1961年 イタリア。
(俺は何でこんな女と結婚したんだろう………?)
『フェルディナンド(通称フェフェ)』(マルチェロ・マストロヤンニ)は、寝室でわざと反対を向いて眠ろうとする。
だが、ベッドの横に寝ていた妻『ロザリア』(ダニエラ・ロッカ)は、「待ってました!」とばかりに、ガバッ!と起きてフェフェに襲いかかった。
「ねぇ~ん、フェフェ、愛してる?私のこと………」
(やれやれ……また、はじまった)
毎晩、毎晩、こうして繰り返されるロザリアの質疑応答に、フェフェはウンザリ顔を隠して、ロザリアを振り返った。
見れば見るほど、珍妙な顔 ……
髪の毛はセンター分けで、眉毛は『こち亀』の両さんのように繋がってる(ゲゲッ)。
唇は分厚くて、まるでオバQのよう。
おまけに笑い方も超キモい。
「イーッ、ヒヒヒッー!」なんて声をあげて笑うのだから。(マルチェロ・マストロヤンニがどう思ったか知らないが………ここまでは、全て私の感想(笑))
こんな女と結婚して12年……。
フェフェは、イタリア貴族の長男だった。
老いた男爵のエロ親父(隙あらば女中の尻をなでまわす)、それに母。
結婚間近の妹(葬儀屋の息子と婚約中)。
そしてフェフェと妻ロザリアで、一家は古びた邸に住んでいた。
そして、一家のすぐ真隣には叔父一家が住んでいる。(散財した父親から、叔父が邸を、半分買い取ったのだ)
夜半、トイレの窓からフェフェが外を見ると、向かいの一階が、全て見渡せた。
そこには、若く美しい姪の『アンジェラ』(ステファニア・サンドレッリ)の姿が……。
(オオッ……愛しいアンジェラ……)
フェフェは年甲斐もなく、すっかりアンジェラにのぼせていた。(いいのか?姪で、しかも相手は16歳だぞ!)
フェフェだけでなく、アンジェラもフェフェに惹かれている事が分かってくると、もはやフェフェの気持ちは抑えられない。
(どうにかして……あの妻を葬りされないものか………)
フェフェは、真剣に考えはじめる。
マルチェロ・マストロヤンニの傑作コメディーである。
期待半分で今回観たのだが、超面白かった!!
なんたって、マストロヤンニの妄想が、イチイチ面白い。
石鹸作りをするため、庭先で釜をグツグツ煮たたせている母親と女中。
「もう!またやってるわ!!この匂いたまらないったらない!!」
妻のロザリアは、下に降りていって、母親と女中に吠えまくっている。
それを2階の窓から、こっそり覗くフェフェは、妄想する。
(アイツが代わりに釜を混ぜていれば、そっと忍び足で近づいて………後ろから……ブスッ!と刺して、それから釜になげこんで……… )
一家で海に日光浴に来れば、妻のロザリアは砂風呂に入っている。
それを見ながら、またもや、フェフェの妄想がはじまる。
(この砂が、底なし沼のようになって、この女を沈めてくれればいいのに…… )
こんな場面が、イチイチ挿入されるので、笑ってしまうのだ。(沼に沈んでいきながらも、「イーッヒヒヒヒヒッ!!」と笑うのを忘れないロザリア。本当に何やねん、これ!(笑))
やがて、フェフェは妄想だけではあきたらず、とうとう本格的な計画をたてはじめる。
それは妻のロザリアに浮気をさせて、《不貞の妻》という名目で殺害するというものだ。
上手くいけば、3年で出所できるはず……その後は、愛しいアンジェラと……ウッシシッ!
だが、そんな相手が、うまく見つかるのか?(こんな容姿の妻だもんね)
でも、世の中、伊達食う虫も好き好きで、変わり者がヤッパリいた!
館の壁画修復を理由に、カルメロを呼び寄せると、フェフェは、妻ロザリアとカルメロを二人きりにする。
そして、急いで自分の部屋へダッシュ!
二人の会話を盗聴しているのだ。
(さぁ襲え!やれカルメロ!!男だろ?! 妻を襲うんだぁー!!)
はて、さて、フェフェの願いは叶うのか ………
随分、回りくどい計画だと思う人もいるだろう。
そんなに嫌なら、「さっさと離婚すればいいのに!」となんて、我々からしたら単純に思うのだが、そこはイタリア。
この1960年代、イタリアでは法的に《離婚を認めてなかった》のだ。
1度結婚したら、生涯、その相手と添い遂げなければならない!
《離婚なんてもっての他!》だったのである。
離婚が認められるようになったのは、70年代になってからやっとなのだ。
それでも、この2020年の現代でも、イタリアで離婚するには、
『3年以上、別居してるか、どうか』を厳しく審査され、教会や裁判などに多額の費用がかかる。
簡単には《離婚を許さない!》状況が、今でも続いているのである。
これは、イタリアの宗教的な問題がとても大きく関わっている。
イタリアといえばカトリック教。
教会において、「神の前での誓いは神聖であり、絶対的」という教えに基づいている為である。
そして現代においても、多額の費用と時間を労して離婚できたとしても、教会では2度と結婚式を挙げることは許されないのだ。
相手が死別しての再婚ならともかく、離婚しての再婚を教会側は絶対に認めないのである。
こんな法律のイタリアゆえ、女性を簡単に口説くイタリア男性たちも、結婚にはことさら尻込みして慎重になってしまう。
カップル同志でも結婚しない人なんてのもザラである。(子供が出来ても)
そうして、1度結婚したら別れる人が極端に少ないのがイタリア人なのだ。(離婚にかける労力が、途中で「馬鹿馬鹿しい」と思う人が大概らしい)
そして、マルチェロ・マストロヤンニも、この映画を地でいくような体験をしている。
既に結婚して妻がいたのに、あの、『カトリーヌ・ドヌーヴ』と恋におちてしまったのである。(結果、カトリーヌは身籠ってしまう)
既に結婚して妻がいたのに、あの、『カトリーヌ・ドヌーヴ』と恋におちてしまったのである。(結果、カトリーヌは身籠ってしまう)
だが、離婚は叶わず、カトリーヌ・ドヌーヴは今流行りの(流行りなのか?)シングル・マザーとして子供を出産したのである。
なんだか産まれてくる子供には罪はないし、可哀想な気もするのだが、それが当時のイタリアの法律。
愛しあいながらも、二人は結局一緒になれずじまいだったのだ。
今なら簡単に、離婚も結婚も出来るのにねぇ~(タップリお金さえあればね)
でも、現代において、芸能人たちが安易に結婚離婚を繰り返すのを見てると、この法律も多少アリなのかな。
あまりにも、節操がなさすぎるようにも見えるし。
あまりにも、節操がなさすぎるようにも見えるし。
ん~、難しい。
そうして、そんなイタリアだからこそ、こんな映画も出来てしまうわけで………
監督はイタリア映画界の巨匠ピエトロ・ジェルミ。(有名な監督さんなんだけどお初である)
深刻なテーマを扱いながらも、そこまで深刻にならないのが、やっぱり根明なお国柄のせいなのだろうか。(前述のようにアホらしさ、バカバカしさ満載だ)
星☆☆☆☆としておきましょうかね。
イタリアという国を理解するには、ちょうどいい映画だと思いますよ。
イタリアという国を理解するには、ちょうどいい映画だと思いますよ。