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2023年12月9日土曜日

映画 「ファミリー・プロット」

 1976年  アメリカ。





ある夜、霊媒師・『ブランチ』(バーバラ・ハリス)は、恋人でタクシー運転手・『ジョージ』(ブルース・ダーン)の情報を元に、孤独で金持ちなレインバート婦人相手にインチキな霊媒していた。


完全にブランチを信用した老婦人は、水を得た魚のように、今の悩みを打ち明けはじめる。


「実は《甥っ子》を探してほしいのよ! 死んだ妹が昔、私生児として産んだ子よ。」


大昔、名家レインバート家では私生児など《一族の恥》。

子供は早々に養子にだされ、生きていれば、もう中年男の姿なのだという。


老い先短い自分に残された身内といえば、考えても、もう、あの《甥っ子》しかいない。

その甥を見つけて自分の財産を相続してもらいたい!というのが、目下、婦人の願いなのだ。


「それに見つけてくれたら、お礼として報奨金 一万ドル を払うわ!」の話が飛び出すと、たちまちブランチの瞳が輝いた✨。



この話を家に持ち帰ると、恋人のジョージもウハウハ♥。

タクシーの仕事そっちのけで、【素人探偵ヨロシク!】、《甥っ子探し》に乗り出してゆく ……



でも、良い《甥っ子》なら、いいけど、世の中そんなに上手くいくのかな~?



コイツが二人が探すことになった肝心の《甥っ子》、エドワード・シューブリッジ=またの名を『アーサー・アダムソン』(ウイリアム・ディヴェイン)である。(思いっきり歯をむき出しにして、まぁ〜、ひと目見ても悪そうな顔)


自身が17歳の時に養父母は、とっくに火事🔥で亡くなっていた。(コイツが殺したんじゃないのか?)


そうして、しばらくすると、エドワードは『アーサー・アダムソン』を名乗りはじめ、宝石商を営みはじめる。(ご丁寧に養父母の墓の隣に、自分の嘘の墓まで建てる念の入れよう)


だが、元々が悪党のエドワードに真っ当な暮らしは無理!


情婦の『フラン』(カレン・ブラック)と組んで司祭を誘拐。

身代金代わりに高価な宝石を要求するという、トンデモない《裏稼業》を生業(なりわい)にしていたのだった。




そうとは知らないブランチとジョージは、

「《甥っ子》を見つけ出せば本人も得するし、自分たちだって報奨金の一万ドルが手に入る!」と、完全に一挙両得、親切家気取りの気持ちである。


そうして、とうとうジョージは『エドワード・シューブリッジ』の名前と墓地を探し出した。



(亡くなっていたのか …… これで一万ドルも水の泡。パァーか …… )と落胆しかけたジョージだが、ある異変に気付く。


(いや!待てよ!この墓はシューブリッジ夫妻の墓に比べて …… )


同じ1950年に建てられたにしては、エドワードの方の墓は、やけに 新しい のだ!


疑念を抱いたジョージは、エドワードの死亡保証人が、雑貨屋を営んでいる『マロニー』(エド・ローター)という男になっていることを突き止めると、即座に訪ねていくのだが ………





アルフレッド・ヒッチコック監督、最後の映画。(後、1980年没になる)

そうしてヒッチコック映画には珍しく美男美女は全く登場しない!(特にカレン・ブラックの起用には「???」)



だが、この映画の構成は中々良い。


2組のカップルの思惑や行動を交互に描きながらも、それが交差する時、どんな反応を引き起こすのか?


一種の《科学的反応》な面白さがあるのだ。



その間にはさまれて、『マロニー』(エド・ローター)の姿がチラホラ。

右往左往している。(私がこれまで取り上げてきた映画に、(なぜか?)不定期に登場する、謎の【禿げたオッサン】(笑))


「アイツらをぶっ殺してやる!」


いちいちアダムソンの前で、ナイフを取り出しては凄んでみせるマロニー。

実は、このマロニーもアダムソンと一緒に、養父母を火事🔥に見せかけて殺した共犯者なのでした。(やっぱり!保険金目当てか?)


叩けば、いくらでも埃が出てくる悪党たちには、もはや、人の善意なんてのは全て真逆の悪意に見えてしまうのだ。

突然現れた、ジョージとブランチに、危機感さえ覚える悪党たち。


「エドワードの情報を教えてやる!」

わざわざ山奥の喫茶店にブランチとジョージを誘い出したマロニー。


二人が喫茶店で待ってる間に、チョイチョイと車に小細工する。(全く、あの飛び出しナイフは何だったのか?妙に小者感丸出しのマロニーさん)


そうして、待てど暮らせどやって来ないマロニーにシビレをきらせて、二人が車に乗り込むと ……


ゲゲッ!この車、ブレーキが効かないぞ!(お決まりといえば、お決まりの展開が待っていたのだった)




ここで、ヒッチ先生のいつもの悪い癖が出て ……


このシーンは《大失敗》する。


全くハラハラしないのだ。


なぜなら、このジョージが運転するシーンが素人から見ても、ヘタクソな合成ってのが、丸わかり過ぎるから!】 なのである。


ヒッチコック映画は、今まで、いつもスタジオ内に豪華なセットを組んで撮影してきた。

ヒッチコックが《アウトドア嫌い》の《インドア派》なのは有名な話である。


そんな《インドア派》のヒッチコックが撮る《車で走っているシーン》は、昔ながらの古いやり方である。


スタジオ内、停めた車に男女を乗せて、撮影カメラは常に男女の様子が分かるよう、真正面に固定。

車の後部座席に映り込む背景には、大きなスクリーンに別撮りしていた景色を映写してみせる。


これならスタジオ内でも車を走らせてるようなシーンが撮影できるし、これはサイレント時代から続いている古い手法の一つなのである。



モノクロ映画やテクニカラーの時代は、その手法でも良かったかもしれない。(他の監督たちだって、皆んなこぞってやっていたし)


だが、70年代にもなれば、撮影方法も変わり、初めからカラー・フィルムで撮影出来るようになってくる。


迫力あるカー・チェイスなんてのは、1968年に公開されたスティーブ・マックイーンの『ブリット』を観客たちは、既に観てしまっているのだ。


『007シリーズ』でも、ショーン・コネリー時代は、その手法を取り入れていても、ロジャー・ムーア時代には、たとえ《合成》でも走らせる車のアングルを変えてみたり、色合いや照明で、なるべく違和感がないような工夫がほどこされている。


だが、この【フィルム撮影】では、もうダメなのだ。


完全に(あら)》が見えすぎてしまっている。(車の中で必死に運転する『ジョージ』(ブルース・ダーン)のネクタイを引っ張りながら、叫んだり暴れたりする『ブランチ』(バーバラ・ハリス)が、まるっきりの馬鹿女に見えた)


だって観客には1976年時点でも、「コレ合成でしょ!」ってなのが、バレバレなんですもん。


(↑これはさすがに野外撮影である)



この後、なんとか無事に脱出したジョージとブランチを、今度は轢き殺そうとやってくるマロニーの車は、自損事故で谷底へ真っ逆さま。


大炎上してアホな最期をとげる。(やっぱり死んでしまうエド・ローター(笑))



それにしても、何でこんなシーンを、わざわざ取り入れたのだろう、ヒッチコックは?!


「俺は昔からこんなシーンが得意なんだぞ!」と思ってたのなら、もはや勘違い。

時代の流れに取り残されてしまっている。


70年代は、《生のアクション》こそ、重宝された時代だったのだ。(コンピューターやCGなんてのは、これより、まだまだ、ずっと先の話である)


このシーンが映し出された時、(まだ、こんな古いやり方をやってるのか …… ヒッチコックも …… )と、ガッカリした思い出がある。


ヒッチコックも柄じゃないカー・アクションなんてのに、この時、手を出すべきじゃなかったのだ。


つくづく残念なシーンである。



……… と、ここまで思うのも、この映画『ファミリー・プロット』はクライマックスに向けて、ここから俄然良くなっていくからなのだ。


ジョージの留守中、ブランチは、あの悪党アダムソンとフランの家に、単身乗り込んでいく!


ハラハラ、ドキドキの対決。

そうしてギリギリのところでの勝利。


最後には今までの伏線がキチンと回収されてゆく。


《なぜ?ブランチが霊媒師だったのか?》《盗んだ宝石をどこに隠しているのか?》が長々とした説明ではなく、ちゃんと絵面だけで納得させてくれるのだから、この点は流石の一言である。


(あのカーチェイスでの馬鹿女っぷりは何だったの?)と思うくらい、ブランチの株は、ここで一気に上昇して終わるのだ。


当時の批評家たちも自分と同じ考えだったと思う。


一口に《駄作》とも切り捨てられないし《傑作》とも言えない。

皆が平均点を与えている。


私の評価も星☆☆☆。

オバチャン顔のバーバラ・ハリスのウインク😉に根負けして、70点くらいで終わりにしたいと思う。


※それにしても、この映画で初めて知ったエド・ローターを、その後、何度も他の映画で見かけることになろうとは ……


この【禿げたオッサン】には、何やら因縁めいたものを感じる今日この頃なのである(笑)。


2021年12月10日金曜日

映画 「鳥」

1963年  アメリカ。





この映画のことを、どんな風に書けばよいのやら……


とにかく大量の《鳥》たちが、突然人間を襲ってくる!


ただ、それだけの話なのだから。



もちろん、主役は《鳥》じゃなくて《人間》であり、少しはドラマ的な部分もあるのだけど……この映画に関しては俳優や女優の演技力どうこうは若干弱い感じがする。


ゆえに、当時無名の新人だったティッピ・ヘドレンでも成り立つような話なんだけど。



それにしても、女優ティッピ・ヘドレンと監督ヒッチコックの確執は、ヒッチコックが亡くなって数十年経った今でも、メラメラと続いているのだから、恐ろしい気がしてくる。



この『鳥』の主演に起用したのはヒッチコックの鶴の一声だった。


その頃、離婚したばかりで幼い一人娘のメラニー・グリフィスを抱えながら、細々とモデルをやって、やっと生計をたてていたティッピ・ヘドレン。


「君の面倒は私がみるから……」


異例の7年間の専属契約の話は、当時のヘドレンにとって、渡りに船の申し出だったのだ。


ただ、ヒッチコックの思惑は別のところにあったみたいで……



とにもかくにも、映画を撮る前にティッピ・ヘドレンには、それまでヒロインをつとめた女優たちのように、ヒッチ好みの洗練された美女に変身してもらわなくてはならない。


アップにしたプラチナ・ブロンドの髪に、上品な化粧をほどこす。

イーディス・ヘッドがデザインした淡い外出着のスーツ。


そんな姿に変身して、再びヘドレンが現れると……



ヒッチコック、たちまち(ポワワ〜ン♥)目がハート。


好きなタイプが、「もう、断然大好き!」に格上げしてしまう。


(理想どおり……いや、予想以上だ!)



こうなりゃ、映画作りにも熱が入ろうというもの。


なんと!この『鳥』に関しては、アニメーションのように、細かい絵コンテまでを、ヒッチ先生自ら描き始めたのである。(今も現存する。それにしても、丁寧に描かれた絵コンテには感心してしまう。この人、世が世ならアニメ映画の監督にもなれたんじゃないのかな?)



以前、「たかが映画じゃないか……」なんて、どっかの誰かに、ポーカーフェイスを気取って語っていた過去はどこへやら。


とにかく、

「大好きなへドレンをスターにする為なら!」


60歳を過ぎた老いらくの恋、そのパワーは相当なものなのである。



前作『サイコ(1960)』で莫大な収益をあげていたヒッチコックは、制作費にも出し惜しみなんて一切しない。


この『鳥』には、いくら制作費がかかろうが、その為の費用をジャブジャブと注ぎ込んでいく。



調教された数万羽の鳥たち。(それだけじゃ足りないと、アニメーションの合成の鳥まで足している)


ひとつの街が作られて、鳥による襲撃で無惨に破壊されていく、たくさんの車や家々。



勿論、この当時はCGなんて無い時代だし、どれだけ莫大な費用がかかったのか。(想像すると空恐ろしくなってくる)



そんな状況下で、何度も、何度も、《鳥》に襲われるティッピ・ヘドレン。


恐怖する顔、怯える顔のティッピ・へドレンが血だらけになりながら、あちこちを逃げまどう。


映画の最後で、恋人役のロッド・テイラーや、その母親役であるジェシカ・タンディに支えられながら、命からがら街から脱出する場面なんて、まるで放心状態。


演技とは思えないほど、素の表情で心底くたびれているように見える。



異様な鳥の大群に覆われた町中、逃げるように立ち去っていく1台の車。

ENDマークも出ないまま、そうして、静かに映画は終わってゆく……




恐ろしい映画……


映画も充分に残酷で嫐(なぶ)られるへドレンは気の毒以外の言葉が見つからないが、後日へドレンとヒッチコックの因果関係を知ってしまうと、ことさら鳥肌が立つほど恐ろしく思えてくる。


公開当時は、迫力満点の映像に皆が大騒ぎ!

『サイコ』に続いて、これまた大ヒットする。


だが、当のティッピ・ヘドレンは撮影終了後、ぶっ倒れて入院してしまう。(だろうよ)



一方、映画のヒットと、世間一般にティッピ・ヘドレンが認知された喜びに湧くヒッチコック。


それに伴うようにへドレンに対する歪んだ愛情は増すばかりである。(なんかゾゾ〜ッとするね)



歳をとってから熱烈な恋をすると、人はこれほど盲目的になってしまうのか。


この後は、ご存知のように有名な話でヒッチコックは、とうとう理性のタガが外れてしまうのだが……(イヤ、この時点で既に尋常ではない気もするのだが)



なんだか『鳥』のへドレンが怯える表情は、それを想像させてしまう。



ヒッチコック映画、最後のピークである『鳥』。


初めて観る方は、そんな裏話の背景を脇に置いといて、ただ素直に驚いてほしいと思う。


星☆☆☆☆。


※まぁ、これだけ美人だとメロメロになるのも分かる気がするんだけどね。

2021年7月25日日曜日

映画 「逃走迷路」

1942年 アメリカ。




カリフォルニアの軍需工場で働く『ケン』と『バリー』(ロバート・カミングス)。


二人は仕事を終えて帰ろうとするとき、ある男とぶつかると、男の持っている封筒が落ちて、中からは、紙幣の束がとびだした。


「あ、すまない」


「フン!」無愛想に立ち去ろうとする男……封筒には『フライ』という名前が書かれていた。


そんな折、突然工場で火災発生🔥


大騒ぎして逃げ惑う工員たち。


そんな中で、ケンとバリーも、懸命に消火活動に加わった。


「これを使うといい」

バリーに消火器を渡す男……さっきの愛想なしの『フライ』(ノーマン・ロイド)という男じゃないか。


バリーは、その消火器をケンに渡した。


ケンが、その消火器を噴射しても豪炎はますます激しくなるばかり🔥🔥🔥


そして、とうとう火に巻き込まれて焼死してしまうケン🔥


なんと!あの消火器には《ガソリン》が仕込まれていたのだった。



軍需工場が大火災で全焼して、おまけに死人まで出したとなると、事は大問題。

すぐさま警察が駆けつけると、案の定、ケンの友人であるバリーが真っ先に疑われた。


「お前が、ケンにガソリン入りの消火器を渡して工場全滅をはかったんじゃないのか!?」


「違う!俺じゃない!『フライ』という男が消火器を渡したんだ!!」


「そんな男は、この工場にはいないぞ!」


警察の尋問は執拗で、全面的にバリーの仕業だと決めてかかっている。

こうなれば何としても、あの『フライ』とかいう男を探しださなくては……


(確か……あの落とした封筒には『フライ』以外にも何か書かれていたはずだ……そうだ!確か住所が………『ディープ・スプリングス牧場』と書かれていたんだ!!)


警察に疑われながらも、自身の無実を晴らす為に、バリーの必死の逃走がはじまる………。


ヒッチコックお馴染みの《間違えられた男》が無実を晴らす為に逃亡するお話である。(『三十九夜』、『北北西に進路をとれ』、『泥棒成金』などなど……この手の映画はわんさとある)


ただ、この映画『逃走迷路』は、その手の映画にしては、あんまり破綻も少ないし、けっこうちゃんとしてるかも。(それに相変わらず警察はオマヌケだが、戦時中ゆえに、こんな警察でも「有り得るかも…」と思ってしまう)


もちろん、むさ苦しい男一人の逃亡劇じゃ、観ている観客は「しらけ~」になってしまうので、サービス精神にとんだヒッチコックは、逃亡の旅の道連れに、美女を用意している。


それが、この女性プリシラ・レイン嬢。(おや、『毒薬と老嬢』でケーリー・グラントと共演していたレイン嬢ではございませんか)



手錠に繋がれたまま、警察から間一髪逃れたバリーは、ある盲目の老人に助けられるが、そこへ、たまたまやって来た姪の『パット』(プリシラ・レイン)に見つかってしまう。


「彼は悪人よ!手錠をはめられているのよ!すぐに警察に突きだすべきよ!」


そんなパットをいさめるように盲人の叔父は、「この人は悪人じゃない!目は見えなくても、私にはこの人がどういう人か分かる……」と言ってのける。


あろうことか、叔父はパットに、「バリーさんに協力してあげなさい」とまで言うのだ。


(エエーッ?!なんで私がそんな事をしなけりゃならないの?!)


パットはブツブツ言いながらも、取りあえずは叔父の命令に従って、バリーを車に乗せて目的地まで送ることにした。


だが、本心では、(こんな男を信用できるもんですか……)なのである。



隙をみて、誰かに助けを呼ぼうとするパットの口をバリーが塞ぐ。


「フンガ、フンガ……ンググ……」(本当に運が悪いとしか言い様のない『パット』(プリシラ・レイン)さん)


こんな二人の逃亡は、どこに行くにも、ピッタリくっついているので、当然周りの人々は勘違いしてしまう。


「見て!片時も離れずに、あんなにくっついて……よっぽど愛しあってるのよ」なんて言われよう。


こんな二人の珍逃亡は、なぜか?皆が協力的になるのである。


サーカス団に逃げ込んでも、「愛し合う二人を助けてあげましょうよ」なのだ。(勘違いって怖い (笑) )


このバリーという男には、なんだか人の同情をひいてしまうような特殊なモノがあるらしい。



こんなパットにしても、よくよくバリーを見れば、(あら、この人……意外と整った顔をしてるのね……)なんて、思いながら変な感心をしてしまう。



やがて、バリーの言っている事が本当だと分かると、バリーにあっさり惚れてしまった♥『パット』(プリシラ・レイン)は、180度態度を変えて、俄然、協力的になる。


「一緒に、その『フライ』とかいう男を見つけるのよーー!」(女って、こうも簡単に変われるの? (笑) )



そうして、有名なクライマックス、バリーとフライの《自由の女神》での最後の対決になっていくのである。


『逃走迷路』っていうと、どんな映画評を読んでも、とかく、この《自由の女神》の場面ばかりがクローズ・アップされているが、自分はバリーとパットのカップル、二人のハート・ウォーミングな逃亡劇の方に心奪われる。


だいぶ、以前にヒッチコックが撮った『三十九夜』的な要素が多い気もするが、それもご愛敬ってところか。(警察から逃げる男と、偶然居合わせた女が反発しながら、逃亡中にラブラブになるところなんかね)



この映画が公開された1942年といえば、第二次世界対戦真っ只中の時期。


《軍需工場》やれ、《テロ》やれ、主人公『バリー』(ロバート・カミングス)も、「自国アメリカの平和を守るため!」みたいな名目やワードが、ジャン、ジャン出てくる。



時世といえば、しょうがない事なのだろうけど、それでも、そんなモノに多少の配慮はしていても、ヒッチコックが撮りたかったのは、やっぱり、ハラハラ、ドキドキ、ワクワクするような《エンターテイメントの世界》なのだ。



辛い現実から、ひとときでも逃れて、皆が楽しめる映画を作りたい!……


そんなヒッチ先生の心意気が伺われるようで、これはこれで、まぁまぁの良作なんじゃないかな?



そんな気持ちが功を奏してなのか、なぜか?この戦争中には、ヒッチ作品にも面白いものが、ズラズラ~と並んでいく。


1942年 『逃走迷路』

1943年 『疑惑の影』

1944年 『救命艇』……


これらは、どれを観ても、今でも楽しめる、粒よりぞろいなのである。



以前、何かの本で読んだ事があるが、あのアガサ・クリスティーが戦争中、昼間は奉仕活動をしていて、夜は世間の雑念を、完全にシャットダウンして、無心になって小説を書き続けていたそうな。


辛い現実から逃れるために、自身の書く物語の世界に没頭し、ひたすら書き続ける………。


この時期のクリスティーも、また、後年、傑作と呼ばれる作品を数多く書き上げているのだ。



これらは、戦争がもたらした偶然の副産物。


モノを作ろうとする、作家や映画監督、クリエーターたちの創造力を、極限状態まで高める結果になったのである。



だからこそ、この時期に作られた映画や小説には、他のものでも、あまりハズレを見かける事が少ない。


そして、この『逃走迷路』もしかり。


星☆☆☆と、しときましょうかね。


2021年7月9日金曜日

映画 「断崖」

1941年 アメリカ。




久しぶりのヒッチコック映画である。


この映画の事をどう書いたらいいのか、考えあぐねていて、ずっと後回しにしておりました。


ハッキリ言って、映画としては、あんまり良い出来ではないんだけど、バッサリと切り捨てて、単に「面白くない!」とも断言しにくい。


それというのも、この映画には、語るべき逸話が多すぎするのだ。


ちょっと順を追って、慎重に歩を進めるように書いていこうと思う。(また、長くなるかなぁ~、ご容赦あれ)



この映画の原作は、フランシス・アイルズ(別名アントニー・バークリー)によって書かれた小説『レディーに捧げる殺人物語』である。


簡単に説明するなら、

『世間知らずのお嬢様が、親の反対を押しきってまで結婚した男は、どうしようもない札付きのクズ男でした』ってお話である。


生粋のプレイボーイでいて、おまけに『働かない』、『博打打ち』、『金銭トラブル』などなど……(現代にも、こんな男はわんさと存在する)


そんな男でも、ベタ惚れで世間知らずのお嬢様は、

「私の愛の力で真面目に変えてみせる!」

と意気込むのだが、世間の誰もが思うように、こんなクズ男を改心させるのは到底無理な話なのである。(こんな女性も大勢いる)


しばらくすると、多額に膨らんだ借金の事を知って、男の態度に不信感を募らせていくお嬢様。


しまいには、

(もしかして、財産目的で私の命を狙っている……?)とまで、思い始めて恐怖していくのだ。(それ見ろ!)


そう、男は、クズはクズでも根っからのクズ、《殺人者》なのだった………



こんなのが、『レディーに捧げる殺人物語』の筋書き。


こういう救いのない話をヒッチコックが撮りたかったとは、とても思えない。



大方、ヒッチコックをアメリカに呼んで、「あ~だ、こ~だ」口出しするプロデューサー、セルズニックの差し金だっただろうと推測する。


「前年の『レベッカ』でアカデミー作品賞を取ったんだ!次はこれでいく!!」

有無を言わせない、セルズニックのこんな声が聴こえてきそうである。



主演女優は、前年の『レベッカ』からの続投でジョーン・フォンティン


世間知らずの富豪のお嬢様『リナ』役は、清楚な彼女のイメージに似合ってるっちゃ、似合ってるんだけれども……(「ジョーン・フォンティンを売り出すぞー!」ってセルズニックの鶴の一声だったんじゃないのかな?)


そして、最低のプレイボーイ『ジョニー』役には、ケーリー・グラントが抜擢される。


「ケーリー・グラントだって?!ケーリー・グラントを使えるのか?!」


ヒッチコックは多分、小躍りして喜んだはずである。


なんせ、ケーリー・グラントは、この映画に出るまでに、とっくの昔に大スターになっていたのだ。


マレーネ・デートリッヒやキャサリン・ヘプバーンなど有名女優たちと、次々共演して、いずれも成功をおさめている。


ハワード・ホークスやジョージ・キューカーなど、名だたる監督たちにも愛されていたケーリー・グラント。


こんな映画の筋書きでも、俄然ヒッチコックも張りきるというものである。(「ヨッシャー!やったるわい!」てなところか)



撮影がはじまると、『ジョニー』を嬉々として演じはじめるケーリー・グラント

こんな最低な男の役でも、グラントが演じると、どこか愛嬌があって、妙な可笑しみが出てくるから不思議である。


やっと結婚して、妻のリナに真面目に働くように言われると、


「働くの?このボクが?!」なんて言いながら、おどけた表情をするグラントには、嫌な感じはまるで受けないし、むしろ笑ってしまう。



だが、映画も後半に入ってくると、途端にジョニーの表情が重々しく変わってくる。


『リナ』(ジョーン・フォンティン)が、


「夫の行動がおかしい……もしかして夫は殺人犯かもしれない……」と疑いだして恐怖しはじめると、ケーリー・グラントの芝居も、それまでの陽気さは影を潜めて、険しい表情に様変わりしていくのだ。


目線は全く動かなくなり、首から上は一切動かなくなる。


実は演技派の人なのだ!このケーリー・グラントって人は!



寝室に閉じ籠っているリナに、夜半ミルクを持って階段を上がっていく『ジョニー』(ケーリー・グラント)は、まぁ、恐ろしいことよ。(このミルクに「毒が入っているのでは…?」と観ている人は思うはずだが、実際に入っているのは、ミルクを際立たせる為の《豆電球》。ヒッチコックの演出が冴え渡ります)


こんなリナは、とうとう「しばらく実家に帰りたいの」と言いだす。


それを、ジョニーは「実家まで自分が送っていく!」と一歩も譲らない。(リナにしたら、「あなたが怖いから帰りたいのに、放っといて!」なのだが、恐ろしい表情のジョニーに逆らえるはずもない)


嫌々、ジョニーの運転する車の助手席に座らされたリナは、もうガタガタ震えっぱなし。


ジョニーは、アクセル全開で猛スピードで車を走らせていく。


そして、車はタイトルでもある『断崖』の場所へとさしかかってくる。


車が走り抜けていく、すぐ側の真下を見れば、高い断崖絶壁の崖なのだ。


(もう、これ以上は耐えられない!!)

隙をみて、車の助手席から飛び出たリナ。


その腕を掴むジョニー。


「イヤアーーーッ!離してー!!」


リナの絶叫が響き渡る…………………



と、この映画が優れているのは、ここまで。

残り数分でとんでもない展開を迎えるのだ。



「いい加減にしてくれ!ぼくの顔を見れば震えて!君はぼくが殺そうとしてるとでも思っているのか?!」


えっ?どういう事?!

全てが私の勘違いだったの?!


ジョニーから事情を聞けば、身近で起きた友人の死は全くジョニーとは関係なかったらしい。


ジョニーはリナを実家に送り届けた後に、自殺しようと考えていたらしいのだ。(借金の為に)


全てが私の勘違い………(私はこの人をまだ愛しているんだわ!)と一瞬で悟ったリナ。


「もう一度やり直しましょう、最初から!二人なら出来るわ!!」

リナの呼び掛けに、車は実家に向かう道路をUターンして、また元の二人の家へと帰っていくのであった。


めでたし、めでたし……で、映画は終わるのだが………



何じゃコリャ?!舐めとんのかー!💢


今まで散々、気を持たせておいて、ハラハラさせといて、全てが、《馬鹿な女の勘違い》だったー?!


ふざけるなーーー!💢金返せーーー!!(金なんか、もともと払ってないけど (笑) )


初めて、この映画を観た時は、こんな感想を持ったものだった。


「『断崖』は駄作だ!もう一生観ることはないだろう」の気持ちは、しばらく続いていた。



でも、後に、こんな裏事情を知ってしまうと、この怒りも徐々にトーン・ダウンしていく。


全ては、《ケーリー・グラントが大スター過ぎた》からだったのだ。


上層部がクレームを入れて、急遽結末は変えられたのである。


「プレイボーイの役でもいいが、大スターのケーリー・グラントを殺人犯なんかに出来るか!」が、その理由である。(だったら、最初からこんな役に当てがわなきゃいいのに)


こんな帳尻会わせの、違和感アリアリの結末は、その為である。



スター・システムが健在だった時代、仕方ないっちゃ、仕方ないんだけど……。



でも、おかげで、ジョーン・フォンティンが演じたリナは、一挙に《世間知らずで思い込みの激しい、馬鹿な女》に成り下がってしまったのでした。


こんな仕上がりになってしまった『断崖』だったが、ケーリー・グラントやジョーン・フォンティンの人気で、当時は、そこそこプチ・ヒットする。



でも、こんな副産物までついてくるのはいかがなものだろうか?

自分には、やり過ぎにしか思えないのだが。



なんと!この作品でジョーン・フォンティンはアカデミー賞の主演女優賞を受賞してしまったのである。(えっ?何で?どういう事?!)


受賞式でオスカーを受け取るジョーン・フォンティン。



でも、難癖をつけたくないが、こんな失敗作で受賞して、本当に嬉しかったのだろうか?


何か裏で、特別な力が動いたとしか思えないような受賞である。(後にも先にもヒッチコックの映画で、主演賞を取れたのは、このジョーン・フォンティンだけだしね)



そして、この受賞は、ある人物の憎しみをメラメラと掻き立てる結果にもなってしまったのだった。


ジョーンの姉で、『風と共に去りぬ』のメラニー役で有名なオリヴィア・デ・ハヴィランドの憎悪を……🔥🔥(怖っ)

『オリヴィア・デ・ハヴィランド』》


ジョーンよりも、演技に対する情熱は人一倍のオリヴィアは、妹に先を越されてしまい、大嫉妬。


ずっと憎み続けたという。(後にオリヴィアも主演女優賞を2度も受賞するのだが、それはまだまだ先の話)



まぁ、オリヴィアの気持ちも分かるような気がする。(こんな失敗作で受賞なんて、とても納得できるはずがない)



こんなメラメラ煮えたぎる憎悪の一方で、ヒッチコックはケーリー・グラントと出会えた事を素直に喜んでいた😆💕


(いつか、またケーリー・グラントで映画を撮りたい………)と。(凄いよねぇ~、ヒッチコックでも、ビリー・ワイルダーでも、名だたる監督たちがケーリー・グラントを欲するんだから)


これが後に出来る、『汚名』、『泥棒成金』、『北北西に進路をとれ』の始まりだったのかもしれない……なんて思うと、この『断崖』自体の失敗も、少しばかり許せる気がしてくる。


ヒッチコック映画の中でも、重要な位置付けなのかもしれないしね。


長々、お粗末さま。これにて。

(やっぱり長くなった~、スイマセン)

2020年9月25日金曜日

映画 「ダイヤルMを廻せ!」

1954年 アメリカ。






プロテニスの選手だった『トニー』(レイ・ミランド)は、美しい資産家の『マーゴ』(グレース・ケリー)と結婚して、イギリスで何不自由ない暮らしを手に入れていたのだが……



テニス・ツアーで留守がちになったトニーの目をぬすんで、マーゴはこっそり隠れて《浮気》をしてしまった。



そして、その《浮気》はいつしか《本気》になっていく。



そのくらい、浮気相手のアメリカ人で推理作家の『マーク・ハリディ』(ロバート・カミングス)は魅力的だったのだ。

若くてハンサム、理知的であり情熱家。



やがて、そんなマークは故郷アメリカに帰ってしまった。(仕事?)



だが、二人の間の情熱は冷めることなく……アメリカに帰っても、何通もの手紙がマークから送られて来る。

その手紙に、マーゴは励まされ喜んだ。(さすが小説家)



そして、夫トニーがテニスを引退して、マーゴの資産に頼って生活してくると、尚更マーゴの気持ちはトニーから離れていき、遠い場所にいるマークに気持ちは傾いていく。



だが、そんな素振りをおくびにも出さないように、夫トニーの前では、いつも笑顔でキスをするマーゴ。


(この気持ち……知られてはならない……)






1年ぶりにロンドンに来たマークは、すぐさまマーゴを訪ねた。


マークとマーゴ……二人は抱きあい、1年の空白を埋めるようにキスしあった。


だが、次の瞬間、マーゴの不安な顔。



「どうしたんだ?マーゴ」

「あなたから送られて来た手紙は、読むと全て燃やしたわ……証拠を残さないようにと……でも1通だけはどうしても燃やせなくて……」



その手紙はマーゴのハンドバックに入れられ、大切に、大事に持ち歩いていたのだが……ある日、ハンドバックごと盗まれてしまったのだ。



一回きりの脅迫状が送られてくると、マーゴは金を払った。

でも、それきり音沙汰なく、返ってこない手紙。



「もう、はっきりさせようじゃないか、マーゴ!トニーと離婚して僕と一緒に来てくれ!!」


「ええ……でも、もう少し待って」

夫トニーに、なんて言って切り出したらよいのか………迷うマーゴ。






だが、この《浮気》、夫のトニーはとっくにお見通しだったのだ。




もちろん、マーゴの手紙を盗んで脅迫状を送りつけたのも夫のトニー。

全てはマーゴの反応を見るためにした、トニーの作戦だったのだ。




そして、マーゴの気持ちが、すでにトニーになくて、マークに傾いている事を知ってしまうと、トニーは昼夜考え続けた。


(もしも、マーゴから離婚を切り出されたら自分は無一文で放り出されてしまう……今更、テニス選手に戻れる年齢でもないし………どうすればいい?)



狡猾で冷酷なトニーは、表立ってはマーゴの前では、何も知らない演技を続けながらも、ずっと思案していたのだ。




そうして、とうとう、ある《完璧な計画》を立てる。


それは、まさに今、実行されようとしていた。


「入りたまえ!」


マーゴの留守中、トニーに呼び出されてやって来た男は、不審そうにキョロキョロした目で、アパートに入って来ると、トニーのいる部屋のドアを開けた。


(『スワン』と名乗るこの男……この男を、まず陥落させて、私の思いのままに操り従わせなくては。)


トニーの計画が始まる………。





この時期、「もう、どんな映画を撮っていいのかわからない!」状態だったヒッチコック。



フレデリック・ノットの舞台劇である、この『ダイヤルMを廻せ!』は、当時、上演されてヒットしていたので、


「これを映画にすれば……まぁコケはしないだろう……」くらいの気持ちで映画化に乗り出した、というのは当人の弁。




でも、今となってはヒッチコックが、この『ダイヤルM…』に、フラフラ~と惹き付けられたのも、なんとなく分かるような気がする。



《トニーの仕事が元テニス・プレイヤー》


そして、《赤の他人『スワン』に妻殺しの話を持ちかけるトニー》



そう、これは、それ以前に大ヒットした自身の映画『見知らぬ乗客』に似ているワードが、かなり入っているのだ。


本人は気づいていたのだろうか?(気づいてなくて無意識な気もするが)






この『ダイヤルM…』も、昔、ヒッチコック熱にうかされていた自分は、その流れで、当然観たのだが、当時の感想が、


「ヒッチコック映画にしては、あんまりつまんないかも…」というような感想だった。





今回、30年ぶりに見直してみると、その理由も、ハッキリと分かる。



舞台劇は、限られた空間で、ほとんどセットが変わらない室内劇が多い。(セット・チェンジは膨大な予算がかさむから)


その中の登場人物たちは、セリフの応酬だけで、観客たちの意識を舞台につなぎとめようと必死になる。


そのため、セリフの量が半端なく多いのだ。





舞台なら、それで良いかもしれないが、映画には映画の手法がある。


これを映画にするなら、全てをバラバラに分解して、映画的手法に組み変えなければならないのだが、それがあまり上手くいってないような気がするのだ。





例えば、夫『トニー』が赤の他人『スワン』を自宅に呼び寄せるシーン。



このシーンが、とにかく長くて、映画としては一番退屈な部分なのである。


スワンが、

過去にど~した、こ~した。

こんな事件を引き起こした。

お前の弱味を俺は全て知ってる。

ゆえに、俺の言う事を聞いて、妻のマーゴを殺せ!

警察に行ってもお前の話は通用しないし、マーゴの手紙に触れたお前の指紋も、ちゃんとこうして証拠としておさえてある。



ゆえに、お前は俺の言う事を聞くしかないのだ。


………こんなクドイ場面が何分も続くのである。


そこまでかけて、『スワン』を説得まで持っていくまでの話が、まぁ~長くて退屈な事よ。




これを、全て、夫トニーのセリフでいちいち説明するのだから、辛抱して聞いてる方は、「いいかげん、まだ、終わらないのかよ。このシーン……」となってくるわけである。


この『スワン』の過去など途中から、「ど~でもいい」と思ってくるのだ。




これが、昔、この映画を「退屈」と感じた理由だったのか。





ただ、…………



この長ったらしくて、くどいシーンが終わると、段々とこの映画は、その様相が変わってくるような気がする。



ヒッチコックが撮影しながら、徐々に光を取り戻してゆくのだ。



それはカメラ越しに見る《グレース・ケリー》の姿……。




グレース・ケリーの美しさ、洗練された所作、ファッション・センス……


悪党スワンにストッキングで首を締め上げられながらも、懸命にあらがい、スワンの背中にハサミを突き立てるグレース・ケリー。



恐怖するグレース・ケリーの姿……




撮影を続けながら、グレース・ケリーに次第に魅力されていくヒッチコック。


その熱気やノリノリになってきている様子が、映画を観ているこちら側にも、充分に伝わってくるのだ。




映画の勘を取り戻しつつある……そんな期待を持たせて、映画は終わるのである。



この『ダイヤルM…』の公開と同じ、1954年に間髪を入れずに、傑作『裏窓』は作られている。


もちろん、主演女優はグレース・ケリー


まさに、グレース・ケリーはヒッチコックの窮地を救う為に現れた《女神》だったのだ。

星☆☆☆。

2020年7月14日火曜日

映画 「パラダイン夫人の恋」

1947年 アメリカ。






ヒッチコックにとっては珍しい法廷メロドラマ。




前回、『汚名』でも少し語っていたように、ここから暗黒期ともいうべき長~いスランプ状態が続く………のだが、この映画に限っては、失敗の全責任を、ヒッチコックだけに擦り付けては、いけないような気がする。



問題は、そう……あの、プロデューサーの『デヴィッド・O・セルズニック』にあると思われるからだ。


《デヴィッド・O・セルズニック》




デヴィッド・O・セルズニックが製作した映画は、有名なモノばかり。



『キングコング』、『アンナ・カレーニナ』、そして『風と共に去りぬ』、『第三の男』、『終着駅』などなど……有名どころの作品が並ぶ。(あくまでも、これは製作である)



戦前、ヒッチコックをイギリスからアメリカへと導いたセルズニック。



その恩はあるにしても、このセルズニックは大いに問題ありな人物なのだ。



とにかく、何でもかんでも、ことごとく口出ししなければ気がすまない、面倒くさい性分。


「あ~しろ!」、「こ~しろ!」始終、口をはさんでくる。(あ~ウルサイ!プロデューサーは資金だけ出してくれればいいのに(笑))



その性格ゆえに、有名監督たちからは、次々、嫌がられて敬遠されてしまうのだが……




この『パラダイン夫人の恋』では、もはや、それが最高潮だったかもしれぬ。


製作ばかりか、とうとう、

「俺が脚本も書く!」と言い出したのだ。


(やれやれ……)ため息が漏れるヒッチコックの姿が想像してならない。



オマケに映画は125分。(長い)


で、取りあえずは、この映画に関する、こんな知識を横に置いといて、観たのだけど………。




観た感想………ゲゲッ!!おっそろしく!つまらなかった!!




法廷モノとしては、大傑作、ビリー・ワイルダー『情婦』の足元すらにも及ばない。


有名な俳優、女優たちが、これだけ揃っているのに、この映画は、やはり脚本がダメダメだ!






目の不自由なパラダイン大佐が毒殺された。

大佐の妻『パラダイン夫人』(アリダ・ヴァリ)に容疑がかかり、やがて裁判となる。


パラダイン夫人の弁護を引き受けた『アンソニー・キーン』(グレゴリー・ペック)は、妻がいるにもかかわらず、パラダイン夫人の美しさに、どんどん惹かれていき、無罪を証明しようと躍起になるのだが……。






こんな出だしで、始まる『パラダイン夫人の恋』なのだけど……役者たちも、自分たちの役を演じながら、(何だかヘンテコな話……)と思わなかったのかねぇ~。


有名俳優、女優たちが数多く出ているので、順を追って、その《 ヘンテコリンさ 》を語っていこうと思う。




まず、

グレゴリー・ペック(弁護士アンソニー・キーン)



クソ真面目すぎるといえば、このグレゴリー・ペックしかいない。



真面目なので、『パラダイン夫人』(アリダ・ヴァリ)に惚れても、ストレートに愛の言葉を吐くなんて出来やしない。



その代わりに、「ヨッシャ!私が夫人の無罪を証明してやる!!」と、そちらの方に躍起になる。


で、無罪にするには、別の真犯人が必要だ。



『アンソニー』(グレゴリー・ペック)が目をつけたのは、目の不自由なパラダイン大佐の部下だった男で、世話人の『アンドレ』(ルイ・ジュールダン)。



裁判で証人として呼び出すと、

「あなたがパラダイン大佐を殺したんでしょう!!」と執拗に、アンドレに罪をなすりつけはじめる。


「私は殺してなどいない!」

「嘘だ!」


こんな応酬が続き、ひとまず休廷。


(やったー!形勢はこちらに傾いているぞ、ウシシッ………これでパラダイン夫人に誉められるかも……)と悦び勇んで夫人の謁見に行くと、


「この馬鹿!!何でアンドレに罪を擦り付けるようなマネをするのよ!!」と大激怒。



?????、頭の中がクエスチョン・マークだらけのアンソニーなのだった。






ルイ・ジュールダン(パラダイン大佐の世話人・アンドレ)


ルイ・ジュールダンがこんな映画に出てたのか。

ジュールダンといえば、我々世代には、『007 オクトパシー』の悪役カマル・カーンが印象深い。(※これblogで書いてるので暇な人は参照してね)




裁判で執拗に責められた『アンドレ』(ルイ・ジュールダン)は、ある秘密を抱えていた。


目の不自由なパラダイン大佐を尊敬しながらも、何と!夫人と《 不倫 》してしまっていたのだ。



良心の呵責で苦しんでいたアンドレ。


オマケに裁判に出れば、アンソニーにコテンパンにやられてしまう。

「もう限界だ……」

そして、とうとう自殺してしまう。





そして、そして、

アリダ・ヴァリ(パラダイン夫人)である。



「アンドレが自殺ですって?!」

裁判中、急にとびこんできた、この知らせに、パラダイン夫人は一時、放心状態だったが、少しずつ皆の前で語りだす。


「もう、おしまいよ。もう、どうでもいいわ………私が主人を殺しました……」とペラペラ白状しはじめたのだ。




(?????????)

(えっ?何これ?)

(こんなアッサリ?)

(この人が真犯人って、結局、何のヒネリもなし?!)

(だったら、何で最初から白状しないの?!)


今まで長い間、我慢して観ていて、この告白には、さすがに胸がムカついてきた。


自分で殺しておいて、アンソニーに弁護まで頼んでおいて、あわよくば、無罪を勝ち取れるとでも思っていたのか?


この馬鹿女は!!





でも、この後が、また最悪なセリフを吐く『パラダイン夫人』(アリダ・ヴァリ)である。



法廷で、目の前のアンソニーをキッ!と見据えると、


「あなたがアンドレを殺したのよ!あなたのせいでアンドレは死んだのよ!!」と、なじりだしたのだ。(オイオイ)


「私の残りの生涯はね、………あなたをずっと憎み、うらみ続ける事だわ……」


うなだれる『アンソニー』(グレゴリー・ペック)………そんな風にして映画は終わるのである。





勝手なクソ女!!


自分勝手な理屈で、逆ギレして、他人をなじり、しまいには、八つ当たりまでしてしまうとは………もう、どこまで性根が腐っているのやら。



同情の余地なし!


こんな最悪な女には、お目にかかった事がない。




でも、アリダ・ヴァリは、いつも、こんな役ばっかりだ。(※後年、『第三の男』でも同じ感じ。今度の八つ当たりの相手はジョセフ・コットンである。これも詳しく書いているので参照下さいませ)



アリダ・ヴァリが、いくら美人でも、こんな性格の役ばかりしていては、とても観客に好かれるとは思えない。

案の定、後年、彼女はハリウッドを去っていく。




そして、映画は大失敗する。



他にも、『チャールズ・ロートン』(情婦)や、『アン・トッド』(第七のヴェール)、『エセル・バリモア』(らせん階段)など、名優たちを揃えているのにだ。(他の人たちも、まるでアホみたいなセリフしか言わないので、どいつも、こいつも、本当にアホに見えてくる)





こんなクソ脚本を書いてしまったセルズニックも、少しは反省したのだろうか……



いや!この手のタイプがしおれて反省などするはずもない。


「お前のせいで映画は失敗したんだ!!」と、逆にヒッチコックをなじったんじゃなかろうか。(この映画、パラダイン夫人のように)



とにも、かくにも、これにて1940年の『レベッカ』から続いていた、長いセルズニックとの関係は終了するのである。(本当にお疲れ様でした~)

2020年7月1日水曜日

映画 「汚名」

1946年 アメリカ。






『アリシア』(イングリッド・バーグマン)の父親はナチスのスパイだった。



裁判では有罪が確定し、父親は引っ張られていく。



「アリシアさん、今のお気持ちを!」

裁判所から出てきたアリシアに、大勢のマスコミたちが詰め寄るが、アリシアは無言で車に乗った。でも………


(こうなる事はとっくに分かっていたわ……)


死んだ母親が生粋のアメリカ人だったアリシアは、非国民の父親との争いが絶えなかった。

何度も何度も父親を説得したのに、聞く耳を持たなかった、哀れな父……。



分かっていても暗い表情のアリシア。


そんな落ち込んでいるアリシアを少しでも慰めようと、仲間たちがやってきて、どんちゃん騒ぎのパーティーが始まった。


アリシアも、(こうなりゃ、ヤケクソよ!今夜は呑んで、呑んで、呑み明かしてやるわ!!)と息巻いている。



ベロンベロンのアリシアの、うつろな目に映るのは見知らぬ顔の男。



(はて、この人誰だったっけ??……)


『デヴリン』(ケーリー・グラント)と名乗る男は、誰かの知り合いなのか、ソファーに鎮座して静かに呑んでいた。



まぁ、いいわ。他の皆は、もうとっくに酔いつぶれているし………


「ちょっとあなた!誰か知らないけど、酔いざましにドライブに付き合いなさいよ!!」



そう言うと、アリシアはデヴリンを車に引っ張っていった。

デヴリンは、別に嫌がる風でもなく、助手席に乗り込み、アリシアはハンドルを握ると、思いっきりアクセルを踏み込んだ。



メチャクチャに車を走らせながら、やがてスピード、メーターは100キロを越えている。


でも隣にいるデヴリンは、あくまでもスマした顔。


段々、腹がたってきたアリシアは無造作にハンドルをきり続ける。


そんな二人が走らせる、車の後方からはサイレンが……。




(アラアラ、もう終わりね。飲酒運転でブタ箱入り。親子揃って刑務所か……もう、どうでもいいわ……)


アリシアが車を止めると、警察官が駆け寄ったが、デヴリンが胸元から《何か》を出して警察官に見せると、とたんに態度は一変。


「失礼しました!」

警察官は最敬礼して、そのまま行ってしまった。


???


「あなた、いったい何者なのよ?!」


デヴリンの正体はFBIのエージェント。

上司に頼まれてアリシアの元へやってきたのだった。


「君にアメリカ祖国の為に働いてもらいたい」


デヴリンは、アリシアをスパイとして雇うつもりなのである。


父親がナチスのスパイで捕まったアリシアだが、こっそり盗聴をしていたFBIは、父親とは違う、アリシアの愛国心に惚れ込んだのだ。


そして、この、アリシアの今の境遇は、敵に対しても絶好の隠れ蓑となると、ふんだのである。


祖国アメリカの為に働いて、《 汚名 》を晴らす!


最初は反発していたアリシアだったが、徐々に気持ちは傾いていき………。






ヒッチコックのスパイ・メロドラマ。


ヒッチコックがスパイ映画を撮ると、ご都合主義の逃亡劇が、いつものパターンなのだけど、(まぁ、それはそれで面白いんだけどね)珍しくマジ~メな展開をみせる、一風変わった映画が、この『汚名』である。



イングリッド・バーグマンが、前回の『白い恐怖』から続投。


「演技派バーグマン、ここにあり!」のごとく、ケーリー・グラント演じるデヴリンに恋していく表情や、スパイとしての使命感との板挟みで揺れ動く、微妙な女心を演じている。



そして、ケーリー・グラントも、いつものお茶らけた役柄を、一切封印して、マジメ~なエージェント役。


こちらも、アリシアに恋しながらも、敵地に自ら送り込んだエージェントの使命感との間で苦悶し続ける。



ケーリー・グラントがマジメな演技をすると、まず首から上が一切動かなくなる。


目線も微動だにしない。


口元に多少の笑みを浮かべる事はあっても、それらは最後まで変わらないのだ。


たぶん、そう、意識して演技しているんだろうけど……それにしても………

「ヤッパリ、ケーリー・グラントも演技派なんだ」と改めて感心してしまった。



この映画、バーグマンとケーリー・グラントが何度も何度もキスするのばかりが、クローズ・アップされていて、『汚名』といえば、キス・シーンというくらい有名なのだけど。(当時、2秒以上のキスは許されなかったとかで、ヒッチコックが、「ならば回数を増やせばいいじゃん!」と、ばかりに何十回も二人にキスさせたらしい)



まぁ、キス・シーンも、それはそれで良いのだけどね。



でも、過剰すぎず、それでいて、さりげない、二人の名優たちの演技テクニックの方にも目を向けて頂けたらなぁ~と思う。


もちろん、ヒッチコックの演出にも。

星☆☆☆☆。