2022年9月26日月曜日

映画 「俺は善人だ」

 1935年  アメリカ。

 



エドワード・G・ロビンソン(1893〜1973年没)という俳優は、(随分、損してるなぁ~)と、勝手にそう思っている。


エドワード・G・ロビンソンが出演する映画を観たのは、今回で2度目。

ビリー・ワイルダー監督の『深夜の告白(1944)』にもロビンソンは助演として出演してました。


手足が短く、バランスの悪い体つき。

四角い顔が乗っかっているロビンソンは、お世辞にもカッコイイとは思えない。


こうして、お顔の方にクローズ・アップしてみれば尚更である。


広い額。

切れ長で細い、奥二重の《ジト〜とした目》

短い鼻。

横に伸びたデカい口は、《薄い唇》上下を覆われている。


こんな独特な顔も、慣れてくればユーモラスに見えてくるんだろうが、初対面で受ける第一印象は(ド〜ンヨリ)なんだか 暗〜い 感じだ。



こういうタイプが「俳優になろう!」としても、順風満帆じゃないのは、おおかた予想がつく。(「苦労するだろうな~」 …と思っていたら、やはり案の定でした)


若い頃は舞台やチョイ役の繰り返し。

やっと芽が出たのは、中年期に差し掛かってきてから。


犯罪王リコ(1931)』のギャング役が当たり役となる。(ギャング役と知って妙に納得)

それにしても、なんてチンチクリンなギャングなんだろか(笑)》


とにかく、これを足がかりにチャンスをつかんだロビンソンにも、ようやっと、主役の座がまわってくる。


それが、あのジョン・フォードが監督する『俺は善人だ(1935)』なのである。


しかも、西部劇や感動ドラマを得意とするジョン・フォードには珍しく、この映画は異色のコメディー・ドラマなのだ。




勤勉で真面目な『アーサー・ファーガソン・ジョーンズ』(エドワード・G・ロビンソン)。


そんなジョーンズに昇進話が出てくるのだが、同時に

「今度、社内で一番遅刻してきた者はクビにしろ!」と、社長からジョーンズの上司にお達しがくる。


「ジョーンズ君はどうしたんだ?」

「まだ来ておりません」

たまたま目覚ましが壊れて、この日は運悪く大遅刻のジョーンズ。


恐る恐る席に着くと、上司が苦虫を潰した顔でやって来る。

「あ〜、君に昇進の話が来てるが、社長からは『今日遅刻してきた者を、即刻クビにしろ!』の命令だ。クビにした者を昇進する事は出来ない。わたしゃ、いったい、どうすればいいのかね?!」


と、そこへ鼻唄を歌いながらルンルン♪

優雅にタイムカードを押して女性が現れた。


目下、朝の9時半である。(出社は8時半)

ジョーンズより更に遅れてきた『ミス・クラーク嬢』(ジーン・アーサー)は、即刻「クビ!」を言い渡される。(間一髪、助かったジョーンズ)


それでも、クラーク嬢はどこ吹く風。

まるで気にしてる様子じゃない。


「でも、今日一日は、ここにいてもいいわよね?」と言いながら、自分のデスクに着くと、ポン!と脚をくんで、勝手に新聞なんてのを読み出した。


上司は(もう、お手上げ!)の呆れ顔で離れていく。


そんなクラーク嬢、新聞のニュースを見て、後ろに座っているジョーンズを振り向くと、途端に、けたたましい声をあげた。


「この暗黒街の脱獄王の顔、あなたにそっくりじゃないのぉーー!!」


写真を見てジョーンズもビックリ。

その声につられて社内中の人々が集まってきて、テンヤワンヤの大騒ぎ。


「オーーイ、ここに《脱獄王》がいるぞー!」の冷やかしの声も。


たまたま偶然の他人のそら似。

でも、事はそれで済まなくなってきて ………




この後は、暗黒街のボスに間違われたジョーンズが警察に誤認逮捕されたりして、スッタモンダ。

当の大ボスがジョーンズの目の前に現れたりして、トンデモない展開へと流れていく。



この映画、やはりジョン・フォード監督の映画らしく、傑作だし、とても面白かった。

「ジョン・フォード映画にハズレ無し!」の信頼ゆえ、「一度は観てみようか …… 」と思った次第である。


エドワード・G・ロビンソンも二役を演じていて中々の演技力を見せてくれる。


ただ、……… 『エドワード・G・ロビンソン』が《主役》って事だけで、観る気になったか、どうかはあんまり自信がない。



確かに演技力はあると思いますよ。

長い下積みや経験は、その演技力を磨いてくれていると思うのだが、如何せん、この人、


全く、写真映えしないのだ!(可哀想に。こればっかりはどうしようもない)


映画の中の、様々な場面のスナップ写真を見ても、どれもこれも見栄えがしないロビンソン。(全体像はともかく、このジト〜とした目と真一文字に結んだ口がねぇ~)



これじゃ、ロビンソンの映画を観た事がない人には、「観てみようか …… 」なんて食指は、なかなか動きにくいかも。


こんなに演技力はあって面白いのにね ……



故に、最初に書いたように

「損してるなぁ~」の答えに、やっぱり帰っていくのである。



どんなに演技力はあっても、

《映画スター》=《写真映え》って、(やっぱり大事なんだなぁ~)と、考えさせられた一本なのでございました。(映画は星☆☆☆☆)



※それにしても、この邦題、ロビンソンの当時の意を汲んで担当者がつけたのだろうか?


《善人》役、きっと嬉しかったんだろうな。


2022年9月19日月曜日

ドラマ 「鱶女」

 1980年  8月。





このタイトルの漢字が読めます?

私は読めなかった。


調べてみると、《魚》に《養う》と書いて、《鱶》(ふかと呼ぶのだそうだ。


で、その《鱶(ふか)》だが、

「普通サイズよりも、さらに巨大な大型鮫(サメ)」の事を意味するのだそう。(なら、タイトルの方も《鮫女(サメおんな)》で充分よさそうだけど)


あ、そうそう、食べ物の《フカヒレ》ってのがあるでしょう。

あの《フカ》だと覚えておけば良いかも。


そして、このドラマのタイトルが『鱶女(ふかおんな)』で、こんなオドロオドロしい副題がついていれば、お察しのとおり。




これは、夜ごと、鱶(ふか)に変身しては、人間を襲い続ける、鱶女の復讐劇。

ホラー・サスペンス・ドラマなのである。




一年前、思わぬ自動車事故で結婚間近だった恋人『今日子』(夏樹陽子)を亡くしてしまった『津川敏夫』(大和田獏)。



それからは空虚な日々だけが流れて ……


敏夫は今日子と二人で楽しく過ごした事のある想い出の漁港に、フラリやってきた。





母親と民宿を営んでいる『静香』(香野百合子)は、そんな敏夫に再び出会えて大喜び。


ちょうど、しつこい網元に言い寄られていてウンザリしていたのだ。(顔が怖いし(笑))





そんな折も折、漁港では大勢の人たちが集まって大騒ぎ。

無人の船が見つかり、乗っていた漁師の若者カツゾウの姿が見当たらないのだ。



「こりゃ、カツゾウの奴、海におちたんか」

「きっと鱶(ふか)にやられたんだ!」



町がそんな騒ぎになってるとは、露知らず。

敏夫は、想い出の離れ小島までモーターボートを走らせた。



小島に着いて短い洞穴を抜けると、砂浜には脚を怪我した一人の女性が横たわっている。


その顔を見て敏夫は驚いた。

(今日子、今日子の顔にそっくりじゃないか!!)




海女(あま)をしているという、その女(夏樹陽子・二役)は、死んだ恋人・今日子に瓜二つ。

まるで生まれ変わりというくらい、生き写しだったのだ。



元々、死んだ今日子が美人でスタイル抜群。

それと同じなら尚更。

敏夫はひと目見て、惚れた!♥(だろうな(笑))



それからも、あの美人の海女さん会いたさに、心配する民宿の静香の腕を振り切って、海に出ていく敏夫。


それを見て、勝手に勘違いして、嫉妬の炎をメラメラと燃やす網元の男。


「あのヤロー、静香に色目を使いやがってぇ~」(あぁ、とんだ勘違い)



その間も、次々、漁師の若者が、夜の海に響く謎の女の声に誘われて、恐ろしい鱶(ふか)の餌食で殺されていく ……



こんな状況下で、村の長老(加藤嘉(かとう よし))が、とうとう黙っておられず、ポツリ、ポツリと話だした。


「二ヶ月前、お前たちは入り江に舞い込んできたオスの鱶を殺しただろう。メスの鱶は痛手を負ったが逃してしまった。そのメスの鱶が人間の女に化けて復讐にやってきたのだ!」


トンデモない話に村の若い衆は、「何を馬鹿な事を …… 」と笑っているが、半端、長老の話を信じている。


「大昔にも同じような事があった。《鱶女》がやってきて村人を襲ったんだ。暗闇の中、異様に目を光らせて …… 」



もう、網元も他の男たちも、すっかり《鱶女》の存在を信じ込んだようである。(この人が話せば、こんなヘンテコな逸話でも妙に説得力があるのだ)


「こうなりゃ、《鱶女》を探しだして、ぶっ殺してやるんだ!」


一致団結、単純な若者たちをまとめあげて、単細胞の網元は《鱶女》探しに乗り出した。


「何日か前から、別荘に泊まっている《マヤ》って女が、どうも怪しいぜ」

誰かが言い出した。


どうもカツゾウや他の若者も、死ぬ以前に、そのマヤに誘惑されていたようなのだ。


網元と若い衆は、マヤの泊まっている別荘へと繰り出すのだが ………



随分思わせぶりで、突然現れてきた美女。

でも、勘の良い人なら、

「こんな女が《鱶女》であるはずがない!」と思うはず ………


案の定、

《鱶女(ふかおんな)》= 夏樹陽子から目を逸らすための、ただのフェイクの脇役でございました。(こんなのに騙されるのはドラマの中のアホな漁師たちだけだ)



謎の方は単純だが、このドラマの楽しみ方は、夏樹陽子の美貌やプロポーションを愛でること。


若き大和田獏が、モーターボートを自在に操り、美しい海で素潜りをしたり、スキューバダイビングしたりして、夏樹陽子と「キャッ!キャッ!」と戯れる様子に見入る事である。(今じゃ考えられないほど、けっこうアクティブな大和田獏にビックリする!(⁠´⁠⊙⁠ω⁠⊙⁠`⁠)⁠!)


もちろん、実際の鱶(ふか)が現れる場面は緊迫感があってゾワゾワするが、鱶女と敏夫の道ならぬ恋が、このドラマのメインテーマだろう。



でも、この1980年に、なぜ?これが突然映像化されたのか?


1975年にはスピルバーグが監督した『ジョーズ』が公開され、ちょいとした《ジョーズ・ブーム》が、日本にも到来する。(『ジョーズ』は案の定シリーズ化され、『2』、『3』、『4』と1987年まで続いてゆく)


この時期、土曜ワイド劇場では夏になると定期的にホラー・モノを必ずやっていた。


ならば、「日本でも《サメ》を題材にしたモノが作れないだろうか?」

な〜んて事を考える輩も出てくるのは、ごく自然なこと。


そうしたら、日本にも《サメ》を扱った小説が既にありましたがな!


それが、石原慎太郎が、大昔に短編小説として書いていた『鱶女(ふかおんな)』なのでした。


石原慎太郎氏》


若い人には、気難しそうな顔で雄弁と喋り倒す東京都知事の思い出しかないだろうが、この人は元々、小説家として世に出た人である。


こんな情報も、もはや私世代がギリギリ知っているか・いないか、なのかもしれない。(映画『太陽の季節』や弟・石原裕次郎主演の『狂った果実』は、この人の小説が原作)



それでも、この『鱶女』は意外だった。


(こんなホラー・モノも書いているのか …… 石原慎太郎 …… )


てっきり、弟・裕次郎が主演した映画、アウトローの青臭い青春小説みたいのばかりだと思っていた自分は、目から鱗。


ただ、このホラー・サスペンス『鱶女』でも、青春小説の香りは少しだけ残っている。



とうとう正体がバレて、『鱶女』(夏樹陽子)を岩場に追い詰めた網元や漁師たち。

必死に逃げる『鱶女』を庇いながら、「やめろー!」と、一人声を張り上げる『敏夫』(大和田獏)。


鱶女が海にダイブすると、そこをめがけて漁師たちが、何本もの銛(もり)を打ち込んでくる。


海面に漂ってくる真っ赤な鮮血。

「きっと、あの女、死んださ …… 」


皆が散り散りに引き上げていく中、敏夫だけは信じない。


(きっと …… きっと …… 生きている …… )


次の日から、深海を潜りながら『鱶女』を探してまわる敏夫。


広い海の中を、あてもなく、泳いでいる敏夫を映して、ドラマは《END》となる ……



なんか、ロマンチックな終わり方である。


こんなドラマを観てしまうと、石原慎太郎のイメージも180度変わってしまう。


生前、あんな気難しそうに思えたけど、この人、案外ロマンチストな人だったのかも …… と。


これも昭和が残した名作と言っていいんじゃないかな?


※それにしても、やっぱり夏樹陽子さんはお美しいわぁ~(デレ〜)