目にかかった事がない。




でも、アリダ・ヴァリは、いつも、こんな役ばっかりだ。(※後年、『第三の男』でも同じ感じ。今度の八つ当たりの相手はジョセフ・コットンである。これも詳しく書いているので参照下さいませ)



アリダ・ヴァリが、いくら美人でも、こんな性格の役ばかりしていては、とても観客に好かれるとは思えない。

案の定、後年、彼女はハリウッドを去っていく。




そして、映画は大失敗する。



他にも、『チャールズ・ロートン』(情婦)や、『アン・トッド』(第七のヴェール)、『エセル・バリモア』(らせん階段)など、名優たちを揃えているのにだ。(他の人たちも、まるでアホみたいなセリフしか言わないので、どいつも、こいつも、本当にアホに見えてくる)





こんなクソ脚本を書いてしまったセルズニックも、少しは反省したのだろうか……



いや!この手のタイプがしおれて反省などするはずもない。


「お前のせいで映画は失敗したんだ!!」と、逆にヒッチコックをなじったんじゃなかろうか。(この映画、パラダイン夫人のように)



とにも、かくにも、これで1940年の『レベッカ』から続いていた、長いセルズニックとの関係は終了する。(お疲れ様でした~)



「人にあれこれ言う前に、まずは己を知れ!」



セルズニックを通して、この言葉は、周りだけじゃなく、自分にも投げかけたい言葉だと思うのであ~る。

星☆。

2020年7月10日金曜日

映画 「バニー・レークは行方不明」

1965年 イギリス。







「あの~、『《初めての部屋》に行け!』って言われたんですけど………でも、先生方がどなたもいらっしゃらなくて…………」



未婚のシングル・マザー『アン・レーク』(キャロル・リンレイ)は、イギリスに引っ越してきて、4歳の娘『バニー・レーク』を預けるために、初めての保育園にやってきたのだ。


勝手が分からなくて右往左往しているアンは、保育園の階上にある《初めての部屋》なる場所に、一旦バニーを置いてくると、急いで階段を降りてきて、(誰かいないか……)探し回っていたのだ。


階下の台所で、やっと見つけた不機嫌な中年女の料理人に、今、こうして話かけているのである。



(あ~、もう時間がないわ!急いでアパートに戻らなきゃ!!運送屋からの引っ越しの荷物が、もう届くはず………)


焦るアンに、料理女は、面倒くさそうに、

「あ~、見といてやるし、後で先生に言っとくよ」と、アンの顔を見もせず、生返事する。



「お願いします!」


それでも助かった!急いでアパートに戻らなきゃ!!




家に戻ると、もう運送屋が来ていて、引っ越し荷物を降ろしはじめていた。



「あ~、これはこっちに、それはそこに運んでちょうだい!」


バタバタしているアンの元に、小型犬を抱いた男がノソ~と、断りもなく、勝手に入ってきた。


「どなたですか?今、忙しいんですけど」

「部屋は気に入りましたかね?私は大家のウィルソン」



あ~大家さん、それにしても何だか気持ちの悪い中年男……犬なんて抱いていて……。


「壁に掛けられている仮面は気に入りました?」そう言うと『ウィルソン』(ノエル・カワード)は、アンとの距離をつめよりながら近づいてきた。


その近づき方に、またもや(ゾゾッ!)と嫌悪するアンは、無視を決め込んで、さっさと片付けに専念する事にした。



それでも、ベラベラと独り言のように話すウィルソン。


「もう、行かないと!娘を保育園に迎えに行くんです!!」

大家のウィルソンを家から追い出し、ドアに鍵をかけると、アンは表に走り去っていった。





迎えに行った保育園には、既に若いママたちが大勢で、我が子が降りてくるのを階下で待っている。


「さぁ、帰りましょ」次々帰っていくママ軍団たち。


でも、うちの子はどこかしら?


「バニー!バニー!」探しても、どこにも見当たらない。




先生たちを捕まえて聞いても、「知りませんわ」だし、


オマケに、なんと!あの料理人女は、勝手に辞めてしまっていた。



誰も彼もが無責任に「知らない!知らない!」を連呼するばかり。(酷い保育園)




「うちの娘、《バニー》は、いったいどこなのぉぉーーー!?」


とうとう半狂乱になって叫ぶアン。




アンが助けを求めて電話すると、兄『スティーヴン』(キア・デュリア)も保育園に駆け付けてきた。


「バニーが行方不明だって?!大丈夫か?アン」


兄の姿を見て泣き崩れるアン、それを支えるスティーヴン。





やがて、警察がやって来て、バニーの大捜索が始まった。


「確かに娘さんをここに預けたんですね……」

事件を担当する『ニューハウス警視』(ローレンス・オリヴィエ)がアンに質問する。



「ええ、でも誰も見ていないだなんて……」




バニー・レークは行方不明……。

いったい、どこへ消え去ってしまったのだろうか……





ずいぶん前に観た『バニー・レークは行方不明』を今回、このblogに書く為に、もう1度見直してみた。


最初、この映画を観た時、この話の設定ばかりじゃなく、画面から伝わるような異様なほどの、ピリピリした緊張感に圧倒された思い出がある。



後々、調べてみると原因は、どうも…監督のオットー・プレミンジャーのせいらしいが………。


《オットー・プレミンジャー監督》




次々に、ハリウッドのタブーに挑み続けたプレミンジャーの功績は称えられていても、一方では、そのワンマン監督ぶりは、今でも伝説的である。


怒声、罵声は当たり前。


自分が納得する演技の為なら、いくらでも俳優たちへは、連続のダメ出し。


男でも、女でも、ベテラン俳優に対しても、一切手抜かりなし。


主演キャロル・リンレイなんて、現場では、常にクソミソに言われ続けていたらしい。(可哀想に)



他のいずれの俳優たちも同様で、あの名優ローレンス・オリヴィエさえも、相当へき易していたらしい。(『嵐が丘』の監督で、これまた完璧主義のウイリアム・ワイラーに、すでに鍛えられていたオリヴィエさえも、後年言っているのだから、相当酷かったと想像される)



ボロカス言われ続けた俳優に同情して、みかねたジョン・ヒューストン監督が、

「もう、よさないか、オットー ……」なんて助言したりもしている。



でも、まるで聞く耳なんて持つものですか、プレミンジャー。(その俳優はすっかり消沈して、引退してしまったらしいが)




こんな裏話を知ると、画面から漏れてくるような、この独特な緊張感も、何だか妙に納得してしまった。




この映画はというと、誰もが、問題の《 バニー・レーク 》の姿を、一切見せない演出を取り上げて、「他の消失モノとは、どこか違うぞ」と褒めちぎる。




本当に《 バニー・レーク 》は存在するのか?


もしかして、アンが造り出した幻想じゃないのか?



こんなあやふやな、どうにでもとれるような微妙なバランスで、妙に不安感をあおっている。



まぁ、それでも主人公キャロル・リンレイの健気さや可憐さにほだされて、「頑張れー!」って気持ちで応援してしまうけどね。(美人は得なのだ)




その演出方法や仕掛けも、それはそれで素晴らしいんだけど、私は俳優たちの演技に絶賛をおくりたい。



最後まで途切れる事なかった、このピリピリした緊張感の芝居に。




ラスト、真犯人●●との、夜半の鬼ごっこ、かくれんぼ、ブランコ遊び……



娘の命を守る為に、恐怖を隠して、つくり笑顔で、気の狂った犯人の遊びに、精一杯興じるアン。



まぁ、恐ろしい、恐ろしい。


そして、なんて長~い時間の恐怖なんだろう……。(本当に恐いです)




こんなに寒気を感じる映画はないし、これを一番に評価したいと思う。


プレミンジャーの怒声や罵声も、俳優たちへの緊張感を持続させるモノならば、これはこれで成功してるのかもしれない。

星☆☆☆☆。



でも、俳優たちには一生忘れられない、地獄の撮影現場だったでしょうけどね(笑)