2020年9月26日土曜日

映画 「ダイヤル M 」

1998年 アメリカ。






『スティーヴン・テイラー』(マイケル・ダグラス)は、若くて美しい資産家の妻『エミリー』(グウィネス・パルトロウ)と、マンハッタンで豪華な暮らしを満喫していた。


スティーヴンも実業家だったが、もっか経営は厳しい状態。



エミリーは資産家ながらも、国連で働いているバリバリのキャリア・ウーマンである。




そんなエミリー、仕事の合間に画家の『デイヴィッド』(ヴィゴ・モーテンセン)と知り合い、不倫関係に。



デイヴィッドのアトリエのロフトで、暇をみつけては密会を繰り返すエミリー。


高圧的なスティーヴンの性格に嫌気がさしていたエミリーは、デイヴィッドに会えば会うほど惹かれていく。


でも、そんなものをおくびにも出さず、冷静にふるまおうとするエミリー。




だが、夫スティーヴンは、どこまでも抜け目のない性格。



エミリーの不倫など、全てを知っていたのだ!



そして、エミリーの留守中に、スティーヴンは自宅に、ある男を呼ぶ。

「入りたまえ!」



何と!入って来たのは、エミリーの浮気相手のデイヴィッドじゃないか!!




いったい何の用で呼び出されてきたのか、訝(いぶか)しそうにしているデイヴィッドに、スティーヴンはいきなり核心をついてきて、

「君が妻のエミリーと《デキてる》事を知っている!」と言い放った。



そして、「君には妻のエミリーを殺してもらおうか!」と、とんでもない提案をしてきたのだ。


「はぁ、何で俺がエミリーを殺さなければならないんだ?それもあんたの為に?!気は確かか?」


そう言われても、全く動じないスティーヴンは、不適な笑みをたたえると、デイヴィッドのこれまでの過去を話しはじめた。



興信所で調べさせたデイヴィッドの過去。


ペテンや詐欺は当たり前、そして投獄までされていた写真……


「新進の画家だって?笑わせる。君は根っからの犯罪者じゃないか!」


図星なのか……もう、ぐうの音も出ないスティーヴン。


「そ、それでも、もし俺が、この話をエミリーに言ったらどうなる?」


「エミリーには、君の過去をじっくりみてもらって判断してもらうさ。それに、警察に私が行けば、君にはまだまだ捕まるような余罪があるんじゃないか?」



もう、八方塞がり。まさに出口なしのデイヴィッド。


デイヴィッドが次に発した言葉は、「どうすればいいんだ……」だった。


その言葉を聞いたスティーヴンは、ニヤリと笑うと、「なぁに、悪いようにはしないさ。計画とは……」と言って話し始めるのだった…………。





今回、この『ダイヤル M』を観たのは初めて。(当時、「また、ヒッチコックの下らないリメイクか…」とスルーしていたのだ)



観てみてビックリ!



良くできてるじゃないですか!!



なんなら、こっちの『ダイヤルM』の方が、完全にヒッチコックの『ダイヤルMを廻せ!』を上回っている出来栄えと言ってもいいくらいだ。




前回にも書いたように、あれほど、妻マーゴ殺しの為に、夫トニーが、悪党『スワン』を説得するためにダラダラした会話は、この映画ではコンパクトにまとめられている。


おかげで、サクサク進むし、何よりも『スワン』の存在を省略して、妻の愛人に殺しの依頼をさせるとは……もう、ビックリな改変である。


この後もビックリは続く。





アリバイ作りの為に、スティーヴンは仲間の集まる場所に出かけていき、深夜、妻エミリーは、侵入してきた黒いマスクの暴漢に襲われる。




そうして、エミリーは、やっと掴んだ先の尖った鋭利な温度計(多分、油の温度を計る温度計じゃないかな?)を犯人の首元に突き立てるのだ。


ピクリともせず、大量の血を流して倒れる犯人。



そこへ、タイミングをはかったように夫スティーヴンが電話をしてきた。


「スティーヴン、助けて!早く!早く帰ってきてちょうだい!!」


てっきり、暴漢役のデイヴィッドが出ると思っていた電話に、エミリーが出た事でスティーヴンもビックリ。




一目散にかけつけると、台所では黒いマスクの死体と、側で泣きじゃくっているエミリーの姿が……。


やがて、警察がかけつけて、現場は騒然としてくる。

そして、現場を捜査する『カラマン警部』(名探偵ポワロのデヴィッド・スーシェ)の登場。




カラマン警部と警察官が、死んでいる男の黒マスクをはぎとると、そこに現れた顔は………




誰だ?コイツは?!



全く知らない顔だ!!死んだのはデイヴィッドじゃないのか?!



「どうかなさいましたか?」驚愕しているスティーヴンの横で、カラマン警部が目を光らせながら訊ねると、

「いえ……何でもありません……」と、なんとか平静を装ってスティーヴンは応える。






後日、デイヴィッドと会ったスティーヴン。


「どういう事なんだ?あれは?!いったいあの男は誰なんだ!」



激昂するスティーヴンに、デイヴィッドは、この間の態度とは、うってかわって落ちついた様子。


「俺も汚れ仕事はやりたくないんでね。代わりにやってもらったのさ。昔、ちょっと知り合ったくらいの関係ない男さ」


スティーヴンは、このデイヴィッドを甘くみていた。しかも、この間の会話をデイヴィッドは、ちゃんとポケットの中で、テープに録音していたのだ。


(この男は………)


「なぁ、これからどうすればいい?」

屈託なく聞いてくるデイヴィッドに、スティーヴンは「しばらくは動けない……警察も目を光らせているだろうし……」と言って去ろうとする。



後ろからは聞こえるのは、とんでもないデイヴィッドの言葉。


「じゃ、俺、しばらくはあんたのカミサンと寝ていてもいいんだな?」だった。




夫スティーヴンもクズなら、愛人デイヴィッドも最低のクズ男……

二人のクズ男に、はさまれたエミリーの運命は……。





ここまで書き出してみても、まだ映画の中盤である。



この後も、二転三転の展開が待ち受けている。


時代を現代にアレンジして、ストーリーも大胆に改変しながらも、細部まで手をぬかず、無理なく辻褄があっている。


しかも、ちゃんと面白い作品になっているんだから、これはリメイクでも立派な成功例だろう。




この監督さんは、サスペンスの舞台劇を《映画にするにはどうすればいいか?》って事を、充分にわかってらっしゃるお方だ。

一旦、バラバラに分解して、考えながら、じっくりと積み上げていく、その作業は、まるで何層にも重なる積み木のようなモノだ。

少しの隙間もないように……。




こんな作品を作り上げた監督は誰だろう……気になった。


監督はアンドリュー・デイヴィス。


聞いた事もなかったが、作品を聞けば、どれもこれも、「あ~この作品観てるし、面白かった」というのがあって、またもや納得してしまう。


『刑事ニコ/法の死角』、『沈黙の戦艦』(スティーヴン・セガール)

『逃亡者』(テレビ逃亡者のリメイクね。主演はハリソン・フォード)

『守護神』(ケビン・コストナー)などなど………。

なぜか、どれもこれも観ている私。

こりゃ、いずれ、この監督の作品を、ここへ挙げていくのもいいかもしれない。




映画は星☆☆☆☆である。


冷酷なマイケル・ダグラスの演技はいいし、不倫をしていても下品にならないグウィネス・パルトロウの存在は貴重。


色男を気取っていても、どこか変態チックなヴィゴ・モーテンセンは、充分にマイケル・ダグラスに敵対している。(顔がなんせインパクト大。おしりのような割れたケツ顎をお持ちだもん(笑) )



ただ、ひとつだけ不満があるなら、もうちょっとだけ『カラマン警部』(デヴィッド・スーシェ)に活躍してほしかったかも。


スーシェ贔屓の自分は、このあたりが物足りなかった。よって星は4つにとどめておきたいと思う。

2020年9月25日金曜日

映画 「ダイヤルMを廻せ!」

1954年 アメリカ。






プロテニスの選手だった『トニー』(レイ・ミランド)は、美しい資産家の『マーゴ』(グレース・ケリー)と結婚して、イギリスで何不自由ない暮らしを手に入れていたのだが……



テニス・ツアーで留守がちになったトニーの目をぬすんで、マーゴはこっそり隠れて《浮気》をしてしまった。



そして、その《浮気》はいつしか《本気》になっていく。



そのくらい、浮気相手のアメリカ人で推理作家の『マーク・ハリディ』(ロバート・カミングス)は魅力的だったのだ。

若くてハンサム、理知的であり情熱家。



やがて、そんなマークは故郷アメリカに帰ってしまった。(仕事?)



だが、二人の間の情熱は冷めることなく……アメリカに帰っても、何通もの手紙がマークから送られて来る。

その手紙に、マーゴは励まされ喜んだ。(さすが小説家)



そして、夫トニーがテニスを引退して、マーゴの資産に頼って生活してくると、尚更マーゴの気持ちはトニーから離れていき、遠い場所にいるマークに気持ちは傾いていく。



だが、そんな素振りをおくびにも出さないように、夫トニーの前では、いつも笑顔でキスをするマーゴ。


(この気持ち……知られてはならない……)






1年ぶりにロンドンに来たマークは、すぐさまマーゴを訪ねた。


マークとマーゴ……二人は抱きあい、1年の空白を埋めるようにキスしあった。


だが、次の瞬間、マーゴの不安な顔。



「どうしたんだ?マーゴ」

「あなたから送られて来た手紙は、読むと全て燃やしたわ……証拠を残さないようにと……でも1通だけはどうしても燃やせなくて……」



その手紙はマーゴのハンドバックに入れられ、大切に、大事に持ち歩いていたのだが……ある日、ハンドバックごと盗まれてしまったのだ。



一回きりの脅迫状が送られてくると、マーゴは金を払った。

でも、それきり音沙汰なく、返ってこない手紙。



「もう、はっきりさせようじゃないか、マーゴ!トニーと離婚して僕と一緒に来てくれ!!」


「ええ……でも、もう少し待って」

夫トニーに、なんて言って切り出したらよいのか………迷うマーゴ。






だが、この《浮気》、夫のトニーはとっくにお見通しだったのだ。




もちろん、マーゴの手紙を盗んで脅迫状を送りつけたのも夫のトニー。

全てはマーゴの反応を見るためにした、トニーの作戦だったのだ。




そして、マーゴの気持ちが、すでにトニーになくて、マークに傾いている事を知ってしまうと、トニーは昼夜考え続けた。


(もしも、マーゴから離婚を切り出されたら自分は無一文で放り出されてしまう……今更、テニス選手に戻れる年齢でもないし………どうすればいい?)



狡猾で冷酷なトニーは、表立ってはマーゴの前では、何も知らない演技を続けながらも、ずっと思案していたのだ。




そうして、とうとう、ある《完璧な計画》を立てる。


それは、まさに今、実行されようとしていた。


「入りたまえ!」


マーゴの留守中、トニーに呼び出されてやって来た男は、不審そうにキョロキョロした目で、アパートに入って来ると、トニーのいる部屋のドアを開けた。


(『スワン』と名乗るこの男……この男を、まず陥落させて、私の思いのままに操り従わせなくては。)


トニーの計画が始まる………。





この時期、「もう、どんな映画を撮っていいのかわからない!」状態だったヒッチコック。



フレデリック・ノットの舞台劇である、この『ダイヤルMを廻せ!』は、当時、上演されてヒットしていたので、


「これを映画にすれば……まぁコケはしないだろう……」くらいの気持ちで映画化に乗り出した、というのは当人の弁。




でも、今となってはヒッチコックが、この『ダイヤルM…』に、フラフラ~と惹き付けられたのも、なんとなく分かるような気がする。



《トニーの仕事が元テニス・プレイヤー》


そして、《赤の他人『スワン』に妻殺しの話を持ちかけるトニー》



そう、これは、それ以前に大ヒットした自身の映画『見知らぬ乗客』に似ているワードが、かなり入っているのだ。


本人は気づいていたのだろうか?(気づいてなくて無意識な気もするが)






この『ダイヤルM…』も、昔、ヒッチコック熱にうかされていた自分は、その流れで、当然観たのだが、当時の感想が、


「ヒッチコック映画にしては、あんまりつまんないかも…」というような感想だった。





今回、30年ぶりに見直してみると、その理由も、ハッキリと分かる。



舞台劇は、限られた空間で、ほとんどセットが変わらない室内劇が多い。(セット・チェンジは膨大な予算がかさむから)


その中の登場人物たちは、セリフの応酬だけで、観客たちの意識を舞台につなぎとめようと必死になる。


そのため、セリフの量が半端なく多いのだ。





舞台なら、それで良いかもしれないが、映画には映画の手法がある。


これを映画にするなら、全てをバラバラに分解して、映画的手法に組み変えなければならないのだが、それがあまり上手くいってないような気がするのだ。





例えば、夫『トニー』が赤の他人『スワン』を自宅に呼び寄せるシーン。



このシーンが、とにかく長くて、映画としては一番退屈な部分なのである。


スワンが、

過去にど~した、こ~した。

こんな事件を引き起こした。

お前の弱味を俺は全て知ってる。

ゆえに、俺の言う事を聞いて、妻のマーゴを殺せ!

警察に行ってもお前の話は通用しないし、マーゴの手紙に触れたお前の指紋も、ちゃんとこうして証拠としておさえてある。



ゆえに、お前は俺の言う事を聞くしかないのだ。


………こんなクドイ場面が何分も続くのである。


そこまでかけて、『スワン』を説得まで持っていくまでの話が、まぁ~長くて退屈な事よ。




これを、全て、夫トニーのセリフでいちいち説明するのだから、辛抱して聞いてる方は、「いいかげん、まだ、終わらないのかよ。このシーン……」となってくるわけである。


この『スワン』の過去など途中から、「ど~でもいい」と思ってくるのだ。




これが、昔、この映画を「退屈」と感じた理由だったのか。





ただ、…………



この長ったらしくて、くどいシーンが終わると、段々とこの映画は、その様相が変わってくるような気がする。



ヒッチコックが撮影しながら、徐々に光を取り戻してゆくのだ。



それはカメラ越しに見る《グレース・ケリー》の姿……。




グレース・ケリーの美しさ、洗練された所作、ファッション・センス……


悪党スワンにストッキングで首を締め上げられながらも、懸命にあらがい、スワンの背中にハサミを突き立てるグレース・ケリー。



恐怖するグレース・ケリーの姿……




撮影を続けながら、グレース・ケリーに次第に魅力されていくヒッチコック。


その熱気やノリノリになってきている様子が、映画を観ているこちら側にも、充分に伝わってくるのだ。




映画の勘を取り戻しつつある……そんな期待を持たせて、映画は終わるのである。



この『ダイヤルM…』の公開と同じ、1954年に間髪を入れずに、傑作『裏窓』は作られている。


もちろん、主演女優はグレース・ケリー


まさに、グレース・ケリーはヒッチコックの窮地を救う為に現れた《女神》だったのだ。

星☆☆☆。

2020年9月20日日曜日

映画 「殺意の香り」

1982年 アメリカ。






月あかりだけが照らす夜の暗闇。


車上あらしの男は、通りに停めてある車を、一台一台物色していた。そして……


(しめた!開いてるぞ!)


車のドアを開けると、ドサッ!と、なだれ込んでくる男の死体。

『ジョージ・バイナム』は滅多刺しにされて殺されていたのだった。





精神カウンセラーの『サム・ライス』(ロイ・シャイダー)は気が滅入っていた。


マンションの一室で、定期的に訪ねてくる患者のカウンセリングを、一人で細々と診療しているサム。


今も患者を悩みを聞きながらも、心は、まるで別の事に囚われていた。



(あのジョージ・バイナムがなぜ?殺されたんだ ……… ?!)



ジョージは高価な美術品を扱うオークション・ギャラリーで働いていた。

ジョージは週に2回、カウンセリングにやって来る《サムの患者》だったのだ。







患者が帰っていくと、ジョージのカウンセリング・ファイルを広げながら、またもや物思いにふけるサム………そこへ、


「すいません、ライス先生……少しよろしいでしょうか?」


一人の女が、おずおずとドアを開けて入ってきた。


金髪の若い女性だ。




女は『ブルック・レイノルズ』(メリル・ストリープ)と名乗ると、サムの真向かいの椅子に腰かけて、テーブルの上に腕時計を置いた。


「何ですか?これは?」


「先生に頼みたいんです……これを亡くなったジョージの奥さんに返してほしいの」


ブルックはジョージ・バイナムと【不倫関係】だったのだ。

もちろん、ジョージとのカウンセリングで、ブルックの事は何度も話題に出て知っていたサム。(守秘義務があるので他言はしないが)



ジョージの仕事を手伝う助手のブルック。


神秘的なブルックと不倫関係になりながらも、どこか後ろめたさもあり、その悩みをジョージはカウンセリングに来る度に、サムだけに打ち明けて語っていたのだ。



そんな情報をすでに知っていても、目の前に突然現れたブルックの姿に、しばしサムは心奪われた。


「今更、私がノコノコ出ていくのもなんでしょうから……先生ならカウンセリングの時に置き忘れたとでも言えば怪しまれずにすむし ……… 」


「分かりました」



その時、隣のドアをノックする音が。

「すいません、ライス先生!警察ですが亡くなったジョージ・バイナムさんの事でお訊きしたい事があるのですが …… 」



警察の声にブルックはとびあがった。そしてビックリすると、おもわず手に当たったテーブルの置物が、倒れて壊れてしまった。


「ごめんなさい、すみません!あたし、どうしましょう …… こ、これで失礼します」


ただならぬ様子のブルックに、サムは別の戸口から、そっとブルックを返した。



そうして、しばらくして警察が帰っていくと、またもやサムはジョージ・バイナムのファイルを広げた。


ジョージは、カウンセリングに来ては奇妙な夢の話をしてくれた。



『夢診断』……… この夢に何か事件のヒントがあるかもしれぬ。



一人、考えを巡らすサム。


でも、一方では、先ほど訪ねてきたミステリアスな女性『ブルック』にも、ボンヤリと想いをはせるサムだったのである ……… (←あ、惚れたな(笑))







こんな感じでムード一杯に始まる『殺意の香り』。


この、ミステリアスな雰囲気を少しでも伝えたくて、少しだけ丁寧に書いてみた冒頭である。





前回、若い頃のグレン・クローズを書いたんだから、「やっぱりここは公平に若いメリル・ストリープを書かなくちゃ!」と思い、この映画を選んで、初めて観たんだけど ………



何だか、懐かしいような、この雰囲気 ………



そう!


どなたかも語っているが、まるで《ヒッチコックの映画》のような色合いやムード、雰囲気に満ち溢れているのだ、この映画は!



これまで、あんまり何とも思っていなかったロイ・シャイダーを初めて良いと思ってしまった。


ホッソリとしていてノッポで、どこか神経質そうなロイ・シャイダーは充分、精神カウンセラーに見えるし、これは充分にハマリ役だ。


それに、何だか、ロイ・シャイダーが演じるサムの性格も、いやがおうにも誰かさんを想像させてしまう。




頑固なほどの正義感や探求心……

そう、まるで、ヒッチコックの『裏窓』に出てくるようなジェームズ・スチュワートの性格にソックリではないか。




真相を知るためなら、母親『グレース』(ジェシカ・タンディ)が、いくらとめても、自ら突き進んでいく。



ここでのジェシカ・タンディ ……… この人の役割も、やはり、ヒッチコックの『裏窓』に出てくる、口うるさく助言する看護師のセルマ・リッターを想像してならない。






一方、メリル・ストリープ演じるブルックも、ヒッチコック映画に出てくるような数々のブロンド美女たちを思い出させる。


エレガントな佇まいで、着ている洋服もセンス抜群。


青いドレス姿なんて特に似合っている。(本当に光るブロンド・ヘアーには青いドレスが一番似合うと思ってる私。グレース・ケリーもそうだった)






監督は『クレイマー・クレイマー』で、メリル・ストリープとタッグを組んだロバート・ベントン。



このベントン氏、こりゃ絶対!計画的にヒッチコックを意識して、この映画を撮っているわ。





【夢診断】から、サムが導きだして、たどり着く真相や、真犯人には大して驚きはしなかった。(真犯人を知っても、「あぁ、ヤッパリ、この人しかいないだろうなぁ~」って感じ)




それでも、ヒッチコック映画のような雰囲気を思い出させてくれる、この映画は、充分に私を満足させてくれたと思う。



星☆☆☆☆であ~る。



※この映画でも、ラストは、すぐ真下に海が見渡せる断崖絶壁に建つ別荘である。

『恐怖のメロディー』にしろ、前回の『白と黒のナイフ』にしろ、海の別荘が出てくれば、やはり、いやがおうにもサスペンス映画は盛り上がるのだ。

2020年9月19日土曜日

映画 「白と黒のナイフ」

1985年 アメリカ。






原題は『 Jagged Edge 』、訳すと『ギザギザのエッジ』。

狩猟用ナイフの刃のギザギザ部分?(ん?)





夜半、海沿いに建てられた豪華な邸宅で、メイドが殺され、夫人『ペイジ・フォレスター』がナイフで滅多刺しにされて殺された。


そして、その夫『ジャック・フォレスター』(ジェフ・ブリッジス)はというと………自身も玄関先で、鈍器で頭を殴られるが、ほぼ軽傷。


一人、命をとりとめて助かったのだ。




(おかしい……)

地方検事『トーマス・クラズニー』(ピーター・コヨーテ)は、ジャック・フォレスターに疑念を持ち、部下に命じて徹底的に調べあげさせる。



大手の出版社、サンフランシスコ・タイムズの社長におさまっているジャックだったが、殺された妻ペイジの父親が大金持ちの出版王で、結婚と同時にその地位を得ていた。


オマケに資産家の妻が死んだ今、ジャックには莫大な財産が転がりこんでくる。


そして、ジャックの会社のロッカールームに、狩猟用のナイフがあったという目撃証言までとびだしてきたのだ。



もはや決定的!



「ジャック・フォレスター、君を逮捕する!」

「俺は妻を殺していない!」

地方検事クラズニーの言葉に叫ぶジャック。




ジャックの裁判の為に弁護士『テディ・バーンズ』(グレン・クローズ)が選出されるが……


「私は、もう刑事事件を扱いたくないの!」

と、あまり乗り気ではない。




夫と別れ、二人の子供を育てながら弁護士を続けているシングル・マザーのテディ。

テディは、以前、裁判で救えなかった無実の被告に対して、ずっと後ろめたさみたいなトラウマを抱えていたのだ。


そんな被告が、最近、獄中で自殺した話を聞き、地方検事クラズニーに挑発されると、テディの気持ちにも微妙に変化が表れる。



昔なじみの私立探偵『サム』(ロバート・ロッジア)に相談するも、「そんな事件なんてクソ喰らえだ!」と罵倒されるテディ。(でも、このサム、テディの頼みとあらば憎まれ口を言いながらも、渋々協力してしまう人の良いオジサン)


かくして、毒舌サムの協力を得て、ジャック・フォレスターの事件を引き受けたテディ。



そうして、容疑者ジャックに謁見すると …………






久しぶりに観た『白と黒のナイフ』。





若い~!グレン・クローズが!!(当たり前なんだけど)


そして、この映画のグレン・クローズは、格別に美人で可愛らしいのだ♥。





後の、恐ろしい迫力で圧倒する『危険な情事』や『ダメージ』などとは、まるで違う、180度真逆のイメージ。

恐ろしいグレン・クローズしか知らない人は、この映画を1度は観た方がいい。



こんな優しい顔をするグレン・クローズなんて貴重すぎるくらい貴重なんですから。





被告と弁護人の垣根をこえて、どんどんジャックに惹かれていくテディ。(なんせジェフ・ブリッジスが、惚れ惚れするくらいカッコイイもんね)



乗馬を楽しみ、スカッシュで汗をながして、そのまま二人はベッドへ……(あらあら)



「仕事は仕事、恋愛は恋愛!」なんて上手に線引きも出来ないテディは、本当に、か弱い一人の女性。



ジャックとの関係を続けながらも、一方ではジャックの弁護士として裁判に臨んでいく。


でも、裁判が進めば、どんどん明るみになっていくジャックの過去の浮気や不貞。



裁判所では気丈に耐えながらも、終わって一人になると、(ウルウル)涙を流してしまうテディ。(『だって女の子だもん、涙が出ちゃう~』アタックNo.1のセリフが浮かんでしまうワタクシ)




もう、こんな乙女チックなグレン・クローズなんですから、今現在とのギャップに、初めてこの映画を観た人は、ビックリするはずである。





サスペンス要素はあっても、こんな繊細で脆い女心を描いた傑作『白と黒のナイフ』。




監督は、最初に、あのブライアン・デ・パルマの名前が挙がっていたらしいが彼にならなくて本当によかった。(監督は『針の眼』のリチャード・マーカンド)





ストーリーは、よくある展開とは分かっていても、丁寧に描いていて好感がもてる。


そして、なにより、若くて可愛い気のあるグレン・クローズを愛でて楽しむ映画なのだ、これは!





映画のラスト、私立探偵サムの言葉がピシッ!と締めてくれて、また心地いい。

「忘れてしまえ、あんなクソ男!」



こんな優しい響きの毒舌もあるのだ。

星☆☆☆☆。

※ピーター・コヨーテ、最近観ないなぁ~。生きてる?(笑)

2020年9月13日日曜日

映画 「パニック・イン・スタジアム」

1976年 アメリカ。






広大なスタジアムに次々集まってくる大勢の人々。


アメリカン・フットボールの試合があるのだ。


だが、スコアボードの上からは、ライフルを持った狙撃手の姿が!


何とか観客たちの身の安全を守ろうと警察とSWATたちは、謎の狙撃手を捕まえようとするのだが………。





簡単に説明すると、こんなお話なのだが……まぁ、観るのがツライ映画でございました。



とにかく話が遅々として進まない。



映画の半分くらいまで、ど~でもいいような、その他の観客たちがスタジアムに集結するまでを描くので、途中で何度も寝てしまった(笑)。



その中には、ボー・ブリッジスやジーナ・ローランズ(グロリア)、デヴィッド・ジャンセン(逃亡者)などの姿もあるのに。




でも、こんな有名人たちが揃っているのに、特に活躍もしないで、アメフトの試合を観戦しては、ただベラベラ喋っているだけなのだ。(そりゃ寝てしまうわ)



主演のチャールトン・ヘストンは警察部長?


狙撃者を確保しようとSWATのチーム・リーダー、ジョン・カサベテスと連携をとりながら指示を出す。




この映画は、失敗だったかも………と諦めかけた頃、最後の30分くらいになって、よ~やっと話が動き出す。



狙撃手がスタジアムの観客めがけて、銃を乱射しはじめたのだ。(哀れデヴィッド・ジャンセン撃たれる)


銃が乱射されても、しばらくはアメフトの試合に熱狂して気づかない観客たち。(コイツら)



やっと異変に気づくと、皆が出口を探して大混乱。


「キャァァー!助けて!」(やっとかよ)


観客たちがスタジアムから出ようと大騒ぎしているとき、やっと、一応主役の威厳を見せつけて、チャールトン・ヘストンの銃が、狙撃者を仕留める。



捕まえた狙撃者に、

「おい!誰に頼まれてこんな事をしたんだ!?」と質問するも、狙撃者は何も答えず、ガクリと首をうなだれて死んでしまう。


結局、誰かに雇われてこんな騒ぎをおこしたかったのか、本人の意志だったのか理由は分からずしまい。


映画は、夕暮れにさしかかったスタジアムを撮しながら終わるのである。





…………………そりゃ、ねーべ!


今まで我慢して観てきたのに(途中で寝てるけど)、何なんじゃ、この映画は?!



監督は『ある戦慄』のラリー・ピアースで、おもいっきり期待していたのに、この出来栄えには、少々ガックリ。(この映画を褒めいている人もいるけど、どこが良いのか教えてほしい)



どうも、この監督さんは『ある戦慄』だけの一発屋だったのかな?(まぁ、1作だけでも傑作があるだけ良しとするか)




脚本も悪ければ編集も悪い。(こんな映画なら、まだ短くしていいかも)



アメフトに興味ない私は、大勢のアメリカ人がこれほど熱狂する様を、ただ傍観(途中でウトウト)するだけなのでした。(結局、寝てばっかりかよ(笑))



ただ ……… 

この映画で 洋服を着ているチャールトン・ヘストンは希少かも。(なんせ『十戒』、『ベン・ハー』、『猿の惑星』と《裸に腰布一枚俳優》)


ちゃんとした恰好のヘストンさんを観たい人には(オススメ?)一応しておきますかね。

2020年9月12日土曜日

映画 「絞殺魔」

1968年 アメリカ。






この映画『絞殺魔』は実話である。


1962年~64年の2年間に、ボストンの街を中心に、13人の女性たちが殺される事件が起こったのだ。


年代も幅広く、上は80代から下は19歳まで。
衣服は引き裂かれ、性器もむき出し。喉元を絞め殺されて、三重結びの布を巻かれるという残忍さ。


ある者は、陰部に箒を突っ込まれて死んでいたという。(ゲゲッ)



当時、ボストンでは全ての女性たちが恐怖し戦慄した。



アパートには2重3重に鍵が取り付けられ、防犯グッズなどは、飛ぶように売れまくった。

警察は懸命の捜査網を張り巡らせて、捜査にあたるも手がかりは得られなかった。



そうした中、偶然、犯人のアルバート・デサルボォが逮捕される。


アルバートは二重人格だったのだ。


ごくごく普通そうに見える男の残忍な犯行。



この事件は、アメリカ中でセンセーションを巻き起こし、わすが数年で、こうして映画『絞殺魔』は作られたのだった。(ほぼ、映画の中の人物名は実名である)



日本なら被害者家族に配慮して、数十年先に持っていったり、架空の名前を用意しそうなものを、わずか4年後で、しかも実名とは……。

なんかアメリカらしいといえばアメリカらしいんだけど、被害者団体からは、抗議とかなかったのかな?




監督はリチャード・フライシャー。


以前、このblogでも挙げた、あのドギツイ黒人奴隷映画『マンディンゴ』の監督さんである。(なんかイヤな予感……)



この手の題材だと、どんだけ残酷なサイコ・スリラーに仕上がっているんだろう、と思って、あんまり手にとるのもためらうところだが、今回、初めて観てみると…………





映画は二部構成になっている。


前半は、事件が次々起きて、それを地道~に捜査する刑事物語。


その捜査にあたるのが、ジョージ・ケネディ(名脇役)などの警察たち。



でも、難儀な捜査はなかなか進展せず、ボストン市長は、やり手の『ジョン・S・ボトムリー』(ヘンリー・フォンダ)を寄越して、捜査の指揮にあたらせたりする。




それでも、全く手がかりすらつかめない捜査。


そうこうしているうちに、被害者たちは次々殺されていき、増えていく。



焦る警察は藁にもすがる想いで、終いには、なんと!超能力者にまですがる始末。(どこのオッサンだよ(笑))


被害者の衣服に触れた超能力者は、「この犯人は聖職者と一緒に暮らしているぞ………そして便器の水で顔を洗うような変態だ。」と念視をして、正確に居場所まで特定する。




「犯人はここにいる!」

地図を指差す超能力者。(そこまで分かるのか?!)




ただちに駆けつけた警察たち。


そして確かに変態そうな男はいたのだが、ガックリ!例の《絞殺魔》じゃなかったのでした。(こんなシーン必要か?)




こんなヘンテコリン捜査の連続に、我慢しながら、観ていた自分も段々とイライラしてきた。


犯人役のトニー・カーティスは、いつまで経っても全く出てこないし、「なんじゃ、この映画は!」ってな具合。






そして映画も半分を過ぎて、やっと後半、第二部が始まる。




犯人『アルバート・デサルボォ』(トニー・カーティス)の登場。(やっとかよ)

でも、登場したと思ったら、犯行を失敗して被害者は助かってしまう。




そして、次のターゲットを狙うも、その直前で逃亡。


「待てぇー!この野郎!!」

襲おうと思っていた女のアパートには、一緒に住んでいた男がいたのだ。(この犯人、下調べもしないのか?それで今まで捕まらなかったとしたら、たまたま運がよかっただけなのか)


そして、その男に追いかけられ、逃げる途中で車にはねられる。



通りかかった警察にアッサリ捕まってしまう。(なにこれ?…こんなドジな男に13人も殺されたの?!)



捕まってからは、デサルボォの精神分析が始まる。



そして、二重人格だと分かると、個室でヘンリー・フォンダとトニー・カーティスの一対一の面談が延々続く。



殺した記憶をやっと取り戻した『デサルボォ』(トニー・カーティス)。


「俺が殺したのかー?!」(なんじゃ、そりゃー!!)



映画はエンドマークを迎える………チャンチャン。





当時、世間を騒がした連続殺人事件。


「これを映画化すれば、必ず話題になるぞ!」

なんて制作者は、安易に思ったのだろうか?



だとしたら、完全に失敗である。




なんだか、画面分割だの凝った演出をしてるけど、「こんなの要らねー!」っての。(観ていて目が疲れるし、イライラを増長させる)


ヘンリー・フォンダ、トニー・カーティス、ジョージ・ケネディなんて面々をせっかく揃えているのに、まるで良いとこなし。


実話を実名で、そのまま描いたばっかりに、この映画は、だいぶ損しているような気がするのだ。



トニー・カーティスが演じたデサルボォも名前こそ実名だが、普通に結婚していて普通に子供までいる、ごくごく普通の男として、背景を変えられている。

演じる有名人トニー・カーティスにだいぶ遠慮した様子がうかがえるのだ。



おかげで残忍な犯行なれど、変態性の影はだいぶ抑えられて薄くなってしまっている。




怖さも、ハラハラドキドキさも、その実話という規制の枠から、はみ出す事も出来ずにいるのだ。



結果、映画としては、ごくごく平凡な仕上がりに収まってしまっている。(何なら面白くないに近いかも)




身近な恐怖を描いた『ある戦慄』が傑作だったので、それに近い年代の、この作品にも、おおいに期待して観たのだが、見事にハズレた。



とりあえず星☆☆。


これから観る人は、歴史として、「こんな事件が、当時あったんだ!」くらいの気持ちで観たほうがいいのかもしれない。

2020年9月8日火曜日

映画 「ある戦慄」

1967年 アメリカ。








この映画が好きだ。



ロベール・ブレッソン監督の『抵抗』の時もだったのだが、この『ある戦慄』も例に及ばず、気に入った小説を再読するように、何度でも繰り返し観ている。



正直、チンピラ二人組『ジョー』と『アーティ』が、人種差別や性差別を煽るようなドギツイ場面もあり、今の時代に「この映画が好き!」とハッキリ言うのも、いささかためらわれるところだが、それでも好きなモノは仕方がない。


この映画を何度か繰り返し観ていて、自分なりに気がついた事もあるので、ここに記しておこうと思う。





列車の中に数十名の乗客………


チンピラ『ジョー』(トニー・ムサンテ)と相棒の『アーティ』(マーティン・シーン)が、周り中の乗客たちを一人一人選んでは、なぶるように絡んでいくのが、この映画の本筋。




でも、この映画を観ながら、ふと何かを思い出した。


そう、アガサ・クリスティーが描く『オリエント急行殺人事件』のポワロが、乗客を集めて謎解きをする場面に似ているのだ。



ポワロは、乗客たち、一人一人がついた嘘を再現しながら、その矛盾を指摘して、真実にたどり着こうとする。


『ジョー』と『アーティ』も暴言を吐きながらも、やっている事は、ほぼ同じのような気がするのだ。


ただし、二人が暴くのは、乗客たち一人一人が普段は身内にも、ひた隠しに隠しているような《本当の自分の姿》…… つまりむき出しの本音なのだ。





映画の冒頭、アルコール依存で別れた妻に戻ってもらいたいが為に公衆電話から電話する『ダグラス』(ゲイリー・メリル)。


「もう酒は何ヵ月も呑んでない!」と必死の訴えをするダグラスだが、列車に乗ると、ヘベレケでシートに寝っころがってるホームレスの隣に座る。(座るとこはいくらでも別にあるのに)


すぐそばから漂ってくるホームレスが吐く酒の匂い……そんなモノに吸い寄せられてしまうのだ。


そんなダグラスは、ジョーとアーティがホームレスにちょっかいを出し始めると、真っ先に黙っておけなくなるが、「お前に関係あるか?お前、こいつの友達か?!」とジョーに突っ込まれると、途端に押し黙ってしまう。


ホームレスの酒の匂いを嗅ぎたさに……そんな愚かな自分を露見させて、恥じてしまうのだ。





そんなダグラスを追って、ふらふら列車に乗り込んできたゲイの青年『ケネス』も特殊だ。


ジョーとアーティにからかわれながらも、いつしか恍惚とした表情を浮かべはじめる。(マゾっ気が大爆発)


「こいつ、あぶねぇ~……」とばかりに、二人もケネスからは、そそくさと退散する。





黒人『アーノルド』は白人を嫌って、あれだけ駅員にも喧嘩腰だったのに、いざ、ジョーに攻められると途端に泣き出してしまう本当は弱い男。



臆病な自分を、ただ攻撃的な鎧で隠していただけなのだ。

そんな夫の見たこともない姿に妻『ジョーン』は愕然とする。





冒頭、あれだけ人目もはばからず、チュッチュッ!キスしていた若いアベックの『アリス』(ドナ・ミルズ)と『トニー』。


ジョーがアリスにちょっかいを出してきても、ビクビクして押し黙るトニーにアリスは、急に熱が冷める。(「何だ?こいつ?」ってな具合)





そんなジョーとアーティのやりたい放題に、最初に声をあげた老夫婦の夫『サム』。


「いい加減にしろ!警察を呼ぶぞ!!このチンピラどもが!!」


「わしらは降りる!!そこをどけ!!」



息子夫婦の家から帰り道、あれだけ愚痴っていた夫のサムに呆れ顔だった妻の『バーサ』(セルマ・リッター)。


でも、夫は人一倍勇気のある人だったのだ。



そんな夫が頭を叩かれて、ジョーに腕をねじあげられる姿を、もう黙って見てられない。


力では敵わないと分かっていても立ち向かっていく夫『サム』、そんなサムがいたぶられている姿を見て、バーサは泣きながらジョーに拳を振り上げる。


「離して!離してちょうだいー!!」


長年連れ添った夫のサムを、自分は「やっぱり愛しているのだ」それに気づくのである。






そんなサムとバーサの老夫婦とは、真逆なのが中年夫婦の『ミュリエル』と『ハリー』だ。


ミュリエルが、ジョーとアーティにからかわれても押し黙っている夫。学校教師で真面目だけが取り柄の夫。


先程のサムとバーサのやり取りを見ていたミュリエルは、とうとう怒りを爆発させる。



「なぜ黙っているのよ!なぜ何も言わないのよー!!」



「この甲斐性なしの意気地無しがぁぁーー! 何であんたなんかと結婚したのか!!……」



往復ビンタの嵐!ハリーもやり返して「バチンッ!バチンッ!」と鳴り響く猛烈なビンタの音。


列車の中は夫婦喧嘩の修羅場と化す。


そんな光景を見て、「ギャハハハーッ!」と笑い転げるジョーとアーティ。(全く悪趣味な二人である)






最後にジョーがターゲットにしたのは、幼い4歳の娘を抱きかかえた夫婦『ビル』と『ヘレン』だ。


映画の冒頭、そのドケチぶりを発揮してタクシーを拒否したビル。


そんなビルにヘレンは「娘も、もう4歳になったし、そろそろ二人目を作らない?……」なんていう、ごくごく自然な提案するのだが、ビルは「とんでもない!」と大反対する。


「子供が増えればいくらお金がかかると思うんだ!」と、これまた金の話を持ち出して猛反対。


あろうことか、この4歳の娘の事も「ちょっとした事故(失敗)で出来てしまった……」と言ってのけるのだ。


「それ、本気で言ってるの?」と妻ヘレンは呆気に取られるほどである。

そんな夫ゆえ、ヘレンも列車に乗った時は熱が冷めていたのだが……




「おい!その娘の顔が見たい!俺にその娘の顔を見せろ!!」とジョーは迫ってきた。


そんな娘を必死に命がけで守ろうと抱きかかえて、放さない夫ビル。

口ではあんな事を言っていたビルは、やはり娘を愛しているのだ。



「やめてくれ!娘は、娘だけは!!」


抱きかかえるビルの手を振りほどこうとするジョーだが、ビルは「死んでも放すもんか!」の姿勢だ。


夫の姿に胸が熱くなるヘレンも、「やめてちょうだい!!」と必死に加勢する。





そんな光景を目の当たりにして、とうとう我慢の限界に達した軍人『フェリックス』(ボー・ブリッジス)が、片腕にギブスをした姿で、


「もう、いい加減にしろ!」


と勇猛果敢に立ち上がるのだ。(お友達の「親友!親友!」言ってた軍人は見てみぬふりね)






こんな次々と暴かれていく《むき出しの本音》の姿に目をそらす事なんて出来やしない。


長々と書いたが、私が、この映画に惹き付けられる理由もお分かりになったと思う。




映画の最後、フェリックスの勇気ある行動で、やっと解放された乗客たち。



でも、みんな嬉しそうじゃないのは分かる気がする。



列車を出ていく姿は、どこか朦朧とした様子で放心状態。

そう、《むき出しの本音》をさらけ出して、ぶつかり合うのは、ものすごくパワーを消費するのだ。


もう、クッタクタに疲れに疲れきっている。


観る側も真剣に集中して観ているので、これまたパワーを使う。




監督はラリー・ピアーズ。(初めて知った監督さん)


『ポセイドン・アドベンチャー』などの時も書いたが、こういった大人数の集団劇は難しいのだ。


その監督の技量がありありと分かり、誰それが迂闊に手を出してはいけないジャンルだと思っている。



そのジャンルの中でも、この映画は飛び抜けて一級品。


分け隔てなく描かれた登場人物たちは、どれもこれも強い印象で、「また観てみたいなぁ~」と思わせてくれるし、この列車を降りた後、「この人たち、あれから、どうなったのかなぁ~」なんて想像も、アレコレ膨らんでしまう。



そんな映画こそ、稀な傑作いえるんじゃないのかな?


星☆☆☆☆☆。

2020年9月3日木曜日

映画 「ダーティハリー」②

《①の続き》





無関係の人を無差別に殺してまわって、平気そうに笑っている犯人。

こんなのがニュースで流れてきた日には、「許せん!」と思うのが人の常。




そして、そんな輩が裁判で死刑にもならずに、数年の服役になろうものなら、「何でこんなのが軽い刑なのか?!さっさと死刑にすればいいのに!!」と普通の人なら、必ずそう思うはず。



毎度、司法の甘さにウンザリして、他人事ながら、流れてくるニュースに怒りを抑えられない人もいるのでは?



大多数の人が、自分を含めてそう思っている事と思う。


こんなのは、今も昔も変わらない。




そんな時に、脳裏をよぎるのが、この『ダーティハリー』の犯人役『スコルピオ』。



残忍で、卑劣で、極悪なのをひと塊にしたようなのが、この『スコルピオ』なのだ。




『スコルピオ』を観る時、同情なんてひと欠片も持たないだろうし、これこそ生粋の《悪》。


そのくらいハリーのキャラクターと同等に『スコルピオ』の存在は、強烈なインパクトで世界中に認識されてしまったのだ。





無関係の人を狙撃して殺戮を繰り返すスコルピオ。

無能な市相手に金も要求したりする。




ハリーが何とか逮捕するも、警告や令状もなかったとして釈放、放免。(何でやねん!)




今度は、そんなハリーへの恨みから、ハリーをおとしめる為に、モグリの医者に頼みこんで、

「頼む!俺をボッコボコにしてくれ!!」と自分の顔面が変形するまで殴らせる。(ゾゾッ~)



そして、「ハリー・キャラハン刑事に暴行されたんだ!」と嘘の訴えまでするのだ。





普通そこまでするか?!



加害者をあくまでも守ろうとする法律……それを徹底的に利用して「フフフッ」とほくそ笑む『スコルピオ』。


そんな『スコルピオ』に観客たちは、血の気がひき、恐怖した。





それでも懲りない『スコルピオ』は、今度はスクールバス・ジャックをして、子供を人質にとる。(よ~やるよ。少しはおとなしくできないのかね)




だが、間一髪、そこをハリーにおさえられる。



最後は、見事ハリーの怒りの銃口が火をふいて、THE END。


映画は幕となるのである…………。








こんな形で大成功した『ダーティハリー』。


①でも書いたが、クリント・イーストウッドは飛躍をとげて、監督のドン・シーゲルもチャンスをつかむ。





だが、一人……その成功とは真逆に、ドン底に叩き込まれた人物がいた。



そう………『スコルピオ』を演じたアンドリュー・ロビンソンである。




「さっさと死んじまえぇー!この殺人鬼!!」

映画が公開されるや否や、自宅にはこんな電話がひっきりなしに、かかってきはじめた。




外に出れば、皆が隠れて妙な目で見ながら、コソコソ話。



オーディションにいけば、「スイマセン、今回は残念ながら……」と追い返される。(もう、散々である)




もちろん、役は役。

アンドリュー・ロビンソンは、まともな人間で、決して極悪人ではないのに、もはや映画の中だけの人物とは見られないほど、普通の人たちの理性をかき乱し、狂わせてしまったのだ。



そのくらい『スコルピオ』の役は、身近な恐怖の存在として成り立ってしまったのである。





これを「役者冥利につきる」なんて、考えに至るまでには、相当な歳月がかかったはずだ。(お気の毒なロビンソン)





なんだか、映画のヒットも良いことばかりではなさそうである。



それだけ、この映画が、強い印象をあたえたという証拠でもあるんだけどね。





スコルピオの影が濃ければ濃いほど、ハリーの活躍は、やはりカッコいいし、胸がすく気持ちになる。


こんな映画は滅多にお目にかかれないし、今後も映画史に刻まれるヒーロー、悪役として残っていくはず。





これは文句なしに星☆☆☆☆☆といえるんじゃないかな。


長々と書いた『ダーティハリー』談でございました。(やっぱり、なんだかんだ言っても俳優イーストウッドが好きなのかもね、ワタクシ(笑))