2019年3月17日日曜日

映画 「歓びの毒牙」

1969年 イタリア、西ドイツ合作。






アメリカ人作家『サム・ダルマス』(トニー・ムサンテ)は、親友のカルロを頼り、イタリアに来て2年。


作家としてのスランプを乗り越えて、鳥類学の本も出版され、その評判も上々で浮かれていた。(とてもそんな小難しい本を書くような作家さんに見えないのだが…)



私生活も美人モデルの『ジュリア』(スージー・ケンドール)と付き合っているし、まさに絶好調。(鳥類学の作家とモデル?どこで知り合ったのだろうか?)


もうすぐジュリアを連れて、NYに帰国する予定である。



最近、この街では、若い女性ばかりが襲われる『通り魔殺人』が横行しているが、サムにはどこ吹く風。


本の小切手を無事受け取ると、カルロと別れて、スキップでもするように自宅に向けて歩きだした。



日が沈み、街は暗くなり始めている。




自宅へ向かう通りを歩くサムの目に、反対道路に、暗闇の中で、煌々と明るい、広い全面ガラス張りの画廊が映った。


道路に面したガラスは2重になっていて、玄関と、玄関ホールに、それぞれ自動ドアが設置されている。


その奥は、白い大理石の大ホールになっていて、幾つかのオブジェも飾られている。


ホールの横には2階に上がる階段がある。


それは道路にいるサムからも、ハッキリ見えていた。




その2階に、黒ずくめのコートを着た人物と女が揉み合いになっているのが見えている。


(何をしているんだろう…?)


サムが通りを渡って画廊に近付くと、コートの人物は階段をかけ下りて、1階の階段横の非常口から逃げるように出ていった。



その後、2階から女が腹をおさえながら、階段をゆっくりフラフラと下りてくる。



サムは、おもわず、自動ドアを抜けて画廊に入っていった。

が、次のドアを抜ける瞬間、自動ロックがかかり、完全に玄関の小ホールに閉じ込められてしまった。


女は腹を刺されたのか、おさえている腹からは血が滲みだしている。



「助け…て…」



ガラス張りの玄関ホールに閉じ込められたサムにも、その声は聞こえるようだった。


だが、施錠されて、ホールにも入れないし、外の通りに出ることもできない。


(どうすりゃいいんだ…)


その時、道路を歩く通行人の姿が、あった。



必死のジェスチャーでサムが呼び止めると、通行人の男も近づいてきた。


「警察を呼んでくれ!」

外の男にも、サムの必死の様子や倒れている女の姿が見えたのか、男は慌てて警察を呼びに一目散に走っていった。


(後は待つだけか……)

サムはガラス張りの閉じ込められたホールにしゃがみこんだ。




しばらくして警察がやってきて現場は騒然としている。

サムもやっと解放された。



「モニカ!モニカ、大丈夫か!?」

夫のラニエリが、血だらけで担架に載せられている女の側に駆け寄る。


女は救急車で運ばれたが、なんとか命はとりとめたようだ。



「全部話してくれ」警部の『モロシーニ』が目撃者のサムに質問する。


「何か…変だった…でもそれが何か思い出せない…」



次の日からサムの目撃証言の事情聴取が行われる。NY行きは事件解決まで取り止めだ。


否応なしにサムも事件に巻き込まれていくのだが……。





ダリオ・アルジェント初監督作品。


いろいろなアルジェント作品を観た後に、この最初の第1作目を観ると驚く。



破綻も少なく(多少は変なところもあるが)、まだまだ、まともな犯人探しミステリーなのだ。



モロシーニ警部や警察の捜査もスゴクまともだ。(当たり前の事なのだが、これ以降、どんどん変になっていくアルジェント映画では珍しい)



サムが、犯人が出ていったドアを迂闊に触ろうとすれば、「指紋があるかもしれない!」とモロシーニが厳しく制止する。


犯人とおぼしき人物を何人か並べては、サムに目撃者として面通しさせたりもする。



オカマの女装した男が並べば、モロシーニ警部が「下がれ!」と、いの一番に、はねのけるのだが。(「もお~失礼しちゃうわね」プンプンしながら出ていくオカマちゃんには笑える)



ちゃんと科捜研なんてモノまであるのには、ビックリしてしまう。(この時代にですよ)


「犯人が落としていった手袋からは、夫人の血痕の他に葉巻の灰が付着していました。調べたところ、バハマ産の高級葉巻です。、後、手袋の中からイギリス産のカシミヤの繊維も出ました」


当時としては、ちゃんとした捜査のやり方に「へぇ~」なんて言いながら、素直に感心してしまった。



もちろん、サムと恋人のジュリアのベッドシーンもある。(アルジェント作品にはお色気シーンはお約束)



だが、それよりも、主人公サムが鳥類学の本を書いているという設定が事件を紐解く鍵として、ちゃんと活かされている事に驚いてしまう。



多少の遊びもあり、ハラハラ、ドキドキもあり………これは、二時間サスペンスドラマのお手本みたいじゃないだろうか。



アルジェント作品とは思えないくらい、ホントに、まともな映画。(変な褒め方だ)



こんなに、まともなアルジェント映画なんて……。



これが後に、恐怖を超えた爆笑映画作りに変遷していくとは、この時は誰も予想していないはずだ。(決して馬鹿にしてませんよ!アルジェント大好きなんですから(笑))



初々しいデビュー作、星☆☆☆☆でございます。



2019年3月16日土曜日

映画 「幻の女」

1944年 アメリカ。







やっと、やっと、《幻の女》に会えた。



『らせん階段』のロバート・シオドマクが監督して、もうひとつの傑作といわれている映画。




原作は、ウイリアム・アイリッシュ。(本名:コーネル・ウールリッチ)


太平洋戦争の後、「Phantom Lady」の評判を聞き付けた江戸川乱歩が原書を探しまわって、夢中になったほどの小説。


「新しい探偵小説、直ぐに日本でも訳すべし!」


乱歩が太鼓判を押して、1950年に黒沼健により翻訳された『幻の女』。



その後、稲葉明雄により改訳された冒頭の出だしは、これまた有名なフレーズではじまる。



「夜は若く、彼も若かった。が、夜の空気は甘いのに、彼の気分は苦かった………」



この叙情的な文体は、日本人の心をとらえて、熱狂的に賛美されたのだった。




そして、ミステリーのベストテンをすれば、何十年たった今でも、必ず上位にランクインする『幻の女』。




かくいう自分も若い時に、このアイリッシュ(ウールリッチ)の作品を何冊も夢中になって読んだ記憶がある。



『幻の女』、『暗闇へのワルツ』、『黒衣の花嫁』、『黒い天使』、『暁の死線』、『死刑執行人のセレナーデ』などなど………。(とにかく本のタイトルの付け方が抜群にセンスがいい。タイトルだけでも手にとりたいと思わせるのだ)



どれも楽しく読んだ記憶があるが、今、現在、この歳になって読むには、この甘い雰囲気は、ちと気恥ずかしく思うかな。(やはり、アイリッシュ(ウールリッチ)の小説は、感受性豊かな若い時に読むべき小説なのだ)




そして、これらの小説は様々な映像作家や監督たちにも愛されている。



映像化もあらゆる国でされているのだ。




有名なのは、

アルフレッド・ヒッチコックの『裏窓

フランソワ・トリュフォーの『暗くなるまでこの恋を(暗闇へのワルツ)』、『黒衣の花嫁

ポワゾン(暗くなるまでこの恋をのリメイク)』




日本でも映像化は多い。



『幻の女』なんて何度も二時間ドラマになっているし、

山口百恵の引退ドラマ『赤い死線』は、『暁の死線』が原作である。





そして、かの『らせん階段』のロバート・シオドマクもアイリッシュの映画を撮っているという。



ぜひ観てみたい!



陰影のハッキリした美しいフィルムノワールの映像を撮るシオドマクなら、さぞや名作に仕上がっているだろうと期待しないわけにはいかない。


そして、やっとこさ、念願叶って観れたのだ。




面白かった!


面白かったけど、アイリッシュの甘い文体とは違い、やはりシオドマクの独特の映像に仕上がっている。


小説を読んでいるので、粗筋は覚えていたのだが、シオドマクは中盤で犯人を早々に明かしている。(真犯人を知りたくない方は、小説からどうぞ)






夕刻、妻と喧嘩したばかりの男『スコット』(アラン・カーティス)は、不機嫌そうな様子で、ぶらりとbarにやってきた。


寂しそうにしている奇妙な帽子をかぶった女と隣り合わせに座るスコット。


妻と行くはずだった劇場のチケットは、胸元のポケットにあり、このまま、おじゃんにするには勿体ない。



おもいきって帽子の女を誘うとスコットは、タクシーを拾い、一緒に劇場見物をした。


そして、後腐れなく別れた二人。


奇妙な帽子だけの印象で顔さえも思い出せない………そんな女だった。





深夜、家に帰るスコット。

灯りをつけると、幾人もの刑事たちが待ち構えていた。



「何だ?、君たちは?人の部屋に勝手に入ってきて!!」

怒りのスコットにニヤニヤ顔の刑事たちは、事情を説明した。




妻がスコットのネクタイで《絞め殺されていた》のだ。



「事件があった時、どこにいた?」パージェス警部がアリバイを聞いてくる。

「もちろん、《帽子の女》といたさ」とスコット。




だが、刑事たちが調べても、バーテンダーやタクシーの運転手、劇場関係者たちも口をそろえて、「そんな女は知らない」という。



確かに一緒にいたんだ!帽子の女は存在するんだ!幻なんかじゃない!!




スコットの懸命の訴えも届かず……やがて裁判の日。



アリバイが証明できないスコットは、陪審員たちにも信用ゼロ。

あっけなく、裁判では《死刑》の判決を受けてしまうのだった。




そんなスコットを心配して、留置所を訪ねてきたのは、スコットが経営する土木会社の秘書である『キャロル』(エラ・レインズ)。


「この人は人殺しなんてできる人じゃない!きっと《帽子の女》はいるはず!! 私が必ず救ってみせるわ!」


かねてから陰でスコットを慕っていたキャロルは無罪を証明するために、単身、《帽子の女》=《幻の女》探しの為に、無謀な行動を開始するのだが…………









エラ・レインズ(キャロル)……


キャサリン・ヘプバーンとローレン・バコールを足して2で割ったような顔の理知的な女優さんである。

シオドマク映画では、けっこうな常連さんで、これ以外にも出演しているとか。(『ハリー叔父さんの悪夢』、『容疑者』)



切れ長の目は、意志の強さを感じさせてくれるクール・ビューティー。

でもスコットへの情愛に溢れている魅力的なキャロルを演じている。






アラン・カーティス(スコット)……


ビックリした!

現代のルーク・エヴァンスに生き写しじゃないか?43歳で早く亡くなった彼は、転生してルークに生まれ変わったのだろうか。



奥さんがいながら、幻の女と一夜のデートをしても、こんだけ『キャロル』(エラ・レインズ)に慕われる役得の『スコット』なんだけど、このアラン・カーティスのハンサム具合いなら皆、納得してしまうかもね。






フランチョット・トーン(ジャック)……


 痩せこけて長い顔してる。


おまけに、顔の半分が変な風に動かせるので、(演技?特技?)病的な不気味さが充分伝わってくる。


逮捕されたスコットの知人で、無罪を勝ち取ろうと一生懸命なキャロルにも、一見協力的なのだけど……(勘の良い人なら、これだけ書けば、誰が真犯人か分かりますよね?)





このメインとなる3人の俳優たちを、全く知らなかったので、あまり先入観もなくサクサク観れました。





犯人の殺害シーンを直接見せないのは、監督ロバート・シオドマクらしさの演出。


ここでは、この演出が、かえって効果をあげていて下品にならず、原作の持つ品の良さを残していると思う。



小説とは違い、改変されている部分もあるが、この映画『幻の女』も、なかなかの良作に仕上がっている。


それに、上映時間が87分。(90分ないのだからスゴイ!)



これもシオドマクの傑作として自分は大好きである。


星☆☆☆☆です。


2019年3月15日金曜日

ドラマ 「刑事コロンボ」

1968年~2003年。






1968年といえば自分が生まれた年で、それが、つい数年前制作されていた事を考えると驚異的である。




「刑事コロンボ」のレギュラーは、主役のピーター・フォークしかいない。

脇のサブ・キャラクターもまったくでない。


よくコロンボの口癖で「うちのカミさんが~」なんてセリフがあるが、長いシリーズで、Mrs.コロンボが出演した事もない。




ゆえに、全てはピーター・フォークが出演するか、しないかだけの問題で、それをクリアすれば、何も問題なく撮影が開始できるわけなのだ。


長期シリーズも納得である。




それにしても、ピーター・フォークもよく、この「コロンボ」だけではなく、様々な映画にも出演しながら、俳優業を全うしたものだ。




ピーター・フォークの右目は義眼である。


3歳の時、腫瘍ができ、摘出手術をしている。


子供のときからとはいえ、片目で台本を読み、覚え、演じる事の困難さや、大変さを思うと尊敬してしまう。






またまた脱線したが、話を「コロンボ」に戻そう。


「コロンボ」は倒叙ミステリーである。



「倒叙(とうじょ)ミステリー」とは、真犯人が最初から分かっていて、完全犯罪を目論み、それを警察や探偵が、アリバイ崩しや、決め手になる証拠で、追いつめていく手法である。



最後に、あっと驚く真犯人が明かされるクリスティーの小説とは、真逆の手法をとっているミステリーなのだ。


でも、「最初から犯人が分かっていているミステリーが面白いのか?」って思う人もいるに違いないが、

それが、ツボにハマればけっこう「面白い」んです。


視聴者に、冒頭、頭の良い犯人の殺人をじっくり見せてからの、細心のアリバイ計画。

(よし!これで完璧だ!完全犯罪だ!)

愚鈍な警察さえも騙せると、胸をはって「いつものように普通の生活をおくっています!」の演技をする犯人。



そこへ「コロンボ」!



ヨレヨレのコートに身を包み、モジャモジャアタマをかきながら、冴えない風貌の「コロンボ」が現れる。


この身なりに犯人は、一旦は堅いガードを解くのだが、「コロンボ」の中身は、食らい付いたら、決して離れない刑事魂の塊のような人物なのだ。


あちこち歩き回り、質問し、些細な事に疑問をもち、また質問を繰り返す。



質問が終わり、コロンボが帰ろうとして、ホッと胸を撫で下ろす犯人。(やっと、このしつこい男からを解放された)


その時、コロンボがドアの前で、Uターンして、振り向き様に、


「あの~もうひとつだけお訊きしてよろしいでしょうか?」

と言って戻ってくる。


もう、この時の、犯人のイライラした様子。


(またかよ?いい加減しつこい!さっさと帰れよ!)という、犯人の内なる声が、観ているこちら側にも聞こえてきそうで笑ってしまうのだ。


そして結果は、コロンボの粘り強い作戦勝ち。


馬脚を現した犯人の完全犯罪は、脆くも崩れ去るのである。



このパターンをおさえながらシリーズは続いていく。




シリーズは2003年まで69本あり、NHKが以前アンケートをとったが結果はごらんのとおり。


1位、「別れのワイン」

2位、「二枚のドガの絵」

3位、「忘れられたスター」

4位、「溶ける糸」

5位、「パイルD-3の壁」

6位、「祝砲の挽歌」

7位、「ロンドンの傘」

8位、「構想の死角」

9位、「歌声の消えた海」

10位、「逆転の構図」……と続く。



個人的にはジャネット・リーの「忘れられたスター」が入った事やレナード・ニモイ「溶ける糸」は嬉しかった。



ヴェラ・マイルズの「毒のある花」やアン・バクスターの「偶像のレクイエム」やマーティン・ランドーの「二つの顔」も捨てがたい。



有名俳優、女優たちが「こんな役で?!」も、このシリーズの楽しみでもある。


それに、どこから観ても楽しめる。こんなシリーズも珍しいだろう。


もちろん星☆☆☆☆☆をつけさせて頂きます。



2019年3月11日月曜日

映画 「わたしは目撃者」

1971年 イタリア、フランス合作。






元新聞記者で、現在は盲目の老人『アルノ』(カール・マルデン)は、孫娘の幼い『ローリー』と二人暮らしだ。


まだ、7、8歳くらいだろうか……それでもローリーは、目の見えないアルノを介助して、あれこれと気づかいのできる優しい女の子である。


アルノも、盲目とはいえ他の感覚は研ぎ澄まされていて、大抵の事は自分でもできるし。




そんな二人はある夜、散歩に出かけた。(子供を夜に連れ出してはいけません (笑) )



二人がしばらく歩くと、アルノは近くの車の中で、誰かが言い争う声を耳にする。


ローリーに「ちょっと見てきなさい」というアルノ老人。(危ないんじゃねぇ?)



ローリーは、車のそばを通ると、即座に戻ってきた。


「一人は男の人だったけど、もう一人は分からなかったわ」


(なんて事はない、ただの痴話喧嘩かもしれないな……)


アルノの好奇心が一旦おさまると、二人はその場所を立ち去っていった。




その後、その側の研究所には、強盗が入り込んで、警備員を襲うという、ちょっとした事件が起こった。


《人の染色体を研究している》という特殊な、この施設では、責任者の『テルジ博士』が警察の職務質問をうけていた。


「特に取られたものはないようだが……」


他の研究員たちも、やっぱり同じ返事。(この辺り、誰が誰だか区別しにくい)



だが、その中で、研究員の一人『カラブレジ博士』だけが、なにやら様子がおかしいそうだ。




次の日、そのカラブレジは、恋人に会った後、他の誰かと待ち合わせなのか、駅のホームへとやってきた。



お目当ての人物がいないのか……ホームの人混みをキョロキョロと見渡している。



そんなホームへ、列車が入ってきた。


その時、誰かの手が、カラブレジを線路へ突き飛ばした。


そこへ偶然居合わせた新聞社のカメラマン。(ホント、偶然すぎやしないか?)



カラブレジが線路に落ちて、列車に轢かれる、まさに!決定的な瞬間を、カメラは連続でシャッターにおさめたのだった。(なんて悪趣味な)



あわれ、カラブレジは無惨な姿で轢死体なのだが、カメラマンは《特ダネ》をおさえて、嬉々としている。





翌朝には、その事件の記事が、大きな見出しで、写真と供に、ドドーン!と新聞に掲載されていたのだった。



その新聞を、あの幼い女の子『ローリー』が盲人の『アルノ』に読み聴かせている。



すると、ローリーが突然、叫んだのだ。


「あの男の人だわ!」

「昨日、車の中で言い争っていた人よ!」


「えっ?」


(偶然だろうか?昨日の男が無惨な死をとげたのは……)


元新聞記者だったアルノの好奇心が、ムクムクとアタマをもちあげはじめたのだった。





早速、アルノは幼いローリーを伴って、記事が書かれたという新聞社へとやってきた。


人の良さそうな担当者『ジョルダーニ』(ジェームズ・フランシスカス)は、アルノの話を聞くと、がぜん興味をもったようである。


「もしかすると…」

ジョルダーニは、新聞に掲載するときに、写真をサイズカットする事に気づいて、「ネガの中に《何か》が写りこんでいるかもしれない!」と言い出したのだ。



早速、カメラマンに電話してネガを確認してもらうと、


「写ってるぞ、確かに誰かの手がハッキリと!犯人が突き落としたんだ!」の好返事。


してやったり!



「今から、そこへ取りにいくから待っててくれ!」



だが、その時、自宅の現像室でカメラマンが、ネガを写真にやいているのを、不気味な目が、淡々と覗いていた。


そして、背後から近づくと、いきなり首を絞めあげて、鋭利なモノで切りつけてきたのだった。



そうして去っていく犯人。(まったく、どうやって犯人はカメラマンの住所まで調べあげたのかね……謎である)



ジョルダーニがやってくると、案の定、カメラマンは殺されていて、肝心のネガは奪われていた。


「やられたー!」

だが、もはや諦めきれないジョルダーニは、アルノ&ローリーと供に、真犯人を探そうとして行動はじめる。


(殺されたのは研究員の博士だ……あの研究所には何かあるのかも………)


どんどん事件の深みへとはまっていくのだが……






ダリオ・アルジェントの監督作品2作目である。



『サスペリアPART2』でも書いたが、皆様、お願いだからハードルを下げて、温かい目で観てやってほしい。(「何でやねん!」とツッコミをいれながら、観るのがアルジェント映画なのだから)



例によって突っ込みどころ満載の犯人の行動や殺し方に、怖さなんて微塵も感じないし、笑いさえ浮かんでくるのは不謹慎だろうか?(笑)



1作目の『歓びの毒牙』が上手くいって、「よし!2作目も!」と勢いこんで取り組んだアルジェント。


本格ミステリー映画を、本人は撮りたかったはずなのだ。



でも、どうしてこうなってしまうのか。



出だしは快調でも、この映画はドンドンおかしな方向へと流れてしまうのである。



本筋をそれて、どうでもいいようなシーンに時間をさいてしまうアルジェントの悪いクセが、モロに出てしまっているのだ。




その結果、真犯人が最後に現れても、


「誰だっけ?この人?!」になってしまったのである。(ありゃりゃ~、最悪)



(しまった!色々入れすぎて、犯人の描写を描くのを、すっかり忘れてしまっていた!)


完成した試写を観て、本人も即座に思ったのじゃないのかな?



ジョルダーニ役のジェームズ・フランシスカスが、研究施設のテルジ博士の養女『アンナ』(カトリーヌ・スパーク)と恋仲になったり、ベッドシーンがあったり。(これはこれで必要かも。カトリーヌの●●●●が拝めますし)


そんなシーンの連続で、映画は凸凹道を進んでしまって、肝心かなめの犯人描写を忘れてしまっていたアルジェントさん。(この映画、ちゃんと脚本はあったのだろうか? 何だか撮りながら、その場その場のノリで撮影したようにも思えてしまうのだけど)




ジェームズ・フランシスカス(新・猿の惑星)、

カール・マルデン(欲望という名の電車、助演男優賞受賞)、

カトリーヌ・スパーク(狂ったバカンス)


せっかく名優たちを集めたのに、ちと残念な仕上がりかもしれない。





だが、これがアルジェントでもあるしなぁ~。


やはり、自分は、こんな映画でも見捨てられないのだ。(分かってくだされ)


極甘の評価で、星☆☆。


けなす人が大多数だろうと思われる、この映画も《アルジェント・フアン》には、たまらなく愛しく思えるのだから、本当に稀な監督さんである。(かくいうワタクシも、その一人なのだ)


《謎解き》や《意外な犯人》なんていうミステリー映画の定石は、お願いだから期待しないでね。