2026年1月25日日曜日

ライブ 「南野陽子の《思いのままに 〜YOKO MINAMINO YOKO SUMMER CONCERT’89》」

 1989年11月22日。




セットリストはこんな感じ。



1∶トラブル・メーカー

2∶マニキュアがかわく間に

3∶それは夏の午後

4∶秋からも、そばにいて

5∶メリー・クリスマス

6∶知ってると思ってた

7∶愛してる

〜MC〜

〜シングル・メドレー〜

 恥ずかしすぎて、さよならのめまい、悲しみモニュメント、風のマドリガル、接近(アプローチ)、楽園のDoor、話しかけたかった、パンドラの恋人、秋のIndication、はいからさんが通る、吐息でネット

〜MC〜

8∶あなたを愛したい

9∶涙はどこへいったの

10∶瞳のなかの未来

11∶マイ・ファニー・IVY

12∶月夜のくしゃみ

〜MC〜

13∶思いのままに(アンコール)


ヒット曲をメドレーにして脇に追いやり、ほぼ、オリジナル・アルバム『GAUCHE(ゴーシュ)』からの選曲を中心とした、当時としては珍しいライブビデオである。(※1、2、3、6、7、9、12、13は『GAUCHE』より〜)



南野陽子の「あぁ〜《楽園のDoor》は良いなぁ〜」とか「《はいからさんが通る》の曲は好きだったなぁ〜」なんていう、にわかフアンは、やや置いてけぼりかも。(一応、メドレーで歌ってはいるものの、あっさりした仕上がり)


だから、このライブは、それまで発売してきたオリジナル・アルバムを多少は聴き込んでいるマニアックな人の為の上級編ライブなのである。



正直、これらの曲、全てが気に入っているわけではないけど、ここでは抜粋して、私個人の好き嫌い、または主観的な感想でいくつか書いてみようと思う。



1∶トラブル・メーカー


ナンノ初作詞に挑戦!そうしてこの曲はシングル化されていて、当時もそこそこヒットしていた。


(「一人でリゾート地に旅行してみたいなぁ〜 …… 」なんて考えを、当時の《所属事務所》に言ってみたら …… 反対される?賛成してくれる?)なんて、諸々の想像を膨らませながら本人作詞してみたんだとか。(作詞では結局、《所属事務所》を、まだ居ぬ《彼氏》に見立てている)


ただ、自分自身を《ワガママ》だとか《トラブル・メーカー》なんて言いきっちゃうのは、だいぶ気弱過ぎるナンノ。(ちょうどこの頃、マスコミの《ナンノ・バッシング》が始まっていた時期で本人も多少気にしていたのかもね)



3∶それは夏の午後


このライブにて私、イチオシの一曲である。


一年ぶりに偶然見かけた《元恋人》…… 相手も自分の存在に気づくのだが、次の瞬間に向ける眼差しは《憎しみ》のそれ。(何があった?!)

昔の恋人同士の二人は、互いに言葉も交わさず、それぞれの想いを秘めたまま再び別れていく ……


作詞は、ヒットメーカーの 小倉めぐみ さん。(残念ながら2021年、わずか61歳でお亡くなりになっていました)


この『それは夏の午後』という曲は、ナンノ本人もだいぶ気に入っているのか、近年、歌の活動を再び始めてからも、チョイチョイ歌っているようである。


それに今回調べてみると、ナンノに提供した小倉めぐみさん作詞の曲が、数多く存在する事にも驚いた。(あの曲もこの曲も …… )


ここに、その全リストを書きとめておく。


小倉めぐみ作詞曲

シングル曲 …… 楽園のDoorはいからさんが通る秋からも、そばにいて


アルバム曲 …… 昼休みの憂鬱、リバイバル・シネマに気をつけて、思い出を思い出さないように、ひとつ前の赤い糸、ひとりっきりの夏はそれは夏の午後、眠り姫の不幸、さよならにマティーニは禁物、マイ・ハート・バラード、神様がいない月、八重歯のサンタクロース、白夜のひまわり ………… 以上である。(ちなみにアルバム曲内の太字は、私個人の超オススメ曲!)



8∶あなたを愛したい


映画『菩提樹リンデンバウム』の主題歌で田口俊さんが作詞している。(田口さんもパンドラの恋人吐息でネット …… 他にもアルバムなど数々の曲をナンノに提供している)

前年度アルバム(1988年)『GLOBAL』制作に際して作られ、先行シングルになったのだとか。


ただ、この楽曲、(ナンノの歌唱力ではちとハードル高いし、難しいんじゃ〜ねぇの〜?)と当時、思っていた。

と、いうのも、この『あなたを愛したい』って歌詞がワンフレーズごと、伸ばして歌うものを特に多用している為である。


「♪あなたの夢でふと目覚めた夜明けぇーーー」

「♪ねぇ、あなたを愛したいぃぃ誰よりも愛されたいぃーー」

「♪もう、平気よ、ありがとうぅーーーー」(あらら …… )


歌唱力に自信がある歌手ならいざ知らず、ともすれば平淡に聴こえる、このメロディーラインは高難度。(同じ意味でアンコールの13∶思いのままにも超難しそうだ)


↑(それでも『思いのままに』では無謀にもピアノの弾き語りにまで初挑戦しているナンノ)


若い頃の挑戦だと思って、大目に観てあげてね。



11∶マイ・ファニー・IVY(アイビー)



なんだか、突如、宝塚歌劇かミュージカルの世界に迷い込んだ感じである。

幅広い正面階段を黒いロングドレスで駆け下りてくるナンノ嬢。その周りを取り囲みながら優雅に踊るダンサーたち。


歌詞は、ダンスパーティーで知り合った地味なアイビー・ルックの青年に、ともに踊りながら惹かれていく様子が描かれている。






何なんでしょうねぇ~、稀に光輝くこのゴージャス感は!!(このライブではここが一番の盛り上がりどころかも)

作曲家∶萩田光雄氏も、この『マイ・ファニー・IVY』には特別思い入れがあるのだという。



デビューして4年目のライブは、ナンノのやりたい事、挑戦したい事がぎっしりつまっている宝石箱のようなライブ。


そのどれもが上手くいってるとはいいがたいが、近年の復活劇を予見させるような、そんな下地になっていると思いません?


ナンノフアンなら一見の価値あり!のライブビデオ紹介なのでございました。(じゃ、これにて)




2025年12月4日木曜日

ドラマ 「とし子さん」

 1966年4月〜10月。(全13話)





名優・樹木希林が、最初、『悠木千帆』という芸名だったのを知っている人って、今どれくらい残っているのかしらん?(もちろん、どちらも芸名である。本名は内田啓子(けいこ)。内田裕也と結婚して、最後の最後まで離婚に応じなかったんですもんね)


本人、『内田啓子』の名前には強いこだわりがあっても、『悠木千帆』の名には、ひと欠片の愛情もなかったみたい。


あっさり、テレビ番組で『悠木千帆』の芸名をオークションに出し、高値がつくと、ソレを売ってしまったのだった!(本人いわく「売るモノが何もなかった」からなのだそうで)


周りはあたふた大慌てでも、本人はケロリとした様子。


私の記憶が確かなら『寺内貫太郎一家』の頃までは悠木千帆を名乗っていて、郷ひろみ共演の『ムー』では樹木希林になってたはず。(その間に芸名を変えたってことか)


お化けのロック』や『林檎殺人事件』を大ヒットさせて郷ひろみと歌番組に出たり、『樹木希林』なんて司会者に紹介されても、うちの親なんか「変な芸名をつけやがって …… 」と、最初のうちは全然馴染めない様子だった。(私は途中から慣れたけどね)



そんな樹木希林が、悠木千帆だった頃、初主演をしたというのが伝説のドラマ『とし子さん』である。(YouTubeで配信。最近初めて知った)


このドラマ、1966年(昭和41年)に放送されたそうだが、もちろん1968年生まれの自分は生まれてないので知りませんでした。(この頃のドラマが令和の世に残っているのも驚きだが …… なんでも、この『とし子さん』、当時としては珍しく映画と同じフィルム撮影だったのだ。それで辛うじて残存していたそうな)


ドラマ自体は全13話と短いのにもかかわらず、半年もかけて放送されたのは、《隔週》放送だった為。

つまり一回放送されたら、次の週はお休みというノンビリペースである。(昔の視聴者は随分気長だったみたい)



『野山とし子』(悠木千帆)は、大学の助教授となった夫『野山広一郎』(滝田裕介)、幼い小学生の息子二人、それに加えて広一郎の妹である女子大生『恵子』(嘉手納(かてな)清美)という大所帯で、狭い長屋暮らしをしていた。のだが ……

夫への来客が増えるにつれて狭い長屋での暮らしも段々窮屈になってきた。


ならば、「この際、都心に近い一軒家に引っ越そうじゃないか!(借家)」という事で、一家はそろって引っ越しすることとなったのだ。


新しい引っ越し先には、ちょっと口うるさいが根は優しい大家『大村ソメ』(北林谷栄)が何かと世話をしてくれてる。




こうして、新しい土地で新生活を始めた野山一家だったが、来客たちが訪ねてきても、東北訛りのズーズー弁、田舎まるだしの『とし子』を誰一人として《大学助教授夫人》とは思わない。

いつもいつも《女中》と間違われる日々の始まりでもあったのだった ………




こんなのが、ドラマ『とし子さん』の基本設定。


当日、内田裕也と再婚する前、岸田森さんと結婚していても(1964年〜68年)、まだまだ若い23歳の悠木千帆(樹木希林)。

もちろん現実世界では子供も産んでないのに、このドラマでは26歳の設定で二人の小学生がいる役とは ………


昔から進んで老け役をしていた彼女も、初主演作には歓喜しただろうか?

それとも子持ち役にガッカリした?


なんにせよ、ドラマの中だけでも、優しい夫に溺愛される《とし子さん》に、視聴する側も優しい気持ちになってしまうのである。(後の、破天荒な内田裕也との修羅場生活を知っている者としてはね(笑))




2025年9月26日金曜日

MV 「南野陽子の『ときめき、ください。』」

 1986年  7月。




1985年にデビューしてから、ちょうど一年くらい、『スケバン刑事Ⅱ』が始まって半年が経った頃に発売されたナンノ(南野陽子)の初ミュージック・ビデオである。


同年、4月に発売されたばかりの初アルバム『ジェラート』からも抜粋された曲がいくつか並ぶ。(『春景色』、『花びらの季節』、『潔白(イノセント)』、『涙の海で眠りましょう』 )


他にもデビュー曲『恥ずかしすぎて』から始まり、『さよならのめまい』、『悲しみモニュメント』などなど ……


それでも、それらを足しても、わずか30分程度の短いミュージックビデオ集。



このビデオが発売された当時も、やっとシングル3曲目『悲しみモニュメント』がトップテン内にギリギリ食い込み、世間的にも認知し始めれた頃だった。

なんせ年配の方には、よく名前を『南田洋子』と混同され間違われていた。(スケバン刑事で共演していた暗闇指令役の長門裕之さんの奥方様ね)


曲と曲の合間には、初々しいナンノが精一杯自分語りをしている。

その中で、自分の言葉でハッキリと、「スターになりたいです!」と言っていた。

それが、とても印象深くて今でも覚えている。




あの頃に戻って「大丈夫、君はきっと《大スター》になれるよ」と言ってやりたいものだが、40年前は、今現在のことなんて自分にも想像すらできない遠い未来だったのだ。


ナンノより、ちょうど一歳ばかり年下の私。

それぞれ生きてきた場所や境遇は違っていても、(あれから40年という長い時間を同じように生きてきたんだなぁ〜)と、最近同世代のアイドルたちを観かけると、感慨深く思えたりして ……


それだけ自分も歳を取ったってことか(泣)。


このビデオを観かえすと、若くて悩みなんてまるで無かった、あの頃に戻れるような気もする。




ウェディングドレス姿を披露してみたり、着物で竹とんぼ(?)を回してみたり ……

ナンノもスタッフたちも、当時、考えつく限りのアイデアを出して撮られている。


果ては、『スケバン刑事Ⅱ』のセーラー服姿で視聴してる人に突然土佐弁で語りかけてお説教(?)したりもしている。(「何よそ見してるんじゃ!おまんに命預けても良いと思ってるじゃぞ!」なんてのは、今観ると可愛らしい叱咤。)


こんなお宝のようなMV。


フアンは襟を正して、心して観なければ絶対ダメ!、なのであ〜る。




2025年8月10日日曜日

ドラマ 「地獄の沙汰もヨメ次第」

 2007年7月〜9月。(全10話)




『橘 真琴』(江角マキコ)は、おむすび会社を経営するワンマン女性社長。

大勢の社員を抱え、やり手の真琴はニューヨークに支店を出そうと、もっか奮闘中である。


もちろん、仕事ばかりではなく、合間をみつけては友人たちとフラダンス教室に通ってみたり、リフレッシュ休暇をとっては旅行してみたり ……


そうして40歳になった真琴は、さらにプライベートを充実させようと計画していた。


それが《結婚》である。


お相手は『森福三四郎』(沢村一樹)といって、真琴より3歳若い商社マン。


森福家は、当主『森福大三郎』(伊東四朗)と妻『千代子』(野際陽子)、離婚して出戻りの三四郎の姉『小百合』(浅田美代子)、その娘『みちる』(片瀬那奈)が住んでいる。


森福家の希望としては、「お嫁さんには、息子と結婚して敷地内にある《離れ》に住んでくれたら …… 」なのである。


真琴も実際、その《離れ》を見てみるとノリ気になってきた。


(うん、案外いいかも …… そんなに都内から離れていないし。オマケに近くには海岸があって休みの日には『三四郎』さんと散歩できるしね …… )

あんまり物事を深く考えない真琴は、O.Kした。


だが、この判断は即、後悔する事になる。


姑の『千代子』(野際陽子)は、超お節介な性格で、いちいち真琴のする事なす事に介入してくるのだ。(仕事のことでも)


しかも《日本の心》、《日本の伝統》を引き合いに出してきては、また、それが正論で、真琴は毎回粉砕されっぱなし。


「おのれ〜!千代子めぇ〜!🔥」

いつしか趣味で始めたフラダンスは真琴のストレス解消法になり、




「あの《バカ嫁》が〜!💢」

それに応えるように千代子も趣味の三味線で応戦する。



同居する家族はそんな二人に呆れながら、今日も森福家の夜は平和にふけていくのであった ……




江角マキコ主演の《地獄の沙汰もヨメ次第》を久しぶりに観て大笑いした。(U-NEXTでやっていた)

放映当時も観ていたが、やっぱ江角マキコ、演技上手いわ。(そう思うの私だけか?)



《離れ》を洋風に改造リフォームしようと計画するも、千代子に先回りされて畳部屋や神棚を設置されてしまう真琴。

「生まれてくる子供は畳で育つのが一番なんです!」(by千代子)


オマケに森福家には、昔ながらの《女心得》なんてのが神棚に飾られている。


「あなたのそのひねくれた根性、滝行をして精神を鍛えなおしてきなさい!」(なんちゅー姑じゃ)


こんなのも断ればいいのに、この真琴も「千代子に負けてたまるかぁー!」の意地で山奥まで勇んでいく始末。


でも、実際行ってみると凍りつくくらい水は冷たすぎて ……


(誰も見ていないし、このくらいでいいだろう …… )と、顔と髪の毛をチョチョイと濡らして「ハイ!滝行おしまい!」とズルしようとする真琴。


だが、そうは問屋がおろさない。



またもや先回りした千代子が待ち構えていた。

「あなたの滝行を見届けにきました。さぁ、どうぞ。」(暇な姑)




「ヒィィィーーッ!冷たぁーーい!」


「ハイ!その場で、森福家の《女心得》を復唱しなさい!」


「お義母様ぁぁーーー!(このクソ千代子めぇーー!)」(by真琴)


万事がこんな風である。(ああ、可笑しい)


放映当時は山口智子野際陽子が演じた『ダブル・キッチン(1993)』の焼き直しみたいに言われていた本作だが、私は江角マキコの方が好き。(どちらにも伊東四朗も出ている)


だいたいにおいて《コメディー》が出来る女優さんを、私は大いにかっているのだ。


これは偏見でもなく、男と違って女性がコメディーを演じるというのは、とても高いハードル。


如何せん、女性には男と違って「人に笑われたくない!バカにされたくない!」なんて気持ちが大きくて、どうしても最後の最後、《羞恥心》を捨てて、それを乗り越えられないものなのである。


だからコメディーが出来る女優さんを私は尊敬します。


そうした江角マキコの特異な資質を最初から見抜いていたのが、あの樹木希林である。


おっとりした風貌に反して演技には非常に厳しく一切妥協を許さなかった樹木希林。(いくら有名でも、西城秀樹にしても郷ひろみにしてもコテンパンにやられたそうな。郷ひろみに至っては「あんた、演技の引き出しが少なすぎる!」と、ケチョンケチョン)


共演した女優にも、その厳しさは容赦なく、若手女優なんか我慢できずに泣き出す者もいたという。


ただ、江角マキコだけは、デビュー作で共演した時も(『輝け隣太郎』)、そんな樹木希林のシゴキに全く音を上げる事がなかったそうな。(後年、樹木希林自身が、そう言って江角マキコを褒めたたえていた)


この『地獄の沙汰もヨメ次第』は、そんな女優、江角マキコの到達点みたいな気がする。

当然、オススメしとく。(最後まで面白いよ)