2019年10月6日日曜日

映画 「SEX発電」

1975年 イタリア。





ジジ・ブロイエッティの『SEX発電』なる珍作を初めて観た。



なんともはや………。

よくぞ、まぁ、この時代にDVD化してくれたものだ。(このタイトル大丈夫かな?でも映画のタイトルが、ズバリこれなんだからしょうがないんだけど)






全てのエネルギーが枯渇した架空の21世紀。(21世紀の今を生きている我々には、もはやおとぎ話である)


時代は2世紀くらい逆行して、人々は馬車や自転車を乗り回している。

「あの巨大な鉄の塊が、昔は空を飛んでいたんですよ」

空港には飛ばなくなったジェット機が並び、観光案内の名所になっていて、ガイドの説明に人々が、

「へ~え……」

「ほ~お……」の声をあげていた。


道端には、今では全く役にたたなくなった車が鉄屑然として放置されている。

家では蝋燭が灯されて、何も映らなくなったテレビを囲んで夕食をとる。


でも、人々は、こんな時代でもノホホ~ンとしながら、暮らしていた。



でも、一部の科学者たちは諦めない。


ある者は、太陽光発電の研究をしようと血眼になっている。(虫眼鏡を当てて火をつけようとするくらいの太陽光の研究とは……間抜けな科学者に笑うよりも、どこかほのぼのしてしまう)


そんな実験を、(バカめが……)と横目であざ笑う一人の男。


科学者、『エンリコ・コッポラ教授』(ジジ・ブロイエッティ)である。



コッポラ教授が建物の実験室に入ると、

「教授、準備ができました!」とスタッフたちが声をかけた。


よし!ピエラ脱いでくれ!」

ピエラと呼ばれた助手の女性は、恥ずかしさもなく躊躇わずに、着ているものを全て脱ぐと、ベットに横になった。




全裸のピエラに、助手たちが、電極をつけていく。

「さあ、始めるんだ!」コッポラ教授のかけ声に、助手たちは、ピエラの全身を愛撫しはじめた。

「アハ~ン……」


悶えだすピエラを伝わり、電極は機械を通って、微妙な針の動きをとらえた。


「いいぞ、この実験はいける!」(マジか?)




確信をもった教授は、今度は別の男女の助手たちを素っ裸にして命令した。


「さあ、二人とも、おっぱじめるんだ!」


周囲が見守る中で、交わりはじめる二人。



「二人の激しい摩擦が、科学の進歩、新しい『電力』を生むのだ!」(?!)


教授のヘンテコな理論は成功して、電球には、見事に「パッ!💡」と灯りがともった。




そして、

「こんなものじゃダメだ!町で一番の性豪の男女を連れてくるんだ!!」

教授の要求は、さらにエスカレートしていき、厳選された二人の男女が選ばれる。



故意に救急馬車(馬車ってのが凄い)をぶつけて、交通事故にあわせて、拉致同然に連れて来られる男女。(なんて強引な……もはや犯罪である)




当然、素っ裸で隣り合わせに寝かされている二人。



「何で素っ裸なんだ!」男、『ベンチェロリ』が全裸で脚を吊られたまま叫ぶ。

ホテル支配人だが、何人もの女性の間を渡り歩く、根っからのドスケベで、『歩く種馬』なんて異名をもつ男だ。




もう一方は、

「何で裸で隣同士なのよ!」

美人の『フランチェスカ』という人妻。この女も根っからのスキモノで、次から次に、子供を産む子沢山の女だ。(でもプロポーションは抜群)

右手に包帯を巻かれて、ヤッパリ全裸である。




お互いに隣り合わせで全裸で寝かされているベンチェロリとフランチェスカ。

「ヤバイ!おっ立ってきた!」




それを見ながらフランチェスカ、

「寝るのよ、寝ればおさまるわ」なんて言いながらも目線がはずせない。



ベンチェロリの方も、フランチェスカに目が釘付け。


(さあ、やるんだ!やれ!おっぱじめるんだ!世界のために!………)



コッポラ教授の心の声が聞こえたのか………日が経つにつれて、二人の距離は縮まり、そして………。






こんなトンデモない映画観たことない!




バカ作、珍作、怪作……なんて表現したらいいのか………。

イタリア人、素直に尊敬します!(笑)




『S●Xは世界を救う』なんていう大義名分で、真っ正面からヘンテコな映画を作ってしまうなんて。



コッポラ教授の思ったとおり、ベンチェロリとフランチェスカは、莫大な電力を産み出す。


政府関係者たちが、マジックミラーで事の成り行きを見つめながら、

「オォー、フランチェスカ!」と何度も叫ぶベンチェロリ。


フランチェスカもそれに応え続ける。




二人に驚嘆する政府関係者たち。

「もう、5回!いや、まただ!6回目だ!」

「凄い!本当にすごいわ!」女の関係者たちもびっくり!


電気のない時代に、こんなやり方で、こんな莫大な電力を産み出せるのか……こんな突飛な発電方法に、政府関係者たちは唖然として感嘆する。(風力発電、火力発電、水力発電、考えれば他にも色々あるだろうに。この世界の人たちは、みんなどこかオカシイぞ!(笑) )



こうして、政府が承認、推奨する《SEX発電》が全国規模で開始されたのであった。






案外、こんなヘンテコな未来もいいかもしれない。


日本も世界も、この発電に傾いていれば、まれに平和な世の中になるやもしれない。


なんだかバカ作では、片付けられない何かが、この映画にはあるように思える。


イタリア美女たちの、脱ぎっぷりに感動したし。


イタリア最高!

星☆☆☆☆☆であ~る。

日本の政府関係者たちにも、ぜひ参考にほしいなぁ~(アホか (笑) )

2019年10月3日木曜日

ドラマ 「噂の刑事 トミーとマツ」

1979~1982年。






最近、ふと耳にしたこの曲。


『Wonderful Moment』。



懐かし~い~。

それに名曲である。




歌っているのは、『松崎しげる』。(日焼けサロンにまで通ってまで、長年、肌の黒さをキープしているお人)



その見た目のインパクトで、色物のように一見思えるが侮るなかれ。


抜群の歌唱力なのだ。




松崎しげるといえば、『愛のメモリー』にばかりスポットがあたり歌わされているが、この曲も名曲。



♪ふたり……、

wonderful 、wonderful、 wonderful、 

wonderful moment♪

そこから、一歩も、動くんじゃぁ~ない~♪




う~ん、やっぱりいいわぁ~この曲。

この曲、その昔、放送されていた『噂の刑事 トミーとマツ』のエンディング。




もちろん本編も観てましたが、このエンディング曲とは真逆のドタバタコメディー刑事ドラマ。




富士見署の捜査課に配属されてきた、ハンサムな『岡野富夫』(国広富之)。



(何だ?こいつ、生っ白いツラしやがって)

色黒で、常にシークレットブーツ(短足ゆえ)を履いている、『松山進』(松崎しげる)は、コンプレックスを刺激されたのか、当然面白くない。



そんな松山に、捜査課長の『御崎』(林隆三)は、

「おい、マツ!お前、こいつとしばらくコンビを組んで面倒見てやれ!」と命令。



「えぇ~?!何で俺が~?」マツの不満顔をよそに、

岡野 = (トミー)が、「よろしくお願いいたします、先輩!」と挨拶した。




こうしてコンビを組んだトミーとマツ。




でも、このトミーがてんで頼りにならない。




臆病者で意気地無し。

気弱で何か事が、あれば真っ先に隠れたり逃げ出す始末。



犯人たちの威嚇射撃や反撃に、怯えてガクガク震えるトミー。


「ぼくやっぱり無理です!ダメです!先輩ごめんなさい!」





そんなトミーにマツが怒り爆発!


「何だお前、この意気地無し!この男女!お前なんか《富夫》じゃない!《富子》で充分だ!トミコォォーーー!




マツの叱咤に、トミーの両耳👂がピクピク動いたかと思うと、つぶっていた目がパッチリ👁️


顔つきも豹変する。



そして、体操選手ばりの大ジャンプから、空中で前方宙返り!


着地と同時に、悪党たちに、パンチ!キック!まわしげりの連続技!


アチョーー!のかけ声よろしく、敵をバッタバッタとなぎ倒していく。




電話ボックスを抱えて投げてみせたり、電信柱を倒すまての怪力さえもみせたりする。(ここまでくると漫画だ)




そんなトミーの暴挙を、

「行け!行け!トミー!やっちまえ!」と、まるで獣の猛獣使いのように煽りたてるマツ。



こんな凸凹コンビの活躍で、事件は毎回、無事(?)に解決する。




こんなパターンが繰り返されて、番組は大人気となり、第1シリーズと第2シリーズで全106話の長寿番組となったのだった。





これを書きながら、つくづく思ったのだが、自分自身の好きなジャンルが、なんとなく分かった気がする。




自分は『豹変ドラマ』が好きなんだ!



『ヤヌスの鏡』にしろ、『赤い嵐』にしろ、そしてこの『トミーとマツ』にしろ ……… 急に人格が一変して、豹変するドラマが大好き。





昼間は町奉行、夜は殺し屋の『必殺仕事人』とか、

普通の女子高生が裏では刑事の『スケバン刑事』とか、そういう二面性にも憧れるし、なぜか特別に惹かれてしまう。




『ギャップ』、『二面性』、『豹変』のワードに当てはまるドラマは、まだまだあるはず。



これからも、ここに取り上げていきたいと思う。




『トミーとマツ』星☆☆☆☆。

エンディング曲は星☆☆☆☆☆である。


ドタバタドラマの後に流れる、このメロウなリズムに、心ゆくまで浸(ひた)ってほしい。

2019年10月1日火曜日

ドラマ 「赤い嵐」

1979~1980年。







真冬の凍りつくような寒さの東京・上野は不忍池(しのばずのいけ)。


その池の真ん中に、ボートの上で長い間佇む不審な女性。



上野北警察署で交番勤務をしている巡査、『大野真(まこと)』(柴田恭兵)は、通行人からの通報を受けると、直ぐ様、不忍池に向かって自転車をこいでいった。(『関係ないね』とはさすがに言わない(笑))


ボートを漕いで、その女性のそばまで来た真は、


「君、何があったか知らないけど落ち着いて …… 」

と声をかけた。(池に飛び込んで自殺すると、てっきり思い込んでいる真)



放心状態のその女性(能瀬慶子(のせ けいこ))は、ゆっくり振り向く。


真が女性のボートに跳び移ろうとした時、バランスを崩して、二人はそのまま冷たい池にドボン!した。




そうして派出所でストーブにあたりながら毛布にくるまり、ガタガタ震える体を暖める真と、その女性。


「君さ、いったいあんな所で何していたの?」



真が訊ねると、女性は、

「 …… 分からないの」

「君、名前は?」


「分からない……何も思い出せない …… 」


女性は自分が何者かも分からない、『記憶喪失』となっていたのだった ……



でも普通なら記憶喪失の人間を警察官とはいえ引き取って世話をしたり、実家に預けたりはしないものだが、そこはドラマである。


人の良い真は実家の両親が営む豆腐屋に、いそいそと、その娘を連れてきた。



「どうしたんだい?その子は …… 」

店の奥から出てきた真の母親『大野千代』(淡島千景)が訊ねる。


そばには、父親の『大野兵吉』(松村達雄)の姿もある。




「父さん、母さん、悪いんだけど、この子を住み込みで、この店においてやってくれないかな?」


真の頼みに、父の兵吉は、



「てやんでぇい!何をいきなり言い出すんだ!藪から棒に!」

と生粋の江戸っ子弁。(べらんめえ調の松村達雄ここにあり)


「父さんのいう通りだよ、それにこの子何て名前なんだい?」

千代が真に訊ねると、真の頭の中で、(名前 …… 名前 …… どうしよう? 記憶喪失の子に名前なんて …… )とグルグル考えが駆け巡る。



真は思いつきで咄嗟に、


「こ、小池しのぶしのぶちゃんさ!」

と言ってしまった。(不忍池で見つかったので。その連想で。)




「しのぶちゃんねぇ~……」

息子の真と同じように、根っから人の良い両親は、『小池しのぶ』(能瀬慶子)と名付られた娘を、不自然に思いながらも、住み込みで働かせる事に決めた。



次の日から、朝も早い豆腐屋で一生懸命働くしのぶ。



辛いとか、キツイとか、愚痴ひとつこぼさずに働くしのぶの姿に、兵吉も千代も感心しはじめ次第に気に入るようになってくる。


夫妻には真を合わせて3人の息子たちがいたが、長男夫婦は嫁の実家で同居生活。

次男夫婦にも同居を断られてガックリしていた時期だった。


オマケに三男の真も警察の寮に入っていて、老夫婦は淋しい毎日を送っていたのである。


そこへ、『しのぶ』と名乗る娘が現れる。


男しか育てた事のない千代は実の娘ができたように喜び、兵吉もしのぶを愛おしく思い始めるのは当たり前だったのだ。




でも、それまで寄り付きもしなかった長男夫婦、次男夫婦たちは面白くない。(勝手な奴ら)


しのぶの噂を聞き付けると、怒鳴りこんできた。


「おい!真!いったいどういうつもりなんだ?!あんな素性も分からないような女を、この家に連れて来るなんて!」

大手サラリーマンの次男、『英二』(石立鉄男)はカンカンだ。



「そうよ、そうよ!お義父さんもお義母さんも騙されているのよ!」嫁の『宏美』(岡まゆみ)も加勢する。(同居を特に嫌がったくせに)


大学教授の長男、『正一』(大石吾朗)と、正一の嫁、『令子』(榊原るみ)も同意してる。



こんな声に、業を煮やした兵吉は、とうとう立ち上がって、


「いい加減にしやがれ!どいつもこいつも勝手な事ばかり抜かしやがって!帰れ!帰れ!」と怒鳴り付けた。


渋々、ブツブツ言いながら引き上げていく息子夫婦たち。



誰もいなくなった暗い家で、兵吉と千代は座り込んで、


「情けない……」とため息をついた。



そして周りが反対すればするほど、しのぶへの愛情が日に日に増していく兵吉と千代だった。




一方、こんな息子夫婦たちが、このままおとなしく引き下がるはずもなく……



長男夫婦が、嫁の実家に帰って『しのぶ』の話をすると、義母の『戸川貴子』(近松麗江(ちかまつ よしえ))までもが、即、目を輝かせてしゃしゃり出てきた。


「あたしに任せておきなさい!その女の化けの皮をはいでやる!」

と鼻息荒く胸を叩く貴子。(婿の実家の事なんて、この人に関係あるのかねぇ~?)




そして、豆腐屋でしのぶが、一人きりなのを見計らって近づく貴子。

開口一番、


「ちょっとあんた、この家に入り込んでいったい何を企んでいるのさ! あんた、本当は『しのぶ』って名前も嘘なんだろ? 本当はどこのどいつなんだい!何とか言ったらどうなんだい?!」



貴子の執拗な攻めに、しのぶは黙って耳をふさいでいたが、振り向き様、突然、何かのスイッチが入ったのか?異様な目付きになり早変わりしていた。



そして、


「しつこいんだよ、ババァ!!くたばりたいのかい?!」

と、口汚く罵ってきたのだ。


しのぶの、あまりの変わり様に貴子は驚いて後ずさり、おもわず「ヒィイーッ!!」と悲鳴を上げた。



つぎの瞬間、またもや、しのぶのスイッチが切り替わると元の顔つきに戻って、



「あの …… わたし、何か……?」

なんて、スットボケた答えが。

貴子は、あまりの恐ろしさに逃げるように飛び出していった。



そこへ、通りがかった真が、


「どうしたんだい?しのぶちゃん」

「分からない!分からないの!!私いったいどうしちゃったの?!」

「しのぶちゃん!」

「真さん!」(ヤレヤレ……)



しのぶの過去に何があったのか……きっと普通の出来事じゃないはずだ。


こんなしのぶの動向を、謎の男(緒形拳)が始終見張っているのだから ………




長文、ごめんなさい。


記憶を巻き戻して、出来る限り(多少違ってるかもしれないけど)書いてみた『赤い嵐』である。



このドラマも当時の流れで、よく観ていたので。




一応、読みやすく書いてみたが、



柴田恭兵のセリフまわしは、「しのぶちゃん!」なんて安易にサラッとした言い方ではなく、動きと同じように一字一句きって、とび跳ねる感じ。


「し、の、ぶ、ちゃ、ぁん!」なのだ。




能瀬慶子なんてのは、大映ドラマの王道を地でいくような、いちいち喘ぐようなセリフまわし。


「ゥオッ、まことさん!」なのだ。(喘いでいるのか、それとも吐きそうなのか………(笑))




「バカをいっちゃいけねぇよ!」なんて、生粋の江戸っ子、松村達雄や、クルクルパーマの石立鉄男なんていう個性豊かな共演陣たちもいるが、この二人だけが特別浮いていて、周りが普通に見えるようだった。



こんなインパクト大だった『赤い嵐』を夢中で観ていたのに、最終回をてんで忘れている自分。


どんなだったっけ?

しのぶの謎も少しは、覚えていても、まるでうら覚え。



今回、書くにあたって、ちゃんと調べてみた。


『しのぶ』の本当の名は『田上雪子』で、すでに《結婚》していた。(なんですと?!でも、本人の意志じゃなくて無理やりらしいが)


相手は有名画家の父親・田上洋平の内弟子で、入り婿となる『田上武史』(伊東達広………う~ん、どんな人か、まるで思い出せない)。


そんな画家の父親・洋平が突然殺されてしまい、容疑が後妻の『美千子』(松原智恵子)にふりかかり、逮捕されてしまう。



現場から、忽然といなくなった雪子を怪しむ『山根刑事』(緒形拳)は、雪子こそが真犯人だと思いこみ、執拗につけまわしていたのだ。(記憶喪失相手に、なんて気の長い捜査方法なんだろう)




で、真犯人が誰だったのか?


これも、さっぱり思い出せない!



(ここはどこ?私は誰?っていう、まるで能瀬慶子みたいな感じだ)




真犯人は、画家の父親の内弟子だった『田上武史』。(ヤッパリといえば納得だが、この人自体、どんな人だったか、本当に記憶にすら残っていないのだ)


父親の絵を勝手に画商に売りさばいて、裏でボロ儲けしていたらしい。



それがバレてしまい「こんな男に娘はやれん!」と言われて、逆上して殺してしまったのだったとか。



無事に犯人の武史が、山根刑事に逮捕されると、真としのぶは抱き合って喜んだ。


そして、犯人の武史との離婚も正式に認められた頃、………… 真としのぶは、家族に見守られながら、無事に祝言をあげるのだった。



これまで通り、しのぶは豆腐屋でせっせと働き、真は駐在署勤務 …… やっと平穏な日常がかえってくる。


めでたし、めでたし。(終)





こんな終わり方だったのか …… 当時、9~10歳だった自分の記憶なんてのも、所詮こんなものである。


でも、柴田恭兵と能瀬慶子の印象だけは、40年近くたった今でも強烈。


これも忘れられない思いで深い昭和のドラマなのである。


もう一度観てみたいなぁ~。

星☆☆☆☆。


「し、の、ぶ、ちゃん!」


「ゥオッ、ま、真さん!」(しつこい(笑))




映画 「菩提樹」

1988年 日本。






「似合ってますぞ、中原麻美選手!」


医大に合格して、晴れて新しいスーツに身を包んだ『中原麻美』(南野陽子)を、『葛城柊子』(松原千明)は、半分茶化しながらも、感慨深く腕組みしながらジロジロ見ていた。


「ありがとう、これも葛城さんや『オジサマ』のお蔭です」

麻美は素直な気持ちで、そう感謝した。





子供の頃、両親を事故で亡くし、身寄りのない自分の後見人となって、生活費から学費から、全てを援助してくれた『オジサマ』。


葛城柊子は、後見人の『オジサマ』の代理人として、麻美の面倒をこれまでみてきたのだ。



「でも、葛城さん、ここまでしてくださる『オジサマ』っていったい………」


麻美が疑問を投げかけると、柊子の表情が途端に厳しいものに変わった。



「それを聞けば、麻美、あなたの援助は全て打ち切られるのよ。それでもいいの? あなたの夢は、亡くなったご両親のように医者になる事でしょう? 今はその事だけを考えて大学を無事に卒業しなさい!」


柊子の有無を言わせぬ言葉に、麻美は黙りこんだ。





そう……『オジサマ』の事は、決して聞かないと約束するのが、援助してくれる条件。


麻美も無理矢理、この問題を頭の隅に追いやった。

(今日から医大生、絶対に父のような立派な医者になってみせるんだから……)






柊子の車で送られてきて、意気揚々と大学の入学式にやってきた麻美。

だが、入り口の所で、ある男とぶつかってしまう。


男の荷物が散らばり、

「スイマセン、ごめんなさい」と拾い上げる麻美は、足下に散らばった口紅?を見つけた。


「あの~これ……」

男はムスッとした顔で、「俺んじゃねぇよ」と言うとさっさと行ってしまった。


(何あれ?感じ悪い)


だが、その男『森次駿』(竹本孝之)は、麻美と同じ医大の1年生で同級生。

サラリーマンをしていた森次は、一念発起して、医大を受験して合格したという変わり者だった。(なぜか無償で援助してくれるパトロンの女性がいる。口紅もその人の物)




しかも麻美が選んだ早坂教授のゼミで、一緒になってしまう。




他にも、

お調子者の『島田二郎』(ザ・お調子者といえば柳沢慎吾)、

家が代々医者の家系で、医師免許だけをとるために医大に来たお嬢様の『杉本せりあ』(藤代美奈子)、

メガネっ子の勉学少女『瀬川富子』(比企理恵)

なんていう個性的なメンバーたち。




そんなメンバーが揃う教室に、ひとりの男が現れて自己紹介した。


「このゼミを担当する早坂です。これから皆さんを指導していきます。しっかりした医学の知識や技術を身に付けて、立派な医者を目指してください。私のゼミはハードです。根を上げずについてくるように!」


言葉の厳しさとは裏腹に、壇上の『早坂翼』(神田正輝)の毅然さに、目がトロ~ンの麻美。



(この素敵な先生の元で、これから勉強していくのね………)

まさに恋しちゃった様子の麻美である。


そんな麻美の様子が気になる森次なのだが……






同じタイトルで西ドイツの映画、『菩提樹』があるが、これは南野陽子の方。


原作は、『はいからさんが通る』の漫画家、大和和紀。




この頃、南野陽子にハマっていたミーハーな自分は、『スケバン刑事』を観に行って、もちろん『はいからさんが通る』も劇場まで観に行きましたよ。

主題歌の『はいからさんが通る』もノリの良い曲でヒットしていたし。





ただ、映画の出来は…………

ガックリ。





ひいき目に見ても、「何じゃこりゃ?!」の仕上がり具合でした。

デビューしたばかりの阿部寛が、まるで学芸会レベルの芝居。(台詞棒読み)

脚本も演出もダメダメで、そもそも、この漫画自体を90分にまとめる事が、まず無理な話。



原作では、ロシア女性ラリサと、記憶を失って日本に帰ってきた伊集院忍が、ヒロイン花村紅緒に再会して、それぞれ葛藤がありながらも、関東大震災の出来事の中で、再び結ばれるのだけど………。



映画は結婚式の教会で地震があって、紅緒(南野陽子)が花嫁衣装のまま、森の野っ原に出てみれば、忍(阿部寛)が待っていて、二人抱き合って、ジ・エンド。





エンド・クレジットとともに、あの主題歌が流れる。


いくら、アイドル映画でも「これはないでしょう?!」って感じだった。






こんな前作にガッカリしているところへ、またもや同じ大和和紀原作で、3作目の映画『菩提樹』である。


『はいからさんが通る』よりもマイナーな原作だが、なぜか大和和紀の漫画をそれまでに殆ど読んでいた自分。

もちろん映画になる前から内容は知っていた。



(これを今度はやるの?……)


一抹の不安もあったが、とりあえずは劇場に観に行く高校生の自分。


やはり、前作の出来がこたえたのか……映画館はチラホラ観客がいるだけだった。






そして、観た感想なのだが、…………


「あれれ?なかなか映画として、まとまっているじゃないか」だった。


南野陽子も、ちゃんと等身大の女性を演じているし、相手役の竹本孝之がちゃんと演技してるし。(前作の阿部寛とは格段の違い)



物語は、

『あしながおじさん』とは誰なのか?と、

事故で死んだ両親の謎が、縦糸になって進んでいく。(勘のいい人なら直ぐ様分かるだろうが)

そのうち、残酷な真実を知ってしまった麻美は、自暴自棄になりながらも、苦しみもがきながら、周りに支えられて、もう1度、医学を目指すのである。

そんな成長を映画は淡々と描いている。





でも、この映画が公開された時、南野陽子は、まだまだ絶頂期のアイドル。

アイドルらしからぬ、この映画にフアンは、「?」だったんじゃないだろうか。




南野陽子が、アイドルから脱皮しようとして、この映画で懸命に演技しようとすればするほど、なぜかフアンとの間に距離感が広がっていった感じがしたものである。




この頃から分かりはじめた事……

南野陽子って、根が真面目すぎるくらい真面目で、とことん無器用な人なんだなぁ~、って事。



ノホホ~ンとしていて、どこか笑われるような、おかしみを醸し出す斉藤由貴は、のらりくらりと芸能界を渡っていったが、南野陽子が、ここまで芸能界に残る事は、本当に大変だったと思う。





この映画「菩提樹」もたまに観たいなぁ~と思うのだが、残念!DVD化されておりません。


観れないと思うと、記憶のどこかで美化されてしまうが、映画は南野陽子のターニング・ポイントになったエポック的な作品として、星☆☆☆をつけておきたいと思う。


でも、今でもフアンでありまする。