2020年9月8日火曜日

映画 「ある戦慄」

1967年 アメリカ。








この映画が好きだ。



ロベール・ブレッソン監督の『抵抗』の時もだったのだが、この『ある戦慄』も例に及ばず、気に入った小説を再読するように、何度でも繰り返し観ている。



正直、チンピラ二人組『ジョー』と『アーティ』が、人種差別や性差別を煽るようなドギツイ場面もあり、今の時代に「この映画が好き!」とハッキリ言うのも、いささかためらわれるところだが、それでも好きなモノは仕方がない。


この映画を何度か繰り返し観ていて、自分なりに気がついた事もあるので、ここに記しておこうと思う。





列車の中に数十名の乗客………


チンピラ『ジョー』(トニー・ムサンテ)と相棒の『アーティ』(マーティン・シーン)が、周り中の乗客たちを一人一人選んでは、なぶるように絡んでいくのが、この映画の本筋。




でも、この映画を観ながら、ふと何かを思い出した。


そう、アガサ・クリスティーが描く『オリエント急行殺人事件』のポワロが、乗客を集めて謎解きをする場面に似ているのだ。



ポワロは、乗客たち、一人一人がついた嘘を再現しながら、その矛盾を指摘して、真実にたどり着こうとする。


『ジョー』と『アーティ』も暴言を吐きながらも、やっている事は、ほぼ同じのような気がするのだ。


ただし、二人が暴くのは、乗客たち一人一人が普段は身内にも、ひた隠しに隠しているような《本当の自分の姿》…… つまりむき出しの本音なのだ。





映画の冒頭、アルコール依存で別れた妻に戻ってもらいたいが為に公衆電話から電話する『ダグラス』(ゲイリー・メリル)。


「もう酒は何ヵ月も呑んでない!」と必死の訴えをするダグラスだが、列車に乗ると、ヘベレケでシートに寝っころがってるホームレスの隣に座る。(座るとこはいくらでも別にあるのに)


すぐそばから漂ってくるホームレスが吐く酒の匂い……そんなモノに吸い寄せられてしまうのだ。


そんなダグラスは、ジョーとアーティがホームレスにちょっかいを出し始めると、真っ先に黙っておけなくなるが、「お前に関係あるか?お前、こいつの友達か?!」とジョーに突っ込まれると、途端に押し黙ってしまう。


ホームレスの酒の匂いを嗅ぎたさに……そんな愚かな自分を露見させて、恥じてしまうのだ。





そんなダグラスを追って、ふらふら列車に乗り込んできたゲイの青年『ケネス』も特殊だ。


ジョーとアーティにからかわれながらも、いつしか恍惚とした表情を浮かべはじめる。(マゾっ気が大爆発)


「こいつ、あぶねぇ~……」とばかりに、二人もケネスからは、そそくさと退散する。





黒人『アーノルド』は白人を嫌って、あれだけ駅員にも喧嘩腰だったのに、いざ、ジョーに攻められると途端に泣き出してしまう本当は弱い男。



臆病な自分を、ただ攻撃的な鎧で隠していただけなのだ。

そんな夫の見たこともない姿に妻『ジョーン』は愕然とする。





冒頭、あれだけ人目もはばからず、チュッチュッ!キスしていた若いアベックの『アリス』(ドナ・ミルズ)と『トニー』。


ジョーがアリスにちょっかいを出してきても、ビクビクして押し黙るトニーにアリスは、急に熱が冷める。(「何だ?こいつ?」ってな具合)





そんなジョーとアーティのやりたい放題に、最初に声をあげた老夫婦の夫『サム』。


「いい加減にしろ!警察を呼ぶぞ!!このチンピラどもが!!」


「わしらは降りる!!そこをどけ!!」



息子夫婦の家から帰り道、あれだけ愚痴っていた夫のサムに呆れ顔だった妻の『バーサ』(セルマ・リッター)。


でも、夫は人一倍勇気のある人だったのだ。



そんな夫が頭を叩かれて、ジョーに腕をねじあげられる姿を、もう黙って見てられない。


力では敵わないと分かっていても立ち向かっていく夫『サム』、そんなサムがいたぶられている姿を見て、バーサは泣きながらジョーに拳を振り上げる。


「離して!離してちょうだいー!!」


長年連れ添った夫のサムを、自分は「やっぱり愛しているのだ」それに気づくのである。






そんなサムとバーサの老夫婦とは、真逆なのが中年夫婦の『ミュリエル』と『ハリー』だ。


ミュリエルが、ジョーとアーティにからかわれても押し黙っている夫。学校教師で真面目だけが取り柄の夫。


先程のサムとバーサのやり取りを見ていたミュリエルは、とうとう怒りを爆発させる。



「なぜ黙っているのよ!なぜ何も言わないのよー!!」



「この甲斐性なしの意気地無しがぁぁーー! 何であんたなんかと結婚したのか!!……」



往復ビンタの嵐!ハリーもやり返して「バチンッ!バチンッ!」と鳴り響く猛烈なビンタの音。


列車の中は夫婦喧嘩の修羅場と化す。


そんな光景を見て、「ギャハハハーッ!」と笑い転げるジョーとアーティ。(全く悪趣味な二人である)






最後にジョーがターゲットにしたのは、幼い4歳の娘を抱きかかえた夫婦『ビル』と『ヘレン』だ。


映画の冒頭、そのドケチぶりを発揮してタクシーを拒否したビル。


そんなビルにヘレンは「娘も、もう4歳になったし、そろそろ二人目を作らない?……」なんていう、ごくごく自然な提案するのだが、ビルは「とんでもない!」と大反対する。


「子供が増えればいくらお金がかかると思うんだ!」と、これまた金の話を持ち出して猛反対。


あろうことか、この4歳の娘の事も「ちょっとした事故(失敗)で出来てしまった……」と言ってのけるのだ。


「それ、本気で言ってるの?」と妻ヘレンは呆気に取られるほどである。

そんな夫ゆえ、ヘレンも列車に乗った時は熱が冷めていたのだが……




「おい!その娘の顔が見たい!俺にその娘の顔を見せろ!!」とジョーは迫ってきた。


そんな娘を必死に命がけで守ろうと抱きかかえて、放さない夫ビル。

口ではあんな事を言っていたビルは、やはり娘を愛しているのだ。



「やめてくれ!娘は、娘だけは!!」


抱きかかえるビルの手を振りほどこうとするジョーだが、ビルは「死んでも放すもんか!」の姿勢だ。


夫の姿に胸が熱くなるヘレンも、「やめてちょうだい!!」と必死に加勢する。





そんな光景を目の当たりにして、とうとう我慢の限界に達した軍人『フェリックス』(ボー・ブリッジス)が、片腕にギブスをした姿で、


「もう、いい加減にしろ!」


と勇猛果敢に立ち上がるのだ。(お友達の「親友!親友!」言ってた軍人は見てみぬふりね)






こんな次々と暴かれていく《むき出しの本音》の姿に目をそらす事なんて出来やしない。


長々と書いたが、私が、この映画に惹き付けられる理由もお分かりになったと思う。




映画の最後、フェリックスの勇気ある行動で、やっと解放された乗客たち。



でも、みんな嬉しそうじゃないのは分かる気がする。



列車を出ていく姿は、どこか朦朧とした様子で放心状態。

そう、《むき出しの本音》をさらけ出して、ぶつかり合うのは、ものすごくパワーを消費するのだ。


もう、クッタクタに疲れに疲れきっている。


観る側も真剣に集中して観ているので、これまたパワーを使う。




監督はラリー・ピアーズ。(初めて知った監督さん)


『ポセイドン・アドベンチャー』などの時も書いたが、こういった大人数の集団劇は難しいのだ。


その監督の技量がありありと分かり、誰それが迂闊に手を出してはいけないジャンルだと思っている。



そのジャンルの中でも、この映画は飛び抜けて一級品。


分け隔てなく描かれた登場人物たちは、どれもこれも強い印象で、「また観てみたいなぁ~」と思わせてくれるし、この列車を降りた後、「この人たち、あれから、どうなったのかなぁ~」なんて想像も、アレコレ膨らんでしまう。



そんな映画こそ、稀な傑作いえるんじゃないのかな?


星☆☆☆☆☆。