2021年4月15日木曜日

映画 「手錠のままの脱獄 《トニー・カーティス編》」

1958年 アメリカ。




トニー・カーティスも、この映画『手錠のままの脱獄』では名演技を見せている。


手錠の鎖に繋がれたままシドニー・ポワチエと川に流されながら泳ぎきるなんて、本当に命がけだ。(片手を鎖に繋がれて、片手しか使えないなんて実際に泳げるモノじゃないって)


けっこうハードな場面を要求するスタンリー・クレイマー監督である。(走っている列車に飛び乗らせようとしたり、俳優も命がけだ)



W主演と銘打っている『手錠のままの脱獄』であるが、当時のスタジオ・サイドは、シドニー・ポワチエよりは、たぶんにトニー・カーティスの方に肩入れしていたと思う。


声にこそ出さなくても、彼が《白人》であるが故だ。



それまで、端正な顔立ちと共演者たちに恵まれる幸運で、瞬く間にスター・ダムに駆け上がってきたトニー・カーティス


ロバート・ミッチャムが蹴った、このジョーカー役で

「何としてもオスカーを手に入れたい!」

と熱望していたはずだ。(ミッチャムに言わせれば「《白人と黒人が鎖に繋がれる》なんて有り得ない!」と言う理由で断ったらしいが)


だが、結果はシドニー・ポワチエと同じく、アカデミー賞では主演男優賞のノミネートだけに終わった。


そして、これ以降は全くアカデミー賞やゴールデン・グローブ賞など、名だたる賞には、生涯、縁がなかったトニー・カーティス。(シドニー・ポワチエは後年、『野のユリ』で、黒人初のアカデミー賞主演男優賞に輝いている)



これまで、このblogでも何本か、トニー・カーティスの出演する映画を観ていて、それらを取りあげている自分は、その理由が段々と分かってきたような気がする。



決して、彼の演技が下手くそだからとは思わない。

むしろ、演技は上手い方だと思う。



ただ、それらはトニー・カーティスと対峙する《素晴らしい受け手》に恵まれるか、どうかでガラリと変わるのだ!



彼の代表作をズラズラ~と挙げてみても、それは見るも明らか。


バート・ランカスターと組んだ『空中ぶらんこ』。(他にもランカスターとは何本かあるらしい)


ケーリー・グラントと組んだ『ペティコート作戦』。


ジャック・レモンと組んだ『お熱いのがお好き』などなど……



もちろん、一枚看板で主役を演じた作品にも良いモノはあるだろうが、これらの個性豊かな俳優たちとタッグを組んだ時こそ、彼の本領は、存分に発揮されるのである。



『空中ぶらんこ』では、バート・ランカスターのアクロバットに懸命についていこうとするし。(これについていけるのも並大抵の事じゃない)


『ペティコート作戦』ではケーリー・グラントがとぼけた表情をすれば、それに呼応するかのような、おどけた演技をする。



『お熱いのがお好き』では、ジャック・レモンが振りきった女装演技で大笑いさせれば、それにジト目で軽いツッコミを入れたりもする。



彼は個性的な俳優と組みさえすれば、それに牽引されて、自分の中に隠れている資質を、上手く引き出せる事ができるのだ。



根が素直で従順な性格なんだろうか………ある意味、特異な性質。


しかも、これが、相手が女優だと、あまり上手くいかないのだから、つくづく変わっている。



自分自身の、こんな性質をトニー・カーティスは分かっていただろうか?


分からなかっただろうなぁ~。


だが、何人かの映画スタッフたちは気がついていたかも。


その証拠が、これらの作品たちなんじゃないだろうか。



この『手錠のままの脱獄』にしても、シリアスで重厚な、シドニー・ポワチエの演技に牽引されている様子は、素人ながらも分かってしまう。



それが決して悪いとは思わないし、逆に良い効果を挙げている事も分かるのだが、《主演男優賞》を取れなかったのも分かるし、《ノミネート》で終わったのも充分に納得してしまうのだ。



彼は良い意味で、最高の《No.2》なのだ。



ただ、彼がダイヤモンドのような輝きを持っていても、暗闇では自分自身で光る事は出来ない。


アクの強い個性派俳優たちの光に晒されてこそ、ダイヤモンドは輝きをみせるのである。



こんな性質を彼が充分に自覚していて、助演に甘んじていれば、とっくにアカデミー賞の助演男優賞くらいは取れていたはずである。



だが、与えられる役割は、主演かW主演。


観る側は良くても、本人にしてみれば、俳優人生を重ねていくほどに、訳の分からない不安さで苦悩したんじゃないだろうか。



自分自身が歳をとっていけば、自分を引き上げてくれるような先輩俳優や同世代の俳優たちは、どんどん、目の前から居なくなっていくのだ。



もう、どうしていいのか分からない。


そんなモノを、自分よりも年下の俳優連中にゆだねるのも、もはや無理。


ベテランと見られるほどのキャリアは、それを容易に許せなくなっていくのだ。(「俺の芝居を上手く引き出してくれよ」なんて甘えられるものですか。)



人知れず、後年は、こんな苦悩に悩まされたんじゃないか………と、自分なんかは想像してしまう。(晩年は容姿の変化とともに、俳優業も徐々に衰退していったしね)



やっぱり主演という地位は格別なのだ。



主演を張れる人は、常人とは違うような《何か》を持っている人。


ただ、そこにいるだけで、常に全身から周りに向けて、放射状に《何か》を放っているような……そんな雰囲気を漂わせているのだ。



そんな特別な人物たちが、トニー・カーティスが関わってきた、


バート・ランカスターだったり、

ケーリー・グラントだったり、

ジャック・レモンだったり、


シドニー・ポワチエだったりするんじゃないのかな。



この映画『手錠のままの脱獄』を観てみて、内容よりも、主演の二人に想いをはせての、自分なりの考察でございました。(本当に、今回、あんまり映画の内容語ってないなぁ~)



読んでくれた人ありがとう。

長々とお粗末さま