2018年12月16日日曜日

映画 「不意打ち」

1964年 アメリカ。






ロサンゼルスは暑い夏の週末、住宅街の前を何台もの車が通りすぎてゆく。



『コーネリア・ヒルヤード夫人』(オリヴィア・デ・ハヴィランド)の豪邸もそこに面して建っていた。


2階建ての豪邸には、いくつもの豪華な調度品が並び、飾られている。

金や銀の食器類をみれば、生活も豊かなのだろう。(株で儲かっているらしい)



そこに30歳になろうとする息子、『マルコム』との二人暮らし。

そんな息子を、ヒルヤード夫人は溺愛していた。



数ヵ月前に腰を痛めて、2階に上がる階段のそばには、特別製の鳥籠のような、格子の柵がついたエレべーターを利用しなければならなかったが……。



マルコムは、ベット脇の机で何やら手紙を書いている。


そこには、

「ぼくは、自殺します」


の文面が、チラホラ見え隠れしていた。



自分を溺愛し過ぎる母親の愛情に耐えかねての、遺書なのである。(何も自殺しなくてもいいのに)




そんな息子の気持ちにも気づかないヒルヤード夫人は、今日出発する息子の外出を、ただの呑気な旅行だと思っていた。


玄関までくると、にこやかな笑顔で送り出したのだった………。




そうして家に戻ったヒルヤード夫人。

あの鳥籠のエレべーターに乗り込み、2階に上がる為にスイッチを押す。



上昇していくエレベーターは、電気系統の故障で、突然、ストップしてしまった。


1階と2階の間の高さで止まったエレべーターの中で、しばし呆然とする夫人。


「そうだ!非常ベルを鳴らそう」

エレべーターに備え付けられたベルを何度も押す夫人。


家の外ではベルが、けたたましい音を鳴らしているが、誰も気に止める者すらいない。


公道を何台もの車が、走り抜けるだけだ。



そして、やっと叫びだした夫人。



「助けてー!誰か助けてー!」



大広間には、夫人の声だけが無情に響く。



鳥籠のエレべーターは3メートル以上の高さで止まったままだ。



「暑い……」真夏の午後の暑さが、エレべーターに閉じ込められた夫人を容赦なくいたぶる。


エアコンも止まってしまったのだ。(地獄だ)



「お願い……誰でもいいから…助けて…」



そこへ、アル中の浮浪者『ジョージ』が、ブラリとやってきた。


「お願い、助けて!」夫人の必死の呼びかけにもジョージは、無視して、邸内を物色しはじめる。

そして、太った厚化粧の娼婦、『セード』を、伴い連れてくると、二人は、豪華な衣装や調度品を盗もうと、屋敷中を、あら捜しをはじめた。


夫人の叫びなど聞こえず、夢中になって物色する二人。



そこへ、さらに街のチンピラたち3人が乗り込んできた。(どんだけ治安の悪い場所なんだろう)


ゴロツキで暴君の『ランドール』(ジェームズ・カーン)、ランドールの子分『エシー』、ランドールの女『イレイン』(薬物中毒なのか?)だ。


ランドールは、アル中のジョージと娼婦のセードを、あっという間に殴りつけ痛めつける。


屋敷には、二人の叫び声が響きわたった。


ヒルヤード夫人は、宙に浮いたエレべーターの中で、恐怖しながら、鳴り響く破壊や暴力の声を聞くだけなのだった………







なんて壮絶な映画なのだ。




1964年の、この半世紀以上前の映画を、自分は全く知らなかった。


『裸のジャングル』もしかり、町山智浩氏の『トラウマ映画館』で紹介されていて、いつか観てみたいと思い、やっと観ることが叶ったのだが………。



観た感想は、まさに「壮絶」の一言に尽きる!と思う。


誰も、主人公のヒルヤード夫人にさえも、救いがない。(なんとか自力で命は助かるが、息子の自殺は止められなかった)


それまで、オリヴィア・デ・ハヴィランドといえば、『風と共に去りぬ』などの貞淑なメラニーなどのイメージだったのだが、映画会社ワーナーとの契約を裁判に持ち込むほどに、彼女は、ありきたりのお嬢様役に飽き飽きしていた。


やりがいのある役、ただ情熱をこめられる役、「演技がやりたい」と願う時期だった。



この映画、『不意打ち』のコーネリア・ヒルヤード夫人の役は、最初にジョーン・クロフォードにオファーされた。


ベティ・ディヴィスとの共演、姉妹の愛憎劇、1962年の『何がジェーンに起こったのか?』が評判を呼び、アカデミー賞にノミネートされるほどで、クロフォードにも注目が集まり、その流れでこの『不意打ち』にオファーが、あったのだ。


だが、クロフォードは同じような役には食指が動かずオファーを蹴ってしまう。



そこへ、オリヴィア・デ・ハヴィランドが

「待ってました!」と名乗りをあげたのだ。



彼女は魂をこめられる役を探していたのである。




実際、この映画を観ても、オリヴィアの情熱はハンパない。


すでに、アカデミー賞を2つもとっている大女優がそこまでやるのか?!なのだ。


髪を振り乱し、暑さに耐え、叫び、ジェームズ・カーンにひきずりまわされる。


高さのあるエレべーターからの脱出、床を這いつくばりながらも、なりふり構わずに、助けを求める様子は、まさに鬼気迫る演技だ。




だが、このオリヴィアの熱演をしてもこの映画は、当時、不評をかい失敗した。



監督のウォルター・グローマンは干され、映画は酷評されて封印される。



早すぎたのだ!



1960年代、ヒッチコックの『サイコ』が大ヒットし、それを追うように次々と、残酷なサスペンス映画が作られるが、ことごとく失敗している。



観客は《恐怖》は求めても、まだまだ、倫理や美徳を重んじる時代。

どぎつい殺人シーンなどには、目を背ける時代だったのだ。



ヒッチコックは、そこを理解していて、『サイコ』でも直接的な殺害シーンを見せていない。

多数のカット割りや盛り上げる音楽だけで、観客には、想像させている。




『不意打ち』は、それをそのまま、観客に見せているのだ。



アル中のジョージに、頭からスッポリ、袋を被せて殴り倒すシーン、

ゴロツキ3人組が、風呂場でエシーの頭を浴槽に押さえつけて、それをイレインやランドールが、からかうシーン、

窮鼠猫を噛むごとく、ランドールの目を突き刺すヒルヤード夫人、


最後に、ランドールが車に頭を轢かれるシーンなどなど、モノクロ映画とはいえ、どれを観ても、ショッキングである。



これを、1960年代の、当時の観客たちが、到底受け入れられなかったのは無理もない話なのだ。



同じように、『赤い靴』、『黒水仙』の有名な監督、マイケル・パウエルも、1960年に『血を吸うカメラ』なんていうドギツイ映画を撮り、酷評されて、それ以降、まったく映画を撮れなくなってしまっている。



これらの映画が、封印されて、再評価されるには、何十年もの時間が必要であり、待たなければならなかったのだ。




そして、近年、やっと我々の目にお目見えできた。


嬉しいことだし、まだまだ、こんな風に埋もれている作品が、数多くあると思うと、早く陽の目をみてほしいと思うものである。




あと、蛇足ではあるが、これがジェームズ・カーンのデビュー作なのだ。



若い!

若いし、暴漢を演じていてもチョー、ハンサムである。



西部劇の主役や、ヒッチコックのサスペンス映画の主役などに選ばれていれば、さぞや人気者になっただろうに……。


だが、彼が、世間的に名前を売るにも、まだまだ、時間がかかるのである。(1972年の『ゴッド・ファーザー』まで)



またまた、脱線しましたが、映画は星☆☆☆☆です。

それにしても、エレベーターが突然ストップすると本当に怖いねぇ~。(自身の体験あり)