1996年 アメリカ。
『トーマス・ドッジ海軍少佐』(ケルシー・グラマー)は、指揮官としての素養は認められていても、その破天荒な性格ゆえ、何度も艦長になるチャンスを棒にふってきた。
そんなドッジにも、ようやっとチャンスが巡ってくる。
艦長への就任。
「やったー!これで俺も念願の潜水艦の艦長だーー!!」
ルンルン気分のドッジだったが、世の中、そんなに甘くない。
ドッジが大嫌いで、嫌味な『グラハム提督』(ブルース・ダーン)は、したり顔で、こう続けた。
「ただし、原子力潜水艦じゃなくて、ディーゼル潜水艦の艦長だがな」
ゲゲーッ!ディーゼルといえば、ひと昔前の骨董品じゃないか!!
冗談じゃない!!
プンプン怒りのドッジは、本部のウィンズロー提督の元へ出向いて直談判した。
そんなドッジをなだめるようにウィンズロー提督は話をはじめる。
「今、ロシアが旧ソ連時代の古いディーゼル潜水艦をイランや他の国に叩き売りしてるのが分かったのだ。この先、我々アメリカはディーゼル潜水艦を相手に戦(いくさ)をせねばならない事態がくるやもしれない。そこでだ!実際にディーゼル潜水艦相手に戦闘をする《模擬練習》が必要になってくるわけだ」
「で、そのディーゼル潜水艦の艦長を私にしろと?」
目的は《ディーゼル潜水艦がどこまで闘えるか》を知ること。
予定の演習ルートを通りながら、見事にダミー船を撃沈させる……それがドッジに与えられた使命だった。
見事任務を成功させれば、ドッジは晴れて原子力潜水艦の艦長に任命。
だが、この話を断れば一生デスク・ワークか、はたまた海軍を辞職せねばならない。
(こんなの、もはやヤルしかない選択じゃないか!……もう、こうなったらやってやるわい!!撃沈させればいいんだろう!!)
ヤケクソ気味で了承したドッジだったが、いざ乗り込む潜水艦を目にすると、テンションはドヨヨ~ンと下がる。
錆びだらけのオンボロ潜水艦……
こんなの博物館行きか、とっくに廃棄だろうに……トホホ……。
そして、オンボロ潜水艦に集められた乗組員たちといえば、これまたはみ出し者の問題児たちばかり。
一応、見た目礼儀正しいが心の中では(こんなオンボロ艦に何でエリートの私が?)と不満タラタラの『マーティ副艦』(ロブ・シュナイダー)。
元バスケットボール選手で博打好きな『ジャクソン』(デュアン・マーティン)
命令無視で、やる気なしのウィンズロー提督のドラ息子、『ステパナック』(ブラッドフォード・テイタム)
感電する事に快感を覚えるソナー員やら、肥満体の炊事係やら……変わり者ぞろい。
そして、極めつけは、初の女性乗組員『エミリー・レイク大尉』(ローレン・ホリー)まで着任してくる。
「こんな男所帯に、何であなたみたいな人が?」
「これも任務ですから、ヨロシクお願いします、ドッジ艦長!!」
ヤレヤレ……この先どうなるのやら……
不安や不満を隠して、ドッジは、まずディーゼル潜水艦の錆び落とし、ペンキ塗り、内部の整備などを命令した。(そんな任務も、この面々ですもん。グズクズ、モタモタ……)
それでも何とか見た目、綺麗に仕上がった潜水艦。
さぁ、いざ出港!!………。
こんな冒頭で始まる『イン・ザ・ネイビー』。
ブルース・ダーンやら、ローレン・ホリーは懐かしいなぁ~。
さぞや、腹を抱えて大笑いできるんじゃないか、と期待して観たのだが……ぶっちゃけ、私には、あんまり……。
潜水艦モノなら、ケーリー・グラントとトニー・カーティスの『ペティ・コート作戦』を観ているせいもあるが(これは傑作!)、これは、それまでに及ばない気がする。
有名無名関係なく、せっかく面白くなりそうな俳優たちの個性が、なんだか最後まで中途半端に思えたのだ。
これが脚本のせいなのか、演出のせいなのか……
それとも自分の《笑い》に対するハードルが高すぎるのか……。
笑いのメーターが100まであるなら、せいぜい50止まりくらい。
そこまで振りきれていない感じがするのだ。
全編、「このくらいで抑えておこうか……」というのが、私にはチョイチョイ見え隠れしてしまう。
《はみ出し者》や《変わり者》といっても、私から観れば、逆に、潜水艦の乗組員、皆が優等生に見えてしまった。
私が、この映画で、一番馴染めなかったのは、主人公の『ドッジ』(ケルシー・グラマー)の性格。
破天荒さや不真面目だという人物設定が、艦長になった途端に影を潜めて消えてしまい、最初から、ごくごく常識的で立派な艦長。
これに、一番の違和感を感じてしまったのかも。(だったら最初から、『真面目なのに今まで運がなくて、たまたま艦長になれなかった』でも、よかったのにね)
ドッジの《破天荒さ》や《不真面目さ》が、はみ出し者たち乗組員の、上をいくくらいの勢いで、ハチャメチャにかき乱すのを、おおいに期待していただけに、これにはガックリ。
なんだか肩透かしをくらった気がしたのだ。
映画は、予測通り、嫌味なグラハム提督の鼻をあかして、ディーゼル潜水艦の勝利で終わる。(これはこれでハッピー・エンドで終わるし、爽快感はあるのだけどね)
それにしても、《人を笑わせる》って本当に大変だし、困難な作業だなぁ~。
特に、コメディー映画ともなれば、監督一人だけの力を越えた何か……《プラスα》みたいなモノが必要になってくる気がする。
《誰》と《誰》の相性が合うか、合わないか……それらは運みたいなモノで、それが特別な化学反応を産み出して、笑いに変えていく。
近頃は、そんな気がするのだ。
先日、観た宇宙コメディー『ギャラクシー・クエスト』がまさにそう。
ティム・アレンが大袈裟にふるまえば、アラン・リックマンがジト~ッ!とした目付きをする。
特別な事はしていないのに、お互いの間合いや空気感に、私たちは《笑い》を観いだすのだ。
なんか、こんな風に《笑い》の分析をするのも野暮なような気もするのだが…。
それでも、この『イン・ザ・ネイビー』を観てみて、そんな事を、ふと考えてしまった私なのである。(この映画を「面白い」という人にはごめんなさい)
星☆☆。
※ヴィレッジ・ピープルの歌う有名な曲『イン・ザ・ネイビー』がエンディングで流れるのは良かったです。(これ大ヒットしたもんね。私世代にはチョー懐かしい曲でした)