2026年4月14日火曜日

よもやま話 「奇跡の翼『紫電改』と『ブルーインパルス』」

 2026年4月8日、11日。




2026年4月、世界が例の戦争に振り回されて、未だに混沌としてる時、日本は、九州で全く異なる戦闘機たちが町を賑わしていた。


一つは、長い間、海底に沈んでいたという戦闘機《紫電改》である。


時は、だいぶさかのぼって1945年。


鹿児島県は(現)霧島市福山町から颯爽と飛び立った《紫電改》。

操縦するのは海軍の若きエースパイロット、林義重大尉である。


《↑林義重大尉》


だが、アメリカの戦闘機Bー29と交戦中、被弾し、なんとか鹿児島県阿久根市の折口浜に着地するも、その時の衝撃があまりにも強すぎたのか、計器類に頭を打ち付けて頭蓋骨骨折。

わずか24歳の若さで亡くなったのだという。



林大尉(名誉ある戦死により海軍少佐に格上げ)の遺体は無事引き揚げられ埋葬されたが、紫電改は深い海底に沈んだまま。


いつしか昭和も終わり、年号も平成、令和と変わっていき、長い年月が過ぎた頃 ………




ここへ来て、なんと!この令和8年(2026年)に、突然、その「《紫電改を引き揚げるぞ!」って、ニュースが飛びこんできたのだ。



81年間も海に沈んでいた《紫電改》…… 


(機体はさぞや、錆だらけでボロボロになっているだろうなぁ〜 …… )なんて私だけじゃなく誰もが想像していたはず。


だが、奇跡的にその機体は原型を留めていたのである!(そんなバカな?!)


《↑水中カメラで撮影された紫電改》



そうして、2026年4月8日、大勢の群衆が見守る中、この一大プロジェクトは無事成功する。





まさに奇跡の翼、《紫電改》である。


この紫電改、真水につけて完全に塩抜きをした後、補修をする予定なのだとか。

一般公開された際には、是非、観に行きたいと思っている。




そこから、さらに数日後、またもや熊本県の上空では別の機体が現れ、集まった人々を歓喜させていた。



今度は、《ブルーインパルス》の編隊である。




華麗なるアクロバット飛行に群衆は大熱狂。


熊本の大地震災害から10年が経ち、市民を元気づけようと、青い大空を自由自在に飛び回る《ブルーインパルス》の編隊。





最後の円で花を描いたのは《桜》だったのかな?


それにしても、世が世なら、《紫電改》を操縦していた林大尉も、こんな人を喜ばせるような楽しい飛行をしたかっただろうなぁ〜 …… なんて思ったりして ……




続けざまに、こんなイベントが重なるなんて滅多にないこと。


この両機を《奇跡の翼》として讃(たた)え、ここに忘れず記しておく。

平和に感謝して。(おしまい)

《↑まさにピーカンの青空である》

2026年3月16日月曜日

よもやま話 「《護衛艦 いかづち》を見たぞ!」

 2026年3月15日。




たまたま、偶然見つけたこの告知。



コレは絶対見に行かないとダメっしょ!(ミーハーの血が騒ぐ)


(こんなマニアックな情報、誰も興味がないだろうし、わざわざ見に行く人も少ないだろうなぁ〜 … )と思っていたのだが、そんな考えは甘かった。


朝、着いてみればこんな風に長蛇の列である。



なんとか乗船すると、皆がスマホ片手に撮影会。(かくいう私も)


乗船できても甲板上だけだったが、とにかく私には別の目的があったのだ。(ただボンヤリ見にいったわけではない)

この『いかづち』の武装を見たかったのである。


ここにいくつか見つけたモノを紹介しておこうと思う。



1∶オート・メラーラ62口径76mm砲(コンパクト・タイプ)


護衛艦の《顔》というべき、中央前部にド~ンと鎮座していて、子供が珍しげに触っているのが、この艦の主力兵器《オート・メラーラ62口径76mm砲》である。


イタリアは《オート・メラーラ社》が開発したらしく、そのまま、その名前が付けられているそうだ。

この丸みを帯びたデザインは《コンパクト砲(またはコンパット砲)》として分類されているらしい。


同じように《コンパクト砲》を備えた護衛艦《さみだれ》の射撃画像を見つけたので、ここに貼り付けておく。発射されれば《いかづち》もこんな感じなんだろうか。


(↑スゲェ〜、ド迫力である!)



2∶高性能20mm機関砲



甲板上にこんな色褪せてボヤけた写真と説明書が置かれていても、(どこ?)ってなもので、帰宅してからスマホで撮った写真をつぶさに見ながら、やっと発見した。

ココだ!



アップ!!



これも《いかづち》の主要武器である。


「毎分約4500発、一秒間に約75発、発射される」と説明書には書いてある。

しかも補足として「一発、約一万円」と。


単純に計算しても4500発、連射されれば 4500万円だぁ〜!!ゲゲッ〜!我々の血税が簡単に吹き飛ぶ〜!!😱


恐ろしい武器である(笑)。



3∶HOSー302 3連装短魚雷発射管(水上発射管)


これも色褪せた説明書と共に置かれていたが、でも、コレが最初《魚雷》だとはピンとこなかった。(なんせ素人ゆえ)


魚雷》には水中発射管水上発射管の二種類があるそうなのだ。(よく映画なんかで目にするのは潜水艦魚雷、《水中発射管》の方ね)


この魚雷も、一発のお値段は高いんでしょうねぇ〜 ……(機関砲一発のお値段を知ると、もう威力よりも金額ばかりが気になってしまう。貧乏人の悲しい性(さが)よ(笑))



後、《艦対艦誘導弾(ミサイル)》や他の武器もあるらしいのだが、甲板上のみと短い見学時間じゃ探せなかった。(素人ゆえスミマセン)





まぁ、滅多に出来ないような貴重な体験でしたけどね。



ここで話は変わるが、最近のニュースで、「日本が世界初で《レールガン》の開発に成功した!」と一部マスコミを賑わしていた。


レールガン》とは何なのか?


弾薬も火薬も要らない、電気エネルギーだけの夢の必殺兵器、いわゆる《電磁砲》なのだ。


この《電磁砲》、凄まじき威力で、アメリカではいくら開発して実験してみても、発射した瞬間、一発で砲身が粉々になるほどだったとか。(それに耐えられるような強度のある金属がどうしても開発できなかったのだ)


それぐらい威力のある《レールガン》。


そんなアメリカが諦めた《レールガン》を、日本はコツコツ開発すると、あっさり成功させてしまったそうな。(特殊な金属合金やら、膨大な電気エネルギーを蓄電できるようなバッテリーやら …… やっぱ日本の技術力は凄いわ)


2025年、試験艦《あすか》では洋上射撃試験を強化し、実用化へ向けているのだという。


動く《ガンダム》にしろ、《レールガン》にしろ、アニメの世界を地で行くような日本。


いつか《レールガン》を搭載した護衛艦を我々は目にするかもしれない。


おしまい。

《↑凄まじき威力のレールガン


2026年3月7日土曜日

ライブ「太田裕美の《HIROMIC WORLD》」

 1984年12月24日。




私が子供の頃、太田裕美といえば、《清楚》、《可憐》、《透き通った声》、大ヒット曲《木綿のハンカチーフ》くらいのイメージしかなかった。

時折、巷(ちまた)で流れてくる曲に耳を傾ける事があれば、(やっぱり歌が上手いなぁ〜)とか(名曲だなぁ〜)くらいの感想である。


でも、当時、私はそこまでの熱狂的な太田裕美フアンではなかった。(なんせ70年代といえばアイドル黄金期!)

飛び抜けたアイドルたちが続々デビューしてたし、わざわざそっち方面に目を向けなくてもよかったのだ。


自分が、ちゃんと太田裕美の曲を聴き出したのは、だいぶ遅れて30代くらいの時だったかも。


雨だれ』でデビューして、『木綿のハンカチーフ』はもとより、『赤いハイヒール』、『九月の雨』、『さらばシベリア鉄道』などけっこうヒット曲ある太田裕美。


その中でも異色な作りになっているのが、やっぱり『木綿のハンカチーフ』と『赤いハイヒール』である。



「♪恋人よ〜《ぼく》は旅立つ〜♪」のフレーズで有名な『木綿のハンカチーフ』は最初《男性歌詞》で始まる。

それが後半は一転、「♪いいえ、あなた〜《わたし》は欲しいモノはないのよ〜♪」で《女性歌詞》へとチェンジするのだ。


赤いハイヒール』はその逆。

「♪ねぇ〜、友達なら〜聞いてくださるぅ〜♪」と《女性歌詞》で始まる部分はあくまでも陰鬱で暗〜い感じ。


それが後半《男性歌詞》に変わると、途端にノーテンキ。

「♪そばかすお嬢さん、ふるさと訛りが〜、それから君を無口にしたねぇ~♪」という風に、明るい感じになったりする。(歌詞の中の《彼氏》が何も考えてなくて軽薄そうだけど(笑))


こういう一曲の中で《男性歌詞》と《女性歌詞》をいったりきたりする歌も珍しいし、当時は斬新な試みだった。(作詞∶松本隆、作曲∶筒美京平のゴールデンコンビ)



そんな恵まれた芸能生活を送っていた太田裕美だったが、1982年に突然《休業》宣言をする!


実際、順調そうに見えていた歌手活動も本人にしてみれば相当鬱屈した想いを抱えていたそうなのだ。(まぁ、なんの曲をリリースしても大ヒット曲『木綿のハンカチーフ』ばかり歌わされるんじゃ〜ねぇ~。そりゃ嫌気もさすわ)


そうしてアメリカはNYに修業留学。(この時代、誰もが「《アメリカ》に行けば何とかなるさ!」って考えの芸能人が多かった)


《↑当時、レッスン中の太田裕美》


そうして8ヶ月のレッスン期間を終えて帰国すると、早速ニューアルバムやシングルをリリース。

表題でもある《HIROMIC WORLD》なるコンサートに繋がるわけなのだが、最近こんなライブが大昔あったことを、初めて知った次第である。


で、観てみた感想は ……… 


開口一番、「誰だ?コイツ?!」だった(笑)。



セットリストはこんな感じ。


1∶雨だれ

2∶青い実の瞳

3∶赤いハイヒール

〜MC〜

4∶木綿のハンカチーフ

5∶ささら

6∶九月の雨

7∶さらばシベリア鉄道

〜MC〜

8∶雨の音が聞こえる

9∶満月の夜 君んちへ行ったよ

10∶葉桜のハイウェイ

〜MC〜

11∶移り気なマイ・ボーイ

12∶袋小路

13∶ひとりごとブランコ


往年のヒット曲以外(2・5・8・9・10・11・13)の作詞は全て《山元みき子》なる謎の人物。(後の詩人で作家となる銀色夏生の本名である)

そうして、それに合わせて太田裕美も作曲に挑戦している。(2・5・9・13)←(まぁ、元々ピアノも弾けるしね。)


太田裕美が目指した新ジャンルは、この時代に流行りかけていた《テクノ・ポップ》の世界。


それに合わせて、髪の毛をバッサリと短く切り(長いエクステをつけているが)、ちょっと濃いめの化粧をして、原色の奇抜な衣装を着ては、激しく踊りまくっている。



見かけだけは、すっかり別人になって現れた太田裕美。


…… でも、それでも歌い出せば、やっぱり、いつもの太田裕美なんだよなぁ〜。


歌い方に関しては、どうしても既存の枠をはみ出す事が出来ない太田裕美は、やっぱり優等生なのかも。

優等生が無理して、不良ぶっては「元気にはしゃいでいる!」って感じに見えてしまった。


そんな私の感想と同じように、この時期の太田裕美に関しては、往年のフアンたちさえ《ご乱心時期》や《黒歴史》なんて呼んでいるそうな。(だろうな)



本人は後年、回想で「《黒歴史》と呼ばれようが、あの時期があったからこそ、今も歌っていられる」なんて言っているとか、いないとか …… 


それでも、この路線変更は、やはり失敗だったかも。


この《HIROMIC WORLD》を観た限りでは、太田裕美の声とポップ演奏が、あまりにも ミス・マッチ 過ぎる。


ボーカルが演奏に《負けている》のだ。(太田裕美の声質は伸びやかでも、かなり細すぎていてドラム音にさえ勝てていない気がする)


とにもかくにも、このライブの後、結婚して長い休業生活に入り、1996年に再び世に現れると、完全に元の太田裕美に戻っておりましたとさ。




飛び抜けた大ヒット曲がある事はラッキーでも、それは表裏一体。

裏に回れば色々な呪縛や苦悩があるのだなぁ〜、と考えさせられたライブなのでございました。

おしまい。

2026年2月7日土曜日

ライブ 「工藤静香の《静香のコンサート’89 秋スペシャル》」

 1989年11月5日。





工藤静香』という歌手を、昔、ちょっとだけ好きな時期があった。曲も好んで聴いていた。


だが、近年のビジュアルを見てしまうとその変わりように愕然(がくぜん)としてしまう。


色々なカラーリングのしすぎで長く伸ばした髪は、もはやバッサバサで艶もない感じ。


目は《斜視》がだいぶ進行しているのか、正直どこを見ているのか分からない。(テリー伊藤みたいに治療すればいいのに)


まぁ、これ以上は言うまい。世間もその変化に気がついているはずだから。


ただ、擁護(ようご)するなら、《歌の上手さ》だけは変わらないかも。

若い時のような激しい踊りを辞めてからは特にそう思う。


それでも代表曲、『MUGO・ん … 色っぽい』やら『嵐の素顔』くらいは、昔のように、ちゃんとした振り付けで観たいものだ。(ダラケた踊りほどみっともないものはないのだから)


この《静香のコンサート’89 秋スペシャル》は、まだ私が好意的に観て、応援していた頃のライブである。



セットリストはこんな感じ。


1∶哀しみのエトランゼ

2∶禁断のテレパシー

3∶嵐の夜のセレナーデ

4∶恋一夜


〜 メドレー 〜

Honey、パッセージ、夏がくれたミラクル、永遠の防波堤、メビウスの恋人、立つ鳥跡を濁さず、嵐の素顔


5∶丘の上の小さな太陽

6∶美粧の森

7∶カレリア

8∶Again

9∶抱いてくれたらいいのに

10∶黄砂に吹かれて

11∶天使みたいに踊らせて

12∶秋子

13∶FU-JI-TSU



初期のアルバム曲や《うしろ髪ひかれ隊》時代の曲を取り込んでいる特殊なライブである。


これらの曲の中では『哀しみのエトランゼ』、『嵐の夜のセレナーデ』、『秋子』などが好き。


うしろ髪ひかれ隊の曲も好きなのだが、このメドレー・コーナーだけは毎回全て口パクである。


まぁ、こんだけ激しく踊っているんだからしょうがないんだけど。(工藤静香のライブの場合、数年間は恒例として《口パク・ダンスメドレー・コーナー》が続けられていく)




それでも、この頃までの工藤静香は(多少ケバくても)まだ好意的に観ていた時期だったかもしれない。


この後、この人の本質が徐々に明らかになっていくと、私のように離れていくフアンなどもいたりして、世間の評価は真っ二つに分かれていく。


80年代アイドルたちも90年代が近づくと、自ら作詞を次々とやりはじめた。ご多分に漏れ、工藤静香だって作詞をはじめる。


でも、ペンネーム『愛絵理(あえり)』って何?(静香が産まれた時、親が候補として考えていた、もう一つの名前なんだとか。本当かねぇ~ …… )


歌に携わる者として、ここまでなら分かるが工藤静香の暴走はここで終わらない。


《独学》で油絵を始めると毎年毎年、二科展に応募して連続入選。


《↑毎回、絵のモチーフになるのは自分自身?(どんだけ自分大好きなのか …… )しかも、いつも幻想化したような、それでいて奥行きの無い平面な絵面である》


誰か本職の先生に師事して油絵の基本から習おうとかいう気はサラサラないらしいし、風景画みたいなモノも描く気もない様子である。(こんなわけの分からない絵を高額で買って、家のどこに飾りたいと思うのか?)



オマケに、

「家庭の事だって一生懸命やってます!」的なアピールで、たまに自分で作った創作料理をネットに挙げていたりもする。(心無いネット民からは盛り付けが汚く見えて《汚料理》なんて呼ばれてもいた)


そして、そんな料理を二人の娘たちが大絶賛する!

「マミー(静香)の作る料理はとっても美味しいんだから!!」(いい歳をした娘らが、自分の両親を《マミー》とか《トト》って …… )


ごく最近の出来事では、なにかの番組で工藤静香が英語を流暢にペラペラと話していた。他の出演者たちもビックリしている。

謙遜するかと思いきや、そこは天下の静香様。


「だって家で英語が喋れないの私だけだったんですよ〜、悔しいじゃないですか?一生懸命勉強しましたよぉ~!」


こんなのを熱烈なフアンから見れば「流石!なんでもできる静香様!木村ファミリーの方々様!」と思うんだろうか ……

私なんかは、もうお腹いっぱい。胸焼けがしそうである。


だが、とうの昔に私は気づいていた。


芸能人だからしょうがないのかもしれないけど、この人の場合、「私って、こんな事もできるし、あんな事もできますよ!」っていうアピール、つまり他の人と比べても承認欲求の度合いが特に強すぎるのだ。


でも、どうしてこうなってしまったのか …… と考える時、この人のソロデビューまでの経緯を振り返れば、その理由も納得するかも。



最初にデビューした3人組グループ『セブンティーン・クラブ』は、まるでさっぱり売れなかった。

オマケにセンターでもなかった工藤静香は2曲出した時点でグループを脱退する。(グループは消滅する)



そうして、『おニャン子クラブ』のオーディションに、また一から参加。

見事合格するも、その他大勢のド素人と一緒にバックコーラスからスタート。(一度デビューしてるんだから、これは相当屈辱的だったはず)


しばらくすると、ようやっとチャンスが回ってきて、おニャン子クラブから3人組グループを選出した『うしろ髪ひかれ隊』として再デビュー。



だが、ここでも工藤静香は最初、 センターではなかったのだ。(事務所が一番に推していたのは生稲晃子(いくいな あきこ)である)


ただ、センターに選ばれたのにも関わらず 生稲晃子は、恐ろしく《 歌 》がヘタクソだった!(笑)


もう一人の斉藤満喜子の方は、まぁまぁの歌唱力だったが、ビジュアルが ……(いくら太眉が流行っていた時代とはいえ、毛虫眉毛じゃ …… 無理でしょ(笑))


『うしろ髪ひかれ隊』は、2曲目から大胆に方向転換となり、生稲晃子のソロパートはほぼ無くなる。センターには工藤静香が大抜擢された。


そうして、長年の念願だったソロデビュー作『禁断のテレパシー』につながるのである。



こうして今更、振り返ってみると、けっこう苦労人の工藤静香。

だからこそ、「一度つかんだチャンスは絶対に逃さない!」の決意で、あの頃、猛烈に踊りまくっていたのかしらん?(ここから現在までに続く、死に物狂いの自己アピールは、とうに始まっていたのかもしれない)


このデビュー曲『禁断のテレパシー』が1987年8月発売なのに対して、このライブは1989年。


たった2年の間で、このケバい変わり様よ。


それにしても、あの頃を思い出してみると、街の繁華街に繰り出せば、キャバ嬢でもホステスでも(ニューハーフでも)皆んなが皆んな、工藤静香の髪形やファッションを真似していたっけ。


南野陽子中山美穂になれなくても、目指すのが工藤静香なら簡単になりやすかったのかもね。


あ、そうそう、KABA.ちゃんが、何度も整形手術を繰り返して、最近、工藤静香に寄せてきたみたい。


やっぱ、そっち方面の方々には、工藤静香って今でも憧れるカリスマ的存在なんでしょうねぇ~。

《おしまい》