2020年1月31日金曜日

映画 「未来世界」

1976年 アメリカ。






名作SF『ウエスト・ワールド』の続編。




その、『ウエスト・ワールド』とは………


画期的な人型ロボットの発明と大量製造で、安心安全な夢のテーマ・パーク《デロス・ランド》が砂漠のど真ん中に、ドドーンと出来た。


パークは、『西部開拓時代』、『中世ヨーロッパ時代』、『帝政ローマ時代』に別れていて、それぞれの時代の雰囲気を楽しめたり、体験する事が可能なのである。



だが、その中のガンマン・ロボット(ユル・ブリンナー)がいきなり狂いだして、人間たちを突然襲いはじめる。



狂ったロボットたちの反乱は、たちまち《デロス・ランド》を地獄絵図に変えたのだった………。



て、いうのが『ウエスト・ワールド』の大まかなあらすじ………らしい。




この続編『未来世界』は、その数年後の描いているのだが、『ウエスト・ワールド』を観た事がなくても、全然大丈夫である。




これ単体でも映画としては、成立しているので。(かくいう自分も『ウエスト・ワールド』を観ておりません。ユル・ブリンナーがあんまり好きじゃないので)






あの、悲劇から数年後………《デロス・ランド》は当然閉鎖されていたが、科学者たちはあきらめきれず、この度、再オープンの運びとなったのだった。



だが、数年前の悲劇や悪評は、今でも、くすぶりながら色濃く残っている。(まぁ、何人もロボットに殺されてるので)


「どうにか、それを払拭させなければ!」



それには大勢の著名人たちを招待して宣伝してもらうしかない。



そんな宣伝のために、人気テレビ・キャスターの『トレイシー』(ブライス・ダナー)と新聞記者の『チャック』(ピーター・フォンダ)は、一緒に特別招待された。



「《デロス・ランド》は、以前よりも安心かつ安全にお楽しみ頂けます。なにとぞ、皆様方にご覧頂き、より良い宣伝をお願い致します」



《デロス・ランド》に到着して、浮かれて喜ぶ人々。(大人のディズニーランドって感覚なのかな?)



そんな人々を尻目に、チャックだけは別の事を考えていた。



(ここは何だかおかしい………絶対に、ここの秘密を暴きたててやる………)



チャックの記者としての勘が当たったのか、やはり、そこには《恐ろしい秘密》が隠されていたのだった………




さぞや、ワクワクドキドキさせてくれると思いきや………




観てみると、まるで、当時あったようなチープなテレビ映画の雰囲気。

おバカさ満載のB級SF映画でございました。




監督が悪いのか、はたまたピーター・フォンダが関わると、自然にそうなってしまう運命なのか……(笑)。




前回の『ウェスト・ワールド』を観ていないので、なんともいえないのだが、前の映画もこんな感じだったんだろうか。




当時としては、本物大のロケットやら、近代的なモノレールなど莫大な制作費を投じて作られていると思うのだが……この全編に漂うB級感は、ナゼなんだろう?




プライス・ダナー演じるトレイシーなんて、何にも考えていないような、アタマ空っぽなオネェちゃんにしか見えてこない。(でも、この人、こう見えても、グウィネス・パルトローのお母さんなんですよ。)




とにかく、大人の女性とは思えないほど《幼稚》なセリフばかりを吐いているのだ。(こりゃ脚本も悪いわ)




ただ、主役のピーター・フォンダの見た目だけは、格好いいと思う。



以前、『ダイヤモンドの犬たち』でも書いたが、お世辞にもハンサムとはいえないような独特な顔のピーター・フォンダ。



でも、この耳に少しかかるようなストレート・ヘアと眼鏡をかけている姿は、この人に似合っている感じがして、なんかいい感じなのだ。(『ダイヤモンドの犬たち』を観ているせいか、あの薄汚れたモジャモジャよりも何倍もマシ)




そして、この《 恐ろしい秘密 》だが、恐ろしくも何でもないので、思いきって書いてしまうけど、…………



この著名人たちに「宣伝してもらう」というのは、真っ赤な嘘で、デロス・ランドにやって来た著名人たちと、そっくりなコピー・ロボットを大急ぎで作って、

《こっそり、すり変わる》

というのが本来の目的だったのである。



その、すり変わったコピー・ロボットを《デロス・ランド》の悪徳科学者たちが、陰で操作しながら、いずれは「世界を乗っ取って征服してしまおう!」なんていう、トンデモない計画なのだ。(なんて手のこんだ作戦なんだろう)




もちろん、最後には、トレイシーやチャックに似たコピー・ロボットも出てきたりして、そっくり者同士で、お互いに闘う展開になるんだけど……。




それでも、やっぱり最後まで、ノホホ~ンとした空気感漂う『未来世界』なのでございました。





それにしても………ヘタクソな脚本、ヘタクソな演出、それにバックに流れる大袈裟な音楽………


莫大な予算をかけても、出来上がったのが、こんな出来じゃ、製作費分を上手く回収できたのかしらん?




それでもピーター・フォンダをはじめ、大勢の俳優たちは頑張っていて、こんな映画でも「なんとかしよう……どうにかしよう!」と、懸命に演じている気がする。



そんな俳優たちの健気さが透けて見えてきて、自分なんかは、ついつい同情しながら、今後もたまに、チョコチョコ(茶化しながら)観てしまうかもね。



大甘で星☆☆☆。


※尚、SEX専用ロボットなんてのも、大量に作っている《デロス・ランド》。


むしろ、映画では、そっちの方を主題にして膨らませたほうが良かったかもしれない。(あくまでも、これは我の希望である (笑) )


2020年1月28日火曜日

映画 「アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル」

2017年 アメリカ。





今、『アイ,トーニャ』を観終わったところ。


特に、「この映画をどうしても観たい!」というわけではなかったのだが、最近、女優『マーゴット・ロビー』の存在を知って、彼女の主演する映画を1度は観ておきたかったのだ。



近作では、レオナルド・ディカプリオとブラッド・ピットが共演する『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』にも出演している彼女。


『ワンス・アポン……』でも彼女は実在の女性『シャロン・テート』を演じている。



その『ワンス・アポン……』で共演したレオナルド・ディカプリオやブラッド・ピットと一緒に、アメリカのトーク番組に出演している彼女。



その和やかそうなリラックスしているトーク番組で、彼女が口にした言葉が、なぜか?私を妙に惹き付けたのだ。



「私、今まで『スター・ウォーズ』を1度も観た事がないの。ハハハッ!」


ディカプリオもブラピも、ビックリして口アングリ。


「この話をすると本気で怒る人がいるのよ。私が観てないと言うと、それに本当にブチ切れる人がいて、それが可笑しくって………だから、今だに観てないのよ。」



アメリカ人にとっては『スター・ウォーズ』は《 誰もが1度は観る映画 》であり、《 公開すれば必ず話題になる映画 》。

日本人の我々からすれば、「別に、人それぞれ、好き好きがあるし、観ていない人もいるだろうさ……」と何気にスルーされるような言葉だろうが、アメリカでは、そうもいかない。



もはや『スター・ウォーズ』は、アメリカでは聖典扱いなのだ。



そんなアメリカ人にとっては、当たり前ともいうべき常識を、まるで根底から覆すような、これは、そんな発言なのである。


あっけらかんと話すマーゴットに合わすように、ディカプリオもブラピも会話は『今まで観た事がない映画』の話になっていき………


ブラピまでもが、今度は、「ぼくは『風と共に去りぬ』を観た事がない」と言い出した。


それに同調するようにマーゴットが、「私も観たことない」と言う。


「ウソでしょー!」と、またまたビックリするディカプリオが、たまらなく可笑しいのだ。





これを観て、天の邪鬼な私は、俄然、このマーゴット・ロビーという女優に興味をもってしまった次第なのである。


あっけらかんとしていて、飾り気がなくて、サッパリしている彼女の性格。


なんか好きだなぁ~。


そんな彼女の主演作を、さかのぼって色々探してみると、この『アイ,トーニャ』にぶち当たったのだった。



あのフィギュア・スケートで有名だったトーニャ・ハーディングの自伝的映画である。



もはや、あの事件から4半世紀も経ったのかと思うと、時の流れの速さと、自分自身の年齢を妙に意識してしまう。

当時は、日本のワイドショーやマスコミでも、この事件は、連日、取り上げられていたっけ。



華やかなスケート界に、突然起きた襲撃事件。



アメリカのオリンピック候補でライバル同志のトーニャ・ハーディングとナンシー・ケリガン。

二人の期待されているフィギュア・スケーター。



その片方、ナンシー・ケリガンが、何者かに、突然襲われて、スケート選手の命ともいうべき足を殴打される。


ケリガンは試合に出られなくなり、警察の捜査が進むと、その事件に関与していたのが、ライバルのハーディングの夫だった事が判明するのだ。


「ハーディングが、自分の夫に頼みこんで、ライバルのケリガンを故意に襲撃させたのか?!」


この疑惑は、マスコミの関心を大いに引き寄せて、ハーディングの名は、瞬く間に世界中に知れ渡る事になったのだった。




そんな疑惑の中、ケリガンの怪我も無事に治り、オリンピックの大舞台で、世界中が見守る中、あの事件がまたもや起こる。


ハーディングが次々、演技を失敗して、泣き出し、突然演技を中断したのだ。


すると審査員の前に行って、足を放り出したハーディング。


「スケート靴の紐が切れてしまって、これ以上演技が出来ない!もう一度チャンスを下さい!」と泣きながら訴えたのだ。



こんな事は前代未聞。


ハーディングの無理難題の要望に、それ以前のケリガンの事件で、すっかりケリガンに同情して味方していた観客たちからは、ヤジやブーイングの嵐が集中。



それでも特例として、演技のやり直しをするもハーディングは、結局、精彩を欠いて不出来な結果になる。


悲劇のヒロイン、ケリガンは見事、銀メダルを授賞したのだった。




そして、その後も、マスコミは追い回し続けて、やがてドロドロの裁判劇にまで発展していくのである。



このトーニャ・ハーディングを、あの『マーゴット・ロビー』が演じていたのか………。





この手の映画には、さほど期待していなかったが、ハーディングの知名度だけで観る事にした自分。(多分、マジメ~な感じか、ハーディングを悲劇のヒロインに仕立てあげてる映画なんだろうなぁ~と勝手に予想していた)



でも、意外な事に蓋をあけてみれば面白かった。



何が面白かったって、出てくる人物たちが、皆、《 ポンコツ 》なのだ。



ポンコツ過ぎるくらいポンコツ。


下品、下劣を絵にかいたようなハーディングの母親(まるでカマキリのような顔である。でも根っからのポンコツ人間)


ハーディングの夫のジェフ(DV夫)も、ハーディングの襲撃に関わったジェフの友人ショーン(ネジが揺るんだ誇大妄想狂)も……出てくる人、皆がポンコツな登場人物ばかり。




そして、そんなマーゴット演じるハーディングもポンコツ人間。

気品の欠片もなく、スポーツ選手なのにタバコは、どこでもスパスパ!(いいのか?)

DV夫と喧嘩しては、何度もよりを戻す繰り返し。



こんなハーディングなのだが、おかしな事に、観ていて、全然、悲壮感なんて感じないのだ。


途中、途中で、逆に笑いがこみ上げてくるくらいだった。



あの『ボヘミアン・ラプソディ』よりも断然、、こちらの方が面白かったほどである。

この映画がアカデミー賞取ればよかったのに………。(母親役は助演女優賞とってますけど)


そのくらい素晴らしいポンコツ人間を描いた映画である。(変な誉め言葉であるが(笑))



マーゴット・ロビーにも、とても感心してしまった。


ただ、あっけらかんとした性格だけじゃなく、確かな演技を備えている女優さんだわ、うん!



星☆☆☆☆。

超オススメでございます。

2020年1月26日日曜日

映画 「ランボー 最後の戦場」

2008年 アメリカ。






あのアフガンから20年………。



『ジョン・ランボー』(シルベスター・スタローン)が、今どこにいるのかといえば、タイにいた。

タイの奥深く、ジャングルの中での隠遁(いんとん)生活。



スネーク・ショーの為に蛇を捕まえては生け捕りにして売り買いをして、得意の弓矢で魚を射ったりしている。

そして、たま~に船を出しては観光ガイドなんて仕事もしている。



そんなランボーの元へ、ある仕事の依頼が来た。


「君に船を出してほしいんだ。ミャンマーまで。」


ミャンマーでは、軍事政権が完全支配していて、常に紛争、略奪が続いている。

その中でもキリスト教を信仰するカレン族への風当たりは強く、日々、虐殺が続いていた。

ランボーに船を頼んだ『NGO』(国際協力に携わる非政府組織)の団体は、そんな人々を救う為の、医療やボランティア活動をしていた。


「我々は、そんな人々の為に、少しでも力になりたいんだよ」団体の一人マイケルが必死に頼むが、ランボーの返事は素っ気ない。


「断る!」だった。


ランボーの愛想のない態度に、団体はすでに諦め顔。だが、その中の一人の女性がランボーの前に進み出た。


「私に任せてちょうだい」


『サラ・ミラー』(ジュリー・ベンツ)がランボーに必死に懇願すると、意外?にもランボーは返事は「分かった!」に変わった。(ランボーでも美人の頼みには弱いのかねぇ~? (笑) )



そして長いジャングルの川を、奥へ奥へと進んでいく、一行を乗せたランボーの船。


だが、その途中、野党たちに襲われる一行たち。


それをランボーが簡単に撃退する。


「人を殺すなんてどういうつもりなんだ?!我々は人々を救う為にやって来たんだぞ!」


ランボーの行動に一行たちはカンカンだ。



「この平和ボケどもが!殺さなきゃ殺されていたんだぞ!」

ランボーの怒りの声にも耳を貸さず、既に不信感いっぱいの一行は、ランボーと離れて自分たちだけで進む事を決めた。


「ごめんなさい……」サラは申し訳なさそうに、ランボーに言うと、一行たちについていく。



ランボーは、一人、船でトボトボ帰っていった。




それから数日がたち、ランボーの元へNGOの牧師が訪ねて来た。

「一行がミャンマーの兵士たちに捕まった。どうか救ってほしい!」

牧師はランボーに救いを求めてやってきたのだ。(またもや、困った時のランボー頼み)



何を今更、勝手な事を………と思うランボーなのだが、一方では、あの、サラの事が気掛かりでもあるランボー。(惚れたのか? (笑) )



仕方なく、政府が集めた傭兵たちを乗せて、ランボーは再び船を出すのだが………。





『最後の………』なんていうタイトルを打ち出しているだけあって、これまでよりも、目を背けたくなるような凄惨な場面の連続である。



とにかく容赦なしのランボー。




もう、あまりにもひど過ぎて、これを誰にでもオススメして良いものか、どうか………。



いくらランボー贔屓(ひいき)の自分でも、ちょっとためらわれるところ。



これを『リトル・ランボーズ』に出ていたような子供たちには、決して見せられないし、こんなのを食事しながらとか、映画館で、気軽にポップコーンとコーラを飲みながら観るなんて、とても無理だ。



実際のミャンマーでの悲惨さを、監督して、主演したスタローンは伝えたかったんだろうけど………それにしても、むごたらしい殺し方は、もはや、娯楽とかエンターテイメントと言われている映画の枠には収まりきれていない。



この映画を、いつものように、単に『ランボーらしい痛快アクション』などと、受けとめる事が出来る人は、今、ちょっとヤバイかもしれない。




1~3作目は、たとえランボーが無謀に行動しても、まだ《アメリカ軍の為》、《政府の為》という大義名分というものがあった。


この映画では軍を離れた民間人のランボーが、自分の意志で、容赦なく殺しまくる。




それを映画の中でランボー自身も言っている。


「国の為ではない、自分の為に殺すのだ」と。




このセリフをつぶやくランボーに背筋が凍りつく。


パート1では、軍から帰還した後、警官たちといざこざがあったり、山に立て籠って応戦していたりしても、ギリギリのところで人間性を失わないくらいの手加減があったが、そんなものは、もはや見当たらない。



この『ランボー 最後の戦場』のランボーは、もう以前の『ランボー』じゃない。



全くの別人。



トラウトマン大佐という、正気を保つ為のストッパーがいなくなった今、全てが本能の赴くまま。


まるで、繋がれていない野獣が、野に放たれたようである。




この映画で、サラに名前を聞かれたとき、ランボーは、ただ「ジョンだ」とだけ名乗る。


自身も、もう(ランボーだとは名乗れない)と、薄々、察してしたのかもしれない。




例によって、この映画も批評家とランボー信者たちの間で、評価は真っ二つに割れた。

お堅い批評家たちの味方寄りには、なりたくない自分だが、これを素直に『痛快なアクション映画』だとは言い切れない自分もいる。



どちらかというと今回、批評家寄りの考えに近い私は、これを安易には、誰にでもオススメはできないかも。

星での評価も今回ばかりは、ご勘弁くださいませ。




そして、連続で書いてみたランボー・レビューも、今回で、一旦終了。



賛同する方や異論のある方もいらっしゃるでしょうが、とりあえずは書きおわった~!と安堵。(読んで下さった方も、ここまでお疲れ様でした)



これを観た後では、最後の『ラスト・ブラッド』も、どうなることやら……不安だが、それでも今回続けて観てきて『ランボー』が好きになった。



第1作『ランボー』、第2作『ランボー 怒りの脱出』は自分の中で殿堂入り。


これからも、ちょくちょく観返す事になると思うのである。

2020年1月25日土曜日

よもやま話 「映画 ランボー ・シリーズ」






最近『ランボー』の事ばかり、書いていて、これを読んでる人も飽き飽きしていないかなぁ~。(それでも懲りずに書いちゃいますけど)



今回は、いつもと趣向を変えて、内容に入る前に、ちょこっと映画のタイトルについて。




次に書く予定の『ランボー 最後の戦場』が2008年。


でも、2019年に再び、『ランボー ラスト・ブラッド』なる映画が作られる。




『最後の……』なんて、この邦題をつけた日本の配給会社も、今になってみれば多少、後悔しているかも。


でも、当時はスタローンさえも、「この映画が最後のランボー!」なんて言っていたくらいだし、まぁ、しょうがないか。(本人も「これでおしまい!」の気持ちと体力だったんでしょうに)




でも、日本の邦題は、まだマシなランボー。



原題名の方を並べてみると、ちょっと混乱するくらいかもしれない。


なんてったって、第1作目の原題名が『 First Blood 』。


『ランボー』じゃないのだ!(英語圏以外では、タイトルは『ランボー』だったらしいけど)

普通に訳すると、《 最初の血 》だが、ボクシングの《 先制攻撃 》の意味もあるらしい。



まぁ、映画の内容を知ってみると、これも納得もするのだが、ややインパクトに欠けるかも。

それに、予備知識のない人や知らない人には、『ファースト・ブラッド』なんてタイトルのままなら、「何のこっちゃ?」ってな具合だったかもしれない。




『ランボー』のタイトルの方がインパクト大。



『ロッキー』にしても、主人公の名前がタイトルになっている方が、この手の映画には、より効果的なのだ。


チラシでもポスターでも、写真と一緒に主人公の名前のタイトルが入っていれば、すぐに覚えてもらえる。

「あぁ、この主人公がランボーなんだ……」と。


そして、ほんの数秒、通りすぎる車窓やバスからでも、こんなポスターが見えれば、直で頭に入りやすいし、記憶に残りやすいのだ。(これが、計算された刷り込み効果というものだろう)


これで映画の中身が良ければ万々歳なのだが、とにかく観客を呼び込む為の、少しだけ、背中を押してくれるような追い風にはなってくれると思う。



映画がヒットするか、ヒットしないのか………

それは、まず、こんなスタートの出だしにかかっていると言っていいくらい。


そのくらい、タイトルって大事なのである。




そして、このタイトルの方がやっぱり正解で、『ランボー』の名の方が、瞬く間に世界中で、知名度をあげて認知されはじめたのだった。




そして2作目以降は、本家アメリカでも、この『ランボー』が冠につきはじめる。


それにしてもねぇ~……。




第2作目、『ランボー 怒りの脱出』が、『 Rambo: First Blood Part II 』《 ランボー 最初の血パート2 》


第3作目、『ランボー 怒りのアフガン』が、『 Rambo III 』《 ランボー3 》……(これはなんとなく分かる)



で、この第4作目、『ランボー 最後の戦場』では、ただの、『Rambo 』なのだ。


Rambo Ⅳ』でもないし、これだけなら1作目のようなタイトルにも思えてしまう。(ん~どうなんでしょ? やはり邦題の方に軍配があがるかな?)




で、最新作の『ランボー ラスト・ブラッド』が、まんま『Rambo: Last Blood 』。


この『 Last Blood 』は第1作目の原題名『 First Blood 』とかけているらしいが……普通に訳せば、《最後の血》。



これにて、本当の本当に、最後になるような予感のタイトル。



まぁ、73歳のスタローンがアクション映画を演っている事さえ、もはや奇跡に近い事だし、これが本当に、最後のランボーになるんだろう。


これは、このまんま『ランボー ラスト・ブラッド』のタイトルで公開されるのかな?



まぁ、なんにしても最後のランボーを楽しみに待ちたいと思います。




なんだか、映画の内容とは関係ない事を書いてみましたが、箸休めとお思いくださいませ。


次回は『最後の戦場』の事をキチンと書くつもりですので。

2020年1月21日火曜日

映画 「ランボー 怒りのアフガン」

1988年 アメリカ。






第1作、第2作と、順序だてて観てきた『ランボー』。


そして、3作目が、とうとう、この『ランボー 怒りのアフガン』である。


20数年ぶりの視聴。

果たして、今の自分の目で観ると、評価は変わるのだろうか?





あのベトナムでの救出作戦から数年後……『ジョン・ランボー』(シルベスター・スタローン)はタイにいた。


タイの寺院作りを手伝いながら、たまに、ちょこっと小遣い稼ぎのファイト・バトル。



そんなランボーに、はるばる『トラウトマン大佐』(リチャード・クレンナ)とアメリカ国防省の『グリッグス』(カートウッド・スミス)が訪ねてやってきた。


「力を貸してくれ!ランボー!」(それみたことか!困った時のランボー頼みよ)


だが、ランボーの返事は、キッパリ!


「お断りします」。(当たり前だ。前回は恩赦の為だったが、今更、戦う必要もないランボーなのだから。)


「どうしてもダメなのか?ランボー!」(愛しいトラウトマン大佐の願いに、キッパリ返事をしたものの、少し揺れ動くランボーの心)



ランボーの返事に二人は、黙って引き揚げていった。


トラウトマン大佐は、アフガニスタンへ向けて、極秘任務の為に自ら出発していく。


だが、数日後、またもやグリッグスが一人、ランボーの前に現れた。


「トラウトマン大佐が、ソ連軍に捕まってしまった!」



拉致されたトラウトマン大佐に、もはや動揺を隠せないランボー。


だが、すぐに、

「やりますよ!当然、助け出す!」(大切なトラウトマン大佐ですもんね)



アメリカ軍は、この救出作戦を表だって支援できない、と言うグリッグスに、


「毎度の事です。慣れてますから……」と、素っ気ないランボー。


まずはパキスタンの北部の村に向かったランボーは、道案内役の村人を訪ねるのだが…………。







数年ぶりに観た、『ランボー 怒りのアフガン』。



残念ながら、前2作とは格段におちる出来栄えでした。(やはり昔、自分が感じたものは間違っていなかった)

これしかランボーを観ていなければ、ここで挫折するのも、仕方のない事だと、今更ながら、自分で納得してしまった次第である。




第1作目では、テッド・コッチェフ監督が、ベトナム戦争が終わっても、決して癒す事のできない、ランボーの深い悲しみや心の傷跡を、見事に描いてみせた。



第2作目では、そのランボーが、自身のトラウマともいうべきものを乗り越えて、ベトナムでの心残りや、『リベンジ』を果す為のものだった。

アクションを交えながらも、さすが!脚本にジェームズ・キャメロンが参加しているだけあって見事な出来栄え。(この2作は共に傑作である)



で、再び、3作目を作ろうとした時、シルベスター・スタローンもスタッフたちも、ずいぶん頭を悩ませたと思うのである。



ランボーの闘いは、この前2作で、きちんと完結しているのだ。



そのランボーを、もう一度、闘いの戦場に引っ張っていくには、それ相応の『理由』がなければならないからだ。(いくらランボーでも好きこのんで、いそいそと戦場に出向くものですか)


それには、素人でも、誰もが考え付く、安易な方法があるにはあるのだが、この方法は、まさに禁じ手。



手っ取り早いといえば手っ取り早い。


でも、スタローンもスタッフたちも、この方法に、安易に飛び付いた。



《トラウトマン大佐を利用する》事である。



トラウトマン大佐を利用すれば、ランボーを、もう一度、戦場に引っ張っていける!

ランボーが、慕い、尊敬し、父親のように思っている唯一無二の存在がトラウトマン大佐。



この流れならば、自然にランボーが戦場に、再び赴くのも可能なのだが………それは百歩譲って良しとしても、如何せん、この映画は脚本がダメダメである。



この映画の冒頭、タイにランボーを、同行させようと、誘いにくるトラウトマン大佐に一気に冷めてしまったのだ。



いくらランボーが有能でも、すでに引退した身。


それを自ら担ぎ出さそうとして、いそいそと出掛けて来るなんて、ランボーが尊敬するトラウトマン大佐の所業とは、とてもいえない違和感である。



軍人としての誇りやプライドは何処へ?トラウトマン大佐?



むしろ、グリッグスがランボーに依頼しようとしても、逆に反対する立場なら、どれだけトラウトマン大佐の株も上がっただろう、と思うのだ。


そして、ランボーには一言も言わずに前線に赴いていき、捕虜として捕まった後で、グリッグスからランボーに「トラウトマン大佐がソ連軍に拉致されている」と知らされる方が、はるかに効果的ではなかっただろうか?



そんな部下想いのトラウトマン大佐であれば、観ている人たちは、納得してランボーのあらたな決意にも共感するはずなのだ。




こんな不満はまだまだ続く。



パキスタンからアフガニスタンに赴いたランボーは、すぐにはトラウトマン大佐を探そうとはせずに、現地の村人たちと、何を考えているのやら?、呑気に構えて、たわむれ始めるのだ。


現地の村の少年と、持参しているサバイバル・ナイフやお守りのネックレスの事でグダグダ話すランボー。(こんなシーン必要?)


村人たちと馬にまたがって、村のスポーツを楽しむランボー。(あんたいったい何しにここへ来たのか分かってるの? このあたりで、どんどんイライラしてくる自分)



「こんなのよりはフット・ボールの方が好きだ」


こんな台詞を悠長に吐いているランボーには、全く以前のような緊張感や危機感は感じられない。



まるで人格そのものが、すっかり変わってしまったかのようである。



そんな村人たちと遊んでいるランボーの元へ、上空から、一斉に攻撃してくるソ連のヘリが迫ってくる。



村人たちは、その攻撃の銃弾に次々倒れ、殺されていく。


「畜生!」馬にまたがって、逃げ惑うランボー。(「あんたが呑気にノホホ~ンと構えていたからでしょうが!」と、もう観ながら突っ込まずにはいられない)



そんな間も、トラウトマン大佐は、ソ連の『ザイセン大佐』に、監禁されて、縛られて、吊るされて拷問されまくっている。(それにしても、こんな老齢のトラウトマン大佐が前線に駆り出されるなんて、………アメリカ国防省には、もっとマシな人材はいないのかねぇ~?)


もちろん、この後は、ソ連の基地に潜入して、お約束の救出劇もあるのだけど………なんだかなぁ~、足手まといの少年兵までノコノコやってきて。(コイツいらねぇ~(笑))



1回目の救出は、大暴れしただけで、見事に大失敗。(でもトラウトマン大佐は、なぜか?ソ連軍に殺されてません)



2度目はランボーが単独で潜入すると、あっさりトラウトマン大佐は救出される。(ソ連軍が徹底的に、アホなのかしらん? (笑) )



ランボーとトラウトマンの二人に振り回されっぱなし。

秘密基地も簡単に破壊されてしまって、もう散々である。



まるでランボーとトラウトマン大佐は、楽しく二人して、アトラクション・ゲームでもしているように見えてくる。



ド派手なアクション、銃弾の嵐などもあるにはあるのだけど……これも意味のない無駄玉を大量に撃っているような感じである。



こんな『怒りのアフガン』でも、ランボーの絶叫はやっぱり健在。



ウォオォォォーーーーッ!!

(この映画で、こんなに叫ぶ必要あるのかねぇ~ (笑) )



当時、この映画を映画館に観に行って「ナンだ?コリャ?」と思った感想は、やっぱり数十年経っても同じでございました。




こんな自分の感想と同じように同調する人たちがいたのかどうか、………当時の興行収入は、前作『怒りの脱出』の半分にまで落ち込んだという。



そして、「待っていました!」とばかりに、またもやラジー賞である。(こればかりは、擁護しようがないかも)


2003年にリチャード・クレンナが膵臓(すいぞう)癌で亡くなり、これが最後の出演でした。(脚本が良ければ、いい花道を飾れたのにね)



でも、これはこれでいいのかなぁ~



最後に大好きなトラウトマン大佐と一緒に闘えたのだから。



ランボーとトラウトマン大佐の珍道中映画。



大負けに負けて、星☆☆☆としときますかね。


※それにしても、この時期のスタローン、いい身体してますなぁ~(男でも惚れ惚れしますね)


2020年1月19日日曜日

映画 「ランボー 怒りの脱出」

1985年 アメリカ。






『トラウトマン大佐』(リチャード・クレンナ)は、前回、逮捕されていった『ジョン・ランボー』(シルベスター・スタローン)が気がかりで、気がかりでしょうがない。


(何としても彼を救いだしてやりたい!……)


ランボーも自分と同じように、闘いの中でしか生きられない男……………。




そんな時に、軍は、ベトナムの捕虜収容所から無事に生還したランボーの経歴やデータを元に、ある作戦実行の為に選び出したのだった。


(これはチャンスだ!)


すぐさまトラウトマン大佐は、服役中のランボーを訪ねて面会に行った。



「もしお前が、この任務を引き受ければ恩赦が受けられる。お前は自由の身になれるぞ!」


即座に承諾したランボー。


父親のように信頼しているトラウトマン大佐の前では、素直で従順すぎるくらいのランボーなのである。(まるでトラウトマン大佐は、どう猛な虎をおとなしくさせる猛獣使いのようだ(笑)。)



後日、連れて来られた、タイの米軍基地で、トラウトマン大佐と合流すると、そこにはC・I・A所属で、作戦の指揮官『マードック』(チャールズ・ネイピア)が待ち構えていた。



「君にやってもらうことは、ベトナムに単独で極秘潜入して、捕虜がいないか確認し、もしも捕虜がいたなら、その証拠写真を撮ってくる事だ」


マードックの命令に怪訝顔を隠せないランボー。

「写真を撮るだけ?捕虜たちを助けないんですか?!」(『 何じゃ?その任務は? 折角、大暴れできると思ってきたのに……』なんていう、ランボーの心の声が聞こえてきそう)


「捕虜がいたなら、後日、必ず助け出す」と言う、マードックなのだが、ランボーはトラウトマン大佐に、「アイツは信用できない」と、ボソッと耳打ちした。




夜間、軍事飛行機で降下したランボーは、ジャングルの奥地へと進んでいく。



現地の女性工作員『コー・バオ』(ジュリア・ニクソン)と合流すると、やがて敵に捕まった捕虜を発見する。



「写真を撮るだけでしょ?」

「何を言ってるんだ?もちろん皆を助ける!」



案内人コー・バオと別れ、捕虜の男性を無事に助け出したランボーなのだが………ランボーの予感は当たり………。



迎えに来たヘリは引き返していく。



マードックの命令なのだ。

「任務は中止だ!ヘリはすぐに戻って来るんだ!!」


はなから、捕虜を助け出す気なんてのもサラサラなく、自分の保身ばかりを考えている、ご都合主義のマードックなのである。


トラウトマン大佐が、「目の前に捕虜を助け出したランボーたちがいるんだぞ!見捨てるつもりなのか?!」と声を荒げるが、マードックの命令に従順な部下たちは、トラウトマン大佐を拘束すると、ヘリは、遥か上空彼方へと消えていくのだった………。



怒れるランボー、お先真っ暗のランボー。



そんなランボーに、ベトナムを支援する冷徹なソ連の将校『ポドフスキー中佐』(スティーヴン・バーコフ)の魔の手が迫る………。



ランボーの1作目に素直に興奮して、感動して、ついつい続編の『怒りの脱出』に手を出さずにはいられなかった。(単純だなぁ~)



1作目を越えるほどの迫力、興奮!

この2作目が、多分、ランボー・シリーズの最高傑作じゃないかな。



雑魚の卑怯者マードックは、前回の映画、ティーズル保安官を模倣しているようなものだが、それよりも巨悪な敵、冷酷で残忍な敵が、この映画では華をそえている。



ポドフスキー中佐役のスティーヴン・バーコフだ。


この憎々しい顔を……額の中央に、ポツンと浮き出た突起物を忘れるはずもない。


『007 オクトパシー』でも、ソ連のオルコフ将軍。

『ビバリー・ヒルズ・コップ』では、金持ちのメイトランド。



極悪顔といえば、まさに、この人なんですから。(スゴイ言い方だけど褒めてるんですよ、それなりに。)



捕まえたランボーを、収容所で、サデスティックに拷問したり、いたぶるシーンでは、実に楽しそうな事よ。


「さぁ、アメリカの本部に無線連絡をして、自分がスパイとして捕まったと言え!この拷問に苦しくて、叫びたかったら叫ぶがいいぞ、ハハハ!」

縛りつけて高圧電流を流すやら、焼けたナイフを部下に命じて押し当てさせるなど、ドS力全開の拷問を繰り返す。


でも、こんな変な変態野郎に負けてたまるか!


マードックに復讐するまでは死んでたまるかー!


ウォオォォォーーーーッ!!


抑え込んでいた、ランボーの怒りが、一気に爆発する!!(一旦スイッチが入ると大絶叫するランボーは、ここでも健在 (笑) )




その後は、怒濤の如くのやりたい放題よ。


ナイフがとび、弓が唸り、機関銃が炸裂し、ランチャーが火をふく。


敵は次々倒されて、あたり一面は爆風の嵐。(観ながら、「ヒェー!」、「ホェー!」、「ゲゲッ!」の言葉しか出てこない自分)



ランボーの活躍が、ただ、ただ爽快なのだ。



普段日常でストレスを抱えているような人には、もう、うってつけの映画なんじゃないだろうか?



文句なしに星☆☆☆☆☆であ~る。



※ただ、ベトナム戦争とアメリカの描き方については、この映画、アメリカ側の反応は微妙だったみたいで、ランボーやスタローンに対する風当たりも強くなってくる。(それも特に映画関係者たちから)


興行収入は良くても、これ以降、スタローンに対する弾圧が、ジワジワと始まっていく。



自分から見れば、こんなに爽快な映画はないと思うのに、この映画で、ラジー賞(最低映画主演男優賞)なんて………どう思います?



それからも、スタローンをやり玉にあげては、何年もラジー賞を与え続ける映画関係者たち。(このあたりにハリウッド映画界の、歪んだ作為みたいなものを感じてしまう自分である)



まぁ、こんなのにヘコたれて負けるスタローンでないのですけどね。



あ、そうそう、最近では、このランボーのフィギュアも発売されているそうな。

たまたま、ネットで見たのだが、あまりのリアルさにビックリ。(武器のバリエーションも凄い)


こんな精巧なフィギュアにまでなってしまう人気の『ランボー』なんだけどね。(映画を観た後では、自分も欲しくなってしまうくらいである)

2020年1月15日水曜日

映画 「ランボー」

1982年 アメリカ。






この『ランボー』を、意味もなく大暴れするシリーズだと思いこんでる方も多いはず。(かくいう自分もそうでした)


でも、この第1作目を観ると、そんな印象は180度変わってしまうのです。





『ジョン・ランボー』(シルベスター・スタローン)は、ベトナム戦争の帰還兵。

ベトナムの戦友仲間を訊ねて、真冬の田舎町にやって来たランボー。



だが、………

「あの子は死んだよ、ベトナム土産の枯葉剤の影響で癌になってね……」親友の母親はランボーにそう告げた。


トボトボ意気消沈して、町に向かって歩きだしたランボー。


それをパトカーで通りかかった保安官『ティーズル』(ブライアン・デネヒー)が見つける。



(この風貌……なんか怪しい奴……)


髭ボーボーに、長い髪。

薄汚れた身なりのランボーは見るからに不審者。



強引にパトカーに乗せると、ティーズルは町外れまでランボーを連れていき、そして降ろした。

「町の静けさを守るのが俺の務めだ!お前みたいな怪しい奴は、さっさと、この町から出ていってくれ!」


ティーズルは、そう言い捨てて町に引き返そうとするも、サイドミラーを見れば、またもや町に戻ってこようとするランボーの姿が……。


(あいつ………)


パトカーを戻したティーズルは、ランボーが持っていたサバイバル・ナイフを見つけると、「お前を逮捕する!」と署に強制連行していった。



「俺は何もしていないじゃないか?!放せ!!」


ランボーの必死の訴えを無視して、連れて来られた警察署は、またしても半端ゴロツキのような警官たちばかりの吹き溜まり。



「へへ、コイツ臭いな。たっぷり洗ってやろうぜ!」


警官たちは留置所でランボーを丸裸にすると、冷たい放水を浴びせはじめた。(こんな警察が町の治安を守っているのもどうよ?)


放水が終わると、警察たちはランボーをいたぶり始め、そして、押さえ付けると、

「今度はお前の髭を剃ってやるよ。」とキラリと光る剃刀を持って近づいてきた。(あれま!こんな所に『CSI:マイアミ』のデヴィッド・カルーソが!)



だが、その瞬間、ランボーの脳裏にベトナム時代の拷問のトラウマがフラッシュ・バックされる。



ウォオォォォォーーーーッ!!


ランボーは叫ぶと警察たちを簡単に、蹴ちらかして、署内で暴れはじめた。


警察たちは、あまりのランボーの変貌ぶりにビックリして、防御すらとれず、なすがまま。


まるで、寝ていた虎を起こしたようなものだ。


さんざ暴れまわったランボーは、署を脱出すると、通りに走っていたバイクを奪って逃走した。


「待てー!待ちやがれー!」

ティーズルは、すぐさまパトカーで追いかける。



「チキショー!なめやがって……俺が絶対に捕まえてやる!」


パトカーを走らせながらティーズル保安官は、呟くのだが………だが、事は簡単に運ばないのだ。



なぜなら、ランボーは闘いのプロ中のプロ。


ティーズル他、警察たちは、この後、ランボーの恐ろしさを身をもって知る事になってゆく………。




この第1作目『ランボー』をちゃんと観たのは初めてかも。



と、いうのも私、1作目、2作目をとばして、当時いきなり3作目『ランボー3 / 怒りのアフガン』を劇場で観てしまったせいもある。


何の予備知識もないまま、それを観てしまい、あまりの銃の乱射や爆破に胸焼けというか、へき易してしまい、「もう、『ランボー』はいいや……」と思ってしまった記憶があってそれっきり………。



テレビで放送されようが、4作目が作られようが、何だか知らぬ顔をきめこんで、見て見ぬふりをしておりました。(スタローンは好きなんだけどね)



近年になって、この1作目『ランボー』を作った監督が、テッド・コッチェフ(『料理長殿、ご用心』など)だと知ると、また考えも変わってくる。



観てみようかなぁ~………。



で、観た感想、なかなか良く出来てるじゃありませんか。





山に潜り込んだランボーは、廃屋を見つけると、そこにあった廃材やガラクタを利用して、様々な武器を作り出す。(勉強になるなぁ~)




そうして、山の中に仕掛けられたハニー・トラップ。



追いかけて来たドジな警察たちは、それに面白いように引っ掛かるのが、愉快痛快である。



この山の中では、俺が法律だ!!


(か、カッコいい!………こりゃ、大ヒットするはずだわ)



そんな具合に、簡単に軽くあしらわれているのに、馬鹿なティーズル保安官たちは、

「200人の警察官たちを集めて、一斉に山狩りをするんだ!奴はひとりだ!」と、全く懲りない様子。



そこへ、ランボーのかつての上司『トラウトマン大佐』(リチャード・クレンナ)が現れる。



「無駄な事は、お止めなさい。君ら警察に勝ち目はない。」


「何を言ってるんだ!?こっちが大勢でかかれば、奴はもう終わりだ!」


「ならば、200人の死体袋を用意することですな」と淡々と話すトラウトマン大佐。



ランボーが、《 いかに優れた破壊工作のプロ中のプロなのか 》を、トラウトマン大佐は警察たち相手に、コンコンと説いてゆく。



恐るべしやランボー。(このあたり、ランボーの強さをトラウトマン大佐に語らせるあたり、コッチェフ監督の演出が冴え渡る。上手いなぁ~)



こんな、向かうところ敵なしのランボーなのだが、最後の最後で、またまた驚愕した。



映画のラスト、説得するために訪れたトラウトマン大佐を目にすると、途端に目の前で《 大泣き 》しはじめたのだ!!


「ベトナムから帰ってきてからも俺らは除け者扱い!仕事といえば駐車場係くらいしかない!それに毎夜、ベトナムで死んだ仲間の姿が忘れられないんだ~!」



もう言ってる事が支離滅裂。


堰(せき)を切ったように、次々流れ出す言葉の放流。

トラウトマン大佐の胸を借りて、突然、オイオイ泣き叫ぶランボーにビックリ。




いくら強くても、心は傷ついた魂を抱えているランボー。


トラウトマン大佐は、「よし、よし……」とばかりに、まるで子供をあやすようにして慰める。



そして逮捕され連行されていくランボーの姿で映画は、幕となる。




この1作目を観ているのと、観ていないのとでは、まるで大違いだ。


自分の中で、ガラリと印象が変わってしまったランボー。



この1作目は、超オススメである。

星☆☆☆☆☆。


※尚、この『ランボー』には別エンディングが存在する。


トラウトマン大佐の説得に対して、「この苦しみから逃れる為に俺を殺してくれ!」と頼みこむランボー。


銃を持たせても、ためらうトラウトマン大佐に、ランボーは、自ら引き金をひいて自殺するのである。



これが採用されていれば、その後に続く『2』も『3』なかったのだ。


80年代まで、ヨーロッパ映画の風潮で、アメリカ映画にも《悲劇万歳!》とばかりに、主人公までも無惨に死ぬ映画が、いくつも作られた。



ランボーは生き残り、これ以降、映画はヒーローの活躍を楽しむエンターテイメントの時代へと流れていくのである。