2019年6月28日金曜日

映画 「007 私を愛したスパイ」

1977年 イギリス。






前作の『黄金銃を持つ男』の不振に、アメリカの映画配給会社で大株主のUA(ユナイテッド・アーテスツ)は、

「ロジャー・ムーアをすぐに降ろせ!」

と要求してきた。




プロデューサー、ブロッコリは頭を抱えた。



問題はそれだけじゃない。

それまで、一緒に共同プロデューサーとしてやってきたサルツマンが、勝手に持ち株をUAに売って、離脱してしまったのだ。


今や、巨大な株主となったUAの力は絶大だ。

必死に説得し、交渉を続けたブロッコリ。



次は「もう、失敗はできない!」とギリギリのところまで追いつめられていたのだ。



脚本を練りに練って、配役や演出、美術、アクションなどなど……細かいところまで徹底的に気を配った。



それに費やした期間3年……。




そうして、やっと完成した『私を愛したスパイ』なのである。(当然、小説とは全く違う内容となっております、ハイ!)






消えたイギリスとソ連の原子力潜水艦の行方を追うため、それぞれの国のスパイ、『007=ジェームス・ボンド』と『トリプルX=女スパイ、アマソワ少佐』が派遣された。



はじめは、一歩も譲らず、お互いに出し抜こうと競い会う二人。


だが、今回に限り、イギリスとソ連は、ともに協力しましょうって事になる。


(まぁ、国の命令とあれば従うしかないか~)


ボンドとアマソワは共同戦線をはりながら、共通の敵ストロンバーグに向かっていく事になる。


敵の襲撃に次々と遭う二人。


そんな中、徐々に、二人は惹かれあっていく。


だが、しばらくすると、アマソワの恋人だったスパイを殺したのが、ボンドだったという事実を知ってしまった。


怨みと任務、そして意識しはじめたジェームスへの想いで、葛藤するアマソワ。


「だが、取りあえずは任務が先だ!」

プロのスパイとしての意地がアマソワをつき動かした。


そして、

「この任務が終わったら、貴方を殺すわ……」

ジェームス・ボンドに、真っ向から宣戦布告するアマソワなのだった……。





って、こんな感じで進んでいく映画のストーリー。(でも、常に復讐心でメラメラって感じにはならないので、どうぞご安心を)




この映画は大ヒットした!




大ヒットして、前回の2倍以上の興業収入をたたき出して、あれだけうるさかったUAの口を黙らせたのだ。(やったぜ!)




ロジャー・ムーアのボンドも、敵だろうと密告者だろうと、あくまでも女性には優しくエスコート。


隙あらば一線までも、交えてしまう女好きのボンド。


そして戦いや逃走中でも、敵には会釈すらして、笑みを浮かべる余裕のボンド。



この映画で、決定的にロジャー・ムーアの演じるボンドの方向性が決まった気がするのである。




他の出演者たちも超魅力的だ。


順を追って紹介していきたいと思う。






●トリプルX=アマソワ少佐……バーバラ・バック。



全身からお色気が、溢れかえっているような女優。

大きな瞳と厚い唇、それに抜群のスタイル。


こんなに、全身から色気を発散させている人も珍しい。




この人が笑うと、尚更、イヤらしさが全開!

(カモ~ン、いらっしゃい坊や……)なんて幻聴まで聞こえてくるようだ。(自分だけか?)


セクシー女優も真っ青、すすんで白旗をあげるだろう。



エレガントなドレスや潜入服。


シャワーシーンなどなど…。

とにかくサービス満点。



この人が、元ビートルズのリンゴ・スターの奥さまになろうとは、この時は誰も予想だにしなかった。





●ストロンバーグ……クルト・ユルゲンス。


『眼には眼を』で紹介したユルゲンスが、ここでは、巨大な海底要塞を操る、冷酷なストロンバーグを演じている。


『眼には眼を』でも老けているなぁ~と感じたが、ここでは更に白髪化し、前頭部も、かなり後退した姿に。



ただ、揉み上げだけは、最後の意地とばかりに伸ばしている。(勝新太郎のように)


要塞のあちこちに仕掛けたボタンを押して、表情も変えずに地獄へと誘う姿は、圧巻である。






●ジョーズ……リチャード・キール。



そして、そして、この『ジョーズ』である!!




この映画での一番のインパクトは、この『ジョーズ』に他ならない!




こんな人物を、どうやって探しだしたんだろう?



2m18cmの超巨大な生物。(『生物』って表現が一番かも)


この巨体に、何でも噛み砕く鋭利な《鋼鉄の義歯》を装備していて、化け物なみの腕力と不死身の生命力で、ジェームス・ボンドに襲いかかる。




セリフは一切なし。(それが、また不気味さを増す)



でも雇い主のストロンバーグには、とっても従順。

従順すぎるジョーズは、何度でもボンドとアマソワを狙ってくる。



ボンドとアマソワが逃走するため、車に乗り込むと、追いついたジョーズは、あっという間に車を止めて車の天井を突き破ってニッコリ。(ゲゲェー!)


そして紙でも裂くように、車の外装をベリベリ剥いでいく。


車をバックさせて、ジョーズごと壁に激突させて、何とか逃げ去る二人。




でも『ジョーズ』は死なない。ピンピンしている。

(Oh!ジョーズよ!)




今度は、列車の旅をしているアマソワとボンドを襲う。


ボンドを、軽々、片手で持ち上げて、列車の天井に押し付けるジョーズ。(ジョーズに不可能はない)

ボンドの首にまわした手は、まるでボンドの顔すら包めるくらいの大きさなのだ。


何とか近くの電気スタンドを、ジョーズの口に突っ込み、ビリビリさせて、難を逃れたボンド。


ボンドの蹴りで、列車の窓から投げ出され、線路脇から転がり落ちるジョーズ。




でも『ジョーズ』は死なない。埃を払ってピンピンしている。

(Oh!No!ジョーズよ!)





こんなのが、何度か繰り返され、最後、海底要塞の沈没と共にジョーズも死んだかにみえた。



でも海面に浮上してきた『ジョーズ』は、またもや生きている。

ピンピンしている。



あ、『ジョーズ』が泳ぎだしたぞ!

『ジョーズ』よ、君はどこへ向かうのだ?!



あ~そうか、次の映画、『ムーンレイカー』に旅立つのですね。



サヨナラ、『ジョーズ』よ、また会う日まで、サヨ~ナラ~!




だいぶ、おふざけが過ぎたかな?


映画はもちろん、星☆☆☆☆☆です。


※読んでみると、『ジョーズ』に割く内容の大きい事。ボンドの潜水カーも魅力なのに、やはり自分の中では、『ジョーズ』なのだ。許してくだされ。

2019年6月27日木曜日

映画 「007 黄金銃を持つ男」

1974年 イギリス。






『死ぬのは奴らだ』が1973年に、公開されて、もう翌年には、このロジャー・ムーアとしては2作目『黄金銃を持つ男』が、すぐさま公開された。


映画会社の戦略もあったのだろうか…… 一刻も早く、なんとしても、ボンド=ロジャー・ムーアのイメージを世間に植えつけたかったのだろう。






ところで、この『黄金銃を持つ男』は、原作者イアン・フレミングにとっては最後の作品。


007ものとしては、最終作なのである。


小説の007シリーズは、そもそも公開された映画の順番とは、まったく違い、読んでみると、その内容の違いには、驚かされるはずだ。




小説は『カジノ・ロワイヤル』から始まっている。


そして、
『死ぬのは奴らだ』と続き、………最終作前が『007は2度死ぬ』ときて、『黄金銃を持つ男』で終わる。


原作では、『007は2度死ぬ』では、ラスト、ボンドは生死不明で終わり、最終作『黄金銃を持つ男』で、ソ連に洗脳されて再び現れる。

そして、逆に、敵としてMの命を狙い、襲いかかってくるのである。



もちろん、映画では、そんな事はないのだが、もしも可能なら、原作のままを順番だてて映像化されたものも観てみたい気がする。




さて、このロジャー・ムーアの2作目だが、それなりに面白いのだが、少しばかり気に入らないところもある。



それはボンドガールの取り扱い方だ。



この映画では、二人のボンドガールが出てくる。



敵スカラマンガの愛人『アンドレア』役のモード・アダムスと、MI6のエージェントで『グッドナイト』役のブリット・エクランドだ。



この映画では、ショーン・コネリーのように非情さ回帰を狙ったのかもしれない。



だが、敵の愛人とはいえ、白状させるために美人のモード・アダムスの腕をねじあげたりするロジャー・ムーアを観てると、あまりにも非力の女性に対して残酷そうな行為をしているように思えてしまった。



ましてや、モード・アダムスの役自体が、そこまでされるほどの悪女には思えなかったからである。



そして、哀れ、映画の中盤で、アンドレア役のモード・アダムスは、口封じの為に、座席に座ったまま毒針で殺されてしまう。(ほんとうに可哀想)



多分、当時、観ている観客たちの誰もが、自分と同じイヤ〜な気持ちになったのではないだろうか。






美人のモード・アダムスには、世間の同情が集まった。


そうして異例の処置として、再び『オクトパシー』で《ボンドガール》を務める事となる。(後にも先にも、こんなのはこの人だけである)




ロジャーにも、当然世間の非難が集まったのだろう。


これ以降、ボンドが女性に手をあげる事はなくなる。(監督や演出もあるだろうが、フェミニストのロジャー・ムーアも演じていて、本心は嫌だったろうと思う)


こうして、映画の中盤で、美人のアンドレアが殺された。






でも、この映画には、もうひとりのボンドガール、『グッドナイト』がいるのだが ……





この『グッドナイト』が全くの使えない無能ぶり(おバカさん?)。




次から次に、ボンドの足を引っ張る、引っ張る。


ドジを通り越して、本当にイライラさせられた。


これでMI6のエージェントなのだから、MI6も、(どんだけぇ~!)人材不足なんだ。



案の定、世間には無視されて名前すら覚えられず、今では、ボンドガールとしては黒歴史扱いの『グッドナイト』なのである。(原作では有能な片腕ともいうべき秘書なのにね)





これらが原因なのか、映画は興業収入で前作を大きく下回ってしまった。(あ~あ、やっちまったなぁ~、それでも4位だけど。)




折角、この映画、敵役が良いのに。



黄金銃を持つ『スカラマンガ』(名優クリストファー・リー)は、渋くてカッコイイです。(乳首が多くある設定いる?)



宿敵ボンドとの対決は、まるで西部劇の決闘のようで見応えあり!である。




そんなスカラマンガの側で、加勢なのか、邪魔してるのか?分からない小人の召使い『ニック・ナック』(エルヴェ・ヴィルシェーズ)も、なかなか良い味出してるのにね。(ちょこまかと)






ゆえに、ところどころ残念な結果を残した『黄金銃を持つ男』なのでありました。

星☆☆。

2019年6月26日水曜日

映画 「007 死ぬのは奴らだ」

1973年 イギリス。






困った……。


ロジャー・ムーアの007の事を書こうかと考えていたのだが、いったいどれを選べばよいのか……。





ロジャー・ムーアは全7作で007を演じている。(現在でも最多)


なぜか、ロジャー・ムーアの007には、自分のお気に入りの作品が多いのである。



世代的に、ほとんどタイムリーに観ていたせいもあるだろうが、007といえば、自分の中では、『ロジャー・ムーア』なのだ。(異論のある人は多いだろうな~、大方がショーン・コネリーだったり、若い人ならダニエル・クレイグだろうから……)





原作者のイアン・フレミングも最初からロジャー・ムーアの007を熱望していたらしい。


だが、それは叶わず、結局ショーン・コネリーが演じる事になってしまいヒットしてしまう。



当時、ロジャーが演じていた、テレビシリーズ『セイント天国野郎』や『ダンディー2華麗なる冒険』の兼ね合いもあったらしいが。



ショーン・コネリーの『ダイヤモンドは永遠に』が終わると、数年越しのオファーを受けて、ようやく念願のボンド役がまわってきたのだった。




そして第1作『死ぬのは奴らだ』は順調な滑り出しで成功する。





ポール・マッカートニー&ウイングスの主題歌は、今、聴いても斬新だし名曲!




ボンドガールの女占い師役、ジェーン・シーモアも超美しい。(まるで妖精のような艶のある髪、ヒラヒラとした長い白のロングドレス姿は、悪党に囚われたお姫様である)



それに、ロジャー・ムーア、やはり画面映えするほど、格好いいのだ。




青い瞳と金髪のジェームス・ボンド。


熊のように毛むくじゃらなショーン・コネリーとは、真逆の色男である(笑)。



そして、何と、ロジャー・ムーアの方がショーン・コネリーより実年齢が年上なのである。(どうみても、当時、鬘のショーン・コネリーの方がオッサンに見える)



人を喰ったようなイギリス人らしいユーモアや上品さは、ロジャー・ムーアが生まれもったものなのだろう。


非情さを売り物にしてきたショーン・コネリーのボンドとは違い、アクションやセリフを言っていても、どことなく余裕が伺える。




どんなに苦境にあっても、戦いはスマートに。


本人は「アクションは苦手だ」と公言していて大勢のスタントマンの力を借りたかもしれないが、このスタイル、私は好きだなぁ~。




悪党ドクター・カナンガの下で、タロットカードを使い、未来を予知する『ソリテア』(ジェーン・シーモア)は、占い中、たまたま恋人のカードを引いてしまい動揺する。



「自分が誰かと恋に堕ちてしまう……」


そして、それは、ソリテアの『力』の消滅を意味する。



でも、それをカナンガに知られてはいけない。


「どうしたんだ?」不審顔のカナンガが訊ねる。


「なんでもありませんわ」

知られれば、自分は抹殺されてしまう。






そんなソリテアの部屋に、夜半こっそり現れた『ジェームス・ボンド』(ロジャー・ムーア)。



ボンドがソリテアのカードを引くと、またもや現れ出る『恋人』のカード。




「二人が恋に堕ちる……これは逃れられない運命…」


ソリテアを抱き寄せて、そっと口づけすると、後ろにまわしたボンドの手からは、パラパラと大量の同じ『恋人』のカードが落とされたのだった……





ん~さすが、ジゴロ顔負けボンドの落としテクニック。


憎いねぇ~こんちくしょう!





やっぱり、どれかひとつとは選べそうにない。



ロジャー・ムーアの007に限り、順を追って、のんびりと書いていくことにしようか……。


第1作目「死ぬのは奴らだ」星☆☆☆☆。

2019年6月25日火曜日

アニメ 「海底超特急マリンエクスプレス」

1979年8月。 (24時間テレビより〜)









1978年、 24時間テレビでは2時間の枠をとって特別にアニメがスタートする事になった。


その2時間枠を、「誰の作品にしようか〜?」読売テレビは悩みに悩んだ。




だが、やっぱり、ここは最初ということで『漫画の神様、手塚治虫』じゃないか?と誰かの声があがった。


「よし!いいじゃないか!それでいこう!」




だが、ここからが、壮絶な地獄の始まりである事を、この時、誰も想像していなかったのである ………(まるで恐怖の物語の幕開けだ)




手塚治虫のテンションは、上がりにあがった!


虫プロが、莫大な赤字を抱えて倒産してからは、アニメの世界からは、長い間離れていたからだ。


その間は、ひたすら借金を返すために漫画を書く日々。



「あ~アニメが作りたい!」と思っていた手塚治虫にとっては渡りに舟の話だったのだ。




普通なら、原作やストーリーなどの大まかな骨格、キャラクター・デザインくらいは原作者でも手を出したがるが、何でもかんでも自分で徹底的にやりたがるのが手塚治虫。



脚本はもとより、自分で絵コンテまでをきりだした。(絵コンテとは、1つの枠の中で、人物や背景、構図、動き、セリフなどを表す絵で、2時間ものなら、それは何百、何千の数になるのだ)



それを全て手塚治虫が一人でやる。



他にも漫画の連載をいくつも抱えているのにだ。



絵コンテが出来ないと、セル画(透明なものに線画して、裏から彩色した絵。これが2時間ものなら何万枚もの数になる)が作れない。



そして、それに合わせた背景の絵も作れない。(これも膨大な数になる)



そして、そして、それらが出来ないと、フィルム撮影が出来ない。(昔は、セル画と背景を重ねて、1枚1枚撮影していた。これも膨大な数と時間がかかる作業)



そして、最後に、アフレコ(作られたフィルムに声をあてる)や効果音も入れられないのだ。




大概、昔のアニメは、この順番で制作されていた、と思う。






こだわりの手塚治虫は、漫画連載をしながら、絵コンテを書いては、納得がいかないと書き直したり、はじめからやり直したりしてグズグズしていた。(それを楽しんでいる風でもある)



そのうちに納期が迫ってくる。


焦るアニメーターやスタッフたち。



ぎりぎりまで絵コンテを書いている手塚治虫のために、アニメーターやスタッフたちは、殺人的なスケジュールとなっていったのだった。



家にも帰れなければ、寝る間もない。

次々、失神して倒れるスタッフたち。



でも手塚治虫は倒れない!

自身も何日も寝ていないのにだ。




そんな殺人的なスケジュールの中で、やっと24時間テレビのアニメ第1作『バンダーブック』は完成した。



視聴率は20%を越えて、読売テレビのお偉方は大成功にホクホク顔。



「よし!来年もこれでいこうじゃないか!」

読売テレビの上層部は、簡単に決定した。




「冗談じゃない!あんな目に合うのは、2度とごめんだ!」

スタッフたちは、一目散に逃げ出したのだった。





だが、またもやアニメーターやスタッフたちが集められてくる。




そうして、翌年、この第2作目、『海底超特急マリンエクスプレス』が作られる事になったのだった。



そして、それは更なる地獄の幕開けとなる。






例によって絵コンテを書いている手塚治虫。

そうして、締め切りなんて何のその。ギリギリまで、まだ絵コンテを書いて粘る手塚治虫。




ついに、当日、放映が始まった。



それでも絵コンテを書いている手塚治虫???(放送が始まっていて、まだ、絵コンテを書いているって事は、まだ、その分のセル画も撮影もアフレコも終わっていないって事である。ヒェーッ!)


フィルムは、1巻~10巻まであるのだが(1巻が10分くらい)、その10巻の分の絵コンテを放映が始まっているのに、まだ書いているのだ。(もう、どういう事?考えられない!)



追いつめられたスタッフたち。


「もう、こうなったら自分たちで何とかするしかない!」

スタッフたちは、勝手に動き始めたのだった。




脚本だけを読んで、

「たぶん背景はこんな感じだろう!」

「出来上がってくる人物はこんな感じだろう!」と、描きはじめたのだ。



1枚1枚、手塚治虫が絵コンテを渡す。

「当たってた!」

「ハズレた!書き直しだ!」

「早く撮影に持っていってくれ!」



現場では、罵声や怒声が飛び交い絶叫。

あちこち走り回り、てんてこ舞いの大騒ぎ!



現場は、まさに地獄絵図と化した。



こんな殺人的なスケジュールをこなし『海底超特急マリンエクスプレス』は、なんとか放映を終えたのだった。





こんな制作背景があったことを、自分は、数十年たってから知ったのだが ……… 驚き、戦慄した。



信じられない!



よくも、まぁ、無事に放送されたものだ。



考えられない。(もしも放送事故になっていたら、ただじゃすまなかったはずだ)



でも、この地獄のアニメシリーズは、その後も何年か続いていったのである。(スタッフの方々、本当にご苦労様でした)




それにつけても、恐ろしいのは、この状況下でも平然としている手塚治虫よ。


やっぱり天才だったのかな。




漫画『エースをねらえ!』で、岡ひろみにお蝶夫人が語りかける場面のセリフが、ついつい思い出されてしまう。




「天才とは《無心》なのです!」と。



そして、お蝶夫人はこうも自虐的に言う。

「わたくしはダメでした …… 」とも。




外野の声も聞こえない、邪念にも振り回されない、何も迷わない ……


ただ《無心》になって死ぬ間際まで描き続けた手塚治虫は、やっぱり真の天才だったのかもね。(それに振り回される周囲は、たまったもんじゃないけど)





たま~に、この手塚治虫のキャラクターが、オールスターで登場する『マリンエクスプレス』も、ときどき観たくなる私なのである。



星☆☆☆☆




※広瀬すずの朝ドラを、当時のアニメーターたちは、どういう思いで見ているのだろうか……



「あんなのは大ウソよ!」

「あんなオシャレしたり、家に帰る暇なんかあるもんか!」


そんなブーイングが、自分には聞こえてきそうである。