2018年10月30日火曜日

映画 「オデッセイ」

2015年 アメリカ。




火星での有人探査機アレス3に、宇宙飛行士として参加した、植物学者の『マーク・ワトニー』(マット・デイモン)。


順調にミッションを行っていたが、突然、大砂嵐がワトニーたちを襲い、クルーは、ロケットで火星からの撤退を余儀なくする。



そんな中で、脱出準備中に嵐で、どこかに吹き飛ばされてしまう、運の悪いワトニー。


指揮官『メリッサ』は、ワトニーは、「もう生きてないだろう……」と判断して、他のクルーたちと火星から脱出。

そのまま宇宙船ヘルメス号で地球に、さっさの帰還してしまった。(あ~無情な~)



だが、ワトニーは生きていたのだ!

広大な火星にたったひとりで!!



探査機にやっと戻ったワトニーは、4年後に再び宇宙船アレス4が、やってくるまで生きのびる方法を考え始める。


(どうすればいい? とにかく食料をなんとかせねば!!)


植物学者の知識をフル回転して、ワトニーは早速行動を開始しはじめた。


「まずは、ジャガイモを火星の土で栽培しよう!」


「それには、大量の水が必要だ!」


「よし、水を作ろう!」



火星降下機の燃料《ヒドラジン》を、まずは窒素と水素に分解する。


そして、ビニールハウスで囲った場所の中で、水素を燃やして蒸気をだす。

ビニールハウスの中の壁には、やがて、したたり落ちる水が現れはじめた。


「やったー!《水》が出来たぞー!」(科学はチンプンカンプンなので……う~ん、難しい)



そして、その水を利用して、やっとジャガイモ作り。


やがて芽が出て、ジャガイモは育ちはじめる。


こうして食料を確保したワトニーは、広い火星で、ただ一人だけで、自給自足の生活をしていくのであった。



その頃、地球のNASAでは、火星の衛星カメラに映る、ソーラーパネルやローバーが勝手に動いているのを発見して、

「もしかして、ワトニーが生きているかもしれない!」と気づきはじめる。




そんな地球のNASAと、やっと交信することに成功したワトニー。


「大丈夫か?」

「ボクは生きているぞ!迎えを待っている!」


ワトニーは、無事に火星を脱出することができるのだろうか……



監督は名匠リドリー・スコット

SF映画でも、エイリアンなんか現れないし、「敵と闘わない」、異質な感動ドラマになっております。



それにしても、生き残るためには、ホントに様々な優れた知識が必要なんだなぁ~と素直に感心する。(まあ、宇宙飛行士なんだから、もともと賢いんでしょうけどね)



でも、マット・デイモンみたいな、こんな状況下に置かれた時、こんな風にニュートラルに気持ちを切り替えられるものか、どうか………


大概は泣き叫ぶか、発狂するか、それとも自害してしまうだろうな。



失敗を何度も繰り返しても、それを乗り越えるメンタルの強さは見習いたいものです。(弱い自分は、ついつい自分の境遇を呪ってしまうので)




最後は、やっとこさ、クルーの乗るヘルメス号がワトニーを助けるために火星へとやってきた。



だが、火星の軌道に上手くのれないので、火星に残された古い宇宙船MAVにワトニーを乗船させて、それを火星の重力圏外まで押しだす作戦がとられる。


宇宙でワトニーをキャッチするという、とんでもない荒業の作戦である。



宇宙空間に放り出されて、クルクル回転するワトニー。



そこからは宇宙服のエアーを抜きながら、少しずつ、突き進んでいく。(まさに命がけ)



ヘルメス号から、精一杯、手を伸ばすメリッサ。


そして宇宙空間でワトニーを見事にキャッチした。(なんかこの部分ってガンダムっぽい)


やったー!

良かったね、ワトニー!!

ワトニーもメリッサも、他のクルーたちも、皆が泣き笑い。




なんだか、それまでのワトニーの苦労が、やっと報われた感じがして、けっこうジ~ンと感動してしまいます。


宇宙でのサバイバル劇、なんだか新しい分野ができたんじゃないでしょうか?


星☆☆☆☆。


2018年10月29日月曜日

映画 「名探偵登場」

1976年 アメリカ。







変わり者でミステリーマニアの大富豪『トウェイン』(トルーマン・カポーティ)は、世界で有名な名探偵5人とそれぞれの助手を、自宅の屋敷に招待しようとしている。


盲目の執事『ベンソンマム』(アレック・ギネス)に切手を貼らせて、(封筒に貼らずに机にベタベタ貼ってますが……)ひとまず投函させた。



そんな招待状に導かれ、名探偵たちは、ぞくぞくとやってきた。
(んな、アホな!無事届いたんかい?!)



霧の深い夜に、それぞれが屋敷を目指して車を走らせて。



屋敷の前には、今にも崩れ落ちそうな吊り橋がみえてくる。



中国の名探偵『シドニー・ワン』(ピーター・セラーズ)と養子の日本人『ウィリー』の車が、一番乗りで、そこへやって来た。


「パパは、ここでおりるあるよ、お前先に車で吊り橋渡るあるよ」


今にも崩れそうな吊り橋の上を、慎重に進むウィリーの車。


「パパ、やったよ!渡れたよ!」


「そうか、じゃ、もう一度戻ってきてパパを乗せるあるよ」(なんでやねん)




屋敷に着いたら、玄関口に頭上から、いきなりドスン!と石像が落ちてきた。(見事に外れるが)


インターホンの音は、女の叫び声(ボタンを押すと「ギャー!ギャー!」)





次に到着したのが、ニューヨークの探偵『ディック・チャールストン』(デヴィッド・ニーヴン)と妻『ドーラ』(マギー・スミス)。


ベンソンマムに案内されて通された部屋は、蜘蛛の巣だらけのネズミが這いまわる部屋だ。


「部屋を変えてもらいましょうよ、あなた!」


「大丈夫、この蜘蛛の巣はワタアメだ」


「このネズミもきっと作り物……いやホンモノだった!」


「ギャー!」






3番目に到着したのが、ブリュッセルの名探偵『ミロ・ペリエ』(ジェームズ・ココ)と運転手『マルセル』(ジェームズ・クロムウェル)。


「運転手に石像が当たった(マヌケ)彼に湿布と私には熱いココアを」


「少々お待ちを」料理人室のベルを鳴らすベンソンマム。

料理人室では、耳の聞こえない料理人『イェッタ』(ナンシー・ウォーカー)が知らぬ顔。






4番目に到着したのは、サンフランシスコの探偵『サム・ダイヤモンド』(ピーター・フォーク)と秘書『テス』。


「サムが石像に当たって死んだわ、もう失神しそうよ、受け止めて!」


盲目の執事ベンソンマムが支えられるはずもなく、そのままバタン。


サムが、起き上がりピストルを突きつけ「手をあげな!」


「お激しい御気性で」手をあげたまま部屋に案内させられるベンソンマム。





やがて晩餐の時間がきてやっと、最後の名探偵が到着。


太った女性が、車椅子に乗せた老女を押してきた。


「オー!あなたがジェシカ・マープルズね、ワタシ子供の頃から大ファンあるよ」


シドニー・ワンが老女に握手を求める。




太った女性が、「わたしが、ジェシカよ、こっちの車椅子に乗ってるのは看護師のウィザース」(なんで看護師を介護してるのか?もうメチャクチャ (笑) )





かくして、奇妙な連中と奇妙な屋敷の住人たちの推理ゲームは、始まったのだった。





徹底的に名探偵をパロディにした、おちょくり映画だが、オリエント急行殺人事件に負けず劣らず、こちらもオール・スターがそろっています。



●ピーター・セラーズは、目を一重にして、出っ歯の山羊ヒゲをして、ヘタな中国人になりきってる。(まるでバカボンの世界から抜け出たよう)名探偵チャーリー・チャンのパロディ。


●ピーター・フォークは激しい気性だが、どこか抜け作なサム・スペード(マルタの鷹)のパロディ。


●ジェームズ・ココは、食い意地のはったポワロのパロディ。


●デヴィッド・二ーヴンとマギー・スミスは、『影なき男』の夫婦探偵パロディ。


●ジェシカ・マープルズは、言わずと知れたミス・マープルのパロディだ。(ぜんぜん見た目違うけど)。





ミステリーマニアには、この映画ってどう映るんでしょう?


自分が好きな探偵が、おちょくられると腹がたつものなのかな?

私には、バカバカしくて、くだらなくて、最高な映画なんですがね。




あと、この映画を見くびるなかれ、《トルーマン・カポーティ》が唯一、出演してるのが、希少価値。



《トルーマン・カポーティ》は俳優ではない。



『ティファニーで朝食を』や『冷血』を残した有名な小説家なのだ。


その見た目をかわれて(ワタシには米良美一にみえるが…)この映画だけに、御出演なさったのだ。



話は、全然大したことないのでハードルを、おもいっきり下げて、「くだらないなぁ〜、バカバカしいな〜」と、ブツクサ言いながら観てほしいです。
(ホントに最近はこの手の映画が、減ってきてるので)




その、愛すべきくだらなさに、星☆☆☆☆をつけておきます。

2018年10月28日日曜日

映画 「オール・ユー・ニード・イズ・キル」

2014年 アメリカ。



近未来の地球は、「ギタイ」と呼ばれるエイリアンに攻撃され、まさに瀕死の状態だった。

人類は、様々な人種を集めた『統合軍』なるものを結成する。


すると、その中の一人、リタ・ヴラタスキ(エミリー・ブラント)は「ヴェルダンの女神」と呼ばれるほど、活躍しはじめて、抜群の戦闘能力を発揮して、頭角を現していく。


そして、軍は、エイリアン対策として、戦闘用装着『パワード・スーツ』なるもの開発した。

これを用いて、一挙に撲滅作戦を決行するつもりなのだ。

そんな緊張感漂う戦地へ、軍の報道官だった『ウイリアム・ケイジ少佐』(トム・クルーズ)が送られてきた。


作戦指揮官である将軍を怒らせてしまい、強制移動させられてきたのだ。

「ちょっと待ってくれ!何でぼくが、こんな所へ行かなきゃならないんだ?!」


連れて来られても、まだジタバタしているケイジ少佐。



ケイジが、連れて来られた『 J 部隊』は、戦闘の猛者ばかりがいるエリート集団で、そんなケイジは、皆に馬鹿にされて、笑われる。


そして、すぐに発進の要請が。

「待ってくれ!ぼくには無理なんだ!助けてくれ!」

ケイジは、使い方も分からないパワードスーツを装着させられると、いきなり、エイリアンが、うじゃうじゃいる最前線に放り出された。


次々、エイリアンに殺されていく仲間の部隊たち。

あの『リタ・ヴラタスキ』も目の前で戦死してしまう。

パワード・スーツの操作も満足に知らない素人のケイジは、ただオロオロするばかり。



そこへ地中から、長い触手を伸ばしたエイリアン。


ケイジめがけて襲いかかってきた。

「ヒィー!!」

なんとか、そばにあった地雷で、エイリアンを爆破。


だが、飛び散ったエイリアンのかえり血(青い血)を浴びながら、哀れケイジは、絶命するのだった…………。



ところが、次の瞬間、ケイジは目を覚ます。


なんと時間が、軍に連れてこられる前に戻っているのだ。


今までの記憶はそのままで?!


同じ人々の行動やセリフに、唖然とするケイジ。

エイリアンのかえり血は、ケイジをタイム・ループする体質に変えていたのだった。



原作は、2004年に日本で発表された桜坂洋の中高生向けライトノベル小説。


これが英訳されて、アメリカのプロデューサーの目にとまり、珍しい経由を得て映画化に至った。(大部分設定、変わってますがね)

この映画観た時、

「おや?なんか、いつものトムクルーズじゃないぞ」、と思った記憶がある。

ビクビク、オロオロするトムなんて新鮮だった。(このあたりは、ちょっと笑えます)


何度も、何度も殺されては、生き返りを繰り返していると、こんなヘナチョコのケイジでも、少しずつは、戦い方のコツを掴んでいく。


同じ時の繰り返しは、ケイジの意識を成長させていくのだった。

この成長過程こそが、この映画の面白さなのでもある!と断言しておこう。

それに、この映画は、トム・クルーズの映画人生の中でも特殊な位置付けになり、今後も残っていくと思う。

なにか、これが、トム・クルーズの違う活路になればと、願いつつ、
星☆☆☆とさせて頂きます。

2018年10月27日土曜日

映画 「ザ・パッセージ/ピレネー突破口」

1978年  イギリス。






やっとDVDで観れた。




その昔、1983年 日曜洋画劇場で放送された、幻の迷作。


あの時の邦題は『パッセージ/死の脱走山脈』だった。





アンソニー・クイン(道、ナバロンの要塞)、


ジェームズ・メイソン(北北西に進路をとれ、シーラ号の謎、夜の訪問者)、


マルコム・マクダウェル(時計仕掛けのオレンジ)、


クリストファー・リー(吸血鬼ドラキュラ)
名優たちの競演。





監督はナバロンの要塞の J・リー・トンプソン。



放送当時、残酷なナチスの指揮官マクダウェルのインパクトが、一度みたら忘れられないくらい凄くてトラウマになるくらいだった。


で、何十年ぶりに、記憶をたどりながら観ても、やっぱり残酷なモノは残酷でございました。






山で羊飼いをしているバスク人。(アンソニー・クイン … 名前がないので、後記《バスク》とする)


山を知り尽くしている事をかわれて、ユダヤ人科学者『ベルグソン』(ジェームズ・メイソン)と、その妻『アリエル』、そして息子『ポール』と娘『リア』の家族たち4人の救出を、バスクは依頼された。




時代は、第二次世界大戦中のナチスに支配されているフランス。


フランスからピレネー山脈を越えて、スペインへと逃げる計画だ。



家族は、常にナチスの監視下におかれていて、『アラン』という男の手引きで、なんとか救出に成功。



だが、手引きしたアランは、ナチスに捕まり、指揮官『ベルコフ』(マルコム・マクダウェル)に拷問される。




ベルコフの拷問は、凄惨極まりなく、まな板に両手の指を留められているアランを、笑いながら、●●するくらいだ。(このシーンのゾッとする事。●●の部分はご想像下さいませ)




バスク老人と一家を連れて、フランスのトゥルーズ駅から列車に乗り込むのだが、どこまでも執拗に追うナチス親衛たち。


列車は簡単に爆破されて、命からがら脱出する。





翌朝、運よく、ジプシー(現在はロマと呼ぶ、ジプシーは差別用語)の幌馬車が通りかかると、バスク老人は『ロマの長』(クリストファー・リー)と交渉。


ロマの長は、気持ちよく、家族たちを幌馬車にのせる事を了承してくれた。




だが、またしても、幌馬車隊はナチスの検問に引っ掛かる。


それでも、なんとかバスク老人と一家は、やりすごす事ができたのだが………ジプシー娘に変装したリアだけが、こともあろうに、あの!ベルコフ指揮官に気に入られてしまい、ナチスの軍隊にさらわれてしまった。



その夜、リアをレイプする為に、あのゲスなベルコフ指揮官は、パンツ1枚の姿に。(ゲゲッ!パンツにまで、ナチスの鉤十字のマークとは!)





バスク老人は、次の朝、隙をみてリアを救出する。(遅いよ)


そして、家族は再び合流して、険しい山越えを決行。




だが、別れたロマの幌馬車隊が、またしても、ナチスたちに捕らえられてしまう。



「ベルグソンたちは、どこに逃げたんだ?!」

激しく続けられる長(おさ)への拷問に、たまらず目をそむける他の者たち。



たまりかねたロマの息子が、ベルグソンの行き先を白状するのだが、非情なベルコフは奇妙な薄笑いを浮かべる。



「これでお前らに用はない!」と、ロマの長を、ためらいもなく焼き殺してしまう。(ここまでするか?普通)




そのうえ機関銃の乱射で、残ったジプシーたちも全て皆殺し!!(もう、完全に狂ってる!)




ベルグソン家族たちの命をかけた山越えは、果たして上手くいくのだろうか………







もう、なにからなにまで、悲惨凄惨なベルグソン一家と、それに巻き込まれる人々の悲劇の物語である。




アンソニー・クインは老いていぶし銀の貫禄をみせている。

本当に頼りになる男である。(でも主役なのに、何で名前がないの?)



私には、この時代のアンソニー・クインが、必殺仕事人の『藤田まこと』と重なるのだが……と思っていたら、後年、アンソニー・クインが演じていた『その男、ゾルバ』を藤田まことも舞台で同じように演じておりました。(やっぱりね、何か雰囲気が似てるもんね)





狂気、変態、冷酷、非情の総デパート『ベルコフ』役を、マクダウェルは嬉々と演じている。(ゆえに、憎たらしい事この上ない)



この後も、逃げても、逃げても、どこまでも執拗に追ってくるベルコフ指揮官。(本当にしつこい)



そうして、やっと雪山の頂上に見つけたバスク(アンソニー・クイン)の姿。




だが、バスク老人の方が一枚上手だった。


「おーい!こっちだ!ここだぞぉー!」

頂上のアチコチから、わざとバスク老人は顔を出しはじめたのだ。



それを、よせばいいのに、雪山の下から頂上にいるバスク老人めがけて、ベルコフは銃を乱射し続けた。


そう、バスク老人はわざとベルコフに銃を撃たせるように仕向けているのである。




で、雪山の中で銃を乱射すると、どうなるかというと………


銃声の衝撃は、アチコチの雪山に木霊となって響き渡り、深く積もり積もった雪を一気に崩れさせたのだ。


落ちてくる大量の雪崩が、もの凄いスピードでベルコフに襲いかかってくる。



「ギャァァァーーーッ!!」

断末魔の悲鳴を上げて、ベルコフは雪崩にのみ込まれていくのだった。(本当に浅はかでアホな奴)




まぁ、その後も、やっぱり生き残っているベルコフなんだけど……(もう、コイツ、悪党のくせにゴキブリ並の生命力。どんだけ運がいいんだか (笑) )




こんなドギツイ映画を、昔は地上波で、平気で放送したのだから、今更ながらに驚く。



とにかく、B級戦争アクション変態映画をDVDにしてくれたメーカーさんに感謝しかないです。


星はつけられませんけど、さすがにね。(でも、こっそりオススメしときますね)




映画 「嵐が丘」

1939年 アメリカ。






原作は、1847年に発表されたエミリー・ブロンテ唯一の小説である。(先日紹介した『ジェーン・エア』のシャーロット・ブロンテの妹さん)


と、いうのも翌年に彼女、結核を患い亡くなってしまったからなのだ。



発表当時、姉シャーロットの『ジェーン・エア』は大絶賛されて迎えられたが、妹エミリーの『嵐が丘』には最低の評価。(世間からは大ブーイングの嵐)



だが、20世紀になってから、手のひらを返したように、急に絶賛されはじめていく。



すると、こぞって舞台化や、映画化もされたりして、知名度も人気もドンドン上昇していき……



しまいには、『ジェーン・エア』の6度映画化を越えて、『嵐が丘』は、7度も映画化されてしまったのである。(それもアメリカだけじゃなく、イギリス、フランス、メキシコと、果ては日本まで)



日本では、時代背景を、鎌倉・室町時代に変えて、田中裕子と松田優作で映画化なんてのもされてるらしい。




そんな『嵐が丘』の何に、20世紀の人々は、突然惹き付けられたのだろうか?………………






『嵐が丘』の主人に連れられてきた浮浪児『ヒースクリフ』。


そこで出会った、娘『キャシー』。



キャシーの美しさや奔放さに、ヒースクリフは、たちまちズキューン!ひと目惚れ。


激しく慕い続ける一生の恋の始まりだった。




そんなヒースクリフの出現に、キャシーも、なんだか楽しそう。(だって近くには同じ歳の子もいないんですもの)




兄の『ヒンドリー』は、ブスッとした顔。


(何で俺様が、こいつと仲良くしないといけないんだ?、それにキャシーに馴れ馴れしくしやがって……)

軽蔑と嫉妬心で歪んだ性格になっていく。



やがて屋敷の主人が亡くなると、ヒンドリーが、嵐が丘の主人になり、我が物顔で振るまいだした。


「今日から俺が主人だ!、俺の命令は絶対なんだ!ハハハ!」(こんな小者が、へたに権力を持つと、おかしな事になってくる)


途端に『ヒースクリフ』(ローレンス・オリヴィエ)は馬番に格下げ。



それでも、キャシーとヒースクリフは愛を育んでいくのだが、なぜか、最近物足りない様子の『キャシー』(マール・オベロン)。



ヒースクリフは相変わらずだが、キャシーの気持ちは変わっていった。



そして、成人して大人になっていくと、


「あ~、華やかな生活がした~い!」


と思うようになってきたのだ。




近所のリントン家では、毎日がパーティー三昧。(あ~羨ましい~)



そんな時、大金持ちのリントン家の息子エドガーが、キャシーに求婚してきた。


キャシーにしてみれば夢見心地。(やったー!超ラッキー!)




そんな気持ちが分からないヒースクリフはキャシーに詰め寄って問いただす。


「何故なんだ?! 急にどうしたんだ!!キャシー!俺のキャシー!!」


素敵なエドガーと汚ない身なりのヒースクリフを天秤にかけて、キャシーはあっさり《毒》を吐いた。


「だってあなたは、所詮《馬番》でしょう? 無理なものは無理なのよ!」(全く女って奴は……)



これを言われたヒースクリフは大ショック(ガーン!( ̄▽ ̄;))。


「あんまりだ……キャシー………」


ワナワナ震えながら、こんな捨てセリフの後、嵐の夜、屋敷から飛び出していくのだった。


(畜生!今にみてろよ!……)




ヒースクリフが去ると、迷いなく、さっさとエドガーと結婚したキャシー。



エドガーは優しいし金持ちだし、言うことなし。


平穏で幸せな歳月が流れた。




だが、ある日、あのヒースクリフが、ひょっこりと戻ってきた。



アメリカで成功して紳士然とした姿で現れたのだ。(どんなダーティーなやり方でのしあがったのか?)



そんなヒースクリフの登場に、途端にオロオロと狼狽するキャシー。(多少は気がとがめる?)



もちろん、ヒースクリフの目的は、自分をないがしろにしたキャシーやヒンドリーたちへの復讐なのだ。



手始めに、さっそく《嵐が丘》を買い取るヒースクリフ。(馬鹿なヒンドリーに屋敷の主人なんてのが務まるわけがなく、内情は借金だらけ。買い取りも簡単でした。)


「私が、今日から《嵐が丘》の主人だ。そしてお前はお情けで置いてやる!感謝しろ!!」


「な………何だと………」(ヒンドリーの声も弱々しい)




兄のヒンドリーを下僕にしたヒースクリフ。


「ほら、お前の好きな酒だ、もっと飲め!そら飲め!」


アルコールをたらふく与えて、アル中にしてしまうヒースクリフ。(えげつない)



そして、エドガーの妹『イザベラ』に近づいては、言葉たくみに騙して垂らし込んで愛のない結婚までしてしまう。(そんな高度なスケコマシのテクニックを、この短期間で、どこで身につけたんだろう?ヒースクリフって男は……(笑))



それも、これも、すべては身近なキャシーに苦しみを与えるためなのである。(真綿で首を絞めるように………本当にえげつない復讐である)



だが、そんな風にキャシーを苦しめながらも、一方では、歪んだ愛情で今でも熱烈に愛しているヒースクリフ。



ぬじれた愛情は、やがて悲劇へと進んでいくのであった……。





監督は、ウイリアム・ワイラー。(ローマの休日、ベンハーなどなど…)



ワイラーは、完璧主義で有名な方である。



自分が気にいる演技ができるまで、とにかく役者たちには、何度でも演技を強いるのである。




主演の二人、マール・オベロン(キャシー)とローレンス・オリヴィエ(ヒースクリフ)の二人も、さぞや、ワイラーに鍛え上げられたはずだ。



その甲斐あってか、マール・オベロンの演技は、見事なこと。


ともすれば、イヤ~な女になるキャシーをギリギリ上手に演じている。



ローレンス・オリヴィエも、純朴な青年だったヒースクリフから、復讐に燃えるヒースクリフへの変化を立派に演じている。




でも小説が刊行された当時、この『嵐が丘』が、一般の人々が受け入れられなかったのも妙に納得してしまった。




ご覧のように、登場人物たちが、全く《善い感じの性格じゃない》のだ。




貞淑な女性が一般的だった時代に、こんな奔放で言いたい放題のキャシーの性格は、まず同性には嫌われるはずだし、

復讐鬼に変貌するヒースクリフは本当にイヤ〜な野郎にしか見えなかったはずである。





それでも長い時が過ぎると、人の見方も変わってくる。




キャシーのふしだらさに、女性の本音を見いだして、


ヒースクリフには、男の諦めの悪い粘着質を……


横暴なヒンドリーには、裏に隠された心の弱さを見つけてしまうのだ。




人は綺麗事ばかりじゃない。



人の2面性や、むき出しの本音を語った『嵐が丘』が、やっと20世紀になって理解されるようになってきたのである。



世間は、この原作をこぞって求めはじめる。



こんな『嵐が丘』が、スンナリ受け入れられるようになったのも、人の理解力の向上や、それなりの進歩なのかな?(笑)




とにかく、これからも映画やドラマに形を変えて、我々の目の前に、ひょっこり登場するんであろう『嵐が丘』。



そのくらいインパクトのある登場人物たちは、いつまでも色褪せない魅力を放っているのである。


星☆☆☆☆☆。

2018年10月25日木曜日

映画 「ビバリーヒルズ・コップ」

1984年 アメリカ。





デトロイトの市警察、『アクセル・フォーリー』(エディ・マーフィー)は問題ばかりおこす、口のたつ黒人の若手刑事。


ビバリーヒルズからやって来た、幼なじみのマイキーと再会するが、そんなマイキーは、呆気なく、何者かに殺されてしまう。


(こりゃ、事件の鍵はビバリーヒルズにあるはずだ!)


思いついたら、即行動のアクセルは、単身ビバリーヒルズに乗り込んで勝手に捜査をはじめる事にした。



ビバリーヒルズで知り合いのジェニーを訪ねていくと、

「あ~、あのマイキーなら、画商の『メイトランド』に雇われていたわ」

と、有力な情報。



ことを聞き出すために、今度は、さっそくメイトランドの元へ。


だが、アポイントメントもなしに乗り込んでいったアクセルは、あっさり追い出されて、逆に現地の警察に逮捕されてしまう。




アクセルを逮捕したビバリーヒルズ警察はカンカンだ。



メイトランドは町の名士で有力者なのだ。


警察もそんなメイトランドには、ひときわ優遇していて、上層部はつねにヘコヘコしているのである。



「こんなフォーリー刑事を、もはや野放しにはできない!」


勝手な行動をとらないように、ビバリーヒルズ警察は、アクセルに見張りの監視役をつける事にした。



そんな監視役に選ばれたのは、若手の刑事『ローズウッド』(ジャッジ・ラインホールド)と頭の硬いベテラン中年刑事『タガート』(ジョン・アシュトン)。



だが、そんな監視もなんのその!

アクセルは簡単に二人を振り切ってしまうと、またもや勝手な捜査をしはじめるのだ。




案の定、アクセルにまかれた、ローズウッドとタガートの二人は、「何をやってるんだー!」と上司に大目玉だ。



そんな二人が上司に怒られている光景を見て、さすがのアクセルも、気がとがめだした。



「あの~俺が悪いんです……」なんて言いながら、とりあえず二人を庇うような低姿勢をみせる。




そんなアクセルの態度にタガートはムカっ腹!


「同情など入らん!!」

根っから真面目人間で、頑固者のタガートは、大激怒する。



若手のノホホ~ンとしたローズウッド刑事は、(俺、どうしたらいいの?)なんて風で、落ち込むわけでもなく怒るわけでもない。

終始キョトン顔である。(まだ仕事に対するプライドや信念なんてモノも備わっていないのだ。)





こんな二人の刑事だったが、日々、アクセルに振り回されるうちに………。







この映画が、あの当時、大ヒットしたのはどうしてだったのか?


大概の人が、エディー・マーフィー演じるアクセル・フォーリーのキャラクターを誉めちぎって、それを一番に挙げるだろうか?




それとも、ノリの良い音楽だろうか。



とにかく、この映画は、抜群に音楽が良い!!

劇中で軽快に流れるアクセル・フォーリーのテーマ、『アクセル・F』。(そのまんまやん)


この音楽が流れると、深刻な捜査とは程遠い、フットワークのかる~い、軽快な捜査に見えてくるのだから、アラ!不思議だ。


主題歌のグレン・フライが歌う『ヒート・イズ・オン』も大ヒットした。


たまらず当時、わたくしめ、この映画のサントラを買い求めに走りました。(聴いた事ない人は、ぜひぜひ聴いてくださいませ)




エディ・マーフィーのキャラクター、ノリのよいサントラ……




でも、そんな表面のきらびやかなモノの裏に隠れていて、あまり気づきにくいかもしれないが、この映画のテーマは《人の心の変化》だと思っている私である。




頑固者タガート刑事の気持ちの雪解け…。

新米刑事ローズウッドの自我の芽生え…。



こんなモノが裏テーマになっていて、この映画は大ヒットしたのだと、自分は、そう分析している。




続く『ビバリーヒルズ・コップ2』がヒットしたのは、たんに、その流れ。(相変わらず音楽も良かったのだけど、この映画まるで印象薄い)



3は大失敗した。(タガート刑事が死んでしまうので)




続編を作るのも、ただ、ノリの良さだけでは無理なのだと、この『ビバリーヒルズ・コップ』シリーズを観ると、つくづくそう思ってしまう。



「どういうわけで、この映画は観客の心を上手く掴む事ができたのか?!」



ちゃんとしたパート1のヒットの要因や分析がなされていたのなら……


本当に残念なシリーズである。





それでも軽快な刑事もの、このパート1、『ビバリーヒルズ・コップ』は、色あせる事はない。



これからも映画史に残っていく、これは傑作である。



どうか映画スタッフの方々、「続編を作るなら、ご慎重に!」とお願いしておく。

星☆☆☆☆。

2018年10月22日月曜日

映画 「ジェーン・エア」

1943年 アメリカ。





孤児の『ジェーン』は意地悪なリード夫人と、その息子に虐げられながら、9才まで育った。


そして、とうとう厄介払いに慈善学校に送り込んだリード夫人。(とにかく9歳まで育ててやったんだから、「ありがたく思え!」ってなもんだ)



そして、ジェーンが送り込まれた学校は、慈善とは名ばかりの場所。


情愛すら持ち合わせていない『ブロックハースト校長』が全てを取り仕切っていた。


ジェーンは『ヘレン』という友達ができるが、ある日、校長に逆らい、二人は罰として何時間も雨の中を行進させられてしまう。(※このヘレンが子役時代のエリザベス・テイラーなのである。写真右。)




結果、ヘレンは肺炎で、次の朝死亡。(これ、幼児虐待もいいとこだろ!)



校長を憎むジェーン。

だが、(教養や知識を得る為なら…)と、ジェーンは、自分の感情を押し殺して学校にとどまる決意をした。



(いつか、こんな所出ていってやる!!)



やがて、成人した『ジェーン』(ジョーン・フォンティン)。


そんなジェーンを、ブロックハースト校長は、学校の教師として、わずかな薄給で、そのままこき使おうともくろんでいたのだが……。



だが、そうは問屋がおろさない!


ジェーンは、内緒で家庭教師の仕事を見つけ出していたのだ。


「この恩知らず!」怒りでブルブル震えるブロックハースト。


「なんの恩がありますか? 私は、こんなところ出ていきます!!」


ブラックハーストに、ピシャリ!と啖呵をきるジェーン。(よくぞ、言った!)



外の世界へ! そして自分で自分の道を歩くのだ!




広大な《ソーンフィールド》という館では、人の良い『フェアファックス』という家政婦と召し使いたち、可愛い『アデール』という少女が待っていた。


アデールは、ジェーンがやって来て大喜び。


(可愛い、おしゃまなアデール……なんて素晴らしい場所かしら、ここは……)




当主のロチェスターは、外国を飛び回って今はいないらしい。

しばらくは、アデールと楽しい時を過ごすジェーン。




そんな日々が過ぎ、ある朝、ジェーンは、何気に霧の深い庭先を散歩をしていた。



すると、突然、馬が飛び出してくる。



すんでのところで事なきを得たが、馬に乗った男は、謝るどころか緩慢で無礼な態度で、逆にジェーンにくってかかった。


(なんて、イヤな感じの男なの……)


だが、この男こそ、久しぶりに帰ってきた、当主『ロチェスター』(オーソン・ウェルズ)だったのだ。



皮肉屋なこの男を、フェアファックス夫人は、

「傷ついた心を持つ、この屋敷で安らげない人……」

と憐れむが、ジェーンは、この男を好きになれずにいた。



そんなロチェスターが帰ってきて、ある夜の事、ジェーンは薄気味悪い笑い声で目が覚めた。


(こんな夜中に誰なの?……)

声のある方へ走っていくと、ロチェスターの寝室から、炎と黒煙が……!



誰かが放火したのだ!


慌ててロチェスターを起こして、消火するジェーン。


しばらくすると炎は鎮火して、なんとか大惨事にはならずにすんだ。




だが、ロチェスターは、

「この事は、誰にも言わずに、しばらく黙っていてくれ!」と言う。


不審に思うジェーンだったのだが……。






イジワルな叔母に、イジワルな従兄……。

冷酷な校長の下で、長い間堪える日々……。

それが終わったかと思ったら、奇妙な館での許されない恋愛や、幽閉されている人物の不気味な行動に、毎夜毎夜、振り回される。



ジェーンの行くところ、次から次に災難続き。


これでもか、これでもか、なんていう怒濤の展開に、「まるで、これって大映ドラマ?」と素直に思ってしまった。



アメリカ人にも、こんな試練に堪え続けるヒロインなんてのがウケるのかねぇ~。




原作は1847年に発表されたシャーロット・ブロンテの長編小説。


これが一番最初の映画であり、このあとに、1970年、1983年、1996年、2006年、2011年と6度も映画化されている。(やっぱり好きなんだ、アメリカ人も)




この原作の何にひかれるのだろう。


メロドラマであり、ゴシック・ミステリーであり………


ようするに多面的で間口が広いところが、万人に受け入れやすいんだろうか。




そして、そんな運命に翻弄されるといったら、ヤッパリこの人、《ジョーン・フォンティン》である。



こんなジェーン役に、ジョーン・フォンティンはピッタリ。


ヒッチコックの『レベッカ』でも堪え忍ぶ役だったが、美人でも、どこか幸薄い印象ですものね、この人。



自分自身の資質に合った役で、これまたジョーン・フォンティンの、これも代表作といえるのではないかな?


星☆☆☆です。(オーソン・ウェルズの演技だけが、ワタクシちょびっと苦手なものでして……)

2018年10月21日日曜日

映画 「ローガン・ラッキー」

2017年 アメリカ。





『ジミー・ローガン』(チャニング・テイタム)はウェスト・バージニア州のオートレース場建設のため、ジミ~に、地下工事をしている。


若い頃は、アメフトで有望だったが、足のケガで夢やぶれ、今でも少し足を引きずって歩く生活。



別れた妻(別の男と再婚してる。高飛車でイヤな感じの女)との間に生まれた可愛い娘に、時たま会うのだけが、唯一の幸せだ。



だが、仕事は突然クビになり、元妻は今の旦那と、今いるウェスト・バージニアを出ていき引っ越すという。


引っ越してしまえば愛する娘には会えなくなるじゃないかー!!


落ち込んだジミーは、弟『クライド』(アダム・ドライバー)の働いてるバーに行った。


クライドの方も、イラク戦争で運悪く左手を失い、義手を着けている障害者だ。(兄弟そろって障害者なんてのも、また不幸な話)



兄弟は、これまで全くツイてなかった人生にどんよ~り暗くなるばかり。



クライドは、

「これはローガン家にかけられた呪いだ!」とまで言う。(そう言いたい気持ちも分かるけどね)



そんな時に、バーにやってきた通販会社社長のマックスが、クライドの腕を馬鹿にして絡んできた。



会社をクビになり、娘にも会えなくなる。

その上、弟までもが馬鹿にされて、さすがのジミーも(プチッ!)堪忍袋の緒が切れた。


たちまち店の外では大喧嘩になってしまう。



だが、ジミーは喧嘩の後に、なにかを決心したような顔つきになった。



次の日、ジミーは、クライドにきりだした。



「こうなりゃ、一発逆転。モーターショーで集められた金を奪うんだ!」


それは無謀にも思える強盗計画。


やや、乗り気じゃないクライドを強引に説き伏せると、妹の『メリー』も引き込んだ。(妹は「即、O.K..」ってなもので軽いノリ)



だが、これだけでは不十分。



ジミーは、刑務所に収監中で爆破のプロ、『ジョー・バンク』(ダニエル・クレイグ)までも仲間に引き込もうと面会にやってきた。


「俺の計画に参加してくれ!!」


ジョーを、難攻不落な刑務所から脱獄させて、一緒に強盗をして、そして、また刑務所に戻すという、なんとも破天荒な大作戦である。



「そ、そんな事が可能なのか?」

驚くジョー。



さらには、少しオツムの弱いジョーの弟2人も引きこんで、ジミーの計画はいよいよスタートする。




監督は、引退撤回したスティーヴン・ソダーバーグ。



チャニング・テイタムを初めて良いと思った映画でした。


この人、アメリカじゃ、イケメン扱いされてるけど、顔のパーツが中心寄りで、今まで少しもカッコいいと思った事なかった。


でも、やる役は、『ホワイトハウス・ダウン』や『マジック・マイク』など2枚目役ばかり。


それが髭面で、中年で、足を引きずっていて娘に甘い父親役で、それがなんとなくあってるのだ。



アダム・ドライバーは、新スターウォーズに出てるらしいが(あまり新スターウォーズに興味ないので観てない)、飄々とした暗い弟をよく演じてたと思う。




この映画で、一番良かったのがダニエル・クレイグなのにはビックリした。




縞の囚人服を着て、気楽な刑務所暮らしをしている厳つい顔のジョー(ダニエル・クレイグ)。



なんだか強面のダニエルが醸し出す可笑しみが、妙に笑えるのだ。(この人、以外にコメディーセンスがあるのかも)




007なんかの役より、イキイキしていて本人も楽しそうである。





それにしても、モーターショーで集められたお金が、様々なエアーの長~い配管を通って1ヶ所に流れていくのってスゴい絵面だな~、と変なところで感心してしまった。(配管がつまったらどうすんだろか?と要らぬ心配してしまう)




でも、この映画の登場人物たちって、モーターレースの関係者も刑務所も、全体的に、みんなお気楽すぎ。


全く警備管理も雑すぎて、こんな風じゃ、ローガン兄弟じゃなくても簡単に脱獄させたり、盗みに入ったりできるのも納得である。



今時、こんな、ユルユルで緊張感のない犯罪映画も珍しい。



それゆえ、このお気楽さを、のんびり楽しんでほしいと思う。

星☆☆☆。

2018年10月20日土曜日

映画 「狩人の夜」

1955年 アメリカ。





舞台は1930年、世界恐慌のウェストバージニア州。


やむなく、貧困のために銀行強盗をして、1万ドルを盗んだベン・ハーパー。




幼い息子のジョン(7~8才ぐらいだろうか?)に金の隠し場所を教えると、ジョンの目の前で、ベンは警察に連行されていった。

「母さんと妹のパール(3才くらい)を守るんだぞ!」

と言い残して。





刑務所では、同じ房にハリー・パウエルという男がいて、ベンの隠した1万ドルを狙っている。



ケチな車の窃盗でつかまっていたが、


右手の指にL・O・V・E(愛)、

左手の指にH・A・T・E(憎悪)

のタトゥーをした自称、伝道師『ハリー・パウエル』(ロバート・ミッチャム)は、邪悪な信仰心と女性嫌悪をあわせ持つ、恐ろしい殺人者なのだ。



やがて、ベンは、死刑になり、出所したハリーは、ベンの家にやってくる。




未亡人となったベンの妻ウィラを、騙して虜させると、アッ!という間に再婚までしてしまった。

妹のパールもなついてしまう。



だが、息子のジョンだけは、ハリーに心を開くことはなかった。






しばらくすると、母親ウィラが突然行方不明になった。(ハリーに殺されて川の奥に車ごと沈められているのだが)



ハリーはぬけぬけと、

「別に男ができて、子供たちを捨てて出ていったのです。なんて可哀想な子供たちなんだ。でも、この子たちは責任を持って私が育てます!」

と町の人々に吹聴する。



そんなハリーの嘘を疑いもせず、町の人々は、「まぁ、偉いわ!ハリー!」と褒め称えるのだが………。




だが、ハリーの目的は、最初から《金》。



刑務所で死ぬ間際に、ベンが寝言で言っていた《金》が、この家のどこかに隠してあるはずなのだ。

その隠し場所を子供たちなら、必ず知っているはず!




その夜から、家の地下室では、

「1万ドルの隠し場所はどこだ!」

ハリーの怒号が響き、幼いジョンとパールを責め立てていたのだった。



それを見ていた妹のパールは、怯えて泣き出してしまう。(まだ3才だもの。この子、本気でミッチャムの演技に怯えていそう)


「お人形の中よ!!」(アッ!という間に自白。アララ……)


いつもパールが抱えて離さない人形の中に1万ドルはあったのだ。






「ハハハーッ、1万ドルは目の前にあったのか!」

地獄の底から聞こえるような高笑いをするハリー。


そんなハリーが、悦に入り、笑い転げている時、ジョンは咄嗟の機転で、ハリーの頭にある棚の突っ張り棒を外した。

棚の上の瓶は、見事にハリーの頭上に落下して命中。



まともに落ちてきた瓶で、ハリーは、しばしクラクラしている。


(今だ!)

ジョンは、パールの手を引いて、地下室の階段をかけあがった。(もう、この辺のハラハラ、ドキドキ感は半端じゃない、早く逃げて!逃げて!)





そして、地下室の蓋を閉めて鍵をすると、家を飛び出す二人。



外は真夜中。

それでも必死に、手を繋いで逃げる幼い二人。



近所のおじさんに助けをもとめるも、完全に泥酔している。(ダメだ、こりゃ~)


その時、地下室から脱出したハリーが恐ろしい唸り声をあげながら二人を追いかけてきた!




いつの間にか川岸まで逃げてきた二人。





目の前に、川に浮かぶ一隻のボートがあった。
(このボートで逃げるんだ!)



ジョンはパールを乗せると、重いオールを操って、ボートは岸から離れはじめた。

でもハリーは、そんな二人の姿を見つけて川にまで飛び込んでくる。(このシーンの寒気がするくらい恐ろしい事~)


でも、あと少しで手が届かず。



ボートは下流にうまく流れだし、ハリーの叫び声もどんどん遠くなっていった。



やっと安心したジョンとパール。


真夜中、ユラユラ進み続けるボートの上には、まばゆい月明かりが優しく二人を照らしている。



疲れと安心感に包まれて、ジョンとパールは、しばし、安息の眠りにつくのだった …………




監督は名優チャールズ・ロートン。


この作品は当時、興行的には失敗して、監督はこれ一本だけ。



だが、何十年後か経つと、だんだんと口コミで火がつき人気になり、フランソワ・トリュフォーや映画評論家などに絶賛されて、再評価されたという珍しい経歴の映画である。



映画にも、こんな現象が、たまにあるのだ。




とにかく、この映画、ハリー・パウエル役のロバート・ミッチャムが怖いこと、怖いこと。


「ウウウウウーッッー!!」なんていう、独特な唸り声で、幼いジョンとパールを追いかけ回すのだから、もし子供の時に、この映画を観ていたとしたら、確実にトラウマ物だろう。(大人になってた自分でも、充分怖かったが)


こんな独特な役作りが、当時、真面目な評論家や、堅物の観客に嫌がられ、煙たがられた原因だったかもしれない。



だが、一方では、興行的には失敗しても、この《ハリー・パウエル》のキャラクターは、世間的には強い印象を残す。


《ロバート・ミッチャム》=《ハリー・パウエル》=《怖い人》の図式は、後の傑作『恐怖の岬』につながっていくのである。(未見。いつか観てみたい)





後半、ジョンとパールは気立ての良い老婦人『レイチェル』(リリアン・ギッシュ)に、運よく拾われる。


孤児や片親ばかりの子どもたちを、無償の愛情で世話するレイチェル。


ジョンもパールも、やっと安心した生活を手に入れる事ができた。(ここで、やっと、ホッ!とする。ジョンとパールも良かったね)




だが、そこにも邪悪なハリーが現れて、猫なで声でレイチェルを丸め込もうと、ウソ話を始める。


「あ~、やっと見つけた!憐れな子供たち。ずっと探していたのですよ。ウウウッ………」

レイチェルの前で、白々しく泣き真似までしてみせるハリー。




でも、レイチェルは騙されない。



ハリーの本性を一目で見抜き、猟銃を向けて追い払うのだ。


「とっとと出ておいき!!この悪党!!」(やっと子供たちを信用して、守ってくれる大人が現れたのだ!)





この映画を観ていると、いつしか7~8才の頃にタイムスリップしてしまう自分。


ジョンの気持ちに同化しながら、恐怖したり、ハラハラしたり、安堵したり………。




そんな体験をさせてくれる、これは特別な映画なのである。

星☆☆☆☆☆。(隠れた傑作ですぞ)

2018年10月19日金曜日

映画 「イヴの総て」

1950年 アメリカ。







演劇会最高の賞、『サラ・シドンス賞』の授与式の夜。(トニー賞みたいなものだろうか……)


トロフィーが、女優『イヴ・ハリントン』に渡される瞬間、劇作家のロイド・リチャーズの妻、カレン(セレステ・ホルム)は、初めてイヴに会った事を思い出していた。


8ヵ月前のあの夜のことを……。






大女優マーゴ・チャニングの舞台を見に来ていては、いつも劇場の外に立っている地味な娘、『イヴ』(アン・バクスター)。


(あの娘、また来てる……)


いつも見かける娘に、人のいいカレンは、思わず声をかけた。


「毎日来てるわね、マーゴのフアンなの?」

「はい!、だって憧れの存在ですもの。何度観ても、彼女の舞台は素敵ですわ」


(フフフッ、何て純粋で可愛いのかしら……)


目の前の娘の、ひたむきさ、真摯さは、自然にカレンの口からある言葉を引き出した。


「いいわ!決めたわ!その憧れの『マーゴ』に会わせてあげる!」


イヴはビックリした顔で、「本当ですか?、夢じゃないかしら」と素直に感動した。


その驚き方に、尚更、カレンは嬉しくなり、この娘イブを気に入ってしまった。






舞台が終わり、楽屋で『マーゴ』(ベティ・デイヴィス)は化粧をおとしている。


側では、口が悪いが旧知の中で長年の世話係『バーディ』(セルマ・リッター)が衣装をせっせと片付けていた。




「ちょっといいかしら?」



ノックとともに入ってきたカレンを、マーゴは嬉しそうに引き入れた。



しばらくは雑談しているカレンだったが、意を決めて切り出した。



「実は、あなたに会わせたいフアンがいるのよ、会ってもらえるかしら?」



マーゴは突然の申し出に戸惑ったが、他ならぬカレンの願いを無下に断るはずもなく、


「いいわよ、連れてらっしゃい」と寛大さをみせた。



そしてカレンが戸口の裏にいたイヴを引き入れると、イヴは目を輝かせて嬉しそうにした。


「まるで夢のようですわ、私、大フアンなんです!素晴らしい舞台!何度、同じ舞台を観てきた事でしょう!どれもこれも素晴らしくて!」


マーゴの目の前で、絶賛し、称賛するイヴ。


(まぁ、悪い気持ちじゃないわね……)


マーゴも照れ隠しの気持ちを抑えていても、自然に笑みを浮かべていた。






興味をもったマーゴは、イヴの恵まれなかった悲しい過去を聞くと、なおさら同情してしまった。

根っから人の良い姉御肌のマーゴ。




「決めたわ!明日から私の所にいらっしゃい!」


その場の思いつきで、付き人にする事にしたマーゴ。


これには、ビックリするイヴだったが、

「ありがとうございます、一生懸命頑張りますわ!」と、さらに嬉し顔。


それを側で聞いていたバーディは、ウンザリした顔で、奥にひっこんでいった。




それから、イヴは盲目的に、そして献身的に、マーゴにつくしていく。


最初は気が利いて気持ちのよかったマーゴなのだが、……………なんだか、だんだんと奇妙な居心地の悪さを、感じるようになってきた。




(でも、一生懸命やってくれているんだから……)


自分が決めたのだから取り消すわけにもいかず、何とか自分にそう言い聞かすマーゴ。



それでも………


「あなたイヴが嫌いよね?」なんて、バーディに聞いてみたりする。

「えぇ、嫌いですよ。何だか四六時中あなたの事ばかり考えていて、気持ちが悪いったらありゃしない!」

バーディは容赦ない。



(そう……あの娘が考えているのは、いつも私の為になる事ばかり………)




それからもイヴは気を利かせて、マーゴの恋人で舞台演出家のビルの誕生日にマーゴの知らない内に先回りして祝電を贈ったりもした。


戸惑うマーゴ……そして、段々とイライラしてくるマーゴ……。


イヴの行動に、説明など出来ない女の本能が何かを感じ取ったのだ。



そしてとうとうある日、舞台に穴をあけたマーゴの代役にイヴが代わりに舞台に立ち、大成功をおさめてしまった。


(どういうことなの?!)


いつの間にか、マーゴの台詞、歩き方、着こなし方すべてを完璧に暗記していたのだった。



この代役は、たちまちマスコミや劇評家たちに絶賛された。




新しい女優の誕生だと。



女優としてイヴは華やかなスタートをきったのだった。


そこには、もう清純そうなウブな小娘の姿はない。


ゆっくりと仮面を外せば、傲慢で邪悪に満ちた女の顔がソコにはあった。





そして、イヴの更なるターゲットはカレンの夫で劇作家のロイド。


(絶対にロイドに気に入られてみせるわ!)


イヴの野望は続いてゆく…………。








演劇会の内幕を描いた珍しい映画。



「『スター』になるためなら、どんな事でもしてやる!」なんて、ガツガツした鼻息の荒いイヴの物語である。


アン・バクスターは綺麗だが、勝ち気で下品そうなイヴを、よくやってるし、他の女性陣たちも印象的だ。




特にベティ・デイヴィスはさすが。


気をはっていて、いつもは姉御肌を装っていても、弱い本心を隠しているマーゴを上手く演じていて、感心してしまった。(アカデミー主演女優賞をもらってもいいくらいなのに、残念ながらノミネートだけに終わっている)




セルマ・リッターは、あいかわらずに名脇役でピリリとしたスパイスをきかせているし、セレステ・ホルムも上手いと思う。





こんな女性陣たちに比べて、男たちはダメダメ。





マーゴの恋人で演出家のビルや、カレンの夫で脚本家のロイドなんてのは、見た目だけに、コロリと騙される人間たちである。(ゆえに印象うすい。人を見る目がないのに演出家や脚本家なんて、チャンチャラおかしいものである)


そんな中でも、マシな男は劇評論家の『アディソン・ドゥーイット』(ジョージ・サンダース)。


イヴの嘘や色香に騙されたふりをして、さらに、その上をいく強者(つわもの)である。



後半、このアディソン・ドゥーイットが、それまでイヴがついてきた嘘を1枚1枚剥いでいき、精神的にコテンパンにしていく様子は観ていて痛快である。




「私を今までの男たちと同じように見てもらっちゃ困るよ、舐めるんじゃない!」


イヴが泣き真似をしても怒ってみせても、この男アディソンには通用しない。


マーゴやカレンたちに語って聞かせていた嘘の過去も興信所で徹底的に調べあげている。


それを聞かされて崩れ去るイヴ。

『全てはこの為にあったのだ!』と思わせてくれる、まさに爽快な瞬間なのだ。




この作品は、アカデミー賞作品賞、監督賞、脚本賞を授賞した。



もちろん星☆☆☆☆☆。

1度は観るべき!超オススメである。