2025年6月12日木曜日

映画 「伊豆の踊子(山口百恵版)」

 1974年。





山口百恵主演映画第一作目。


可哀想に、今じゃ考えられないが百恵ちゃんのデビュー曲『としごろ』は、さっぱり売れなかった。(37位が最高位でした。)

2曲目の『青い果実』で大きく挽回したものの(最高9位)、3曲目、4曲目はトップテン外。


当時のホリプロ社長・堀威夫(ほり たけお)氏は、「ならば百恵は《役者》で売り出そう!」と決心し、昔ながらの知り合いである西河克己監督に相談する。

こうして川端康成の名作『伊豆の踊子』が撮られる事になるのだが …… 問題は《相手役》!


大々的に新聞広告まで出して、相手役オーディションを行い、現役東大生の素人が決まるのだが、監督の西河克己が、ど〜にも気に入らない。


《↑西河克己監督》


西河克己監督は、たまたま探し出してきた新人・三浦友和をひと目で気に入り、面接をして、周囲の猛反対をねじ伏せると、強引にキャスティングしてしまったのである。



でも、こうして並んでみても、やっぱりお似合いの二人。


三浦友和が眩しいくらいの超イケメンで、演じている百恵ちゃんのドキドキ感♥️が観ているこちら側にも伝わってくるくらい。



そもそも映画のクレジットでは百恵が主役でも、この『伊豆の踊子』という原作自体が、川端康成が若い時に体験した数日間の旅日記みたいな小説。


映画のナレーションを名優・宇野重吉さんがつとめ、若い頃の川端康成の《回想》という形でドラマは始まってゆく。(原作では《私》という記載しかなく名無しだったが、映画では三浦友和の役には《川島》という名前が与えられている)


つまり、本当の影の主役は『川島』(三浦友和)なのである。


全て、川島の目線で《旅芸人たちの差別》や《若い踊子・『かおる』(山口百恵)の可愛らしさ》を観客たちは体感する事になるのだ。







男は三浦友和になった気持ちで、百恵ちゃんを《愛おしく》思い、

女は百恵ちゃんになった気持ちで、三浦友和を《白馬の王子様》のように思う。(なんせ70年代は少女漫画の全盛期ですもんね)




だからこそ、相手役選びには慎重だったのだろう。


見た目も良くて演技もできる三浦友和。(まぁ、一般公募とはいえ素人には難しい役だろうな)


三浦友和を選んだ西河監督は、まさに彗眼だったのだ。




こんな『川島』(三浦友和)は、旅芸人一座と同行しながらも、踊子『かおる』(山口百恵)にドンドン惹かれていく。

そうして、『かおる』も ……



書生・『川島』と『かおる』が《活動写真(映画)》を観に行く約束をするも、旅芸人の長(おさ)『のぶ』(一の宮あつ子)は、大反対!


「旅芸人の娘と書生では《身分》が違いすぎる!傷つくのは『かおる』なんだよ!」


川島の気性を気に入っている『かおる』の兄『栄吉』(中山仁)が援護するも言い合いになっている。


それをたまたま運悪く聴いてしまった『かおる』。



「すみません …… 《活動写真》行けなくなりました …… 」

「…… 僕の方もあなたに言いたいことがある …… そろそろ学校に戻らなければならなくなったんだ …… 」

ショックでその場にしゃがみこみ、泣き崩れる『かおる』(百恵ちゃん)。(😭ああ〜、可哀想な百恵ちゃん)


川島の方も身を切られるような気持ちなのだ。



翌日、港に見送りに来ていた『かおる』に

「 … ずっと言おうと思っていたんですが … その簪(かんざし)、僕にくれませんか?」とねだる川島。


そうして、だまってソレを差し出す『かおる』。






「さよ〜なら〜!さよ〜なら〜!」




遠ざかっていく船に、いつまでも、いつまでも手を振り続けている踊子。


可哀想な二人の姿にしんみりする。



(こんな薄幸な踊子『かおる』(山口百恵)に安息な日々はやってくるのだろうか …… )と気をもんでいると、映画は、さらに冷や水をかけられるようなラスト。


いつものようにお座敷に出て踊る『かおる』に、なんと!酔っ払いの入れ墨をいれた中年男が絡んできて抱きついてくるのだ。




キィーーッ!💢と腹が煮えたぐる思いと、「百恵ちゃん、さっさと逃げてぇー!」と思いが交差して、映画は幕となるのである。



子供の頃にこれを観た日には、なんとも後味の悪い思いがして、(百恵ちゃんと友和が何とか幸せになれればいいのになぁ〜 …… )と願ったものだ。


そう思ったのは自分だけでなく、日本全国の人たちが、こんな虚構の世界を飛び越えて、二人の行く末を見守っていたのだった。(二人が結婚したから良かったものの、これが互いに別の相手と結婚していたら、どうなっていたのだろう?)

日本全国、大発狂していたに違いない。



まんまと日本人全員が、西河監督の演出マジックに、してやられた感じだ。


そうして、この映画は試写でも評判が良く、正月映画に持ち越される。

幾多の洋画を抑えて、その年の《3位》に食い込むくらいに大健闘したのだった。



驚いたのは東宝やホリプロだけじゃない。


他の芸能プロも躍起になりだした。

「我々も《百恵・友和コンビ》に続け!」とばかりに、自社のアイドルたちを使って映画に売り込むも …… そうそう上手くいくはずがない。皆がコケた(笑)。


ここから、映画でもドラマでも、この《百恵・友和コンビ》が怒涛の伝説を創り上げてゆくのである。《おしまい》





※《追記》

尚、映画の舞台となった静岡県にある《湯ヶ野温泉 福田家》は、令和7年の今も健在である。


《伊豆の踊子》に感銘をうけた方は訪ねてみるのも、また良いかもしれない。

《↑湯ヶ野温泉 福田家》