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2023年11月23日木曜日

映画 「ねじ式」

 1998年  日本。





売れない漫画家ツベ(浅野忠信)は、海で《メメクラゲ》に左腕を噛まれてしまった。

右手で出血を押さえながら、医者を探して、知らない街中を彷徨い続ける ……


歩けど歩けど、まともな医者は見つからない。


そうして、代わりに出会うのは、チンプンカンプンな返答をする変人たちばかり。


現実なのか、夢なのか。

ツベはドンドン不条理な世界へと迷い込んでいく ……




その大昔、《貸し本》時代があった。

なんせ子供の小遣いが10円、20円くらいの頃、漫画なんてのは庶民には買えないほど、とても高価なモノだったのだ。


子供たちは少ない小遣いを手に持って、「お菓子を買おうか」、それとも「貸本屋に行って漫画を借りて読もうか」…… 大いに悩んだりする。


借りた漫画を友だち同士で、まわし読みしたりもする。


万事がそんな風なので、書店で漫画を買えるのは一部の金持ちの子だけ。


漫画が売れなければ、当の漫画家に入ってくる原稿料なんてのは微々たるモノ。

《漫画家》なんてのは儲からない職業の一つだったのだ。


私の子供時代、日本はちょうど高度成長期に入っていった。


貸し本漫画家出身だった松本零士水木しげるたちも徐々に作品が売れだし、景気が良くなると個人でも簡単に漫画本が手に入るという、俗に言うバブル時代がやってくる。


《漫画家》という職業が蔑(さげす)まされたのは遠い昔。

今や《漫画家》は(とても儲かる)憧れの職業となっていくのだった。


……… ただ、そんな中で、

この映画の原作者・つげ義春の漫画だけは、さっぱり売れない!


いつまで経っても貧乏暮らし。


それでもコツコツと描き続けていた、つげ義春の短編漫画も単行本としてまとめられると、やっと陽の目を見て、一般人の我々にも、いくつか目にする機会がやってきたのだった。


ある日、学生の私は小学館漫画文庫として出ていた『ねじ式』と『紅い花』を買って読んでみた。(なんせ文庫なんで、他の漫画本より格段に安かった)


初めて読んだ感想 ……

確かに画力は飛び抜けて上手い。(多分、アシスタントを雇う金銭的余裕すらなかったと思う。緻密に描かれた背景なども全て本人の自作)


でも内容の方は、一言で言うと、アングラ的。(特に『ねじ式』や『やなぎ屋主人』、『ゲンセンカン主人』など …… )


とにかく、

ドンヨリした空や海、寂れた温泉旅館や長屋を舞台にしては、毎回、退廃的な主人公(作者?)が、自分でも着地点すら分からないまま、ただ、彷徨い続けるようなお話ばかりである。



(なんだか、自分が時折みるような《悪夢》にも似ている …… )


人が持つ《不安感》を漫画にしたモノ。

つげ義春の漫画に、そんな感想を抱いた自分だった。


この時代、うまく《高度経済成長》行きのバスに乗れなくて、取り残された人々もいただろう。


そんな人々は、つげ義春の漫画に共感して、一部のマニアからは《マイナー漫画界のカリスマ》という称号を与えられる。(本人は全然嬉しくないだろうけど(笑))



(でも、決してメジャーには行けないだろうな …… )

このまま、自分のような変わり者が知っているだけのマイナー漫画家で終わるのかも …… 


だが、そうはならなかった!


1991年に俳優の竹中直人が監督・主演した『無能の人』が公開されると、その原作者である、つげ義春の名前もスポットを浴びて、たちまち世間一般に知れ渡る。


売れない漫画家が、河川敷で拾ってきた石を売るという、やっぱり地味〜話である。


映画は、そのシュールな内容から多少話題になり、ヴェネチア国際映画祭やらブルーリボン賞などで、なんらかの受賞をしていた記憶がある。(でも興行成績は良かったのか?)


つげ義春の原作や他の作品も装丁を変えて、続々と書店に並びはじめた。(出版社も「ここぞ!」とばかりの商売根性だ)


バブルがはじけて、人々が迫りくる不景気の大波に不安を感じていた頃、つげ義春の漫画は、この時代に案外マッチしていたのだろう。

たちまちメジャー漫画家の仲間入りである。



そうして、1998年には、代表作『ねじ式』が浅野忠信主演で映画化された。


もちろん、この映画の原作となる『ねじ式』も10数ページほどの短編なので映画の尺には当然足りない。

つげ義春の他の短編漫画をつなぎ合わせては、だいぶ肉付けされている。


それにしても売れない漫画家ツベ(浅野忠信)と、自堕落な夫を支える妻・くに子(藤谷美紀)の絵面は、パッと見、美男美女のカップル。



とても不条理な世界に入っていく住人には思えないのだけどね。


ただ、この映画、わずか85分くらいの長さでも、原作を読んでない人には、相当辛い時間。

「なんのこっちゃ分かりません!」、「つまらない!」で、途中で投げ出す人も大勢いるはずだ。


やはり、つげ義春の原作自体がマニアックなのだ。最初から万人受けするわけがない。

私の評価は星☆☆☆なんだけど、あまり一般的にはオススメはできないかも。



それでも、今回、この映画を取り上げたのは、ここ最近、自分に突然ふりかかってきたショックな出来事で、かなり精神的ダメージを受けた為。


この映画の主人公・ツベのように、現実の辛さから逃げ出し、いっそ不条理の世界に身を投じられれば、「どんなに楽だろう …… 」という気持ちと、「今はツラくても一日一日を、なんとか踏ん張らなければ!」という気持ち。


この二つが、毎日、不安定なシーソーのように交互に、どちらか一方に傾いたり揺らいだりしているのだ。


この映画は、今の自分にとって、一種の《戒(いまし)め》なのである。


それにしても、その後、漫画雑誌は次々と廃刊になり、漫画や小説も全く売れなくなった。


レンタルコミック?(大昔の貸し本と同じじゃないか)

BOOK OFF?(古本屋よりも酷い安値の叩き売り)

電子書籍?(漫画家たちにとっては、もはや微々たる印税しか入ってこないでしょうよ)


イヤな時代になったものだ。

2021年11月11日木曜日

映画 「マスク・オブ・ゾロ」

 1995年  アメリカ。




『ディエゴ・デ・ラ・ベガ』(アンソニー・ホプキンス)は、美しい妻『エスペランサ』と産まれたばかりの娘『エレナ』の3人で幸せな暮らしを営んでいたが、彼にはもう一つの顔があった。


スペインによる植民地支配で苦しむメキシコの市民たち。


それを陰ながら救いたい!


黒いマスクとマントに身を包んで悪漢たちを成敗する。そう!彼こそは正義の味方ゾロなのである。



「おのれぇ~!ゾロめ〜!!」

そんなゾロの活躍に苦虫を噛み潰しているのが、カリフォルニア総督で、悪の大ボス『ドン・ラファエル・モンテロ』(スチュアート・ウィルソン)。


農民を囮にしてゾロにひと泡吹かせよう策を練るも、ゾロを助けた幼いホアキン&アレハンドロ兄弟の邪魔だてで、今回も大失敗する。(「チクショー!」by ラファエル)



「ありがとう…」

ゾロはそんな兄弟に感謝の気持ちをこめて、自身のメダルを贈った。



そうして、その夜、ゾロのマスクをとって愛しい妻子の元へ帰ったディエゴ。



だが、なんと!ラファエルとその部下たちが、その後をつけていたのだ。


「お前がゾロだったのかぁ~!」

憎きゾロの正体がディエゴだったのもショックだったが、ひそかに横恋慕していたエスペランサを妻にしているのにも、Wショックのラファエル。


もう、腸が煮えくり返るようで、憎さは数千倍である。


ラファエルの部下が、ディエゴに銃口を向けた。


それを咄嗟に庇って、身代わりに撃たれた妻エスペランサ。


「エスペランサァァーーーーッ!」


エスペランサは亡くなり、ディエゴは呆然。

敵であるラファエルも(ガ~ン!)大ショックである。


だが、ラファエルはすぐに気持ちを立て直すと、「エスペランサの残した娘だけでも……」と幼いエレナを奪い去った。(人さらい)


「その男は牢獄にぶちこんでおけ!」

部下に命じてディエゴを投獄させると、自身は、エレナを連れてカリフォルニアへと引き揚げていくラファエル。



こうして正義の味方《ゾロ》は町から消え去り、暗い牢獄生活。


愛しい妻は殺されて、娘までもさらわれてしまったディエゴの心は空っぽ。


長い20年の年月が過ぎてゆく………………




だが、ある日、牢獄で過ごすディエゴの耳にとんでもない噂が入ってきた。


「カリフォルニア総督ラファエル様がお帰りになるらしいぞ!」


それまで空っぽだったディエゴの心に、メラメラと灯りはじめる復讐の炎🔥。


「奴と刺し違えてもいい……」


ディエゴは脱獄し、帰還したラファエルの姿をとらえる……だが、その隣には若くて美しい娘の姿が。


「エレナ?……あれは私の娘エレナなのか?」



美しく成長した『エレナ』(キャサリン・セタ・ジョーンズ)は、何も知らされず育てられて、完全にラファエルを父親だと思いこんでいたのだった。


エレナの出現に、すっかり出鼻をくじかれたディエゴは、すんでのところで復讐を思いとどまった。



一方、その昔、ゾロからメダルを貰ったホアキン&アレハンドロ兄弟も成人へと成長していた。


軍の圧政に苦しむ時代ゆえ、兄弟は盗賊稼業に勤しむ毎日だったが。


だが、金品強奪に成功したのも束の間、冷徹な軍隊長『ラブ大尉』に、兄ホアキンの方は殺されてしまう。


「チクショー!」

ホアキンがゾロから貰ったメダルを自分の首にかけて、弟『アレハンドロ』(アントニオ・バンデラス)は復讐を誓う。



そんなアレハンドロに、ディエゴは町の酒場で偶然出会ってしまう。


「その首のメダル……もしかして、昔、私を助けた兄弟の片割れか?」


「あんたが《ゾロ》?!」

兄を殺されて、やけ酒をあおりながら復讐話をするアレハンドロに、ディエゴは同情しながらも、(まぁ、今のコイツが乗り込んでいっても返り討ち合うのが、せいぜいだろう……)と思うのだが、ディエゴにはもう一つの考えが浮かんできた。


(だが、私がこの青年を鍛え上げれば、もしかして……)


「ついて来い!」


ディエゴはアレハンドロを伴うと、ある秘密の隠れ家へとやってきた。


「何なんだ?ここは?!もしかしてゾロの隠れ家なのか?!」


キョロキョロするアレハンドロに、剣をさし向けるディエゴ。


「今から、私がお前を鍛え上げてやる!!」



そう、剣術も武術も、私の全てを叩き込んでやる!


それにしても、この身なりも相当にヒドイ……紳士としてのマナーも1から教えてやらねば……トホホ……


こうして《初代ゾロ》ディエゴが、《2代目ゾロ》アレハンドロを特訓する日々が始まるのだった………。




またもや、長々と書いてみた『マスク・オブ・ゾロ』の序章。(読んでくれる人いるのか?)


でも、ここまでは、どうしても丁寧に書きたかったので、どうかご容赦を。



この『マスク・オブ・ゾロ』、当時『デスペラード』で勢いづいていたアントニオ・バンデラスや、『羊たちの沈黙』で賞を総なめしたアンソニー・ホプキンスなどの出演で、観る前から期待値はおおいに上昇していた。(ヒロインのキャサリン・セタ・ジョーンズも綺麗だし)



オマケに監督は『007 ゴールデンアイ』を撮ったマーティン・キャンベルですもん。


アクション部分も「大丈夫だろう!」と期待は膨らむばかり。



で、当時、観た感想だけど……やっぱり面白かった。


「良く出来てるなぁ~」と、期待を裏切らない仕上がり具合に感心した記憶がある。



もちろん、出演者や監督も良いんだけど、この『マスク・オブ・ゾロ』、脚本がとにかく素晴らしいのだ。(脚本には3人の人物が関わっているらしいが)


冒頭に書いたモノを読んでみても分かるように、それぞれの登場人物たちの過去や背景、行動の動機なんてのが、「これでもか!」ってくらい、初めて観る人にも親切丁寧で分かりやすく描かれている。


敵役のラファエルにしても、その複雑な心情などが観ていて分かるのだから、相当に練りに練られた脚本だったんだろう。



だから、こういう映画は、何度でも繰り返し観るごとに発見があるし、長い年月にも耐えられるのだ。



初見では主役である『アレハンドロ』(アントニオ・バンデラス)の気持ちで観るのもいいだろうし、次に観る時は『ディエゴ』(アンソニー・ホプキンス)の想いに寄り添って観るのも良し。


女性なら、数奇な運命に振り回される『エレナ』(キャサリン・セタ・ジョーンズ)に感情移入だってできる。


悪党『ラファエル』(スチュアート・ウィルソン)の気持ちで観るなら、その叶わぬ恋に同情したり、本当の父親でもないのに、エレナを育てながら芽生えてくる父性に、複雑な気持ちを垣間見ることもできるだろう。



《ゾロ》の闘いをはさみながらも、これは良質な《人間ドラマ》なのである。



そんな中でも、面白いと思う部分は、やっぱり『アレハンドロ』が徐々に成長して、変わっていくところ。


粗野で汚い身なりをして、マナーも剣術も何も知らない無作法な男が、ディエゴを指南役にして、変わっていく様(さま)は痛快である。



そうして、エレナの前に現れたアレハンドロは、もう立派な紳士のイケメンさん。




《ゾロ》の強さを手に入れて、ついでに恋人もゲットしてしまうアレハンドロの姿に、男ならきっと憧れてしまうはずである。(この頃のバンデラス、カッコ良かったなぁ~)



続編の『レジェンド・オブ・ゾロ』も面白かったし、これ以降《ゾロ映画》が作られなくなったのも、やっぱりコレが最高峰の《ゾロ映画》だと、誰もが認めているからなのかもしれない。



星は、もちろん☆☆☆☆☆。


やっぱり男でも《変身》するのって楽しいよね。


2021年8月3日火曜日

映画 「フォーリング・ダウン」

1993年 アメリカ。




なんだか、ここ最近、数十年ぶりに観た『危険な情事』から始まって、『氷の微笑』、『ダイヤルM』、『ディスクロージャー』と、ドンドンとマイケル・ダグラス熱が高まっている自分。(こんなのは自分だけだろうが)


「こうなったら、とことん、マイケルにどっぷりハマろうじゃないかー! エイエイ、オー!!」


と思って今回は、キレまくりのマイケル・ダグラスが楽しめる『フォーリング・ダウン』である。


でも、この映画、主役はマイケル・ダグラスだけじゃなくて、ロバート・デュヴァルとのW主演。



ある日、1か月前に会社を解雇になっていた『ウイリアム゛Dフェンス゛フォスター』(マイケル・ダグラス)が、真夏の熱さから、とうとう自制心がぶっ飛んでプッツンする!(今の真夏の時期、気持ちは、なんとなく分かる気がする)


渋滞の中、車を乗り捨てて、別れた妻子のいる家を目指して、ひたすら歩き出すフォスター。



もう、一方は、今日で警察を退職しようとしている『ブレンダガスト巡査長』(ロバート・デュヴァル)。


神経症でヒステリックな妻についてやる為に、早めの退職を決めたのだ。


そんなブレンダガストの気持ちも知らないで、ひっきりなしにかかってくる妻からの電話。


「いつ帰ってくるの? まだ帰らないの?!⚡」(あ~あ、うるさいババアだ)



こんな性格も境遇も違う、フォスターとブレンダガストの二人……


フォスターが行く先々で事件をおこすのだが、元々有能なブレンダガストは、今日で退職というのに、

「これは同一人物の犯行だ!」と俄然、興味を持って自ら捜査に首を突っ込んでいく。(同僚の女性刑事サンドラも協力して)


その間も「まだ帰って来ないのー?! キィーッ!!⚡」

っていう、ヒステリー妻からは、矢の催促の電話が鳴りっぱなしだが。(本当にウザいババアだ)


こんな二人が、徐々に距離をつめていき、最後の対決になっていく………




こんなのが『フォーリング・ダウン』の簡単な筋書きなのだが、公開当時は《キレまくりのマイケル・ダグラス》だけにスポットが当てられて、『フォスター』(マイケル)が、メチャクチャやらかす度に、「ヒェーッ!」とか「ゲゲッ!」とか騒いでいただけだった。



でも、こうして数十年ぶりに観てみると、何だか、昔とは、だいぶ違う印象である。



この映画の舞台は、ほぼ《サンタモニカ》で撮影されている。


サンタモニカといえば、桜田淳子の《サンタモニカの風》。


♪来て、来て、来て、来て、サンタモニカ~♪(知ってるかな~?)


サンタモニカといえば、世界でも観光都市として有名な場所なのだ。



それが、なんという事でしょう!(突然、『ビフォーアフター』の加藤みどり風)



『フォスター』(マイケル)が、コーラを買いに雑貨屋に入れば、水増し料金を上乗せしようとしてバットを振り回す韓国人がいる。(逆にフォスターにバットを奪われて店は粉々に破壊されるが)



今度は、フォスターが野っ原で休憩してればチンピラどもが、ナイフをちらつかせて「金を出せ!」。(バットでボコボコにされて、逆にナイフを奪われてしまうチンピラ)


またまた、今度は、そのチンピラたちが、仲間を集めてボストンバッグ一杯に機関銃やら兵器をつめこんで、さっきの仕返しに車でかけつけて、フォスターめがけて機関銃を乱射する。(馬鹿なチンピラの弾は一発も当たらず、車は衝突事故。その隙にフォスターはボストン・バッグ一杯の武器をゲット!)



ほんと何なんでしょうか、これ?


フォスターも大概、酷いんだけど、いちいち突っ掛かってくる連中はもっと酷い。


この町には、全くのクズみたいな連中しか住んでいないんでしょうか?( 笑 )



この後も、バーガー屋は、写真とはまるで違うような潰れたバーガーを出したり、

靴屋は警察無線を傍受しながら、ゲイのカップルにわめき散らして、裏では大量の兵器をコレクションしている。



変な人間しか住んでいない町……それが《サンタモニカ》。


一歩、歩けば変な人間にぶち当たる危険な町……それが《サンタモニカ》。



これ、当時、観光都市《サンタモニカ》のイメージ・ダウンにならなかったのかしらん?



こんな町で警察だけは、まともな人間が揃っていると思いきや、『ブレンダガスト』(ロバート・デュヴァル)と女性刑事サンドラ以外は、まるでアホな能無しの刑事ばかりときている。



ダメだ!この町は!


こんな町に住むものじゃないし、観光なんてもっての他である ( 笑 ) 。



この映画が公開された当時、実際に住んでいた方々からは、何の苦情もなかったのだろうか?


「こんな映画じゃ、あんまりだ!」とか、「これじゃ、サンタモニカのイメージ・ダウンだ!」とか。



それとも「映画はフィクションなのだから…」と、常に冷静にド~ンと構えて寛大だったのかしらん?



なんにせよ、映画のクライマックス、海の上にある長い桟橋の先、この円形の店は有名になったろう。

『フォスター』が妻と子供を人質にとりながら、『ブレンダガスト』が単独で立ち向かう最後の対決の場所……


「ギャー!あの有名なマイケル・ダグラスが、うちの店で撮影してくれたー! ラッキー!」ってのが、当時の人々の本音だったのだろうか。



だとしたら、やっぱり映画スターって凄い!

その人気だけで、映画に対する不満や陰口すらも封じ込めてしまえるなんて只者じゃないわ。



「これが、映画スターってものさ……フフッ」


撮影しながら、町の人々にサインをねだられるマイケル。

そんなマイケルの余裕ぶっこいた表情が目に浮かんでくるようである。


星☆☆☆☆。(マイケルよ、君こそスターだ!)


2021年7月27日火曜日

映画 「ディスクロージャー」

1994年 アメリカ。




『ディスクロージャー』って何?と思っていたら、《情報公開》の意味らしいのだ。


てっきり、この映画の主題《逆セクハラ》にそった意味だとばかり思っていたら、とんでもなかった。


公開当時、この映画はスルーしていた……


と、いうのもマイケル・ダグラスは好きでも、この手の映画には、いささかウンザリしてきて、食傷気味になっていたのだ。(「またか」って感じ)


『危険な情事』、『氷の微笑』と観てきて、今度はデミ・ムーアを相手に逆セクハラの話。


「マイケル・ダグラスもよくやるよ~」って思ったくらいだ。



今回、初めて観てみると、マイケルとデミ・ムーアのお色気シーンはあっても、映画の中ではほんの一部。(「アレ、こんなもんで終わり?」と少々肩透かしをくらった感じ)


デミ・ムーア演じる『メレディス』が副社長としてやって来て、強引に妻子ある『トム・サンダース』(マイケル・ダグラス)にSEXを強要するのだが、デミ・ムーアは脱がないし、胸すらも見せない。


トムのズボンのジッパーを下ろして、興奮しかけるトムが、土壇場で理性を取り戻して、「やめろー!」と断る。


「あたしに恥をかかせて、許さないからーー!!💢」


悪鬼の如く怒れる『メレディス』(デミ・ムーア)は、部屋を出ていくトムの後ろから、金切り声をあげて叫んでいる。


逆セクハラ、SEXYシーンなんてのも、こんなものである。



その後は、ドロドロの逆セクハラ裁判をおこすトム。


迎え撃つメレディスは、

「彼こそが、逆に乱暴なことをして襲ってきたんです。とても怖かったわ~💧」

なんて、イケしゃーしゃーと言ってのける。


女性である事の立場を利用して、非力さをアピールすれば、断然、自分の勝ちと思いこんでるメレディス。

トムには圧倒的に不利な裁判と思えたのだが……



「メレディスさん、これは何ですか?どういう事です?!」


何と!二人のあの夜の会話が、偶然にも録音されていて、それをトムの友人が持っていたのだ。


もちろん、メレディスの一語一句、

「あたしを抱きなさいよ!」や「あたしに恥をかかせて許さないからーー!!」なんて言葉が、存分に入っている。


もう、グ~の音も出ないメレディスかと思いきや……


「あたしはSEX好きの女よ!それがどうしたっていうのよ?! あたしは男たちと同じやり方をやっただけじゃないのーー!💢」


もう、開き直りの逆ギレである。


こうして、ホクホク顔で勝訴したトムだったが、話はこれで終らない。



この『ディスクロージャー』は、2部構成になっていて、この映画では、やっと1部が終わったばかりなのだ。



トムが働いている会社『ディジコム社』は、マレーシアに生産工場をおいて、当時としては画期的なCD-ROMプレイヤーの製作に乗りだそうとしていたのだが、作られてくるモノは、どれもこれも欠陥だらけの粗悪品ばかり。


製品は、大手の会社との合併を左右するほどの目玉製品で、開発チームに加わったトムは、このままでは責任をとって自任しなければならなくなる。(一難去って、また一難)


刻々と、製品の《ディスクロージャー》(情報公開)の日は迫ってくる。


この難関をトムは無事に乗りきれるのか………


こんなのが、この映画の本題となる2部なのだ。


けっこう、しっかりした真面目な話だった『ディスクロージャー』。



もちろん、お察しのように、諸悪の根源は、ここでもまたもや悪女『メレディス』である。


マレーシアに自ら出向いて、勝手にコスト削減を命じていたのである。(よ~やるよ)


そして、トムに罪をなすりつけて失脚させようと企んでいたのだ。


だが、そんなトムには、謎のメールを送ってくれて、助けてくれる人物がいる。(誰だ? まぁトムの味方なんだけど)


そんな力を借りて、情報公開の日、トムは重役たちやお偉方が集まる中、舞台の中央に立った。


目の前には、あのメレディスがドーン!と鎮座していて、トムを糾弾しようと待ち構えている。


「この失敗はトム、あなたの責任じゃないかしら?」


「ある人間が、私の知らないところで、勝手にマレーシアに出向いて指示を出したのです」


「誰なの?それは?」


「あなたですよ、メレディス」


「私が?ハハッ、私はマレーシアなんか行ってないわ」


ここでトムの秘書がビデオのリモコンを作動させると、マレーシアで工場見学をしているメレディスの様子が映し出された。


重役やお偉方もビックリ。


「これはマレーシアのテレビ局が撮影したものです」


もう、グ~の音も出ないメレディスかと思いきや、ここでも……


「何よ!それが証拠になるっていうの?! 笑わせないでよーー!💢」

と、またもや逆ギレ。


「メレディス、ちょっと表に出たまえ……」と社長の『ボブ』(ドナルド・サザーランド)が、そっと外に連れ出していく。



こうして、二段構えでメレディスの嘘を暴き、コテンパンにやっつけたトム。


トムの爽快な勝利で映画は幕となる……。



いや~、この映画、面白いねぇ~、最高でした。


なんたってデミ・ムーアのイヤな女っぷり、負けっぷりが最高!


それをやり込めていく『トム』(マイケル・ダグラス)に胸がスーッとして、久々に爽快感が広がる。



何だか、この映画を観た後、ごく最近、世間を賑わした某女性グラビア・タレントを思い出してしまった。(誰とは言わない。おのおの想像して下さい)


「他人なんて簡単に欺ける」と、高をくくって、自らの策に溺れてしまい馬脚をあらわしてしまう……このメレディスの性格や行動を真似しているくらい、そっくり。


この手合いは、いつか必ずボロを出して自滅してしまう。


第三者的な目を持たず、主観でしか物事を判断できないからだ。


「他人を見くびるなかれ」…… 周りはそれほど馬鹿じゃございませんよ。


4半世紀前の、この映画が、ちゃんと教えてくれてるじゃございませんか。


星☆☆☆☆。

※尚、こんな『トム』(マイケル・ダグラス)でも、たった1つ怖いものがある。


それは夢の中で社長の『ボブ』(ドナルド・サザーランド)にキスを迫られる事。


エレベーターの中で二人っきり。


「トム、君、可愛いねぇ~💖 ん~ん💖」

「ギャアアァーーーッ!!」(大爆笑)


2021年7月1日木曜日

映画 「魅せられて四月」

1991年 イギリス。





1920年代のロンドン……


毎日降り注ぐ雨に、平凡な主婦『ロッティ・ウィルキンズ』は、イライラしていた。


最近じゃ、夫の『メラーシュ』ともギスギスして上手くいってないし……全て、この陰鬱な雨のせい?


そんな時、ある新聞に掲載されている広告がロッティの心を、たちまち捉えた。


「地中海に臨むイタリアの小さな城を四月いっぱい貸し出します。家具、使用人付きで……詳細につきましては、下記の住所へとご連絡くださいませ」


これ、これだー!!


これで暗いロンドンともオサラバできる!


ロッティは、早速、顔見知りの主婦友達『ローズ・アーバスノット』に話を持ちかけた。


ローズも、夫の『フレデリック』と最近上手くいっていない様子で、主婦二人は、すぐに意気投合する。


そんな二人は、城の持ち主である『ブリッグス』を訪ねた。


左がローズ、右がロッティである》


貸出し料は、1か月で60ポンド。


(高い!高いわ!……)

現実的な問題は、ロッティとローズに重くのし掛かり、もはや二人は諦め顔である。


だが、二人を気に入ったブリッグスは助け船をだして、


「どうでしょうか?他にも貸出し料を分担してくれるような、お仲間を探してみれば……」と逆に提案してくれた。


そうね!ナイス・アイデアだわ!



諦めかけていた夢に、ひとすじの光が見えた二人は、早速行動に移して、自分たち以外の二人を見つけ出した。



一人目は、社交界で輝く、美しい令嬢『ミス・キャロライン』(ポリー・ウォーカー


「面白そうね。いいわ、行ってさしあげても」(令嬢なんで、やっぱ上から目線)


男たちにチヤホヤされているのも、ちょうど飽きてきたところ……退屈しのぎになるかもしれないわ


美人のキャロラインが参加するのは、こんな動機である。



もう一人は、貴族の未亡人である『ミセス・フィッシャー』(ジョーン・プロウライト)。

杖をついていて、厳めしい顔つきのフィッシャー夫人は、なんだか気位が高そうで、ロッティとローズも尻込みしそうな雰囲気を醸し出しているのだが……


「いいでしょう、私も参加しますよ」と、なんとか快諾してくれた。


こうして、集まった4人の女性たちは、イタリアへとやって来たのだった。


目の前に広がるのは、まるで楽園のような別世界。


青い空には、おだやかな陽光が射している。


色とりどりに咲き誇っている美しい花たち。


そんな花たちに囲まれて、荘厳にそびえ建つサルバトーレ城。


ロッティもローズも、今までの陰鬱な気持ちは、一瞬で吹き飛んでしまった。


「来てよかったー!」


晴れ晴れした気持ちで、少女の気分になって、二人は庭を、湖を、森の中を散策しはじめる。



そんな二人とは対称的に、キャロライン嬢は、あくまでもマイペース。


「少し退屈だけど、まぁいいわ。ゆっくりできるし…」とデッキ・チェアーで、まずはお昼寝。



ミセス・フィッシャーの場合は、来てはみたものの、この状況に簡単には馴染めてない感じである。


「この城で、一番良い部屋を!」と、頑固に要求して、それが簡単にとおると、その後には「自分は、どうしたらよいのやら……」不安な様子なのだ。


杖を片手に、ずっと部屋にとどまり続けている。



いきなり、こんな生活がはじまった4人。


毎日が、こんな風に、優雅で穏やかに過ぎていくのだが、やがて4人の女性たちの心は微妙に変化していき…………



事件らしい事件も起きないし、センセーショナルな出来事も一切起こらない。

この映画は、こんな感じで、終始、女性4人が、のんびり過ごしているだけの映画なのである。



で、こんな映画は、《ツマラナイ》と思う人も中にはいるだろうが、そうでもない。



美しい景色や城を映し出しながら、ゆっくりと流れていく時間。

そんな時を過ごしながらも、変化していく彼女らの気持ち。


それが、とても興味深いので、なぜか?退屈もしなければ、強く印象に残ってしまうのである。




最初に気持ちが変わったのは、ロッティ。


「自分だけが、こんな素晴らしいお城で過ごすなんて……私馬鹿だったわ!夫のメラーシュをこの城に呼びたいの!どうかしら?!」


フィッシャー夫人は、一瞬ドギマギするが、特に反対はしなかった。


キャロライン嬢は、「フフン…」って感じで、あくまでも余裕な表情である。


ロッティの旦那さんが私を見て、私の魅力に抗えるかしら?……

なんて考え中なのだ。(もう、どんだけ自分の美貌に自信があるのやら (笑) )


ロッティは、ローズにも「あなたも旦那さんを呼びなさいよ」と言うのだけど、ローズの顔は曇りがち。


(手紙なんか書いてもくるはずがないわ……絶対……)



やがて、数日が過ぎて、ロッティの夫メラーシュがやって来た。


これがロッティの旦那さんか…また私にメロメロになってしまうかもね……男なんて、皆、そうなんだから……

と、一人余裕の笑みをぶちかますキャロライン嬢。(ヤレヤレ (笑) )


だが、当てが外れて、夫のメラーシュは、妻ロッティの晴れやかな顔つきにビックリする。


「俺の奥さんはこんなに綺麗だったのかー!」

ってな具合で、ロッティの魅力を再確認する結果になったのだった。(「アレレ…」と気落ちしかけるキャロライン嬢だけど、「まぁ、中にはこんな変わり者の男もいるわよね」と直ぐに気持ちを立て直す)



次にやって来たのは、この城の持ち主であるブリッグス。


この人が城の持ち主か……この男なんて、私の微笑みをみれば、一発でイチコロね

なんて風に、やっぱり考えてしまうキャロライン嬢。


だが、またもやキャロライン嬢の当ては外れてしまい、ブリッグスは、夫がいるローズの方へ惹かれてしまう。


こんな馬鹿な……なぜ?私が無視されるのよ?!


段々とイライラしてくるキャロライン嬢。



最後に現れた男は、ローズの夫フレデリックだった。


来るはずがないと思っていた夫の出現にローズはビックリして、途端に嬉しそう。


夫フレデリックは、妻がキャロライン嬢と一緒に旅行していると手紙で知って、「自分の利益になる!」算段で駆けつけたのだが、目の前にいる妻を見て、一瞬で惚れ直した様子である。


キャロライン嬢への気持ちなんて、どこかへ吹き飛んでしまったフレデリック。



そうして、哀れキャロライン嬢。


トボトボと庭を一人散歩しながらも、すっかり女としての自信を失ったようである。


私って、こんなに魅力がなかったの?……


それまで男たちにチヤホヤされてきたキャロライン嬢は、トリプル・パンチにすっかり打ちのめされて、完全にノック・ダウンした様子である。(尖っていた鼻はへし折られたのだ。まぁ、良い薬だ)


そんな場所へ、夫のいるローズに横恋慕していたブリッグスも、ガックリして現れた。


何だかお互いにガックリしている二人は、自然に近づいて、どちらからともなく話し出した。


「ぼくは生まれつき弱視でね…ほとんど見えないんですよ。だから、最初に会った、ローズのように美しい気持ちの人に惹かれてしまった」



そうだったのか……人は人の気持ちにこそ惹かれるのだ。


ロッティやローズに比べて、自分は何て愚かでダメな人間なのか!


やっと、それに気づいたキャロライン嬢は涙する。


「私なんて、本当にダメだわ……」と自然に出てくる言葉。


「いや、そんな事はないさ」と慌てて慰めるブリッグス。


いつしか、二人の気持ちは寄り添っていき……



こんな感じで3組のカップルたちは、良い感じになると、フィッシャー夫人だけが、一人さみしそう。


そんなフィッシャー夫人を見かねたロッティは、皆の輪に入れてあげた。(フィッシャー夫人にも笑顔が戻ってきた。自分が幸せだと自然に人にも優しくなれるのだ)



こうして、幸せな時を過ごした一行は城を去っていく。



去り際に、フィッシャー夫人は要らなくなった杖を、城の庭に突き刺していった。(もう、杖無しでも元気に歩ける様子だ)


やがて、また時が経つと、その突き刺した杖は、地中に根をはりはじめ、芽がふきだし、綺麗な花を咲かせてゆく。


映画は、こんな風にして《THE END》をむかえるのである。




なんで、この映画を、今頃になって思い出したんだろう?(やっぱり自分自身が《癒し》を求めているのかな?疲れているのかな?)


観ている側も、心穏やかになれる、そんな摩訶不思議な映画なのである。



今回は、珍しく最後まで書いてしまいました。


それというのも、この映画、遠い昔にVHSとレーザー・ディスクになったのに、現在でもDVDやBlu-rayになっておりませんし、これから先、観れる機会もあるかどうかも分かりませんので。(これも我が記憶だけで書いております。多分、こんな話だったはず?と思います)



女優ポリー・ウォーカージョーン・プロウライト以外は、ほとんど知らない俳優さんたちばかりである。


デヴィッド・スーシェの『名探偵ポワロ』の一編、『エンドハウスの怪事件』に出演していたポリー・ウォーカーさん。


この映画は、ほぼ同時期のモノじゃなかったかな?

1920年代の髪形や服装が、妙にマッチしていて、本当に綺麗でした。(落ち込む彼女も、また素敵)


後年、ドラマ『ローマ Rome』では、大胆なシーンにドギマギさせられましたけどね。



フィッシャー夫人役のジョーン・プロウライトは、この作品以外は、あんまり見かけたことがないのだけど、この方は、あの!《ローレンス・オリヴィエの奥さま》だったお方である。


ローレンス・オリヴィエが最初に、『風と共に去りぬ』のヴィヴィアン・リーと結婚して、20年間に渡って、地獄のような結婚生活を送った事は有名な話だ。(以前も、このblogでも書きましたが、ヴィヴィアンの神経症はメチャクチャな行動を、次から次に引き起こしたのである)


1960年に、ようやっとヴィヴィアンと離婚できて(もうオリヴィエも精神的にボロボロ)、その後にオリヴィエが再婚したのが、このジョーン・プロウライトなのでした。


オリヴィエが亡くなるまで、ずっと添い遂げた彼女。


ヴィヴィアンと同じ女優でも、その性格は真逆であり、控えめだった彼女は、オリヴィエをたてて、陰ながら尽くしたという。


その甲斐あって、オリヴィエは《サー》の称号を、ジョーンは《デイム》の称号をイギリス政府から授かる。


オリヴィエも、晩年は、この良妻ジョーンと結婚できて、やっと心安らげる日々を送れたんじゃないのかな?(良かったね、オリヴィエ)



この映画が、いずれDVDか、Blu-rayになれば、この記事は書き直してしまうかもしれないが、まぁ、それまでは、「こんな癒される映画もあるんだよ」ってので、残しておきたいと思う。(メーカー様、頑張って!)



それにしても、こんなに長い文章を読んでくれる人いるのかな~


時期外れな『魅せられて四月』に、星☆☆☆☆。


2021年3月2日火曜日

映画 「イン・ザ・ネイビー」

1996年 アメリカ。




『トーマス・ドッジ海軍少佐』(ケルシー・グラマー)は、指揮官としての素養は認められていても、その破天荒な性格ゆえ、何度も艦長になるチャンスを棒にふってきた。


そんなドッジにも、ようやっとチャンスが巡ってくる。


艦長への就任。


「やったー!これで俺も念願の潜水艦の艦長だーー!!」

ルンルン気分のドッジだったが、世の中、そんなに甘くない。



ドッジが大嫌いで、嫌味な『グラハム提督』(ブルース・ダーン)は、したり顔で、こう続けた。


「ただし、原子力潜水艦じゃなくて、ディーゼル潜水艦の艦長だがな」


ゲゲーッ!ディーゼルといえば、ひと昔前の骨董品じゃないか!!

冗談じゃない!!



プンプン怒りのドッジは、本部のウィンズロー提督の元へ出向いて直談判した。


そんなドッジをなだめるようにウィンズロー提督は話をはじめる。


「今、ロシアが旧ソ連時代の古いディーゼル潜水艦をイランや他の国に叩き売りしてるのが分かったのだ。この先、我々アメリカはディーゼル潜水艦を相手に戦(いくさ)をせねばならない事態がくるやもしれない。そこでだ!実際にディーゼル潜水艦相手に戦闘をする《模擬練習》が必要になってくるわけだ」


「で、そのディーゼル潜水艦の艦長を私にしろと?」


目的は《ディーゼル潜水艦がどこまで闘えるか》を知ること。

予定の演習ルートを通りながら、見事にダミー船を撃沈させる……それがドッジに与えられた使命だった。



見事任務を成功させれば、ドッジは晴れて原子力潜水艦の艦長に任命。

だが、この話を断れば一生デスク・ワークか、はたまた海軍を辞職せねばならない。


(こんなの、もはやヤルしかない選択じゃないか!……もう、こうなったらやってやるわい!!撃沈させればいいんだろう!!)



ヤケクソ気味で了承したドッジだったが、いざ乗り込む潜水艦を目にすると、テンションはドヨヨ~ンと下がる。


錆びだらけのオンボロ潜水艦……

こんなの博物館行きか、とっくに廃棄だろうに……トホホ……。



そして、オンボロ潜水艦に集められた乗組員たちといえば、これまたはみ出し者の問題児たちばかり。


一応、見た目礼儀正しいが心の中では(こんなオンボロ艦に何でエリートの私が?)と不満タラタラの『マーティ副艦』(ロブ・シュナイダー)。


元バスケットボール選手で博打好きな『ジャクソン』(デュアン・マーティン)


命令無視で、やる気なしのウィンズロー提督のドラ息子、『ステパナック』(ブラッドフォード・テイタム)


感電する事に快感を覚えるソナー員やら、肥満体の炊事係やら……変わり者ぞろい。



そして、極めつけは、初の女性乗組員『エミリー・レイク大尉』(ローレン・ホリー)まで着任してくる。


「こんな男所帯に、何であなたみたいな人が?」


「これも任務ですから、ヨロシクお願いします、ドッジ艦長!!」

ヤレヤレ……この先どうなるのやら……



不安や不満を隠して、ドッジは、まずディーゼル潜水艦の錆び落とし、ペンキ塗り、内部の整備などを命令した。(そんな任務も、この面々ですもん。グズクズ、モタモタ……)


それでも何とか見た目、綺麗に仕上がった潜水艦。


さぁ、いざ出港!!………。




こんな冒頭で始まる『イン・ザ・ネイビー』。


ブルース・ダーンやら、ローレン・ホリーは懐かしいなぁ~。


さぞや、腹を抱えて大笑いできるんじゃないか、と期待して観たのだが……ぶっちゃけ、私には、あんまり……。


潜水艦モノなら、ケーリー・グラントとトニー・カーティスの『ペティ・コート作戦』を観ているせいもあるが(これは傑作!)、これは、それまでに及ばない気がする。


有名無名関係なく、せっかく面白くなりそうな俳優たちの個性が、なんだか最後まで中途半端に思えたのだ。


これが脚本のせいなのか、演出のせいなのか……


それとも自分の《笑い》に対するハードルが高すぎるのか……。


笑いのメーターが100まであるなら、せいぜい50止まりくらい。


そこまで振りきれていない感じがするのだ。


全編、「このくらいで抑えておこうか……」というのが、私にはチョイチョイ見え隠れしてしまう。



《はみ出し者》や《変わり者》といっても、私から観れば、逆に、潜水艦の乗組員、皆が優等生に見えてしまった。



私が、この映画で、一番馴染めなかったのは、主人公の『ドッジ』(ケルシー・グラマー)の性格。


破天荒さや不真面目だという人物設定が、艦長になった途端に影を潜めて消えてしまい、最初から、ごくごく常識的で立派な艦長。


これに、一番の違和感を感じてしまったのかも。(だったら最初から、『真面目なのに今まで運がなくて、たまたま艦長になれなかった』でも、よかったのにね)


ドッジの《破天荒さ》や《不真面目さ》が、はみ出し者たち乗組員の、上をいくくらいの勢いで、ハチャメチャにかき乱すのを、おおいに期待していただけに、これにはガックリ。


なんだか肩透かしをくらった気がしたのだ。



映画は、予測通り、嫌味なグラハム提督の鼻をあかして、ディーゼル潜水艦の勝利で終わる。(これはこれでハッピー・エンドで終わるし、爽快感はあるのだけどね)



それにしても、《人を笑わせる》って本当に大変だし、困難な作業だなぁ~。



特に、コメディー映画ともなれば、監督一人だけの力を越えた何か……《プラスα》みたいなモノが必要になってくる気がする。


《誰》と《誰》の相性が合うか、合わないか……それらは運みたいなモノで、それが特別な化学反応を産み出して、笑いに変えていく。

近頃は、そんな気がするのだ。



先日、観た宇宙コメディー『ギャラクシー・クエスト』がまさにそう。


ティム・アレンが大袈裟にふるまえば、アラン・リックマンがジト~ッ!とした目付きをする。


特別な事はしていないのに、お互いの間合いや空気感に、私たちは《笑い》を観いだすのだ。



なんか、こんな風に《笑い》の分析をするのも野暮なような気もするのだが…。


それでも、この『イン・ザ・ネイビー』を観てみて、そんな事を、ふと考えてしまった私なのである。(この映画を「面白い」という人にはごめんなさい)


星☆☆。

※ヴィレッジ・ピープルの歌う有名な曲『イン・ザ・ネイビー』がエンディングで流れるのは良かったです。(これ大ヒットしたもんね。私世代にはチョー懐かしい曲でした)

2021年2月28日日曜日

映画 「ギャラクシー・クエスト」

1999年 アメリカ。




昔、伝説のSFドラマ『ギャラクシー・クエスト』に出演した面々たちは、ウンザリした日々を送っている。


番組が大ヒットしたばかりに、すっかり、そのキャラクターのイメージが定着してしまい、番組が終了して数十年経った今でも、その時のキャラクターの扮装をして、数あるイベントをこなす毎日なのだ。



「私はイギリスの舞台でリチャード3世を演じたほどの名優だぞ!」


たまたま出演した『ギャラクシー・クエスト』で、トカゲ頭のかつらをつけて《ドクター・ラザラス役》をやったばかりに、ずっとそればかりをやらされ続ける『アレクサンダー・ディーン』(アラン・リックマン)の不満は止まらない。


「あなたなんて、まだマシな方よ。私なんて役の事なんか聞かれないでスリー・サイズの事ばっかりなんだから」


『ギャラクシー・クエスト』の紅一点《マディソン中尉役》の『グエン』(シガニー・ウィーバー)も渋々なのだ。



そんな二人とは対称的に、不満もあるのか、ないのか?変わり者の《技術主任チェン軍曹役》の『フレッド』(トニー・シャルーブ)は、ニッコニコとおとなしい。(この人が一番人が良さそう)


番組開始時、ギャラクシー号の《操縦士ラレド少年役》の『トニー』(ダリル・ミッチェル)は、すっかり辛辣な口を叩く大人になっていた。


「ねぇ、アイツはまだ来ないの?!」



そして、最後に、調子の良いだけの男、ギャラクシー号の《タガート艦長役》の『ジェイソン・ネズミズ』(ティム・アレン)が登場。


テンション高く、「やぁ、みんな遅れてごめん、ごめん!」と別に悪びれてもいない様子で現れた。



ズラリと並んだイベント客のために淡々とサインする面々の中で、ジェイソンだけが、やっぱり愛想よく調子が良い。


(なんせ、俺は主役だったし番組が終わっても、この大人気だしな……ウシシ……)



だが、たまたま入ったトイレの中で、ジェイソンはフアンたちの本音を聞いてしまう。


「ダガート艦長役のアレ何なんだ?オワコンで笑い者にされてるのに、全く気づきもしないでさ」


「全くさ!よ~やるよ、あのジェイソンさんもね」


「どうでもいいさ、早くギャラクシー・ダンサーのダンス見に行こうぜ」



ガーン!!( ̄▽ ̄;)


俺の時代は、もうとっくに終わっていたのか……



調子の良さから、いきなり奈落の底へ。

その夜、家に帰ると、しこたまヤケ酒を煽るジェイソンなのだった。



次の日、ジェイソンの邸宅のガラスを「コン!コン!」叩く人物たち。


二日酔いで朦朧としているジェイソンが、やっと目を開くと、灰色の宇宙スーツを着込んで、メイクをした何人かの人物たちが、ズラ~リと並んで笑顔で立っている。



「お迎えに参りました、ダガート艦長!」


(随分、熱狂的なフアンがいたもんだ……朝も早くから、こんな仮装までして、オマケに家まで押しかけてくるなんて……)



「ダガート艦長、私たちに是非、お力を貸して頂きたいのです」


自分たちはサーミアンという宇宙人で、宇宙の悪党サリスと宇宙戦争をしていると、どこから考えたストーリーなのか、そんな話を連中は、ベラベラと話し始めた。


(なんだ、また新しいイベントのお誘いか……でも、よくも、まぁ、こんな話を思いつくよ)


迎えのリムジンに疑いもせずに乗り込んだジェイソン。



だが、そのリムジンは、しばらく走ると、道路上から忽然と消える。



そう、《転送》されたのだ!


一瞬にして宇宙空間にある《宇宙船》へと。



ジェイソンを迎えに来たのは、


なんと!本物の宇宙人たち!!



そして、彼らは彼らで、ジェイソンたちを、


本当に実在する『ギャラクシー号』の乗組員たちだと、信じて疑わない


厄介な宇宙人たちなのであった………。




SF映画が苦手な私が、久しぶりに観て、珍しく大笑いした映画。



この映画は本当に面白かったし、当たりだったかも。



誰でも、SFドラマ『ギャラクシー・クエスト』が、『スター・トレック』のオマージュなのは、一目で分かるだろう。


それを演じた役者たちが、実際に宇宙に行って役名そのままに、本物の宇宙戦争に巻き込まれる。



この映画は、何重ものメタ的な構造になっているのだ。



ジェイソンにつられて、他の面々たちも宇宙に連れて来られて……


最初はアタフタ、右往左往で、おっかなビックリ。


それが、次第に役名を地でいくような活躍になっていくところに、この映画の面白さはある。



トカゲ頭のアラン・リックマンが、また良いねぇ~(このビジュアルじゃ、本物の宇宙人が信用するのも納得か)



シガニー・ウィーバーは、この映画では本当にチャーミング。


コンピューターの言葉を復唱するだけで、

「とにかく、それが私の出来る唯一の仕事なんだから!」とブチギレるシガニーが可笑しい。(本当に初めて、この映画でシガニー・ウィーバーを《可愛い》と思ってしまった)



主役のティム・アレンは、ほどよい調子の良さだけの、中年代表って感じである。(なぜか?どこでも無駄な前転をしまくるティム・アレン)


トニー・シャルーブは、これ以降、ドラマ『名探偵モンク』で大ブレークする。(宇宙人の女性になぜか愛されちゃったりもする。(これも役得?(笑) )



『ギャラクシー・クエスト』の81話で殺される端役の男、『ガイ』(サム・ロックウェル)は役名すらないのに、ジェイソンたちの宇宙戦争に巻き込まれてしまう。


「俺は役と一緒で、すぐに殺される運命なんだぁー!!」が口癖。(こういう奴に限って絶対に死なねぇーって)


最近のSF映画が苦手になってきたのは、あまりにも、SFに《リアルさ》や《真剣さ》、《説教臭さ》を持ち込んできた為。


宇宙空間は広大なのに、観ていると妙な息の詰まるような《閉塞感》を感じてしまうのだ。



《いい加減さ》、《馬鹿馬鹿しさ》、《くだらなさ》……そして《笑い》………こんなモノに、私は妙に惹かれる。


それはSF映画だけに限らないんだけどね。


映画は星☆☆☆☆☆。


真面目過ぎて、肩が凝るようなSFだけはご勘弁。

もっと元気に、《ふざけて》、《はっちゃけて》いこうぜ!SF映画!


2021年2月25日木曜日

映画 「薔薇の素顔」

1994年 アメリカ。





そんなに酷い映画かなぁ~


本国アメリカの評価と真逆の感想を持つのが、この映画『薔薇の素顔』(原題:Color of Night)。



ニューヨークは、高層ビルの一室で精神カウンセリングを開業していた『ビル・キャパ』(ブルース・ウィリス)。


ある日、目の前で自分の患者が衝動的に飛び降り自殺((゚Д゚;)ガーン!)。


そのショックで、自身も精神的なダメージを負ってしまう。


その瞬間から、全く《赤》い色が見えなくなってしまったキャパ。



(こんな風になっては分析医の仕事なんて、とても続けられそうもない……)


そんなキャパは、友人で同じ同業者のボブを頼ってロサンゼルスへとやって来た。


だが、ボブは、5人の患者をまとめての集団セラピー中。


「いや、俺は…」と遠慮するキャパを、ボブは「まぁ、まぁ……」と言いながら、強引に5人に引き合わせた。



セックス依存症の女性『ソンドラ』、

潔癖症で偏執気味の弁護士『クラーク』、

被害妄想の画家『ケイシー』、

妻子を強盗に殺害された『バック』、

そして自閉・失語・対人恐怖症の少年『リッチー』。


これらの年齢や性別、症状の違う患者たちを一斉に集めて、お互いに会話をさせたり、ディスカッションさせるようなやり方が、ボブ流の治療法なのである。



「今日、僕の患者たちを見ただろう?あれをどう思う?」

その夜、カウンセリングが終わって皆が引き揚げた後、ボブはキャパに精神科医としての意見を聞いてきた。


キャパは、重い口を開きはじめる。

「他は大した事はないが………あのリッチーという子は一番ヤバいかもな」


「そうか……」

ボブは言うか言わないか……何かをためらっていたが、意を決して、やっとキャパに話しはじめた。


「実は何者かに 命を狙われている。そして、それはあのカウンセリングのメンバーの誰かだと思っているのだが……」


「まさか…?!」

真面目な顔をして話すボブの言葉の重みを、少しでも和らげようと、キャパは半笑いしながら、軽い冗談にしようと試みた。


だが、それは冗談にはならず……


次の日、殺されているボブの 遺体 が発見されたのだった。



担当刑事の『マルティネス』に、昨夜のボブとの会話を話したキャパは、「是非、捜査に協力を!」と依頼される。


「このまま、あなたにはボブが怪しんでいた5人のカウンセリングを続けてほしい。そして、何か分かったら逐一私に連絡してほしいのだ」


「そんな……」

気が進まないキャパだったが、5人の患者たちも、「キャパに代わりにやってほしい」と全員一致で同意する。


(なんだか、大変な事になってきたぞ……)


広大なボブの邸宅に留まりながら、渋々カウンセリングをするキャパ。



そんな日々が続く中、ある日、キャパの運転する車に、後ろから(ドーン!)衝突してきた車が。


(なんだ?このヤロー……)と思うキャパだったが、振り返ると、そこに居たのはセクシー美女。


「ごめんなさい~」の声に、キャパの目尻も一瞬で垂れ下がる。


こうして、謎の女性『ローズ』(ジェーン・マーチ)とお近づきになったキャパは、どんどん逢瀬を重ねていくのだが ………




この映画は公開当初、叩かれた!叩かれた!


「こんなに最低な映画はない!」

なんて言われて、もうゴールデン・ラズベリー賞(最低映画賞)ノミネートの嵐。(からくも作品賞だけの受賞だったが、主演、助演、脚本、監督など全ての分野でノミネートされた)


監督したリチャード・ラッシュは、これ以降、映画を撮らせてもらえない、までに追い込まれる。



何が?アメリカ映画界を、ここまで大騒ぎにさせたのか?!



もう、それはひとえに、ブルース・ウィリスとジェーン・マーチの●●●シーンに他ならないのである。


もう、「これでもか!これでもか!」と頻繁に出てくる二人のシーン。



野外プールで、シャワールームで、場所を変えて …(よ~やるよ)


『ダイ・ハード』シリーズでアクション俳優としての地位を得ていたブルース・ウィリスだったのだけど、イメージ・チェンジを図りたかったのかな?…


とにかく《生々しさ》の方が、打ち勝ってしまって、一部の人たちには嫌悪されてしまう。(これ以降の映画で、ブルース・ウィリスのこんなシーンは全く皆無になる)



ジェーン・マーチの少女に近いビジュアルと、中年のブルース・ウィリスの対比が、かなり露骨に嫌がられたのかもね。(清廉潔白な方々には)



日本でも遠い昔にビデオになり、DVDは出る事は出たが、それっきり。

今では、パタリ!と、その姿を見かけなくなってしまった『薔薇の素顔』なのである。(古いDVDがけっこう高額で売り買いされてます)



確かに、こんな散々な『薔薇の素顔』なんだけど ………


でも当時、私、この映画を薦められてビデオで観たのだけど、この《トリック》を見破れなくて、逆にけっこう感心してしまいましたよ。



あんまり詳しくは書けないが、


「えっ?《この人》が本当は《あの人》だったの?!」って具合で、終盤で明かされる真相に心底ビックリした記憶がある。


まぁ、観ていない人には、「何のこっちゃ?」で、まるで分からないだろうけども。


ある意味、これも立派な《どんでん返し映画》なのである。(ゆえに詳しいネタバレが出来ない。う~ん、じれったい!)



だいたいが、この手の映画ばかりを槍玉にあげて、最低映画としてしまう《ゴールデン・ラズベリー賞》の選考も、いかがなものだろうか。


ゴールデン・ラズベリー賞を受賞した作品の中には、けっこう《面白い》っていう映画が案外隠れているものである。



そのうちDVDの再発もあるやもしれぬし、出れば出たで、もう一度観てみたい記憶に残る映画ではある。


星☆☆☆。(けっして、《アレ》目的だけではございませんので、ご理解下さいませ (笑) )

2020年10月14日水曜日

映画 「クラス・オブ・1999」

1990年 アメリカ。




原題は『Class of 1999』。(まんま)


以前、このblogでも挙げたが、そう、この映画は『処刑教室(原題名 Class of 1984)』の正当な続編なのだ。(監督も、もちろん同じマーク・L・レスター)


カナダ映画だった『処刑教室』よりも、アメリカで撮影された、この映画は製作費もググ~ンと100万ドル近く増えている。


さて、どんな出来になっているかと観てみると ……



時は1999年………アメリカでは学生たちの校内暴力がエスカレートし、警察でも手出しが出来ないような無法地帯が存在した。


その無法地帯の中心地にケネディ高校はある。



新校長『ラングフォード』(マルコム・マクダウェル)は、最新の技術を誇るメガテク社に、とうとう助けを求めた。


「賢明な考えです、ラングフォード校長。我々メガテク社の開発したロボット教師たちなら、必ずやご期待に応えられるでしょう」


所長の『フォレスト博士』は自信満々だ。(気持ち悪い~!眼球が白目である)



3人のロボット教師たちが現れると、会議室は騒然とした。


いずれも、一見、人間にしか見えないくらいだったからだ。


「彼らは、化学、歴史、体育の教師たちです。そして生徒たちの暴力など簡単に鎮圧できるほどの精鋭たちなのです!」




こんな会議が行われている同じ頃、刑務所から不良少年『コディ』(ブラッドレイ・グレッグ)が釈放された。


「仮釈放だ!いいか?2度と帰ってくるんじゃないぞ!午前9時までに高校に行くこと。それを破れば、また務所戻りだ。」


看守から手荷物を受け取り、表に出ると弟のエンジェルと仲間が迎えに来てくれていた。

コディは、不良集団ブラックハーツのリーダーなのだ。


「悪いが……俺はブラックハーツを抜ける」

「そんな、マジで言ってるのかよ!?兄貴!」



仲間も、弟も、ついでに家に戻ってみれば母親までも、みんなが麻薬を取り合って麻薬漬け。(どうやって働いて生活してるの?(笑))


刑務所生活で、すっかり麻薬を絶って帰ってきたコディには、急に周り中が汚らわしく見えてきたのだ。


「とにかく学校へ……」


そんな中、久しぶりに出かけた学校で、コディは新校長の娘で転入してきたばかりの『クリスティ』(トレイシー・リン)と知り合う。


「よろしくね、コディ」


かつての不良チームのリーダーの威厳はどこへ?コディは一目でポワワ~ン(そりゃ、特別綺麗に見えるだろうさ。周りを見渡しても、薄汚れた景色や麻薬漬けの連中ばかりだもん)


だが、一方では、新しく配属されてきたロボット教師たち3人が、目を光らせていたのだった………。




こんな冒頭で始まる『クラス・オブ・1999』。



不良とお嬢様の恋愛、ターミネーターばりのロボ教師が3体。


監督マーク・L・レスターが派手なバイオレンスを仕掛ける準備は、もう万端である。


この後は想像どおり、いや!想像以上のロボット教師たちの弾圧ともいうべき体罰が待ち受ける。




化学女教師ロボ『コナーズ』(パム・グリア)は、騒がしい生徒を一瞬で一喝。

教室の奥にある壁にまで突き飛ばし、ハイヒールでグリグリ!踏みにじる。



歴史教師ロボ『ハーディン』(ジョン・P・ライアン)は、言うことを効かない生徒には高速お尻ペンペンの仕置き。(何じゃ、これ?(笑))




体育教師ロボ『ブライルズ』(パトリック・キルパトリック)は、最初から全開。


まるでイジメのごとく、目をつけたコディをいたぶる。


レスリングの授業の名目で、血だらけになるまで、「生意気な態度を改めろ!分かったな?!分かったな?!」と言いながらガン!ガン!床にコディの頭を打ち付ける。(これ、芝居じゃなくても、ちょっとヤバイぞ!)



そして、拳銃を向けた生徒には、一瞬で首をねじって殺してしまう。



「ブライルズ先生、これはやり過ぎでしょう!」

「何を言うんですか、相手は銃を向けてきたんですよ。立派な正当防衛です!」


ラングフォード校長の意見なんて、どこ吹く風。まるで聞く耳なし。(まぁロボットですし)




こんなブライルズに続けとばかりに、歴史教師ロボ、ハーディンの体罰もエスカレートしていく。


麻薬常習者の生徒をロッカー・ルームまで連れて行くと、ロッカー・ルームに隠し持っていた大量の麻薬を口の中に押し込む。


「そうか、そうか、君はそんなに麻薬が好きなのか。うん、うん……」


生徒は案の定、口から泡なのか、なんなのか、を吐いて死亡。(自業自得といえば自業自得なんだけど……この殺し方はひどい)



「ハーディン先生、これはどういう事なんですか?!」


「あの生徒は普段からの麻薬常習者ですよ。単なる麻薬の過剰摂取ですよ。事故死です」


この計画は失敗だったのか……校長のラングフォードも次第に疑いだすのだが、横から、これまた、博士のフォレストが加勢しては、

「大丈夫ですよ!彼らに任せていれば万事安心なんですから!」なんて太鼓判。


ラングフォードの心も、疑念と信頼の間で揺れる。




そうこうしている間に、生徒たちは次々、闇討ちのように殺害されていく。コディの弟エンジェルさえも……。


「誰がいったい……こんな……まさか、あのイカれた教師たちなのか?」


愛しいクリスティを人質にとられたコディは、ライバルの不良グループと一時休戦して、3人のロボ教師たちが待ち受ける夜の学校へ向かった。


「やるぜ!みんな!!」


「オー!!」


夜の学校の門をくぐって、何台ものバイクが突っ込んでいく。


だが、3人のロボ教師たちは、それぞれ特殊な武器を装備していたのだった………。




この武器が、またスゴい!


女教師コナーズは、左腕に火炎放射器を備え付けていて、バイクごと不良たちを焼き殺す。




歴史教師ハーディンは、右腕に、まるでゲッター・ドリルなんてものを仕込んでいて、ドリルでグリグリ!(残酷~)



体育教師のブライルズなんて、なんと!右腕がミサイル・ランチャーになっていて、次々ミサイルをぶっぱなす。



学校は一面、業火に燃え上がり火の海。


こんな敵に生身のコディは、どう立ち向かうのか……もう最後までハラハラ、ドキドキである。(まぁバラしちゃうけど、最後はやっぱり主人公が勝つんだけどね)



こんなマーク・L・レスター監督が自信満々で撮り挙げた『クラス・オブ・1999』だったが………公開当時、どうだったかというと、(ガックリ!)コケたー!!


製作費の半分にも届かないような興行収益。


ターミネーターのパクリにも見られたのか、散々な評価だったらしい。



でも、30年以上経った今、これはこれで観ると、中々面白いような気もするのだが、どうだろう?



血沸き、肉躍るバイオレンス映画に、徹底的に、こだわったレスター監督を私は讃えたい。(でも、これも地上放送は絶対無理)



この先も、こんな映画を撮る事は、まず難しいだろうな。(厳しい倫理観が往来する時代ですもん。何でもかんでもダメダメづくし)


はぁ~、今さらながらに思う……寛容で良い時代だったんだなぁ~と。

星☆☆☆☆。