1958年 アメリカ。
トニー・カーティスも、この映画『手錠のままの脱獄』では名演技を見せている。
手錠の鎖に繋がれたままシドニー・ポワチエと川に流されながら泳ぎきるなんて、本当に命がけだ。(片手を鎖に繋がれて、片手しか使えないなんて実際に泳げるモノじゃないって)
けっこうハードな場面を要求するスタンリー・クレイマー監督である。(走っている列車に飛び乗らせようとしたり、俳優も命がけだ)
W主演と銘打っている『手錠のままの脱獄』であるが、当時のスタジオ・サイドは、シドニー・ポワチエよりは、たぶんにトニー・カーティスの方に肩入れしていたと思う。
声にこそ出さなくても、彼が《白人》であるが故だ。
それまで、端正な顔立ちと共演者たちに恵まれる幸運で、瞬く間にスター・ダムに駆け上がってきたトニー・カーティス。
ロバート・ミッチャムが蹴った、このジョーカー役で
「何としてもオスカーを手に入れたい!」
と熱望していたはずだ。(ミッチャムに言わせれば「《白人と黒人が鎖に繋がれる》なんて有り得ない!」と言う理由で断ったらしいが)
だが、結果はシドニー・ポワチエと同じく、アカデミー賞では主演男優賞のノミネートだけに終わった。
そして、これ以降は全くアカデミー賞やゴールデン・グローブ賞など、名だたる賞には、生涯、縁がなかったトニー・カーティス。(シドニー・ポワチエは後年、『野のユリ』で、黒人初のアカデミー賞主演男優賞に輝いている)
これまで、このblogでも何本か、トニー・カーティスの出演する映画を観ていて、それらを取りあげている自分は、その理由が段々と分かってきたような気がする。
決して、彼の演技が下手くそだからとは思わない。
むしろ、演技は上手い方だと思う。
ただ、それらはトニー・カーティスと対峙する《素晴らしい受け手》に恵まれるか、どうかでガラリと変わるのだ!
彼の代表作をズラズラ~と挙げてみても、それは見るも明らか。
バート・ランカスターと組んだ『空中ぶらんこ』。(他にもランカスターとは何本かあるらしい)
ケーリー・グラントと組んだ『ペティコート作戦』。
ジャック・レモンと組んだ『お熱いのがお好き』などなど……
もちろん、一枚看板で主役を演じた作品にも良いモノはあるだろうが、これらの個性豊かな俳優たちとタッグを組んだ時こそ、彼の本領は、存分に発揮されるのである。
『空中ぶらんこ』では、バート・ランカスターのアクロバットに懸命についていこうとするし。(これについていけるのも並大抵の事じゃない)
『ペティコート作戦』ではケーリー・グラントがとぼけた表情をすれば、それに呼応するかのような、おどけた演技をする。
『お熱いのがお好き』では、ジャック・レモンが振りきった女装演技で大笑いさせれば、それにジト目で軽いツッコミを入れたりもする。
彼は個性的な俳優と組みさえすれば、それに牽引されて、自分の中に隠れている資質を、上手く引き出せる事ができるのだ。
根が素直で従順な性格なんだろうか………ある意味、特異な性質。
しかも、これが、相手が女優だと、あまり上手くいかないのだから、つくづく変わっている。
自分自身の、こんな性質をトニー・カーティスは分かっていただろうか?
分からなかっただろうなぁ~。
だが、何人かの映画スタッフたちは気がついていたかも。
その証拠が、これらの作品たちなんじゃないだろうか。
この『手錠のままの脱獄』にしても、シリアスで重厚な、シドニー・ポワチエの演技に牽引されている様子は、素人ながらも分かってしまう。
それが決して悪いとは思わないし、逆に良い効果を挙げている事も分かるのだが、《主演男優賞》を取れなかったのも分かるし、《ノミネート》で終わったのも充分に納得してしまうのだ。
彼は良い意味で、最高の《No.2》なのだ。
ただ、彼がダイヤモンドのような輝きを持っていても、暗闇では自分自身で光る事は出来ない。
アクの強い個性派俳優たちの光に晒されてこそ、ダイヤモンドは輝きをみせるのである。
こんな性質を彼が充分に自覚していて、助演に甘んじていれば、とっくにアカデミー賞の助演男優賞くらいは取れていたはずである。
だが、与えられる役割は、主演かW主演。
観る側は良くても、本人にしてみれば、俳優人生を重ねていくほどに、訳の分からない不安さで苦悩したんじゃないだろうか。
自分自身が歳をとっていけば、自分を引き上げてくれるような先輩俳優や同世代の俳優たちは、どんどん、目の前から居なくなっていくのだ。
もう、どうしていいのか分からない。
そんなモノを、自分よりも年下の俳優連中にゆだねるのも、もはや無理。
ベテランと見られるほどのキャリアは、それを容易に許せなくなっていくのだ。(「俺の芝居を上手く引き出してくれよ」なんて甘えられるものですか。)
人知れず、後年は、こんな苦悩に悩まされたんじゃないか………と、自分なんかは想像してしまう。(晩年は容姿の変化とともに、俳優業も徐々に衰退していったしね)
やっぱり主演という地位は格別なのだ。
主演を張れる人は、常人とは違うような《何か》を持っている人。
ただ、そこにいるだけで、常に全身から周りに向けて、放射状に《何か》を放っているような……そんな雰囲気を漂わせているのだ。
そんな特別な人物たちが、トニー・カーティスが関わってきた、
バート・ランカスターだったり、
ケーリー・グラントだったり、
ジャック・レモンだったり、
シドニー・ポワチエだったりするんじゃないのかな。
この映画『手錠のままの脱獄』を観てみて、内容よりも、主演の二人に想いをはせての、自分なりの考察でございました。(本当に、今回、あんまり映画の内容語ってないなぁ~)
読んでくれた人ありがとう。
長々とお粗末さま