ラベル 俳優:アンソニー・ホプキンス の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 俳優:アンソニー・ホプキンス の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2021年11月11日木曜日

映画 「マスク・オブ・ゾロ」

 1995年  アメリカ。




『ディエゴ・デ・ラ・ベガ』(アンソニー・ホプキンス)は、美しい妻『エスペランサ』と産まれたばかりの娘『エレナ』の3人で幸せな暮らしを営んでいたが、彼にはもう一つの顔があった。


スペインによる植民地支配で苦しむメキシコの市民たち。


それを陰ながら救いたい!


黒いマスクとマントに身を包んで悪漢たちを成敗する。そう!彼こそは正義の味方ゾロなのである。



「おのれぇ~!ゾロめ〜!!」

そんなゾロの活躍に苦虫を噛み潰しているのが、カリフォルニア総督で、悪の大ボス『ドン・ラファエル・モンテロ』(スチュアート・ウィルソン)。


農民を囮にしてゾロにひと泡吹かせよう策を練るも、ゾロを助けた幼いホアキン&アレハンドロ兄弟の邪魔だてで、今回も大失敗する。(「チクショー!」by ラファエル)



「ありがとう…」

ゾロはそんな兄弟に感謝の気持ちをこめて、自身のメダルを贈った。



そうして、その夜、ゾロのマスクをとって愛しい妻子の元へ帰ったディエゴ。



だが、なんと!ラファエルとその部下たちが、その後をつけていたのだ。


「お前がゾロだったのかぁ~!」

憎きゾロの正体がディエゴだったのもショックだったが、ひそかに横恋慕していたエスペランサを妻にしているのにも、Wショックのラファエル。


もう、腸が煮えくり返るようで、憎さは数千倍である。


ラファエルの部下が、ディエゴに銃口を向けた。


それを咄嗟に庇って、身代わりに撃たれた妻エスペランサ。


「エスペランサァァーーーーッ!」


エスペランサは亡くなり、ディエゴは呆然。

敵であるラファエルも(ガ~ン!)大ショックである。


だが、ラファエルはすぐに気持ちを立て直すと、「エスペランサの残した娘だけでも……」と幼いエレナを奪い去った。(人さらい)


「その男は牢獄にぶちこんでおけ!」

部下に命じてディエゴを投獄させると、自身は、エレナを連れてカリフォルニアへと引き揚げていくラファエル。



こうして正義の味方《ゾロ》は町から消え去り、暗い牢獄生活。


愛しい妻は殺されて、娘までもさらわれてしまったディエゴの心は空っぽ。


長い20年の年月が過ぎてゆく………………




だが、ある日、牢獄で過ごすディエゴの耳にとんでもない噂が入ってきた。


「カリフォルニア総督ラファエル様がお帰りになるらしいぞ!」


それまで空っぽだったディエゴの心に、メラメラと灯りはじめる復讐の炎🔥。


「奴と刺し違えてもいい……」


ディエゴは脱獄し、帰還したラファエルの姿をとらえる……だが、その隣には若くて美しい娘の姿が。


「エレナ?……あれは私の娘エレナなのか?」



美しく成長した『エレナ』(キャサリン・セタ・ジョーンズ)は、何も知らされず育てられて、完全にラファエルを父親だと思いこんでいたのだった。


エレナの出現に、すっかり出鼻をくじかれたディエゴは、すんでのところで復讐を思いとどまった。



一方、その昔、ゾロからメダルを貰ったホアキン&アレハンドロ兄弟も成人へと成長していた。


軍の圧政に苦しむ時代ゆえ、兄弟は盗賊稼業に勤しむ毎日だったが。


だが、金品強奪に成功したのも束の間、冷徹な軍隊長『ラブ大尉』に、兄ホアキンの方は殺されてしまう。


「チクショー!」

ホアキンがゾロから貰ったメダルを自分の首にかけて、弟『アレハンドロ』(アントニオ・バンデラス)は復讐を誓う。



そんなアレハンドロに、ディエゴは町の酒場で偶然出会ってしまう。


「その首のメダル……もしかして、昔、私を助けた兄弟の片割れか?」


「あんたが《ゾロ》?!」

兄を殺されて、やけ酒をあおりながら復讐話をするアレハンドロに、ディエゴは同情しながらも、(まぁ、今のコイツが乗り込んでいっても返り討ち合うのが、せいぜいだろう……)と思うのだが、ディエゴにはもう一つの考えが浮かんできた。


(だが、私がこの青年を鍛え上げれば、もしかして……)


「ついて来い!」


ディエゴはアレハンドロを伴うと、ある秘密の隠れ家へとやってきた。


「何なんだ?ここは?!もしかしてゾロの隠れ家なのか?!」


キョロキョロするアレハンドロに、剣をさし向けるディエゴ。


「今から、私がお前を鍛え上げてやる!!」



そう、剣術も武術も、私の全てを叩き込んでやる!


それにしても、この身なりも相当にヒドイ……紳士としてのマナーも1から教えてやらねば……トホホ……


こうして《初代ゾロ》ディエゴが、《2代目ゾロ》アレハンドロを特訓する日々が始まるのだった………。




またもや、長々と書いてみた『マスク・オブ・ゾロ』の序章。(読んでくれる人いるのか?)


でも、ここまでは、どうしても丁寧に書きたかったので、どうかご容赦を。



この『マスク・オブ・ゾロ』、当時『デスペラード』で勢いづいていたアントニオ・バンデラスや、『羊たちの沈黙』で賞を総なめしたアンソニー・ホプキンスなどの出演で、観る前から期待値はおおいに上昇していた。(ヒロインのキャサリン・セタ・ジョーンズも綺麗だし)



オマケに監督は『007 ゴールデンアイ』を撮ったマーティン・キャンベルですもん。


アクション部分も「大丈夫だろう!」と期待は膨らむばかり。



で、当時、観た感想だけど……やっぱり面白かった。


「良く出来てるなぁ~」と、期待を裏切らない仕上がり具合に感心した記憶がある。



もちろん、出演者や監督も良いんだけど、この『マスク・オブ・ゾロ』、脚本がとにかく素晴らしいのだ。(脚本には3人の人物が関わっているらしいが)


冒頭に書いたモノを読んでみても分かるように、それぞれの登場人物たちの過去や背景、行動の動機なんてのが、「これでもか!」ってくらい、初めて観る人にも親切丁寧で分かりやすく描かれている。


敵役のラファエルにしても、その複雑な心情などが観ていて分かるのだから、相当に練りに練られた脚本だったんだろう。



だから、こういう映画は、何度でも繰り返し観るごとに発見があるし、長い年月にも耐えられるのだ。



初見では主役である『アレハンドロ』(アントニオ・バンデラス)の気持ちで観るのもいいだろうし、次に観る時は『ディエゴ』(アンソニー・ホプキンス)の想いに寄り添って観るのも良し。


女性なら、数奇な運命に振り回される『エレナ』(キャサリン・セタ・ジョーンズ)に感情移入だってできる。


悪党『ラファエル』(スチュアート・ウィルソン)の気持ちで観るなら、その叶わぬ恋に同情したり、本当の父親でもないのに、エレナを育てながら芽生えてくる父性に、複雑な気持ちを垣間見ることもできるだろう。



《ゾロ》の闘いをはさみながらも、これは良質な《人間ドラマ》なのである。



そんな中でも、面白いと思う部分は、やっぱり『アレハンドロ』が徐々に成長して、変わっていくところ。


粗野で汚い身なりをして、マナーも剣術も何も知らない無作法な男が、ディエゴを指南役にして、変わっていく様(さま)は痛快である。



そうして、エレナの前に現れたアレハンドロは、もう立派な紳士のイケメンさん。




《ゾロ》の強さを手に入れて、ついでに恋人もゲットしてしまうアレハンドロの姿に、男ならきっと憧れてしまうはずである。(この頃のバンデラス、カッコ良かったなぁ~)



続編の『レジェンド・オブ・ゾロ』も面白かったし、これ以降《ゾロ映画》が作られなくなったのも、やっぱりコレが最高峰の《ゾロ映画》だと、誰もが認めているからなのかもしれない。



星は、もちろん☆☆☆☆☆。


やっぱり男でも《変身》するのって楽しいよね。


2019年6月4日火曜日

映画 「マジック」

1978年 アメリカ。







カード・マジックの使い手としては、一流のマジシャン、コーキー(アンソニー・ホプキンス)。

今日も、得意のマジックを、酒場の客たちの前で、披露する。



「いいですか?このカードを覚えていてください」


酒場『スターダスト』の客たちは、舞台の上の、地味なコーキーなど、誰も見ていない。
(残念。もう少しイケメンで、洒落た格好なら振り向いてくれるのにね)



勝手にガヤガヤ、話し込んだり笑いあったりしている。



「さあ、ハートに変わりましたよ!」

客たちは、ヤッパリ誰も見てもいない。




コーキーの声は客たちの笑い声に、かき消され、のみこまれていく。




コーキーは、その様子に段々腹が立ってきた。

そして、ついに、ブチギレ!

逆上し、いつの間にか客たちに、向かって怒鳴り散らしていた。



「お前ら、分かってるのか?! 今、やってるのは誰でもできるもんじゃないんだぞ!! 最高のマジックなんだぞ!!」




「コーキー、……コーキーよ……」


ショーが散々な結果になり、帰ってきたコーキーは師匠の枕元で、全てを話すと師匠は嘆き、ため息をもらした。


そばでは、さっきの怒りが終わって、半べそのコーキーが佇んでいる。



「コーキー、お前のマジックの技術は最高なんだ! だが、工夫が足りない。工夫するのだ! コーキーよ!お客に見てもらえるように……」


師匠の助言は、コーキーに、どう響いたのか………。

頭の中で、その言葉を反芻するように、微動だにせず、コーキーは、ただ、じっと立ち尽くしていた。






                       ー 1年後 ー


『スターダスト』に行列が並んでいる。

やり手のマネージャー、ベン(パージェス・メレディス)は、NBCテレビのプロデューサー、トッドソンを待っていた。



しばらくして、やってきたトッドソンは、

「今時、マジックなんて……。こんなの子供番組でもウケるもんじゃないぞ」とブツクサ。



それをベンは、「まあ、まあ、…」と言いながら強引に引っ張っていった。



舞台上では、あのコーキーがいた。


いつものように、つまらないマジックをやっているのだが、客たちはなぜか真剣な面持ち。


トッドソンは、「これの何が面白いのかね……」と、ありきたりのマジックにウンザリした様子を隠そうともしない。


横では、ベンがニヤニヤしている。



その時、客席の中から、

「インチキマジックが始まるぞ!」の声がした。


コーキーは客席に下りると腹話術の人形を手に、舞台に戻ってきた。



客席からは大歓声がとどろく。


人形の名前は『ファッツ』。(もっと可愛い顔の人形はなかったのかね?、顔面が、異様にでかくて、見た目、ほんとに不気味な人形である)


毒舌な『ファッツ』と、気の弱いコーキーの掛け合い漫才が始まると、客たちは、たちまち笑い転げた。



「お前の『アレ』は、ショートピースと同じ長さだろう」

ファッツの下ネタに大爆笑する客たち。(どうも、我々日本人にはアメリカン・ジョークの面白さが伝わりにくい。こんなので簡単に笑い転げて大爆笑するアメリカ人って…いったい)


「余計な事を言わないで、さあ、カードを引いてくれよ」コーキーが、ファッツにカードをひかせた。


それが一瞬で、クローバーからハートに変わる。


ファッツが目を開き、アゴを下げて、ギャフンとした顔になると、客たちは大笑い。大喝采して拍手したのだった。



「これは売れるね」とトッドソン。

「そうだろう」とホクホク顔のベン。(そうだろか? (笑) )



ショーが終わり、コーキーの楽屋にやってきたトッドソンは絶賛。かたい握手をすると帰っていった。


マネージャーは大喜び。

「良い感触だった。お前は、これから大スターになるんだぞ!」と激励する。




嬉しいような気恥ずかしい顔をするコーキー。



そんなコーキーの側では、『ファッツ』の人形が置かれていたが、人形の目が、一瞬、異様なキラメキを見せたようだった …………





この映画を遠い昔、確かVHSの時代に観ていて、なんとな~く、気色の悪い人形のインパクトで覚えていました。


もっと可愛い人形なかったの?(でも、可愛いけりゃ、可愛いで全然恐くないんだけどさ)





主演は、若き日のアンソニー・ホプキンス。(まあ、若いといっても40歳くらいだが)


この『マジック』の頃は、ガリガリに痩せていて、元々くぼんだ目元が、さらに落ち窪み、一種恐ろしい顔になっている。


この顔じゃ、アイドル的な人気を期待できそうもない。(着ている服装もチョー地味でダサいし)



でも、男の顔も変わるのだ。


年齢を重ねるごとに、《渋さ》と《貫禄》、《経験》を供えた、50代後半(『羊たちの沈黙』の頃)のアンソニー・ホプキンスは、若い時よりも、ずっといい顔をしている。




と、お顔の事はここまで。

話はガラリと変わって、映画の事をちゃんと語りたい。(おぉ?!自分にしてはマジメな展開だぞ!)




この映画、二重人格を扱ったサイコ・サスペンスである。



腹話術の『ファッツ』人形に、もうひとつの人格をのせるうちに、それを占める割合が、段々大きくなり、やがてコーキー自体の存在を支配し、おびやかすようになってくるのだ。


しかも、コーキーの抑圧された邪悪な部分が、ごっそり、『ファッツ』に乗り移るのだから、タチが悪い。




ある日、マネージャー・ベンに健康診断を勧められたコーキーは、それを嫌がって、昔住んでいた田舎に突然帰ってしまう。(本能的に何か《危険》を察知したのか?)



そこで高校生の時好きだった憧れの女性・『ペグ』(アン・マーグレット)と再会。

見事!両想いになってしまう。





だが、彼女は既に結婚している《人妻》さんである。



夫は禿げてて、うだつの上がらない『デューク』(エド・ローター)で不倫しちゃうのも充分に分かる気がするが。(でも、よりによって不倫の相手が、精神異常者? …… つくづく【男を見る目がない可哀想な女】である)






そんな場所にまで、マネージャーのベンは執拗に追いかけて来る。



「おい!邪魔なあいつを殺すんだよ!コーキー!!」

ファッツ人形の囁きがコーキーに命令する。(だが、全てが二重人格のコーキーひとりの仕業だと思うと、寒気がするくらい恐ろしい)



やがて、それは、マネージャーのベンや関係ない者、そして愛する人・ペグさえも巻き込んだ大惨事へとなってきて ………





その大昔、腹話術師は、裁判で有罪になり処刑されることもあったとか ……



この、人形に魂を移したようにして喋らせるという行為自体が、大昔の人たちには、まるで魔術や魔法に見えたのだ。


人々は、それを怖れて弾圧、迫害する。


まぁ、訳の分からないものを毛嫌いするのは、しょうがない事なのだけども……(でも処刑もあんまりな気もする。)


それを観て楽しむ者もいれば、一方では、不気味に思って恐怖する人たちもいる。


同じモノを観ていても、捉え方は様々って事なのだ。





そして、人の心は複雑なモノ。



普通の人でも本音と建前を使い分けて、我々は生活している。


それを二重人格というなら、誰だってこんなコーキーのようになる可能性を秘めている。




ただ、そうならないように、身近な人物には、本音を小出し小出しに語る。


いわゆる、これは《毒出し》のようなモノで、これは人が精神の均衡を保つためには、本当に必要な作業なのだ。




たまに、ニュースで世間を騒がすような凄惨な事件の犯罪者も、こんな感じだ。


近所の聞き込みでは、元はおとなしい何を考えているのか分からないような人物。



それは、いうなれば意思表示の下手クソな人物たち。



人に悩みを打ち明けたりする事が、まるで《恥》だ!と思うくらい、そんな人たちは、プライドも超高い。



そんなくだらないプライドに邪魔されて、弱気さえも見せられない。


身近で語れる人間もいなければ、毒を吐く機会もないのだ。




そして、毒を吐かなければ毒は体中に周り、貯まっていく。


精神までも侵してしまうのも当然なのである。




日常でも、言いたい放題の自分には、想像すらつかない。

小出しに毒を吐くのはヤッパリ大事な事なのである。(適度なガス抜きと一緒)


こんな事をツラツラと考えさせられた『マジック』の一編なのでございました。

 星☆☆☆。


2019年5月2日木曜日

映画 「ジャガーノート」

1974年 イギリス。






1200人を乗せた大型豪華客船『ブリタニック号』が、揚々と出港した。


乗客たちは、豪華客船の中で、食事を楽しみ、ゲームをして、催し物を楽しむ。





だが、次第に海は荒れはじめ、悪天候の様相。

船長の『アレックス・ブルネル』(オマー・シャリフ)に機関室から連絡が入った。



「なんだか訳の分からないドラム缶が、置いてあります」


ブルネルは、何の気なしに命令した。

「片付けておけ!」と。





同じ時刻、ロンドンで家族と過ごしていたブリタニック号の船主『ニコラス・ポーター』(イアン・ホルム)の自宅に電話がかかってきた。


「わたしは《ジャガーノート》。ブリタニック号に7つの混合爆薬を仕掛けた。精密な仕掛けの爆薬はタイマー式で、翌朝に爆発するようにセットされている。無理に解除しようとすれば1200人は、木っ端微塵だ! 爆弾解除はこの私しか出来ない」


「いったい何が目的なんだ!」

ニコラスが言うと、《ジャガーノート》は、解除方法を教える見返りとして50万ポンドの金額を要求してきた。(結局、金目的かよ)



ニコラスは、このいきなりの電話を本当かどうか疑った。


それが電話の向こうの《ジャガーノート》にも伝わったのか、《ジャガーノート》は続けてこう言う。



「今から、その証拠に一つの爆弾を爆発させる。死人が出ない事を願うよ」

《ジャガーノート》はそれだけ言うと電話は突然ブツリときれた。





同じ時刻、ブリタニック号の甲板では、ドガーーン!爆発が起きた。

船員が、その爆風に吹き飛ばされて怪我をおう。



犯人は本気なのだ!


ニコラスは警察に連絡した。




この事件は、政府、イギリス海軍、警察の三つ巴の連携であたる事になった。


「決して、我々はテロには屈しない!」


政府関係者の意見は、これに全員一致して、断固としてテロリストに立ち向かう姿勢である。




早速、政府は爆弾処理のエキスパート『ファロン』(リチャード・ハリス)率いるチームに、爆弾処理を依頼した。


ファロンたちチームは、荒れ狂う海に漂う《ブリタニック号》に向けて、ヘリで出発する。




一方、スコットランドヤードの警視、『マクロード』(アンソニー・ホプキンス)は、特別捜査班を率いて、爆弾設計のプロを何人かリストアップして、容疑者を絞り出すよう動きだした。



時は刻々と進んでいく………。







《爆弾魔》モノってジャンルがあるなら、この映画は、その元祖にあたるんじゃないかな。


かくいう私、この映画の事は、昔から大体の筋書は知っていたのだが、観たのは今回初めて。




あまりにも、この映画のラストが、あちこちのメディアでパクられていたり、パロディー化されていたりして、観る気を削がれてしまった感もあり、今日までに至ったわけである。


前回の『ジェット・ローラー・コースター』に少し失望してしまって、ならば、このジャンルのメジャーな作品を!と手にとったのだが……。





観た感想、まぁ、面白かったです。

でも今、観ると、ちと古さも感じるかな。





勘違いしていた部分もあって、映画のタイトルの『ジャガーノート』がてっきり船の名前だと思っていたのに、犯人の名称だったとは…。


《ジャガーノート》の意味は、止めることの出来ない巨大な力、圧倒的な破壊力。



自分の爆弾技術に絶対の自信を持つ犯人が、名乗るのも分かるような気がする。





後、この映画も、けっこう有名どころの俳優さんたちが出ていて、それについてもチョコチョコ書いてみたいと思う。




リチャード・ハリス……この映画の主人公で爆弾処理の専門家ファロンを演じている。



リチャード・ハリスといえば、ハリーポッターの初代ダンブルドア校長が、有名だが、この『ジャガーノート』を観て思ったのだが……



…………ふ、老けてる。(この人って、昔からお爺さん顔だったんですね)



多分、この時で44歳くらいのはずだが、……額は皺が何重にも重なり、法令線も深く刻まれていて、この時から、もうお爺さん。



この映画では、その老けた顔に反比例して、ビートルズのようなオカッパ頭をしているが、全然似合ってない!!


まるで修道士みたいにしか見えない!(ちょっと!主人公なんだからさ、ちゃんとしたスタイリストはいなかったのかなぁ~)
と、いちいち突っ込みたくなるような風貌である。





オマー・シャリフ……ブリタニック号の船長。



アラブ人らしく、このお方も1度見たら忘れられないくらい濃い顔の持ち主。


太い眉、デカイ目、デカイ鼻、デカイ口髭、デカイ口、そしてとどめにデカイ歯はスキッ歯。(顔が画面から迫ってくるように思えるほどインパクト大!)


この人が出てくると、お正月の獅子舞を思い出すのは、何故なんだろう…(笑)





イアン・ホルム……ブリタニック号の船主ニコラス。


イアン・ホルムは『フィフス・エレメント』の神父役が有名か……。

前述の二人の顔インパクトが強すぎて、この映画では、ごくごく普通の中年のオジサンに見えてくる。





アンソニー・ホプキンス……スコットランドヤードの警視役。



さすがに若い!若いホプキンスの姿なんて新鮮だ!


だが、この映画では同系統の顔で似ているデヴィッド・ヘミングスも出ていて区別しにくかった。

若い分、まだまだ眠れる個性を隠しているっていったところか。





★デヴィッド・ヘミングス……『サスぺリア2』で主演をつとめた彼は、ここでは爆弾処理班でファロンの有望な弟子チャーリーを演じている。



前途有望な筈なのに、犯人の仕掛けたブービー・トラップにまんまと引っ掛かり、あえなく爆死してしまう。合掌!(ホプキンスと顔が似ているから、早々に殺されてしまったのかな?)




と、まぁ、色々、言いたい放題書いてみたが(ほとんどが顔の事ばかりだが…)俳優たちは、いずれも名優と言われる方々ばかりを揃えていて、緊張感の引っ張り方は最後まで、流石である。




例のラストシーン、爆弾に仕掛けられたトラップ。



「赤か?青か? どちらの導線を切れば助かる?!」



なんてのは、どんだけ、いろんなところで模倣されただろうか……。



自分が覚えているのでも、『古畑任三郎』、『キャッツ・アイ』、『パトレイバー』等々……枚挙にない。


とすれば、この映画の与えた影響って『ジャガーノート』って名前のごとく、圧倒的な破壊力だったんだろうな、当時は。



さまざまなネタ元として、観る価値あり。


星☆☆☆。

※それにしても、野郎とオッサンばっかりの絵面は、あんまり美しいもんじゃないなぁ~ (笑)


2019年4月4日木曜日

映画 「羊たちの沈黙」

1991年 アメリカ。







「バッファロー・ビル」とアダ名される人の皮をはぐ猟奇犯罪者がいる。



次々と事件が起きる中、手がかりすらない状況に、警察官関係者やFBIも頭を痛めていた。



そんな時、FBIアカデミーの訓練生クラリス・スターリング(ジョディ・フォスター)はBSU(行動科学科)のクロフォード主任捜査官(スコット・グレン)から、突然呼び出される。


「君に、ある男の助言を聞いてきてもらいたい」



その男とは、稀代の凶悪殺人犯と同時に、精神分析医と名高い『ハンニバル・レクター』。


レクターの分析力は、すぐれており、殺人犯といえど、バッファロー・ビルを逮捕するための、何か有力な助言が引き出せると、クロフォードは考えているらしい。



人一倍、上昇志向の強いクラリスに異論はなかった。


早速、クラリスは、レクターに謁見するために、収監されているというボルティモアの精神病院に向かった。



そこは病院とは名ばかり。

頑丈な建物は、人を寄せ付けない要塞のようなおもむきだ。


暗い通路を進むと、強固な防弾ガラスから光が漏れている。



そこに『レクター』(アンソニー・ホプキンス)がいた。



凶悪な殺人犯とは思えない風貌。

だが、厚いガラス越しからも漂ってくる、人を圧するような異様なオーラ。



クラリスは、慎重に歩を進め目の前のレクターに近づいていった…………。






トマス・ハリスの小説を映画化した、この映画は、当時、興業的にも賞取りレースでも大成功をおさめた。


アカデミー賞でも5部門を制覇。

作品賞、監督賞、脚本賞。

そして主演女優賞には、『告発の行方』に続いて2度目の受賞、ジョディ・フォスター。



主演男優賞には、アンソニー・ホプキンスが輝いた。




子役から実力をつけてきたジョディ・フォスターとは違い、ホプキンスは、50歳をなかば近くになってからの初受賞。

それでも、まだ、この時代は、アカデミー賞も、興業収益、世間の知名度、作品の人気度などが、きちんと認められていて、皆が納得の受賞だったと思う。



これ以降、どんどん選考基準が、???と首をひねりたくなるくらい、段々おかしくなっていくアカデミー賞を見ていれば、賞の権威もこのあたりくらいまでじゃなかろうか。





と、愚痴はこのへんまで。


今回は、いつもと趣向を変えて、アンソニー・ホプキンスのことについて、重点的に語りたいと思う。





アンソニー・ホプキンスは舞台俳優として、スタートした。


それから、しばらくして映画にも進出し、『冬のライオン』や、『エレファントマン』などの脇役。



たまに主役で『マジック』などにも出ていた。



それらは、いずれも強い印象を残したが、大ヒットまではいかなかった。


それでも、ホプキンスの演技の根源は舞台にあるので舞台と映画をコンスタントに両立していった。





ここで、話は変わるが演技者には、2つの種類があるのをご存じだろうか。




1つは、アンソニー・ホプキンスのように、昔からの伝統的な演技法が確立されたイギリス出身、舞台からスタートした俳優たち。

これらの俳優たちは、演技の基礎から始め、基本の発声法、仕草、パントマイムなど、あらゆる高度な演技の技術をみがいていく。


この中にはローレンス・オリヴィエなども含まれる。






もう1つは、アメリカはアクターズ・スタジオ出身の俳優たち。

これらの俳優たちは、《メソッド演技法》なるものを使って演技する。




メソッド演技法》とは、何か?




その役が、現実でも、より自然に見えるように、徹底的にリサーチし、疑似体験を通して役に近づく演技法なのだ。


ハリウッドではマーロン・ブランドが、その先駆けとなり、役によってボソボソ喋ったり、『ゴッド・ファーザー』では姿を変えるために、髪の毛を抜いて薄くしたり、口に綿を入れたりもした。


日本では三國連太郎が、若いときに、見た目が年寄りに見えるように、全部歯を抜いたりもしている。


役によっては体重を激減させたり、増やしたりもする。(『マシニスト』のクリスチャン・ベールや日本では鈴木亮平といったところか)




ロバート・デニーロも、この手の俳優である。

『タクシー・ドライバー』では実際に3週間くらいタクシーの運転手をしたりもしている。




この《メソッド演技法》は、見た目的にも、その特殊さがウケて、ハリウッドでブームになり、誰も彼もがアクターズ・スタジオの門を叩いた。



あのジェームス・ディーンやマリリン・モンローさえも。


(自分たちも俳優として、1段も2段もステップ・アップできるかも……)


そんな風に思わせて、皆が惹き付けられたのである。





だが、この《メソッド演技法》は、諸刃の刃。



使い方を間違えれば、役者の命さえ奪いかねない。


役作りの為に、外見や内面まで深く掘り下げるため、神経症、アルコール依存性、薬物中毒などに陥りやすいのだ。



モンローは、情緒不安定になり、短命に亡くなった。


『バットマン』のジョーカーを演じたヒース・ロジャーは不眠症で睡眠薬が手放せなくなり、副作用により、これまた公開を待たずに亡くなる。





漫画の世界では、『ガラスの仮面』なんてのが有名だろうか。



役にのめりこみ、その役をつかむためにはと、どんな事でもする北島マヤ。

『奇跡の人』ではヘレンの役をつかむために、目を見えないように包帯で結び、耳栓をして3重苦のヘレンになりきろうとする。

『狼少女ジェーン』では、ジェーンのように、山籠りまでする。



これらは、マヤが自分で思い付いた演技方法だが、これこそが《メソッド演技法》である。


確かに役の気持ちをつかむまでのプロセスは、観ている側としては楽しいんだけどね。




だが、恩師の月影千草は、そんなマヤに警鐘の言葉を投げかける。


「役、そのものに成りきるのは、一見、素晴らしいことに見えるが、その為に内に意識が向かいすぎて、周りが見えなくなるおそれがある」と。



原作者の美内すずえは、自分のキャラクターに、こう言わせているが、当の原作者も、この《メソッド演技法》に狂わされていく。



漫画の中で、マヤに、次はどんな《メソッド演技法》をさせたらいいのか、悩み苦しむうちに漫画は休載になり、次第に話も破綻していった。(多分完結は無理だろう)





そして、《メソッド演技法》を真っ向から馬鹿にしているのが、他ならぬアンソニー・ホプキンスなのである。




「馬鹿馬鹿しい!演技というのは所詮、絵空事。全ての要素は、シナリオの中にあるのだ!」というのが、ホプキンスの見解。



日々の演技の為の鍛練によって培われてきたモノこそが大事であり、観る者を信じこませる、そして、説得させるセリフや動作こそが一番だと考えているのだ。



まず、自分自身の内面がどうとかよりも、常にそれを受け取って観る側、自分主体よりも観客主体の考え方なのである。



マーロン・ブランドーのように、自分に酔いしれて、ボソボソしゃべるなんて、とても考えられない。


観客が聞き取れにくいセリフをつぶやいてどうする?


ただの独りよがりだ。


観てもらう人たちがいるからこそ、演者として、俳優という仕事は成り立っているのだから。




そんな考え方のアンソニー・ホプキンスなのである。




だからホプキンスは、台本のセリフを一字一句、徹底的に自分の頭の中に叩き込む。


そして、セリフの世界を最大限に想像し、ふくらませ、向かい合う相手に合わせながら、演技プランを練っていく。




舞台俳優として生きてきたホプキンス。

舞台では絶対にやり直しはきかない。



映画では、何度もリテイクや取り直しが出来ても舞台は真剣勝負、一発勝負なのだ。




「脚本を理解していない俳優とは、一緒に仕事は出来ない!」



撮影所のあちこちに、セリフのカンペを貼り付けて、それを読みながら演技するなんて、演技者としての風上にもおけないのだ。(マーロン・ブランド「ドキッ!」 (笑) )



アンソニー・ホプキンス、81歳にて現役続行中。まだまだ元気。




メソッド演技に頼らず、その信念で、当分は我々を楽しませてくれるに違いない。



だいぶ、映画の内容からは、脱線して長々書いてみたが、映画はもちろん星☆☆☆☆☆とさせて頂きます。