2019年9月10日火曜日

映画 「危険な遊び」

1993年 アメリカ。







母親を亡くしたばかりの幼い少年『マーク』(イライジャ・ウッド)。


そんなマークを心配する父親だが、出張で、どうしても東京に行かなければならない。


「しばらくの間、従兄弟の家で待っていてくれ」




父親の弟の家は、メイン州の雪深い田舎町。


でも、家族は暖かくマークを迎えてくれた。

「ようこそ、マーク!」

叔父のウォレスも、叔母のスーザンも優しそうな人だ。


側には小さな女の子コニーの姿もある。



一見、幸せそうに見える、この家庭だが、数年前に家族はリチャードという男の子を、不慮の事故で亡くしていた。

「もう一人いるのよ。ヘンリー!」

その声に、2階の階段上から、白い石膏のマスクを被った顔が、下を覗いてきた。



それに、ギョッ!と驚くマーク。


少年は、階段を降りてくると、マスクを外した。

そこには、マークと同じ歳の少年『ヘンリー』(マコーレー・カルキン)の笑顔があったのだった。





預けられたマークが、邪悪な少年ヘンリーに翻弄されるサイコ・サスペンス。



公開当時、この映画は劇場に足を運んだものである。


『ホームアローン』、『ホームアローン2』とメガヒットを叩き出して、世の中はまさにマコーレー・カルキン一色だった。


どこへ行っても、

「キャー!可愛い!こっち向いて!」

の黄色い声が飛び交い、出演すればするほど、ギャラはうなぎ登りに何百倍にも羽上がっていく。


そんな状況に天使の笑顔で、ニッコリ応えるマコーレー・カルキン。





一方、イライジャ・ウッドも子役からスタートしていたが、ちょっとずつ知名度が上がってきた状態。

1990年の『わが心のボルチモア』で初主演を果たしたばかり。


クリクリした大きな瞳で女の子のような可愛さもあり、こちらも上場株の子役スターだった。



そんな同世代の二人が共演する。




マスコミや映画関係者たちは、

「今、注目の子役スター同士の対決!」

なんて書き立てて、大いに煽ったものである。





で、結果は、どちらに軍配があがったのか………。




イライジャ・ウッドが勝った!



若手ながらも、この映画で『サターン賞若手男優賞』を受賞したのだった。




このイライジャの受賞を子供ながら、マコーレーはイライラして見おくっただろう。



(何で? 僕の方が人気があるのに……それに僕が主役なのに……)


映画のクレジットも、もちろんマコーレー・カルキンが先。



あくまでも、イライジャは準主役だと思っていたから、マコーレーの不満は相当なものだったろうと思う。



それで自分が観た公平な感想だが、やはり、『イライジャ・ウッド』の勝ち。


マコーレーには悪いが演技力が違いすぎた。



自分の母親を亡くした悲しみや寂しさを巧みに表現していて、それを預けられた家、ヘンリーの母親スーザンに重ねるという難しい演技。


一方では、マコーレー演じるヘンリーの残酷な行動に恐怖して、立ち向かおうとする少年の勇気。



クレジットは後でも、物語を観る人たちは、イライジャ演じるマークの気持ちに自然に同化してゆくのである。



「こりゃ、マコーレー・カルキン分が悪いわ」

と、劇場で観てても、そう思ったくらいだった。





一方のマコーレー・カルキンだが、やっている事はいつもと同じ。



『ホームアローン』と全く変わらないのである。


ケビンと同じ笑顔で、毒々しい行動をしているのも一緒だが、特にこれといった違いのない凡庸な芝居。





思えば、『ホームアローン2』から、マコーレー・カルキンには何か違和感を感じていた。



最初の『ホームアローン』では、本当に天使のような笑顔のケビンに、子供ながらの純真さを見ていたが、『2』を観たとき、ふと、思った事がある。



あまりにも《技巧的》になりすぎていやしないかと……。



それは、まるで、自分自身がどうすれば、世間に可愛らしく見えるかを、最大限に知りぬいているようでもあった。



「こんな風に口角を上げて笑えばいい」とか、

「こんな風にポーズをとればいい」と。


そう、まるで、鏡でも見ながら練習したような………。




マコーレーに限らず、これは子役の誰もが陥るような危険な落とし穴。



子供の頃から、世間の求めるものに敏感になりすぎて、無意識のうちに、それに無理に応えようとしていき、その型にハマっていくパターン。


このパターンに1度、ハマってしまえば子役から大人への脱皮は、とても難しくなる。




そうやって消えていった子役たちは、数多くいる。



パターンから抜け出せなくても、体は、どんどん成長していくからだ。


やがてそれは、観ている側には奇妙な違和感となってゆくのだ。




イライジャ・ウッドは幸運にも、このパターンにハマらなかった例。


どこで習ったのか……、内面で、気持ちで役に成りきる事に成功したのである。




その後は、皆さんもご存じのとおり。



イライジャ・ウッドは、大人になっても順調に演技を続けていき、『ロード・オブ・ザ・リング』3部作で、主役の座を勝ち取る。

そして、またもや、この作品で『サターン賞主演男優賞』を受賞した。(オメデトウ!)

近年はゲーム会社や映画会社の設立などで、幅広く活躍中。




一方、マコーレー・カルキンは坂道を転げ落ちるように転落し続けていき、両親がギャラで揉めて裁判沙汰騒ぎ。


自身も映画界から、そっと退いた。


一時期は、ドラッグや麻薬に溺れて激ヤセしたマコーレーの姿をメディアが取り上げていたが、その後どうなったのか………。




現在の姿を見ると、何となく元には戻った感もあるが、いい歳をして何をやりたいのやら相変わらずの暗中模索。



名前を『マコーレー・マコーレー・カルキン・カルキン』にしたとか。(この『マコーレー』と『カルキン』を増やした事に、いったい何の意味があるのやら………)




二人のその後を知っている我々にとって、この映画は、まるで子役スターたちの未来を『明』と『暗』に分けるようなもの。



そんな境界線に位置するような映画なのである。


星☆☆☆

(※たま~に真面目な事も書いてみる。長々と失礼しました。)