2020年6月23日火曜日

映画 「イレヴン・ナイツ」

1987年 イギリス。




レンタルビデオの時代に、あちこちでこれを見かけた人たちも多かったんじゃないかな?



監督は、ジョー・ダマト。


低予算でサクサク作られた映画は200以上だといわれている量産監督である。


そのジャンルもB級、C級を地でいくようなモノばかり。



とにかく本人が、「芸術性なんてクソくらえ!配給収入だけが大問題なんだ!!」の《金、金、金》の金儲け主義の人だったらしい。


ここまで、ハッキリ、キッパリ言われると、逆になんだか清々しい気もしてくるのだが……。


そんな膨大な作品の中でも、この映画はまだマシな方かも。



ひと言でいえば、この映画は《 女に嫐(なぶ)られる男》の、お話である。





『マイケル』(ジョシュア・マクドナルド)は、普通に恋人もいて、数日後には、その恋人との結婚もひかえている、ごくごく普通の男性。



そんなマイケルは、ある日、肉感的な女性『サラ』(ジェシカ・ムーア)と知り合う。


サラの魔性のような魅力に抗えないマイケルは、そのまま関係をもってしまい、ズルズルと………。






でも、このサラは普通の情事じゃ、全然満足できない女性なのだ。



ある夜、サラと二人、ホテルにやって来たマイケル。



普通にコトが運ぶと思いきや、マイケルは素っ裸にされて、腕を持ち上げられて部屋の柱に腕を縛られる。


(な…何が始まるんだ?)



不安なマイケルの前でユックリ全裸になるサラ。



サラは笑いながら、ジャムの瓶をもってマイケルの体に塗りたくり、それをベロンベロン。


いやらしく攻めてくるサラに、妙な快感で、身悶えするマイケル。




そうして柱に縛られたままグッタリ。




そんなサラは、さっさ着替えると、柱に素っ裸で縛られたままのマイケルを置いて、笑顔を向けると、ホテルのドアから、ひとり出ていった。


「オーイ!!待ってくれ!!この縄を解いてくれー!!」


放置プレイで、恥ずかしい姿のまま、後に残されるマイケル。


(チクチョー!あの女!!………)


サラへの怒りと恥ずかしさで、ジタバタするマイケルは、そのまま朝を迎えた。



ホテルの掃除婦がドアを開けて入ってくると、素っ裸で柱に縛られたマイケルの姿を見てビックリ。


(あ~、どうにでもなれ…………)

窓ガラスの朝陽に目を向けるマイケルなのだった。





そうして、

(今度会ったらどうしてくれようか……)

プンプン!怒りまくりのマイケルなのだが、いざ、サラを目の前にしたら、サラの色香に、途端にデレデレ。


サラのペースで引きずり回される、もう、どうしようもないマイケルなのである。




パーティーに誘われたマイケルは、ドレス姿のサラに、無理矢理トイレに連れていかれる。


「全部着替えるのよ!全部脱いでちょうだい!」

またもや、トイレの中で素っ裸にされるマイケル。(もう、イジメじゃん(笑))



そんなマイケルに女モノのパンティーやガーターベルト、ドレス、カツラが投げ込まれる。


「こ、これを着ろと?」

「そうよ!いうとおりにして!でないと、いつまでもそこで素っ裸よ」


トホホ……渋々、パンティーを穿いて、ガーターベルトを付けはじめるマイケル。



トイレから出てきた姿は、まるでドラッグ・クイーンのようだった。


代わりにサラは、マイケルのスーツを着こんでいて男装している。


サラは、そんなマイケルに化粧をほどこすと、「まぁ、綺麗だわ」と言い、女装したマイケルを引っ張っていった。



ジロジロと道行く人に見られて、まるで見世物のようにさらされるマイケル。


もう恥ずかしさでイッパイだ。


「もう、やめてくれ!」

マイケルの悲痛な叫びに、「フフッ」なんて笑みをたたえるサラ。


サラはマイケルをホテルの部屋に引っ張っていくと、ベットにマイケルを押し倒した。


そして、馬乗りになってくる。


「あなたは《女の子》、私が襲ってあげる」

マイケルの羞恥心は完全に崩壊し、全てがサラのなすがまま。


こうして、どんどんマイケルは倒錯した快楽に身を委ねていくのであった………。






遠いVHS時代の記憶を掘り返して、たしか、こんな内容だったと思う。(それにしても我ながら、よく覚えているわ)


なんせ、これを観たときは純な高校生くらいの時期。

倒錯した世界にクラクラして、思春期には、衝撃的だった。



こんだけ《恥ずかしさ》や《羞恥心》を、「これでもか!」ってな具合で、突かれて、揺さぶられるんですもの。


心をむき出しにされるような感じで、心に幾つも囲ってある防護壁なんて、もはや粉々。


もう『お好きにしてちょうだい』状態なマイケルの気持ちも分かる気がする。




まぁ、このマイケル役の『ジョシュア・マクドナルド』も男のくせに、サド心をくすぐるような、妙な色気があるけどね。




でも、この後、サラは身を引いて、マイケルは恋人の元へと戻っていくんだけど………余計なお世話だけど「上手くいくのかねぇ~」なんて思ったりして。


1度覚えた《 蜜の味 》は忘れられないような気もするのだが。



なんだか、妙にドキドキ興奮させられた1本で、これも思春期の思い出として、ここに取り上げさせていただく。(なお、日本ではDVDは発売されておりません)

星☆☆☆。

2020年6月18日木曜日

映画 「白い恐怖」

1945年 アメリカ。





アメリカのバーモント州にある精神病院。



1人の女性患者が、女医『コンスタンス』(イングリット・バーグマン)に当たり散らしている。



男性に対して、あちこちでは媚びをうって誘っても、本音は男性を憎んでいる、その女性のトラウマを探る心理分析を行っていたのだが………


「私を馬鹿にして!その取り澄ました顔も大嫌い!!」

淡々と質問するコンスタンスに逆ギレ。


しまいには、ヒステリーをおこして、とうとう、その女性は、看護師に連れられて、診察室を追い出された。


「やれやれだわ………」


そんなのには、もはや慣れっこになってるのか、コンスタンスはまるで動じる風ではない。


仕事ひとすじのコンスタンス……興味があるのは、患者の心理分析だけ。


同僚の男性医師たちが誘っても、全く心動かされる事もない。



(恋愛なんて、愚かな熱病みたいなモノよ……)


そう決め込んでいた。今の今までは。



だが、院長『マーチソン』が退職し、その後釜としてやってきた『エドワーズ医師』(グレゴリー・ペック)をひと目見た瞬間、ビビビッ!!



(何これ?何なの?!この変な気持ちは??)


キューピッドの矢に胸を射ぬかれたように、もう、彼から、一瞬たりとも目がはなせないコンスタンス。


電撃を受けたような衝撃。


これが《 恋 》?





そして、その夜は、エドワード医師の歓迎会が開かれる。


やっぱりコンスタンスはウットリ顔。


会話は、いつしか病院内に作られるプールの話になり、コンスタンスが説明しはじめた。

フォークでテーブルクロスの上に「こんな感じで……」と線を引くと、それを見たエドワード医師は急に不機嫌になる。


「やめてくれ!!」



(えっ?私、なにかいけない事した??)

訳のわからないコンスタンス。




次の日、それでも二人は昼休み、そろってピクニックにやって来た。


エドワード医師も、まんざら、コンスタンスが嫌いなわけじゃなさそうだ。



ドンドン縮まっていく二人の距離。


(こんな気持ち初めて………そう、これが恋なんだわ!!)



だが、コンスタンスの縞模様のガウンに、またもや、過剰な拒否反応を示すエドワード。


(なぜ?こうも《 縞模様 》を嫌うのかしら?………彼の過去にはいったい何が……)



そして、やがて分かる真実。


彼は本物のエドワード医師ではなく、記憶を失っていた、どこの誰だか分からない人間だったのだ。


「僕は自分が、いったい、どこの誰なのか全然分からないんだ! きっと本物のエドワードを殺したのは僕かもしれない………」


「嘘よ!あなたにそんな事が出来るものですか!!私がきっと真相を見つけてみせるわ!!」


恋した女の決意は固い。


(私が、この人を守ってみせるわ!!)

精神分析医としての力を借りて、コンスタンスは真相に迫っていく…………。





戦後、第1作目のヒッチコック映画。


ヒッチコックにしては珍しい精神分析サスペンスである。



以前、このblogに書いた『第七のヴェール』もだけど、この時代って、こんな心理分析やら、精神分析などが1種のブームだったのかねぇ~。

やたら、この手合いの映画が、この時代に集中している気もするのだが……。




主演は演技派イングリッド・バーグマン。


そして、相手役は前年にデビューしたばかりのグレゴリー・ペックである。


見ても分かるように、若い頃のグレゴリー・ペックは、もの凄いハンサムさんである。



1944年の映画デビューで、もう、最初から主役。


見た目の良さから、翌年には、こうしてヒッチコックの映画にも出ている。(この映画も、そこそこヒットしたみたい)




ただ、ねぇ~ ………。


とにかく、何を演じても真面目な役ばかりなんだよなぁ~、この人の映画って。



『紳士協定』、『アラバマ物語』、『パラダイン夫人の恋』、『アラベスク』、『ナバロンの要塞』、『ローマの休日』などなど……


いろんな映画を数多く観てもいるんだけど、全てが、善良な役ばっかり。


プレイボーイ役もできないしね。


悪役なんてのはトンでもない事だし、出来るはずもない。



あまりにもお堅くて真面目すぎるのだ。(このあたりがケーリー・グラントとの差だと思う)



それでも、この、《根っからの正直者さ》、《真面目さ》が、ピタリとハマった映画なら、それなりに良いのだけどね。




そして、この『白い恐怖』は、偶然にも、それがピタリ!とハマった映画。


『コンスタンス』(イングリッド・バーグマン)が、一目惚れするのも分かる。(何たって、こんだけハンサムなんだもんね)


『コンスタンス』が、「犯罪者なんかじゃない!!」と信じたい気持ちも分かる。(こんだけ真面目そうで、善良そうなんですもん。犯罪者になんか全然見えませんわ(笑))




この映画は、あくまでも、主人公『コンスタンス』の恋していく変化や、「恋人を救いたい!」と、孤軍奮闘する姿で進められていく話なので、演技派イングリッド・バーグマンに負う部分が、格別に大きい。

観ている人も、バーグマンの気持ちに同化しながら観るはずだ。




だから、相手役のグレゴリー・ペックは、そのまんまでいいのだ。(記憶喪失だろうと、なんだろうと)


ハンサムで、真面目で、善良そうに見えるのなら、それだけで充分。


デビューして2年目としては、上手い具合に当てはまるような配役をつかんだと思う。




そして、この手の精神分析モノでは、ヒッチコック先生も、なんとか手堅くまとめているんじゃないだろうか?

星☆☆☆である。


2020年6月14日日曜日

ドラマ 「 JIN - 仁 - 」

2009年(1期)、2011年(完結編)






今更ながら、ハマってしまった見事に!


このコロナ渦の中で、たまたま再放送されていた、この『 JIN  - 仁 - 』を何気に観ていたら、《ピピッ!》とくるものを一瞬で感じてしまった。


いつの間にか、引き寄せられ、目は釘付けになってしまったのだ。


何で、本放送の時、これを観ていなかったのか!(バカ!バカ!)と、今頃、後悔もしている。



でも、考えてみれば、2009年からは、大波が被さるように、毎日毎日が、まるで怒濤のように、次々と変化があった時期。


テレビすら、観る余裕もなかったから、しゃ~ないか。




名医『南方(みなかた)仁』(大沢たかお)は、現代(2009年)から、幕末の江戸にタイム・スリップする。(最初、この名前、まんま『エースをねらえ!』の宗方仁と聞こえたよ(笑))


一見、馬鹿馬鹿しいような、まるでSFじみた話なんだけど、そう感じさせないような説得力があるのが、このドラマの凄いとこだ。(漫画が原作らしいけど)



現代医療の知識を駆使して、江戸の町民たちを、次々治療していく南方仁には、爽快感しかない。


「こ、こげな医術、わしゃ見たことない!!」


初めて見る南方仁の治療や手術に、当時の人たちは、誰もがおったまげる。(そりゃ、そうだろ。でも、そんな町民たちの反応が、イチイチ痛快で楽しいのだ)



遊廓で梅毒に苦しむ女郎の為に、ペニシリンを作り出したり、

火事で呼吸困難で運ばれてきた患者の喉を切開して気道を確保したり……




そんなモノを知らない江戸の人々たちは、ただ、ただ南方仁の医術に驚嘆するばかりなのだ。




そして、そんな南方仁に惹かれるように、次々と集まってくる仲間たち。


あの、時の人『坂本龍馬』(内野聖陽)さえも。


「ワシが斬られても、ワシには南方先生がおるわい!いつも安心じゃわい!!ワハハハッ!!」なんて具合である。


そうして、男たちだけじゃなく、女たちも南方仁の、こんな浮世離れした魅力に当然惹かれないはずがない。(もう、どこに行ってもモテモテの仁である)




武家の娘、『橘咲(たちばな さき)』(綾瀬はるか)は、仁の医療を手助けしながら看護師に志願するも、次第に仁自身を愛するようになっていく。



そして、咲は、仁が、未来からやって来た《未来人》である事を知る、ただ一人の女性。



時折、仁が、未来に残してきた恋人『友永未来(ともなが みき)』(中谷美紀)の写真に、寂しそうに話しかけるのを幾度も目にする。


(あのお方には、未来で待っているオナゴがいる………私のような者などが入りこむ隙もないのだ………ただ、こうして、お側でお仕え出来るだけで幸せと思わねば………)


自分自身に、そう言い聞かせようとするも、ともすれば、溢れるような仁への想いを抑えられなくなり、苦しむ咲。





そんな時、仁の恋人、『友永未来』と瓜二つの顔を持つ遊廓の花魁(おいらん)、『野風(のかぜ)』(中谷美紀二役)と出会ってしまう。



野風の顔を見て驚く仁、その様子に動揺する咲。




ある日、咲は、とうとう目の前の野風相手に、こんな風に口走ってしまう。

「わたくしはあなたが羨ましい。あなたの、そのお顔が………」と。



野風は野風で、また仁に惹かれており、それでも花魁の立場上、道ならぬ恋だと苦しんでいる。


「あちきのようなオナゴの、何を羨ましいのでありんすか? あちきは、咲様、あなた様の方が羨ましいでありんす。 所詮、あちきは籠の鳥。ここから出られないのでありんすから………」(この『ありんす』言葉がタマラナイ!!)





あ~、こんな二人の美女に、苦しむほど愛される仁。



どちらの女性も、テレビを観ながら、どんどん好きになっていって、それでいて可哀想で………。




もう、どちらかを贔屓(ひいき)になんて出来やしない!



この際、不謹慎と言われてもいいから、「どちらも抱いてやれよ!仁!!」、「二股も俺が許すから!」なんて思っちゃったりして(笑)。





こんなに、のめり込んだドラマも久しぶりだったかも。


ずいぶん、遅れてきたフアンなのだが、もう、今は、自分の心は『JIN - 仁 - 』、『JIN - 仁 - 』なのだ。



もちろん、星☆☆☆☆☆。

綾瀬はるかは、超!可愛いし、中谷美紀さんも大好きになってしまったで、《ありんす》よ(笑)。

2020年6月13日土曜日

映画 「現金(げんなま)に手を出すな」

1954年 フランス・イタリア合作。





この映画、『現金に手を出すな』…………どうも『現金に体を張れ』(監督スタンリー・キューブリック)と、たま~に、ゴッチャになってしまっていて(似たような邦題で)、今日の今日まで観ずじまい。



いつも「どっちがどっちだったっけ?」ってな具合。



今回、意をけっして観たのだけど………う~ん、………何なのだろう?


この違和感は?


主演は、以前もとりあげた、ジャン・ギャバン





初老のギャング、『マックス』(ジャン・ギャバン)が、ギャングを引退して過ごすために、5000万フランの金塊を、見事盗み出す。(映画では、既に盗んだ後で、全く盗むシーンもない)


でも、その秘密を、20年来の相棒である『リトン』(ルネ・ダリー)って男が、情婦で踊り子の『ジョジィ』(ジャンヌ・モロー)にペラペラ喋ってしまう。(これも説明だけで、このシーンも存在しない)


でも、このジョジィは、別に、二股で、新進のギャング『アンジェロ』(リノ・ヴァンチュラ)とも、裏でデキてる。(これも、たまたま楽屋で二人がいるところに、マックスが遭遇するシーンだけ)



そして、このジョジィが《 金塊 》の事を、アンジェロに喋ってしまったから大変。(このシーンもない)



リトンはアンジェロたち一味に誘拐されて、人質に。


「リトンを返してほしければ、《金塊》を渡せ!」がアンジェロの要求だった。



マックスは、馬鹿なリトンを見捨てられない。



古い友人ピエロと共に、金塊を積んで引き渡し場所に向かうのだが………。






これが『現金に手を出すな』の大まかなストーリーなのだが…………



ここに書いてみて分かったが、こんな場面が、まるで、《見当たらない》のだ。



これが、この映画に感じた《違和感》。

まるで、わざと本筋に重要な場面を外しているとしか思えない。




代わりに、挿入されるのが、マックスたちの食事するシーンや、踊り子たちの踊り。


アンジェロにつけ狙われたマックスが、リトンと一緒に秘密の隠れ家で、またまた食事したり、お互いパジャマに着替えて、歯を磨いたりして(クチュクチュ、ペッ!)、そして就寝するシーン。(なんて行儀良いギャングなの(笑))




こんな、どうでもいいようなギャングの日常風景なのだ。




もちろん、ギャングゆえ、『マックス』(ジャン・ギャバン)の迫力ある場面もあるにはあるのだけど。(裏切ったジャンヌ・モローを往復ビンタしたり、機関銃乱射したりね)




「普通に撮ったんじゃ面白くない!平凡すぎる!」


これが、この映画を監督したジャック・ベッケルの意図だったのかねぇ~。





そうなら、あんまり上手くいってない気がする。


この演出が、60年以上経った今、我々現代人の目で観ると、逆に《おっそろしく退屈》な時間なのだ。




それに、場面場面をつなぐテンポの悪さも目についてしまう。



ギャングの親分として、ひとり、気をはくジャン・ギャバンだけが、まるで浮いた存在のように見えてしまった。




その他の登場人物たちは、いずれもおバカというか、愚鈍というのか……



中でも、この相棒の『リトン』って奴が、まるでダメダメ。


完全にポカ~ンとしたアホ面なのである。


観ていても、「こんなの助ける価値あるの?」って思ったくらいだ。(ゴメンナサイ、最初から最後まで、この相棒『リトン』が、頭カラッポにしか見えなくて、まるで同情する気にもなれなかった)



以前、blogであげたジャン・ギャバンの『レ・ミゼラブル』や『殺意の瞬間』には、ちょっとほど遠い出来かな~。


星☆☆。

※あ~そうそう、映画のタイトルは『現金に手を出すな』ですが、特別給付金はチャッカリ頂いたワタクシなのでございました(笑)

2020年6月7日日曜日

コント 「サンドウィッチマン 『旅館』『女将の男』」

2013年 ライブツアーDVDより~






イキナリ現れたコレに、「何なんだ?」と思う人もいるだろうが。(でも別にいいのだ。根が移り気なふたご座なので。)




コロナで自粛期間中、何の気なしに観た『サンドウィッチマン』のコント。

可笑しくて、可笑しくて、スッカリ、ハマっても~た。



あ~面白い!

暗い気持ちも、ふきとんでしまう。



伊達みきお』と『富澤たけし』。




二人は天才だ!




金髪で太っちょ、つぶらな目をした『伊達みきお』のぶっきらぼうなツッコミ。


これまた、太っちょで、ヒョウヒョウとしたボケをかます『富澤たけし』の「なんか、ちょっと、何言ってるか、分かんない …… 」が炸裂する。



そんな数多い、このコントの中でも『旅館』と『女将の男』は、傑作!



『旅館』では、ブサイクな女将役を、ボケの富澤たけしが演じていて、名前が、そのまんま「大神おか美(おおかみ おかみ)」という、とんでもない設定。(何だ?コイツ~(笑))


ツッコミ役は、客の伊達みきおが演じているが、全編笑いどころ満載。(ツッコミ役なのに、逆にツッコまれるような容姿の伊達さん)




そして、『女将の男』では、この設定が逆になる。


ツッコミ役が富澤になって客を演じていて、ヘンテコリンな髪型をした女将役の伊達みきおが、ボケたおして、も~爆笑の連続である。(こんな重たいカツラ、よ~作ったよ。演じながら汗だくじゃないか)




コントで、ボケとツッコミを自在に取りかえるなんて ……… こんなお笑いコンビを初めて観た気がする。




ん?そんな事は誰でも知ってる?


オッサンの自分は遅れてるなぁ~(笑)

2020年6月5日金曜日

ドラマ 「シャーロック・ホームズの冒険」

1984~1994年。





激しく奏でるバイオリンの調べ、映し出されるベイカー・ストリートを走り抜ける馬車。



そんなオープニングで始まった『ホームズ』。




当時、何気に、(へ~え、こんなドラマが始まったのか…)と観ていたのだが………





ホームズ役者は、それまで数多く存在すれど、このホームズ役の『ジェレミー・ブレッド』は、独特すぎるくらい独特なインパクトだった。



なんせ、あの顔がスゴい!



白塗りしたんじゃないのか?くらいの青白い肌、目の周りと薄い唇は真っ赤。


高い鷲鼻など……こんな顔なら、ホームズよりも『吸血鬼ドラキュラ』の方がお似合いのような気がしていた。




そして、こんな顔だけでも超インパクトがあるのに、その動作も、まるで舞台のように大袈裟でオーバー。



身ぶり手振りが激しく、いきなり立ち止まったかと思ったら、クルリと振り向いたり。(ビックリする!)


唇に、自分の人差し指をあてる癖。(考える時)



歩くときも、歩幅は広く、おまけに競歩のように敏速な早歩き。


「さぁ、ワトソン君、急ぐのだ!」

スタスタと、勝手に先に行ってしまう『ホームズ』(ジェレミー・ブレッド)に、後から付いていく『ワトソン』(デヴィッド・バーク)も大変である(笑)。



「待ってくれよ!ホームズ!!」(ホームズ、そんな声も聞いちゃいません)





こんなエキセントリックなホームズの印象が、あんまりにも強すぎたので、他の登場人物たち(ワトソンやら、ハドソン夫人、レストレード警部、モリアーティー教授)などは、全て汎用に見えて、霞んでしまったくらいだった。




それらの役者たちなど、今でも思いだそうとしても、「どんな顔だったっけ?」ってな具合だ。



第1シリーズ、第2シリーズで、ワトソン役を演じていた『デヴィッド・バーク』が降板して、第3シリーズから『エドワード・ハードウィック』に変わっても、当初、気がつかなかったくらいである。(これ、本当なんです)


《デヴィッド・バークのワトソン》




《エドワード・ハードウィックのワトソン》






まぁ、でも、このくらい変わり者のホームズでも、ちょうどいいのかも。



原作者、コナン・ドイルが書いたホームズの物語も、ヘンテコな話が数多くあるから。





『まだらの紐』なんて、ズバリ、蛇を調教して姉妹を殺そうとする義父のお話。


姉は殺されたが、妹の方は駆けつけたホームズに追い払われて、抜け穴から戻ってきた蛇に、逆に咬まれて死んじゃう義父。(「ギャアアー!」の断末魔の叫び)





『這う男』なんて、大学の教授が、若い女に恋してしまって、なんとか婚約までこぎつけるんだけど………。


 「このままでは、若い嫁を満足させてやれない………」

と悩んでしまって、元気にする薬(精力剤)を、こっそり隠れて購入。



 それが、猿のエキスを調合したモノだったので、その副作用で、とうとう猿化した教授は、夜半、木に飛び移ったりする。




そうして、とうとう、

「ウッキー!」とか、叫びながら四つん這いで、そこらじゅう這いまわるのである。




「もはや遅かったか………」謎を解いたホームズは、教授の婚約者や助手、それにワトソンたちと、それを静かに見守りながら傍観するのである。






原作を読んだ時も、充分、変な話だと思ったが、ドラマは大真面目に役者たちが演じているので、観てみると、

「何じゃこれ?ギャハハハッ!!!」の大爆笑モノである。





こんなヘンテコな話が、ホームズの事件簿には、山ほどあるのです。(中にはマジメ~な話もあるけど)





でも、このくらいヘンテコリンに振りきった話の方が、私は大好きである。



ホームズ役のジェレミー・ブレッドが、途中、鬼籍となり、この聖典は未完となってしまったが、41作の長・短編を映像化した、この『シャーロック・ホームズの冒険』は、一度は観る価値あり。



ホームズ初心者の入門編としては、このドラマは最適かもしれない。(バカ話もあるので、お気楽にね)


星☆☆☆☆。

2020年6月1日月曜日

ドラマ 「ショムニ」

1998年~2003年 (第1期~3期までの連続ドラマ。その間に単発スペシャルをはさむ)

2013年(最後の連続ドラマ化)





これは、昔から、自分が勝手に思い込んでいる事なのだけど………。




芸能界には、《 VS(バーサス)の法則 》があると思っているのだ。




ここで自分が言う、《 VS(バーサス) 》とは、同じ時代に、同じジャンルで、同じような歳頃の二人。


それは似ていても、鏡のように非なる要素を持つ好敵手(ライバル)である。



例えば、歌手で男なら、


「五木ひろし」 VS 「森進一」、

「田原俊彦」 VS 「近藤真彦」(ヨッチャンは相手になりません (笑) )



そして、女なら枚挙にないくらい、大勢の組み合わせがある。


「松任谷由実」 VS 「中島みゆき」、

「山口百恵」 VS 「桜田淳子」(森昌子は、この二人に対等しないと思う。)、

「松田聖子」 VS 「中森明菜」、

「安室奈美恵」 VS 「浜崎あゆみ」、

「安倍なつみ」 VS 「後藤真希」、………まだ、まだ、たくさんあるがメジャーなところでは、こんなところか。




この(VS)に異論もある人もいるだろうが、大半が、「あぁ、そうねぇ~」なんて、思いながら納得するんじゃないかな?



片方が太陽のような輝きを見せれば、もう片方も月のような妖しい光を放つ。



こんな風に、対等する者がいるか、いないかは、大勢がひしめきあう芸能界において、それを持たない者たちとは、大きな違いがあると思うのだ。




例えば、片方に熱心に応援する者がいれば、もう片方のフアンも「負けてたまるか!」と熱心に応援する。


お互い加熱しあって、それは徐々にヒート・アップ。


変な相乗効果が生まれてくるのである。





で、女優の中にも、この《 VS(バーサス)》の関係を、テレビを観ながら、自分で勝手に思っていた二人がいる。



天海祐希』と『江角マキコ』である。



どちらも、スラーッとした高身長で、年齢も同じくらい(江角マキコが一歳上)。


サバサバした性格で、女優にしては、並外れた運動神経を持っている。




決して共演しなくても、一時期、この二人が、交互に連ドラの主演をしては、賑わして活躍していた時期があったのだ。


もちろん、二人が主演するドラマは高視聴率。




はた目には、似ているような雰囲気の二人だが、中身はまるで違っている事を私は、とっくに見抜いてました。(エヘン!)




二人の過去をひもとくと、その違いが如実に分かってくる。





ご存知、『天海祐希』は、宝塚のトップ・スターだった人。




その高身長で男役が様になり、世の女性たちの憧れの的だった。


宝塚を順風退団した後は、すんなり芸能界に入り、女優を続けて今に至っている。


たまにバラエティーへゲスト出演もするが、ストイックに女優一筋である。





でも、『江角マキコ』は、まるで違う。




バレーボールの実業団にいた彼女は、肩を壊して、退団。

その後、モデルに転身して、女優になった。



女優になってからも、ヌード写真集は出すわ、結婚離婚もするわ、そして、また結婚するわ、もう波瀾万丈である。


CDも出して、歌番組で踊りながら歌っちゃう。(ショムニ、2期主題歌『one・way・drive』)


野球の始球式も、ショムニのコスチュームでやっちゃう。


エッセイ集も書いちゃう。


そして、バラエティーの司会までやっちゃったのだ。




「あ、これ、面白そう!」と思えば、恐怖心や怖じ気などなく、何にでも挑戦するのが『江角マキコ』なのだ。



こんな性格ゆえ、男達には異様に好かれる江角マキコ。



そのかわりに、そんな江角マキコの言動や行動は、奔放で破天荒に映り、同姓には、まるで理解されない。


ケチョン!ケチョン!に嫌われるのだ。




代わりに、同姓に支持されて愛されるのが『天海祐希』なのである。





こんな二人であるが、昔、『グータンヌーボ』でトークしていた場面を観た事がある。


江角マキコが、グイグイ進行しながら、天海祐希に、

「ねぇ!何で結婚しないの?結婚しなよ!結婚して子供産みなよ!!」と言っていた。


それを、天海祐希は苦笑いで、何とかその場をしのごうとしていたような感じがしていた。



天海祐希にしてみたら、結婚なんてすれば、

「せっかく順調にいっている仕事に穴をあけてしまうかもしれない……関わっているスタッフたちに迷惑をかけてしまうかもしれない……」

なんて想いが、チラチラ頭の中を駆けめぐるのだろう。




根が真面目すぎるくらい真面目な『天海祐希』。




ましてや、宝塚は厳格な規則で有名だ。


その中で、トップであり続けた天海祐希は、たえず、後先の事を考えながら生きてきたのだから、《 結婚 》に、仕事へのハイ・リスクを感じてしまうのかもしれない。




でも、江角マキコには、そんな気持ちは、まったく理解できないのだ。




彼女は、「これ面白そう!」と思えば、即座に即決して、自ら、それに飛び込んできた人なのだから。


結婚も出産も、江角マキコにとっては、なんて事はない低いハードルなのである。






後日、この放送を観ていた視聴者たち(女性たち)からは、


「江角マキコ感じ悪い~。天海祐希に上から目線でさ!!」

なんて言いながら、案の定、江角マキコは嫌われて、天海祐希が「可哀想~」だったらしい。




まったく、自分が思い描いていたような世間の反応である(笑)。





でも、本人には、まるで悪気はないのだ。


ただ、「そう思ったから、そう言ってみた」だけなのだと思う。




何だか、江角マキコを庇うような感じもするだろうが、自分が男ゆえ、「どちらが好きか?」と言われたら、ヤッパリ『江角マキコ』の方が好きなのだ。



ショムニのキャラクター坪井千夏そのままに、江角マキコを呑みに誘えば、

「いいね!行こう!行こう!」と朝まで付き合ってくれそうだし、何より男なら誘いやすい。




一方、天海祐希を誘うには、男でも、少し勇気がいるような気がする。


もし、仮に誘っても、「今日はちょっと……」と断られるか、それでも強引に誘えば、

「分かりましたよ!行きますよ!行けばいいんでしょ!!」と、まるで清水の舞台から飛び降りるような覚悟の返事が返ってきそうだからだ。(何となく分かるでしょ?)





こんな二人だったが、例の事件で江角マキコは引退した。



ママ友同志のトラブル、男性マネージャーの落書き。


女は『江角マキコ』を嫌って、男は「江角マキコの為なら……何でもやってやりたい」と思っちゃう。



本当に自分が分析したとおりになっちゃった。



そしてスパッ!と引退。




後悔すらないのかも……全てやりつくしたのだから。


『江角マキコ』の目は、常に前方を見ながら、もう、違う何かを見つけては、突き進んでいるような気がする。





ただ、対等する相手を失った天海祐希の芝居が、何だか精彩を欠いたように見えて、最近つまらない。




ここ、すっかりテレビを観なくなったのも、こんな《 VS(バーサス)の法則 》に値するような歌手や俳優たちがいなくなったせいかも。



「みんな仲よく!」じゃ、傍目には面白くないのが、テレビの難しさである。



「女の価値は、男の数!」、そんな風に豪語する『坪井千夏』(江角マキコ)に、男は、ヤッパリみとれてしまうのである。



星☆☆☆☆。

※全然、『ショムニ』の内容になってない感想でゴメンナサイ(笑)