2019年1月3日木曜日

映画 「グランド・ブタペスト・ホテル」

2014年 アメリカ。






1985年…

一人の作家が書斎にいる。我々に過去の出来事を語りだす。(この部分必要か?)



1968年…

若き日の作家(ジュード・ロウ)は、作家熱(いわゆるスランプ)を煩い、この、「グランド・ブタペスト・ホテル」に静養にきていた。

山の頂上に建つこのホテルまでは、斜面を上がる特製エレベーターやロープウェイを利用していく。


その豪華なホテルも、かつての栄華は過ぎ去り、チラホラ数名の客とホテルマンがいるだけだった。



浴槽は、巨大な一人用のバスタブが、いくつも並べられている。

作家が浴槽につかっていると、隣の男が話しかけてきた。


名は『ゼロ・ムスタファ』(F・マーリー・エイブラハム)、このホテルのオーナーだ。



閑散としたホテルでは、特に面白いこともなく、互いに暇をもて余している。

二人は、ディナーの約束をした。


そして、ディナーが済むとムスタファは、昔、このホテルが栄えていた時の思い出話を、作家相手に語りだすのだった。




1932年…

グランド・ブタペスト・ホテルが、一番栄えていた時期。


ホテルは、様々な金持ちの旅行客で溢れ、活気があり、一流ホテルとして名を連ねていた。



そのホテルの象徴といえるのが、コンシェルジュの『グスタヴ・H』(レイフ・ファインズ)だ。



金持ちの老婦人には、特別?なサービスを施す。(てっとりばやくいえば老婦人相手のスケコマシ)

グスタヴのお蔭で、いつでもホテルは、大盛況なのだった。



そこへ、若い『ゼロ・ムスタファ』(トニー・レヴォロリ)がホテルのベルボーイとして、雇われた。



だが、グスタヴの知らないところで、勝手に雇われたゼロは、目をつけられ、面接を受け、ホテルマンとしての心構えを、徹底的に叩き込まれるのであった。





監督は、ウェス・アンダーソン。



あらすじは、こんな感じじゃなかったかな?、というのも、何度観てもこの映画のあらすじを忘れてしまうのだ。



もう最低でも4~5回は観ていると思うのだが、この映画の事を書こうと思うと、すっかり抜け落ちて忘れてしまっている。


記憶に残るのは精巧なミニチュアのホテルの外観と、有名な役者が何人か出ていたっけ……くらいの、いつもうら覚えの状態である。(これを書くために直前に観た)



ウェス・アンダーソンの作品はこれ以外にも何本か観ているのだが、どれもこんな感じ。



「ザ・ロイヤル・テネンバウムズ」、「ムーンライズ・キングダム」も観てるのだが全然内容を忘れてしまっている。(ムーンライズ・キングダムなんてひどいもんだ、男の子と女の子が駆け落ちするくらいしか覚えてない)




何故なのか?


今回、意識して観ながら、ようやくその理由も分かった気がする。



この監督、本国アメリカでは過大に評価されてアカデミー賞やゴールデン・グローヴ賞、批評家賞などを総なめにしている。



有名な俳優たちも、こぞって作品に出たがる。





でも、この監督の作品には、まったく「エモーション」を感じないのだ。



エモーションとは、心身を揺さぶるような強い感情、感激、感動、情緒である。


その「エモーション」の欠落が、印象を薄くして内容が記憶に残らないのだ。



そして、それには、この人独特のカメラワークが関わってくる。



どの画面を観ても全て必ず真正面撮影。

外観を撮るときも、人物を撮るときも、ほとんど動かないカメラ。(多少ズームがあったりするが)



決して人物を俯瞰で撮ったり、下から見上げたりしないのだ。


それと合わせて、登場人物たちに状況説明をさせるナレーションで物語を進めていくやり方。



口の悪い人から言わせればウェス・アンダーソンの映画は、お金のかかった大人の為の「紙芝居」という人もいる。




言い得て妙でなんか納得してしまった。




「紙芝居」まさに、そうだ。


2時間ずっと、こんな画面構成とナレーションの調子で終わる。



終わると、どこが盛り上げどころだったのかも分からない有り様。



そして時間がたつと完全に忘れてしまうのは無理もない話だ。



観る人に嫌な感じを与えないが、その代わりに無害で印象に残らない。



これからも、こんな作品を作り続けていくつもりなのだろうか。



そして、このウェス・アンダーソンの作品に好んで出る俳優たちは、演技の充実感を味わえるのだろうか……と疑問に思えたのである。



星☆☆。


多分、一年後は、この映画の内容を完全に忘れていると思います。