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2025年7月30日水曜日

映画 「殺人者(1946)」

 1946年  アメリカ。





「スイード、お前を狙って殺し屋たちがやってくるぞ!すぐに逃げるんだ!!」


『スイード(親しい人にだけの通称)』(バート・ランカスター)と一緒に近くのガソリンスタンドで働いている同僚のニックは、たまたま殺し屋二人組に遭遇した。二人がスイードの命を狙っている事を知ったのだ。


そうして、命からがら逃げおおせて先回りすると、スイードの住むアパートへ知らせにやって来たのである。


だが、肝心のスイードは慌てず騒がず、まるで動じる風でもない。

むしろ《殺される事に大歓迎!》って感じなのだ。呆れたニックが、トボトボ帰っていくと、入れ違いに殺し屋たちがやってきた。



そうして ズドン!💥スイード目がけて8発の弾丸が発射される。

スイードは簡単に殺された。


翌日から保険調査員『リアダン』(エドモンド・オブライエン)がスイードの過去を調べはじめる。

たいした抵抗も命乞いもせず殺されたスイードは、数年前、一度きりしか会った事もないホテルの老メイドを受取人に、2500ドルの生命保険を掛けていたのだ。



(これは何だか裏がありそうだぞ …… )


オマケに通称は『スイード』だが、この街では『ピート・ラン』を名乗り、数年前ボクサーをやっていた頃は『ケリー・ジム』のリングネーム、そうして本名は『オリー・アンダーセン』なのだという。(あ〜、ややこしや)


それにスイードの幼なじみである『ルビンスキー警部』は、情婦『キティ』(エブァ・ガードナー)の犯罪(窃盗)を庇った罪で、スイードを一度逮捕していた。

逮捕歴のあるスイードは、かなり怪しい存在。


こうしてルビンスキーの計らいで田舎に埋葬されたスイードの遺体。


「他にも案件があるんだぞ!もういい加減にしろ!」なんて上司に言われながらも、リアダンは、スイードの事件にドンドンのめり込んでいく ……




以前、私が挙げた映画『らせん階段』や『幻の女』でお馴染みの名匠、ロバート・シオドマク監督の初期作品である。


この映画『殺人者』は初視聴だが、非常に難解な作品だった。

なにしろ一回観ただけでは話をつかみきれない。


それもこれも前述に書いたとおり、『スイード』(バート・ランカスター)の名前のせいである。


いったい、いくつ名前があるんじゃい?!ってな感じで、こうして文章を書くにしてと確認につぐ確認なのだ。(コレ、今の時代だからいいけど、一回で理解できた人いるの?)




それでも、この『殺人者』はバート・ランカスターのデビュー作。

主演のエドモンド・オブライエンの存在が霞むほど、ランカスターには見せ場が数多く用意されている。(開始早々殺されてしまうのに。いくつかの回想シーンが挟まれている)


花形ボクサーだった彼は右手を負傷して引退。

その次、出会ったのが美しい『キティ』(エヴァ・ガードナー)である。



でも、このキティの中身は邪悪そのもの。


キティの罪を庇って刑務所に入るなどしてスイードの運命はどんどん悪い方へ、悪い方へと流れてしまう。



そうして3年ぶりに出所できたと思ったら、暗黒街のボス『コルファクス』(アルバート・デッカー)の発案で《帽子会社の給料強奪計画》なんてのに誘われる始末。


しかも、あの愛しいキティは、スイードを裏切って、コルファクスの愛人に治まっていたのだ。




それでも愛しいキティの為に25万ドル強奪計画に、のってしまうスイード。(馬鹿だなぁ〜)



上手く強奪が成功しても、その後にある、悪女キティの裏切りに次ぐ裏切り。

スイードは、ほとほと疲れてしまいましたとさ(だから殺される時も無抵抗だったのかも)




保険調査員リアダンは、そんなスイードの敵討ちとばかりに、真相に迫ってゆく ……





まるで《峰不二子》ばりに、次から次に男を手玉に取り続ける『キティ』(エヴァ・ガードナー)。(そんなに良い女かねぇ?)


(でも、この女の悪運もどこまで続くのかねぇ〜 …… )と思っていたら、映画のラスト、ようやっと溜飲の下がるようなシーンで幕。



そう、そう。世の中、何でも自分の思うどおりに行きません。(甘い汁の後は苦い汁が待っておりまする)



それでも、この映画はバート・ランカスターエヴァ・ガードナー、無名の二人を一気にスターダムに押し上げた記念碑的作品。



今後、この二人の出演作を追うのなら観ておいても損はないでしょ!、って事で星☆☆☆。

でも早送りなんて止めて、ゆ〜くり確認しながら観る事をオススメしときますね。




2022年6月27日月曜日

映画 「あのアーミン毛皮の貴婦人」

 1948年  アメリカ。





その昔、ビリー・ワイルダー監督の映画に夢中になって、数々の作品を追いかけていくうちに、なにかにつけて、この名前を目にしたり、耳にしたりするようになってきた。


エルンスト・ルビッチ》……


エルンスト・ルビッチ監督》


まぁ〜、ワルそうな顔(笑)。(一見、『チキチキマシン猛レース』のケンケンにも見えてしまうルビッチ)


1918年にサイレント映画で監督デビューしてから、1947年に亡くなるまで、幾多のミュージカル映画やコメディー映画を撮ってヒットさせては、その道の《巨匠》とまで言われた、伝説のお方である。


この人の影響力はとにかく大きくて、後進で活躍した名だたる有名監督たちが、それを賛美し支持したのだという。(日本では、あの小津安二郎監督にも影響を与えたとか)


そんな、エルンスト・ルビッチ監督の家に住み込みで見習い弟子になっていたのが、まだまだ、当時無名だった『ビリー・ワイルダー監督』なのである。



こんな評判を知ってしまうと、ルビッチ映画を「俄然、観てみたい!」と思うのは当然の欲求で、私、晩年の監督作である『天国は待ってくれる(1943)』を、とうとうある日観たのだけど ……… コレがおっそろしく (ゴメンなさい)

ダメダメでした!


映画『天国は待ってくれる』》


主演が『ローラ殺人事件』や『幽霊と未亡人』で、私が御贔屓にしている有名女優、ジーン・ティアニーだし、珍しくカラー映画なので、コレを選んだのだけど、もう一人の主演男優であるドン・アメチーの役柄に最初から最後まで感情移入どころか、虫酸が走りっぱなし。(この話に共感する人がいるのか?)



(コレが《巨匠》とまで言われた人の作品 …… ?)

これまでの世間の評価を全て疑ったくらいだった。



でも、私のこんな勝手な感想でも、ルビッチの評価はあいも変わらず。


「おっかしいなぁ~」と思っていると、ルビッチ監督を、あのヒッチコック監督と同列にして書いている記事に、たまたま出くわしたのだった。


なるほど!それで合点がいった!


ヒッチコック映画も傑作もあれば、駄作、凡作も数多い。


ルビッチ映画も、

「出来が良いモノもあれば、悪いモノもあるはずだ!」

と、良心的にそう解釈したのだった。



で、今回取り上げるルビッチ監督の遺作が、『あのアーミン毛皮の貴婦人』なのだけど、コレもまたまた、曰(いわ)く付きの映画。



クレジットには、《監督 …… エルンスト・ルビッチ》の名前はあっても、ほぼ  監督していないのだった。


なぜなら、制作段階で エルンスト・ルビッチはとっくに《亡くなってしまった》からなのである。(あらら…)



どの写真でも、大きな葉巻きをプカプカ吸ってるルビッチ。(身体に悪そう)


それもあってか、ある夜、シャワーを浴びている時、あっけなく心臓発作で亡くなってしまう。(享年55歳没である)



もう、ほとんど準備万端で、後は撮影に入るだけだった映画『あのアーミン毛皮の貴婦人』。



さぁ、誰がそれを引き継ぐのか?


本来なら、一番弟子のビリー・ワイルダーが受け継いで完成させてもよさそうだが、1945年に『失われた週末』が話題になったとはいえ、まだまだ新人。



白羽の矢が立ったのは、既に『ローラ殺人事件(1944)』や『堕ちた天使(1945)』などを成功させていたオットー・プレミンジャー監督なのでありました。(後年、『悲しみよこんにちは』や『バニーレイクは行方不明』でも超有名)


オットー・プレミンジャー監督》


映画のクレジットには、プレミンジャーが遠慮したのか、その名前すら伺えないが、私はコレを《ルビッチの遺作》とは認めず。

オットー・プレミンジャー監督の作品だと認識している。


で、プレミンジャーが監督したとすれば、面白くならないはずがないじゃ〜ございませんか?


相変わらずの安定した出来栄えで、とっても面白かったです。(なんせ職人気質の監督さんですから)




舞台は、1861年、ヨーロッパは南東にある小さな国《ベルガモ公国》。


広い城内には、代々の君主たちの巨大な肖像画が幾つも壁を飾り、子孫たちを見守っている。


その中で、ひときわ目を惹かれるのが、300年前に国を統治していた《アーミン毛皮の貴婦人》、女伯爵『フランチェスカ』(ベティ・グレイブル)の肖像画だ。


白く大きな毛皮を纒ったフランチェスカの肖像画は、現在の女伯爵で、自分の姿に瓜二つな遠い子孫である『アンジェリーナ』(ベティ・グレイブル二役)に優しく微笑みかける。


(これからも《ベルガモ公国》に繁栄を …… )と ……


そんなフランチェスカの願いがアンジェリーナにも届いたのか …… 入り婿である『マリオ』(シーザー・ロメロ)を迎え入れると、屋敷では盛大な結婚式が執り行われた。


結婚式も無事に済んで、やっと二人きりのアンジェリーナとマリオ。

さて、いざ!初夜に挑もうという時、事件は起こる。


「大変です!ハンガリー軍が攻め入って来ました!」

執事『ルイージ』が血相を変えて、二人に報告しにやってきたのだ。



あたふた、オロオロする入り婿マリオは「ど、どうしよう…… 」と言いながら、アンジェリーナを置いてけぼりにして、とっとと一人だけ逃げ出していった。(あ〜情けなや)


それでもアンジェリーナ、毅然とした様子を崩さず。


(夫は、きっと兵を従えて戻ってくるはずだわ …… )と、どっからそんな自信が湧いてくるのか、慌てる様子もない。


そこへ、大勢の兵を従えたハンガリー軍がとうとう到着して、屋敷へとズカズカ乗り込んできた。



「この城は我々が制圧する!」

憮然とした表情で、ギロリと睨みをきかせているのは、軍の指揮官である『テグラッシュ大佐』(ダグラス・フェアバンクス・Jr.)である。


そんな大佐だが、壁に飾られているフランチェスカの肖像画を見た途端、一瞬で目がトロ〜ン。

心なしか、肖像画のフランチェスカはテグラッシュ大佐にウインクしているようである。


(あ〜、どうしたというんだ?オレは …… いかん!いかん!しっかりしなければ!!)


「ここの城主の元へ案内しろ!」

執事のルイージに伴われて、アンジェリーナの部屋へやってきた大佐。

そのアンジェリーナの姿を見て、大佐は、またもやビックリ。


(こ、これは!まるで絵から抜け出たように瓜二つじゃないか!!)


完全にアンジェリーナに一目惚れしてしまったテグラッシュ大佐。


もはや、アンジェリーナに対して、つとめて慇懃無礼に振る舞おうとしても、言葉の端々には好意的なモノがチラホラ見え隠れして、どうしようもない有り様である。


一方、アンジェリーナの方も結婚したばかりなのに、紳士的な大佐に心はユラユラ揺らいでいく。(乙女心は複雑なの)


その夜、皆が寝静まった頃、暗闇に包まれた屋敷では奇妙な話し声が ……


沢山の壁にかけられた肖像画の人物たちが、絵から抜け出てきて皆で会議をはじめたのだ!


もちろん、アーミン毛皮の貴婦人であるフランチェスカの姿も。


「あのハンガリー人の大佐をどうしてくれようか …… 」


歌い、騒ぎながら、ベルガモ公国の先祖たちの会議は深夜まで続いていく ………




こんな冒頭で始まる『あのアーミン毛皮の貴婦人』は、お察しどおり終始かる〜いノリ。

肩の力を抜いてご覧になれます。



『フランチェスカ / アンジェリーナ』役のベティ・グレイブルがチャーミングで良いねえ~♥


大佐の夢の中に現れて、とっちめてやろうとする『フランチェスカ』だけど、『テグラッシュ大佐』(ダグラス・フェアバンクス・Jr.)の魅力に負けて、逆にミイラ取りがミイラになってしまう。


しまいには、こんな風に大佐を自ら抱き寄せて「ブチュ〜♥」って激しく迫ってみたり。(アララ …… 珍しい女性優位のラブ・シーン)



大佐をお姫様抱っこしたまま、空中までフワフワ飛んだりしてしまうフランチェスカ。(スゲ~)


まぁ、あくまでも夢の中なんで、何でもありって事で(笑)。



一方、現実世界では、逃げ去ったはずの夫マリオが、ひょっこりと帰ってくる。


それも、仲間とはぐれた《ロマ(ジプシー)》の変装までしてきて。


本来なら、夫の帰還を喜ぶはずなのに、どこか一気に熱が冷めてしまうアンジェリーナ。(だろうな、こんなヘラヘラした男、ムリだっつーの!)


「それに比べてテグラッシュ大佐の男らしい事よ ……」(もう、この辺りで恋のシーソーは、テグラッシュ大佐の方にググ〜ンと傾きかけている)


はてさて、アンジェリーナとテグラッシュ大佐の恋の行方は ……




なんか、久しぶりに日常のゴタゴタを一時でも忘れさせてくれて、楽しんだ一本でした。


もちろん恋の終幕は、皆が納得のハッピー・エンド。


結局、私の解釈は、テグラッシュ大佐に惚れてしまったフランチェスカの気持ちが、DNAとして深く刷り込まれてしまい、長い時をかけながら(ほぼ一瞬だけど)、アンジェリーナに受け継がれてしまった?のかな?(『時をかける少女』みたいな話だ)


芸達者なベティ・グレイブルとダグラス・フェアバンクス・Jr.。

それにオットー・プレミンジャー監督の職人技に感動して、星☆☆☆☆でございまする。



※そうそう、それと、エルンスト・ルビッチ監督については、今回もその真価をはかる事が出来ず。


いつかルビッチの映画で「面白い〜!」と言える日が来るのだろうか。


まぁ、それも慌てず騒がず …… 気長に観ていくとしましょうかね。


久しぶりの投稿で長くなりました。

オヤスミなさいませ~

2022年5月1日日曜日

映画 「わが谷は緑なりき」

 1941年  アメリカ。





オッ!誰だ?この可愛らしい少年は?!


知る人ぞ知る ……

『猿の惑星』や『ポセイドン・アドベンチャー』、『処刑教室』、『地中海殺人事件』などなど …… 名脇役として晩年まで活躍した、あの、ロディ・マクドウォールの子役時代のお姿なのであ〜る。

ロディ・マクドウォール


とにかく浮き沈みの多い映画界。


子役スターで大ブレイクしても、その後は鳴かず飛ばずになるのが、ほとんど。


そうして、その後の人生、悲惨な末路を辿るのが、ほぼお決まりのコースである。(それぞれ思い描く人物がいるだろう)



この人くらいじゃないのかな?


子役でデビューしても、その後も上手く青年期を乗りきって、重鎮な脇役として、生涯無事に活躍された俳優って。(ハリウッドでは稀な成功例なのかも)



こんな、マコーレー・カルキンにも似たような(んん?(笑))可愛らしさを持つロディ・マクドウォール少年は、映画界にデビューすると、早速、あの巨匠からお声がかかる。


西部劇でならしたジョン・フォード監督である。


この『わが谷は緑なりき』は、フォード監督にしては、珍しく西部劇ではない。


19世紀末のイギリスはウェールズ地方、山あいにある、小さな炭坑町で働く人々の生活を描いている。


そして、ロディ演じるヒュー・モーガン少年の目を通して全編が描かれているのだ。(幼い頃の自分の思い出を回想しながら、語り部として。実質上、影の主役なのである)



丘の上にある炭坑工場には、毎朝、大勢の男たちが、日々の糧となる賃金を稼ぐ為、出勤していく。


男たちは煤(すす)だらけで、全身真っ黒になりながらも黙々と働いている。


そんな男たちが家路に着くと、女たちは薄汚れた身体を洗ってあげながら、美味しい手料理で精一杯もてなすのが、毎日の日課なのである。



もちろん、モーガン家でもソレにならって生活している。


一家の家長『ギルム・モーガン』(ドナルド・クリスプ)。

成人した立派な体躯をした五人の息子たちも、皆、同じ工場で働いている。



そんな夫と息子を支える妻の『ベス』。

一人娘の『アンハード』(モーリン・オハラ)は、母親の手助けしながらクルクルと働く。



そんな一家に、もう一人。

歳の離れた末っ子の『ヒュー』(ロディ・マクドウォール)がいて、皆に溺愛されながら育っていた。


父も母も、五人の兄たちや姉のアンハードも、幼いヒューには特別に優しい。(末っ子って得だ)




大家族モーガン家の暮らしぶりは、日々、こんな具合である。



そんな折、長男であるイヴォールの結婚式が町の教会で盛大に挙げられた。



結婚式を執り行うのは、着任したばかりの若い牧師『グリュフィード』(ウォルター・ビジョン)である。




そんなグリュフィード牧師に(一目惚れして)熱い視線をおくるアンハード。(あらあら)



その夜、町の人々が大勢集まり、モーガン家では賑やかな宴が行われる。



こんな幸せな日々が延々続くと信じて、全く疑わなかった人々 ………

だが、次の日から町は不穏な空気に包まれはじめるのだ。




工場のいきなりの賃金値下げ ……(ゲゲッ)



もちろん、コレに納得出来るはずもなく、男たちは、全員で大ブーイング!(ブー!ブー!)


「組合を作って、断固闘おうじゃないか!エイエイオー!!」



全員一致の意見の中、モーガン家の家長であるギルムだけが、なぜか一人だけ反対する。


町の人々は、そんなギルムを疎んじはじめ、息子たちにもソッポを向かれてしまう始末。



だが、妻のベスや娘のアンハード、幼いヒューの気持ちは変わらない。


いつだってギルムは、尊敬する立派な父親像なのである ……





小さな炭坑町の衰退、時代とともに変わりゆく人々の生活を、映画は淡々と描いている。



やってる内容は、けっこうシビアでハードなのだけど、なぜか?この映画に限ってはドヨ〜ンと暗くならずに、カラッ!としていて、逆に晴れやかな気分になるのだから不思議だ。




暗い内容の話を、そのまま暗く描く事は、誰でも思いつくような凡庸な事。



ソレを、反対に《明るく》、《晴れやか》に観せているところに、巨匠ジョン・フォード監督の非凡な才能がキラリと光っている。(この辺りが、現代の監督との埋められない《才能の差》なのかもしれない)



まるで、ソレを、そのまま暗く描く事は《芸無しの仕事》とでも言ってるようである。(コホン!心してよく聞いておくように(笑))




オマケに、この映画も止め絵にして、そのまま額縁に入れて飾りたいほどの、美しい構図のショットがバンバン!映像として映し出される。



本当に綺麗。ほとんど絵画である》




これぞ、天才職人のなせる技。


満場一致でアカデミー作品賞受賞も納得の出来栄えなのである。(この頃のアカデミー賞は権威があったなぁ~。今じゃ選ぶ人間たちが節穴だらけで、ダメダメだけど)





そうして、もちろん、幼いヒュー少年にも、ちゃんとしたドラマが用意されている。




真冬の川に足を滑らせた母親を助けるため、あわや凍傷で下半身麻痺。(寒そう〜!何とか回復してホッ!)



学校ではイジメっ子に《炭坑町から来た田舎モン》呼ばわりされて、ズタボロで帰宅する。



見かねた兄たちがボクシングを伝授して、イジメっ子には勝てるようになるも、今度は意地悪な鬼教師に失神するほど鞭打たれたりもする。(もう、この子も次から次に災難続き。踏んだり蹴ったりだ)




でも、「大の大人が子供を、ここまでいたぶるなんて、とても許せん!!」と、クズな鬼教師には、自ら出向いて行き、正義の鉄拳をお見舞いする炭坑町の仲間たち。(この部分、最高にスカッ!とするぜ)




一方では、美しい姉の『アンハード』(モーリン・オハラ)と牧師の叶わぬ恋を描きながらも、変わりゆく炭坑町の日々は、ゆっくりと過ぎてゆく ……





この映画を観たのは数十年ぶりだったが、やっぱり色褪せない傑作で面白かった。



未見の方には是非オススメしとく。


偉大な監督ジョン・フォードを語る上で見過ごせない、至極の一本である。


星は、当然!☆☆☆☆☆。(映画『船乗りシンドバッドの冒険』の頃よりも若い、モーリン・オハラも特別綺麗だよ~)


2021年12月14日火曜日

映画 「暗い鏡」

 1946年  アメリカ。




「今朝、掃除に行ったら先生が床に倒れていたの」


高名な医師ベラルタは、背中を短剣で刺されて、自宅の部屋で絶命していたのだ。


清掃員やアパートの住人たち、秘書の証言では、どうも《コリンズ》という若い女性が怪しそうである。


捜査にあたった『スティーヴンソン警部』(トーマス・ミッチェル)は、早速、その問題の女性『テリー・コリンズ』(オリヴィア・デ・ハヴィランド)が働いている医療ビルの売店へと向かいながらも、


(この事件は簡単だ。犯人はきっと彼女のはず。これで事件は万事解決だ!)と、一人ほくそ笑む。


だが、そう上手くいくのかな?



ベラルタ医師が殺された頃、テリーには現場から7キロも離れた場所での完全なアリバイがあったのだ。


(どうなってるんだ?!目撃者の証言も全て彼女に一致するのに……)


ベラルタの事件を警部から聞くと、失神して倒れる彼女。


それを見て、その場にいた人たちがテリーの介抱の為に次々と駆けつけてくる。(なんせ医療ビルだし医者もいる。それに彼女は美人なのだ。)


(ヤレヤレ……どうも演技くさいが。ここはひとまず出直すか……)


警官にテリー・コリンズのアパートを見張らせておいて、その夜、スティーヴンソン警部は再度訪問してみると……



ゲゲッ!


同じ顔の女が二人?!


そう、テリーには一卵性双生児の『ルース』(オリヴィア・デ・ハヴィランド二役)がいて、二人は一緒に暮らしながらも、チョイチョイ入れ代わって、誰にも気づかれないように職場でも働いていたのだ!


「どっちがベラルタを殺したんだ?!」


「さぁ、どちらかしらね」ひとりが警部を、鼻で笑いながら微笑む。


「と、とにかく、どっちかが犯人なんだ!二人とも逮捕する!



だが、逮捕してみて、目撃者に面通しをしてもまるで判別出来ない様子。


「無理です!コレじゃ、どちらがどちらだか分かりません!」

折角しょっ引いてきてもお手上げ状態。


「警部、これでは裁判にすらかけられない。二人を開放するしかないのだ」


「そんな?!どちらか一方が、絶対に犯人のはずなんだ!」


苦渋の決断で、警察はテリーとルースの姉妹を、あっさり釈放するのだった。


だが、どうしても諦めきれないスティーヴンソン警部。


警部は、テリーが働いていた医療ビルで心理療法を営む若い医者『スコット・エリオット博士』(リュー・エアーズ)に助けを求めた。



「頼む!あんたなら二人を見分けられるかもしれない。どちらが犯人なのか突き止めてくれ!」


気が進まないスコットなのだが、警部の熱心さに、とうとう折れて、様々な心理テストを試みてみようと約束する。


そうして、しばらくすると、姉妹の性格も徐々に区別がつくようになってきた。


ハキハキ物事を言う《テリー》に、少し気弱な《ルース》。



だが、どちらかが残酷な殺人犯であり、《真犯人》なのだ!




やっと念願の『暗い鏡』を観れました。

この日をどれだけ待ったことか………


監督は、私が目下、ご贔屓にしているロバート・シオドマクなので、これも傑作だろうと思っていたら、案の定、傑作でございました。(『らせん階段』、『幻の女』、『真紅の盗賊』もご覧あれ。どれもこれも見応えあり)



《テリー》が犯人なのか?、《ルース》が犯人なのか?……この映画は、この一点だけに絞り込んだ本格ミステリーになっている。(なのでネタバレは控えておきます。これから観る人の為にもね)



それにしても、………


どう撮影してるんだろ?コレ?!



1946年ゆえ、まだそんなに合成技術も発達していないはずなのに、まるで違和感がない!


もちろん、実際のオリヴィア・デ・ハヴィランドは双子じゃないのはご承知。(妹で同じような女優さんのジョーン・フォンティンはいるけど)



冒頭に貼り付けてある画像なんて、皆さんどう思います?


オリヴィアをオリヴィアが抱いてる絵面なんて、ハッキリ言って「もう、訳が分かんない!」の一言です。(似た人がいた?まさかね~)


コレが撮影なら、当時としてはトンデモない高度な技術である。(さすがロバート・シオドマク監督!恐るべしである)



そして、シオドマク監督も凄いが、その撮影方法に合わせて演技しているオリヴィア・デ・ハヴィランドも、これまた凄い!



姿は同じでも、その中身は全く違うテリーとルースを完璧に演じ分けている。


それを観ている人に違和感なく見せてるのだから、本当に大した女優さんである。



 


話は変わるが、つい最近(2020年7月)、オリヴィア・デ・ハヴィランドが亡くなった。


104歳の大往生だった。(スゲ~!)


このニュースは世界各地に飛び交い、日本でも、その訃報を伝えたのだが……私は少々気になったこともあった。


どのニュースでも、

「『風と共に去りぬ』のメラニー役で有名なオリヴィア・デ・ハヴィランドさんがお亡くなりになりました……」

こんな具合なのである。



もちろん、『風と共に去りぬ』は有名だけど、『メラニー』は主役じゃない。


死んでも尚、貞淑な妻、心優しいメラニー役ばかりをクローズアップされてるのを、本人が知れば、あの世で(プンプン!)憤慨してそうな気がしてくる。


妹のジョーン・フォンティンに、先にアカデミー賞をとられて、嫉妬の炎をメラメラと燃やしながらも、生涯「女優としてやりがいの役を!」と、求め続けたオリヴィア。


そんな、本来は勝ち気でいて、負けん気の強いオリヴィアは、実際はメラニーとは真逆の性格だったと思うのだ。


「私にはアカデミー賞を受賞した『女相続人』や『遥かなる我が子』だってある!『蛇の穴』だって有名だ!私の他の作品を観なさいよ!」


こんな声があの世から聴こえてきそうである。(ゴメンなさい!私観てませんでした!これから、ゆっくり追いかけますので (-_-;) ハイ!)



『暗い鏡』は、そんなオリヴィアが残した、演技派としての良質な一本。


診察する若いスコット医師をはさんで、仲の良かった姉妹にも、微妙な恋愛感情や亀裂がうまれてくる様子は、中々の迫力で見応えあり!


オススメしとく。

星☆☆☆☆。



※《追記》映画のオリヴィアを観ながら気づいたこともあった。


このオリヴィアの髪形、なにかを連想しません?


トップをリーゼントのようにボリュームをもたせて、両サイドはクルンとはね上げて巻いたような髪。



あの、漫画の《サザエさん》にそっくりなのだ!(笑)



漫画のサザエさんの連載が始まったのが昭和21年(1946年)。

この映画だって1946年だ。


案外、作者の長谷川町子は、こんな当時のオリヴィアたちがやっていた髪形に影響を受けてたのかもしれない。


でも、これが当時としては最先端のオシャレな髪形だったのかねぇ~?


いや、いや!

やっぱりヘンテコリンな髪形である (笑) 

2021年11月3日水曜日

映画 「夢の中の恐怖」

 1945年  イギリス。





建築家の『ウォルター・クレイグ』(マーヴィン・ジョンズ)は、ある屋敷の改装工事を頼まれた。


そして打ち合わせを兼ねて、初めて訪れた屋敷は、どこか見覚えのある場所。


さらに、出迎えてくれたフォークナー家の子息に案内されて屋敷の中に入って行くと、大広間に集まっている客たちにも全て見覚えがあるのだ。


「思い出した!私は夢の中で、この屋敷や貴方たち全員に会っているのです!」


「そんな馬鹿な!」


何人かは口々にそんな言葉を吐いたが、一人が「そういえば……私もクレイグさんのような不思議な体験をした事ありますよ」と言い出した。


「私もあるわ」と更に次の声も。


客の精神科医は、そんな話をまるで一介にしないのだが、他の者たちは、クレイグの夢の話に刺激されてか、それぞれ自分の身に起きた《不思議体験》を語りだすのだった………





こんな感じで始まる『夢の中の恐怖』である。


客たちの話が全部で5本……そう、コレも5話を繋げたオムニバス・ホラー映画となっております。


オムニバス自体、苦手なジャンルなので、当然つまづきながら観るだろうな、と思っていたら、1話1話が数分で終わる小話なので、思いの外サクサクっと観終われました。(ホッ)


第1話『死の運転手』。

負傷したレーサーの命拾いした不気味な体験談。(ラストは当時としては、けっこう大掛かり)


第2話『クリスマス・パーティー』。

ある広い屋敷のパーティーで、大勢集まった子供たちが隠れんぼして遊んでいると……隠れた部屋には見知らぬ男の子の姿が……。


第3話『お化け鏡』。

骨董品店で見つけた中古だが立派な鏡。女性は愛する恋人にプレゼントするのだが、……その鏡には見知らぬ情景が映し出される。

やがて、恋人の様子もドンドン変わっていき……いわく付きの鏡には御用心ってお話。



そうして、ジャジャアァ〜ン!




第4話『ゴルフ狂物語』。


あの『バルカン超特急』や『ミュンヘンへの夜行列車』で活躍した凸凹コンビ、ノーントン・ウェインベイジル・ラドフォードが、満を持して登場する。(このコンビ、私、大好きである。それにしても↑写真右のベイジルは、オッサンのくせに、なんか乙女チックで、この画像だけでも笑えてくる)


『ジョージ・パラット』(ベイジル)と『ラリー・ポッター』(ノーントン)は、二人とも美女の『メアリー・リー』にメロメロ。


メアリーの方も、どちらにも好意を持っていて一人に決められない様子だ。


「こうなりゃ、《ゴルフ》で決着をつけようじゃないか!勝った方がメアリーと結婚する!恨みっこなしだ!」


お互い同意して、結婚を賭けたゴルフ対決が始まるのだが………さて、軍配はどちらに挙がったのか?


勝ったのは『ジョージ』(ベイジル)の方。(ズルをして)


それを知らない『ラリー』(ノーントン)の方は(ガ~ン)大ショック!

ゴルフ場の沼に、そのまま入水自殺する。(ちょっと可哀想過ぎる)



さぁ、これで邪魔者はいなくなった。


晴れてジョージはメアリーと付き合いはじめ、ウキウキ気分だが………そこへ、なんと!幽霊の姿でラリーが、ひょっこり現れたのだ。(ゲゲッ!)


「何だ?お前は死んだはずだろう!今頃何の用なんだ?!」


「うるさい!天国に行って分かったんだ!お前ズルして勝っただろう?メアリーの事は諦めろ!じゃないと、こうやってお前の周りで一生まとわりついてやる!!」


「冗談じゃない!さっさと消えてくれ!!」


幽霊と人間の押し問答は延々続き、とうとうジョージも根負けしてきた。


「分かったよ、メアリーの事は諦める。だから、さっさと目の前から消えてくれ」


「最初から、そう素直ならいいんだ。じゃあな!」

ラリーは、後ろを向くと腕で十字をきったり、なんやかんや、妙なジェスチャーをしはじめた。


そして、「おっかしいなぁ~、こうだったっけか?」とブツブツ独り言を言っている。


「お前何をブツクサ言ってるんだ?」


「ヤバい!天国で教えてもらった《消え方》のジェスチャーを忘れてもうたぁーー!」


ぬあぁ〜にぃ〜?!


かくしてメアリーにこんな状況を説明できないジョージであるからして、結婚話はあれよあれよという間に、トントン拍子で進んでいく。


そうして、ジョージの横には、ジョージにしか見えない幽霊のラリーが、消える事もできず、常にチョロチョロしているのだった………。



ある意味、この4話が一番の異色作かも。


ノーントン・ウェインベイジル・ラドフォードの力もあるだろうが、笑える幽霊話なんてのを、ぶっこんでくるのも、また珍しい。(他の話が全部「怖がらせよう!怖がらせよう!」とするモノばかりなんですもん。俄然目立ってしまう)


贔屓かもしれないが、5話の内で私は一番コレが好きである。



そして、この映画『夢の中の恐怖』で、1番評価が高いのが、次の5話目。



第5話『腹話術の腹話術』。


『フレル』(マイケル・レッドグレーヴ)は、大人気の腹話術師。

人形『ヒューゴ』を操って、その人形のあまりにも巧みな話術は、連夜、観客たちを賑わせていた。


そんな同業者である『キー』が、たまたま舞台を観ていると、人形の『ヒューゴ』に気に入られて楽屋を訪ねる事に。


だが、操っていた『フレル』の方はというと、完全に無愛想な態度。


どっちも同じフレルの意志のはずなのに、訳のわからないキーは、とっとと追い出されてしまう。


フレルは二重人格なのか?


だが、操る人形の部分がしまいには肥大化していくと、最後には………



マイケル・レッドグレーヴの名演技で、とっても不気味な印象を残す一編である。


同じような腹話術師の映画『マジック』(1978年 / 主演アンソニー・ホプキンス)の方を先に観ていたせいか、何となく結末も予想していたら、やっぱりその通りでした。(こっちの方が年代的には先なので、『マジック』の方が、だいぶ影響をうけてるはずである)



こんな風に、客たちが奇妙な話を全て語り終えると、舞台はフォークナー家の広間に戻る。


だが、突然に広間は暗闇に包まれて、とんでもない結末へと流れこんでいく。


まるでメビウスの迷宮にのまれていくような……(けっこうインパクトのある結末なので、ここはボカしておこうと思う)



それにしても、それぞれ監督が違うのに、よくまとめてあるよ。


脚本がしっかりしているのか……まるで最後までブレる事もないんだから。(『ワンダとダイヤと優しい奴ら』で有名なチャールズ・クライトン監督も参加しておりますよ)



見た目で驚かすアメリカ映画とは、やっぱりひと味違う。


ホラー映画にしても、イギリス映画は、緻密な脚本、緻密な構成、緻密な計算で成り立っているのだ。(完璧で、少しのスキもない)


日本人も充分に几帳面なんだけど、ともすれば目移りして流されやすいのが日本人。


イギリス映画を観る時は、やはり襟を正せねば!ウン!


星☆☆☆☆。