2020年5月1日金曜日

よもやま話 「赤狩りの時代」





《『赤狩り』によって選ばれたブラック・リスト『ハリウッドテン』として投獄間近の人々とその家族の抗議》




ちょっとだけマジ~メな話を始めたいと思う。



『十戒』を監督したセシル・B・デミルや、その前後にあった時代背景について、少しだけ掘り下げてマジメに書いてみたいのだ。(興味ある方はお付き合いくださいませ)





戦後のアメリカでは、とんでもない弾圧が、当たり前のように行われていた。



ソ連や中国のような共産主義に傾倒している者を、除外、排除しようとする運動が盛んに行われていたのである。




これが、いわゆる赤狩りと呼ばれるモノである。



とにかく『共産主義』者は、憎むべき者たち。




そんな考えがアメリカ全土を駆けめぐり、共産主義に傾倒していた人物たちが次々と罰せられたり、迫害されたのだ。





そもそも『共産主義』とは、何かという話になってくるのだが、共産主義とは社会主義以上の平等を目指した主義の事で、「人間は皆、平等」を掲げて唱えているのだ。




一見、良い主義にも思えるが、これがトンデモない。




皆が平等であるために、個人の財産も、国が管理し保有する。


つまりは、一生懸命働いて対価を得た人も、怠けて仕事しない人も、皆一緒。


国が個人の財産を取り上げて、「公平になるように!」なんて考えで、全く一緒の扱いにしてしまうのが共産主義なのである。




平等を唱っていても、こんな不平等さを結果的に生んでしまうのが『共産主義』。




資本主義で生活してきた我々、日本人には、まるで考えられない主義である。



我々、日本人は、働いたら働いた分だけの対価を、個人がちゃんと受け取り、税金を納めても、個人として資産をたくわえる事ができる。


「働かない者、食うべからず」は、まさに資本主義の考え方である。




その財産を、ある日、国が「皆が平等である為に、全て国が保有する」と言って、取りあげたらどうだろう?



たまったもんじゃありませんがな。






そして、こんな共産主義の思想など、もちろんアメリカも受け入れられるわけがない。



なんたって《 アメリカン・ドリーム 》の、お国柄ですもん。




ただ、戦後の混乱の中、アメリカ人たちも、ちと冷静さを欠いていたのだ。



身近な隣人が「平等」を唱えれば、「アイツは共産主義だ!」と決めつける。




これは次第にエスカレートしていき、大勢の人たちが、共産主義者探しに、血眼になりはじめたのだ。




中には証拠もないのに、それらしき疑いだけで罰せられたりする始末。(もう法もなにもあったもんじゃないです)




まさにヒステリー状態。



こんなのが、《赤狩り》の始まりなのである。





そして、この『赤狩り』は、次第に、映画界までも脅かしはじめてくる。



それらしき思想が、見栄隠れするような映画を、監督したり、脚本を書いたりする者などがいれば、「共産主義者!」と決めつけて、その者をなじる、責める!、罵倒する!、迫害する!



《赤狩り》の被害にあって、仕事を失った者や逮捕された者、アメリカを去っていった者は、この時期だけで数知れず。



チャップリンが、赤狩りの被害で、アメリカを去り、スイスに移住したのは有名な話である。

《晩年をスイスで家族と過ごすチャップリン(右端)》




そして、こんな《赤狩り》に誰よりも力を入れていたのが、映画監督でもあるセシル・B・デミルなのだ。



撮影中でも、何でも「それらしき人物がいたら、すぐに教えてくれ!」と周囲を巻き込み、ブラック・リストの作成に血眼になっていたのである。(本当にイヤ~な野郎である)

《セシル・B・デミル》




全米監督協会の評議委員だったデミルは、その立場を利用して、映画界の《赤狩り》に一生懸命になっていたのだ。



それに眉をひそめて反目していたのが、当時、会長を勤めていた、私の好きな監督、ジョセフ・L・マンキーウィッツ(『イヴの総て』、『探偵スルース』など)である。

《ジョセフ・L・マンキーウィッツ》





マンキーウィッツは、デミルにとっては目の上のタンコブ。



なんとしても、トップの座から引きずり降ろしたい存在だった。




マンキーウィッツが旅行に行くと、デミルは「この期に!」とばかりに、会長不信任案を提出。


「われこそは映画界の会長にふさわしい!映画界の規律はわれによって守られるモノなのだ!」


なんて、傲慢(ごうまん)で自分勝手な考え。


一気に、マンキーウィッツを会長から引きずり降ろそうと画策し、行動に移したのだった。




そうして、デミル派、マンキーウィッツ派と別れて、緊急総会の日がやってくる。


「どちらが全米監督協会の会長にふさわしいか?」


まさに一騎討ちの対決である。





そんな緊張感流れる会議の中、ひとりの男が立ち上がり、口を開いた。



あの、西部劇の監督で有名なジョン・フォード(『駅馬車』など)である。

《ジョン・フォード監督》




「私の名前はジョン・フォード、ウェスタンを撮っている者です。アメリカの観客全員が、デミルをどれほど深く愛しているかはよく存じている。」と、まずは皮肉に富んだ挨拶。




そして、デミルを凝視しながら、

「だがデミルの発言と今夜の振舞いは気に入らない。私としてはマンキーウィッツに信任の一票を投じたい。そして早く家に帰って眠ろうじゃないか。みんな明日には撮影を控えているんだろう?」と、名指しでデミルを非難したのだった。




普段、寡黙なフォードの、この一言は大きく影響した。




マンキーウィッツの会長留任が採決されて、デミルの提案は、たちまち却下。



結果的に、デミルは協会評議員の地位を追われる立場となったのである。(Wikipedia参照)





カッコいいねぇ~!


流石だねぇ~!、男だねぇ~!




このエピソードだけでも、ジョン・フォード監督に、シビレまくりである。(胸がスーッとする)



こんな男気溢れるフォードの言葉に、反対する者など、いるはずがない。




それに比べて、かたや、小物感アリアリのデミル。



自分だったら、とてもじゃないが恥ずかしくて下を向いたまま、顔を上げられやしない。(哀れデミル)




そうして、その後、数年が経ち、デミルは最後の監督作品として映画『十戒』を撮りあげる。




あの出来事から、デミルも少しは反省したのかしら?



この『十戒』では、ヘブライ人たちを、散々、奴隷扱いにして虐げていたエジプト人がいるのだが………そんな様子を監督しながら、何を考えていたのだろうか…。




かつて、《赤狩り》で、自分が追いつめていた人達への贖罪の気持ちが、少しでも浮かんできただろうか?



傲慢(傲慢)な暴君である『ラメス二世』(ユル・ブリンナー)を自分自身に重ねたりしたのかな?(深読みしすぎか?)





もはや、知るすべもないのだが………。



でも、こんなデミルは嫌いでも、作品に罪はない。




罪を憎んで、作品を憎まず。



『十戒』は、こうして何十年経った今も、主演のチャールトン・ヘストンと共に、燦々と輝いているのである。

長々、お粗末さま!これにて!