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2025年7月30日水曜日

映画 「殺人者(1946)」

 1946年  アメリカ。





「スイード、お前を狙って殺し屋たちがやってくるぞ!すぐに逃げるんだ!!」


『スイード(親しい人にだけの通称)』(バート・ランカスター)と一緒に近くのガソリンスタンドで働いている同僚のニックは、たまたま殺し屋二人組に遭遇した。二人がスイードの命を狙っている事を知ったのだ。


そうして、命からがら逃げおおせて先回りすると、スイードの住むアパートへ知らせにやって来たのである。


だが、肝心のスイードは慌てず騒がず、まるで動じる風でもない。

むしろ《殺される事に大歓迎!》って感じなのだ。呆れたニックが、トボトボ帰っていくと、入れ違いに殺し屋たちがやってきた。



そうして ズドン!💥スイード目がけて8発の弾丸が発射される。

スイードは簡単に殺された。


翌日から保険調査員『リアダン』(エドモンド・オブライエン)がスイードの過去を調べはじめる。

たいした抵抗も命乞いもせず殺されたスイードは、数年前、一度きりしか会った事もないホテルの老メイドを受取人に、2500ドルの生命保険を掛けていたのだ。



(これは何だか裏がありそうだぞ …… )


オマケに通称は『スイード』だが、この街では『ピート・ラン』を名乗り、数年前ボクサーをやっていた頃は『ケリー・ジム』のリングネーム、そうして本名は『オリー・アンダーセン』なのだという。(あ〜、ややこしや)


それにスイードの幼なじみである『ルビンスキー警部』は、情婦『キティ』(エブァ・ガードナー)の犯罪(窃盗)を庇った罪で、スイードを一度逮捕していた。

逮捕歴のあるスイードは、かなり怪しい存在。


こうしてルビンスキーの計らいで田舎に埋葬されたスイードの遺体。


「他にも案件があるんだぞ!もういい加減にしろ!」なんて上司に言われながらも、リアダンは、スイードの事件にドンドンのめり込んでいく ……




以前、私が挙げた映画『らせん階段』や『幻の女』でお馴染みの名匠、ロバート・シオドマク監督の初期作品である。


この映画『殺人者』は初視聴だが、非常に難解な作品だった。

なにしろ一回観ただけでは話をつかみきれない。


それもこれも前述に書いたとおり、『スイード』(バート・ランカスター)の名前のせいである。


いったい、いくつ名前があるんじゃい?!ってな感じで、こうして文章を書くにしてと確認につぐ確認なのだ。(コレ、今の時代だからいいけど、一回で理解できた人いるの?)




それでも、この『殺人者』はバート・ランカスターのデビュー作。

主演のエドモンド・オブライエンの存在が霞むほど、ランカスターには見せ場が数多く用意されている。(開始早々殺されてしまうのに。いくつかの回想シーンが挟まれている)


花形ボクサーだった彼は右手を負傷して引退。

その次、出会ったのが美しい『キティ』(エヴァ・ガードナー)である。



でも、このキティの中身は邪悪そのもの。


キティの罪を庇って刑務所に入るなどしてスイードの運命はどんどん悪い方へ、悪い方へと流れてしまう。



そうして3年ぶりに出所できたと思ったら、暗黒街のボス『コルファクス』(アルバート・デッカー)の発案で《帽子会社の給料強奪計画》なんてのに誘われる始末。


しかも、あの愛しいキティは、スイードを裏切って、コルファクスの愛人に治まっていたのだ。




それでも愛しいキティの為に25万ドル強奪計画に、のってしまうスイード。(馬鹿だなぁ〜)



上手く強奪が成功しても、その後にある、悪女キティの裏切りに次ぐ裏切り。

スイードは、ほとほと疲れてしまいましたとさ(だから殺される時も無抵抗だったのかも)




保険調査員リアダンは、そんなスイードの敵討ちとばかりに、真相に迫ってゆく ……





まるで《峰不二子》ばりに、次から次に男を手玉に取り続ける『キティ』(エヴァ・ガードナー)。(そんなに良い女かねぇ?)


(でも、この女の悪運もどこまで続くのかねぇ〜 …… )と思っていたら、映画のラスト、ようやっと溜飲の下がるようなシーンで幕。



そう、そう。世の中、何でも自分の思うどおりに行きません。(甘い汁の後は苦い汁が待っておりまする)



それでも、この映画はバート・ランカスターエヴァ・ガードナー、無名の二人を一気にスターダムに押し上げた記念碑的作品。



今後、この二人の出演作を追うのなら観ておいても損はないでしょ!、って事で星☆☆☆。

でも早送りなんて止めて、ゆ〜くり確認しながら観る事をオススメしときますね。




2023年12月10日日曜日

映画 「クジョー」

 1983年  アメリカ。





少し前、新型コロナが世界中で大流行した時、「コロナの発信源は、いったいどこなんだ?!」で、皆が血眼になって騒ぎだしたのを、誰もが覚えていると思う。


そうして浮かび上がってきたのが中国は《武漢》という都市。

この地域で普通に食されている「《コウモリ🦇》が原因なんじゃないのか!」というニュースが、瞬く間に世界中を駆け巡ったのだ。


…… あんまり驚かなかった。


昔から、広い中国では普通のように野生動物が食(しょく)されていたのは有名な話。

その辺りにいる犬だって、猫だって、鳩だって、彼らにとっては立派な食料源。(それ故、野良猫や野良犬も、一切見かけないとまで言われているが)


それでも、どんな病原菌を抱えているか分からない、あの《コウモリ》まで、やっぱり食べたり、スープにして飲んでいたとは …… (恐るべしである)



そうして、メディアでこの話が流れた時、この映画を途端に思い出した。

スティーブン・キング原作の映画『クジョー』を。



森の中で野生のウサギを追いかけて遊んでいた大型セントバーナード犬『クジョー』は、

【 コウモリ 】に鼻を噛まれてしまう。



クジョーは途端に【 狂犬病 】になってしまうのだ!


こんな大型犬が、狂犬病になってしまえば、その後は《地獄絵図》の始まり、始まりである。


完全に気がおかしくなったクジョーは、手始めに、車の整備工場をしている自分の飼い主・『ジョー』(エド・ローター)を咬み殺す。


毎度お馴染み、色々な映画に登場するエド・ローターさん。この人、映画の中で何回死んでるねん?(笑))


たまたま山奥の整備工場に来ていた母子・ドナとタッドは、クジョーに襲われそうになるも、すんでのところで動かない車の中に避難する。


そんな車に、血だらけになりながらも顔面から何度も体当たりを繰り返すクジョー。



車も動かせない、誰にも助けも呼べない(まぁ、携帯やスマホも無かった時代なんで)、表に出ていく事も許されない。


獰猛になったクジョーは、車の周りを常にうろついていて、隙あらば咬み殺そうと待ち構えているのだ。


完全に外界から遮断された母子は、暑い車の中で、何日も耐え忍ぶことになる。


一方、妻や息子と連絡がとれなくなった夫は保安官に連絡して、一応、保安官が探しに来てくれるものの、クジョーに簡単に駆除(くじょ)された。(駄洒落か?(笑))


そのうち幼い息子タッドが脱水症状をおこして、もはや危険な状態。


母親ドナは意を決して、獰猛なクジョーと対決しようと、車から出ていくのだが ……




確か、こんなお話だったはず。(記憶を探り探り書いてるので、あまり自信がないが)


ある日、横綱級にドデカい犬が牙をむき出しにして襲いかかってくる。


単純といえば単純な話だが、こんなワン・アイデアだけで小説に仕上げてしまうスティーブン・キングには、本当に頭が下がる。(コウモリというものが、どれだけ危険な毒性をはらんでいるのか …… 今にして思えば先見の妙があったのかも)


元来、犬が苦手な自分には、生理的な恐怖だけで戦慄がはしり、この映画はかなり印象深く残っているのだ。


たまに、自分の近所でも、熊のようなサイズの大型犬を散歩させてる飼い主を見かけるが、私は、映画『クジョー』を思い出して、それらとは、かなり広い距離をおくことにしている。


飼い主からしたら、

「可愛いし、何が怖いんだ?」って気持ちだろうが、言葉が全く通じないような野生動物を飼う事の恐怖や、周囲を傷つけてしまうような危険性を、彼らはそこまで想像していない気がする。


「飼っていれば自然と動物の気持ちが分かるようになってくる」なんて言う人もいるが、本当のところ、どうなんだろう。(なんせ動物を飼ったことがないので)


人間側の勝手な思い込みなんじゃないのだろうか?


今まで懐いていた動物も、ある日、何かの影響で、気持ちがガラリと変わるかもしれませんよ。

こんな『クジョー』のようにね。



そうして、《アチラさん》では、こんな風になった犬でも、やっぱり食べちゃうのかしら?



今回、この文章はだいぶ敵をつくったかも。


人間も怖ければ、野生動物も怖い。

世の中、怖いモノで一杯である。(星☆☆☆)



※(オマケ)今回、この『クジョー』の事を書こうとして、たまたま、この画像に出くわした。


それがコレ




ガァァーーーーン!!


何これ?

ダメじゃん!(昔、感じた、あの恐怖をど~してくれるのぉーー?!)


ホラー映画のメイキングほど、一気にシラケさせるものはない。

一応、《苦情(クジョー)》を入れとく。(最後まで駄洒落かよ!(笑))

2023年12月9日土曜日

映画 「ファミリー・プロット」

 1976年  アメリカ。





ある夜、霊媒師・『ブランチ』(バーバラ・ハリス)は、恋人でタクシー運転手・『ジョージ』(ブルース・ダーン)の情報を元に、孤独で金持ちなレインバート婦人相手にインチキな霊媒していた。


完全にブランチを信用した老婦人は、水を得た魚のように、今の悩みを打ち明けはじめる。


「実は《甥っ子》を探してほしいのよ! 死んだ妹が昔、私生児として産んだ子よ。」


大昔、名家レインバート家では私生児など《一族の恥》。

子供は早々に養子にだされ、生きていれば、もう中年男の姿なのだという。


老い先短い自分に残された身内といえば、考えても、もう、あの《甥っ子》しかいない。

その甥を見つけて自分の財産を相続してもらいたい!というのが、目下、婦人の願いなのだ。


「それに見つけてくれたら、お礼として報奨金 一万ドル を払うわ!」の話が飛び出すと、たちまちブランチの瞳が輝いた✨。



この話を家に持ち帰ると、恋人のジョージもウハウハ♥。

タクシーの仕事そっちのけで、【素人探偵ヨロシク!】、《甥っ子探し》に乗り出してゆく ……



でも、良い《甥っ子》なら、いいけど、世の中そんなに上手くいくのかな~?



コイツが二人が探すことになった肝心の《甥っ子》、エドワード・シューブリッジ=またの名を『アーサー・アダムソン』(ウイリアム・ディヴェイン)である。(思いっきり歯をむき出しにして、まぁ〜、ひと目見ても悪そうな顔)


自身が17歳の時に養父母は、とっくに火事🔥で亡くなっていた。(コイツが殺したんじゃないのか?)


そうして、しばらくすると、エドワードは『アーサー・アダムソン』を名乗りはじめ、宝石商を営みはじめる。(ご丁寧に養父母の墓の隣に、自分の嘘の墓まで建てる念の入れよう)


だが、元々が悪党のエドワードに真っ当な暮らしは無理!


情婦の『フラン』(カレン・ブラック)と組んで司祭を誘拐。

身代金代わりに高価な宝石を要求するという、トンデモない《裏稼業》を生業(なりわい)にしていたのだった。




そうとは知らないブランチとジョージは、

「《甥っ子》を見つけ出せば本人も得するし、自分たちだって報奨金の一万ドルが手に入る!」と、完全に一挙両得、親切家気取りの気持ちである。


そうして、とうとうジョージは『エドワード・シューブリッジ』の名前と墓地を探し出した。



(亡くなっていたのか …… これで一万ドルも水の泡。パァーか …… )と落胆しかけたジョージだが、ある異変に気付く。


(いや!待てよ!この墓はシューブリッジ夫妻の墓に比べて …… )


同じ1950年に建てられたにしては、エドワードの方の墓は、やけに 新しい のだ!


疑念を抱いたジョージは、エドワードの死亡保証人が、雑貨屋を営んでいる『マロニー』(エド・ローター)という男になっていることを突き止めると、即座に訪ねていくのだが ………





アルフレッド・ヒッチコック監督、最後の映画。(後、1980年没になる)

そうしてヒッチコック映画には珍しく美男美女は全く登場しない!(特にカレン・ブラックの起用には「???」)



だが、この映画の構成は中々良い。


2組のカップルの思惑や行動を交互に描きながらも、それが交差する時、どんな反応を引き起こすのか?


一種の《科学的反応》な面白さがあるのだ。



その間にはさまれて、『マロニー』(エド・ローター)の姿がチラホラ。

右往左往している。(私がこれまで取り上げてきた映画に、(なぜか?)不定期に登場する、謎の【禿げたオッサン】(笑))


「アイツらをぶっ殺してやる!」


いちいちアダムソンの前で、ナイフを取り出しては凄んでみせるマロニー。

実は、このマロニーもアダムソンと一緒に、養父母を火事🔥に見せかけて殺した共犯者なのでした。(やっぱり!保険金目当てか?)


叩けば、いくらでも埃が出てくる悪党たちには、もはや、人の善意なんてのは全て真逆の悪意に見えてしまうのだ。

突然現れた、ジョージとブランチに、危機感さえ覚える悪党たち。


「エドワードの情報を教えてやる!」

わざわざ山奥の喫茶店にブランチとジョージを誘い出したマロニー。


二人が喫茶店で待ってる間に、チョイチョイと車に小細工する。(全く、あの飛び出しナイフは何だったのか?妙に小者感丸出しのマロニーさん)


そうして、待てど暮らせどやって来ないマロニーにシビレをきらせて、二人が車に乗り込むと ……


ゲゲッ!この車、ブレーキが効かないぞ!(お決まりといえば、お決まりの展開が待っていたのだった)




ここで、ヒッチ先生のいつもの悪い癖が出て ……


このシーンは《大失敗》する。


全くハラハラしないのだ。


なぜなら、このジョージが運転するシーンが素人から見ても、ヘタクソな合成ってのが、丸わかり過ぎるから!】 なのである。


ヒッチコック映画は、今まで、いつもスタジオ内に豪華なセットを組んで撮影してきた。

ヒッチコックが《アウトドア嫌い》の《インドア派》なのは有名な話である。


そんな《インドア派》のヒッチコックが撮る《車で走っているシーン》は、昔ながらの古いやり方である。


スタジオ内、停めた車に男女を乗せて、撮影カメラは常に男女の様子が分かるよう、真正面に固定。

車の後部座席に映り込む背景には、大きなスクリーンに別撮りしていた景色を映写してみせる。


これならスタジオ内でも車を走らせてるようなシーンが撮影できるし、これはサイレント時代から続いている古い手法の一つなのである。



モノクロ映画やテクニカラーの時代は、その手法でも良かったかもしれない。(他の監督たちだって、皆んなこぞってやっていたし)


だが、70年代にもなれば、撮影方法も変わり、初めからカラー・フィルムで撮影出来るようになってくる。


迫力あるカー・チェイスなんてのは、1968年に公開されたスティーブ・マックイーンの『ブリット』を観客たちは、既に観てしまっているのだ。


『007シリーズ』でも、ショーン・コネリー時代は、その手法を取り入れていても、ロジャー・ムーア時代には、たとえ《合成》でも走らせる車のアングルを変えてみたり、色合いや照明で、なるべく違和感がないような工夫がほどこされている。


だが、この【フィルム撮影】では、もうダメなのだ。


完全に(あら)》が見えすぎてしまっている。(車の中で必死に運転する『ジョージ』(ブルース・ダーン)のネクタイを引っ張りながら、叫んだり暴れたりする『ブランチ』(バーバラ・ハリス)が、まるっきりの馬鹿女に見えた)


だって観客には1976年時点でも、「コレ合成でしょ!」ってなのが、バレバレなんですもん。


(↑これはさすがに野外撮影である)



この後、なんとか無事に脱出したジョージとブランチを、今度は轢き殺そうとやってくるマロニーの車は、自損事故で谷底へ真っ逆さま。


大炎上してアホな最期をとげる。(やっぱり死んでしまうエド・ローター(笑))



それにしても、何でこんなシーンを、わざわざ取り入れたのだろう、ヒッチコックは?!


「俺は昔からこんなシーンが得意なんだぞ!」と思ってたのなら、もはや勘違い。

時代の流れに取り残されてしまっている。


70年代は、《生のアクション》こそ、重宝された時代だったのだ。(コンピューターやCGなんてのは、これより、まだまだ、ずっと先の話である)


このシーンが映し出された時、(まだ、こんな古いやり方をやってるのか …… ヒッチコックも …… )と、ガッカリした思い出がある。


ヒッチコックも柄じゃないカー・アクションなんてのに、この時、手を出すべきじゃなかったのだ。


つくづく残念なシーンである。



……… と、ここまで思うのも、この映画『ファミリー・プロット』はクライマックスに向けて、ここから俄然良くなっていくからなのだ。


ジョージの留守中、ブランチは、あの悪党アダムソンとフランの家に、単身乗り込んでいく!


ハラハラ、ドキドキの対決。

そうしてギリギリのところでの勝利。


最後には今までの伏線がキチンと回収されてゆく。


《なぜ?ブランチが霊媒師だったのか?》《盗んだ宝石をどこに隠しているのか?》が長々とした説明ではなく、ちゃんと絵面だけで納得させてくれるのだから、この点は流石の一言である。


(あのカーチェイスでの馬鹿女っぷりは何だったの?)と思うくらい、ブランチの株は、ここで一気に上昇して終わるのだ。


当時の批評家たちも自分と同じ考えだったと思う。


一口に《駄作》とも切り捨てられないし《傑作》とも言えない。

皆が平均点を与えている。


私の評価も星☆☆☆。

オバチャン顔のバーバラ・ハリスのウインク😉に根負けして、70点くらいで終わりにしたいと思う。


※それにしても、この映画で初めて知ったエド・ローターを、その後、何度も他の映画で見かけることになろうとは ……


この【禿げたオッサン】には、何やら因縁めいたものを感じる今日この頃なのである(笑)。


2023年3月15日水曜日

映画 「何という行き方!」

 1964年  アメリカ。





変わり者の主人公『ルイザ』(シャーリー・マクレーン)は町一番の大金持ちの『レナード』(ディーン・マーティン)に求婚されているが全く興味なし。


そもそも、お金に興味なくて慎ましい暮らしにこそ憧れているのだ。



あえて、レナードを振って、貧乏な雑貨屋の男『エドガー』(ディック・ヴァン・ダイク)と結婚したルイザ。


でも、エドガーは結婚した途端、たちまち仕事熱心になり、雑貨屋は町一番の大手スーパーにまでのしあがってしまう。


ドンドン膨らんでいく財産とともに、ルイザは広い豪邸で一人ぼっちになり、孤独をもてあます。


そうしているうちにエドガーはとうとう過労死でポックリ☠️。(ゲッ!)



莫大な遺産を相続して傷心のルイザはフランスへと渡るのだが、またしてもアバンギャルドな売れない画家『ラリー・フリント』(ポール・ニューマン)と知り合って、即、結婚。



それと同時に、それまで見向きもされなかったラリーの絵はたちまち、トンデモない高値で馬鹿売れしはじめる。


(えっ …… この流れは …… (イヤ〜な予感)まさか!?)


そんな予感は的中して、たくさんのロボットを使ってメチャクチャ、ヘンテコな絵を描かせていたラリーは、ぶっ壊れたロボットの暴走で大爆発。


事故により帰れぬ人となってしまった☠️



またしても意にせず莫大な遺産を相続して未亡人になってしまったルイザ。


そう、ルイザは《上げまん↑》で、結婚した相手は必ず富裕になるのだが、同時に《下げマン↓》でもあり、結婚した相手は必ずといってもいいくらい  死んでしまうのだった☠️。(ある意味、恐ろしい女である)


自分の運命を呪い悲しむルイザ。


でも、懲りないルイザはやっぱり3度目、4度目の結婚を繰り返してしまうのだが ……





監督は『ナバロンの要塞』や『恐怖の岬』などで有名な巨匠、J・リー・トンプソン


で、主演はヒッチコックの『ハリーの災難』やビリー・ワイルダーの『アパートの鍵 貸します』などで、これまた有名なシャーリー・マクレーンである。


お話は至って単純。

惚れっぽい女性が、何度も結婚、死別を繰り返す話。


まぁ、なんて事もないロマンティック・コメディーなのだけどね。



ただ、この映画はシャーリー・マクレーンを盛り上げる為に出てくれた俳優たちが豪華なスターばかり。


いずれも主役級を張れるような男優さん達ばかりで、今となっては少々、稀少価値の映画となっているのである。



ディーン・マーティン


ジュリー・ルイスとコンビをくんだ『底抜けシリーズ』や、歌手としても有名だったディーン・マーティンは、この時から既に大スター。


この後も、007の向こうを張ったスパイ・アクション『サイレンサー・シリーズ』や『大空港』、『キャノンボール・シリーズ』と晩年まで話題作が途切れる事はなかった。(『大空港』は観ました)


多少濡れても崩れなさそうなキリキリかけたアイパーの髪形と、年中日焼けしているような色黒さが、この人のトレードマーク。


偶然なのか?

《6月7日生まれ》で私と同じ誕生日。(一気に親しみが湧くなぁ~。そのうち他の出演作も探して観てみようかしらん)



ディック・ヴァン・ダイク

(↑ディック・ヴァン・ダイク(左))



ディック・ヴァン・ダイク
は、この映画の後、大躍進する。

あの名作『メリー・ポピンズ(1965)』や『チキ・チキ・バン・バン(1968)』に出演して、一躍スターの仲間入りに。


近年ではテレビ・シリーズにも進出して、若い世代には『Dr.マーク・スローン』シリーズで知られているという。(シーズン8まで続いたそうな)

(↑ディック・ヴァン・ダイク(中央))


そうして、今(2023年現在)も、存命していてピンピンしているという。(御年97歳。ひぇ~)

この映画では最初に死んでしまう夫役だが、よもやこんなに長生きするとは!(当時は誰も予想だにしなかったのでした)



★ポール・ニューマン



この人も、この映画当時はあまりパッとしていなかったが、その後のご活躍は周知のとおり。


明日に向かって撃て!』や『スティング』などヒット作は目白押し。

ハスラー2』では念願のアカデミー主演男優賞を受賞した。


この映画では2番目の夫役だが、髭モジャでも、ダダ漏れるハンサム具合は隠せていないのでした。(売れない画家でも『ルイザ』(シャーリー・マクレーン)が惚れてしまうのも無理ないか)



ロバート・ミッチャム



ルイザが3番目に結婚するのが、この『ロッド』(ロバート・ミッチャム)だ。



狩人の夜』や『恐怖の岬』など、《バッド・ボーイ》の異名でならしたミッチャムが、こんなロマンティック・コメディーに出ているのは意外に思えるが、『恐怖の岬』と同じJ・リー・トンプソンの監督作品なのだと思えば、それも納得か。




でも、このロッドは、それまでのミッチャムが演じてきた役とは、まるで真逆な人物。


なんせ最初から大富豪💰。(自家用ジェット機まで持ってたりする)


女性に優しくて仕事もバリバリできるし、社交性も備えているという、

ある意味、完璧な人物なのだ。



《変質者》や《犯罪者》、《粗野》、《粗暴》の要素なんてのは全く無し。(ミッチャムの映画といえばこんな役柄ばかりなのだ)


本人も、(こんなのは俺の柄じゃない …… )と思っていたのか、なんだか終始照れくさそうに見えるが ………


最後、牛に蹴られて死んでしまうのは最も悲惨な死に方で、ちと可哀想☠️。(笑)




ジーン・ケリー



そうして4番目にルイザが結婚する相手が、売れない道化師をしながら生計をたててる『ピンキー』(ジーン・ケリー)だ。(ここまでくると、このルイザって女も学習しないのかねぇ~。なにも無理に結婚しなくてもいいのに)


当然、このピンキーも大出世して、ミュージカル・スターになる。



巴里のアメリカ人』、『雨に唄えば』などで、既に大スターだったジーン・ケリーの出演となれば、歌い踊るのは当然。


華麗に、躍動感のある複雑なステップを刻みながら踊っているのだが、ここでビックリするような場面に遭遇する。





シャーリー・マクレーンも踊っているのだ!(それもジーン・ケリーに負けないくらいの鮮やかなステップで)


ジーン・ケリーのスピードについていけるのも大したものだが、シャーリー・マクレーンに踊るイメージが一切なかった私は、これを観て、しこたま驚いた。(なんせ『ハリーの災難』や『アパートの鍵 貸します』しか観てないんですもんね)


調べてみると、シャーリー・マクレーンって元々バレエ・ダンサーだったらしい。(あぁ、それで)


このピンキーの最後は大勢のフアンに揉みくちゃにされて、踏んづけられて死亡である☠️。(なんちゅー死に方じゃ(笑))




ロバート・カミングス



4人の夫に先立たれて、とうとう心神喪失になったルイザは精神科医である『ビクター』(ロバート・カミングス)の診察をうけることになった。


今までの経緯を聞いていたビクターは、最初マトモそうに見えたものの、突然変貌。



「私と結婚してくれぇーー!もうイヤなんだ!家に帰っても一人で家事をやったりして、孤独に過ごすのはーー!」(気持ちは分かる)

さすがのルイザも「冗談じゃない!」と逃げまくる。

果たして、ルイザに幸せは訪れるのか ……



ロバート・カミングスは、ヒッチコックの『逃走迷路』や『ダイヤルMを廻せ』があまりにも有名すぎて、コメディーのイメージはなかったのだが、他の映画やテレビにしても、ほぼコメディーものが主流だったそうな。


万年青年顔なんて言われていたロバート・カミングス。


確かに『逃走迷路』の時が戦前の1942年で、この映画では1964年。まる20年以上が経っている。

それなのに、ほぼ容姿が変わらないのは、本人の努力だったのか、はたまた天性の魔力だったのか。

この人もご立派なスターである。



こんな色男たちが次々と、シャーリー・マクレーンに言い寄ってくるのだから、ある意味この映画は、世の女性たちの夢を体感させてくれるものなのかも。


でも、

現実なら、こんなに短期間で夫の不審死が続けば、このルイザには警察の厳しい取り調べが待っているはず。


ましてや莫大な財産が絡んでいるとすれば尚更である。


「オマエが意図的に操作して、旦那を殺したんじゃないのかー!」なんて疑惑で責められたりするはずだ。(ロボットの爆発や暴れ牛の暴走なんてのは、故意の犯罪を疑われそうだ)



現実でこんなドラマティックな出来事が続けば大変に決まってる。


そこそこの平凡が《一番の幸せ》。

そんな風に思わせてくれた映画なのでございました。

星☆☆☆。


2022年12月12日月曜日

映画 「恐怖の足跡」

 1962年  アメリカ。




『メアリー・ヘンリー』(キャンディス・ヒリゴス)は、女友だち二人と気の進まないドライブ中だった。


そこへ、

「良い車だな、競争しようぜ!」

若い男たちの車がそばへ来て、煽(あお)ってきた。


「いいわよ、私のドライブ・テクニックを見せつけてやるわ!」



(よせばいいのに …… )メアリーが思っていても、2台の車は猛スピードを出して、追いつ追われつの攻防戦がはじまった。


やがて、巨大な沼地に架かっている大橋へとやってくると ……


ゲゲッ!女たちの乗っていた車は(哀れ)橋から真っ逆さまに転落してしまったのだ!(ヘタクソが)


競争していた男たちは(ビックリ!冷や汗💦)慌てて車を止めて降りてきた。

しばらくすると野次馬たちが橋の上に集まり、警察も駆けつけてくる。


車が沈んだ辺りを皆が見つめながら、

「あれじゃ~助かりっこないさ …… 」と嘆いていると、岸辺にフラフラした様子の、あのメアリー・ヘンリーが一人だけ現れたのだ!


まさに《奇跡の人》、メアリー・ヘンリー!

群衆に取り囲まれて、メアリーは救助された。



そうして、数日が経ち ………


今だに、あの沼地では警察たちが車を探している。

残りの遺体がまだ見つかっていないのだ。


メアリーは隣町に引っ越す事にしていた。

教会でのオルガン奏者の仕事も、とっくに見つけている。(しっかりしてるわ)


「新天地で再出発よ!」

元来、《お一人様が好き》で、たいして仲の良くなかった友だちが死んでも、あまりショックではなさそうなメアリーである。


そんなメアリーが隣町に向かって車を走らせていると、日が暮れて、どんどん夕刻が迫ってきた。


そうして何気に隣を見ると ……



走っている車の窓ガラスに、見知らぬゾンビ男の顔が映ってるー!!(ヒィーッ!!)


慌てて急ブレーキを踏んで、恐る恐るもう一度見渡すと、その顔は一瞬で消えていた。


(気のせい?私の見間違い?!)


なんとか気を取り直して、目的のアパートにたどり着いたメアリー。

管理人のオバサンに住む部屋を案内されて、ホッ!と、ひと息。


オルガン奏者として、翌日から新しい教会で、心機一転働きはじめるのだが ………


やっぱり、それを邪魔するように、時折見えてくる、あの不気味なゾンビ男の




(他の人には見えないのに …… なぜ?私にだけあんなモノが見えるの?!)



やがて、メアリーはどんどん神経をすり減らしていくのだが ………





こんな導入部で始まる『恐怖の足跡』。

念願叶って、今回、ようやっと観ることができました。



この『恐怖の足跡』は、映画評論家である町山智浩さんの著書『トラウマ映画館』の中で紹介されていた珠玉の一本である。


原案、製作、監督、出演(ゾンビ男)を、ハーク・ハーヴェイって人が、全部一人でこなしている。(低予算ゆえ)


こんなのが知れ渡り、今や「伝説のカルト映画」とまで言われはじめた。(認知度も急上昇だ)




そうして、この映画を語る時に、必ず持ち出されているのが、M・ナイト・シャマラン監督が撮りあげた映画『シックス・センス』。





「『シックス・センス』なんて『恐怖の足跡』のパクリだ!」なんて、酷い事を言う輩(やから)さえポツポツ現れ始めたのだ。



ここまでの酷い言われようは何だろう?


でも、勘の良い人なら、すぐに《ラストのオチ(どんでん返し)に関係してる》と、察しがつくはず。



私も今回、この『恐怖の足跡』をちゃんと観て(あ〜、そういう意味ねぇ〜 …… )と多少は理解したものの、でも、だいぶ中身は違っているような ……





※《ここで、珍しくネタバレ》(知りたくない人は、ここでスルーしてください)





(※注意)《メアリー・ヘンリーは既に死んでいるのだ。それも車が落下した時、女友だちと一緒に》


映画を最後まで観れば分かると思うが、恐ろしいのはゾンビたちでなくメアリー・ヘンリーの方なのだ。


自分が《死んでいる》という実感が全くなく、幽体だけが、こともあろうに、なんと!《実体化》してしまっているのである。(ゲゲッ!そんな事があるのか?)



ここがブルース・ウィリスが演じた『シックス・センス』とは大いに違うところ。(幽体だけのブルース・ウィリスは、霊感のある子供・ハーレイ・ジョエル・オスメントとしか会話が出来ないのだ)



一方、この映画の主人公メアリー・ヘンリーは、なんでもごされだ。


実体化しているから、特に霊感がないような一般人たちにも見えているし、触れることもできる。

会話なんてのも普通にできちゃう。



車だってスイスイ運転してしまう。(ある意味、万能な幽霊)



アパートの管理人のオバサンにしても、

隣室の住人にしても、

新しい勤め先である教会の牧師さんにしても、

皆がメアリー・ヘンリーの存在を認めて、普通に会話しているのだ。(考えてみると恐ろしいことだ)




再三、映画の中で、メアリー・ヘンリーの性格的なことについて語っている場面に遭遇する。

「君は意志が強いんだな」

第三者がメアリーをことごとく、こんな風に語っている。



死んだ実感もないことに加えて、《意志の強さ》が、こんな奇跡をおこしたのなら、それはそれで希少な存在なのかもしれない、メアリー・ヘンリーって人は。




ただ、それを許さないのが魔界のゾンビ幽霊たち。



メアリーのこんな奇跡は、この世とあの世の摂理に反していて、絶対に許されることじゃない のだ。



ゾンビ男が時折メアリーの前に現れるのは、

「ワタシの姿が見えるって事は、お前は既に死んでいるんだよ …… 」と気づかせる為。(ある意味、お節介なゾンビたち)



それが徐々に功を奏したのか、

ゾンビ男が現れる度にメアリーの存在意義はユラユラ揺らいでしまい、メアリーの姿も声も一般人には見えなくなるし、届かなくなってしまう。



とうとう、ゾンビ男は仲間の幽霊たちを引きつれてきて、メアリーを追いかけ回しては、強引に《あの世》へと連れていってしまう。(トドメ)



だが、砂浜には最後まで逃げ惑ったメアリーの足跡がくっきりと残っているのだった。



確かに、メアリーは隣町で数日間暮らしていたのだ。


それは管理人のオバサンや隣人の男、牧師や医者たちも、ちゃんと覚えている。



ただ、メアリーの遺体が見つかった後、恐怖したのは町民たちの方だ。


「私らは数日間、幽霊をアパートに入れたり、幽霊とお喋りしていたのか …… ゾワワッ〜!



映画の中で語られなくても、後日談を想像すれば、きっとこんな感じだったろうと思う。




1度目の視聴では、主人公のメアリーの気持ちに同化して、追いかけてくる気味の悪いゾンビたちに恐怖する。

2度目、3度目の視聴では見方も様変わりして、こんな感想になったりもする。


と、いうことは、この映画は《トラウマ映画館》の中でも、やっぱり傑作の部類に入るんじゃないのかな?



星☆☆☆☆。

※ 後、『シックス・センス』も充分に面白いと思いますよ。(フォローしとく)