2020年12月9日水曜日

映画 「赤い影」

1973年 イギリス、イタリア合作。




イギリス郊外の深い森に囲まれた一軒家。


昨日の降り続けた雨が、庭の芝をまだ濡らしている。



雨上がりの庭では、幼い娘の『クリスティン』が真っ赤なレインコートを着て、庭を散策中。


それより少し歳上のお兄ちゃん『ジョニー』は、自転車を乗り回している。



家の中では、父親の『ジョン・バクスター』(ドナルド・サザーランド)が、机に向かい、何枚もの教会のネガプリントに目をとおす作業。

教会修復の仕事が近づいているのだ。


妻の『ローラ』(ジュリー・クリスティ)も、そんなジョンのそばで、ゆっくりとくつろいでいた。


そんな時、突然、ジョンに何やら、不思議な悪寒のようなものがはしった。



言い知れぬ感覚に、ジョンはいきなり家を飛び出すと一目散に走り出していた。(妻のローラは「何事?」とビックリ)


そして、庭のそばの沼に、そのまま飛び込んだジョン。


沼の中から引き上げられたのは、娘のクリスティンだった。


すでに息をしていない、沼に落ちて溺れたのだ。


死んだ娘を抱えながらジョンは絶叫、そして嗚咽した。



―  それから半年後。


傷心のジョンとローラの夫婦は、教会修復の為に、イタリアは水の都、ベニスを訪れていた。(息子はロンドンの学校に預けて)


昔ながらの荘厳な建物が並ぶベニスの街並み。


水に沈んだベニスでは、どこに行き来するにも舟かモーターボートを利用する。


夫婦は舟を降り、石階段を上がると、暖をとるために近くのレストランに入っていった。


「寒いな……」ジョンが、そう言い隙間の開いた窓を閉めると、反動で玄関が開き、後ろに座っている老姉妹の一人の目にゴミが入ったようだった。


「痛い!」


老姉妹は立ち上がると、ヨタヨタともう一人が手をひいて、トイレの化粧室へと向かった。

手をひいている方は、あきらかに盲目らしいのだ。


「お手伝いしますわ」見かねたローラは、立ち上がり、二人を先導していった。


トイレで目のゴミをとってやると、老姉妹の姉ウェンディは「ありがとう」と言った。



だが、そばにいる盲目の妹ヘザーはローラの方を向きながら、不可思議な表情を浮かべている。


そして、突然、こう言い出したのだ。


「……そばにいるわよ、あなたと旦那さんのそばに。今でも娘さんがいるわ………」


「えっ?何ですって?!」


驚くローラに、姉のウェンディが代わりに答えた。


「ごめんなさい、妹は霊感があるのよ」


「女の子が笑っているわ、『もう悲しまなくていいのよ』って、あなたに向かって言っているわ」


ヘザーの言葉に、ローラは蒼白になった。


(もしかして……死んだクリスティンが、私のそばにいるの?!)



「馬鹿馬鹿しい!」

トイレから戻って、夫のジョンにこの話をすると、案の定、ジョンは冷笑。馬鹿にして取り合う気もないらしい。



(でも……)


ジョンが教会の修復作業をしている間、ローラは、暇をみつけては老姉妹に会いに行った。


どんどん心酔していくローラ。


そして、霊感の強い妹ヘザーは、念押しのように、続けてこう言うのだ。


「今、このベニスでは不気味な事件が起きている。早く、このベニスから立ち去りなさい!!危険が迫っているわ。あなたより旦那さんが危ないのよ。霊感の強い旦那さんの方が………危険が及ばぬうちに早く!!」



そんな夫妻に追い打ちをかけるように、ロンドンから電話が。


「息子さんが、避難訓練中、消火器が頭に当たって怪我をしました」電話は息子ジョニーを預かっている学校の校長からだった。


次の日、ローラは慌てて一番の便でロンドンへと戻っていった。




だが、ジョンは、ロンドンへ戻ったはずのローラの姿を町中で目撃する。


船に乗っているローラの姿、………あの老姉妹と一緒じゃないか!!


(あの胡散臭い老姉妹に騙されて、きっと、ローラは連れ去られたのだ!)


ジョンは早速、警察署に行って捜索願いを出した。


そして、自身も無我夢中で、ローラを探してまわる。



どこにつながっているのか分からないような石階段や橋にかこまれたベニスは、まるで迷路のように複雑怪奇だ。



ジョンが必死に探してまわりながらも、あちらこちらでは、水辺から警察によって舟に引き揚げられる遺体の姿が見える。


誰が、どんな目的で殺してまわるのか?


町中では不気味な連続殺人事件が横行しているのだった………。



たまたま、この映画を観たタイミングがよかったのか。


素直に面白いと思ってしまった。

でも、本当に若い時に観なくてよかったかも。


この映画を観るには、この意味の分からなさを許せるだけの感性が必要なのかもしれない。


原題も゛Don't Look Now゛(今は見るな!)だしね。



とにかく、監督のニコラス・ローグが行う演出方法が独特なので、理路整然とした物語に慣れ親しんでる人には、やや取っつきにくいかもしれない。



ドナルド・サザーランドやジュリー・クリスティのSEX場面なんかも、まさにそんな感じ。



この二人、映画の中で、5分の長い間ベッドシーンを繰り広げているのだが、二人で悶えまくりのカットがあるかと思えば、事が済んで身支度をする二人の場面を交互に差し込んでくるという、なぜか?凝った演出方法をとっている。



そのまま素直に撮ればいいのに、「何じゃこりゃ?」のイライラするカット割りで、観ているこっちは熱量も冷めてしまうという、まれなSEXシーンに仕上がっているのである。



雰囲気をあくまでも重視したいのか……それとも映画の技巧を色々試したいのか?(やれやれ)


それにばかり夢中になっているニコラス・ローグ監督なのである。


その為か、この映画でも説明できないような言葉足らずの場面に出くわす事が数多い。(ゆえに映画の冒頭を、少しでも分かりやすいように長々と書いてみたのだが)


それでも、この映画では、暗く不気味な雰囲気のベニスの街並みに、この意味の分からなさもマッチしていて、ホラーサスペンスとしては、なんとか着地している気がする。



でも、ジャンルがホラーだからこそ!である。


ホラーに意味なんて誰も求めてないのだから。(怖がらせたモノ勝ち)




※《注意》ここから、多少ネタバレになるので知りたくない方は、ここでおやめください。





簡単に言うなら、これは《自分が霊能力者として自覚していない男の悲劇》なのだ。


主人公ジョンは、間違いなく霊感や不思議な能力を持っている男である。


冒頭でも書いたように、娘の死をすぐさま察知したりするのは、まさしくそうなのだ。



そして、そんなジョンが迷宮のようなベニスをさ迷ううちに、見かける赤いレインコートの後ろ姿。


追いかけて……追いかけて(本当に死んだ娘のクリスティンなのか?)と思った矢先、振り向いたのは……





ドドォーン!!


醜悪な化け物の殺人者!!(本当にいきなりである。誰なんだ?お前は!(笑) )



いきなり斬りつけられるジョン。



何度も、何度も斬りつけられながら死に際には、まるで綺麗な万華鏡のような景色が目の前に広がる。



(あ~そうか……あの時、見たと思ったローラと老姉妹が舟に乗っていた光景は、自分の葬式だったのか……自分の棺を舟に乗せて佇むローラと、それを慰める老姉妹だったのだ!)


自分の死の光景を、先もって見たんだと自覚してジョンを死んでいくのだった。





この、最後に突然現れる化け物のビジュアルは、夢に出てきそうなくらい醜悪で破壊的である。


このインパクトだけで、それまでの、この映画の言葉足らずな部分や、変な凝った演出方法の不満も、全て吹き飛んでしまうほどだ。

それでも………



なんで死んだクリスティンと同じ、赤いレインコートを着てるのか?(殺人鬼でしょ?逆に目立つのに)


なんでジョンが突然殺されるのか?



はてさて、そもそも、お前はいったい《何者》なのだ?!(笑)




一切説明なし。



でも、ホラーだから怖がらせたモノ勝ち。

ホラーに意味なんて必要ないのだ。



これで強引に最後まで推しきった映画……あなたは許せますか?


私は少しだけ許せる度量をみせて、星☆☆☆とさせていただきます。


許せないなら、゛Don't Look Now゛(今は見るな!)ですよ (笑) 。


2020年12月6日日曜日

映画 「帰らざる河 」

1954年 アメリカ。



ゴールドラッシュに賑わう西部開拓時代。


人々は、金鉱を求めてひと財産儲けようと目の色を変えている時……、一人の男が山奥に農場を買い、自分で家を建てていた。



男の名は『マット・コールダー』(ロバート・ミッチャム)。


親友を救うために悪党を射殺してしまったマットは、長年服役していて出所すると、こうして自分の力で、やっと生活の基盤を立て直したのだ。(さすがミッチャム。《バッド・ボーイ》ここにあり!である)


だが、その間に妻は亡くなり、産まれた息子も行方不明。


北西部の町にいる情報をつかんだマットは、息子マークを探して、やっと見つけ出した。


「あなたがお父さん……?」9歳のマークは初めてみる父親の姿に半信半疑。


「ああ、そうだ」マットは母親の写真をポケットから取り出して見せた。


マークも信用してニッコリ(この子役の子、本当可愛い)


「ちょっと待ってて!ぼくお別れを言ってくるよ」


さびれた酒場の歌手ケイに、何かと世話してもらっていたマーク少年は、ケイの楽屋に行くと事情を話した。(本当に良い子。グレもしないで (笑) )


一緒についてきたマットもお礼を言う。

「息子が世話になったな」と。


そんな『ケイ』(マリリン・モンロー)はマットをジロッ!と睨み付けると、「酷い男ね!長い間、息子をほったらかしなんて」と、だけ呟いた。


なんにせよ、息子を無事取り戻したマットは、山奥にある川のそばの山小屋で、新生活を始め出した。


しばらくは日々を楽しむ親子だったが、それから数日後……

急流に押されて、川上の方から大きな筏(いかだ)が流されてきた。


「見てよ!パパ!!誰か乗っていて叫んでるよ!!」


マークの言葉に、マットは直ぐ様ロープを取り出すと、筏に向けて、それを放り投げた。

ロープは筏に届き、相手も上手く結びつけたようだ。


懸命に引っ張るマット……近づいてくる筏には、何と!あの酒場の歌手ケイが男と乗っている。



「助かったぜ!」男……『ハリー』(ロリー・カルホーン)が礼を言った。


「無茶だ、あんな筏で川下りなんて!いったいどこへ行こうっていうんだ?」


マットの問いかけに、ハリーはペラペラと喋り出した。

ギャンブルで大儲けした金を持って、カウンシル・シティーまで行って、金鉱の登記をすると言う。


「金鉱の権利は手に入れたんだ。でもすぐに行かないと登記に間に合わないんだ!」


(金鉱で大儲け……こいつも皆と同じか……)


見るからにゴロツキのハリー、この一緒にいる女はさしずめ、その情婦ってところだろう。


息子のマークは、久しぶりに会えたケイとの再会に喜んでいるが、マットはこの二人を助けた事を、すぐに後悔した。

そして案の定、ハリーはマットの隙を狙って頭を殴り気絶させると、山小屋の銃と馬を奪ったのだ。


「酷いわ!助けてもらったのに!」ケイの訴えにもハリーは知らん顔…悪びれた風でもない。

でも、こんな男をケイは心底愛しているのだ……でも……


「カウンシル・シティーには一人で行ってちょうだい。その方が早く着くわ。それに怪我人を放っておけないわよ」


ケイの提案に、ハリーは「それもそうだな」とあっさり納得すると、馬にまたがりスタコラ行ってしまった。



しばらくして目を覚ましたマット。

目の前には心配そうに見つめるケイとマークの姿がある……でも、(あの野郎~)とマットは怒りに燃えている。


そんなのも束の間、川の向こうの断崖には、何人ものインディアンたちが馬に乗っていて、こちらに向けて駆けてくるではないか!


銃が盗られて、無防備の山小屋に気づいて、すぐに攻撃してきたのだ。(もう、どんな危険な場所に山小屋を建てたの?マットも (笑) )



マットは、流されてきた筏にケイとマークを乗せると、わずかな手荷物をのせて、すぐに筏を出発させた。


数秒後には、インディアンの団体が来て、焼き払われる山小屋の火の手が見える。


それを川に流される筏の上から見るマークは、とても悲しそう。


「大丈夫だ!また建ててやるから」と慰めるマットだが、(それもこれもアイツが……)とハリーへの怒りが、またもや込み上げてくる。


その顔をケイは横目で見ながらも不安そうな表情だ。



3人を乗せた筏は、川を下りながら『カウンシル・シティー』を目指す……インディアンの襲撃をかわしながら、獣に襲われながら、危険な旅が、今、はじまったのだった………。



ロバート・ミッチャムマリリン・モンローの危険な川下りアドベンチャー映画である。



よもや、こんな映画だったとは……観た後で思う、「先入観って恐ろしい……」と。


マリリンがお色気たっぷりで、いつものように歌ったり、軽い恋愛をするメロドラマ映画と、はなから決めつけていた自分は、頭を「ガーン!」とハンマーで殴られた気分だ。(何事も決めつけはよくないですね)



もちろん、マリリン・モンローが出るゆえ、歌うシーンは何曲か与えられている。(一応お約束なんで)


オットー・プレミンジャー監督は、それをお義理のようにしてさっさと済ませる。


映画の冒頭と最後に、マリリンには何曲か歌わせると、「これで務めは果たしたぞ!」と言わんばかりである。



そして、肝心の、激流の川下りシーンなのだが、筏と川の合成がちょっとお粗末。(DVDは現在の技術で修復されているのだが、それが尚更、合成を丸わかりにする結果になっている。)


まぁ、時代が時代なんだし、しょうがないかといえばしょうがないんだけどね。



それにしても、やっぱりここでも、さすがマリリン・モンローである。



川下りでいくら水を被っても、どんなに汚れるような旅を続けていても、全くメイクが崩れない (笑) 。


弓なり眉毛もアイラインも、付けまつげも、赤いルージュも、チークも、そのまんま。


「多少汚れてきたかな?メイクも崩れたかな?」と期待していても、次の場面になれば完璧なメイクをしたマリリンが、そこにいるのである。(濡れた髪の毛も次の瞬間には、もう乾いている。あら不思議!)


最後まで、「これはホラーなのか?」と思うくらい怪現象の連続なのである。(笑)


そして、そんな不思議美女『ケイ』(マリリン・モンロー)と親子で筏に乗って旅を続けるマット(ロバート・ミッチャム)は、段々とケイに惹かれていく。


長い間、刑務所暮らしで、女っ気がなかったせいもあるだろうが、ミッチャム様のマリリンを見る目は、もう、いつ爆発してもおかしくないくらいギンギラ、ムラムラ状態😤


「あなた良い人ね」なんて言われた日には、

もう、辛抱たまらん!😚

とマリリンを抱き寄せて強引に押し倒す。


「何するのよ?!」とふりほどいても、それを離さないで、さらに強引にのしかかってくるミッチャム様は、もはや野獣である。


蹴られても蹴られても、マリリンを羽交い締めにするミッチャム様。


山の中で転がりまくる二人。


(もう、これから何を見せられるの?……💧)と思っていたら、遠くで息子マークの叫び声。


本当の野獣が襲ってきたのだった。


それに「ハッ!」と気づいて、理性を取り戻した『マット』(ミッチャム)。


やっと幼いマークの元へ走っていく二人なのだった。(子供が近くにいて、よ~やるよ。そして土の上で散々転がり続けたのに、次のシーンでは全く汚れていないマリリンの姿が!(笑) )




こんな親子と不思議美女の珍道中、なんとか最後は収まるところに収まり、ハッピーエンドを迎えるんだけど……それにしてもねぇ~。



オットー・プレミンジャー監督はどんな想いで、この映画の撮影を行っていたんだろう、とつくづく思ってしまう。



あの完璧主義のプレミンジャーなのに……。



マリリンはマリリンで、「あたしは《マリリン・モンロー》なんだから!」を固持して、最後まで綺麗なマリリン。


ミッチャムはミッチャムで、「俺は、『バッド・ボーイ』のイメージで…」なのだから、間に入る監督の気苦労は相当なものだったと、勝手に推測してしまう。


有名女優俳優を起用しても、そのリクエストに応えなければいけない監督も大変だ。



そんな感想をいだいた、摩訶不思議映画なのでございました。


長々、お粗末さま。星☆☆☆。


2020年11月23日月曜日

映画 「恐怖の岬」

1962年 アメリカ。




弁護士『サム・ボーデン』(グレゴリー・ペック)は、美人で気立てのいい妻ペギーと、一人娘ナンシーに囲まれて、幸せな暮らしを満喫していた。


だが、ある日、サムが裁判所から出て帰宅しようと車に乗り込み、キーを回そうとすると、誰かの手が横からスーッと伸びてきて、素早くキーを奪った。


「先生、お久しぶり!」


その声の先には、助手席の窓から、ニヤついた顔を出している一人の男。


パナマ帽をかぶり、ニヤニヤ笑いながら葉巻をくわえた、その男をサムは(誰だ?)と思ったが、それも一瞬。


その男が喋りだした途端、サムの記憶はすぐに蘇ってきた。


(マックス・ケイディ………)


8年前、女性に暴行し、サムの証言で刑務所送りにしたのが、今、目の前にいる『マックス・ケイディ』(ロバート・ミッチャム)なのだ。


「やっと出所したんだ。出所したら一番にあんたに会いたくてな」


白々しく語るマックス……今さら俺に何の用だ?


俺への逆恨みをはらしに来たのか?……だったら、こんな奴など相手にできるか!



サムはマックスからキーを取り返すと、エンジンをかけて車を発進させた。


後方からは、まだマックスの叫ぶ声が聞こえる。


「美人のカミサンと娘がいるんだってな!また近いうちに会おうぜー!!」


そんな事まで調べあげているのか?!

妻と娘に何をするつもりなんだ!!


サムは恐怖し、自宅に帰ると、すぐさま親友で警察署長の『ダットン』(マーティン・バルサム)に電話した。


「助けてくれ、署長!」と。


ダットンは署長の権限で、マックスを引っ張ってくると、「前科のある犯罪者は、町にとどまるには警察に報告する義務がある」と言い、マックスの持ち物検査をしたり、部下の警察官たちに、「マックスの監視をして、何かあればすぐに捕まえてこい!」と言い含めた。


だが、ダットン署長の権限もそこまで。


マックスは、さらに上をいき、自ら弁護士を雇ったのだ。


マックスの雇われ弁護士グラトンは、「警察から違法な圧力をかけられている!」と、逆に署長とサムに詰め寄ってきたのである。


「こうなりゃ、わしにはどうしようも出来ないよ、サム」


グラトンが警察から引き揚げると、もはやお手上げとばかりにダットン署長はため息をつく。


だが、飼い犬は毒殺されて(マックスが殺したに決まってる!でも証拠がない)、妻と娘は、身近でマックスの姿が見えれば、それだけで怯える日々。


とうとう、サムは私立探偵『チャーリー・シーバース』(テリー・サバラス)を個人で雇い、マックスの動向を見張らせるのだが………





やっと観た『恐怖の岬』である。


リメイク版『ケープ・フィアー』を、昔観ていたので、あらすじは知っていたし、(今さら…)感もあって、今日までズルズル観ずにいたのだ。


なんせ、このblogにも再三書いているが、真面目一辺倒なグレゴリー・ペックが、少々苦手な為である。


やっぱり、この映画でもお堅い、真面目な弁護士役のグレゴリー・ペック。(『パラダイン夫人の恋』でも弁護士役だったし、「またか……」って感じなのだ)


妻のペギーとキスしたり、抱き合ったりしても色気を全く感じさせないグレゴリー・ペック 。(生来の真面目さも、ここまでくると、段々貴重な気がしてくる (笑) )


父性愛は一応あるようで、娘のナンシーの為なら俄然張り切るのだが…。



でも、観ていくと分かってくるのだが、


「この映画のグレゴリー・ペックは何だか、いつもとひと味違うぞ!」と思わせるのだ。




それもこれも、《ロバート・ミッチャム》が出演しているからこそ。




グレゴリー・ペックも、普段の映画とは随分、勝手が違う雰囲気を感じたはずなのだ。


そのくらい、ミッチャムがはたす役割は、この映画では、とても大きいのである。



なんせ、冒頭の出だしから、ミッチャムが、画面に現れただけで、怖い雰囲気がムンムン漂う。


裁判所に現れた『マックス』(ロバート・ミッチャム)は、階段ですれ違った何冊もの本を抱えた女性にぶち当たって、本を落としてしまっても知らんぷりで通りすぎる。(監督 J・リー・トンプソンの演出なんだろうけど、ミッチャムが演じると怖さと冷酷さが、これだけで感じられる)


『サム』(グレゴリー・ペック)が妻と娘を連れて、ボーリングをして楽しんでいる時も、「ヌ~ッ!」と顔を出すだけで、恐ろしい『マックス』(ロバート・ミッチャム)の顔。( (゚ロ゚)ヒイィィーィ! )


サムも、思わず投げた玉はガーターをたたきだしちゃう。(でしょうね)




特別過剰な演技をしているわけでもないのに、この怖さは何なんだろう?



《スリーピング・アイ》(眠たそうな瞳)とアダ名されたミッチャムの目だけではないような気がする。


観ている自分には、ミッチャムの背中から羽のように、うっすら伸びる、闇のようなオーラを感じてしまうのである。



こんな雰囲気を漂わせるミッチャムに、グレゴリー・ペックも次第に影響されてくるのか、自覚してなくても芝居が変わっていくのだ。


『マックス』(ロバート・ミッチャム)に恐怖し、憎む表情は、もはや、いつもの優等生グレゴリー・ペックの表情じゃない。


「どんな手段を使っても負けてたまるか!」なのである。


チンピラに金まで払ってマックスを襲わせるサムに、話の筋書きとはいえ、意外な一面を見て、「オオッ!」と声を上げてしまった。(卑怯なグレゴリー・ペックも珍しい)


映画のラスト、ケープ・フィアー川での一対一の対決。



川につかりながら、後ろからグレゴリー・ペックの首を締め上げて殺そうとしてるロバート・ミッチャムに手加減はない。


(何がスターだ!殺してやる!殺してやるー!)と、どす黒い本気の殺意さえ感じてしまう。


もう、グレゴリー・ペックも(このままじゃ本当に殺されてしまうかも…)と本気でジタバタしてるように見える。(そのくらい真に迫っている)



何にせよ、グレゴリー・ペックの出演する映画で、初めて良いと思ったくらい、この映画は良かった。


そして、それを牽引し、自分の世界にグイグイ引き込んでいくロバート・ミッチャムは、まさに演技派。


稀な怪優と呼べるんじゃないだろうか。


星☆☆☆☆☆。



※これを観た後では、途端にリメイク版が、もの足りなく思えてしまった。

体中に刺青アートをしたデ・ニーロの怖さなんか比較にならない。

ロバート・ミッチャムの勝ちである。(『狩人の夜』も怖いぞ~!ご覧あれ)



後、まだスキンヘッドじゃないテリー・サバラスなんてのも珍しいかも。(か、か、髪の毛があるぅ~)

これまた、一見の価値ありである。

2020年11月10日火曜日

映画 「サファリ殺人事件」

1989年 アメリカ。





原題名は、《Ten Little Indians》。


そのまま訳すと、《10人の小さなインディアン》、日本では《そして誰もいなくなった》のタイトルの方が有名か……。


そう、ここまで書けば、ご存じのように、アガサ・クリスティーの名作の映画化である。


この《そして誰もいなくなった》は何度も映画化されていて、これは確か4度目の映画化だったはずだ。(最初の映画化は1945年版。これが、なかでも一番出来がいいらしいが未見)



当時、《アガサ・クリスティー生誕100年》の記念に作られた映画だったのだけど………それにしても、この邦題なんとかならなかったのかねぇ~。(センスの欠片もないし、超ダサい!)




この時期になると、クリスティーの数多い単行本は、ほぼ読破していたので、この《そして誰もいなくなった》も、当然読んでいたし、大胆なトリックと、クリスティーの読ませる筆力で、「まぁ、良くできてる」と感心はしていた。


でも、クリスティーの数多い作品の中でも、「名作!名作!」と持ち上げられていて、自分としてはあんまり好きじゃないんだよなぁ~、これ。




見知らぬ大富豪オーエンから招待状がきて、絶海の孤島に集められた、それぞれ縁もゆかりもない8人の男女。


でも、島には雇われたばかりの召し使いの夫婦がいるだけで、オーエンの姿はなく……。


ホールには、インディアンの人形が10体並べられている。


やがて一人、また一人と、何者かに殺されていき……。


殺されていく度に、いつの間にか減っていくインディアン人形。


逃げ場のない孤島、集められた10人しかいない島。犯人はこの中にいる……?!



要約すれば、こんなお話である。



最初に、この本を読んだ時は素直に感動したけど、この話、ともすればラストの大どんでん返しまで持ちこたえられるか、どうか、本当に微妙な匙加減で、ギリギリ成り立っているような話である。


この『一人、また一人殺されていく……』くだりが、段々、予定調和に思えてきて、退屈になってくるおそれがあるのだ。


そこを飽きさせないように、本では、クリスティーの筆力が勝っていて、ラストまでグイグイ引き込み、なんとか読ませる事が出来るんだけど……。


(でも、これ、映像向きか?……)



とりあえず、3度目の映画化作品が、当時レンタルビデオに置いてあって、なんの気なしに手に取っては観たのだけど………まぁ、これが、おっそろしく、ツマラナイ!(駄作である)


やはり、自分が危惧したように、この《一人、また一人殺されて……》のパターンが、延々繰り返される度に、つまらなく思い始め、どんどん飽きてくるのだ。


そして、名探偵もいず、ヒロイン、ヒーローとして主人公を描く事ができない、この原作は、

「登場人物10人を、公平に均等に描かなければならない」という制約の為に、映像にすると、どこか宙ぶらりん。


集団劇でも、(核・中心)になる人物が居ないので、観客は誰に感情移入しようにも出来ないし、皆が皆、横並びの登場人物たちばかりになってしまうのだ。



だから、この4度目の映画化『サファリ殺人事件』も観る前から、(失敗する)と思っていたら、やっぱり案の定でした (笑) 。



映画の舞台を、無人の砂漠(3度目)にしたり、アフリカの奥地(4度目)にしたりしても、それぐらいじゃ補えないくらい、この『そして誰もいなくなった』は映像には不向きな原作なのだと思う。


じゃ、「なんで失敗と分かっている、この映画を観たんだ?」と思うだろうが、それは、ただ、ただ、《ランク・スタローン》のお顔を1度見てみたかったから。

本当に、それだけ。



フランク・スタローンは、知っている人は知っている、シルベスター・スタローンの弟で、たま~に映画の端役もするが、本業は歌手である。


この映画では、たまたま2番手くらいにクレジットされていて、珍しい扱い。


演技の方は、どうしてもトホホ… (笑) の出来なのだが、このフランク、兄のシルベスター・スタローンによく似ているのだ。



兄弟なんだから、当たり前っちゃ、当たり前なんだけど、この『サファリ殺人事件』の当時は、あまりのソックリさにビックリしたものだ。(ただ映画は、とんでもなく駄作でしたけど、まぁ、良いのだ。最初から前述に書いたように、まるで期待してなかったし)



兄弟仲も良いみたいで、最近ならシルベスター・スタローンが映画『クリード』でアカデミー賞助演男優賞にノミネートされて、結局、受賞は叶わなかった時、この弟フランク、カンカンになって代わりに激昂したらしい。


「なんでスライ(シルベスター)が受賞できないんだ!?代わりに受賞した奴、誰だ?そんなの知らんわ!!」


どこまでも兄想いの弟に、ちょっと胸アツになるエピソードである。(ジ~ン)



あ、映画の評価は、言わずともお分かりだと思うので、今回はパス。

VHS時代に観た、これが、今後DVDやBlu-rayになる事は、まず、ないと思うので。


どんな名作でも、映画にするには向き不向きがあるという、一例でございました。