1872年8月21日〜1898年3月16日(25歳没)
オーブリー・ビアズリーは、19世紀に活躍したイギリス生まれの《イラストレーター》である。
活躍したといっても20歳前にデビューし、生来の病弱さで、わずか25歳で亡くなっているので、その活動期間は5年にも満たないくらい。
この人の才能に目を留めたのは、以前、映画『ドリアン・グレイの肖像』でも少しだけ紹介した、劇作家のオスカー・ワイルド。
イギリス人なのに、変わり者の彼は自分が手掛けた作品『サロメ』を最初、フランスで出版した。
そんなフランス語版『サロメ』を読んで感心したビアズリーは、勝手に挿し絵となるイラストを描いてみる。
それにいたく感動したワイルドは、「英訳版を出版する際には、是非、彼に挿し絵を描いてほしい!」と自ら懇願した。
そうして描かれたイラストがこちら。
緻密でいて流麗な線、鮮やかに浮き上がる白黒の陰影。(それにしても細かいなぁ~)
このビアズリー、結構、日本の漫画家たちにも影響を与えていて、信者は多いのだという。
古くは手塚治虫、少女漫画家の山岸凉子、『パタリロ!』でお馴染みの魔夜峰央なんて、まんまビアズリーだ。
オマケに、ビアズリー本人のビジュアルも超独特である。鋭角的に尖った耳を持ち、前髪パッツン。
でも、このスタイルどこかで見たような ……
そうだ!『スタートレック』でレナード・ニモイが演じた『Mr.・スポック』にそっくりなのだ!!(案外モデルはこの人だったりして)
オーブリー・ビアズリーの才能は、こうして世間的に注目される事になるのだが、それも長くはなかった。ほんの短い栄華だった。
なんせ、肝心の『オスカー・ワイルド』が裁判にかけられて投獄されてしまったのだ。
このオスカー・ワイルド、結婚し妻子もいるのに、何人か年下の《男》と関係を持っていたりする。(『パタリロ!』風に言うなら《美少年キラー》?)
だが、今度ばかりは、手を出した相手があまりにも悪すぎた。
イギリス貴族、第9代クイーンズベリー侯爵である『ジョン・ダグラス』の息子『アルフレッド・ダグラス』(コイツ、大した勉強もしないで、年中遊び歩いているような放蕩息子だ)と関係を持ってしまったのだ。
父親の侯爵はカンカンに怒り狂い、オスカーは裁判にかけられ破産、そうして投獄までされてしまう。(まぁ、19世紀だしね。相手のダグラスが成人でも、訴えたのが侯爵ならメチャクチャな理屈もすんなり通ってしまう)
そんな煽(あお)りを食らってかビアズリー自身も当然職を失い、イギリスからパリへと脱出する。(ビアズリー自身は【ゲイ】ではなかったが、『オスカー・ワイルドの仕事を手伝っていた』という事で、完全に世間からは【変態】扱い)
こんなに緻密な絵を描くのにねぇ~(全く不遇なビアズリーである)
しばらくパリで細々仕事を再開するものの、そのうち結核が酷くなり、次第に右手も思うように動かせなくなって …… (可哀想に)25歳の若さで永眠する。(ああ合掌)
この時代の線画なんて、漫画を描くように後からホワイトで修正も効かないような、まさに一発勝負の世界。
こんな絵を、たったペン一本で何時間かけて描いていたのだろうか。
パソコンに慣れている現代人には、この細かい作業の苦労、分かるかなぁ~?(分かんねぇ~だろうなぁ~)
《おしまい》
※尚、ビアズリーが描いた『オスカー・ワイルド』の似顔絵。
なんとなく好色そうでブサイクなオスカー・ワイルドに仕上がっております。(やっぱ恨んでた?(笑))