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2021年2月14日日曜日

映画 「ランボー ラスト・ブラッド」

2019年 アメリカ。




タイから故郷アメリカに帰省して11年………


『ジョン・ランボー』(シルベスター・スタローン)は、両親が残していたアリゾナ州の牧場を引き継ぎ、父親の代からの家政婦『マリア』と、その孫娘『ガブリエラ』(イヴェット・モントリオール)の3人で平穏な日々を過ごしていた。(こんな故郷があるなら、ベトナムの任務が終わった後に、さっさと帰ればいいのに。ずっと天涯孤独だと思っていたランボーの生い立ちに、いきなり(ズコッ!)拍子抜け)


たま~に、昔とった杵柄(きねづか)で、人命救助のボランティア活動にも勤しむランボー。(危険を求めて血が騒ぐのか?)


暇があれば牧場の地下を掘り進めて、とうとう立派な地下道まで作ってしまったランボー。(何だか、ランボーも自分の奥底から沸き起こってくる殺戮衝動を抑えようと必死なんだなぁ~)


それでも、何とか、ランボーは平穏な日常に馴染もうとしていた。



なんせ、近くには美しく成長した娘、ガブリエラが側にいるし。


そんな愛しいガブリエラを養女にして、いずれは牧場を継がせようとランボーは、勝手な夢を描いていたのだが……


年頃の娘は、そうそう思い通りにもいかず……ある日とんでもない事を言い出した。


「あたし、本当のパパの居所を見つけたのよ!メキシコよ!!おじさん、私、パパに会いに行ってみたいのよ!!」


マリアもランボーも、当然大反対。


「あの男は根っからの悪党なんだよ!お前やお前の母さんを捨てて……何を期待してもムダさ。絶対にあんな男に会いに行ってはダメだよ!!」


特にマリアの激昂は凄まじかった。


「友人の『ジゼル』が父親を探しだしてくれた」と言うと、これまたガブリエラの友達の事もクソミソに扱き下ろすマリア婆ちゃん。


「あんな最低の不良娘!あの娘が遠くに行ってくれて安心していたのに……まだ、あんな不良と関わっていたの?!」


ガブリエラの言う事、なす事、真っ向から猛反対するマリア婆ちゃんなのである。


もちろん、ランボーもマリアに同意している。



だが、これが、逆にガブリエラの反発心に火をつけてしまったのか…内緒でメキシコに旅立ってしまうガブリエラ。


ランボーは、愛しいガブリエラを救いだそうと、メキシコへ向けて後を追いかけるのだが………。




これで、本当に最後の『ランボー』シリーズ。



最後のランボーは、こんな導入部で始まるのだが…私、正直言って、この『ラスト・ブラッド』を観るのが、少しだけ恐ろしかった。



なんせ、前回の『最後の戦場』がアレですもん。


やたらめったら、情け容赦なく殺しまくるランボーに、寒気さえ覚えてしまったのだ。



これは自分の好きなランボーじゃない!


もはや《ホラー・アクション》になってしまったランボーに、拒否反応すら感じたくらいだったのだ。



『最後の戦場』の、何が自分を、ここまで震え上がらせたのか…。


それはランボーが殺しまくる為の《理由づけ》が、まるで見えてこなかったからである。


いくら医療ボランティアで美人の『サラ・ミラー』を救出するためとはいえ、知り合ったばかりの人。ましてや恋人関係でもないのに、この大量虐殺。


まるで『13日の金曜日』のようなジェイソンと化したランボーに、感情移入なんて出来るはずもなかったのだ。(ごめんなさい、私にはそう見えたんです)



その辺りの問題を、この『ラスト・ブラッド』は、どうクリアしたのか……恐る恐る観始めたのだけど……。



なるほど、これなら《ランボーの怒り》も納得する。


それにしても、予想通りの展開とはいえ、ガブリエラの辿る悲惨な運命には、ゾッ!とさせられるが。(クズの父親に会いに行って、さらわれて売春宿、麻薬漬けにされるのは、ちょっとエグすぎる)



瀕死のガブリエラを、なんとか助け出したランボーが、故郷の牧場に向かって、真夜中に車を走らせる場面では、もうウルウル。(オジサン涙腺崩壊である)


「眠るんじゃないぞ!起きてるんだ、ガブリエラ!! もうすぐ牧場に着くんだから!!」


そんな、ランボーの懸命な呼びかけも叶わず、車中で力尽きて死んでしまうガブリエラちゃん。(決して馬鹿な娘といえない。ただ、ただ父親の愛を追い求めただけなのだ!)



許せん……!!


愛しいガブリエラを殺されたランボーの悲しみと怒りは、観客にも自分にも充分に伝わってくる。



もう、好きにやっちゃってちょうだい!、ランボー!!(私が許す)


お前の力を見せる時がきたのだ!!



と、ここで再び「オオッ!」と唸ってしまう私。


マリア婆ちゃんを姉の元へ送り出すと、牧場の至る所に巧妙なトラップを仕掛ける為に準備に勤しむランボー。(こ、これは!)



そう、まるで、第1作目の、山の中で追ってくる警察たちに仕掛けられたトラップを思い出させて、シリーズをずっと観てきた自分にはニヤリとさせられる場面なのだ。


当然、冒頭の地下道にも幾多のトラップが仕掛けられる。



そして、準備は完了。

悪党たちを誘い出して、全員血祭りにしてやる!



もう、後はランボーの独断場の大暴れ。


面白いように、悪党たちは次々とランボーが仕掛けたトラップに引っ掛かって絶命していく。(ランボー最大の武器、あの《弓矢》もちゃんと出てくるしね)



多少、やっぱり殺し方にエグいシーンもあるにはあるが、私は今回だけは許す気になった。(なんせ、愛しいガブリエラの仇討ちって名目があるしね)



最後、悪党たちを倒したランボーは馬に乗ってどこかへと去っていく……。


エンディングには、第1作からの名場面のシーンがスライドされ、映し出されると、「あ~本当に終わりなんだぁ~、ありがとうランボー! 今までお疲れさま、ランボー!」と何だか感慨深くなってしまった。


シルベスター・スタローンも、吹き替え担当のささきいさおさんも、長い間ご苦労さまでした。



星は、もちろん☆☆☆☆☆。


『最後の戦場』でランボーに見切りをつけた方々には、この『ラスト・ブラッド』で是非に溜飲を下げてほしいと、特にオススメしておく。


※やっと書き上げた『最後のランボー・レビュー』に、取りあえず今は、「ホッ!」とする私なのである。



2020年11月9日月曜日

映画 「コブラ」

1986年 アメリカ。





マリオン・コブレッティー》……通称、コブラ


ロス市警ではゾンビ班なる部署に配属されている。(なんちゅー、ネーミングセンスの班なんじゃ!)

手に負えないような、凶悪な異常者を相手にするのが、このゾンビ班である。


レイバンのサングラスをかけて、口には爪楊枝?マッチ?何か知らんが、をたくわえている。(お前は木枯らし紋次郎か? (笑) )


愛車は、1950年型のマーキュリー・クーペ。



今日も、「スーパーマーケットで異常者が銃を乱射している!」なんて事件の通報が入ると、コブラは早速、愛車のクーペで駆けつけた。


騒然とした現場では、警察がスーパーを取り囲んでいる。


「状況は?」とコブラが訊くと、一足先に来ていた相棒の『ゴンザレス警部補』(レニ・サントーニ)が飄々(ひょうひょう)として近づき、「やばい」とだけ呟いた。



それだけ聞けば充分とばかり、コブラはスーパーの中へ堂々と、単身入っていく。



既に殺されている買い物客たちの死体をよけながら、奥へと進んでいくと、あきらかに異常そうな男が、若い女を人質にして騒いでいた。



「何だ?!テメェは!!それ以上近づくんじゃねぇー!このスーパーがどうなってもいいのか?!」

「別に……俺はここで買い物しない」


コブラは袖口に隠したナイフを手に、ストン!と落とすと、それを掴み、犯人めがけて投げた。


「ギャアァー!!」ナイフは犯人の懐に見事に刺さる。


そして、間髪入れずにコブラの愛銃《コルト・ゴールドカップ・ナショナルマッチ》(名前の長~い銃)からは、連続して3発の弾丸が発射された。



犯人絶命、これにて事件は解決!


外に出て、騒ぐマスコミたちの群をぬけると、苦虫を噛み潰したような《モンテ警部補》(アンドリュー・ロビンソン)の憎々しい顔。


「こんな、お前のやり方を、俺は絶対に認めないぞ!」(多分、コブラが大嫌いなんだろう)


こんなモンテ警部補の言葉にも、シレ~として、「知ったことか!」のコブラ。


異常者たちが出れば、必ず俺の出番がくるのだ。


頼りになる男、悪を許さない非情な男……それが《コブラ》なのである。



そして、ロスの街では、またもや別の、無差別殺人が横行していたのだった。


コブラの出番である!




久しぶりに観た『コブラ』、やっぱり面白かった。


話がサクサク進んで、中だるみもなく、次から次へと怒濤のアクションの連続に興奮しっぱなし。


それもそのはず、何と!この『コブラ』、上映時間が90分もないのだ。(およそ88分)


この時間で、これだけ濃縮されたアクションを楽しめるんだから、ちょっとした暇な時間には、もってこいである。



このコブラには、一応、原作らしきモノがある。



女流ミステリー作家、ポーラ・ゴズリングが書いた『逃げるアヒル』が原作なのだが、ほぼ原作無視。(いいのかなぁ~?)


《殺人犯を偶然、目撃してしまった女性が、命を狙われながら、ボディーガードの刑事と逃避行しながら闘う》


ただ、この一点だけを借りてきて、登場人物の名前も、背景もすべて変えられているので、完全に別物になっております。(※いくら、当時新進の女流作家でも、このあまりの改変には腹がたったのかなぁ~? この後、同じ原作で、ウイリアム・ボールドウィンを主演にして『フェア・ゲーム』というタイトルで映画になっている。)



で、殺人集団《ナイト・スラッシャー》の顔を目撃してしまったのが、たまたま車で帰宅途中だった、運の悪い女性『イングリット・ヌードセン』(ブリジット・ニールセン)。


それから、いく先々で殺人集団に命を狙われるイングリットは、「キャアァー!!キャアァー!!」と泣き叫ぶが……ごめんなさい。全然、か弱そうに見えない(笑)。


なんせ、演じているのが、身長が185cmもある大柄なブリジット・ニールセンですもん。(警護するスタローンは身長178cm)


この『コブラ』、面白いんだけど、ただ1つの失敗は、この《ブリジット・ニールセンの起用だった》と、あらためて思ってしまった。



でも、しょうがないっていえば、しょうがないんだけど……。



なんせ、スタローンとブリジットは当時、ラブラブ夫婦。


映画『ロッキー4』で知り合い、結婚して、そのままの流れで、この『コブラ』に出演してるのだから。(でも、翌年の1987年には離婚している二人。スタローンも、やっと正気を取り戻したようだ (笑) )


つくづく、ヒロインが、「このブリジット・ニールセンじゃなかったらねぇ~ ……」なんて思わずにはいられない。




スタローンが、この映画で目指したのは、クリント・イーストウッドの『ダーティ・ハリー』のような孤高の刑事が活躍するアクションである。


80年代になっても、まだまだ刑事といえば、『ダーティ・ハリー』と言われるほど、そのインパクトは、かなり強烈だったようで、あらゆる後続の刑事モノ映画は、ダーティ・ハリーをお手本に、インスパイアされて作られていたようだった。



ロッキー、ランボーと、ヒット・シリーズを打ち立てたスタローンも、


「俺も、今度は、《ダーティ・ハリー》のような刑事モノので、ひと山、当てたる!!」の思惑があったと思う。



相棒役に、『ダーティ・ハリー』の相棒チコ役だった、レニ・サントーニが起用されていたり、

嫌味な刑事役に、同じように、『ダーティ・ハリー』の凶悪犯だったスコルピオ役のアンドリュー・ロビンソンが、いたりと、素人でも分かりやすいくらい、この映画『コブラ』には、『ダーティ・ハリー』の影が、アチコチに見え隠れする。



ただ、この起用、アンドリュー・ロビンソンにとっては、嬉しい救済になったようである。



『ダーティ・ハリー』の極悪なスコルピオを演じてから、そのインパクトゆえ、来る役、来る役が同じような犯罪者役ばかりで、嫌気がさした彼はとうとう、芝居から距離をとって、5年間、故郷に引っ込んで田舎暮らしをしていたのだ。


その間は、大工仕事をしたり、演劇を教えたり……完全に映画から離れていたアンドリュー・ロビンソン。



この『コブラ』は、そんな彼が、再び、再起するきっかけを与えてくれた映画なのである。

映画のラスト、殺人集団ナイト・スラッシャーたちを絶滅させ、イングリットを救いだしたコブラ(スタローン)は、嫌味なモンテ警部補(アンドリュー・ロビンソン)に、一発パンチをおみまいする。


今にして思えば、このラスト、「よく、映画界に戻ってきてくれた…」なんていう、ある意味、スタローンなりの激励のパンチだったのかもしれない。


そんな気がしてならないのだが……(考えすぎか?)



カーアクション、手榴弾の爆破、バイクが、そこらじゅうにぶっ飛び、火炎をあげる!




これもスタローンの佳作として、星☆☆☆☆であ~る。(面白いよ)


2020年7月19日日曜日

映画 「ザ・ボディガード」

2002年 アメリカ。








年老いて、引退しているマフィアの首領『アンジェロ』(アンソニー・クイン)の気がかりは、一人娘『ジェニファー』(マデリーン・ストゥ)の事。



妻はジェニファーを産み落とすと死産し、アンジェロは堅気の養父母に、ジェニファーの養育を託した。


少しずつ成長していくジェニファーを遠くから、気づかれずに見守ってきたアンジェロ。



やがて、ジェニファーは見るからにクズのような男と結婚して、子供を産み、母親となるが、それでもアンジェロは影ながら支援してきた。


クズ男に、裏から手をまわして、仕事を世話したり、豪邸を与えてやったり。(なんだか甘やかしすぎのような気もするが)



だが、自分の余命も後、わずか……



アンジェロは部下の『フランキー』(シルベスター・スタローン)を呼び寄せた。



フランキーも、アンジェロから頼まれて、ずっと昔からジェニファーの動向を見張り続け、遠くから護衛してきたのだ。



ジェニファーの事を、本人以上に知り尽くしている。


「私を恨んでいる連中がいる……私の命を狙う者が………」

アンジェロの遺言ビデオをまわしながら、フランキーの手が止まった。



「そんな……アンジェロ……」

「私が居なくなったら、ジェニファーを守ってやってくれ!」


アンジェロの言葉に、ただ苦笑いで誤魔化すフランキー。



二人はレストランに食事にやって来た。




レストランに着いてからも、アンジェロは、愛しい娘の話をフランキーに聞かせていた。


だが、フランキーが、ふと、外に目をやると、道路に停めた車に、違反キップをきろうとする警察官の姿が……。


「ちょっと失礼します」

慌てて外に出ていくフランキーと入れ違いに、一人の男がレストランに入っていった。



その男は、残されたテーブルにいるアンジェロに近づいていく………そして、


男は容赦なく発砲した!!


銃声を聞いて、すぐさま、かけつけたフランキー。


「アンジェロー!!」


男が撃った銃弾が、フランキーのわき腹をかすめて、フランキー自身も、その場に倒れこんだ。


側には、絶命したアンジェロの死体が……




(ジェニファーが危ない………)

痛みに耐えて、フランキーは、やっと立ち上がると、ジェニファーがいる屋敷を目指して、フラフラと歩きだしたのだが…………。





原題は、『アメージング・アンジェロ』。(この原題の方がずっといいのに、こんな適当な邦題って……)



シルベスター・スタローン主演で、どんだけハードなアクション映画だと思ってたら……何と!これ、ハートフル・コメディーであり、ラブ・サスペンス。



スタローンの恋愛ドラマってのも珍しかったです。



しかも、相手役は、久しぶりに観たマデリーン・ストゥ


懐かしい!


『ラスト・オブ・モヒカン』を劇場で観た時、彼女の神々しい美しさに、しばらく夢中になってた時期があった。


『ブリンク 瞳は忘れない』や『12モンキーズ』、『不法侵入』など彼女が出ていれば、それだけで、その作品を追いかけていたっけ。



ヤッパリ、ちょっと歳をとったかな?



誰だって歳をとるし、しょうがないけど。(それでも、充分綺麗なマデリーンなんだけど)




でも、マデリーン・ストゥのコメディー演技って、見なれていない為か、ちょっとウザイかな。



若いうちなら、これも納得なんでしょうけど、いい歳をした大人があまりにも、キャン!キャン!騒ぎたてれば……ん~、「ちょっと、どうなんだろう~」と思ってしまった。






でも、そんなマデリーン・ストゥのボディー・ガードをしながら、終始デレデレのスタローン♥️。


惚れたストゥを守る口実で、やたらと悪人を殺していく。(やってる事はいつもと同じだけど)



でも、全く残酷な雰囲気にもならずに、なぜか?ノホホ〜ン。


殺し屋に狙われてる緊張感もなく、こんな雰囲気が全編を漂う。 (ちょっと変わった風味の映画である。いつものド迫力を期待すると「アレレ …… 」と肩すかしするので、どうかご注意を)




この映画は、あの名優アンソニー・クイン(『道』など)の遺作なのである。



この映画では、ご覧のように、呆気なく冒頭で殺されてしまうけど……アンジェロの葬儀のシーンでは、まるでアンソニー・クイン自身のお葬式を見るような気がして、何となくおごそかな気持ちになってしまった。




『道』やら、『ナバロンの要塞』やら、色々な映画が思い出されて……胸がイッパイになる。


アンソニー・クインの姿がスライドされると、もうたまらない。




これはこれで良い幕引きだったんじゃないだろうか。


「わが映画人生に悔いなし!!」


そんな風に語りかけているようなアンソニー・クイン。



映画自体は、お世辞にも、あまり良い出来とはいえないのだが、これは、あえて、今後も残す価値ありの映画かな。






久しぶりに観たマデリーン・ストゥと最後のアンソニー・クインということで、大負けに負けて、ギリギリ、

星☆☆☆にしときましょうかね。(甘すぎるかな?)


2020年4月26日日曜日

映画 「ゲット・バッカーズ」

2014年 アメリカ。






何でこんな邦題になってるのかな?


原題は、『Reach Me』(私に届きます)なんだけど。







「自分を変えるんだ!自分自身を変えなきゃ望みは叶えられない!」



自己啓発本、《救いの手》で、人生が180度変わったラップ・スターは、熱心にテレビで語りかけている。




本の著者は、誰も姿を見た事がない、《匿名の著者》である。




それを食い入るように観ている囚人、『コレット』(キーラ・セジウィック)。(明日、出所)


(こんな私でも出所したら、生まれ変われるかも………)なんて思いながらドキドキ。





ゴシップ記者『ロジャー』(ケヴィン・コナリー)も、たまたま、テレビを観ていた。(禁煙パッチをつけても禁煙出来ずにイライラ)



そんな、ロジャーに、上司の『ジェラルド』(シルベスター・スタローン)から、呼び出しの電話が鳴る。



すぐさま、とんで駆けつけると、ロジャーの胸ポケットから覗いている煙草を見て、チクリ。


「いつまで煙草を吸い続けるんだ!そんな息の臭い奴と、キスをしたいって女がどこにいる?だからお前は、ダメダメなんだ!」



ケチョン!ケチョン!に、こき下ろすジェラルドに、ロジャーは何も言い返す事ができない。
そして、ジェラルドは命令した。



「この、話題の啓発本の著者を、何としても探し出すんだ!わかったな!?これは、きっと良いネタになるぞ!」



(こんなゴシップ記事なんて、本当は書きたくないのに………)


頭では、そう思っていても、ジェラルドの迫力に気圧されて、従うしかないロジャーなのだった。




マフィアの間でも、この《救いの手》は、話題になってる。


(俺もこんな下っぱの汚れ仕事なんてしたくないんだ!俺も生まれ変わりたい!)と。



人を捜査で、すぐに撃ち殺してしまう刑事は、神父に懺悔を乞うものの、偶然が偶然をよんで、やっぱり《救いの手》に引き寄せられるように…………




仕事も環境も違う人々が、ぞくぞく集まりはじめる。



たった一冊の本、《救いの手》の為に。



そんな時、秘密の著者、『テディ』(トム・べレンジャー)は、自身も、ひとり悩みを抱えて、町をさ迷っていたのだった………





シルベスター・スタローンが出演していると思って、偶然手にとった1本であるが………あんまり期待しないで。




スタローンは、あくまでもその他大勢でした。(これ観たかんじ、主役はトム・べレンジャーじゃないか?それにしても久しぶりに観たべレンジャーは、だいぶ太って、だらしのないオッサンになっていました)





《自己啓発》なんてものを、はなから信じていない私は、それに感化される人の気持ちが、最後まで、全然分からなかった。




それでも、映画は、多少のコメディー色があって、それぞれが丸くおさまっていき、幸せな結末をむかえるんだけど………。





でも、これって、ある種の《 洗脳 》なんじゃないのかな?



宗教などに、のめりこんでいる人にも似ている感じがして、あんまり良い気持ちがしなかったです。




うちにも、たま~にやって来ます。



ピンポーン♪


ドアの覗き穴から見ると、パンフレットや、それらしき本を抱えている人が笑顔で、

「私、●●という活動をしています。是非、お困りの方々の力になりたいのです。」と。



私、ドアも開けずに、

「あ、けっこうです」の一言で済ますけど。




帰った後、いつも考える事だけど……こういう活動にハマる人たちって、(どういう気持ちでやってるんだ?)って思う。




ヤッパリ同じような思想の人を増やしたい為?


だとしたら、恐ろしい考えだ。





これは自分なりの考えだが、「同じ思想の人が大勢集まると、ろくな事にならない」と思っているからだ。




《多少気が合う》とか、《趣味が合う》くらいの人が、、少人数(3~4人)で集まるくらいが、丁度よい。




同じ考え(思想)の人が、数十人、集団、国家になるほどの人数に、どんどん膨れあがると、それは今度は、逆に、少数派や違う考えの人間たちを除外したり、迫害したり、そして弾圧したりへと変わっていくからだ。




やがて戦争に変わっていく事を、私たちは、充分知っているはずである。





そんな集団思想ほど、この世で恐ろしいモノはないのだ。




《イジメ》も同じ考え(思想)の集まりの結果だと思う。




こんなのも、個々に分けてしまえば、パワーダウンして、みるみる減退していくはずだ。




別に、《人それぞれで、かまわない》し、《人の考えや人生を無理に変えようとは思わない》。




自然の流れにまかせて、決して押しつけず、変わっていくなら、それはそれでよし!である。







映画のクライマックス、同じような考えに取りつかれた人々が、大勢で集会に集まっていく場面を観て、ゾッ!とする。



見知らぬ著者の何に期待していて、ここまでするんだろうか。




私には、分からない。




唯一、この著者に同調しないで、ゴシップ記事の為だけと割りきっている、孤高の人『ジェラルド』(シルベスター・スタローン)がいた事が、この映画の、ただ1つの救いなのである。

星☆☆。

2020年1月26日日曜日

映画 「ランボー 最後の戦場」

2008年 アメリカ。






あのアフガンから20年………。



『ジョン・ランボー』(シルベスター・スタローン)が、今どこにいるのかといえば、タイにいた。

タイの奥深く、ジャングルの中での隠遁(いんとん)生活。



スネーク・ショーの為に蛇を捕まえては生け捕りにして売り買いをして、得意の弓矢で魚を射ったりしている。

そして、たま~に船を出しては観光ガイドなんて仕事もしている。



そんなランボーの元へ、ある仕事の依頼が来た。


「君に船を出してほしいんだ。ミャンマーまで。」


ミャンマーでは、軍事政権が完全支配していて、常に紛争、略奪が続いている。

その中でもキリスト教を信仰するカレン族への風当たりは強く、日々、虐殺が続いていた。

ランボーに船を頼んだ『NGO』(国際協力に携わる非政府組織)の団体は、そんな人々を救う為の、医療やボランティア活動をしていた。


「我々は、そんな人々の為に、少しでも力になりたいんだよ」団体の一人マイケルが必死に頼むが、ランボーの返事は素っ気ない。


「断る!」だった。


ランボーの愛想のない態度に、団体はすでに諦め顔。だが、その中の一人の女性がランボーの前に進み出た。


「私に任せてちょうだい」


『サラ・ミラー』(ジュリー・ベンツ)がランボーに必死に懇願すると、意外?にもランボーは返事は「分かった!」に変わった。(ランボーでも美人の頼みには弱いのかねぇ~? (笑) )



そして長いジャングルの川を、奥へ奥へと進んでいく、一行を乗せたランボーの船。


だが、その途中、野党たちに襲われる一行たち。


それをランボーが簡単に撃退する。


「人を殺すなんてどういうつもりなんだ?!我々は人々を救う為にやって来たんだぞ!」


ランボーの行動に一行たちはカンカンだ。



「この平和ボケどもが!殺さなきゃ殺されていたんだぞ!」

ランボーの怒りの声にも耳を貸さず、既に不信感いっぱいの一行は、ランボーと離れて自分たちだけで進む事を決めた。


「ごめんなさい……」サラは申し訳なさそうに、ランボーに言うと、一行たちについていく。



ランボーは、一人、船でトボトボ帰っていった。




それから数日がたち、ランボーの元へNGOの牧師が訪ねて来た。

「一行がミャンマーの兵士たちに捕まった。どうか救ってほしい!」

牧師はランボーに救いを求めてやってきたのだ。(またもや、困った時のランボー頼み)



何を今更、勝手な事を………と思うランボーなのだが、一方では、あの、サラの事が気掛かりでもあるランボー。(惚れたのか? (笑) )



仕方なく、政府が集めた傭兵たちを乗せて、ランボーは再び船を出すのだが………。





『最後の………』なんていうタイトルを打ち出しているだけあって、これまでよりも、目を背けたくなるような凄惨な場面の連続である。



とにかく容赦なしのランボー。




もう、あまりにもひど過ぎて、これを誰にでもオススメして良いものか、どうか………。



いくらランボー贔屓(ひいき)の自分でも、ちょっとためらわれるところ。



これを『リトル・ランボーズ』に出ていたような子供たちには、決して見せられないし、こんなのを食事しながらとか、映画館で、気軽にポップコーンとコーラを飲みながら観るなんて、とても無理だ。



実際のミャンマーでの悲惨さを、監督して、主演したスタローンは伝えたかったんだろうけど………それにしても、むごたらしい殺し方は、もはや、娯楽とかエンターテイメントと言われている映画の枠には収まりきれていない。



この映画を、いつものように、単に『ランボーらしい痛快アクション』などと、受けとめる事が出来る人は、今、ちょっとヤバイかもしれない。




1~3作目は、たとえランボーが無謀に行動しても、まだ《アメリカ軍の為》、《政府の為》という大義名分というものがあった。


この映画では軍を離れた民間人のランボーが、自分の意志で、容赦なく殺しまくる。




それを映画の中でランボー自身も言っている。


「国の為ではない、自分の為に殺すのだ」と。




このセリフをつぶやくランボーに背筋が凍りつく。


パート1では、軍から帰還した後、警官たちといざこざがあったり、山に立て籠って応戦していたりしても、ギリギリのところで人間性を失わないくらいの手加減があったが、そんなものは、もはや見当たらない。



この『ランボー 最後の戦場』のランボーは、もう以前の『ランボー』じゃない。



全くの別人。



トラウトマン大佐という、正気を保つ為のストッパーがいなくなった今、全てが本能の赴くまま。


まるで、繋がれていない野獣が、野に放たれたようである。




この映画で、サラに名前を聞かれたとき、ランボーは、ただ「ジョンだ」とだけ名乗る。


自身も、もう(ランボーだとは名乗れない)と、薄々、察してしたのかもしれない。




例によって、この映画も批評家とランボー信者たちの間で、評価は真っ二つに割れた。

お堅い批評家たちの味方寄りには、なりたくない自分だが、これを素直に『痛快なアクション映画』だとは言い切れない自分もいる。



どちらかというと今回、批評家寄りの考えに近い私は、これを安易には、誰にでもオススメはできないかも。

星での評価も今回ばかりは、ご勘弁くださいませ。




そして、連続で書いてみたランボー・レビューも、今回で、一旦終了。



賛同する方や異論のある方もいらっしゃるでしょうが、とりあえずは書きおわった~!と安堵。(読んで下さった方も、ここまでお疲れ様でした)



これを観た後では、最後の『ラスト・ブラッド』も、どうなることやら……不安だが、それでも今回続けて観てきて『ランボー』が好きになった。



第1作『ランボー』、第2作『ランボー 怒りの脱出』は自分の中で殿堂入り。


これからも、ちょくちょく観返す事になると思うのである。

2020年1月25日土曜日

よもやま話 「映画 ランボー ・シリーズ」






最近『ランボー』の事ばかり、書いていて、これを読んでる人も飽き飽きしていないかなぁ~。(それでも懲りずに書いちゃいますけど)



今回は、いつもと趣向を変えて、内容に入る前に、ちょこっと映画のタイトルについて。




次に書く予定の『ランボー 最後の戦場』が2008年。


でも、2019年に再び、『ランボー ラスト・ブラッド』なる映画が作られる。




『最後の……』なんて、この邦題をつけた日本の配給会社も、今になってみれば多少、後悔しているかも。


でも、当時はスタローンさえも、「この映画が最後のランボー!」なんて言っていたくらいだし、まぁ、しょうがないか。(本人も「これでおしまい!」の気持ちと体力だったんでしょうに)




でも、日本の邦題は、まだマシなランボー。



原題名の方を並べてみると、ちょっと混乱するくらいかもしれない。


なんてったって、第1作目の原題名が『 First Blood 』。


『ランボー』じゃないのだ!(英語圏以外では、タイトルは『ランボー』だったらしいけど)

普通に訳すると、《 最初の血 》だが、ボクシングの《 先制攻撃 》の意味もあるらしい。



まぁ、映画の内容を知ってみると、これも納得もするのだが、ややインパクトに欠けるかも。

それに、予備知識のない人や知らない人には、『ファースト・ブラッド』なんてタイトルのままなら、「何のこっちゃ?」ってな具合だったかもしれない。




『ランボー』のタイトルの方がインパクト大。



『ロッキー』にしても、主人公の名前がタイトルになっている方が、この手の映画には、より効果的なのだ。


チラシでもポスターでも、写真と一緒に主人公の名前のタイトルが入っていれば、すぐに覚えてもらえる。

「あぁ、この主人公がランボーなんだ……」と。


そして、ほんの数秒、通りすぎる車窓やバスからでも、こんなポスターが見えれば、直で頭に入りやすいし、記憶に残りやすいのだ。(これが、計算された刷り込み効果というものだろう)


これで映画の中身が良ければ万々歳なのだが、とにかく観客を呼び込む為の、少しだけ、背中を押してくれるような追い風にはなってくれると思う。



映画がヒットするか、ヒットしないのか………

それは、まず、こんなスタートの出だしにかかっていると言っていいくらい。


そのくらい、タイトルって大事なのである。




そして、このタイトルの方がやっぱり正解で、『ランボー』の名の方が、瞬く間に世界中で、知名度をあげて認知されはじめたのだった。




そして2作目以降は、本家アメリカでも、この『ランボー』が冠につきはじめる。


それにしてもねぇ~……。




第2作目、『ランボー 怒りの脱出』が、『 Rambo: First Blood Part II 』《 ランボー 最初の血パート2 》


第3作目、『ランボー 怒りのアフガン』が、『 Rambo III 』《 ランボー3 》……(これはなんとなく分かる)



で、この第4作目、『ランボー 最後の戦場』では、ただの、『Rambo 』なのだ。


Rambo Ⅳ』でもないし、これだけなら1作目のようなタイトルにも思えてしまう。(ん~どうなんでしょ? やはり邦題の方に軍配があがるかな?)




で、最新作の『ランボー ラスト・ブラッド』が、まんま『Rambo: Last Blood 』。


この『 Last Blood 』は第1作目の原題名『 First Blood 』とかけているらしいが……普通に訳せば、《最後の血》。



これにて、本当の本当に、最後になるような予感のタイトル。



まぁ、73歳のスタローンがアクション映画を演っている事さえ、もはや奇跡に近い事だし、これが本当に、最後のランボーになるんだろう。


これは、このまんま『ランボー ラスト・ブラッド』のタイトルで公開されるのかな?



まぁ、なんにしても最後のランボーを楽しみに待ちたいと思います。




なんだか、映画の内容とは関係ない事を書いてみましたが、箸休めとお思いくださいませ。


次回は『最後の戦場』の事をキチンと書くつもりですので。

2020年1月21日火曜日

映画 「ランボー 怒りのアフガン」

1988年 アメリカ。






第1作、第2作と、順序だてて観てきた『ランボー』。


そして、3作目が、とうとう、この『ランボー 怒りのアフガン』である。


20数年ぶりの視聴。

果たして、今の自分の目で観ると、評価は変わるのだろうか?





あのベトナムでの救出作戦から数年後……『ジョン・ランボー』(シルベスター・スタローン)はタイにいた。


タイの寺院作りを手伝いながら、たまに、ちょこっと小遣い稼ぎのファイト・バトル。



そんなランボーに、はるばる『トラウトマン大佐』(リチャード・クレンナ)とアメリカ国防省の『グリッグス』(カートウッド・スミス)が訪ねてやってきた。


「力を貸してくれ!ランボー!」(それみたことか!困った時のランボー頼みよ)


だが、ランボーの返事は、キッパリ!


「お断りします」。(当たり前だ。前回は恩赦の為だったが、今更、戦う必要もないランボーなのだから。)


「どうしてもダメなのか?ランボー!」(愛しいトラウトマン大佐の願いに、キッパリ返事をしたものの、少し揺れ動くランボーの心)



ランボーの返事に二人は、黙って引き揚げていった。


トラウトマン大佐は、アフガニスタンへ向けて、極秘任務の為に自ら出発していく。


だが、数日後、またもやグリッグスが一人、ランボーの前に現れた。


「トラウトマン大佐が、ソ連軍に捕まってしまった!」



拉致されたトラウトマン大佐に、もはや動揺を隠せないランボー。


だが、すぐに、

「やりますよ!当然、助け出す!」(大切なトラウトマン大佐ですもんね)



アメリカ軍は、この救出作戦を表だって支援できない、と言うグリッグスに、


「毎度の事です。慣れてますから……」と、素っ気ないランボー。


まずはパキスタンの北部の村に向かったランボーは、道案内役の村人を訪ねるのだが…………。







数年ぶりに観た、『ランボー 怒りのアフガン』。



残念ながら、前2作とは格段におちる出来栄えでした。(やはり昔、自分が感じたものは間違っていなかった)

これしかランボーを観ていなければ、ここで挫折するのも、仕方のない事だと、今更ながら、自分で納得してしまった次第である。




第1作目では、テッド・コッチェフ監督が、ベトナム戦争が終わっても、決して癒す事のできない、ランボーの深い悲しみや心の傷跡を、見事に描いてみせた。



第2作目では、そのランボーが、自身のトラウマともいうべきものを乗り越えて、ベトナムでの心残りや、『リベンジ』を果す為のものだった。

アクションを交えながらも、さすが!脚本にジェームズ・キャメロンが参加しているだけあって見事な出来栄え。(この2作は共に傑作である)



で、再び、3作目を作ろうとした時、シルベスター・スタローンもスタッフたちも、ずいぶん頭を悩ませたと思うのである。



ランボーの闘いは、この前2作で、きちんと完結しているのだ。



そのランボーを、もう一度、闘いの戦場に引っ張っていくには、それ相応の『理由』がなければならないからだ。(いくらランボーでも好きこのんで、いそいそと戦場に出向くものですか)


それには、素人でも、誰もが考え付く、安易な方法があるにはあるのだが、この方法は、まさに禁じ手。



手っ取り早いといえば手っ取り早い。


でも、スタローンもスタッフたちも、この方法に、安易に飛び付いた。



《トラウトマン大佐を利用する》事である。



トラウトマン大佐を利用すれば、ランボーを、もう一度、戦場に引っ張っていける!

ランボーが、慕い、尊敬し、父親のように思っている唯一無二の存在がトラウトマン大佐。



この流れならば、自然にランボーが戦場に、再び赴くのも可能なのだが………それは百歩譲って良しとしても、如何せん、この映画は脚本がダメダメである。



この映画の冒頭、タイにランボーを、同行させようと、誘いにくるトラウトマン大佐に一気に冷めてしまったのだ。



いくらランボーが有能でも、すでに引退した身。


それを自ら担ぎ出さそうとして、いそいそと出掛けて来るなんて、ランボーが尊敬するトラウトマン大佐の所業とは、とてもいえない違和感である。



軍人としての誇りやプライドは何処へ?トラウトマン大佐?



むしろ、グリッグスがランボーに依頼しようとしても、逆に反対する立場なら、どれだけトラウトマン大佐の株も上がっただろう、と思うのだ。


そして、ランボーには一言も言わずに前線に赴いていき、捕虜として捕まった後で、グリッグスからランボーに「トラウトマン大佐がソ連軍に拉致されている」と知らされる方が、はるかに効果的ではなかっただろうか?



そんな部下想いのトラウトマン大佐であれば、観ている人たちは、納得してランボーのあらたな決意にも共感するはずなのだ。




こんな不満はまだまだ続く。



パキスタンからアフガニスタンに赴いたランボーは、すぐにはトラウトマン大佐を探そうとはせずに、現地の村人たちと、何を考えているのやら?、呑気に構えて、たわむれ始めるのだ。


現地の村の少年と、持参しているサバイバル・ナイフやお守りのネックレスの事でグダグダ話すランボー。(こんなシーン必要?)


村人たちと馬にまたがって、村のスポーツを楽しむランボー。(あんたいったい何しにここへ来たのか分かってるの? このあたりで、どんどんイライラしてくる自分)



「こんなのよりはフット・ボールの方が好きだ」


こんな台詞を悠長に吐いているランボーには、全く以前のような緊張感や危機感は感じられない。



まるで人格そのものが、すっかり変わってしまったかのようである。



そんな村人たちと遊んでいるランボーの元へ、上空から、一斉に攻撃してくるソ連のヘリが迫ってくる。



村人たちは、その攻撃の銃弾に次々倒れ、殺されていく。


「畜生!」馬にまたがって、逃げ惑うランボー。(「あんたが呑気にノホホ~ンと構えていたからでしょうが!」と、もう観ながら突っ込まずにはいられない)



そんな間も、トラウトマン大佐は、ソ連の『ザイセン大佐』に、監禁されて、縛られて、吊るされて拷問されまくっている。(それにしても、こんな老齢のトラウトマン大佐が前線に駆り出されるなんて、………アメリカ国防省には、もっとマシな人材はいないのかねぇ~?)


もちろん、この後は、ソ連の基地に潜入して、お約束の救出劇もあるのだけど………なんだかなぁ~、足手まといの少年兵までノコノコやってきて。(コイツいらねぇ~(笑))



1回目の救出は、大暴れしただけで、見事に大失敗。(でもトラウトマン大佐は、なぜか?ソ連軍に殺されてません)



2度目はランボーが単独で潜入すると、あっさりトラウトマン大佐は救出される。(ソ連軍が徹底的に、アホなのかしらん? (笑) )



ランボーとトラウトマンの二人に振り回されっぱなし。

秘密基地も簡単に破壊されてしまって、もう散々である。



まるでランボーとトラウトマン大佐は、楽しく二人して、アトラクション・ゲームでもしているように見えてくる。



ド派手なアクション、銃弾の嵐などもあるにはあるのだけど……これも意味のない無駄玉を大量に撃っているような感じである。



こんな『怒りのアフガン』でも、ランボーの絶叫はやっぱり健在。



ウォオォォォーーーーッ!!

(この映画で、こんなに叫ぶ必要あるのかねぇ~ (笑) )



当時、この映画を映画館に観に行って「ナンだ?コリャ?」と思った感想は、やっぱり数十年経っても同じでございました。




こんな自分の感想と同じように同調する人たちがいたのかどうか、………当時の興行収入は、前作『怒りの脱出』の半分にまで落ち込んだという。



そして、「待っていました!」とばかりに、またもやラジー賞である。(こればかりは、擁護しようがないかも)


2003年にリチャード・クレンナが膵臓(すいぞう)癌で亡くなり、これが最後の出演でした。(脚本が良ければ、いい花道を飾れたのにね)



でも、これはこれでいいのかなぁ~



最後に大好きなトラウトマン大佐と一緒に闘えたのだから。



ランボーとトラウトマン大佐の珍道中映画。



大負けに負けて、星☆☆☆としときますかね。


※それにしても、この時期のスタローン、いい身体してますなぁ~(男でも惚れ惚れしますね)


2020年1月19日日曜日

映画 「ランボー 怒りの脱出」

1985年 アメリカ。






『トラウトマン大佐』(リチャード・クレンナ)は、前回、逮捕されていった『ジョン・ランボー』(シルベスター・スタローン)が気がかりで、気がかりでしょうがない。


(何としても彼を救いだしてやりたい!……)


ランボーも自分と同じように、闘いの中でしか生きられない男……………。




そんな時に、軍は、ベトナムの捕虜収容所から無事に生還したランボーの経歴やデータを元に、ある作戦実行の為に選び出したのだった。


(これはチャンスだ!)


すぐさまトラウトマン大佐は、服役中のランボーを訪ねて面会に行った。



「もしお前が、この任務を引き受ければ恩赦が受けられる。お前は自由の身になれるぞ!」


即座に承諾したランボー。


父親のように信頼しているトラウトマン大佐の前では、素直で従順すぎるくらいのランボーなのである。(まるでトラウトマン大佐は、どう猛な虎をおとなしくさせる猛獣使いのようだ(笑)。)



後日、連れて来られた、タイの米軍基地で、トラウトマン大佐と合流すると、そこにはC・I・A所属で、作戦の指揮官『マードック』(チャールズ・ネイピア)が待ち構えていた。



「君にやってもらうことは、ベトナムに単独で極秘潜入して、捕虜がいないか確認し、もしも捕虜がいたなら、その証拠写真を撮ってくる事だ」


マードックの命令に怪訝顔を隠せないランボー。

「写真を撮るだけ?捕虜たちを助けないんですか?!」(『 何じゃ?その任務は? 折角、大暴れできると思ってきたのに……』なんていう、ランボーの心の声が聞こえてきそう)


「捕虜がいたなら、後日、必ず助け出す」と言う、マードックなのだが、ランボーはトラウトマン大佐に、「アイツは信用できない」と、ボソッと耳打ちした。




夜間、軍事飛行機で降下したランボーは、ジャングルの奥地へと進んでいく。



現地の女性工作員『コー・バオ』(ジュリア・ニクソン)と合流すると、やがて敵に捕まった捕虜を発見する。



「写真を撮るだけでしょ?」

「何を言ってるんだ?もちろん皆を助ける!」



案内人コー・バオと別れ、捕虜の男性を無事に助け出したランボーなのだが………ランボーの予感は当たり………。



迎えに来たヘリは引き返していく。



マードックの命令なのだ。

「任務は中止だ!ヘリはすぐに戻って来るんだ!!」


はなから、捕虜を助け出す気なんてのもサラサラなく、自分の保身ばかりを考えている、ご都合主義のマードックなのである。


トラウトマン大佐が、「目の前に捕虜を助け出したランボーたちがいるんだぞ!見捨てるつもりなのか?!」と声を荒げるが、マードックの命令に従順な部下たちは、トラウトマン大佐を拘束すると、ヘリは、遥か上空彼方へと消えていくのだった………。



怒れるランボー、お先真っ暗のランボー。



そんなランボーに、ベトナムを支援する冷徹なソ連の将校『ポドフスキー中佐』(スティーヴン・バーコフ)の魔の手が迫る………。



ランボーの1作目に素直に興奮して、感動して、ついつい続編の『怒りの脱出』に手を出さずにはいられなかった。(単純だなぁ~)



1作目を越えるほどの迫力、興奮!

この2作目が、多分、ランボー・シリーズの最高傑作じゃないかな。



雑魚の卑怯者マードックは、前回の映画、ティーズル保安官を模倣しているようなものだが、それよりも巨悪な敵、冷酷で残忍な敵が、この映画では華をそえている。



ポドフスキー中佐役のスティーヴン・バーコフだ。


この憎々しい顔を……額の中央に、ポツンと浮き出た突起物を忘れるはずもない。


『007 オクトパシー』でも、ソ連のオルコフ将軍。

『ビバリー・ヒルズ・コップ』では、金持ちのメイトランド。



極悪顔といえば、まさに、この人なんですから。(スゴイ言い方だけど褒めてるんですよ、それなりに。)



捕まえたランボーを、収容所で、サデスティックに拷問したり、いたぶるシーンでは、実に楽しそうな事よ。


「さぁ、アメリカの本部に無線連絡をして、自分がスパイとして捕まったと言え!この拷問に苦しくて、叫びたかったら叫ぶがいいぞ、ハハハ!」

縛りつけて高圧電流を流すやら、焼けたナイフを部下に命じて押し当てさせるなど、ドS力全開の拷問を繰り返す。


でも、こんな変な変態野郎に負けてたまるか!


マードックに復讐するまでは死んでたまるかー!


ウォオォォォーーーーッ!!


抑え込んでいた、ランボーの怒りが、一気に爆発する!!(一旦スイッチが入ると大絶叫するランボーは、ここでも健在 (笑) )




その後は、怒濤の如くのやりたい放題よ。


ナイフがとび、弓が唸り、機関銃が炸裂し、ランチャーが火をふく。


敵は次々倒されて、あたり一面は爆風の嵐。(観ながら、「ヒェー!」、「ホェー!」、「ゲゲッ!」の言葉しか出てこない自分)



ランボーの活躍が、ただ、ただ爽快なのだ。



普段日常でストレスを抱えているような人には、もう、うってつけの映画なんじゃないだろうか?



文句なしに星☆☆☆☆☆であ~る。



※ただ、ベトナム戦争とアメリカの描き方については、この映画、アメリカ側の反応は微妙だったみたいで、ランボーやスタローンに対する風当たりも強くなってくる。(それも特に映画関係者たちから)


興行収入は良くても、これ以降、スタローンに対する弾圧が、ジワジワと始まっていく。



自分から見れば、こんなに爽快な映画はないと思うのに、この映画で、ラジー賞(最低映画主演男優賞)なんて………どう思います?



それからも、スタローンをやり玉にあげては、何年もラジー賞を与え続ける映画関係者たち。(このあたりにハリウッド映画界の、歪んだ作為みたいなものを感じてしまう自分である)



まぁ、こんなのにヘコたれて負けるスタローンでないのですけどね。



あ、そうそう、最近では、このランボーのフィギュアも発売されているそうな。

たまたま、ネットで見たのだが、あまりのリアルさにビックリ。(武器のバリエーションも凄い)


こんな精巧なフィギュアにまでなってしまう人気の『ランボー』なんだけどね。(映画を観た後では、自分も欲しくなってしまうくらいである)